【62】NO?

 

 

~民~

 

 

チャンミンさんの白いワイシャツ姿が見えなくなるまで、私は見送った。

 

雑踏の中を見回したがユンさんの姿はなく、寂しい気持ちになる。

 

チャンミンさんに無理やり引っ張り去られたとはいえ、会話の途中で姿を消すだなんて失礼だった。

 

ユンさんの側にいるとドキドキ胸が高まり、チャンミンさんの側にいると逆に安らかな気持ちになるから、私の心は大忙しだ。

 

ユンさんとチャンミンさんか...。

 

同時期に素敵な男性が身近にいるなんて経験は初めてのこと。

 

駄目だ...頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 

片手にぶら下げていたサンダルを履こうと身をかがめた時、KさんとAちゃんが駆け寄ってきた。

 

「民さん!

結果発表ですよ!

ああっ!?

セットが崩れてしまってる!」

 

コームで前髪を梳かすKさんと、汗でよれたファンデーションを塗りなおすAちゃんに囲まれる。

 

忘れそうになっていたけれど、カットコンテストの真っ最中なのだ。

 

自分に課せられたお役目は最後まで果たさないと、と気持ちを切り替えようと、大きく深呼吸をした。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

民ちゃんが帰って来る。

 

胸の底からきゅうっと嬉しさが湧いてきた。

 

僕は相当、民ちゃんに参っているみたいだ。

 

ステージの上の民ちゃんを見て僕は確信したんだ。

 

民ちゃんが遠くへ行ってしまわないように、彼女の手を握っていようって。

 

民ちゃんはふわふわと危なっかしいから。

 

心配事が増えた。

 

よりによってユンのアシスタントをしているなんて。

 

ユン相手だと、民ちゃんの男の子のような見た目が守ってくれない。

 

男の僕の腕をいやらしく撫ぜまわしたくらいだ。

 

「君は、男と女が同居しているたぐいまれな魅力を持っている。君の腕を触らしてくれ」とか、うまいこと言われていなければいいんだが...。

 

「先輩。

右折するのは、ここでしたっけ?」

 

「もう一本先だよ」

 

運転を後輩Sに任せて、僕は助手席で物思いにふけっていた。

 

兄と妹みたいなくつろいだ雰囲気も悪くない。

 

でも、僕は民ちゃんのことを「女」だと意識している。

 

けれども、民ちゃんには好きな人「X氏」がいる。

 

X氏を追いかけてきたくらいだから、好き度はかなりのものだと思う。

 

そのX氏に対抗することになるわけか...。

 

いいなと思った相手には、既に想いを寄せている人がいた。

 

これまでの僕だったら、縁がなかったと引き下がっていた。

 

見込みがあるのかないのか不明な状況で、自分の存在をアピールするなんて無駄な努力だと思っていた。

 

なんとしてでも振り向いてもらえるよう必死になれる相手なんていなかった...。

 

いたじゃないか、リアが!

 

臆病者で確信がもてない相手に告白が出来なかった僕が、唯一なりふり構わず追いかけた女性がリアだったじゃないか。

 

あの頃の自分はおかしかった。

 

理想の女性像そのものだったから。

 

リアの内面を知る以前に、僕の好みに見事に合致していた顔とスタイルに引き寄せられた。

 

打ち合わせテーブルで資料に落とした視線を上げた時、リアの熱い眼差しが僕のものと絡まった。

 

「誘っている」と察知した僕の身体はかあっと熱くなって、その夜のうちにリアの携帯電話を鳴らしていた。

 

あの時の意気込みで民ちゃんにぶつかっていけばいいじゃないか。

 

民ちゃんは鈍感そうだから、控えめなアピールじゃ気付いてもらえない。

 

そんなことは分かっている。

 

民ちゃん相手だと、慎重になってしまうんだ。

 

なぜなら、民ちゃんの目に映る僕は「頼れるお兄ちゃん」なんだろうから。

 

そのイメージをいきなりぶち壊すのは、民ちゃんにとって刺激が強すぎる。

 

それに。

 

民ちゃんはその場の雰囲気だとか、勢いに弱い質だと思う。

 

ぐいぐい迫れば、その勢いにのせられて「YES」と答えそうな子だ。

 

僕に握られるままだった民ちゃんの手。

 

手を握ったり、抱きしめたり、キスをしたり...おいおい!

 

とっくに手を出してるじゃないか、僕ときたら。

 

とっさの行動だったからたちが悪い。

 

ただのスケベ親父じゃないか。

 

驚く民ちゃんには、慌てて「冗談だよ」って誤魔化して、その場を取り繕うことができたからよかったものの。

 

よく考える隙を与えずにぐいぐい迫って、雰囲気にのせられた民ちゃんを頷かせても、ちっとも嬉しくない。

 

大きく深呼吸をした。

 

僕の言動ひとつで、民ちゃんがどう反応するのかをひとつひとつじっくりと見たい。

 

瞳の揺らめき、ひそめた眉、赤らむ両耳、引き結ばれた唇が微かに開く時。

 

ひとつひとつ確かめながら、民ちゃんの心の中へじわじわと侵入してゆきたい。

 

民ちゃんが僕の気持ちに気付くよう、好意を小出ししながら距離を縮めよう。

 

下心ありそうなユンに、想われ人X氏。

 

これからの僕は忙しくなりそうだ。

 

X氏については本人を未だ目にしたことはないから、今のところ嫉妬心はそれほどない。

 

前途多難だと気が遠くなる理由は、民ちゃんが「片想い」中だということ。

 

なぜなら、恋に夢中になっている時は、自分に好意を寄せてくれる人がいたとしても、全然気づけないものだ。

 

だって、僕自身がそうだったんだ。

 

僕がリアを振り向かせようと躍起になっていた時、外注業者のある女性から好意を寄せられていた。

 

リアと交際できるようになった後、飲みの席でそう打ち明けられて初めて知った。

 

なんとなくは気付いていたけれど、それどころじゃなかった僕は、食事の誘いを無下に断っていたし、打ち合わせが終われば雑談もせずにそそくさと席を立っていた。

 

礼儀正しくありつつも、冷たい行動をとっていた。

 

その女性の気持ちやさりげないアピールなど、見て見ぬふりをしていた。

 

それくらい、外野の異性が目に入らない。

 

民ちゃんの今の状況も、当時の僕のようだと思う。

 

もっとも、民ちゃんの場合は見て見ぬふりどころか、全く気付いていない可能性が高い。

 

参ったなぁ。

 

 

(つづく)

 

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