【65】NO?

 

 

~チャンミン~

 

「チャンミンさん...ごろーんってして下さい」

 

「へ?」

 

「いいからいいから」

 

先に寝っ転がった民ちゃんに手を引かれて仕方なく僕も横になる。

 

「あ...」

 

「ね?」

 

天窓から、青空が見えていた。

 

「この下にベッドを置くことに決めました。

星空を眺めながら眠りにつく...素敵です」

 

ここは都会、あの天窓から星空が見えない可能性が高かったけど、僕は黙っていた。

 

「天窓とか、バルコニーとか、フローリングとか憧れます。

このお部屋は全部叶えてくれます。

ここがいいです」

 

しばらく僕らはフローリングの床に寝転がって、無言で想像の星空をあの天窓から眺めていた。

 

「遊びに来てくださいね」

 

「え...?」

 

横を向いたら、民ちゃんの青みを帯びた白目と長いまつ毛に僕は見惚れた。

 

「僕なんかじゃなくて、例の...彼を呼ぶ方が先じゃないかな?」

 

心にもないことを口にしていた。

 

民ちゃんの片想いの相手、X氏についてさりげなく探りを入れるために。

 

「どうでしょうか...。

来てくれないと思います」

 

「どうして?」

 

「『そういう』人じゃないんですよねぇ...庶民的じゃない、というか...」

 

「そうなの?」

 

頭を浮かした僕は、民ちゃんを見下ろした。

 

「暮らしのステージが一段上の方です」

 

「その彼と...どういったきっかけで知り合ったの?」

 

「それは...」

 

民ちゃんは言いかけて、少しの間迷った後、

 

「私が店員さん、彼がお客さんでした。

私の接客を褒めて下さって...。

...多分、私の片想いで終わってしまうと思います。

私なんかじゃ、太刀打ちできません」

 

「僕より年上だったっけ?」

 

「はい」

 

「そっか」

 

ルーフバルコニーと天窓の部屋に決めた僕らは、不動産屋へ徒歩で向かっていた。

 

全くもって、デートみたいだった。

 

隣を歩く民ちゃんの揺れる右手と手を繋ぎたかった。

 

「私...ここまでたどり着きました。

仕事を見つけて、一人暮らしのお部屋も決まって...。

チャンミンさん...ありがとうございます」

 

前を向いたまま話しているのは、照れているからだ。

 

民ちゃんの顔も耳も赤いのも。

 

「あなたのおかげでここまで来ました」

 

僕はぴたりと立ち止まった。

 

あなた。

 

その一言が僕の心を甘く切なく痺れさせた。

 

いつか民ちゃんは、あの部屋にX氏を呼ぶことになるかもしれない。

 

その前に。

 

「僕と...一緒に住まないか?」

 

心の中で僕は、そうつぶやいてみた。

 

 

 

 

契約書を交わす民ちゃんの隣に、僕は保護者然として座っていた。

 

民ちゃんはリュックサックから厚みのある封筒を取り出すと、その中から契約金を支払った。

 

「向こうでバイトを掛け持ちして貯めたんです。

だから、お洋服を買う余裕がなくて...。

チャンミンさんが貸してくれて、助かりました」

 

ふふふっと、恥ずかしそうに笑った。

 

いつも同じ格好をしている民ちゃんのワードローブの乏しさに納得した。

 

でも、1着1着大切に着ている民ちゃん。

 

そっか...民ちゃんはそうまでしてX氏の側に来たかったのか。

 

僕じゃ太刀打ちできないかもしれない、と自信をなくしそうになる。

 

「チャンミンさんのお部屋探し、手伝いますよ?」

 

マンションへの帰り道、僕らはコンビニエンスストアで買ったアイスコーヒーを飲みながら並んで歩く。

 

(民ちゃんったら、ガムシロップを3個も入れるんだから)

 

しみじみと、まるでデートみたいだと思った。

 

「えー。

民ちゃんじゃ頼りない」

 

汗に濡れる民ちゃんのうなじから目を離せずにいた僕は、慌てて目を反らして民ちゃんの腕を軽く小突いた。

 

「ひどいですね。

いい空気が流れているかいないかは、分かりますから」

 

「じゃあ...来週。

僕の部屋探しに...付き合ってくれる?」

 

「もちろんですよ!」

 

よかった。

 

まるで、デートの約束みたいだ。

 

冷たいコーヒーのミルキィな甘さが、民ちゃんの首筋から漂うミルクみたいな甘い香りと結びついて、僕の胸はやっぱり甘く痺れるのだった。

 

こうして民ちゃんの引っ越しは来週に決まった。

 

次は僕だ。

 

 

(つづく)

 

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