【74】NO?

 

 

~リア~

 

 

人の好いチャンミンのことだから、「僕がなんとかするよ」って、責任をとろうとすると予想していたのに。

 

もしかしたら覚えていないだけで行為はあったかもしれない、って思いこむかと予想していたのに。

 

疑うことをしない、純朴な大型犬みたいな人だから。

 

私にぞっこんだったのに捨てようとした負い目から、別れを撤回してくれるかと思ったのに。

 

浮気を知って、「僕じゃ物足りなかったんだね、ごめん」って。

 

不甲斐なさから謝ってくるかと思ったのに。

 

浮気の末の妊娠で、その浮気相手を頼れないといった状況で、途方にくれているような私を、ほっとけない人だったのに。

 

あんなに怒るなんて。

 

「僕には関係ない」なんて、チャンミンらしくない。

 

私の見込み違いになってしまった。

 

どうしたらいいの?

 

チャンミンは血相を変えて出かけて行った。

 

『好きな人』とやらに会いにいったのかしら。

 

チャンミンの方こそ、『浮気』してるじゃない。

 

私と別れたがったのも、私が留守がちだのあれこれ理由を述べていたものの、結局は「好きな人ができた」のが理由だったなんて。

 

どこの誰?

 

チャンミンのことだから、仕事繋がりでしょうよ。

 

直近に盗み見したチャンミンの携帯電話の履歴を、思い出そうとした。

 

新しく加わった名前はなかった。

 

私は切羽詰まっていた。

 

ぬくぬくと温かい居場所を失いそうだったから。

 

「あの人」には未だ、切り札となるこのことは伝えていない。

 

先の心配は、「あの人」の反応をみてからにしよう。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

身を投げ出すようにソファに横たわった。

 

これで何十回目になるのか、携帯電話を睨みつける。

 

結局、今日一日待ってみたが、民ちゃんから連絡はなかった。

 

あの子は何やってんだよ。

 

「どれだけ心配してるか...」

 

知らず知らず、口に出していた。

 

「いい年して、家出かよ...」

 

帰ってきたらお尻を叩かないと。

 

お尻を叩いて説教しないと。

 

 

 

 

「ただいま、です」

 

僕に怒鳴られることを分かっているのか、両眉を下げて上目遣いで、足音をたてないように民ちゃんが帰ってきた。

 

ソファに横になった僕の傍らに正座した民ちゃんは、「ごめんなさい」って小さな声で謝る。

 

僕は仏頂面で、しばらく目を合わせてやらない。

 

民ちゃんは僕の手を握って、「ごめんなさい」と今度ははっきりとした声で謝った。

 

民ちゃんの長い前髪が、はらりと片目を覆ったけど、今日の僕は指を伸ばす気にもならない。

 

民ちゃんの手を払いのけた。

 

僕の乱暴な行為に、民ちゃんは拒絶された手をそのままに、下がった眉をもっと下げた。

 

「今まで、何してたの?」

 

「えっと...」

 

俯いて言いよどんでいる。

 

僕はむくりと身体を起こし、床に座った民ちゃんを怖い目で見下ろす。

 

民ちゃんの目は赤くなっていて、僕の怒りに怯えた表情をしていた。

 

折り曲げた小さな膝頭や、細い鎖骨や太ももの上で握った小ぶりの手から、目を反らす。

 

「どこで、何をしてた?」

 

「散歩を...してました」

 

「こんな時にふざけるな!」

 

僕の剣幕に、民ちゃんは身をすくめた。

 

「本当です。

歩いてました」

 

「誰といた?」

 

僕が最もしたかった質問を、とうとう口にしてしまう。

 

「え...?

一人ですけど」

 

「嘘をつくな!」

 

「......」

 

「誰といた?」

 

民ちゃんの澄んだ綺麗な瞳が揺れた。

 

「...ユンさんです」

 

「!!!」

 

 

 

 

手の中のものが、振動と共にけたたましい音をたてて僕は飛び起きた。

 

発信者はT。

 

「もしもし!」

 

最初はTの喋る内容が、頭に入ってこなかった。

 

病院、だとか。

 

事件、だとか。

 

救急車、だとか。

 

警察、だとか。

 

「どこ?」

 

全身が冷えていった。

 

ぶわっと皮膚の表面に冷や汗が浮かんだ。

 

意識がどうの、と言っている。

 

電話の向こうのTは、相変わらず声が大きかった。

 

緊急事態であっても慌てている感じがしないのは、Tとはそういう奴だからだ。

 

連絡を受けた僕の方が、よっぽど慌てふためいている。

 

電話を繋いだまま僕は玄関に走る。

 

脱ぎ捨てた靴をつっかけて、部屋を飛び出す。

 

表通りへ出て、タクシーの空車に向かって手を挙げる。

 

『チャンミン、落ち着けって。

今夜は俺だけで十分なんだって』

 

「そっちに行くから!」

 

『おい!

チャンミン!

話を...』

 

通話を打ち切った僕は、タクシーのシートに身を預けた。

 

額を流れる汗を手の甲で拭った。

 

さっきの民ちゃんは、夢枕に現れたのだろうか。

 

この世を去る前に、僕に別れを告げにやってきたのだろうか。

 

くっくっと胸が痙攣した。

 

こぶしで嗚咽を堪えた。

 

 

(つづく)

 

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