~リア~
人の好いチャンミンのことだから、「僕がなんとかするよ」って、責任をとろうとすると予想していたのに。
もしかしたら覚えていないだけで行為はあったかもしれない、って思いこむかと予想していたのに。
疑うことをしない、純朴な大型犬みたいな人だから。
私にぞっこんだったのに捨てようとした負い目から、別れを撤回してくれるかと思ったのに。
浮気を知って、「僕じゃ物足りなかったんだね、ごめん」って。
不甲斐なさから謝ってくるかと思ったのに。
浮気の末の妊娠で、その浮気相手を頼れないといった状況で、途方にくれているような私を、ほっとけない人だったのに。
あんなに怒るなんて。
「僕には関係ない」なんて、チャンミンらしくない。
私の見込み違いになってしまった。
どうしたらいいの?
チャンミンは血相を変えて出かけて行った。
『好きな人』とやらに会いにいったのかしら。
チャンミンの方こそ、『浮気』してるじゃない。
私と別れたがったのも、私が留守がちだのあれこれ理由を述べていたものの、結局は「好きな人ができた」のが理由だったなんて。
どこの誰?
チャンミンのことだから、仕事繋がりでしょうよ。
直近に盗み見したチャンミンの携帯電話の履歴を、思い出そうとした。
新しく加わった名前はなかった。
私は切羽詰まっていた。
ぬくぬくと温かい居場所を失いそうだったから。
「あの人」には未だ、切り札となるこのことは伝えていない。
先の心配は、「あの人」の反応をみてからにしよう。
~チャンミン~
身を投げ出すようにソファに横たわった。
これで何十回目になるのか、携帯電話を睨みつける。
結局、今日一日待ってみたが、民ちゃんから連絡はなかった。
あの子は何やってんだよ。
「どれだけ心配してるか...」
知らず知らず、口に出していた。
「いい年して、家出かよ...」
帰ってきたらお尻を叩かないと。
お尻を叩いて説教しないと。
・
「ただいま、です」
僕に怒鳴られることを分かっているのか、両眉を下げて上目遣いで、足音をたてないように民ちゃんが帰ってきた。
ソファに横になった僕の傍らに正座した民ちゃんは、「ごめんなさい」って小さな声で謝る。
僕は仏頂面で、しばらく目を合わせてやらない。
民ちゃんは僕の手を握って、「ごめんなさい」と今度ははっきりとした声で謝った。
民ちゃんの長い前髪が、はらりと片目を覆ったけど、今日の僕は指を伸ばす気にもならない。
民ちゃんの手を払いのけた。
僕の乱暴な行為に、民ちゃんは拒絶された手をそのままに、下がった眉をもっと下げた。
「今まで、何してたの?」
「えっと...」
俯いて言いよどんでいる。
僕はむくりと身体を起こし、床に座った民ちゃんを怖い目で見下ろす。
民ちゃんの目は赤くなっていて、僕の怒りに怯えた表情をしていた。
折り曲げた小さな膝頭や、細い鎖骨や太ももの上で握った小ぶりの手から、目を反らす。
「どこで、何をしてた?」
「散歩を...してました」
「こんな時にふざけるな!」
僕の剣幕に、民ちゃんは身をすくめた。
「本当です。
歩いてました」
「誰といた?」
僕が最もしたかった質問を、とうとう口にしてしまう。
「え...?
一人ですけど」
「嘘をつくな!」
「......」
「誰といた?」
民ちゃんの澄んだ綺麗な瞳が揺れた。
「...ユンさんです」
「!!!」
手の中のものが、振動と共にけたたましい音をたてて僕は飛び起きた。
発信者はT。
「もしもし!」
最初はTの喋る内容が、頭に入ってこなかった。
病院、だとか。
事件、だとか。
救急車、だとか。
警察、だとか。
「どこ?」
全身が冷えていった。
ぶわっと皮膚の表面に冷や汗が浮かんだ。
意識がどうの、と言っている。
電話の向こうのTは、相変わらず声が大きかった。
緊急事態であっても慌てている感じがしないのは、Tとはそういう奴だからだ。
連絡を受けた僕の方が、よっぽど慌てふためいている。
電話を繋いだまま僕は玄関に走る。
脱ぎ捨てた靴をつっかけて、部屋を飛び出す。
表通りへ出て、タクシーの空車に向かって手を挙げる。
『チャンミン、落ち着けって。
今夜は俺だけで十分なんだって』
「そっちに行くから!」
『おい!
チャンミン!
話を...』
通話を打ち切った僕は、タクシーのシートに身を預けた。
額を流れる汗を手の甲で拭った。
さっきの民ちゃんは、夢枕に現れたのだろうか。
この世を去る前に、僕に別れを告げにやってきたのだろうか。
くっくっと胸が痙攣した。
こぶしで嗚咽を堪えた。
(つづく)
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