【76】NO?

 

 

 

~民~

 

 

「お前、チャンミンちを家出でもしたのか?」

 

「家出?」

 

似たようなものかもしれない。

 

「喧嘩したのか?」

 

首を横に振る。

 

「チャンミンの奴...めちゃめちゃ心配してたぞ。

俺の話を最後まで聞かないんだから...。

大袈裟にとらえてなければいいんだが...」

 

「心配してた...?」

 

「すっ飛んでくるよ」

 

今はチャンミンさんの顔を見たくない。

 

だってチャンミンさんは、リアさんの側にいるべき人なんだから。

 

だから余計に、ユンさんに甘えたい、と思った。

 

常に落ち着いていて、首につけたキスマーク以外で私の胸をざわつかせることをしなかった。

 

チャンミンさんは、私をビックリさせる人だ。

 

首にキスしたり、手を繋いできたり、抱きついてきたりするくせに、リアさんと抱き合ってるんだもの。

 

やってることがちぐはぐなんだもの。

 

タクシーでの出来事を勘違いしなくてよかった。

 

保留にしておいてよかった。

 

あと数日もしたら、わたしはチャンミンさんちを出て新しいお部屋に引っ越す。

 

一か月近くお世話になった感謝の気持ちをちゃんと伝えたら、チャンミンさんとは距離を置こう。

 

うん、そうしよう。

 

お兄ちゃんは「じゃあな」と片手を挙げて、病室を出て行った。

 

頭がズキズキと痛む、手の平はヒリヒリする。

 

痛み止めの薬でうとうととした眠気の中、ぼーっと白い天井を見上げていた。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

タクシーを飛び降りた。

 

「くそっ」

 

締め切った正面玄関に舌打ちをして、救急出入り口まで走って回る。

 

自動ドアに肩をぶつけて2度目の舌打ちをし、夜間受付のカウンターに顔を突っ込む。

 

「民は!?

僕は...兄です!」

 

 

集中治療室とかじゃなくて、一般病棟を案内されて安堵の息を吐く。

 

意識不明の重体なんだと、最悪の事態のつもりでいたから。

 

どこでどうすると民ちゃんが救急車で運ばれることになるのか、全く想像がつかなかった。

 

泥酔状態でふらふら歩いていて、車道によろけてしまってはねられた、とか?

 

Tがあれこれ説明していたけど、パニックになってた僕はこれっぽっちも話を聞いていなかった。

 

消灯時間間際の病棟の廊下は静かで、面会時間を過ぎていたが、急患患者の家族(本当は違うけど)ということで許可された。

 

ネームプレートで民ちゃんの名前を確認した僕は、身なりを整える。

 

ゆるんで斜めになったネクタイは外し、はみ出た背中のシャツをスラックスにたくし込み、汗でくしゃくしゃになった髪を撫でつけた。

 

一息ついて、そっと引き戸を開けた。

 

ここは2人部屋で民ちゃんは窓側のベッドだ。

 

「民ちゃん?」

 

枕元灯の光が漏れるカーテンから、僕は顔をのぞかせる。

 

胸が痛くなるほど美しい青年が横たわっていた。

 

眠ってはいなかったようで、カーテンの隙間の僕にゆっくりと視線を向けた。

 

枕元灯に片方から照らされて、額と鼻筋がくっきりとした影を作っている。

 

あらかじめ教えてもらっていなければ、民ちゃんは男性そのものだ。

 

でも、僕の目というフィルターを通すと、骨ばって薄い身体つきから、儚げな女性らしさを感じ取られるし、可愛らしいキャラクターを続々と引き出せられる。

 

ほとんどの人が気付いていないんじゃないかな。

 

酷似している僕だから、出来たことなんだと分析している。

 

民ちゃんを褒めることは、イコール自分を褒めることですね、と笑い合った頃を思い出した。

 

見た目は酷似しているけど、僕と民ちゃんは全くの別物なんだ。

 

よかった...。

 

張り詰めていた全身の力が、抜けていった。

 

頭に白いネットを巻いている以外は、サイズの合わない病衣から長い腕を出していて、顔は傷一つなくて...よかった。

 

僕と目が合った民ちゃんは、一瞬顔をこわばらせた後、僕をじぃっと無表情で見つめている。

 

その眼差しが固くて、「わぁ、チャンミンさん」って笑顔を見せるかと予想していた僕の心が冷えた。

 

怒ってる?

 

怒るのは僕の方なんだけど?

 

やっぱり、リアとのことで不貞腐れてるんだ。

 

「大丈夫?」

 

「......」

 

急にいなくなって、さんざん心配をかけた挙句、病院に運び込まれた民ちゃんを叱りつける気持ちなんて、Tの電話で吹き飛んでしまっていた。

 

民ちゃんに何かあったのでは、と、ここまで生きた心地がしなかった経験は生まれて初めてだったんだ。

 

出来る限り温厚で、礼儀正しく、常識的でありたい僕だったのに、寝付けないは、仕事に手は付かないは、走り回るやらと、滑稽なほどの慌てぶりだった。

 

民ちゃんと僕を繋いでいたのが携帯電話だけで、しかもそれも通じないとなると、民ちゃんの行方の見当がつかなかった。

 

見た目がいくら似ているといっても、所詮僕らは他人同士だ。

 

僕らの関係性はこんな程度に弱いものなんだ。

 

民ちゃんが僕の部屋を出て行ってしまったら、彼女と2人きりで会うには「口実」が必要になるんだ。

 

そんな現実を突きつけられた。

 

今の関係性じゃダメだって。

 

ぐいっと踏み込まないと。

 

民ちゃんのお尻を叩いて説教してやる、だなんて、ジョークに決まってるじゃないか。

 

「民ちゃんが死に瀕している」だなんて、思い込むにもぶっ飛び過ぎだ。

 

ここまでの気持ちをいつの間に、育てていたんだろう。

 

彼女への想いの正体が恋愛感情なんだ、とはっきり自覚したのは、一体いつだったんだろう。

 

一か月前、改札を抜けた民ちゃんを、僕はモニュメントの台座に座って出迎えた。

 

僕と生き写しの姿に息が止まるほど驚いた。

 

同じ目の高さから僕に注がれた...長いまつ毛の下の瞳、青みを帯びた白目...僕まで清く透明になれそうだった。

 

多分...一目惚れだったんだ。

 

 

(つづく)

 

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