(98)NO?

 

~民~

 

チャンミンさんは、リアさんの「本当のこと」を知らない様子だった。

 

リアさんに部屋まで来るように誘われて、そこで聞いた「本当のこと」

 

身体のラインが丸分かりの、スリムなワンピースを着ていたリアさん。

 

真っ先にお腹に視線を向けた私に気付いて、リアさんは自嘲気味に言った。

 

「赤ちゃんはいないわ」って。

 

あの夜、聞いてしまったチャンミンさんとリアさんとの会話は、とても深刻そうだったから、

 

「赤ちゃん、残念でしたね」としか言えなくて。

 

そうしたら、

「そもそも妊娠なんてしていないの」って言い出すんだから。

 

ぽかんと口を開けた私。

 

「驚く顔もチャンミンにそっくりね。

ところで、チャンミンは元気そう?」

 

尋ねられて、「元気そうです」と答えた。

 

「あの...。

よく分からないのですが、『妊娠していない』って、どういうことですか?」

 

リアさんが手にしていたグラスの中身は、ジュースじゃなくてお酒で、「あなたも飲む?」と勧められたけど、断った。

 

「もう知ってると思うけど...。

浮気してたのよ、私」

 

「ええええーーー!!!」

 

「チャンミンから聞いていないの?」

 

大きく頷く私に、リアさんは「チャンミンらしいわね」と苦笑した。

 

「妊娠を疑っていたのは本当。

検査薬の箱を、たまたまチャンミンが見つけて。

その結果が、あの騒動よ。

最初は、自分が父親だと思い込んだみたい。

すぐに気付いたみたいだけどね。

だって、アレをしていないのに、出来るわけないじゃないの、ね?」

 

リアさんは可笑しそうにクスクス笑った。

 

慌てふためくチャンミンさんの姿が思い浮かんだけど、そんなチャンミンさんを笑って欲しくなかった。

 

「チャンミンの反応を見てみたかったのよねぇ...。

どれだけ慌てるか。

騎士道精神を発揮して、『僕が責任をとる』とか言い出しそうだし。

浮気相手の子を妊娠してると思い込んだまま、チャンミンは出て行ったわ。

私にべた惚れだったチャンミンが、まさか本当に出て行くとは思わなかった」

 

ムッとした顔の私に気付いて、「怒らないで」と言ったリアさんの美しい顔。

 

胸も大きくて、女の人そのもののカーブを描いた、華奢な身体。

 

華やかで、赤い口紅が似合って、長い髪の毛、高い声。

 

リアさんは私にはないものを全部持っている。

 

この綺麗な女の人を、かつてのチャンミンさんは抱きしめたり、キスをしたり、「好きだよ」って言ったり...してたんだ。

 

よじれるくらいに胸が痛くて、苦しくなった。

 

これは嫉妬だ。

 

涙がこみあげてきたのを、ぐっと堪えた。

 

「チャンミンは、『例の彼女』とうまくいってるの?」

 

「例の彼女?」

 

全くの初耳ネタで、きょとんとしてしまった。

 

「チャンミンが私と別れた理由。

あなたは聞いていないの?」

 

私が知っている範囲では、すれ違い生活に耐えられなかった云々、だったから。

 

「チャンミンったら、好きな子ができたんだって。

だから、私をフッたの。

どんな子かしら。

どうせ、大人しくてか弱い、守ってやりたくなるような子なんでしょうね」

 

チャンミンさんの好きな人。

 

それは、私のことだ。

 

すぐに分かった。

 

「己惚れるのも甚だしい、自分の成りを見てみろ」と、以前の自分だったらそう思った。

 

チャンミンさんの好きな人は、私だ。

 

ふらふらとマンションを出た。

 

鼓動が早く、幸せと苦しさが混じったみたいな、変な気分だった。

 

駅まで着いたとき、チャンミンさんに電話をかけなくっちゃと思い至った。

 

新しい住所を教えてくれなかったチャンミンさんを、叱りつけないと!

 

メッセージを無視し続けていた私が、言える立場じゃないんだけどね。

 

と、バッグの中で携帯電話が発信音を鳴らしだした。

 

空のタッパーが邪魔をして、電話に出るまでに時間がかかってしまった。

 

ディスプレイに表示された名前に、「さすが私たち。以心伝心」と得意な気持ちになった。

 

ところが...呑気そうなチャンミンさんに、腹がたってきて「馬鹿!」って怒鳴ってしまった。

 

 

チャンミンさんには、言えない。

 

チャンミンさんの慌てる姿を見たくて、お芝居をしたリアさんの話は言えない。

 

リアさんのことで身動きがとれずにいたチャンミンさんを、私は責めた。

 

チャンミンさんを振り切るようにあの部屋を出て、届くメールを無視し続けた。

 

いっこうに会いにこないチャンミンさんを、責めていた。

 

チャンミンさん、ありがとう。

 

美味しいご飯で釣るなんて、私のことをよく分かってますね。

 

チャンミンさんらしいです。

 

チャンミンさんの馬鹿。

 

私も馬鹿。

 

何やってんだろ、私たち。

 

照れ屋過ぎますよ、私たち。

 

 

私たちは、身体のサイズがほぼ同じ。

 

私の背に回されたチャンミンさんの腕が力強くて、「そっか、男の人だったんだ」と妙に感動してしまった。

 

私のおでこがチャンミンさんの胸のあたりにきたら、理想的なんだけどなぁ。

 

私を抱きしめる理由は、ちゃんと分かってる?

 

分かってる。

 

抱きしめられて震えるくらいに嬉しい理由は、ちゃんと分かってる?

 

分かってる。

 

私のほっぺにチャンミンさんのほっぺがくっついている。

 

チャンミンさん...苦しいです。

 

力いっぱい抱きしめ過ぎです。

 

思わず喘いでしまったら、チャンミンさんの腕がびくっと震えた。

 

 


 

~チャンミン~

 

「チャンミンさん...っ苦しいです」

 

そう言った民ちゃんの、吐息混じりの喘ぎが僕の耳にかかる。

 

鳥肌が背中まで走った。

 

民ちゃん...声が色っぽいよ。

 

民ちゃんを深く抱き直した僕は、甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 

苦しがっても、今夜の僕は民ちゃんを離す気持ちはないんだ。

 

ずっと、こうしたかった。

 

女の人を抱きしめる経験なんて初めてじゃないくせに、じわじわと幸福感が沁みてくるこの感じは...生まれて初めてだ。

 

僕が女の人を抱きしめる時、頭の中でエロいことが70%は占めている。

 

民ちゃんを愛おしむ気持ちでいっぱいだったから、今のハグに不純なものは何も混じっていない。

 

「...チャンミンさん...人が来ます...」

 

背後から咳払いがした。

 

「あ...」

 

慌てて振り向いたらアパートの住民らしい男性が、塀すれすれに僕らを避けて通り過ぎ、何度か振り向きながら階段を上がっていった。

 

公衆の場で抱き合う僕らは非常識極まりないけど、常識的な僕なのに、抱く腕は緩めない。

 

「...チャンミン、さん?」

 

無言でいる僕に不安を感じた民ちゃんが、身をよじって僕を覗き込んでいた。

 

「どうしましたか?

顔が...怖いですよ」

 

民ちゃんとハグが出来たことの感動を噛みしめていて、大事なことを忘れていた。

 

「え...っと」

 

「ここじゃ寒いですし、外ですし。

部屋に上がりますか?」

 

「え?」

 

僕の腕の中からするりと抜け出た民ちゃんは、僕の手を握った。

 

「手が冷たいです。

ストーブで温まりましょうよ」

 

「待って、民ちゃん!」

 

「待つ、って何をですか?」

 

じとっと睨む民ちゃんの三白眼、暗がりの中でも白目が際立っている。

 

「待ちくたびれました。

私はもう、待ちたくありません。

ほら!

チャンミンさん、行きますよ」

 

力いっぱい引きずられる。

 

こんなシーン、前にもあった。

 

ラブホテルに引きずり連れられた日があったな、そういえば。

 

「懐かしいな」と緩めた口元を、目ざとい民ちゃんに目撃されてしまい、

 

「チャンミンさん...顔がエロいですよ。

今からエッチをしよう、って言ってるんじゃないんですからね。

勘違いしないで下さいね」

 

「民ちゃん!」

 

慌てる僕に民ちゃんは、「あははは」と大きな口を開けて笑った。

 

僕に先立ち階段を上る民ちゃんを追いかける。

 

「!!」

 

突然立ち止まった民ちゃんの背中に、鼻をぶつけてしまった。

 

「どうした?」

 

くるりと振り返った民ちゃんが、ニヤニヤ笑っていた。

 

どうせ『エッチなことで頭がいっぱいなんでしょう?』とかなんとか、言うのかなと思った。

 

 

(つづく)

 

彼女とのHeaven's Day