(94)NO?

 

~民~

 

「いただきます」

 

タッパーの中身は、エビのピラフとスパニッシュオムレツ、それから大きめ野菜をグリルしたサラダ。

 

小さな容器に詰めた手作りドレッシングも添えられていた。

 

「チャンミンさん...うっうっ...うっ...」

 

しゃくりあげながら、涙を流しながらそれらを口に運ぶ。

 

「そうだ...」

 

「美味しい状態で食べないと」、と電子レンジで温めた。

 

ごくごく普通の冷蔵庫の上には、余計な装飾を排除したシルバーの電子レンジが鎮座している。

 

外国製のスタイリッシュなデザインのそれは、ユンさんからの引っ越し祝いだった。

 

「遠慮せず言いなさい。何がいい?」と問われて、「それじゃあ...」と電子レンジをリクエストしたのだった。

 

ユンさんの好意に、どこまで甘えればいいのか分からなかった。

 

いつまでも自宅まで送ってもらうわけにもいかない。

 

ユンさんは優しい。

 

取り乱したりもしないし、大きな声も出さない。

 

でも。

 

覗き込むように私を見る目が鋭くて熱くて、どう見返せばいいのか分からない。

 

私の背を撫ぜおろす手が、なんていうか...スキンシップを超えている感じがして、どう反応すればいいのか分からない。

 

「...美味しい...」

 

エビの香味と歯触りが食欲をそそるし、チーズを混ぜたオムレツは濃厚で滋養が身体にしみわたる。

 

サラダの野菜もグリルで焦げ目がつけてあって、手が込んでいるのが伝わった。

 

「うっ...うっ...」

 

チャンミンさんも優しい。

 

あわてんぼうだし、びっくりするようなことを突然言い出すし、リアさんといちゃいちゃしていたかと思えば、私の首にキスしてきたりして、よく分からない人。

 

よく分からない人だけど、一緒にいて楽しい人。

 

そして、私の為にご飯を作ってくれる人。

 

今日になって、いきなりご飯を届けてくる人。

 

チャンミンさん...何がしたいんですか?

 

分からないです。

 

涙がこぼれる。

 

最後のひとスプーンを、口に入れる。

 

ぽろぽろ涙がこぼれ落ちる。

 

チャンミンさん...美味しいです。

 

お腹いっぱい食べました。

 

汚れたタッパーを丁寧に洗って、フキンで水気を拭き取った。

 

次から次へとこぼれ落ちる涙を、袖口で拭う。

 

「よし」

 

ブルゾンを羽織り、綺麗になったタッパーの入ったエコバッグを肩にかけ、靴を履く。

 

チャンミンさんにお礼が言いたいです。

 

チャンミンさんの顔が見たくなりました。

 

今すぐ。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

「さむっ」

 

ぶるりと震えて、エアコンをつけた。

 

スーツを脱いで部屋着のスウェットの上下に着がえた。

 

作り置きのおかずと冷凍ご飯をレンジで温めた。

 

「はぁ...」

 

出るのはため息ばかり。

 

TVからは、芸人たちがゲラゲラと笑う声、派手な効果音。

 

僕は全然、楽しくも面白くもない。

 

民ちゃん...食べてくれたかな。

 

昼間、外回り途中に民ちゃんの部屋に寄って、僕の作った料理を届けてきた。

 

日中、傷まないように保冷パックも入れておいたし、気候も涼しいから大丈夫なはず。

 

今、僕の口の中で咀嚼されているものは、民ちゃんのと全く同じメニューだ。

 

綺麗に仕上がったものは民ちゃんへ、焦がしてしまったのが僕の分。

 

僕からの差し入れだってことを、民ちゃんは気付いてくれただろうか。

 

民ちゃんは鈍感だからなぁ...。

 

いや、違う。

 

彼女は意外に鋭い子だった。

 

そして、慎重。

 

僕と民ちゃんは、顔だけじゃなく慎重なところも似ているんだ。

 

あの夜の時の会話。

 

お互いに肝心かなめな部分に触れないよう、慎重な言葉選びで交わされたものだった。

 

民ちゃんは何かに焦れていて、くいいるように僕の反応を待っていた。

 

僕の方は、民ちゃんの告白に近い言葉をぶつけられて、突っ込んだことを言えずじまいだった。

 

あんなに早口で、怒った眼をした民ちゃんに接するのは初めてで、彼女の問いに答えられずにいた。

 

そんな僕に、民ちゃんの涙目が「残念です」と語っていたような気がする。

 

僕に向けられている好意の正体...なんとなく分かった。

 

僕は民ちゃんのことを何でも分かった気でいた。

 

民ちゃんの魅力探しに夢中になっていて、彼女の気持ちに全然目を向けていなかった。

 

僕のことを好きでいてくれたらいいなぁ程度にしか望んでいなかった。

 

リアという女性の存在を、ひどく気にしていたなんて気づいていなかった。

 

リアと別れると民ちゃんに決意表明をしてから1か月以上、あの部屋を出なかった僕だ。

 

民ちゃんが愛想をつかしても当然のこと。

 

あの日、僕の頬へ押し当てられた民ちゃんの唇は、「バイバイ」のキスだったのだ。

 

 

(つづく)

 

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