~ユノ~
「この部屋を使って。
物置に使ってたから、散らかってるけど」
換気のため開けておいた掃き出し窓からそよぐ風が、無地のカーテンを揺らしていた。
フローリング敷きの平凡な6畳間において、チャンミンの存在はひどく浮いていた。
「エアコンのリモコンはここ。
悪いんだけど、テレビはないんだ
クローゼットも引き出しも空けておいたから、自由に使ってくれていいからね」
「いい部屋ですね。
ありがとうございます」
チャンミンは細く長い脚を折って正座すると、俺を見上げてにっこりと笑った。
ぷくりと膨らんだ涙袋が可愛らしかった。
「敬語はいらないから。
気楽にいこうよ」
「はい」
「疲れただろ?
着替えたら横になるといいよ」
彼女のファッションは装飾が多く、ウエストはコルセットで締め付けてあるようで、くつろげなさそうだった。
「布団を干したから、気持ちいいよ」
俺はチャンミンを迎え入れるため、前日のうちにひと汗かいていた。
掃除機をかけシーツは洗濯した。
押し込まれていた恋人の私物は...服や靴、雑誌、美容グッズ...まとめて箱に詰めた。
ひと拭きごとに黒くなるタオルを見て、ここに越してきて以来、初めてのガラス拭きであることに気付いたんだ。
・
あの頃のワクワクとした気持ちはもう、思い出せない。
『同棲』という甘い響きに憧れていた頃。
Bと同じ屋根の下で暮らせる幸せ。
スーパーで一緒に買い物すること。
Bと同じベッドで眠ること。
「おかえり」「ただいま」を言い合うこと。
ささいなことが、くすぐったく幸せだったことも既に過去の話だ。
・
「お言葉に甘えて、お昼寝します」
“お昼寝”という言葉が俺の耳に微笑ましかった。
「夕飯の時間になったら、起こすよ」
俺はシーツを敷くチャンミンを手伝ってやる。
「ユノさん、やっと笑いましたね」
「そうかな?」
「僕のことをお化けでも見るかのような目で見ていたでしょう?
とんでもない服装の奴がやってきたぞ、って」
「あ...」
チャンミンに指摘されて、無遠慮に観察していた自分に気付いたのだった。
「見慣れました?」
チャンミンは小首をかしげて微笑んだ。
柔らかそうな髪から、つんと立った両耳がのぞいている。
耳たぶに小さなピアスが光っていた。
「あの...、ユノさん?」
「ん?」
「あの...着替えたいのですが?」
「ゴメン!」
気の利かない自分に赤面し、慌てて部屋を出た。
・
俺はTに電話をかけた。
「服装にびっくりしただろ?」
Tはいたずらをしかけて成功した小学生のようだった。
「お前の妹としても、弟としても通用するから、
お前の彼女がヤキモチ妬くことはないよ」
(ヤキモチなんか妬くものか。
「同棲している」を連呼してたけど、実際の俺たちもう終わっている。
最後にセックスをしたのは、一体いつだったか思い出せない)
・
「ああ...分かった...じゃあな」
電話を切って顔を上げると、チャンミンが戸口の前で突っ立っていた。
大きなTシャツの下から、黒のレギンスに包まれた細い脚が突き出ている。
時刻は午後5時過ぎで、彼女はまる2時間眠っていたことになる。
「ごめん、起こした?」
「いえ、ぐっすり眠れました。
ありがとうございます」
ついTシャツ越しに彼女の胸元辺りに目をやってしまう。
想像通り、痩せた薄い胸をしていた。
チャンミンが俺の側を通り過ぎる時、彼女の後頭部の髪が何房かはねているのに気付いた。
直してやろうと彼女の髪に触れる間際、無遠慮な行動だと気づいた俺は伸ばしかけた手をポケットに突っ込んで誤魔化した。
「セクハラだと思われたらどうしよう」と冷や汗をかいていると、チャンミンは後ろを振り向き「どうしました?」と訊ねた。
「いや、なんでもないよ」
(初めて会った人物にいきなり触れようとするなんて...!)
その理由は俺は考えた。
(なんだろう...どこか隙だらけなんだ。
危なっかしいというか護ってあげたくなるような...。
まるで...)
レースとリボンの鎧を脱ぐと、羽根が生え揃っていない雛鳥のような“女性”だと思った。
(つづく)