~ユノ~
「え...っと。
済みましたか?」
チャンミンは手すりにもたれると、俺を軽くにらんだ。
「何が?」
「あのー、そのー。
あれの邪魔をしてしまったから、無事に済んだかどうかって...」
暗がりだから確認はできないが、彼女はおそらく真っ赤な顔をしているだろう。
「邪魔はしていないよ。
チャンミンちゃんは、全然邪魔なんかしていない」
(むしろ、君のおかげで深みにハマってしまうのを助けられた)
「Bとは...していないから」
「へ?」
「あんな感じだったけど、ヤッていないから」
「僕...がいたからですか?」
「さっきも言ったけど、チャンミンちゃんは邪魔していないからね。
変なものを見せちゃって、ごめん」
彼女はしばらく考え込んでいたが、彼女は「ああ、あれね」と頷いた。
「びっくりしちゃって...その。
初めて見たものですから。
ショックで」
(そうなんじゃないかと思ったけど。
こんなこと言ったら彼女に怒られるかもしれないけど。
『生娘』ってことか...。
生娘という言い方もどうかと思うが。
そうか...彼女は、経験がないのか...)
やばい。
彼女がますます可愛く見えてきた。
俺は身を引いて、手すりにもたれかかる彼女を観察した。
この子につり合う男はいるのだろうか。
彼女より背が高くて、身体も大きくてゴツい奴なら隣を歩いてもつり合うか...。
彼女のキャラクターに負けない男。
メイド服を受け入れてくれる男。
こんなことを考えていること自体が、彼女に対して失礼なことだってことは分かってる。
「ああぁ!
どうしよう!」
突然、彼女はムンクの叫びのようなポーズをとった。
「トラウマになっちゃうかもしれません...
あんなおっきいものを見せられて...」
しゃがみこんでしまった彼女に俺は慌てた。
「あんなおっきいの、壊れちゃうじゃないですか!
女の人が可哀想です!」
「え?
大きい?
壊れる?」
「衝撃でした!」
「ごめん!
ごめんな!
無理だろうけど、忘れて!」
彼女の肩を抱き、顔を覗き込んで何度も謝った。
「嘘です」
すくっと彼女は立ち上がり、あっけにとられたを俺を見てくすくす笑いだした。
「君って凄いこと言うね」
「ふふふ。
僕、下ネタ平気なんです。
好きな方かも、ふふふふ」
俺も彼女も手すりにもたれかかり、夜空を見上げた。
昼間の熱をため込んだコンクリート製の床が温かかった。
雲で月は隠れていたけど、いくつかの夏星は見られた。
「そんなつもりじゃなかったんだ」
「?」
彼女は問いかけるような表情で、俺を見つめている。
彼女の涙の理由は何だったんだろう。
「君がいたから、止めたわけじゃないんだ」
何を弁解しようとしているのだろう。
「Bとはもう...しないから」
どうしてこんなことを、彼女に話しているんだろう。
・
数日後。
「先輩、腰が痛いんっすか?」
「いや、ちょっとね」
腰をトントンと叩く俺を見て、後輩Sが心配する。
あの日以来、寝室を締め出された俺はリビングのソファで眠らざるを得ず、柔らかい座面に腰が沈んでしまったのがいけなかったらしい。
そんな夜が数日も続けば、腰を痛める。
「先輩も三十路なのに、昨夜頑張っちゃったんですか?」
後輩Sの言わんとすることを察した俺は、彼の頭をはたいた。
(以前の俺だったら、『ば~か、お前こそどうなんだ?』とか言って、ニヤつけたのに...)
「午後から例の打合せがあるんだぞ。
さっさと資料をまとめておけよ」
「へいへい」
ぼやきながらデスクに向かう後輩の背中をみながら、俺は今朝の出来事を思い出していた。
・
今朝もチャンミンが用意してくれた朝食をお腹におさめた。
ぐちゃぐちゃの卵料理(味付けはグッド)、クリームチーズをたっぷり塗ったベーグルといったメニューだった。
「『例の人』といつ会うの?」
男を追って都会に出てきたという彼女だ。
俺の質問に、彼女はふにゃふにゃになってしまった。
「もうすぐです~」
ちょっとだけ胸がちくり、とした。
惚気ている彼女に、ちょっとだけイラついた。
「仕事を探すんじゃなかったっけ?」
ここに来た本来の目的を思い出させようとして、忠告めいた言い方をしてしまった。
「安心してください。
ちゃ~んとスタートしてますよ」
彼女はBの席に座っている。
Bは寝室から出てこない。
「それなりにあたりをつけているので、一週間もかからないと思います。」
「そうなんだ」
「と言いつつ、面接はこれからなのでどうなるかは分かりません。
でも、出来るだけユノさんに迷惑がかからないよう、早くここを出ていきますからね」
彼女に出て行ってもらったら困る。
「だーかーらー。
迷惑とか、出て行かなくちゃとか、そういうこと考えるのはよせ、って昨夜言っただろ?」
「でも、一か月って期限を切ってましたよね?
アパートを借りる費用はあります。
仕事が決まったら、部屋を探して契約します」
彼女は食べ終えた食器をシンクに運びながら言った。
彼女は頑固な質らしい。
昨夜のベランダで、「ここを出る」と言い張る彼女を、俺はこんこんと説得したのだ。
肌に張り付くほどタイトスカートを履いた彼女のお尻に、釘付けになっていた。
俺もそうだけどお尻が小さい。
(ううっ...俺はどこを見ているんだ!)
「その言葉、後になって後悔しても知りませんよ。
そのうち居心地がよくなって、ずーっとここに居座るかもしれませんよ」
チャンミンがずーっとここにいる。
チャンミンと暮らす。
友人の妹とはいえ、一時的であっても自分のテリトリーに招き入れることは、俺にとってハードルが高い一件だ。
ところが、彼女と出会ったら、そんなハードルを知らぬ間に越えていた。
興味本位プラス、彼女が持つ人柄と邪気のない笑顔の側にいたいと思った。
わずか一週間で。
彼女は可愛い。
彼女がとにかく、可愛いくてたまらないんだ。
(つづく)