~チャンミン~
突き当りにエレベーターが2基あり、片方は貨物用の大きいものだった。
もう一方の黒塗りのエレベーター脇のキーパットに、メールで知らされた暗証番号を打ち込んだ。
すると扉が開いて、僕はエレベーターに乗り込む。
(すごい!
ハイテクだ)
階数指定ボタンはない。
昇るか下るかの三角ボタンがあるきり。
上昇するエレベーターの箱の中、僕は壁にもたれて深呼吸をした。
(この時のために僕は頑張ったんだ、うん)
何度も頷き、こぶしを握った。
エレベータを降りるとすぐに、琥珀色の木目が美しい玄関ドアがあった。
僕はもう一度深呼吸をした。
防犯カメラが作動中を知らせる赤いランプに緊張した。
インターフォンのボタンを押そうとしたところ、目前の扉が開いた。
「やあ、いらっしゃい」
(きゃー!)
心の中で感激の悲鳴を上げる。
僕を招き入れたその人物は、卒倒しそうになるほどの美丈夫だった。
穏やかな笑みを浮かべている。
「お邪魔します...」
「遠いところありがとう。
靴を履いたままでいいんだよ」
僕は中へと招き入れられた。
その重厚な扉は音もなく閉まり、カチリと電子ロックがかかった。
・
「お昼は食べてきた?」
優しく問われて「はい」と元気よく答えたが、実際は緊張のあまり昼食どころじゃなかったのだった。
(カッコいい!
この世にこんなに、カッコいい人がいるなんて!)
僕の喉はカラカラで、出されたアイスコーヒーを一気飲みしてしまう。
「お代わりは?」
「す、すみません。
お願いします...」
僕は空になったグラスを、捧げるように差し出した。
(恥ずかしい!
喉が渇いてたから、
がぶ飲みをしてしまった!)
「あの...YUNさんはご迷惑じゃなかったですか?
YUNさんの言葉を本気にして、僕...ここまでやってきたりして...」
この男性の名前はYUNさんという。
「いや。
俺は本気だったよ、最初から」
彼は提出した履歴書を、時間をかけて目を通している。
(YUNさん!
胸が...お胸が見えてます!
シャツがちょっとばかし...はだけすぎてやしませんか?
...そんなことより、履歴書大丈夫かなぁ)
何度も書き直して、無駄にした用紙の数を思い出す。
彼はあごの髭を撫ぜながら、観察する目で僕をとっくりと見る。
彼の視線に耐えられない僕は、俯いてしまった。
(そんなに僕のことを見ないで!)
彼の唇の片方がわずかに持ち上がった。
そして、こう言った。
「君を採用する」
「ホントですか!?」
「君は無鉄砲な子だね。
もし、私に追い返されたり、ノーと断られたらどうするつもりだったの?
まさか、あの誘いだけを当てにして、ここまで来たんじゃないだろうね」
「!!!」
図星だった僕は、ぎくりとしたのであった。
(イエスです。
YUNさんの言う通りです)
・
僕の行動が、突拍子もないことは分かってる。
YUNさんに会いたくて、YUNさんの側で仕事をしたい一心でこの半年間、アルバイトを掛け持ちして引っ越し費用を準備した。
単なる気紛れな気持ちで、田舎者の僕をからかうつもりで誘ったのだとしても、都会まで出てこようと決心するきっかけを作ってくれた彼に感謝している。
「その時は、身の丈に合った仕事を探すつもりでした。
...田舎から出て新しいことに挑戦したかったですし...」
世間知らずな子だって、呆れられても仕方がないな。
僕は恥ずかしくて顔を上げられない。
ユノさんに借りた、ピカピカのローファーに視線を落とす。
「早速、契約書にサインしてもらおうか?
こういうことはきちんとしないと、君も不安だろうからね」
「いえいえ!
不安なってことは...!」
「条件等はここにある通り」
ローテーブルに置いた1枚の書類に印刷された要項ひとつひとつに、YUNさんは指し示しながら説明をした。
彼はスパイシーないい匂いがする。
きっと私の3日分のアルバイト代でやっとのことで買える、高級な香水なんだろうな。
「多くはあげられないけれど、妥当な金額を支払うよ」
用紙にプリントされた金額を見て、驚いた。
「こんなに沢山?」
目を丸くした私を見て、彼はくすりと笑った。
目尻のしわとか、カッコいい髭とか、大人の男って感じ。
「朝9時から午後6時まで。
半分はオフィスで、もう半分はアトリエで仕事をしてもらうことになる。
ここまでで、何か質問は?」
「今のところ、思いつきません...」
彼の顔が間近にあって、胸が破裂しそう。
「アシスタントがいなくて、不便だったんだ。
何人か面接をしたんだが、これという子が見つからなくてね。
だから、君から連絡をもらって、私は助かったんだよ」
「あの...。
失礼を承知で質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「僕を雇うのは、同情...からじゃありませんよね?」
・
僕が実家を出た理由。
YUNさんに「街に出てこないか?君に手伝ってもらいたいことがある」って名刺を渡されたのがきっかけだ。
僕の背中にあるやる気スイッチが、バチっと入った瞬間だった。
友達にこのことを話したら、「騙されてるんだよ」「売り飛ばされるよ」「チャンミンはウブな世間知らずなんだから」って、ボロクソに言われた。
でも、こんなに素敵な人になら騙されてもいい、と思った。
僕は女の子を好きになったことがない。
だからといって、男の人が好きなのかどうかと問われるとあいまいな返事しかできない。
狭い町、偏見だらけの田舎町、狭い交友範囲で彼氏候補の人もいなかった。
仕方ないよね。
これといった特技も資格もなく、フリーターだった僕はアルバイトをもう一つ増やして頑張った。
ドレスを新調するのも我慢した。
僕はYUNさんに見込まれたのかな。
何を?
なんでだろ?
彼はぷっと吹き出した。
「同情で人を雇うほど俺は優しくないよ。
向こうで君を一目見た時に、ピンときたんだ。
君は使える子だって。
...それに」
彼はそこで言葉を切ると、僕の前髪にそっと触れた。
ゾクゾクっとした。
(ひぃぃ!
ち、ちか、近いです!)
彼の眼光が突き刺さる。
「ルックスも申し分ない。
私の作品のモデルになってもらいたいくらいだ。
その時は、ギャラは別口で支払うからね」
「...モデル?」
こっちに来てからの僕はモデルめいている。
カット・コンテストのモデルでしょ、Bさんはモデルでしょ。
「そんな!
モデルだなんて...とんでもない!」
私は両手を激しく振った。
彼は数歩下がって、僕の顔と身体を舐めまわすように見るものだから、困惑してしまった。
(そんなに見ないで下さい、恥ずかしいです)
(つづく)
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