(49)チャンミンせんせ!

 

翌朝。

高まった胸を抱えての就寝など不可能かと思われたが、案外2人はぐっすりと眠ったのだった。

チャンミンは強力精力剤を飲んだにも関わらず、眠りにつけた自分に感心した。

 

(よほど疲れていたんだなぁ)

 

ユノは寝返りを繰り返した結果、チャンミンを抱き枕にした体勢が一番落ち着くようだった。

さらに片足を、チャンミンの膝に絡めていた。

チャンミンは、背中いっぱいに感じる重みの暑苦しさで目覚めた。

 

(ん...これは...?)

 

胸の上で組まれたユノの手よりも、尾てい骨あたりに当たる弾力あるものに、体温が上がり鼓動も速くなった。

 

(大きい...そして、固い...)

 

もうしばらく、この形状を楽しんでいたかったが、チャンミンにも同様の生理現象が起きており、ここに欲が加わったら、当分大人しくなってくれなさそうだった。

穿いているハーフパンツがどんな具合になっているのか、見て触って確かめる必要はない。

チャンミンは、勢いよく飛び起きた。

 

「う...んん...」

 

背後の呻き声にふり返ると、たわんだマットレスの振動でユノも目を覚ましたようだった。

ユノは半分しか開いていない目で、こちらを見下ろすチャンミンを見上げていた。

 

「......」

 

ユノの頭はボーっとしていて、なぜ自分がここにいるのか、なぜすぐ側にチャンミンがいるのか、そのワケといきさつを思い出すまで、しばし時間が必要だった。

 

(思い出した...思い出したぞ!)

 

「せんせ、おはよ」

 

チャンミンは、ユノの「おはよ」に胸がきゅんとした。

 

「お、お...おはようございます」

 

チャンミンはパッとユノに背を向けた。

 

(顔が真っ赤になっているのは、わざわざ説明する必要はないが)

 

「顔を洗ってきます。

6時ですから、まだ寝ていてもいいのですよ」

 

そう言って、チャンミンはそそくさと部屋を出て行ってしまった。

 

「ふう」

 

ユノはドアが閉まりきると、持ち上げていた頭を枕に戻した。

脇を見ると、チャンミンの身体の形通りにシーツにシワが寄っている。

 

(これはこれは...情事の翌朝の恋人同士のようではないですか!

何もなかったけどさ)

 

ムフムフしている間に、前髪とTシャツの胸元をびしょびしょに濡らしたチャンミンが戻ってきた。

 

「俺、せんせの試験が終わるまでここにいる」

 

ユノは昨晩から温めていた計画を、ここで披露したのだ。

 

「いけません!」

「いけなくはないっすよ。

ここに居るつもりで、ここに来たんすよ」

「お風呂は?

着替えは?」

「シャワーはここか、漫喫のシャワールームを借ります。

着替えはなんと...用意してあるのです!」

 

ユノのリュックサックの中には、精力剤の他、2日分のTシャツと下着が入っていた。

 

「...っ!」

 

チャンミンは丸一日ユノの相手をしていられないし、周囲に何もないここでは時間を持て余すだけだと説得したのだが、ユノは聞く耳を持たない。

 

「学校は?」

「講義のひとつやふたつ、平気っす」

「サボっちゃ駄目でしょう。

バイトは?」

「今週のシフトはもうありません。

それからバイトをひとつ減らしました。

これからは、ファミレスのバイトだけっす。

もう補習代を稼ぐ必要はありません」

「ごめん。

僕の教え方が下手で、補習ばかり受けさせてしまいました...」

「嫌味のつもりで言ったんじゃないっすよ。

補習に関してはウェルカムだったですし。

せんせだって分かってたでしょ?

補習なのに、テンション上がってた俺のことを?」

「ふん。

でも、上手くいかないって、泣いてましたよね?」

「それは言わないで」

「からかって、ごめん」

「『ごめん』は要らないっすって。

下手くそ過ぎて補習受けまくり、仮免不合格...こんな奴は男では滅多にいないらしいっすよ。

俺の自動車学校時代は黒歴史になりそうな中身ですけど、せんせのおかげでそうでもなくなりました」

「よかったです」

「バイトに充てていた時間がまるまるせんせのために捧げられるんすよ。

どうですか、せんせ。

嬉しいですか?」

「うっ...」

 

チャンミンは一旦つまったが、「正直になれ」の心の声に背中を押された。

 

「...嬉しい...です」

 

ユノはチャンミンの答えに大満足だ。

チャンミンは、朝日以上に白く眩しいユノの笑顔に見惚れていた。

 

(綺麗な子だと、初めて会った時からずっと感動していた。

この子の笑顔は...何かに例えるとしたら...朝日だ。

なぜなら、真面目で素直で、明るくて...眩しくて、クリーンだ。

ノンケでなのに僕のことが好きで。

好きじゃ足りない。

ユノは僕のことが『大好き』なんだ」

 

チャンミンは涙がこぼれそうになったのだった。

 

 

「僕が講習の間、ユノさんは何してますか?

ここは何もありませんよ?

暇ですよ。

街に下りたとしても、ショッピングセンターも近くにないから、時間つぶしも大変ですよ」

「ストーップ!」

 

ユノは、同じことを繰り返すチャンミンの口を塞いだ。

 

「子供じゃないんだから。

俺の心配はいいですから、ご自分の心配をして下さいよ。

せんせも寂しいでしょ?

今日の講習が終わった時、俺は帰ってしまっていない、ってのは?」

 

チャンミンは想像してみた。

 

「寂しい...ですね」

 

素直に認めたチャンミンに対して、ユノは「でしょう?」とニヤニヤした。

 

「でもねユノさん。

さすがにこのベッドでもうひと晩、眠るのはキツイです」

 

チャンミンは寝違えた首ときしむ腰を指さした。

 

(今夜こそ、何かが始まるかもしれないし...。

というか、僕が手を出してしまうかもしれない)

 

「分かってますって。

俺、街に下りてホテルをあたってみます。

今夜はホテルに泊まります」

「自転車で!?」

「下り坂だし、5、6キロの距離ですよ。

ここに来る途中、ホテルを見かけましたし。

せんせの講習が終わるまで、適当に時間潰してますよ。

夕方に合流して、夕メシを食いましょう」

「...分かりました」

 

(ユノは20歳なんだ。

あ~、過保護になってしまう自分が嫌になる!)

 

これからのプランはまとまった。

しかし、朝の情報番組を見ながらニコニコと、チャンミンが朝食にありつくまでひと悶着あったのだ。

チャンミンが持参してきた、チョコレートバー1個。

「せんせったら、すげぇやつれてるじゃん。俺は要らない!」とユノは拒んだが、「肉体労働をしたユノさんこそ、食べないといけません」と譲らないチャンミン。

昨夜のユノはチャンミンに元気になってもらおうと、栄養ドリンクを差し入れることしか頭になかったのだ。

押し問答の末、もともと街で食事を済ませるつもりでいたからと、ユノはチャンミンを説得したのだった。

 

「ひと口、食べますか?」

「いりません」

「そう言わないで、ひと口だけでも」

 

怖い顔をしたチャンミンは、ユノの目の前にチョコレートバーを差し出した。

 

「いいっすけど」

 

ユノはチョコレートバーの端っこをしぶしぶ齧った。

カリっといい音。

伏せたまつ毛は真っ黒で、疲労の名残か赤くなった目尻や、肌のきめや小さな傷痕など...ユノの顔が間近に迫った2、3秒は、チャンミンにとってスローモーションのようだった。

第3者にはどうでもいいやりとりだ。

恋人関係2日目のほのぼのさを、見せつけてくれる2人を紹介してみた。

つい忘れがちだが、チャンミンには本日の講習と明日の本番が控えているのだ。

 

 

講習2日目の本日、チャンミンはまる1日講義棟と場内コースに缶詰だった。

ユノは愛車で街へと向かい朝食にありつけたし、無事ホテルも見つけた。

ところが、融通のきかないフロントマンは、チェックイン時間になるまで部屋を案内することはできないと突っぱねた。

 

(別にいいけどさ)

 

ユノは漫画喫茶のコイン・シャワールームを借り、着替えを済ませてさっぱりすると、ここで時間を潰すのではなく、愛車にまたがった。

最初から、夕方まで街でチャンミンを待つつもりは全くなかった。

汗だくになって上り坂をのぼり、宿泊棟まで引き返したのだった。

そして、チャンミンの部屋で1時間ほど学科試験勉強をしたのち、場内コースの様子を見に行った。

 

(せんせはいるかなぁ...。

あっ、いた!)

 

ユノは大型トラックの運転席にチャンミンを発見するなり、大きく手を振った。

 

(ユノ!?)

 

チャンミンはどんなに遠くからでも、ユノを見つけることができた。

なぜなら、教習車の中でも、自動車学校の校内でも、チャンミンはずっとユノの姿を遠くから観察してきたからだ。

今は実車指導を受けている最中だ、チャンミンは手を振り返すわけにはいかない。

信号待ちの時など、チャンミンはトラックの見晴らしのよい運転席からユノの姿を追っていた。

屋根付きのプラットフォームには、ベンチが並べられており、そこで講習生(教習指導員)たちが、指導の順番待ちをしている。

ユノは彼らに気軽に話しかけているようだ。

部外者であるユノが周辺をウロウロしていても、見咎めを受けることはない。

その証拠に、各自動車学校から、例えば休日を利用して後輩の様子を見に来た先輩指導員や、遊びがてらやって来た講習生の家族が何人かいるのだ。

 

(ユノ...君という人は)

 

ユノは楽しそうに彼らと会話を楽しんでいるらしい。

チャンミンはユノが気になって仕方がない。

 

(『ご家族ですか?』

『いいえ、俺の彼氏が今運転中です。

応援しに来たんですよ』

...なんて、説明していたらどうしよう!

まさか、ねぇ)

 

時おり、チャンミンに向けて手を振ってくるから、ヒヤヒヤさせられる。

要するに、ユノはチャンミンの邪魔をしていた。

ところが、ユノの存在に気をとられそのおかげで、過緊張気味だったのが、随分楽になったのは事実だった。

 

 

午前の講習を終えたチャンミンは、ベンチで待つユノの元へと駆け寄った。

 

「ユノさん!」

 

小言を言おうと用意していた怖い顔など、作れるはずない。

 

「せ~んせ。

昼メシ、一緒に食いましょうよ」

 

ユノはここに戻る際、弁当を2人分用意してきたようだった。

 

「ここって、弁当を用意してもらえるんすね。

俺、せんせの代わりに貰ってきましたよ」

「貰ってきたの!?」

 

ユノの物怖じしない性格に、チャンミンは感心した。

 

「はい。

ここにいた人たちから教えてもらったんす。

そうか~、あの人たちはみんな、先生なんすね~」

 

「凄いなぁ」とつぶやくユノの袖を、チャンミンは引っ張った。

 

「休憩時間は50分しかありません。

食べましょう」

 

そして、2人は3人分の弁当をたいらげた。

 

「食欲が戻ってきたみたいです」

「よかったっすね」

「好きな人の存在は凄いですね。

ユノさんのおかげです」

「あ...ども。

はい...そう言ってもらえて何よりです...」

 

語尾は消え入りそうだった。

唐突なチャンミンからのストレートな愛情表現に、実のところユノはまだ慣れていなかった。

 

「午後も頑張りますよ」

 

立ち上がったチャンミンの背筋が伸びていた。

午後からも頑張れそうだ、と、チャンミンに力がみなぎっていた。

 

(つづく)

(48)チャンミンせんせ!

 

「......」

 

(やっぱ、生『好きです』は、凄い...!)

 

チャンミンはこれまでに、ユノの気持ちを両手で抱えきれないほど受け取っていた。

その安心材料があったから、チャンミンはひと文字ひと文字はっきりと大切に、発音できた。

ユノは眉間をつたってきた汗を、手の甲で拭った。

汗はとめどなく出てくるのに、ユノの口の中の水分は奪われてぱさぱさになっていた。

突然、チャンミンはすくっと立ち上がると、「待っててください」と言い置いて部屋を出て行ってしまった。

ユノはあっけにとられて、パタリと閉まったドアを見つめていた。

 

(...せんせって、オフの時もいつも通りのノリなんだよなぁ。

挙動が変というか、変なのがデフォルトっていうか...)

 

この部屋は、安ビジネスホテルの客室のような造りになっている。

シングルベッドにTVを置いたデスク、キャスター付きチェアが、狭い空間に無駄なく、余裕なく設置されている。

 

(狭いベッド...このベッドにせんせと寝ることになるのか...じゅるっ)

 

チャンミンと恋人同士になるということは、いずれ『そういう関係』になる。

しかし、ユノにとって、『そういうこと』は刺激的過ぎて、興味半分の域だ。

そして今すぐはタイミング的に早過ぎるし、何より今はクタクタに疲れ過ぎている。

 

(今夜はちょっと...余裕ないや、俺)

 

勢いよくドアが開き、スポーツドリンクのペットボトルを3本抱えたチャンミンが戻ってきた。

 

「飲んで下さい。

喉、乾いてるでしょう。

気が利かなくてすみません」

「助かります!」

 

(マヂで生き返る~)

 

ユノはごくりごくりと水分補給しながら、チャンミンを横目で観察していた。

チャンミンはそわそわ、キョロキョロしている。

 

(せんせ...やっぱり緊張してる。

可愛いなぁ。

俺より12歳も年上なんだぜ?

マジで可愛い)

 

「そうだ!

脚は?

パンパンでしょう?

マッサージしようか?

湿布もいりますね。

救急箱がどこかにあったと思います」

 

チャンミンはお世話好きな男だった。

好きな男にはとことん尽くす男だった。

(相手の男は、チャンミンの好意を嬉しがっていたのがそのうち鬱陶しがるようになり、ついにチャンミンの元を離れていってしまうパターンが多かった)

『指導員と教習生』というストッパーが外れた今、世話好きの片鱗が徐々に顔を出し始めたらしい。

 

「せんせ!」

 

ユノは、立ち上がろうとしたチャンミンの腕を強く引っ張った。

 

「落ち着かないから、座っててください!」

「すみません...」

 

しょげたチャンミンに、ユノは「せんせのそういうとこ、俺好きです」と慰めた。

惜しげなく『好き』を口にするユノに、チャンミンはますます落ち着かなくなってしまった。

俯いた視界に入るのは、自身の愛用ハーフパンツとゴツゴツした膝の皿、すね毛の生えた細すぎるふくらはぎ。

 

(当たり前だけど、僕の脚は男の脚だ。

ユノはノンケだ。

いいのかなぁ。

勿体なくて、素直に受け取っていいのかどうか...。

駄目!

ダメダメ!

そんな考え方じゃダメだ!)

 

ユノは、ゆるゆる首を振っているチャンミンを眺めていた。

 

(こういう卑屈な気持ちが、昨夜のようにユノを傷つけてしまうんだ)

 

チャンミンが顔を上げると、こちらを心配げに見つめるユノとバチっと目があった。

 

「ごめんっ!

上の空だったね、ははは」

「せんせ、謝ってばかり。

俺は全然、気にしてませんよ」

 

ユノはリュックサックを引き寄せて、中途になっていた中身披露を再開することにした。

 

「栄養ドリンク買ってきました。

せんせにパワーを付けてもらいたくて」

 

リュックサックから取り出されたドリンク剤に、チャンミンは目を剥いた。

 

「ユノさん...これ、精力剤ですよ」

「嘘!?」

「裏を読まなくたってネーミングが...『夜獣マクシム』って...」

チャンミンは手にしていたドリンク剤をユノに渡した。

「どれどれ...」

ユノはドリンク剤の裏面シールの効能の欄を読み上げた。

 

「あ~、ホントっすね。

活力増強、滋養強壮。

巡りをスムーズに...巡りってアソコの巡りっすよね。

特許成分ボキノール...有効成分ソソリダチックス...最大量配合。

充実した夜をサポート...威厳を持ちたい男性におススメ。

...まんまですね」

 

ユノはキャップを開けると、それをチャンミンに無理やり持たせた。

 

「細かいこと気にしないで、ぐびっと飲んで下さい」

「そういうわけにはいきませんよ!

興奮して眠れなくなったりして...」

「それはあるかもですね...あはははは。

でも、せんせ、やつれすぎです。

ガツンとエナジーチャージしないと、本番までもちませんよ」

ユノの言うことももっともだと、チャンミンは恐る恐るそれに口を付けた。

 

「苦いけど、甘くて、味はまあまあだ」と味わっていると、

「俺、せんせを抱きに来たんです」

と、ユノの発言に心臓が止まりそうになった。

飲み干してしまっていなければ、吹いていた。

 

「えええっ!?」

「抱くってハグレベルじゃなくて、セックスのことですよ」

 

ユノはしれっとしている。

 

「な、な、な、何言ってるんですか!!」

「試験前だからこそです。

出すもの出して、スカッとすれば、明後日はうまくいきますよ」

「ユノさん!」

「だってせんせ、言ったじゃないですか。

『僕を抱けますか?』って。

それを証明してさしあげます」

「......っ」

 

 

フリーズしてしまったチャンミンと真顔のユノは見つめ合っていた。

「それもそうだな」と、チャンミンが思いかけていたところ...。

「ぷっ。

ジョークですよ。

第一、何も用意してきてませんから」

と、ユノは肩をすくめてみせた。

「......」

 

みるみるうちに、チャンミンの顔面の血流の巡りがよくなっていった。

さらに、その後のユノの台詞で、何も言えなくなってしまった。

 

「俺...せんせを大事にしたいから、ちゃんとしたいんです。

したくて仕方ないですけど...というか、あそこを使うのは未経験なんで。

今夜はせんせに会いたい一心だったんで、抱く余裕までないっす」

 

(ユノ...感動することばかり言わないで)

 

チャンミンの涙腺が再び、刺激された。

 

「せんせ、まさか持ってきてませんよね?」

「持ってきてるわけないでしょう!」

 

ユノはチャンミンの雷に、「ひー!」とふざけ気味に両耳を塞いだ。

「僕をからかって!」と、ふざけて振り上げたチャンミンのこぶしは、ユノに向うことは決して無い...今もこれからも。

ケラケラと楽しそうなユノだったが、細面の顔の顎がさらに尖っていた。

目も充血しているし、隈もできている。

チャンミンは声のトーン落とし、「疲れましたね」ユノを労わった。

 

「せんせから『好き』と言われて、疲れなんて吹き飛びましたよ」

 

ユノはそう答えたが、今すぐベッドに倒れ込んでしまうギリギリまで、疲労困憊のはずだ。

 

「もう休みましょう」

 

チャンミンはユノの胸を押して、彼を仰向けに横たわらせた。

 

「せんせ...?」

 

チャンミンの行為が意外過ぎて、ユノは目をぱちくりさせていた。

室内はデスク上のスタンドライトのみで、ムード抜群。

 

「ユノさんはとても疲れています。

早く寝てください」

「でも...ベッドはひとつしか...?」

「そうですね。

ひとつしかないですね」

「俺をベッドに寝かせて、せんせはソファで寝る...とか?

と言っても、この部屋にソファは無いし...まさか、床で寝る...とか?」

「まさか!

僕も一緒に寝ますよ。

ここに」

 

チャンミンは、ポンポンとマットレスを叩いた。

 

「いや...それはちょっと...マズいのではないのでしょうか...?」

 

先ほどの余裕ある様子とはうって変わって、ユノはうろたえ始めた。

 

(ユノが可愛い)

 

「狭いでしょう?」

 

ユノもチャンミンも揃って細身だからと言っても、シングルベッドに男2人は相当窮屈だ。

2人の間は5センチも隙間は作れず、身じろぎするだけで、全身触れ合ってしまう。

ユノがチャンミンに手出しする心配は無用だった。

ここではユノがヒツジで、チャンミンがオオカミ。

ユノは手と手が触れてときめくレベルのよちよち赤ちゃん。

チャンミンの身体と密着することで緊張を伴うドキドキはあっても、欲情が沸き上がるところまでいかない。

反面、チャンミンは男に欲情する男だ。

ベッドは片面を壁に付けて設置されている。

2人は背中合わせに横たわっていた。

 

「俺に手を出したいっすか?」

「出しませんよ」

「出してもいいですよ」

「今夜はやめておきましょう。

お互い疲れすぎています」

「...疲れた~」

「お疲れ様」

「緊張しますね。

せんせは?」

「緊張しますよ」

「ですよね」

 

(凄いなぁ、男とシングルベッドに寝てるよ、俺。

これがまるちゃんだったら、『離れろ、キモイな』とか言って、ベッドから蹴り落していた。

でも、せんせが相手だと全然だ)

 

ユノに向けた背中がバリバリに張っている。

少しでも身動ぎすると、互いの身体に触れてしまうからだ。

 

(昨日からいろいろあったなぁ...)

 

「ライト...消しますね」

「はい」

 

チャンミンは長い腕を伸ばして、ライトのスイッチを消した。

パッと、暗くなった。

窓に届く駐車場の灯りは頼りなく、室内は真っ暗闇に近かった。

 

「狭くないですか?」

「......」

「ユノさん?」

「......」

「寝ました?」

「すーすー」

 

チャンミンは後ろを振り向くと、寝息をたてるユノの頭に手をのせた。

 

(この子を一生...。

僕に愛想を尽かして離れていってしまわないように、努力しないと...)

 

しばし迷っていたが、さわさわと触れるか触れないかのタッチで撫ぜた。

 

(ユノを『こちら側』に引きずり込んでしまったという罪悪感は、これからずっと、抱き続けるのだろうな。

僕はこの罪悪感に負けないようにしないと)

 

チャンミンの手の平にユノのストレートヘアが、さらさらと心地よかった。

ユノとの距離の近さに、信じられない気持ちになった。

心配をよそに、チャンミンは欲を感じなかった。

疲れ切っていたこともあるし、無防備な寝顔をさらすユノの眠りを妨げたくなかった。

 

(『そういうこと』は、おいおい...ね)

 

そして、声を出さず唇だけの「おやすみ」を言った。

チャンミンはユノの頭から手を離し、彼に背を向けて横たわった。

気を付けたつもりだったが、施設の使い古されたマットレスが、ぎしぃと大きな音をたてた。

 

「!!」

 

ユノを起こしてしまったのではないかと、チャンミンは勢いよく振り向いた。

ユノの寝息を確認し、安堵したチャンミンは、もたげていた頭を枕代わりの丸めたバスタオルに預けた。

ひとつの枕を2人で分け合うには小さすぎた。

実は、ユノは目を覚ましていた。

「もっと撫ぜてもらいたいなぁ...」と思っていた。

 

(つづく)

(47)チャンミンせんせ!

 

 

「驚かせてばかりって...。

せんせは、ちょっとしたことで驚き過ぎなんすよ。

ほら」

 

ユノはツン、と、窓枠をつかんだチャンミンの指先に触れた。

 

「ひゃっ!」

 

チャンミンの反応は熱湯が飛び散ったかのようで、まるで女子のような声まであげていた。

 

「ほらね。

せんせったら、敏感なんだから。

...あ。

なんだかいやらしいですね、敏感って言い方...あは」

 

「......」

 

ユノの軽口にのれないチャンミンだった。

 

スタンドライトで逆光になっていたおかげで、首まで真っ赤になった姿を見られずに済んだ。

 

チャンミンは何事にせよ慎重派で、恋愛ごとに関して敏感でもあると言い換えることができるかもしれない。

 

石橋を叩いて壊してしまう程の臆病さを見せるのだが、いざ恋の扉を開けてしまえば(いかにもくさい言い表し方だ)、持ち前の恋愛体質を発揮するのではないだろうか。

 

いま現在は、ちょうどドアノブをひねり、開いた隙間から頭を覗かせたところ。

 

恋にのめりこんだチャンミンは、とろとろの甘々になるのか、ツンデレになるのか ウケのスパダリになるのか...ユノ相手の場合どうなるかは、この先徐々に明らかになるだろう。

 

「せんせ、もしかですが、泣いてます?」

 

「そりゃあ、泣きますよ」と、チャンミンは人差し指でこぼれかけた涙をはらった。

 

隣室も窓を開けているらしく、テレビの大音量が漏れてくる。

 

ひそひそ声であっても、ここでの会話は大迷惑だ。

 

「いつまでも、ロミオとジュリエットしていられませんよ」

 

ユノの頭は、窓際に立つチャンミンの膝のあたりにあった。

 

「せんせ、部屋に入れてください」

 

門限は23時で、正面玄関は施錠されているが、建物の中から開錠することができる。

 

「待ってて。

表の玄関を開けるから」

 

窓際を離れようとするチャンミンを、ユノは呼び止めた。

 

「こっから入ります」

 

「窓からですか!?」

 

ユノは自転車を壁にたてかけると、窓枠に手をかけた。

 

「俺、せんせより運動神経はいいはず。

...よいしょっ!」

 

ユノは懸垂の要領で身体を持ち上げると、壁をひと蹴りした。

 

自称するだけあり、ひとジャンプだけで窓枠へ上半身を乗り上げることができた。

 

(凄い...カッコいい...)

 

チャンミンはユノの見事な跳躍に、ぽわんと見惚れていた。

 

「せんせ!

ぼっとしてないでっ...手伝ってください!」

 

「ごめんっ!」

 

チャンミンはユノの両脇に腕を差し込み、室内へと引っ張り入れた。

 

「よっこらせ!」

 

数十キロの距離を延々と、ペダルを漕ぎ続けた熱い身体をしていた。

 

チャンミンの両腕に、ほどよく筋肉がついたしなやかな肉体が密着した。

 

(どっきん)

 

チャンミンは、ユノから男を感じてしまったことで一瞬、気が散ってしまった。

 

その結果、ユノの脇を支えていた腕から力が抜け、彼の身体を...筋肉がつまっているせいで、見た目よりも重量のある身体...受け止めきれなくなった。

 

「わっ...!」

 

ここでラブコメお決まりのパターン。

 

チャンミンはバランスを崩してしまい、尻もちつきそうになったのだが、腰にまわったユノの腕によって免れた。

 

「危なかった...」

 

2人の身体は...特に下半身が...密着している。

 

(わーーー!)

 

下半身を密着させるとはどういうことなのかをよく知っているチャンミンは、「なんと刺激的」とドキドキ。

 

一方、どういうことなのかを知らないユノには、邪な気持ちは何もない。

 

すると突然、ユノはチャンミンの首に両腕を巻きつけてきた。

 

「ユノさっ...!」

 

そして、ユノの腕に力が入った。

 

「ぎゅ~」

 

と言って、ほんの1秒だけのハグをした。

 

ユノはすいっと身体を離すと、ニヤニヤ顔でキャスター付きチェアに腰掛け、組んだ脚をプラプラさせた。

 

「びっくりするじゃないですか!」

 

「せんせ、声が大きいっすよ。

窓が開いてます」

 

「あ...」

 

「俺はもう、教習生じゃなくなったんすよ。

ちょろっとギューする程度、いいじゃないっすか」

 

チャンミンはユノの「教習生じゃなくなった」の言葉に、部屋で2人っきりであることを強く意識し出した。

 

自宅に招きいれた夜よりも、ユノを意識した。

 

(指導員と教習生ではなくなった...ということは。

何かが起こってしまってもいいわけでして...。

ドキドキドキドキ)

 

ユノは固まってしまったチャンミンを見て、「せんせって、いい年こいてウブなんだよなぁ...可愛いなぁ」と、思った。

 

チャンミンと想いが通じ合えたと確信できた時から、ユノの目にはチャンミンがひたすら可愛らしく映るようになったのだ。

 

「ま、『そういうこと』はおいおい、ってことで...」

 

ユノは背負ったままだったリュックサックを、どさりとベッドの上に下ろした。

 

「いろいろと調達してきたんすよ。

せんせのことだから、緊張しまくって干からびてるんじゃないかって」

 

「よくわかりましたね」

 

「せんせって、俺以上に緊張しぃなんじゃないかって思いまして。

神経が細かそうですもん。

いつか、腹のあたりをさすっていたでしょ?

胃が痛かったんでしょ?」

 

「よくわかりましたね」

 

ユノの卒業検定で気を揉み、次は自身の試験で緊張をしていた。

 

「試験は明日でしたっけ?」

 

「明後日です」

 

「あと1日あるわけですね。

せんせ...酷い顔してます。

やつれてますね」

 

チャンミンは「そうかな...」と、見るからに削げた頬を撫ぜた。

 

「ユノさん」

 

「はい?」

 

「僕はユノさんに伝えなければならないことがあります。

それを今、話します」

 

「今!?

いきなりっすか!?」

 

手紙の文面から既に、チャンミンの気持ちが伝わっていた。

 

まるちゃんに対して、告白の返事はきっとOKだと、ある意味願いを込めて言い張っていたことが現実となったのだ。

 

(手紙も滅茶苦茶嬉しいけど、やっぱり直接言ってもらいたいなぁ。

欲張りかな、俺って?

今夜だったら最高なんだけどなぁ)

 

それが叶うのなら、ひと息ついてからになるかとユノは予想していた。

 

ところがチャンミンは、ユノがこの部屋に到着して数分もしないうちに、その大事な話を始めるというのだ。

 

「そうです!

これを伝えておかないと落ち着かなくって...」

 

「はあ。

わかりました」

 

ユノはバッグの中をかき回す手を止めると、ベッドに腰掛けたチャンミンの正面まで、キャスター付きチェアを引きずっていった。

 

部屋は狭いため、向かい合うと2人の膝がぶつかりそうな距離になってしまう。

 

「せんせのお話とやらを、聞かせていただきましょう」

 

ユノはおどけた口調でそう言ったが、見込みよりも早いタイミングでその時がやってきたことで、心拍数が急上昇した。

 

「まず最初に、ユノさんに謝ります。

昨夜の車の中でのことです。

僕はユノさんにとても失礼なことを言いました。

本当に申し訳ない」

 

そう言ってチャンミンは深く頭を下げた。

 

「せんせったら、困りますよ」

 

「いいえ、きちんと謝らせてください。

全ては僕の心の弱さから来ていました。

ユノさんがあの女子と一緒にいるところを見て...、なんとも複雑な気持ちになりました。

ユノさんはきっと、あの女子から嫌なことを言われたのだろうと、ピンときたのです」

 

チャンミンは昨日、意味ありげな視線を飛ばしてきたQを思い出して言った。

 

(ここで誤魔化してしまったら、のちのち自分たちの関係にひびを入れることになるだろう)

 

開けた窓から蛾が入り込み、スタンドライトの周りをパタパタと飛びまわっている。

 

「あの時、俺は酷いことは言われていませんよ。

俺がその...男を好きになったことについて、『信じられな~い』みたいなニュアンスで軽口を叩かれただけです」

 

ユノはチャンミンに誤解を与えないよう、言葉を選び選び話した。

 

「彼女が持つ偏見が、特別にひどい訳じゃないと思います。

多分、一般的な人たちが持つ感想を、彼女が代表して言った、みたいな感じです。

俺と彼女とはひと悶着あったことも拍車をかけたこともありますけど...」

 

「僕と付き合うと、いろいろと嫌な思いをすることが多いですよ。

そういうこと、続きますよ」

 

「俺のことはいいんです」

 

ユノは首を振った。

 

「俺は能天気だから。

後先考えずに『好き好き』言ってる俺のこと...せんせは怖かったでしょ?

怖いもの知らずというか、浅はかというか。

要するに、何も考えていない俺のことが、せんせは怖かったんだろうな、って。

どうですか?」

 

チャンミンは頷く代わりに苦笑した。

 

「俺が怖いのは、せんせが昨夜みたいに身を引こうとしちゃうことです。

びっくり発言をして、俺を怯ませるっていうのかな?

『これ以上僕に近づくな』って、警告したのかな、って。

俺はそう感じました」

 

あの暴言を吐いてしまった動機の大概を、ユノが言い当てていたことに、チャンミンは驚いていた。

 

「男と付き合ったことがないから、男と付き合うにはどれほどの覚悟がいるのか...全然、想像がつかねぇ」

 

これはチャンミンに聞かせるというよりも、自分自身に向けてのつぶやきだった。

 

「メンタルが弱っている時は、周囲の声にダメージを食らうこともあると思います。

やっぱり、男同士で恋人同士って、レアですからね。

経験がないことだから、『大丈夫です』って自信をもって言い切れません。

...せんせには、悪いなぁと思うんですけど」

 

「いいえ。

正直に言ってもらえて、僕は嬉しいです」

 

「自信がない、ってとこが嬉しいんすか!?」

 

「安心できるからです」

 

「安心?」

 

「そう。

この気持ちは、ユノさんには分からないでしょうね」

 

ユノには分かるような分からないような...これはチャンミンが抱く思いであり、全てをユノが把握する必要はない。

 

「ユノさんの話は、付き合ってる体でいますよ」

 

「あ!

ホントですね」

 

「ユノさん。

好きです」

 

「え?」

 

「僕の返事は、『はい』です」

 

「えっ!」

 

話の流れを少しだけ飛び越してなされた、チャンミンの告白だった。

 

 

(つづく)

(46)チャンミンせんせ!

 

 

Kからの連絡を待っていられず、チャンミンは自らKへ電話をかけることにした。

 

「どうだった?」

 

『合格した』

 

「やった!」

 

Kの報告はあっさりしたものだったが、「合格」の言葉を聞くなり叫んでしまった。

 

「採点を見せてもらった。

驚くなよ。

満点だ」

 

チャンミンは「よっしゃ」と、ガッツポーズをした。

 

「手紙は?」

 

「渡したよ。

ずいぶんと嬉しそうだったぞ、顔を輝かせてな」

 

「あ~、よかった~」

 

これでチャンミンのユノに関する心配事は消え失せた。

 

心配性だけれど、単純なのだ...チャンミンと言う男は。

 

(次は僕が頑張る時だ)

 

 

講習第1日目が終了した。

 

プレッシャーにとことん弱いチャンミンだ。

 

明日の本講習前の、個別練習の時点で精神的に参ってしまった。

 

明後日の本試験の時は、どうなっていることやら...。

 

転職組のチャンミンは、同期の者より数歳年上のため、最低年に1資格ペースで取得していっても、検定員になれるのは40手前。

 

教習指導員は最終的に検定員を目指して、資格取得と経験を重ねてゆくのである。

 

昨年、大型自動車教習指導員試験を受けた者たちは、今回の講習には参加していない。

 

不合格はチャンミンだけだったからだ。

 

チャンミンが指導員資格を取得するための約2週間を共にした仲で、その後の数々の講習でも顔を合わせる機会が多く、いわば同士。

 

彼らとは1歩、遅れをとってしまったことになる。

 

「久しぶり」「自信は?」などと再会を喜ぶ者たちを横目に、チャンミンはひとりぼっち。

 

(気にしない気にしない。

結局は自分だけが頼りなんだ)

 

「いててて...」

 

キリキリと胃の痛みはひどくなる一方で、食欲などないし、食事を摂りに出掛ける元気もない。

 

チャンミンは20時前には入浴を済ませ、フロントの自動販売機でピーチジュースを買った。

 

談話室のソファに腰掛けると、つけっぱなしだったTVを消した。

 

「沁みわたる~」

 

冷たいジュースが美味しくて、声が漏れていた。

 

のぼせるまで湯船につかったチャンミンは、開け放った窓からそよぐ風でクールダウンしていた。

 

(ねえ、ユノ。

僕は今、緊張で落ちつきがなく、不安感に呑み込まれそうです。

ユノに会いたいです。

『せんせも緊張しいなんすね。

せんせなら大丈夫っすよ』

そう言って欲しいな。

面倒くさくて、気が小さくて、嫉妬深くて、意気地なしで...いいところなんてないよなぁ)

 

チャンミンは飲み残しのジュースを流しに捨てると、もう寝てしまおうと自室に帰った。

 

(眠れないのは分かっているけどさ)

 

 

「わっ!」

 

着信音とバイブレーションに飛び上がった。

 

一瞬、自分がどこにいるのか、音の出所がどこなのか分からず、真っ暗な室内を見えもしないのにキョロキョロ見回した。

 

音の主はスマートフォンだ。

 

ディスプレイが、枕元で光を放っていた。

 

眩しくて文字が霞んで見えない、見えていたかもしれないけど、寝ぼけた頭では理解が追い付かない。

 

「...はい」

 

『チャンミンせんせ!』

 

この声!

 

「ユノさん!」

 

一瞬で眠気が醒めた。

 

ドキドキドキドキ。

 

『チャンミンせ〜んせ!』

 

ユノの無邪気な声に、チャンミンは心底安堵...全身の骨を抜かれてへなへなと床にぺちゃんこになってしまいそうなくらい...した。

 

「......」

 

嬉しさが喉に詰まって、声が出てこない。

 

『せんせ。

俺、俺ですよ。

せんせの可愛い生徒だった、ユノですよ』

 

「あ...こんばんは」

 

この受け答えはいかにもマヌケだなと、口にしながら思っていた。

 

『ふふっ。

こんばんは、チャンミンせんせ』

 

「ユ、ユノさん。

どうしたのですか?

こんな夜遅く...」

 

『せんせ~、まだ23時ですよ。

子供じゃないんだから。

えっ!?

もう寝てましたか!?」

 

「いや...起きてました」

 

緊張で眠れないと案じていたのに、悶々と寝返りをうっているうちに眠りについていたらしい。

 

チャンミンが夢の世界にいたのは、わずか30分程度のことだった。

 

「え~っと、ユノさん。

おめでとうございます」

 

『ありがとう、せんせ。

さすがでしょ?』

 

「よくやりましたね」

 

チャンミンはベッドに腰掛け、スタンドライトをつけた。

 

うなじに汗をかいていた。

 

窓を閉めっぱなしにしていたせいで、室温が上がっていたようだ。

 

チャンミンは立ち上がり、窓際に近づいた。

 

「...ん?」

 

チャンミンはあることに気づいたのだ。

 

(僕の電話番号!)

 

ユノはチャンミンが尋ねるより先に、「K先生に教えてもらいました」と言った。

 

「もっと早くこうしていればよかったです」と、ユノは楽しそうだった。

 

(僕らの気持ちに気づいていたKのことだから、ユノに訊ねられたら規則なんて無視して、ほいほい教えそうだな)

 

『せんせ、俺のこと、もっと褒めてください』

 

「おめでとうございます。

僕も嬉しいです」

 

『手紙、読みました』

 

「届きましたか」

 

『嬉しかったっす』

 

冷静になれる手紙では、気持ちにオープンになれたのが、例え電話越しでも繋がっていると思うと、上がってしまう。

 

『せんせ、固い固い。

もっとくだけた感じで喋って下さいよ。

せっかく、男と男になれたんですよ』

 

「う~んと...。

そうそう!

学科試験はいつですか?」

 

(ああ...どうして僕は肝心なところで、話を反らしてしまうのだろう)

 

『はあ』と、ユノの深くて低いため息に、チャンミンは「ごめん」と謝った。

 

「僕はなんだか、変みたいです。

急に電話をもらって...電話で話をするのは初めてで...テンパってるみたいですね。

ははははは」

 

『せんせはいつもと変わんない感じっすよ。

せんせは、オンの時もオフの時も、あまり変わりませんね』

 

「そ、そうですかね」

 

『まあ、いいです。

こんなことを話したくて電話したんじゃないです。

ねえ、せんせ。

せんせは俺と会いたいですか?』

 

「...えっと...」

 

『俺は卒業しましたよ』

 

「確かに」

 

卒業検定に合格した時点で、自動車学校を卒業したことになる。

 

自動車学校卒業生は卒業証書を手に免許センターへ赴き、学科試験を受験し、合格すれば晴れて免許取得となるのだ。

 

『せんせ。

俺に会いたいですか?』

 

チャンミン、正直になれ。

 

「はい...」

 

『せんせの試験が終わってから会いたいですか?

それとも、今夜会いたいですか?』

 

「そ、それは...」

 

チャンミン、正直になれ。

 

「こ、今夜、会えたらいいのですが...そういうわけにはいきませんよね」

 

『じゃあ、今夜会いましょうよ』

 

「今夜!?」

 

『今からせんせに会いに行きますよ』

 

「ダメですよ!

時間も時間ですし、ここまでバスは出ていません。

タクシーを使うにしても...」

 

『せんせ。

外、見てください』

 

「外?」

 

『せんせに会いに来たんすよ。

外、見てください』

 

「えええぇっ!」

 

『せんせの部屋はどこです?

俺、駐車場にいるんす。

せんせの車は見つけたんですけど...』

 

(嘘だろ!?)

 

「一階の一番端っこの部屋です」

 

『今、電気がついてる部屋ですか?

せんせ、窓開けてください』

 

(嘘だろ嘘だろ!?)

 

チャンミンはカーテンを除け、窓ガラスを開け放った。

 

駐車場の電柱に外灯が取り付けられてあり、ぼんやり場内を照らしていた。

 

チャンミンは愛車を停めた辺りに目をこらした。

 

ユノが居た。

 

「チャンミンせんせ!」

 

「ユノさん!」

 

(どうやってここまで...?)

 

チャンミンが驚いて当然だ。

 

ユノの住まいからここまで、車で1時間かかるのだ。

 

電車もバスも通っておらず、自家用車無しでは来られない地に建っている。

 

ユノはチャンミンが身を乗り出した窓の下まで、ゆっくりと歩み寄った。

 

ざくざくと、砂利を踏む音。

 

虫の鳴き声。

 

外灯の向こうは真っ暗で、市街地から離れているおかげで、ちらちら光る星がよく見えた。

 

チャンミンの目の前に、特別に可愛いがった元教習生が立っている。

 

「チャンミンせんせ!

来ちゃいました」

 

(まさか...これで?)

 

ユノは自転車をひいていた。

 

チャンミンの視線に、ユノは「ああ」と言い、赤いフレームがスポーティな自慢の愛車に視線を落とした。

 

「ここって電車通ってないし、バイト終わりだからバスの最終行っちゃってるし。

免許は未だだし、原チャリも持ってないし...あははは。

はぁ~、時間かかりましたよ。

尻が痛い痛い。

足はくたくた」

 

「ユノ...さん」

 

チャンミンの胸が苦しかった。

 

「チャンミンせんせ、嬉しいですか?」

 

チャンミンは嗚咽しそうな口を押さえ、うんうんと頷いた。

 

「君はいつも...」

 

「せんせ?」

 

「僕を驚かせてばかりだ...」

 

チャンミンの視界は、秒で滲んでしまった。

 

 

(つづく)

 

 

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(45)チャンミンせんせ!

 

 

×〇地方にある教習所、自動車学校から資格取得を目指す指導員がここに集合する。

 

3日後の検定日に備え、彼らは講習と実車練習に明け暮れるのだ。

 

車で1時間程度の距離で、チャンミンは午前9時には現地入りした。

 

場内コースと講義棟の隣に、部屋数20の宿泊棟があり、チャンミンにあてがわれた部屋は、1階の角部屋だった。

 

チャンミンは窓を開けて部屋の空気を入れ替え、用意されたシーツと枕カバーでベッドメイキングをした。

 

窓の外は雑草はびこる砂利敷きの駐車場になっている。

 

現地入り1番乗りしたチャンミンの愛車は、真正面の電柱側に駐車されている。

 

食事は外食するなり食料を買ってくるなり、各自で済ませることになっている。

 

(こういった施設は大概、へき地にあるため、周辺に店はない。酒やつまみ等は大目に持ち込んでくるべし)

 

午後から実車練習のために車とコースが開放されるので、それまでの間は自由時間だ。

 

手の中のスマートフォンをイライラと、先ほどからもてあそんでいた。

 

荷ほどきも終え、室内でじっとしていられなくなったチャンミンは、共用風呂と洗濯機置き場、ロビー、2階廊下などを落ち着きなくうろついていた。

 

チャンミンは迷っていた。

 

スマートフォンのディスプレイに表示されているのは、ある番号。

 

ユノの電話番号だ。

 

昨夜、まるちゃんのスマートフォンを借りた際、こっそり素早く暗記したのだった。

 

検定スタートは午前9時で、教習簿の提出順で受検番号が決まるため、ユノは最後だ。

 

ロビーの掛け時計は10時半を示していて、ちょうど出番を待っている頃だ。

 

(エールを送ろうか?)

 

発信ボタンをタップしかけて、その指を引っ込める。

 

(駄目だ)

 

宙でくるくる円を描いていた指が、ディスプレイに戻ってきたが、迷った挙句、その指で電源を落とした。

 

(駄目だ...集中しているユノの邪魔をしてしまう)

 

「はあぁぁ...」

 

ベッドに仰向けに横たわり、目をつむった。

 

心臓の鼓動が早いし、汗もかいている。

 

「ユノ、頑張れ」と、つぶやいてみたりして。

 

時間を確かめてはため息をつき、何度も寝返りをうっては、枕を抱きしめた。

 

時おり、スマートフォンに何かしらの通知がきていないか確認していた。

 

スマートフォンはしん、としている。

 

(連絡がこないんですけど...Kの奴、何してるんだよ)

 

チャンミンは目を閉じ、意識を深いところまで飛ばして想像した。

 

チャンミンのまぶたの裏は、まるでスクリーンになったかのようだった。

 

ユノの姿が映っている。

 

緊張のせいで固い表情をしている。

 

姿勢よくベンチに腰掛け、指は落ち着きなさげに太腿を叩いている。

 

私物は全てロッカーの中で、『運転の心得』教本も、スマートフォンも目にすることは一切できない。

 

気を紛らすことも出来ない。

 

ユノはかつて、絶望的に運転センスがなかった。

 

何時間も補習を受けた。

 

あまりに下手な自分が情けなく、涙を流したこともあった。

 

うまくやれるだろうか...?

 

 

待機所のベンチの前に検定車が横付けされた。

 

ユノ直前の受検者の検定が終了したのだ。

 

『検定中』という行燈をのせた検定車を見るだけで、緊張度がぐっと上がった。

 

検定員はユノの教習簿と採点用紙のボードを手にしている。

 

「受検番号12番の方」

 

「はい」

 

ユノははきはきと返事をすると、胸いっぱいに息を吸い込み吐いた。

 

つい今ほどまで、ドクンドクンと響いて自ら緊張を煽っていた心臓の音が大人しくなった。

 

「よろしくお願いします」

 

ユノが頭を下げると、検定員は「では、始めます」と検定開始を合図した。

 

 

ユノは検定車の周りを1周し、発車を妨げる物はないか、下を覗き込んで猫がうずくまっていないかチェックした。

 

前後を確認し、運転手側のドアを半分だけ開け、素早く教習車に乗り込んだ。

 

シートベルトを締め、シートの位置を直す時、「どちらが先だっけ?」と迷いが出たが、そこにこだわりすぎないよう意識した。

 

サイドミラーとバックミラーを調節する。

 

エンジンをかける。

 

クラッチを踏み、ファースト・シフトに入れる。

 

サイドブレーキを解除する。

 

前と後ろ、バックミラーを確認し、方向指示器を出す。

 

もう一度、確認する。

 

大人しかった心臓が、暴れ出した。

 

もう一度、深呼吸する。

 

「よし」とつぶやく。

 

ブレーキペダルを離す。

 

クラッチペダルを徐々に離す。

 

検定車はなめらかに走り出した。

 

クラッチを踏む。

 

セカンド・シフトに入れる。

 

 

意識して肩の力を抜いた。

 

『肩に力が入っていると、全身の関節の動きも固くなります。

マニュアル車は特に、膝が大切ですからね』

 

チャンミンせんせの声が、すぐに肩に力が入ってしまうユノに心の余裕を与えてくれる。

 

ユノの運転は、チャンミンから指導されたポイントをひとつひとつ、確実に押さえたものだった。

 

『かっこいい運転には、無駄はありません。

無駄な加速、無駄な進路変更。

車を自在に操っているぜ、とマウントをとる運転は、はっきり言ってダサいです。

クールな運転とは、きびきびとした運転を言います。

周囲の流れにのること。

周囲に意志表示をして、事故を誘わないこと。

だから、30メートル前で方向指示器を出すんですよ』

 

(はいはい、分かってますって)

 

ハンドルを握るユノは、四十数時間で無数に受けた注意をお守りに、意識は今現在に集中していた。

 

(今のところ、ほぼ完璧だ

落ち着け~、大丈夫だ)

 

『ほらほら、目の動きだけで安全確認したらダメですよ。

それじゃあ、確認しているフリに過ぎません。

視野も狭くなります。

頭も動かして、首もひねって...』

 

(分かってますって、チャンミンせんせ)

 

 

ユノさんへ

 

ユノさんは絶対に合格します。

僕は出来のよい指導員じゃなかったと思います。

僕の教え方は淡々としていて、話し方も冷たくに聞こえていたでしょう。

でも、教えるべきところは全て教えたつもりです。

ユノさんの財布を空っぽにさせてしまったけれど、確実にマスターするまで補習させてしまって申し訳ないです。

とことん練習をしたのですから、今日の検定は100%合格します。

車は凶器です。

ハンドルを握ること=沢山の人の命を預かることです。

事故も違反も起こさないドライバーになって欲しかった。

だから、教習中はよそ見をしないよう、教習にだけ集中してもらいたかったのです。

もちろん、学校の規則もありましたけどね。

ひとつ、ユノさんに自信を与える話をしましょう。

僕が初めて運転免許を取ったとき、落ちこぼれでした。

補習も沢山受けましたし、仮免も卒検も落ちました。

そんな運転が下手くそだった僕が、指導員になれたのです。

なぜ合格できたのだと思いますか?

練習を沢山したこともあります。

それ以上に、ひとつひとつの操作を丁寧に、安全確認を省略せずに運転することを心がけたからです。

そんな運転をユノさんに教えてきました。

だから、ユノさんは合格します。

深呼吸して肩の力を抜いて、運転してください。

あの時、連絡先の交換をしていればよかったと、つくづく思います。

今さらですが、交換させてください。

お願いします。

ユノさんには謝らないといけないことや、伝えたいことが沢山あります。

僕には、ユノさんへ特別な想いを抱いている自覚がありました。

教習車の外で、心おきなくお話がしたいとずっと思っていました。

気付かないフリをしていてすみませんでした。

ユノさんは「卒業してから」と言っていましたが、その前から答えは出ていました。

次に会った時、そのお返事をさせてください。

 

チャンミン

 

 

手紙というアナログなものを、久しぶりに書いたチャンミンだった。

 

現地にいられないし、電話もかけられない。

 

それならば手紙しかない。

 

検定前に読んでもらい、元気を与えられる手紙を書こう...とても素敵なアイデアだ。

 

レターセット、というものを持ち合わせていなかったため、例のコンビニエンスストアまで走って調達した。

 

書き損じで何枚もの便箋を無駄にした。

 

書き上げた手紙を読み返しているうち、チャンミンはくすくす笑いが止まらなくなった。

 

「なんだよこれ...ラブレターじゃん」

 

応援メッセージが愛の告白のようなものに様変わりしていた。

 

今朝、講習会場に向かう途中、出勤前のKの自宅に寄り、味もそっけもない白い封筒を託した。

 

「これを、ユノに渡して欲しい」

 

Kは、手紙を渡すに至ったいきさつを知りたげな顔をしていたが、その場では何も追求しなかった。

 

「分かった。

確実に渡すから、安心しろ」

 

「本番前までに、必ず読むように、って念をおしてくれ」

 

「仰せの通りに。

お前こそ落ちるなよ」

 

チャンミンは、「受かるに決まってるさ」と笑って答え、Kの家を後にした。

 

 

窓の外の駐車場に次々と、車が乗り入れる砂利音がしてきた。

 

受検者たちが到着したのだ。

 

時刻は正午になっており、チャンミンは知らぬうちに眠り込んでいたようだった。

 

「しまった...」

 

ユノの検定は終了している。

 

(ユノは手紙を読んでくれただろうか?

くしゃくしゃに丸めて捨ててしまったかもしれない)

 

昼食に用意してきたサンドイッチが喉を通らなかった。

 

間もなく自動車学校の昼休憩時間で、Kから連絡が入ることになっている。

 

(どうか、合格していますように!)

 

チャンミンこそ今後の指導員人生がかかっている大切な時だった。

 

ところが、自分のことはそっちのけでユノの心配をして、胃袋をキリキリとさせていたのだった。

 

 

(つづく)

 

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