(62)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

チャンミンは俺から顔を背けてしまった。

 

「チャンミンちゃん...」

「からかわないで下さい」

「からかってなんか...」

「『恋人じゃない人相手に、キスはできますか?』って質問したんです。

ユノさんと僕は、恋人じゃないですよね?

『ユノさんは恋人じゃない僕相手にキスできますか?』って、質問しただけなんです」

 

つい忘れてしまう。

彼は俺の恋人じゃない。

チャンミンは男だ。

俺の想いを彼に伝えるのは時期尚早だと控えていた。

彼には好きな人がいる。

 

「......」

「『キスして下さい』とお願いしたんじゃないんですよ」

 

俺は勘違いをしていたのか。

あの時、「キスできますか?」の問いに、「できる」と即答していた。

彼が本当に聞きたかったことに答える代わりに、衝動的に行動で示してしまった。

 

「どうして男の人は、気軽にキスをするんですか?」

 

でもね、チャンミン。

君は俺のキスを受け入れていただろう?

じっとしていただろう?

勘違いしてしまうだろう?

 

「キスなんかされたら、何か特別な想いが込められているんじゃないかって、勘違いしてしまいます。

ユノさんは深く考えずに、軽い気持ちでしたのかもしれませんが...」

「チャンミンちゃん。

そんなんじゃないんだ」

 

俺は女性あしらいに長けている男ではない。

浮気だとか、特定の女性をつくらずに複数の女性の間を器用に渡り歩くことは出来ないし、したくない。

これまで何人かの女性との恋愛経験はあるけど、俺は『堅物』な質だ。

 

「ごめんなさい。

ユノさんを責めているわけじゃありません。

僕の質問の仕方が悪かっただけです」

 

そう言って、身体ごと俺に背を向けてしまった。

恋愛に関して、彼は“あそび”がほとんどない堅物で未熟者だ。

窓枠に頭をもたせかけた彼のうなじを、俺はぼんやりと見つめるばかりだった。

あの夜のホテルでの時のように、冗談で済ませられない雰囲気になってしまった。

このままだと、彼が俺から離れて行ってしまう。

 

「チャンミンちゃん」

 

俺はもう一度手を伸ばし、リュックサックの上に置かれた彼の手をとった。

一瞬強張ったが、すぐにやわらかく力が抜けた。

彼は抵抗できない子なんだった。

不意打ちに距離を縮めてこられた時、じっとして受け入れてしまうんだろうな。

初めて会った日のうちから、俺は彼女の髪に触れていた。

こちらからの接触に抵抗しなかった。

俺は一目見た時から彼に惹かれていて、そのために吸い寄せられるように触れてしまっていたんだ(しばらくの期間、彼のことを『彼女』だと思い込んでいた)

一方の彼は、無防備に心も身体も晒している子だから、不意打ちの接触に対してどう反応したらよいか分からずに、じっと無抵抗でいただけなんだ。

相手が俺だったからこそ懐いてくれて、俺に触れられてもくすぐったそうにしてくれていたんだと思い込んでいた。

彼は危なっかしい。

放っておけない。

 

「...ごめん」

 

さっきまで汗ばんでいた彼の手の平が、今はさらりと乾いていて、俺の手の中におさまったままだ。

気安く手を握られていたら駄目だよ。

 

「俺は誰彼構わず手を繋いだり、キスしたりしないよ」

「ホントですか?」

 

暗がりの中で、彼の三白眼が俺を軽く睨んでいた。

口角が上がっているから、本気で睨んでいるわけじゃない。

よかった。

 

「僕、怒っていませんからね」

 

彼は、背けていた身体を俺の方に向けて座りなおした。

 

「ユノさんったら、勘違いするんですもの。

びっくりしましたぁ」

 

首をこすりながら、彼は笑った。

俺は本気だったんだよ。

君が相手だったら、いくらでもできる。

彼は繋いだ手を引き寄せると、「ちゅっ」と音をたてて俺の手の甲に口づけた。

今度は俺の方が、びくっとした。

 

「仕返しに僕もキスしてみました」

と言って、彼はふふふっと笑った。

 

俺の手の甲に、ほんの1秒だけ押し当てられた唇の柔らかさにぞくりとして、下腹がうずいた。

 

「ユノさん」

「ん?」

「ユノさんのキス、全然嫌じゃなかったです」

「え...?」

 

そんな言葉をきかされたら、勘違いしてしまうよ。

 

「僕は単純だから...勘違いしてしまうかもしれませんよ?」

「チャンミンちゃん?」

「お客さん」

「!」

「着きましたよ」

 

タクシー運転手の言葉に、俺たちの会話が宙に浮いてしまった。

いつの間にかタクシーは病院裏に横づけされ、ハザードランプの点滅が夜間出入り口のドアをパカパカと照らしている。

 

「降ります!」

 

ドアが開き、俺の手を離した彼はリュックサックを抱えてタクシーから降りてしまった。

俺の手の中が再び空になる。

 

「送ってくださってありがとうございます」

 

財布を出そうとする彼をおしとどめた。

俺も車を降りようとしたが止められた。

 

「ユノさんはお仕事があるでしょう?

お家に帰って寝てください...2、3時間しか寝られませんね。

ごめんなさい」

「じゃあ、変わったことがあったら連絡するんだよ」

 

ぺこりとおじぎをする彼の頭をひと撫ぜしてタクシーに乗り込み、もと来た道を戻るように指示をした。

いつもいつも、肝心なところで邪魔が入る。

俺こそ、君に聞きたいことが沢山ある。

さっきの言葉は、都合よく捉えてしまっていいのかい?

 

(つづく)

(61)オトコの娘LOVEストーリー

~ユノ~

 

 

俺の周囲から音が消えた。

「チャンミンちゃん...急に、どうした?」

「どうもこうもしてません!」

彼が消え入るような小声で言った。

「ユノさんは僕が相手でも、キスできますか?」

 


 

~タクシー・ドライバー~

 

深夜2時30分。

呼び出されたマンションの前で乗り込んだのは、若い男二人。

片方の頭は、雪みたいに真っ白だ。

行き先が片道1時間弱はあるところで、距離が稼げて「今夜はついている」と気持ちが上向いた。

ちらちらとバックミラー越しに後ろの様子を窺った。

俳優みたいにきれいな二人だったから、ついつい見てしまう。

ぼそぼそと会話を交わしている。

信号待ち時、さりげなく後ろを振り返ったら、手を繋いでいて「おっ!」と驚いた。

やれやれだ。

世の中、いろんな人がいるもんだ。

(!!)

頭の白い方の顔が、黒い方の頭で隠れた。

キスしてるじゃあないか。

しかも、男同士じゃないか!?

バックミラーから視線を前方に戻したら、赤信号に気付いて慌ててブレーキを踏んだ。

ぐっと前のめりになり、シートベルトが肩に食い込んだ。

危ない危ない。

「お客さん、すんません」

後ろの2人に謝りながら、振り返った。

 


 

 

~ユノ~

チャンミン発言、「キスできますか?」に俺はフリーズしてしまった。

俺の中では、彼の質問に「できる」と即答していた。

彼が知りたいのは「好きな人がいながら、他の人とキスができるのか?」だ。

この質問の答えは「YES」でもあり「NO」だ。

リアとのことを棚に上げられるのは、いくつかの恋愛模様を経験した結果、すれてしまった大人の俺だからだ。

でも、彼はそうじゃない。

彼が欲しい答えは、「NO」なのだろう。

彼は青い。

彼の理想は、「好きな人とだけしかキスしない人」だ、きっと。

『チャンミンとキスしたいのか?』

この質問の答えは「YES」だ。

でも、彼は俺の気持ちを知らない。

どうすればいい?

こんなことをわずか5秒の間に考えていた。

走行する車がまばらの深夜過ぎの道路。

規則的に並ぶ街灯が、規則的なリズムで彼の真剣な表情を照らしていく。

じぃっと俺を見つめている。

チャンミン、何があった?

どうして俺にそんなことを尋ねるんだ?

切なそうな目が色っぽく俺の目に映っているよ。

そんな目で見られたら、『お兄ちゃんのお友達』でいられなくなるよ?

言われなければ、女の子と間違われてしまう凛々しくも可愛らしさを同居させた顔。

その顔に、顔を近づける。

止められない。

目の前の彼が、鏡に映る自分に見えて、まるで鏡とキスをしようとしているみたいに錯覚した。

暗い車内で、彼の顔のディテールが曖昧になっていたから、余計にそう見えた。

繋いだ片手はそのままに、もう片方の手を彼の頬に添えた。

彼の頬がぶるっと震えたのを手の平で感じたら、目の前の鏡板は消滅してしまった。

斜めに傾けた顔を、15㎝の距離でぴたりと止めた。

彼は繋いだ手の力を抜いて、身動ぎせず呼吸も止めているようだ。

俺は彼とキスがしたい。

これが俺の答えだ。

 

 

俺の目が彼の喉がこくりと動いたのを認めたのち、俺は目を閉じて唇を彼に寄せた。

あと1㎝。

「!!!!」

俺たちの身体が前方につんのめり、その後一気に引き戻された。

彼に寄せた顔がぐいっと引き離された。

赤信号を見落としそうになったタクシーが急ブレーキをかけたのだ。

「!!」

反動で俺の唇は彼の首筋に落とされた。

彼の汗と、ミルクみたいに甘い香りをすうっと吸い込んだ。

彼の首筋がぴくりと震えた。

俺と繋いだ手に力がこもったから、男の欲が抜き差しならない状況に陥ってしまう。

「すみません!」

タクシーの運転手さんの謝罪の言葉が耳に入らない。

唇を押し当てているだけでは足りない。

唇をわずかにをずらして、口づけた。

俺の唇はうなじの方まで移動してゆき、鼻先を彼の後ろ髪に埋めた。

そしてついには、彼のやわらかい皮膚に柔く吸いついてしまう。

「あ...」

彼から掠れた声が漏れて、俺の胸がうずいた。

そんな声を出したら駄目だよ。

止められなくなるから。

彼の喉がこくりこくりと何度も動いて、俺を煽る。

俺の唇はとくとくいう彼の鼓動を感じ取っている。

タクシーの中だということを忘れて、ついばむ唇の隙間から舌先をそっと押し当てた。

「ん...」

チャンミン、そんな声出さないで。

そう思いながらも、もっと彼の掠れた声が聞きたかった。

やっぱり唇にキスしたい。

彼の耳の下から唇を離して、もう一度顔を寄せようとしたら、胸を押された。

「駄目です」

するりと手が抜かれ、俺の手の中は空になった。

彼は俺の胸に手を置いたまま、俯いてつぶやくように言った。

「ユノさん、駄目です」

 

(つづく)

(60)オトコの娘LOVEストーリー

 

~チャンミン~

 

ユノさんは僕に対して悪いことなんか全然していないのに、恋人と抱き合うのは当然のことなのに、このことについて言い訳して欲しかったんだ。

 

新たに誕生した妹に、お兄ちゃんが横取りされたみたいな気持ちなのかな。

 

僕って、なんて子供っぽいのだろう。

 

「俺はこの6か月...7か月はいってるかな、リアと“アレ”はしていないよ」

 

「へ?」

 

「俺とリアがまるで“アレ”してる風に見えたかもしれないけれど、違うんだ。

 

どうしてあんな風だったのかは...いろいろあってね。

 

信じられないと思うけど、とりあえず...『違う』ってことを言いたかったんだ」

 

「......」

 

信じるか信じないかは脇に置いておくとして、ユノさんの弁解がきけて僕が嬉しかった。

 

「リアさんといちゃいちゃしてて悪かった」、って僕に対して思って欲しかった。

 

なんでだろうね。

 

「そうですか...分かりました」

 

嬉しいくせに、ちょっと不貞腐れた言い方をしてしまう。

 

「...さっきの話の続きだけど。

ほら、バルコニーで」

 

「?」

 

「ファーストキスの話。

チャンミンちゃんの言いかけてただろ、途中まで?」

 

「ああ!

そのことですか」

 

あの時は、「ファーストキスは3時間前ですー」って言うつもりだった。

 

ユノさんがリアさんといちゃいちゃしていたのを見て、腹立たしかった僕は対抗したくて惚気てやろうって思っていた。

 

でも。

 

ユノさんと手を繋いでいる今は、そんなこと言ったらいけないって気持ちになった。

 

ユノさんと手を繋ぎながら、他の人のこと...YUNさんのことを想っていたらいけないって。

 

なんでだろうね。

 

でも...大人の男は、それができるのかな。

 

恋人がいるのに、誰か他の人と手を繋いだり、ぎゅっとしたり、キスしたりできるのかな。

 

そんなことをできっこない僕は、お子様なのかな。

 

 


 

~ユノ~

 

手指の神経を研ぎ澄まして、彼の薄い手の感触を味わった。

 

彼と手を繋ぐのは、これで3度目。

 

1度目は、ビアガーデンに行った時のことだ。

 

2度目は、ラブホテルに連れて行かれた時。

 

これらの時と今では、彼へ抱く感情が大きく異なっている。

 

つい3時間前にリアの背を抱いていた手で、彼の手を握っている。

 

もちろん罪悪感はある。

 

だけど、「恋人がいるから」「好きな人がいるから」といった常駐している抑制が、ある時湧き上がった欲求によって外れることがある。

 

例えば今のように。

 

僕の隣でぶつぶつ言いながら携帯電話を操作していた彼の横顔に見惚れた。

 

肩を抱き寄せたり、キスしたりは出来ない。

 

だから代わりに、彼の白くてほっそりとした手をとった。

 

それは衝動的に近くて、先ほどまでリアを抱こうとしていた手であることなんか、すっかり忘れていた。

それはそれ、これはこれ。

こういった割り切り方ができるようになったのは、いくつかの恋愛を経験してきた大人だからなのだろうか。

 

恐らく、彼には理解できない部分だと思う。

それにしても、リアの要求をのんで、彼女と別れるためにコトを成そうとしたことは、許されるものじゃない。

くかくしかじか全部説明して、分かってもらおうなんて馬鹿げたことはしない。

 

話してどうなる?

 

俺の恥をさらすだけだし、何よりもリアの名誉を傷つけてしまうことは、いくら別れた相手だとしても、絶対に許されることじゃない。

 

彼がどう思っているか分からないけれど、俺は少しだけでもいいから彼に触れたくて仕方がなかったんだ。

 

俺に突然手を握られて、彼は一瞬ビクッとしたけど、手を引っ込めるでもなくそのままでいてくれる。

 

彼の細い指が、俺の手の甲をさわさわとくすぐっている。

 

ぞわっとした心地よい痺れが手から背筋へと走り、俺の下半身に火が灯る気配を感じて、焦る。

 

彼はそんなつもりはないだろうけど、手の甲への愛撫だけで感じるなんて。

 

「僕のファーストキスは...」

 

「うんうん?」

 

「まだ...です」

 

「ええっ!?」

 

「嘘です」

 

「なあんだ」

 

ファーストキスか...30過ぎた僕にとって遠くて、懐かしい過去だ。

 

そんなことよりも、ひっかかっていることがある。

 

今夜のデートの相手が『例の彼』じゃなく、職場の上司だと知って心底ほっとしたが。

 

「上司って...スケベ親父じゃないだろうな?」

 

「まっさか!

親父って年じゃありません」

「いくつ位?」

 

「40歳です」

 

「独身?」

「独身...と聞いてます」

 

心配になってきた。

 

彼がワンピースを着なくちゃいけないようなところ...値段のはるレストランか?...に連れて行くなんて、下心ありまくりじゃないか。

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫ですよ。

そんな人じゃありません」

 

彼はきっぱりと言い切った。

 

「ユノさん」

 

「ん?」

 

「大人の男は...例えばですよ?

付き合っている彼女がいたとして。

もしくは好きな人がいたとして。

それでも、他の人とキスってできるものなんですか?」

 

バルコニーで俺が答えられなかった質問を、彼は再び投げかけてきた。

 

待てよ...。

 

彼に心を奪われているのに、リアと深いキスをすることができた。

 

だから、彼の質問に対する答えは「イエス」だ。

 

そう答えていいのだろうか?

 

リアともつれ合ってところを彼に目撃された時を、早戻ししてみる。

 

彼が帰宅した時は...俺とリアは...キスはしていなかった。

 

ということは、「リアと別れたがっていた俺が、彼女とキスできるのはなぜだ?」と問いただしてるわけじゃなさそうだ。

 

彼はどうしてこんな質問をするのだろう。

 

分かりやすい子だから、彼の中で何かがあったに違いない。

 

「どうしてそんなこと聞くの?」

 

すると、彼は泣き出しそうな切なさそうな、初めて見る表情を見せた。

 

俺の喉がごくりと鳴った。

「僕にキス...できますか」

 

「!」

 

「ユノさんだったら、僕にキスできますか?」

 

チャンミン発言に僕はフリーズした。

 

(つづく)

(59)オトコの娘LOVEストーリー

 

~チャンミン~

 

病院までのタクシーの中、猛烈な睡魔に襲われた僕はうとうとしかけていた。

 

ジェットコースターみたいに感情が急上昇と急降下を繰り返して、ヘトヘトだったのだ。

 

これから数日間はお兄ちゃんちの家事手伝いで大わらわになって、思い煩う暇もないだろうから助かった。

 

ユノさんはタクシーに乗り込んでからずっと無言で、反対側のサイドウィンドウの外を見ている。

 

深夜過ぎに一人で行かせるのは心配だから送っていくって、僕を子供扱いするユノさん。

 

タクシーを使うから、外を歩くこともないのに。

 

でも、ちゃんと僕のことを思ってくれてることが分かって嬉しかった。

 

お兄ちゃんみたいに頼れる人。

 

ユノさんを見ていたら、YUNさんとのキスが遠い出来事になってきた。

 

それくらい、ユノさんとリアさんのことが衝撃だった。

 

ユノさんに質問したのに僕の欲しい回答は得られなかったし、彼の言い訳も聞けなかった。

 

病院まではあと30分以上はかかるから、時間は十分。

 

ユノさんに、もう一回質問してみよう。

 

「あ...!

忘れるところだった...」

 

YUNさんに連絡を入れなくては!

 

お義姉さんの出産の件で数日間お休みをもらうことは、面接の時に伝えてあったから、許可はもらえれるはずだ。

 

時刻はもうすぐ午前3時で、YUNさんは寝ている時間だろうからメールを送ることにした。

 

『夜遅いですので、メールにて失礼します...』とメールを打った。

 

YUNさんが恋人の背中を抱いて眠っている光景が、ぼわーんと頭に浮かんだのを首を振って消去した。

 

長文にならないように簡潔に文章を考え考え、送信ボタンを押した僕はふうっと息を吐いてシートに深くもたれた。

 

「チャンミンちゃん?」

 

窓の景色を眺めていたユノさんが、いつの間にか僕の様子を窺っていたのだ。

 

「上司に連絡をしました。

数日はお仕事を休まなければならないので...」

 

「そっか...」

 

「ふう」って深く息を吐いたユノさんの胸が、大きく上下した。

 

視線を落とすと、ユノさんは落ち着きなく膝をとんとんと指で叩いている。

 

何かイライラすることでもあるのかな...って思っていたら、

「ひ!」

 

リュックサックを抱えていた僕の手に、ユノさんの手が重なった。

 

ビクッと跳ねると、ユノさんの手に力がこもった。

 

隣のユノさんは、じっと視線を前に向けたままだ。

 

「え...っと?」

 

ユノさんの手の中でもぞもぞと指を動かしていたら、僕の指の間に彼の指が滑り込んできて、ぎゅっと握りしめられた。

 

こ...これは...『恋人繋ぎ』ではないですか!?

 

ぐんと体温が上がって、脇の下や手の平にどっと汗がにじみ出たのが分かる。

 

ユノさんの意図がわからなくて、繋がれた手と彼の横顔を交互に見た。

 

「チャンミンちゃん」

 

「はい...」

 

「ここでの生活は慣れた?」

 

「は、はい。

未だに反対方向の電車に乗っちゃうこともありますけど...なんとかやってます」

 

「そっか...。

仕事は楽しい?」

 

「楽しいと感じられるまでには至ってません。

おっちょこちょいですし、要領が悪くて...でも、上司の方が寛大な方なんです。

本当にありがたいことです」

 

ユノさんは僕の手を握ったままだ。

 

僕も男だけど、ユノさんの方が一回り大きな手をしていて嬉しかった。

 

ユノさんの手に包まれた指を動かして、彼の手の甲や指の節の骨を、指先でなぞる。

 

ユノさんは何も言わない。

 

「上司の人はいい人なんだ?」

 

「はい。

今夜は夕ご飯を御馳走してくれたんですよ...。

あっ!!」

 

しまった!!

 

仕事終わりに”上司と食事”...よくよく考えたら怪しい響きじゃないですか!(ユノさんに心配をかけてしまう)

 

「えっ!

そうだったの?」

 

繋いだ手に力がこもり、ユノさんが僕を覗き込む。

 

「えーっと...その...歓迎会みたいなものです...」

 

職場は僕とYUNさんの2人だけですけどね、と心の中で補足した。

 

「だから、ワンピースを着て行ったんだ?」

 

「そうです。

似合いもしないのに、着て行っちゃったんです...。

気合を入れ過ぎました」

 

両耳が熱い。

 

手の平も汗でびしょびしょだろうから、恥ずかしくて繋いだ手を引っ込めようとしたけれど、ユノさんは離してくれない。

 

「似合ってたよ、すごく」

「ホントですか!」

 

嬉しくてぱっと顔を上げたけど、ワンピース姿を見られた時の状況を思い出してしまった。

 

ユノさんはリアさんと、アレをしようとしていた(アレの後かな?前かな?最中かな?)

 

「あの状況で、よく見えましたね」

 

ぼそっと言った僕の声が、嫌味に満ちていてイヤになる。

 

「ちゃんと見えてたよ...あんな状況だったけれど...。

ねえ、チャンミンちゃん...」

 

ユノさんの声のトーンが低くなった。

 

「ひとつだけ言い訳させてくれないかな?」

 

そうなんだ。

 

ユノさんから言い訳が聞きたかったんだ。

 

(つづく)

 

(58)オトコの娘LOVEストーリー

~チャンミン~

 

驚いて横を振り仰いだらユノさんだった。

 

「ユノさん...」

 

いつの間にかバルコニーに出てきて、いつの間にか僕の横に立っていたのだ。

 

バルコニーは暗くてシルエットしか分からないけれど、ユノさんはきっと困ったような顔をしているんだと思う。

 

言葉が見つからなくて不貞腐れた顔をした僕は、手すりの上にあごを乗せた。

 

心の中は沢山の言葉で溢れそうなのに、いざとなると1つも出てこない。

 

「おでこを怪我するよ」

 

僕の頭を撫ぜようとするユノさんの手をはねのけた。

 

「チャンミンちゃん...」

 

乱暴なことをしてごめんなさい。

 

リアさんを抱いていた手で触って欲しくないんだ。

 

それなのに。

 

ユノさんの言い訳の言葉が聞きたかった。

 

ユノさんが恋人のリアさんを抱きしめたからって、僕に謝る必要なんてないのに。

 

ユノさんは僕の「恋人」じゃないのに。

 

どうしてイライラするんだろう。

 

 


 

~ユノ~

 

リビングの窓を開けてバルコニーに出た。

 

昼間の熱気を冷ましてくれた雨が止み、湿度に満ちているけど涼しい夜気に包まれた。

 

足が濡れるのも構わず裸足でぺたぺた歩いて、手すりに両腕を乗せる。

 

「?」

 

人の気配がする方を見ると、手すりにもたれてブツブツ何かをつぶやいているチャンミンが居た。

 

6畳間のドアをノックする勇気がなかっただけに、バルコニーでの遭遇は嬉しかった。

 

暗闇に彼の白い髪が浮かび上がっている。

 

裸足で足音がしなかったせいもあって、彼は俺の存在に全然気づいていないようだ。

 

ぶつぶつ言っていたかと思うと、額をごんごんと手すりに打ち付け始めた。

 

(何してるんだよ!?)

 

彼の頭に触れた。

 

形のよい後頭部とやわらかい髪を手の平で感じた。

 

ところが俺の手は払いのけられた。

 

そして、ぷいと顔を背けられてしまった。

 

俺を拒絶する彼は、初めてだった。

 

「怒ってる?」

 

彼がなぜ怒っているのか見当がつかない。

 

「目に毒ですから、そういうことは寝室でやってください」とか、「心配して損しました」とか、か?

 

「怒ってませんよ」

 

彼がぶすっとした顔をしているのは、暗くたって想像がつく。

 

膨れている理由がヤキモチだったらいいなぁ、って小さく期待した。

 

「ユノさん」

「ん?」

 

リアと抱き合っていたことを咎められるのかと身構えて、何て答えようか頭をフル回転させた。

 

「大人って、好きじゃない人ともキスってできるんですか?」

 

「えっ!?」

 

リアとキスをしているところを目撃されたのだと、ヒヤッとした。

 

「どうしてそんな質問をするの?」

 

動揺を悟られないよう、聞き返す。

 

「できる」と答えたら、俺という男は誰とでも気軽にするタイプだと誤解される。

 

「できない」と答えたら、リアとしていたキスは「ホンモノ」だと誤解される。

 

だから、彼の質問に答えられない。

 

「うーん...ユノさんの意見が聞きたかっただけです」

 

そよ風が彼の前髪をかすかに揺らした。

 

「ユノさんのファーストキッスって、いつでしたか?」

 

俺は目をつむって過去の記憶をたどる。

 

「高校生...頃かな?

チャンミンちゃんは?」

 

「えー、聞きますかー?」

 

彼は両頬に手を当て、くねくねし出した。

 

「うふふふ、あのですね...」

 

その時、彼の言葉の続きが着信音に遮られた。

 

ハーフパンツのポケットを探ったが、俺の携帯電話はリビングにあるんだった。

 

彼もワンピースをまくり上げお尻の辺りを探っていたが、そこからスマートフォンを取り出して「もしもし」と応答している。

 

彼はワンピースの下にレギンスパンツを穿いており、そのウエストゴムにスマートフォンを挟んでいたようだった。

 

彼らしくてクスッとしていたら、

「えええっー!!」

 

彼の大声とその後のやり取りが緊迫していて、通話が終わるのをじりじりと待った。

 

「僕は今から出かけないといけません!!」

 

彼はそう宣言すると、大慌てで6畳間へ走っていく。

 

「チャンミンちゃん!」

 

俺も彼を追いかける。

 

「!!!」

 

余程慌てているのか、彼は俺に構わずテキパキと着替え出した。

 

イチゴ柄のショーツを穿いていた。

 

回れ右すればいいのに、俺はついつい観察してしまう。

 

「どうしたの?

ご家族に何かあった...とか?」

 

「そんなところです」

 

彼はTシャツとデニムパンツ姿になるとリュックサックを背負った。

 

「もうすぐ産まれそうなんですって。

お兄ちゃんのお嫁さんです」

 

「え!」

 

「お義姉さんが入院中は、僕が留守番を仰せつかってるんです。

ちっちゃい子が3人いるから、お兄ちゃんだけじゃ心配です。

今から病院に行ってきます」

 

「チャンミンちゃん!

病院までどうやって行くの?」

 

時刻は午前2時だ。

 

「タクシーです」

 

こんな時車を持っていたら、彼を送ってあげられるのに。

 

「しばらく朝ご飯を用意してあげられませんが、ちゃんとご飯を食べてからお仕事に行ってくださいね」

 

「じゃ」っと勇ましく片手を挙げた。

 

「待った!」

 

俺は彼の手首をつかんだ。

 

「俺も行く。

一緒に行くから」

 

「えー。

ユノさんが来ても、何の役にもたちませんよ。

病院でウロウロされても、迷惑ですよ?」

「違うって、チャンミンちゃんを送っていくの。

一人で行かせたら心配だから」

 

「僕は子供じゃありませんよ?」

 

「行く!

俺は行くと決めたから!

着がえるから3分待って!」

 

(つづく)