~チャンミン~
私を抱いてください私を抱いてください私を抱いてください私を抱いてください私を抱いてください私を抱いてください私を抱いてください...。
終業までのわずか1時間で、何度心の中で連呼しただろう。
キーボードを叩く指が止まるたび、隣席の後輩Sから「先輩!」とデスクをノックされた。
ついには「今夜、新しい彼女といいコトでもする予定なんすか?」と冷やかされ、「そんなところ」と正直に答えてしまった。
「うっわ~。
はあ...そうっすか
そりゃ頑張ってくださいね」
「うん...頑張る」
「明日は会議ですから、加減してきてくださいよ」
「ああ」
「先輩はもう、若くないんすからね」
「そうだね」
「彼女は若いんすか?」
「うん、ちょっとだけ」
素直に回答する僕を面白がって、Sの軽口もエスカレートした。
「可愛いっすか?」
「うん。
可愛い」
「うっわ~」
民ちゃんのメールで頭がおかしくなってしまった僕は、TPOを無視して凄い惚気を聞かせてしまっていることに気づいていなかった。
Sはぽわんと上の空な僕に呆れて、相手にするのを諦めたようだった。
「そんじゃ、楽しんできてください。
俺は資料まとめたら帰りますんで」
Sの方を見もせずに、僕は「お疲れさん」と言った。
僕の指はキーボードの上で浮いている。
『抱いてください』
民ちゃんの中で、心境の変化を起こさせるような出来事があったのだ。
ユンにおかしなことをされた可能性が思いつき、ムラムラと腹が立ってきた。
僕は男で、アレは初めてではないから、心の準備も身体の準備(?)も必要ない。
気を配らないといけないのは、民ちゃんが処女だということだ。
今の時代、童貞も処女も珍しい存在ではないらしいから、民ちゃんを天然記念物扱いをしたらいけない。
(恋愛自体が面倒で、自己処理で十分なのだそう)
けれども、お相手が普通の(という言い方は、民ちゃんに失礼だな、ははは)女性だった場合は、こうも身構えていなかった。
さて、経験のない民ちゃんにどう触れてあげればよいのやら。
(この言い方はいやらしいなぁ)
経験豊富なおっさんが、「優しく抱くから」と囁いて安心させる。
(いやらし過ぎて、とても口にできない)
...というほど、僕は経験豊富じゃない。
僕と言う男は、中の下くらいのテクニックで(多分)、絶倫でも性欲が薄いわけでもない。
アレすることは好きだけど、どちらかと言うと好きな人と一緒に過ごす時間を重要視するタイプだ。
究極を言えば、一緒に暮らしたい。
先に眠った彼女に毛布をかけてやり、先に目覚めた僕が彼女の髪を撫ぜる。
スーパーを一緒に買い物をしたり、彼女の洗濯物を畳み、深夜のコンビニエンスストアへ手を繋いで行く。
それから、遠く離れていても彼女の存在を意識している感じが夢だ。
リアの時は...そんな僕を本気で鬱陶しがったため、いわゆる家庭的な自分を封印するしかなかった...前の恋愛話はよそう。
今は恋愛の理想像を語る時ではない。
勢いと雰囲気に任せればいいものを、はっきりと「抱いてください」と頼まれると、身構えてしまうし、滅茶苦茶照れてしまう。
と、僕の心理状況をぐだぐだと説明してきた。
『19:00に僕の部屋でどう?
民ちゃんの家まで迎えにいくよ』とメールした。
『私の部屋でするんですか?
敷き布団ですよ?
膝が痛くなりませんか?』
「ぶはっ!」
民ちゃんの回答は無邪気なゆえに、あけすけだ。
『集合場所が民ちゃんのアパートっていう意味だよ。
何時がいい?』
『20:00でいいですか?』
『OK』と絵文字を送る。
『やっぱり、22:00にしていいですか』
『遅くない?』
『私も女ですもの。
女には、お風呂入ったり、その他いろいろと準備があるのです』
「......」
民ちゃんの意気込みが伝わってきて、僕の責任重大度が一段階アップした。
『お風呂はうちで入ったら?
そうすれば、集合時間を早められるよ?』
送信ボタンを押した直後、大胆なメール内容に赤面した。
(僕の部屋でお風呂って...)
民ちゃんからの返信がない。
デスクに携帯電話を置き、着信を待った。
15分後。
(きた!)
『わかりました。
チャンミンさんのお部屋でお風呂を借ります。
20:00に会いましょう』
終業チャイムが鳴る前にPCの電源を落とし、荷物を持って通用口で待機していた。
チャイムが鳴るなり退勤処理をした僕は、会社を飛び出した。
「急ぎの用でも?」と、誰かに尋ねられたら、「今夜は彼女とアレするんで!」と、正直に答えてしまいそうな自分が怖い。
・
民ちゃんとの集合時間は20:00。
場所は僕の部屋。
僕が帰宅できたのは18:45。
僕は几帳面な方だから、部屋は片付いている。
民ちゃんが僕の部屋に来るのは初めてなのだ。
民ちゃんの部屋でもよかったのだけど、余裕をもって進めたいから、僕のテリトリーが望ましい。
室内干しした洗濯物はクローゼットの中に放り込んだ。
シーツを交換し、風呂場の掃除をした。
タオルは十分あるし、古びたパンツを誤って穿かないよう、おろして間もない下着を用意した。
「え~っと、次は...」
洗面所の棚から例のBOXを取り、封を切った。
千切ったそれを、2個ほど枕の下に忍ばせ...。
(駄目だ!
その気まんまん過ぎる!
自分で自分に引く)
準備万端過ぎて、『チャンミンさんったら、えっちがしたくてしたくてしたくてたまらなかったのですね』と民ちゃんに突っ込まれるのだけは避けたい。
迷った末、TVキャビネットの引き出しに入れておくことにした。
(疲れた...)
僕は昂る気持ちだけで疲弊してしまい、クールダウンしようとベッドに腰掛け、そのまま後ろに倒れ込んだ。
その時、視界をかすめた掛け時計の指す時間に、飛び起きた。
19:55!!
まずい、遅刻してしまう。
僕はコートを羽織る間もなく、部屋を飛び出した。
(つづく)