(6)僕を食べてください★

 

 

オーダーしたハンバーグ定食を平らげている間、キキはシーザーサラダをフォークでつつきまわすだけで、その量は減っていかない。

 

「お腹が減っていたんだね」

 

キキは、食べる僕を微笑んで見つめているが、まぶたの下の瞳は揺らめきがなく、感情がない。

 

「美味しいか?」

 

「うん」

 

キキの指は、ロールパンをちぎっては皿に落とし、ちぎっては落とすばかりで、皿の上はパンくずの山が築かれていた。

 

「いらないの?」

 

「うん、今はいらない」

 

そう答えると、キキはサラダボウルを脇に押しやってしまった。

 

僕はそれを手元に引き寄せて、キキがぐちゃぐちゃにしてしまったサラダの残骸を、食べだした。

 

「キキは、どこから来たの?

旅行?

ここに引っ越してきたの?」

 

キキは、頬杖をついて食べ続ける僕を見つめるばかりだ。

 

「もったいぶらずに、教えてよ」

 

「そうね。

謎の女じゃ、チャンミンも気持ちが悪いだろうね。

私は、下見に来たんだ」

 

「ここに?」

 

「ええ」

 

「いいところだったら、ここに引っ越してくるってこと?」

 

「そんなところ」

 

「で、どう?」

 

「気に入ったよ。

条件をほぼ満たしているし」

 

僕は安堵した。

 

旅の途中だったら、キキは数日のうちにここを立ち去ってしまうだろうから。

 

キキは、テーブル越しに手を伸ばすと、僕の下唇を人差し指で拭った。

 

「こぼれてる」

 

ドレッシングのついた指を、僕の唇に押し入れた。

 

「!」

 

キキの細い指が僕の舌に触れた瞬間、思わず彼女の指に舌を絡めそうになった。

 

でも、公衆の面前だと気付いた僕は慌てて、レストラン内を見渡した。

 

昼食どきにはまだ早い、平日のファミリーレストラン内は、数組の客がいるだけだった。

 

周囲から、僕らは恋人同士に見えるだろうか?

 

そう見えたらいいな。

 

だってキキはとても綺麗だから。

 

 


 

昼間のうちにしなければならない用事を思い出した。

 

近隣市町村中の買い物事情を支える、生鮮食品も取り扱う巨大ドラッグストアへ、キキの車で向かった。

 

買い物カートを押して、缶ビール、野菜、調味料を次々と選んでいった。

 

そんな僕の後ろを、キキは興味深そうにフルーツ牛乳のパックやカラフルなグミのパッケージを手にとっては、元に戻している。

 

「欲しいものがあったら、入れていいよ」

 

「色合いがきれいだなぁ、って思って」

 

「サングラスをかけたままで、色が分かるんだ?」

 

可笑しくて吹き出すと、キキは不思議そうに僕を見上げた。

 

「チャンミン...やっと笑ったね」

 

そういえば、キキとまともな会話を交わしたのは、これが初めてだった。

 

返答の言葉が見つからなくて無言のまま、僕は精肉コーナーへカートを向けた。

 

豚にしようか鶏にしようか迷う僕の手元を、キキが覗き込んだ。

 

僕の二の腕に、キキの温かい息がかかって、鳥肌がたった。

 

キキの肌は冷たくひんやりとしているのに、唇の中はとても温かいんだ。

 

思い出した途端、じゅんと下腹部が痺れて、慌てていやらしい記憶を振り払う。

 

(僕ったら、こんなことばかり考えている!)

 

「豚か鶏か、ロースか手羽先か、迷ってるんだ」

 

ぴっちりラップで覆われた、ピンク色の生肉のトレーを両手に持って、キキに見せる。

 

「そうねぇ...どれも色が薄くて不味そうね。

あれはどう?」

 

切り口から真っ赤な血がしたたる、ローストビーフをキキは指さした。

 

「美味しそうだけど、予算オーバーだ。

キキの欲しい物はない?

レジに行くよ」

 

「欲しいものがある」

 

すたすた先を歩くキキを追いかける。

 

赤いワンピースの背中で揺れる柔らかい髪も、

 

黒いエナメルのバレエシューズを履いた細い脚も、

 

いずれもが僕の胸を、甘く切なく締め付ける。

 

廃工場の出来事に結び付けてしまう。

 

どうかしてる。

 

薬局コーナーの陳列棚の中から、キキは迷いなく見つけると、それを買い物カートに放り込んだ。

 

「!」

 

カートの中には、キャベツと肉のトレー、めんつゆと、3本の潤滑ローションのボトル。

 

「一度使ってみたかったんだ」

 

「......」

 

(使ってみたいって...僕相手にだろ?)

 

いやらしい妄想図が鮮明に浮かんだ。

 

眩暈がした。

 

店内の明るすぎる白い光に照らされたボトルが、カートの車輪の振動でカタカタと音をたてている。

 

「おーっす、チャンミン!」

 

前方から見知った顔が手を上げた

 

狭い町だ、遭遇してもおかしくない。

 

進学せず地元で就職した同級生の一人だった。

 

「元気か?」

 

「ああ、そっちは?」

 

「なんとかやってるよ。

彼女か?」

 

どう説明したらよいか分からずにいる僕をよそに、彼はキキに向かって会釈した。

 

「えっと...」

 

キキの方を振り向くと、彼に向けてお愛想たっぷりの微笑を浮かべていた。

 

「可愛い子だな」

 

「ま、まあね」

 

(僕とキキの関係はなんだ?)

 

ニヤつく彼の前に、僕は立ちはだかって、買い物カートの中身を見られないよう冷汗をかいていた。

 

「じゃあな」

 

同級生と別れて僕は、ため息をついた。

 

(焦った...)

 

 

キキの姿を探すと、水筒売り場でひとつひとつ手に取っては、真剣に物色中だった。

 

「キキ!

それが欲しいのなら買ってあげるから。

早く帰ろう」

 

 


 

 

山道の道幅は狭く、2台の車はすれ違えない。

 

そのため、退避場が何か所も設けられていて、そのひとつにキキはX5をガードレールぎりぎりまで寄せると、エンジンを切った。

 

キキがここに停車させた理由はわからないけれど、僕の身体はこれからのことを察知しているみたいだ。

 

 

だーんと、銃声が山に轟いた。

 

「猟銃の音か?」

 

キキは運転席のドアを開けると、僕にも降りるよう目で合図した。

 

「この辺りは獣害がひどいんだ。

人を恐れないから、たちが悪い。

夜は一人で外を歩くのは危ない」

 

車から降りた僕は、後部座席に座るようキキに促された。

 

猟犬たちの吠え声も響く。

 

子供の頃、はぐれた猟犬の一匹が自宅の庭をうろついていて、外出ができなかったことがあった。

 

「猟犬はな、ペットじゃないからな。

絶対に外へ出るんじゃないよ」

 

ばあちゃんはそう言って、犬が迷いこんでいるとどこかに電話をかけていたっけ。

 

身体が大きくて、愛玩犬とは違う獰猛な目と、牙がむき出しのよだれだらけの大きな口に、怯えていた。

 

「銃殺した獣は、食用には卸せないらしいね」

 

広々としたX5の後部座席に、深く腰をかけると、キキも僕の隣に乗り込んだ。

 

「自宅で食べる分には構わないけど、お金がからむような場合は、罠猟のものじゃないといけないんだそうだね」

 

「へえ。

そういえば、うちの近くに処理場が出来たんだ、ジビエ料理用の」

 

「らしいね。

散歩してた時見かけた。

 

死んで1時間以内に血抜きをしないと、使い物にならないそうだね」

 

「じゃあ、処理場ってのは血抜きのための場所か」

 

僕と会話を続けながら、キキは僕のスニーカーと靴下を脱がせにかかっていた。

 

「キキ!

何するんだ...あっ...」

 

裸足の僕の親指をキキが口に含んだ。

 

「駄目だってっ!

汚い..って...はっ...!」

 

キキの口内で僕の親指が、丹念に舐め上げられた。

 

温かくて柔らかいキキの舌が、指と指の間をたどる。

 

「ふっ...」

 

僕は甘くて切ないため息を漏らす。

 

くすぐったいのに、ゾクゾクと背筋を走る

 

足の指を舐められるのが、こんなに気持ちがいいなんて。

 

薬指と小指の間に舌が這わされたとき、身震いした。

 

足指の愛撫を終えたキキは、唾液で濡れた唇を手の甲で拭うと、

 

「もう勃ってる」

 

と、僕のデニムパンツの股間部分に手の平を乗せた。

 

ひと撫でだけで僕の腰がぴくりと震える。

 

僕のものの形がくっきりと浮かんだそこを、ちらりと見やったキキは、

 

「服を脱いで」

と、僕に命じた。

 

キキに狂っている僕は、応じる。

 

贅沢で高級なシートに腰掛けた僕は、デニムパンツも下着も全部脱いだ。

 

ハザードランプを点けて停車したX5の脇を、時折車が通り過ぎる。

 

真っ黒なスモークが貼られた後部座席は、覗き込まない限り車内で何が行われているか見られることはないだろうけれど。

 

昼間に、いつ誰かにのぞかれるかもしれない車内で、裸になって。

 

「チャンミン...興奮しているね」

 

僕ときたら、一体何をやってるんだ?

 

「誰かに見られるかもしれないよ」

 

僕はいつから羞恥プレイを好むようになったんだ?

 

「こんなに大きくしちゃって。

...いやらしいね、チャンミン」

 

キキによって、3回イカされた僕。

 

そのいずれもキキは着衣のままで、彼女の素肌を拝めなかったばかりか、生肌に触れることも許されていなかった。

 

僕はキキの胸に、腰に、脚に直接手を触れ、彼女のくぼみや膨らみに指を滑らせたかった。

 

そうしようと思えばできたはずだけど、僕の力では到底抗えないキキの馬鹿力と、鋭利な眼光を前にすると、間抜けな“でくの坊”になってしまうのだった。

 

キキから一方的に与えられる快楽に溺れている僕だけど、いい加減、彼女と一体になって、性の悦びを堪能したくなってきていた。

 

キキはそそり立った僕のものを、ゆらゆらと揺らした。

 

キキの指が僕の先端から放すと、糸が引く。

 

「挿れたいか?」と僕に問う。

 

「ああ」

 

拒むわけない、僕が待ち望んでいることだから。

 

欲の炎でぎらついた目をしたキキは、口元だけで笑うとするっと下着をとった。

 

そして、スカートを履いたまま僕の膝にまたがった。

 

キキのあごをつまんで唇を開かせると、舌を伸ばして彼女の口内を探った。

 

キキは僕の根元を持つと、入口に当てがった。

 

ぬるぬると亀頭を滑らすばかりだから、焦れた僕はキキの腰をつかんで引き落とそうとした。

 

「わかったよ。

慌てないで」

 

スカートのせいで、肝心な箇所が見えない。

 

キキはゆっくりと、腰を落とした。

 

「はっ...あぁっ...」

 

僕のものがずぶずぶと、キキの体内に沈み込んでいくのと同時に、喉の奥から快感の呻きがこぼれた。

 

(ヤバイ...気持ちがよすぎて...狂いそうだ)

 

キキの体内は温かくて、

 

キキの体内にみっちりと埋もれて、

 

快感にゾクゾクと身体が震える。

 

キキから甘い甘い香りが漂う。

 

スカートで覆われていて、僕らの結合部は見えない。

 

しばらくの間、繋がった状態を堪能した。

 

身を反らしたキキが僕の膝頭に両手を突っ張って身体を支えると、腰をくねらせ始めた。

 

「あっ...はっ...あ...」

 

ねっとりとしたその動きに合わせて、閃光のような快感が背筋を走る。

 

 

キキの腰をつかんで、僕は高く突き上げた。

 

その度、強すぎる快感が走って頭の芯がしびれる。

 

「ふっ」

 

僕の乳首に伸びたキキの手をつかんで、制した。

 

(これ以上の刺激は、まずい)

 

「イきそうっ...!」

 

「もう?」

 

気持ちよすぎて、僕の唇の端から唾液が垂れてきた。

 

「早いね。

そんなに気持ちいいの?」

 

顎までつたった僕の唾液をキキは舌で舐めとると、僕の唇を隙間なく覆った。

 

「んんっ!」

 

窒息しそうな状態だと、僕の快感がより増すことをキキは知っている。

 

「んっ」

 

視界が真っ白になって、小さな星がまぶたの裏でチカチカ瞬く。

 

「いっ...きそう」

 

首を振って、キキのキスから逃れた。

 

間近に迫ったキキの紺碧色の瞳と目が合い、はっとした。

 

このままじゃ、彼女の中で達してしまう。

 

コンドームをつけていない。

 

「駄目っ...だか...ら」

 

キキの腰をつかんで、僕の上からどかそうとした。

 

しかし、キキの腰はびくともせず、僕の動きに合わせて僕を煽った。

 

「駄目だよっ...

中で、出しちゃうから」

 

キキの中で出したらいけない、出したらいけない、出したらいけない。

 

「駄目だって...キキっ!

どい...てっ!」

 

「妊娠しないから、安心しなさい」

 

キキがそう言い終えるやいなや、

 

「...あっ...あぁぁぁ!」

 

かすれた悲鳴と共に、僕は射精した。

 

2日の間に、よくもこう出せるものだと驚くくらい、放出しきるまで何度も痙攣を繰り返した。

 

 

初めての挿入に、僕は1分ももたずに達してしまったのだった。

 

 

キキの肩に頭をもたせかけ、僕は息も絶え絶えだった。

 

「チャンミン...あなた、童貞でしょ?」

 

ずばり聞かれて、一瞬の間をおいて、僕は頷いた。

 

 


 

「チャンミンはいつまでここにいる?」

 

今になって、自分は帰省中の身で、4日後には寮に戻らなくてはならないことを思い出した。

 

キキと会えるのはあと3日。

 

「3日もあるのね。

ふふふ。

たくさん愛し合いましょうね」

 

キキは僕の額にキスをした。

 

僕は、膝にまたがるキキを深く抱きしめた。

 

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”27″ ]

【3】甘い余韻ー僕を食べてくださいー

 

 

手のひらで湯面をなでる音だけが、狭い浴室に響く。

 

半日前の出来事は、夢みたいだったけれど、熱いお湯にしみる胸の先端が、あれは現実だったと教えてくれる。

 

透明なお湯の中で、赤く色づいたそこは自分のものなのに色っぽい。

 

腫れあがってひりひりする痛みすら、甘い余韻だ。

 

「あ」

 

疼きを覚えて股間に目をやると、ゆらめくお湯の中で僕のものが、軽く勃ちあがっていた。

 

あの時の余韻を思い出しただけで、これだもの。

 

強烈過ぎた。

 

我慢できずに、ゆるゆるとしごいていた。

 

彼女の手の感触を思い出そうとする。

 

僕のものを握った、ひんやりとした白い指を思い出す。

 

彼女は僕の背後から手を伸ばしていたから、姿は見えなかった。

 

巧みに指をうごめかせて、僕のものを前後させていたあの手を思い出す。

 

「はぁ...」

 

刺激が足りなくて、湯船から上がる。

 

大きく張り詰めたものを、ボディソープを広げた手の平で上下する。

 

滑りがよくなって、快感が増した。

 

「あ...」

 

あの時の刺激を再現しようとした。

 

目をつむって、思い出す。

 

身をよじって、はしたない声を漏らしていた僕を。

 

彼女の爪先が、僕の乳首にひっかけられて、きゅんと走った疼きを。

 

叩かれた尻の熱さを。

 

「可愛いよ」

 

「チャンミンは...いやらしい子」

 

耳元でささやかれた言葉。

 

ゾクゾクした。

 

往復するごとに、大きく硬く育ってきた。

 

「は...あ...」

 

ワンピースに覆われていた身体を想像する。

 

ワンピースを脱がせてあらわになった、彼女の裸を想像した。

 

僕の動きに合わせて揺れる胸と、つんと尖って固くなったその先端を僕は口に含む。

 

僕を舌なめずりするかのように見ていた目が、快楽に酔ってとろんとしたものに変化して。

 

彼女の両足を大きく割った箇所に、僕のものを深くうずめる...。

 

「んっ...」

 

往復する僕の手の加速が増した。

 

「ふっ!」

 

目をつむって天井を仰ぐ。

 

無音の浴室では、僕の股間からたてる、くちゅくちゅいう音だけが響いている。

 

しごく手の速度が、もっと増す。

 

「あっ...あぁっ...!」

 

絶頂の末、精液を吐き出した。

 

「はぁはぁ」

 

肩を揺らして、息を整えた後、シャワーで泡やら白濁した粘液やら洗い流していると、

 

突然、脱衣所から声をかけられた。

 

「チャンミン、着替えを置いとくよ」

 

一気に現実に引き戻された。

 

「あ、ありがとう」

 

「はあ」

 

前髪から汗混じりの水が、ぽたぽた落ちていた。

 

駄目だ。

 

まだまだ、足りない。

 

全然、足りない。

 

 


 

 

突然帰省してきた僕に、ばあちゃんは目を丸くした後、くしゃくしゃにした笑顔で僕を家に招き入れてくれた。

 

ばあちゃんの家は、すぐ側まで木々が迫る山すそにある。

 

褪せたトタン屋根と、ペンキの剥げた羽目板壁の古い建物だ。

 

ばあちゃんの家でもあるし、僕の家でもあるこの古い家が、子供の頃恥ずかしかった。

 

僕は、18歳でこの家を出るまでばあちゃんと2人暮らしだった。

 

僕が小学生だった時、両親を交通事故で亡くして以来、ばあちゃんが僕を育ててくれた。

 

ばあちゃんが唯一の家族だ。

 

「チャンミン、口をどうした?」

 

「あ...」

 

僕の唇を指さすばあちゃんの心配そうな表情を見て、ちょっとした罪悪感に襲われた。

 

「ぶつけたんだ。

大丈夫だよ」

 

まさか、女の人に噛まれたなんて言えないよ。

 

キキに噛まれた唇は、血は止まっているけれど、喋るたびピリッと痛みが走る。

 

 

 


 

 

「ごめんなさいね」

 

そう言って、帰り際、キキが唇に軟膏を塗ってくれたんだっけ。

 

僕の唇に触れる、彼女の薬指が色っぽくて、ごくりと喉を鳴らしてしまった。

 

湿ったままの洋服を身に着ける間、キキはマットレスに腰かけ、じーっと僕を観察していた。

 

テーブル代わりのケーブルドラムの上に置いた、紙カップのストローを時おりくわえていた。

 

ごくごくと動く白い喉に目を離せなくて、僕の方もちらちらと彼女のことを観察していた。

 

いくつ位だろうか。

 

僕と同じくらいか、ちょっと上か。

 

身体が泳ぐくらいだぼっとしたワンピースを着ているけれど、裾から伸びる手首や足首の感じから、きゅっと引き締まった身体をしているに違いない。

 

僕に触れさせなかった身体。

 

僕と視線がぶつかると、キキはあでやかな笑顔を見せた。

 

「そんなに見つめられると溶けちゃうよ」

 

つい30分前まで、このマットレスの上で行われていたことが、夢みたいだった。

 

それくらい、彼女の表情は穏やかだった。

 

あの時の、獰猛なぎらついた目が信じられない。

 

今の瞳の色は、青みがかった墨色。

 

最中の時、もっと明るい青色だったような...気のせいだったか?

 

彼女を見て、異常なまでの性欲に襲われて押し倒そうとして、

 

僕ひとりが裸で、大の字になって、四つん這いにされて、

 

僕ひとりが、嬌声をあげて、彼女に導かれるまま射精した。

 

あられもない姿を晒した。

 

めちゃくちゃ興奮した。

 

とにかく気持ちよかった。

 

「気をつけて帰りなさいね」

 

シャッター前まで見送りに出たキキは優しくそう言って、何度もふり返る僕に手を振ってくれた。

 

 

 

 

雨は上がっていた。

 

時刻はまだ夕方前だったから、廃工場にいたのはわずか3時間ほどか。

 

ばあちゃんの家への続く、下草はびこる小道を湿ったスニーカーで歩きながら、思いを巡らす。

 

廃工場の外に出て、そこが近所の見知った建物であったことを知った。

 

何年も前に廃業した鉄工所で、山道から繋がる砂利道が生い茂る雑草で覆われている。

 

彼女はここに住んでいるのか?

 

まさか。

 

電気も通っていないはず。

 

野宿するよりも、雨露しのげるここを一晩の宿代わりに?

 

わざわざここに?

 

クエスチョンが、次々と湧いてくる。

 

今になって、常識的な思考が戻ってきた。

 

キキって一体、何者なんだ?

 

彼女が言っていたように、

 

「美味しそう」だったから拉致して、

 

僕を弄ぶという形で「食べた」のか?

 

じゃあ、「育てる」って?

 

僕の中に潜むマゾっ気を育てるってことかな。

 

まさか!

 

なんだか、頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。

 

ひとつだけはっきり言えるのは、

 

このことを、僕が望んでいるってことだ。

 

もう一度、味わいたい。

 

キキに触られ、舐められて、僕は恍惚の世界を縁から覗きこんだ。

 

身を乗り出して、その世界に飛び込んで、底まで沈みたい。

 

そんな考えを悶々と巡らしているうちに、ばあちゃんちの前にたどり着いていた。

 

 


 

 

「急だったから、何もご馳走を用意してやれなくてごめんな」

 

「ばあちゃんが作ったカレーは好物だよ」

 

ばあちゃんの作ったカレーは、大きめに切った野菜がごろごろ入っていて、肉の代わりにツナ缶を入れた素朴な味だ。

 

大食いの僕のために、大きな鍋いっぱいにカレーを作ってくれた。

 

「明日、ビールでも買ってこようかね?」

 

「いいよ、わざわざ」

 

ばあちゃんも年をとった。

 

前回帰省した時から3か月も経っていないのに、また小さく縮んだように見える。

 

「明日、僕が買いに行ってくるよ.

車を貸して」

 

ばあちゃんが買い物に使う軽自動車のことだ。

 

この辺りは、車がないと生活が出来ない。

 

「ありがとね」

 

「あと4日間はいるからさ、僕にできることはやるよ。

何か、力作業はある?」

 

「そうだねぇ、

車庫の中を片付けているんだよ。

雨漏りがしてね、屋根が。

車庫ん中に置いてたものが濡れるから、家ん中に移してる途中なんだよ」

 

「わかった。

僕に任せてよ」

 

「そうだ。

Sさんから猪肉をもらったんだよ。

冷凍庫にあるから、明日の夜、鍋にしようか?」

 

「猪肉?

この季節に、鍋?」

 

「猟師の有志で、処理場を建てたんだとさ。

最近は、ジビなんとかが流行りだそうだよ」

 

「ジビエ?」

 

「そうそう、ジビエ料理。

観光客を呼ぼうと、町も必死なんだよ」

 

「そうなんだ」

 

ばあちゃんと会話を交わしながら、僕の頭の中はセックスのことでいっぱいだった。

 

僕くらいの年の男なんて、こんなものなんだろうけど、今夜は度が過ぎている。

 

 

やばい。

 

スウェットパンツを、僕のものがくっきりと押し上げてきた。

 

ばあちゃんに気付かれないよう、背を向けて席を立ち食器を片付けると、まっすぐ自室へ向かった。

 

自慰では、足りない。

 

全然足りなかった。

 

 


 

 

翌朝、そそくさと朝食を終えると、僕はあの廃工場へ向かっていた。

 

雨の山道で、突き倒された時の僕はまさしく獲物で、

 

廃工場で、指だけでイかされた僕も、やっぱり彼女の獲物だった。

 

恐怖におののくどころか、滅茶苦茶にされたいと望んでいた。

 

僕は、喜んで彼女に身体を差し出すよ。

 

貪られたかった

 

快楽に狂いかけていた。

 

 

[maxbutton id=”27″ ]

【2】抑えられないー僕を食べてください

 

 

~抑えられない~

 

 

「服を着なさい」

 

彼女に命じられても、僕は湧きあがった欲情を止められない。

 

気付くと僕は、彼女の肩を押さえて押し倒していた

 

彼女の首筋に唇を這わせようとした瞬間、彼女の手が伸び、火照った僕の首をわしづかみにした。

 

僕の喉ぼとけが、冷たい手の平で圧迫される。

 

「この辺で止めておきなさい。

本当にあなたを食べてしまう」

 

彼女が放つ甘い香りが、僕の欲情を煽る。

 

僕の真下から見上げる、紺色になった彼女の瞳に色気を感じていた。

 

瞳の色の変化を、不思議に思う余裕がなかった。

 

彼女のワンピースを脱がせにかかる。

 

気が急きすぎて胸元のボタンが外せず、イラついた僕は、ワンピースの裾をまくし上げようとした。

 

すると、彼女は僕の手首をつかんで、僕の動きを制した。

 

なんて力だ。

 

ふりほどこうとしても、彼女の力の方が勝っていた。

 

「どうなっても知らないよ」

 

「あっ!」

 

やすやすと僕は仰向けにされてしまった。

 

彼女は僕の腹の上に、膝立ちでまたがる。

 

僕の顎は再び捉われて、斜めに頬を傾けた彼女の口で塞がれた。

 

あまりに強い指の力に屈して、口を開けるとその隙間から彼女の舌が侵入してきた。

 

今度は唇を甘噛みされた。

 

ぴりっとした痛みの後、僕の口内を出入りする彼女の舌を通して、血の味が口いっぱいに広がる。

 

僕の唇が、舌でなぞられた。

 

僕の唾液と血でてらてらと光った彼女の唇に、強烈な色気を感じてごくりと僕の喉がなった。

 

たまらず彼女の胸に手を伸ばそうとした瞬間、僕の手はぴしゃりとはねのけられた。

 

「私に触るんじゃない」

 

ひるんだ僕は、大人しく腕をマットレスの上に落とす。

 

彼女は僕を見すえたまま、僕の胸の先端をもてあそび始めた。

 

触れるか触れないかのタッチで、乳首の上を行ったり来たりする。

 

じんじんと疼く。

 

彼女の人差し指と親指でつままれた瞬間、

 

「あっ...」

 

と声が出てしまった。

 

自分の口から洩れた、かすれた甘い声音に僕は驚く。

 

僕の反応に、彼女はふり返って僕の下半身を確認すると、満足そうな微笑みを見せた。

 

そして、顔を伏せると、僕の乳首を口に含んだ。

 

ゆるゆると舌先で転がし始める。

 

「んっ」

 

彼女の長い髪がさらさらと、僕の胸や腹をかする感触さえ、僕を怒張させる刺激になった。

 

彼女の舌が往復するたび、じんじんと下半身が疼く。

 

先ほどの冷たかった彼女の唇が、熱くなっていた。

 

ちろちろとくすぐったかと思うと、時折強く吸った。

 

「うっ...!」

 

その度、僕の呼吸が荒くなる。

 

(たった...これだけで...頭が真っ白になる!)

 

僕のを舐めながらも、彼女は僕から目をそらさない。

 

「...はっ...!」

 

きゅっと少し強めにつままれる度に、声がもれ出る。

 

(ヤバい...気持ちがいい)

 

「やっ...!」

 

軽く歯をあてられる度に、短い悲鳴が出てしまう。

 

「声出しちゃって...気持ちいいの?」

 

首を縦にふる。

 

敏感になった乳首が、強弱をつけて執拗にいじめられた。

 

僕の全神経が胸の一点に集中してしまっている。

 

「こんなに乳首を立たせて。

チャンミンは敏感なのね。

可愛い」

 

そう言うと、僕の乳首をぴんとはじいた。

 

「あっ...」

 

 

今、自分が置かれている、奇妙で理解不能な状況のことなんか、吹っ飛んでしまった。

 

僕の思考は、めくるめく陶酔の泥の底。

 

両手足の動きを封じられてもいないにも関わらず、僕は仰向けのまま‘でくの坊’になって、快感の吐息を漏らすだけだった。

 

胸しか触られていないのに、僕の下腹部のうずきは最高潮だった。

 

いじられているのは、左胸の片方だけ。

 

彼女に指一本触れていないのに、どうしてこんなに興奮してしまうんだ?

 

彼女の神秘的な容貌と、全身から放たれる香気に酔った僕は、みだらな世界にずぶずぶと溺れてしまった。

 

山道で襲われ、

 

廃工場に連れてこられ、

 

脱がされ、

 

得体のしれない女に、馬乗りになられて、

 

欲情の吐息を漏らす僕。

 

もっともっと、触って欲しい。

 

もっともっと、僕を舐めて欲しい。

 

 


 

 

彼女の手が背後に伸び、そっと僕のものを握った。

 

「あっ...!」

 

僕の体がはねる。

 

「素直な反応だこと」

 

僕を見下ろしながら、くすくすと笑った。

 

「可愛い」

 

じくじくと乳首だけを攻められている間に、僕のものははち切れそうになっていた。

 

彼女の指先が羽のように、下着の上から僕の形をなぞった。

 

「はぁ...っ!」

 

目がくらむような快感が、僕の頭のてっぺんまで突き抜けた。

 

「触って欲しかったんでしょう?」

 

僕は頷く。

 

根元から先端までつつーっと爪先を滑らす。

 

「うっ...」

 

手のひらをくぼませて、僕の先端をくるくると撫で回す。

 

「やっ...」

 

呼吸もままならないほど、あえいでしまう。

 

手だけなのに。

 

手で触れられているだけなのに。

 

彼女の指が、僕の形に沿って、強弱をつけて撫で上げたり、撫でおろしたりするだけで、身体が震えた。

 

彼女の念入りな愛撫に、僕のいやらしい粘液があふれ出る。

 

「こんなに濡らしちゃって」

 

羽のような感触だけでは物足らなくて、知らぬ間に僕は腰を揺らしていた。

 

「チャンミンったら、自分から動かしちゃって」

 

彼女の手の平に股間をこすり付けていた。

 

布越しの感触だけじゃ、物足りない。

 

「もっと触って欲しい?」

 

こくこくと頷いた。

 

「挿れたいの?」

 

こくこくと頷いた。

 

ふふっと笑った彼女は、僕をうつ伏せにすると腰を高く持ち上げた。

 

(え?)

 

抵抗もせず、彼女になされるがまま従ってしまう僕。

 

四つん這いにされて戸惑った。

 

僕の下着を膝まで引き下ろすと、僕の背後から手を伸ばして僕のを握り、ゆるゆるとその手を動かす。

 

「うぅ...」

 

直接触れた彼女の手の平が、あまりに気持ちよくて、涙が滲んできた。

 

僕の先端から次々と、あふれ出るものでぬるつかせながら、上下にしごきだした。

 

僕の腰が勝手に前後に動きだす。

 

「いやらしい子ね」

 

彼女の言葉に、僕は煽られる。

 

「チャンミンは...いやらしい子」

 

耳元でささやかれる言葉に興奮した。

 

僕の動きに合わせて彼女の指が、前後にしごく。

 

「ふっ...」

 

彼女の指は強弱をつけて握ったり、ぬるついた先端だけを小刻みに動かした。

 

「っあ...」

 

彼女の手の中で、僕のものはさらに大きく張り詰める。

 

僕の顔を横から覗き込み、彼女はどう猛な笑みを浮かべた。

 

僕は彼女の獲物だ。

 

もう片方の手を、僕の背筋を滑らせる。

 

「は...あぁ...」

 

その感触だけで、鳥肌がたつ。

 

あえぐたび、彼女は僕の首筋に唇をあて、耳たぶまで舌を這わせる。

 

「チャンミン...可愛いよ」

 

耳元でささやかれたのに反応して、熱く硬くなる。

 

彼女を押し倒すこともせず、僕は四つん這いのまま熱い吐息をこぼすだけだ。

 

金縛りにあったかのように、僕の両手、両膝は動かせない。

 

「はあはあ」

 

快感のあまり、がくりと肩を落としてしまった。

 

(気持ちよすぎる...)

 

マットレスに片頬を押し付けて、だらしなく口を開けて。

 

腰を突き上げた格好という、恥ずかしい姿勢で。

 

その背の上に彼女は身体をもたせかけ、前にまわした片手で僕の胸を攻め始める。

 

下半身も胸も、同時進行で与えられる刺激に目がくらんで、僕はギュッと目をつむった。

 

(もう...限界だ)

 

彼女は僕の尻をつかむと、前後に揺らし始めた。

 

「もっと腰を動かしなさい」

 

耳元でささやくと、ぴしゃりと僕の尻を叩いた。

 

お尻はカッと熱くなるし、

 

腰を動かすたび目がくらむほどの快感が全身を走るし、

 

乳首をさんざんいたぶられて、

 

もう自分が何をされているのか、分からなくなっていた。

 

頭がくらくらしてきた。

 

つむったまぶたの奥で、光がチカチカ瞬く。

 

僕のあごをつかむと、唇を重ねてきた。

 

彼女の舌を追いかける。

 

彼女に触れられる唯一の入口だ。

 

下腹部が重ったるくしびれてきた。

 

「あ...」

 

(駄目だ...もう)

 

唇を離して、快楽に集中する。

 

「いくっ」

 

彼女の手の動きが、激しくなってきた。

 

「いっ...っく...!」

 

下腹部が弓なりに、けいれんした。

 

「いっ...いくっ...!」

 

僕は激しく射精した。

 

「あっ...」

 

2度3度と続いたけいれんに合わせて、僕の精液が吐き出される。

 

 

「はあはあはあはあ」

 

 

僕は突っ伏した。

 

僕は彼女の手の動きだけで、達してしまったのだった。

 

 


 

 

快感の余韻と虚脱感で力が入らない僕の腰を、彼女は引き上げた。

 

再び僕は四つん這いにされた。

 

肩を落として、荒い息を繰り返す僕をそのままに、彼女は僕の尻の割れ目に指をあてると、すーっと前から後ろへ撫でる。

 

「あっ」

 

指先で、敏感な箇所をつついた。

 

経験したことのない痺れが、下腹部を襲う。

 

「開発のしがいがあるわね」

 

彼女はくすくす笑った。

 

 

 


 

 

くったりとマットレスの上で、クの字になって横になっていた。

 

さんざんいたぶられた胸の先端が、熱を帯びていた。

 

全裸の僕と、ワンピースを着た彼女。

 

僕の脇に座った彼女は、僕の髪を何度もかきあげていた。

 

彼女の指の間に、髪がすかれる感じが気持ちがいい。

 

膝まで下げられたショーツが、引き上げられた。

 

さっき僕が濡らした箇所が、冷やりと張り付いた。

 

「風邪をひいちゃうわね」

 

マットレスの足元で丸まっていた僕のTシャツを、背中にかけてくれた。

 

「自己紹介が遅れたわね、

私はキキ」

 

僕の前に片手が差し出され、その手を握った。

 

「よろしくね」

 

群青色に澄み、凪いだ湖のように穏やかな彼女の瞳に、僕は魅入られていた。

 

 

 

 

[maxbutton id=”27″ ]

(後編)男と男、25歳と50歳

 

 

この二人に肉体関係はなかった。

 

「セックスはできないけど、いいのですか?」

 

付き合って欲しいとユノがチャンミンに告白した日の、チャンミンの言葉だった。

 

「俺が若すぎるから?」

 

できない事情があるのだろうと思ったが、ユノはチャンミンを試すような質問で返した。

 

「僕はセックスが嫌いなんだ。

...嫌い、というか、いろいろと支障があってね」

 

悲し気な表情でチャンミンはそう言った。

 

「僕に問題がなかったとしても...。

裸になって抱き合って、アソコとアソコを繋げることに何の意味がありますか?」

 

そういうことにほとほと嫌気がさしていたユノは、「同感だ」と頷いた。

 

「僕といると溜まりますよ?

ムラムラしませんか?」

 

「そうだなぁ。

ムラムラっとするけど、その子とどうこうしたいとは思わないね。

自分で処理した方が、うんと気持ちがいい」

 

「ふぅん。

ユノは変わってる子ですね」

 

「俺に限らず、そういう人は一定割合でいると思うよ。

セックスが全てじゃあないよ」

 

「同感です」と言って、チャンミンはユノの方へ片手を差し伸ばした。

 

「俺は...」

 

ユノはチャンミンの手をぎゅっと握った。

 

「これくらいがちょうどいい」

 

「僕も」と、チャンミンは微笑んだ。

 

 

 

 

チャンミンは一度だけ、ユノをひどく怒らせたことがあった。

 

交際を始めてまだ日の浅かった頃、チャンミンは知り合いの娘をユノに紹介したのだ。

 

「ユノにぴったりだと思って。

お似合いです」

 

気取った感じのレストランで、案内されたテーブルで女の子を紹介され、ユノのワクワクした気持ちが一気にしぼんだ。

 

3人で食事をした後、女の子の家まで送るようにと2人をタクシーに押し込み、ユノの手に紙幣を握らせた。

 

タクシーを見送ったチャンミンは、「これでよかったんだ」とつぶやいた。

 

ユノと交際するようになってから、足が遠のいていた気に入りのバーで、気に入りの席につく。

 

ユノのような溌剌とした若者は、こんな店は似合わない。

 

ヤニで黄ばんだ時代遅れのポスター、薄暗く、何度も書き直されたメニュー、べたべたするテーブル、古くて汚い店内だけれど、美味しいおつまみを出してくれる店。

 

今ここでタバコが吸えたらサマになるのにな。

 

代わりに野菜スティックを齧る。

 

「これでよかったんだ」と何度もつぶやいた。

 

当時のチャンミンが、恐れていたこと。

 

ユノが...。

 

いつか自分を捨てて、若い子の元へ行ってしまうのかと、怯える毎日は御免だ。

 

それならば、自分からお膳立てしてやったほうが、うんとマシだ。

 

これでよかったんだ。

 

閉店までグラスを重ねたチャンミンは、ふらつく足どりで帰宅した。

 

霧のような雨が降っていて、息が白い。

 

「...ユノ...!」

 

門扉にもたれて両膝を抱えて座る美しい青年、ユノがいた。

 

「いつから居たの?」

 

髪がしっとりと濡れていて、唇が震えていた。

 

まだ一緒に暮らしていなかった頃だ。

 

ユノは突き刺すように鋭い眼光で、チャンミンを睨んだ。

 

「...二度とするな」

 

押し殺した低い声だった。

 

「......」

 

「ああいうことは、大嫌いなんだ」

 

チャンミンはユノの手を引いて立ち上がらせた。

 

氷のように冷たい指だった。

 

チャンミンは照明をつけ、石油ストーブをつけ、お湯を沸かした。

 

「ユノはどうして僕に構うの?

ユノからしたら、僕はおじさんですよ?」

 

湯気立つ紅茶のマグカップをユノに手渡した。

 

「おじさん、なんて言うな。

俺はおっさんと付き合ってるつもりはない。

世間一般的には、おっさんかもしれないけど」

 

「そうですね」

 

「チャンミンは、あのまま俺と別れるつもりだったんだろ?

俺とあの女の子をくっ付けて」

 

「だって...」と言いかけたが、チャンミンは口を閉じた。

 

若いこの子に、年老いていく恐怖を語っても何一つ理解できないだろう、と思ったからだ。

 

湖で羽を休める渡り鳥。

 

いつ、彼方へ飛び立ってしまうのだろうと、湖畔から怯えながら見守る僕。

 

僕の片手には、鳥籠がぶら下がっている。

 

ユノだったら...喜んで籠に入るだろう。

 

...出来ない。

 

出来なかったから、代わりに空砲を打った。

 

遠く彼方へ飛んでいきなさい。

 

ユノは飛び立たなかった。

 

自ら風切羽根を切ったのだ。

 

 

 

 

代わりに「二度としない」と約束した。

 

そこでようやくユノは笑顔を見せたのだった。

 

 

 

「何の本を読んでいるの?」

 

チャンミンとユノのいつもの日課、就寝前のお楽しみ。

 

ベッドに入って、思い思いのことをして過ごす時間。

 

静かで平和なひととき。

 

「『ヘンリ・ライクロフトの私記』。

架空の人物のエッセイです」

 

「面白いの?」

 

「だらだらと、ヘンリが死ぬまでの日々や思いを書き綴った本です。

身の回りのものひとつひとつを細かく描写していてね。

主人公は身近のものごとを、1つ1つ見逃さないで、1つ1つコメントしながら暮らしているんです」

 

「じゃあ、その人の毎日はさぞ楽しいだろうね」

 

チャンミンの性質を知っていたユノはそう言った。

 

チャンミンといてユノが感心すること。

 

それは、チャンミンが日々漏らすつぶやきが的確で、辛辣なときもあるが、そこに悪意が込められていないこと。

 

「そういう生活を送りたいです。

気楽にのんびりと。

大きな事件もなく退屈なんだけど、1日をかみしめるように大事に生きたい」

 

「俺とそういう風に暮らしたらいいじゃないか?」

 

「もう暮らしてるでしょう?」

 

「ははは、そうだね」

 

雑誌をナイトテーブルに伏せると、ユノは布団にもぐり込んだ。

 

「チャンミン...。

長生きしてね」

 

チャンミンのお腹に抱きつくと、頬をこすりつけた。

 

「口が悪い子ですね。

そこまで年寄じゃないですよ」

 

「俺も早く、おっさんになりたい」

 

「僕の方が先に死んでしまいますよ?」

 

「注意深く生きていれば、長生きできるよ。

でね、俺たちはほぼ同じ時期に、あの世に逝けるよ、きっと」

 

「そうなったら、素敵ですね」

 

「チャンミンが死ぬまで、俺は側にいるからね。

だから、チャンミンも俺の側にいて」

 

「いますよ」

 

チャンミンはユノの頭を優しく撫ぜた。

 

ユノのことが愛おしくて仕方なかった。

 

いつの間にかこの若者に、深い愛情を抱いていたんだ、と思った。

 

「長生きしますよ」

 

「もし、チャンミンが先に死んでしまったら。

俺も後を追うよ。

毒を飲んで」

 

「怖いことを言うんですね。

そういう仮定の話は、やめましょうね」

 

「うん。

ごめんね」

 

ユノは頭をチャンミンの胸に預け、彼の力強く打つ鼓動を聞いていた。

 

「俺はこの人が大好きなんだ。

泣きそうになるくらい、大好きなんだ」と強く思った。

 

 

(おしまい)

 

 

[maxbutton id=”23″ ]

 

【前編】男と男、25歳と30歳

 

 

「俺が持つよ」

 

片手がふっと軽くなり、隣を見上げるとにっこり笑ったユノと目が合った。

 

「ありがとう」

 

「チャンミンに重いものを持たせられないよ」

 

ユノに取り上げられたその袋には、ミネラルウォーターのボトルがが2本入っているだけだった。

 

「僕を年寄り扱いしないで」

 

チャンミンは肘でとん、とユノの二の腕をついた。

 

「ははっ。

事実、年寄りじゃあないか?」

 

「初老と言って欲しいな」

 

買い物客で賑わう商店街。

 

ユノはチャンミンの背に手を添えて、人混みの中をさりげなくリードしていた。

 

「今夜は俺がご飯を作るよ」

 

「作るって言っても、レンジで温めるだけでしょ?」

 

「まあね。

冷凍ものの新商品を試したくて、さ」

 

「沢山買い込みましたからね」

 

「まあね」

 

チャンミンとユノとの年齢差は親子ほどあった。

 

いくらチャンミンが実年齢より若く見えるからといっても、ユノと並ぶと年の離れた兄弟に見える。

 

もっと意地悪な者の目には親子のように映っていたかもしれない。

 

でも2人は、そのことに頓着しなかった。

 

今の2人には互いのことしか見えていなかった。

 

この関係にユノは大満足だったし、チャンミンは開き直っていたから、人の目などどうでもよくなっていたのだ。

 

食事の後、チャンミンはソファに寝転がって、ユノはソファにもたれて、それぞれが気に入りの本を開いて眠くなるまで過ごす。(寒い季節は、ソファから炬燵へと場所を移す)

 

「若いころの話を聞かせてよ」

 

ユノはチャンミンの話を聞くことが好きだった。

 

チャンミンの口から語られるストーリーは、聞いている者を引き込む言葉選びと、最後のオチへともっていく話運びが巧みなのだ。

 

「もう面白い話は出尽くしました」

 

「面白くなくていいから。

そうだなぁ...25歳の時の話をして?」

 

「25歳ねぇ...大昔過ぎる」

 

ページから目を離さずにいるチャンミンに焦れて、ユノは彼の眼鏡を取り上げた。

 

「それがなくちゃ、本が読めないでしょう?」

 

「小話をひとつしてくれたら、返してあげるよ。

チャンミンの眼鏡...かけてると気持ち悪くなる」

 

「老眼鏡だからね」

 

渋々といった風にチャンミンはソファに座りなおし、「25 歳の時か...」と遠い記憶を辿る。

 

そして、「25歳と言えば、今のユノと同じ歳なんだ」と、ひやりとした感覚に襲われた。

 

「もっと若かったらねぇ」

 

「チャンミンが若かったら、俺は相手にしなかったよ」

 

「僕じゃなくて、ユノの方が?」

 

「そうさ」

 

「年増好きなんだ?」

 

「俺は頑張りたくない怠け者なんだ。

それから、甘ったれ。

安心したいんだ」

 

背中を向けて眠るチャンミンを後ろから抱きしめた。

 

「年上の男は、安心するの?」

 

「年上だからいい、っていう意味じゃないよ。

チャンミンといると...のんびりできるんだ。

俺は大勢でいるのが好きな質だけど、やっぱり寂しいんだ。

チャンミンといると、一人でいる時と同じくらい楽でいられて、そして寂しくない。

最高だ。

チャンミンとは相性がいい、と思っているよ」

 

「そう...」

 

「例えば、チャンミンが今の俺と同じ25歳だったとしたら...。

さっきはあんなことを言ったけど、チャンミンは俺のことなんか相手にしないだろうなぁ」

 

「そうかなぁ?」

 

「そうさ。

俺は退屈な男だから」

 

「いつか刺激が欲しくなるんじゃないですか?」

 

「刺激?

刺激なんか欲しくない」

 

「そうは言ってもねぇ...。

いつか、スタイル抜群の若い子がよくなるんじゃないの?

ほら、ユノがたまに見てるでしょう?

裸の女の子がいっぱい載ってるサイト」

 

「あー!」

 

「PCを開きっぱなしにしているユノが悪い」

 

「一応、俺は男だからな。

目の保養」

 

チャンミンは、悪びれずそう言うユノのことが好きだった。

 

以前のチャンミンは、初老の自分を恥じていたが、今はそう思わなくなっていた。

 

チャンミンの友人たちは、若すぎる恋人の登場に眉をひそめて、「財産狙いじゃないの?」と忠告した。

 

財産らしい財産なんてないんだし...確かに同世代の平均より多い収入はあったが...。

 

「僕より、彼の方がリッチなんだ」と返すと、友人たちは何も言ってこなくなった。

 

2,3年前まで俳優をしていたと言っていた。

 

TVも映画も観ないチャンミンは、活躍するユノのことを知らなかったのだが...。

 

「俺が先に死んだら、チャンミンに全財産を譲るからな」と、ユノは冗談めかしたことをしょっちゅう口にし、

 

チャンミンが「ユノより僕の方が先に死ぬ確率の方が高いでしょう?」と返すと、

 

「それは困るから、せいぜいチャンミンには長生きしてもらうよ」と言って笑うのだった。

 

「もし...。

俺が誰か...例えば若い女の人のところに行っちゃったら、チャンミンはどうする?」

 

「どうするも何も、また一人の暮らしに戻るだけ」

 

チャンミンはユノとの関係に、深すぎる情を注いではいなかった。

 

これが唯一の恋でもあるまいし、今まで経験してきた関係のひとつに過ぎない。

 

激しすぎる感情のぶつかり合いはもう御免だった。

 

勘当、結婚、失業、大病、離婚、嫉妬、不倫、死別...。

 

ジェットコースターのようだった人生からもう、卒業したかったのだ。

 

年齢的に相当早いけれど、気分は隠居生活だった。

 

そこに降って湧いてきたのが、ユノという青年。

 

正直、最初のうちはユノの存在は、暮らしを乱す雑音そのものだった。

 

次第に、チャンミンの中で刻むテンポと求める空気の濃さが、ユノのそれと同じであることが判明してきた。

 

チャンミンの住む一軒家に出入りするようになり、気付けば一緒に暮らしていた。

 

 

 

 

「寂しいことを言ってくれるんだなぁ?」

 

「『一人に戻る』...そのままでしょ?」

 

「チャンミンにとって俺は、その程度の男なんだ?」

 

「『その程度の男』だと思われたくなければ、そういう仮定の話はやめましょうね」

 

「ははっ!

そうだね、そうする。

...でも、もし俺に他に好きな人が出来たとするよ。

その人のところに行ってしまう前に、俺はチャンミンに毒を盛るかもしれない。

チャンミンの好きなワインなんかにこっそり入れて」

 

「殺人事件になっちゃうよ?」

 

「チャンミンを一人にしたくないし、一人になったチャンミンを誰かに盗られたくない」

 

「怖い子だ」

 

「そうさ。

俺は、怖い男だ」

 

「平和そうに見えて、利己的だね」

 

「そうだよ~。

安心していいよ。

他の人とどうこう、なんてあり得ないから」

 

ユノの最後の一言を、チャンミンは疑っていない代わりに、期待もしていなかった。

 

自分はこれまで散々頑張ってきた。

 

これからは人間関係で思い煩うことなく、一人で好きなようにのんびりと暮らしたいだけだ。

 

そこにユノという伴走者があらわれただけのこと。

 

だから、ユノとチャンミンの関係性は恋人というより、『友人同士』に近いものかもしれない。

 

どっちでもいい、とチャンミンは思っていた。

 

「おやすみなさい」

 

「うん、おやすみ」

 

ユノは、チャンミンのたるみかけたお腹をふにふにと指先で弄ぶことが好きだった。

 

(もっとしわくちゃになってしまえばいいのに。

誰一人、チャンミンを恋愛対象として相手にしなくなればいいんだ。

そうすれば、俺が独り占めできる)

 

ユノの重みを背中いっぱいに感じながらチャンミンは、

 

(この子の好きなようにさせておこう。

 

この子にも過去があったんだろうな。

 

ぞっとするほど怖い、寂しい表情を見せたことがあったから。

 

僕の帰宅に気付かず 鍋の中身をかき回していたユノの表情がそうだった。

 

声をかけられる雰囲気ではとてもなく、僕は忍び足で玄関へ戻った。

 

そして、いつになく騒々しい音を立てて「ただいま」と帰宅したのだ。

 

僕を出迎えたユノは、いつもの彼の顔になっていて、後ろめたい気持ちになった。

 

見てはいけないものを見てしまった、と)

 

チャンミンの下腹を撫ぜているうちに、ユノのまぶたは重くなり、じきに寝息が聞こえてくる。

 

 

(後編につづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]