(42)TIME

 

 

発信音が数回鳴ったのち、

『どうした、チャンミン?』

​「...別に」

『困ったことでもあるのか?』

「別に...」

『電話くれるなんて、どうした?』

「...電話しちゃ悪いのか!」

思わず苛立った言葉を発してしまった直後に、自分を恥じる。

(何、イライラしてるんだ)

『そういう意味じゃないよ、チャンミン、怒るなって』

「怒ってないよ!」

電話の向こうで、シヅクのため息が聞こえる。

​『腹減ってるのか?』

「子供扱いするな!」

『ごめん』

 

「謝るなよ」

『どうしてた?』

​「いつも通りだよ」

『どうした?』

「どうもしてないよ」

『ふうん』

「......」

沈黙。

 

『ごめん、チャンミン。

今、出先なんだ』

 

「ごめん」

 

『チャンミン、謝るなって

月曜日に、またな』

​僕はシヅクに尋ねたいことが、沢山あった。

昨夜の電話の相手は誰だったんだ?

どうして、僕の部屋にいることを内緒にしたんだ?

カイ君と会ってたんだろ?

カイ君と仲がよいのか?

​僕の言動が、随分と子供っぽいことを認識するようになっていた。

どうして、今夜は僕の部屋に来るって言ってくれないんだ?

シヅクがからかうように、

僕は29歳で、大人なのに。

どうしてこんなささいなことで、いちいち動揺するんだろう。

どうしてこんなに苦しいんだろう。

元の自分に戻りたい。

何も感じなかった僕に戻りたい。

​ひざを丸めて、僕は顔を伏せて、ギュッと唇をかんだ。

シヅクは、僕のことをどう思っているの?

楽しかった昨夜のことが、うんと遠い出来事のようだった。


目覚めた時、

​暗闇で光る数字が、夜明け前だと知らせる。

頭が痛かった。

びっしょりとかいた汗で、Tシャツが身体にはりついている。

「はぁ」

ベッドから身を起こして、トクトクと鼓動する胸を押さえた。

​(なんだよ!)

僕は、夢をみていたらしい。

(思い出せ)

あっという間に、遠ざかってしまう曖昧な夢のイメージを逃さないように、

ひとつひとつ、すくい上げる努力をする。

えーっと、僕は歩いていた。

僕の靴は、落ち葉を踏んでいた。

僕は隣を歩く誰かと、会話をしていた。

女の人だった。

(誰だ?)

目を閉じた僕は、濃霧の中の人影を探すように、

ぼやけた映像から少しでも多くの情報を得ようと努力する。

僕の隣を歩いていた、女性の顔は分からない。

見覚えのない人物が登場する夢を見ることは、これまでなかった。

僕を見上げる女性の顔は、フィルターをかけたかのように、ぼやけている。

​​

目をこらせばこらすほど、彼女の顔は白く塗りつぶされていき、

しまいには周囲の景色も消えてしまった。

最後に残ったのは、

見渡す限り黄色い落ち葉が、一面敷きつめられた空間を、

ゆっくりとした足取りで歩く僕の、落ち葉を踏む音だけだった。

 


 

吐き気をもよおす頭痛をなんとかしようと、キッチンカウンターに置いた薬のボトルから、1錠だして飲んだ。

カラカラと立てる音から、残りわずかなのが分かる。

(病院へ行かなくちゃいけないんだった)

カウンターについた手の甲を見、

ひっくり返した手の平を見、

その手で脈打つこめかみに触れた。

ズキズキと痛む僕の頭が、うっとうしかった。

街中で見かけたシヅクの姿と

電話越しに苛立つ気持ちをぶつけてしまった僕、

 

夢で見た知らない女の人,

そのどれもが、不愉快だった

シヅクの声が聞きたい。

「頭が痛いのか、僕ちゃんは?」

子供にするみたいに頭をなぜて、

痛みに顔をしかめる僕の顔をのぞきこんで欲しかった。

 

[maxbutton id=”1″ ]  [maxbutton id=”10″ ]

 

[maxbutton id=”2″ ]

(41)TIME

 

 

~チャンミン~

 

 

僕は6時に起床する。

仕事がある日も、ない日でもそれは変わらない。

​乱れた布団を整えたら、家じゅうのブラインドを開ける(寝室とリビングの2部屋だけど)

シャワーを浴びて、着替えたら朝食だ。

僕にとって食事とは、栄養補給に過ぎない。

カロリーも栄養も一度に摂取できる、オールインワン・ドリンクに頼っているが、今朝は違う。

​昨夜、シヅクが出張土産でくれた「天むす」とかいう食べ物を食べる。

ブラックコーヒーと、醤油だれ味がイマイチ合わない気がしないでもないが、あっという間に6個平らげてしまう。

汚れたお皿とマグカップを入れようと、ディッシュウォッシャー機の扉を開けた時洗浄後の食器が並ぶ様を見て、昨夜のシヅクと過ごした時を思い出す。

(楽しかったな...)

思わず笑みがもれる。

キッチンカウンターに置かれた真っ白な炊飯器も、大型のオーブンも昨夜のために新調したものだ。

​(本当に楽しかった)

カウンターにもたれて、リビングの窓の外に延々広がる、薄グレーのビル群を見るともなしに眺める。

昨夜のシヅクとのやりとりを、時間を追って思い出しているうち、急に身体が熱くなってきた。

(そうだった...!

​僕は...思わず...シヅクに...!)

シヅクの感触を思い出しながら、僕は自分の唇を右手でなぞる。

「何やってんだ、自分」

気持ちを切り替えるためには、身体を動かさないと。

クローゼットから専用バッグをとり、髪を整える間もなく、僕はでかけることにしたのだった。

休日の午前中はスポーツ・ジムへ出かけることにしている。

​昼食はたいてい、ジムに併設されたカフェテリアでとる。

ジムの後は、食材の買い物しがてら街中を散歩して、

帰宅したら、気になる書籍をいくつかDLして読書をする

それから、簡単な夕食をとって、ネット・ニュースをチェックしたり、通販をしたりした後、ベッドに入ってさっさと寝てしまう。

僕は、ルーティンに生きてきた。

​他人と比べたこともないし、身近に比べられる誰かもいないけど、おそらく僕はとても退屈で、無趣味で、いつも一人で...。

(そうだ...僕は...独りだ)

今朝ほど、自分が「独りぼっち」であることを実感したことはないかもしれない。

シヅクと過ごした時間と、独りでいる自分を比較するようになったせいだと思う。


ジムでたっぷり汗をかいて、心地よい疲労を感じながらの帰り道。

信号待ちをしていると、彼女を見かけた。

片側4車線の大通りの、向こう側にシヅクがいた。

赤いコートと、ショートカットの黒い髪、シルエットは間違いない、シヅクだ。

僕の心拍数は、早くなる。

声をかけたかったが、彼女は通り向こうの遠くにいる。

じりじりと信号が変わるのを待っている間、シヅクの姿を見失わないよう目で追っている時、はっとした。

​(隣にいるのは誰だ?)

シヅクには連れがいる。

(男だ)

僕の心拍数は、もっと早くなる。

細身の背の高い、若い男。

目をこらして、彼を観察していてようやく気付いた。

​(カイ君!?)

明るい茶色の髪、カラフルな洋服、すらりとしたスタイル...間違いない。

シヅクとカイ君は、互いに顔を見合わせて、会話を楽しんでいるように見える。

シヅクは...笑顔だ。

胃のあたりが、ギュッと縮んだのが分かった。

(危ない!)

電動自転車が、シヅクのすぐ側をかすめるように走り抜ける。

息をのむのと同時に、カイ君がシヅクの腕を引いて、間一髪接触してしまうのは避けられた。

(よかった...)

シヅクは、カイ君を見上げてお礼を言っているようだ。

ブラウン系でまとめた中に、グリーンのトップスが鮮やかで、カイ君の雰囲気によく似合っている。

反面、僕の黒づくめの、地味な装いときたら...。

僕は初めて人の身なりを、自分のと比較していた。

ファッションに無頓着な僕でも、カイ君が洗練されていることが分かる。

今から追いかけても、追いつけないほど、二人は遠ざかってしまった。

信号が青になり、信号待ちの人々は、立ち尽くす僕を邪魔そうに避けながら、ぞろぞろと通り向こうへ歩き出していた。

じっとりと、手のひらに汗をかいていたことに気づく。

僕の顔は固く、強張っていただろう。

昨夜の電話越しに、シヅクが会う約束をしていたのは、カイ君だったんだ。

​シヅクとカイ君が、休日に会うほど親密だったなんて、僕は気づかなかった。

[maxbutton id=”1″ ]  [maxbutton id=”10″ ]

[maxbutton id=”2″ ]

(40)TIME

 

​「カイ君は買い物中?」

シヅクは、冷たくなった両手をコートのポケットに滑り込ませながら、カイの隣を歩く。

(相変わらず、カイ君はお洒落さんだ)

シヅクはちらりと、自分の歩調に合わせて歩くカイを盗み見た。

パーマなのかくせ毛なのか、カールした栗色の髪は柔らかそうで、色白のカイによく似合っている。

(ロゴ入りニットなんぞ、普通の人が着たらセンスを疑うけど、カイ君は着こなしてる。

やっぱ、スタイルがいいからかなぁ。

雰囲気からして、お洒落さんだよなぁ)

「シヅクさん!」

腕をつつかれて、シヅクは考え事をしていた自分に気づく。

「あー、ごめんごめん。

何だった?」

「シヅクさんの質問に答えたんですよ、僕は」

「ごめんな、カイ君!

買い物でもしてたんかな?」

カイは、一重まぶたの目を細めて笑うと、

「あれぇ?シヅクさん、​僕に見惚れちゃってたんですか~?」

「こらこら、カイ君。

お姉さんをからかっちゃいかんよ」

シヅクは吹き出すと、カイの腕小突いた。

(ちょっと前に、同じような会話をチャンミンとしたよな)

「ま、そうかもね。

あんたは、カッコいいシティボーイだ」

「シヅクさーん、頼みますよ。

“シティボーイ″だなんて言葉、いつの時代ですかぁ?」

「ははは、私はねぇ、古典文学をわりと読んでるの」

「僕はですね、駅に用事があったんです」

「うんうん」

「姉が、こっちに越してくることになって、そのお迎えなんです」

​「カイ君、お姉さんがいたんだ!」

 

「はい、ずっと南方に住んでたんです。

向こうに飽きちゃったみたいで、こっちに勤め先見つけたからって、急に」

「へぇ、どんなお姉さん?似てる?」

「そうですねぇ、似てる...方かなぁ」

カイは、人差し指をあごに当て、宙を見つめながら言う。

​(お人形さんみたいに、整った顔やな)

「カイ君に似てるなら、美人さんやね、...っと!」

「おっと、危ないです!」

カイは、シヅクの腕を引き寄せる。

シヅクの脇すれすれを、電動自転車が走り過ぎた。

「ありがとね」

「どういたしまして」

 

カイは車道側に回り込むと、シヅクと並んで再び歩き出した。

休日のため人通りが多く、カイはシヅクの腕に手を添えて、通り過ぎる人と接触しないようさりげなく誘導している。

シヅクはカイのとっさに自然と出る、スマートな気遣いに、感心しながら、

「カイ君、あんた、モテるでしょ?」

「はい?」

シヅクの唐突な質問に虚をつかれたカイだったが、

「モテますね」

と、きっぱり答える。

(おー、ストレートに認めちゃうんだ)

カイは軽く肩を上げて、

「いくらモテても、本命から好かれなくちゃ、意味ありません」

「そりゃそうだ」

ひゅうっと、冷たい風が吹きすさぶ。

「ひゃあ!寒いな、そろそろ雪が降るんでないの?」

「シヅクさん、温かいものでも飲みませんか?

買ってきますよ」

(カフェでは、アイスコーヒー飲んじゃったからなぁ)

「うん、ありがとうな」

シヅクは一瞬迷ったが、カイの好意に甘えることにした。

 

前方のスタンドまで小走りに駆けていくカイの後ろ姿を、眺めながらシヅクは思う。

(チャンミンは馬鹿でかいが、カイ君もデカい男やな)

「あちち、はいどうぞ」

熱い飲み物から伝わる紙コップの温かさに、ほっとする。

「勝手にココアにしちゃったんですけど、よかったですか?」

「大好きだよ、ありがとな」

(気の利く男やな、モテるのも無理はない)

コーヒースタンドの脇に二人並んで立ち、温かい飲み物を飲みながら、シヅクは感心していた。

「姉と会うのは久しぶりなんで、直接迎えに行くんですよ」

​「お姉さん思いな弟だね、あんたは」

「ははは。

​これから、一緒に住むことになるんで、うるさく思うかもしれませんね」

「一人暮らしよりは、賑やかでいいんじゃないの?」

「一人暮らしは、寂しいですね、やっぱり。

​そうだ、シヅクさんこそデートの帰りですか?」

シヅクはポケットから出した手を振る。

「まっさか!

​友達とお茶してただけ」

 

「ふ~ん、そうですか」

​カイは、シヅクを見下ろす。

​ふうふう息をふきかけながら、熱いココアを飲むシヅクの、サラサラと風に揺れる短い髪を見つめながら、カイは思う。

(シヅクさん、気づいてますか?

気づいてないですよね。

​僕は、シヅクさんのことが気になってるんですよ)

 

​[maxbutton id=”3″ ] 

(29)TIME

 

 

チャンミンはシヅクの腕をつかんで、リビングまで引っ張っていく。

 

​「チャ、チャンミン?」

(話があるって...愛の告白か!?)

​(いきなり過ぎんか?)

シヅクをソファに座らせると、チャンミンはシヅクと向き合った。

(真面目な顔して...「好きです」とか言い出すんか?)

「シヅク!」

シヅクの胸は高まる。

「どうやって家に入ったんだよ?」

​(あれ?)

「それは~...アハハ、チャンミンは知らなくていいことだよ」

「そういうわけにはいかない!」

「...つまりだな、あんたんちのセキュリティの甘さが原因だ」

チャンミンは、目を細めている。

(ヤバッ、チャンミン、怒ってる?)

「......」

(チャンミンが怒ってるとこ初めてかも...)

「あれくらい、私の手にかかれば、赤子の手を捻るかのよう...」

チャンミンがぼそりとつぶやく。

「不法侵入」

「...だよね」

「犯罪!」

「うん、その通り」

「お願いだから、『普通に』入ってきてよ」

「ごめんなさい」

素直に謝るシヅクに、チャンミンもこれ以上キツく言えなくなった。

しゅんと肩を落としたシヅクのピアスが、きらりと光る。

(めちゃくちゃ言い訳するかと思ってたのに...)

チャンミンは声のトーンを落とす。

「...謝ってくれたから、気が済んだからさ、

さぁ、仕切り直そう...って、えっ?」

シヅクが両手で顔を覆っている。

(泣いてる?)

「もう怒ってないから、ね、シヅク、ごめん」

「......」

シヅクは顔を覆ったまま、無言だ。

チャンミンは、すっかり動揺してしまって、ソファまですり寄って、シヅクの膝に手を置く。

「ごめん、シヅク!」

「......」

ソファに座るシヅクを見上げる。

「機嫌を直して、ほら、もう怒っていないから、な?」

「......」

シヅクの口角が、上がってきた。

「クククク...」

「え?」

「アハハハハハ!」

堪えきれず笑い出したシヅクに、チャンミンの口はポカンと開いたまま。

シヅクが自分をからかっていることに、気づくチャンミン。

「ちょっ、ひどいよ、シヅク!」

ふくれるチャンミンに、シヅクはチャンミンの肩をポンポン叩いた。

「シヅクさん、何のこれきし、簡単には泣かないんだな」

シヅクは、再び機嫌を悪くしたチャンミンを覗き込む。

「機嫌を直して、チャンミン、ね」

自分の言動に、すぐさま反応するチャンミンを可愛らしく思えて、シヅクは思わずチャンミンの頭をなぜていた。

「さぁ、一緒にご飯を食べようか。

腹が減ってるから機嫌が悪いんだね、僕ちんは?」

「子供扱いするな」

シヅクの手を払って立ち上がったチャンミンだったが、耳まで真っ赤だった。

シヅクに触れられて、ゾクゾクしていた、全身。

(だから、シヅクのスキンシップに弱いんだって!)

キッチンに向かいながら、チャンミンは、感情をあらわにした自分に驚いていた。

感情が、自分の胸内に激しく渦巻いていた。

​胸の鼓動が早い。

(シヅクといると、新しい僕が次から次へと、発見される)

[maxbutton id=”1″ ]

(39)TIME

第2章

 

​待ち合わせのカフェには、既に彼女は来ていた。

正面の席に座って、オーダーを済ませる。

「白状しなさい」

単刀直入さは、いかにもセツらしい。

セツは30代後半の、スレンダー美人で、縁なし眼鏡の下の眼は鋭い。​

「ここだけの話にしてあげるから、正直に言いなさい」

昨夜の電話相手は、彼女だ。

セツは鋭い。

​「報告書に書いてないことが、本当はあるんでしょう?」

「うーん...」

「シヅク!」

​テーブルに伏していたシヅクは、顔を上げる。

「わかったわかった!」

セツににらまれたら、逃げられない。

渋々シヅクは、話し出した。

 ・・・・・・・

「彼は...そろそろだと思う」

「予定より、早かったわね。

​頭痛が始まって...半年ほどだっけ?」

シヅクは頷く。

「徐々に酷くなっていったでしょう、もたないかと心配してたわ」

​「ふらついてるとこも見かけたし、連れ出さないといけないかと...」

「医療記録を見せてもらったわよ。異常なしだったから安心した。

あなた、どんな口実作って彼を連れて行ったわけ?」

「彼、風邪で熱出してさ、倒れちゃったから、やむを得なく」

シヅクは、手首のリストバンドをくるくる回しながら答える。

「薬は飲んでる?」

「彼は...よっぽど頭痛が辛かったみたい。

​昨日確認したけど、きっちり飲んでた」

「ほら、やっぱりー!あなた、ゆうべ、彼の家にいたでしょう?」

​シヅクは慌てて口をおさえる。

「1年の間、きちんきちんと事細かに報告してきたあなたが、

急に曖昧な内容を提出するようになったから、おかしいと思ってたのよ」

「...彼の、変わりように驚いただけよ」

「ふふふ、あれが本来の彼の姿だからね。どう?彼は」

シヅクは、空になったグラスの中の氷を、ストローでもてあそぶ。

「なかなか興味深い人格だと思うよ」

「そんなこと聞きたいんじゃないわよ」

セツは、眼鏡を押し上げ、シヅクを上目遣いで見る。

「いつの間に、彼の家を出入りするような関係になっちゃったわけ?」

「そんなんじゃないって!彼から食事を誘われて...」

「まぁ!彼ったら、そんなことまでするようになったんだ!」

「早いでしょ?」

「確かに、平均より少し早いわね。条件がいいからかしら」

「そうかもね」

「...あなた、彼のことを好きになっちゃったでしょ?」

「ちょっ!」

一気に赤くなったシヅクの顔を見て、セツはピュゥっと口笛を吹くと、不敵な笑いを浮かべた。

「好きになっちゃう人って多いのよ、ほら、ギャップが大きいでしょ。

そういうのに萌えちゃうんだなー、大抵」

「そういうもん?」

「あなたが担当するのは、彼で3人目でしょ、経験なかっただけのことよ」

「そういうもん?」

「被験者と恋愛するのは自由だけど...いろいろと面倒よ」

「そんなことわかってるよー」

シヅクは再びテーブルに伏せる。

「どこかで恨まれることになるんでしょ?」

「揺るがない愛に育てればいいことじゃないの」

「セツはどうなのよ?」

「フフフ、今の夫がそうだもの」

​「えええー、そうだったの!知らんかった!」

「シヅクに初めてカミングアウトしたんだから、知らなくて当然よ」

「どううまいことやったのさ?」

「おいおいレクチャーしてあげるわよ。

彼がそこまで進んでるのなら、あなたの任務ももう少しね」

​セツの言葉に、シヅクはシュンとなる。

「そうなるよねー」

(彼の変化は嬉しいけれど、彼の感情が豊かになることは、

イコール、彼の側にいられる時間が短くなることを意味する)

「上にはありのままに報告するのよ!

隠していたって、いつかはバレるんだから」

「チャ、チャンミンには⁉」

「許可が出るまでは、黙ってなさい!」

セツは、シヅクの手の甲をポンポンと叩いた。

「いずれ、彼も知ることになるんだから。

今、教えたりなんかしたら、混乱させて余計に苦しめることになるわよ」

 


(どうしよ)

セツと別れて、シヅクは街をプラプラと歩いていた。

チャンミンと楽しく過ごして浮ついていた気持ちが、一気に現実に引き戻されたようだった。

「はぁ...」

いつまでチャンミンの側にいられるだろう。

​彼がずっと、無表情で無感情でいてくれたら、ずっと彼の側にいられたのに。

彼と同じ職場にいられなくなることより、もっと怖いのは、

いつか彼が真実を知って、私のことを嫌いになってしまうかもしれないことだ。

(彼は私のことを信じられなくなるだろうな)

チャンミンに渡した、お土産のことを思う。

(ごめんな、チャンミン。

私は出張になんか行っていない。

私はずっと、この街にいたんだよ。​

あれは、ネット通販したものなんだ。

騙してごめんな、チャンミン)

チャンミンの真っすぐ澄んだ瞳が、シヅクを苦しめる。

(よりによって、チャンミンを好きになっちゃうなんて。

面倒なことになるって、分かってたのに!)

知らず知らずのうちブツブツと独り言をつぶやいていたシヅクの肩が、叩かれる。

「わっ!」

「シヅクさん!」

振り向くと、カイのすがすがしい笑顔が。

「何度も呼んだんですよ、シヅクさん気づかないんだから」

​「カイ君!」

「どんどん歩いていっちゃうから、僕ずっと追いかけちゃいましたよ」

「ごめん、考え事してた」

​「シヅクさん、どっちに向かってます?」

「こっち」

シヅクが方向を指すと、カイはにっこり笑う。

カイの笑顔は、素直で底抜けに明るい。

「僕と同じですね」

カイはシヅクの腕に手を添えると、

​「せっかくだから、途中まで一緒に歩きましょう」

​「う、うん」

シヅクはカイの勢いに、断る間もなく、カイと並んで歩くことになった。

​[maxbutton id=”3″ ]