(25)TIME

 

 

「疲れた...」

​シヅクは、ブーツを脱ぎ捨て、ソファに倒れ込む。

格納ベッドを出す時間も惜しいくらい、ヘトヘトだった。

(明日で終わる、あと一日だ!)

会議の日程は2日間だったが、シヅクは準備委員会のメンバーだったため、設営準備も含めて、3日間缶詰状態だ。

(テレビ会議で済むのに、どうしてわざわざ一同を集める必要があるわけさ。

ったく、時間とエネルギーの無駄だとしか思えない)

「おしっ!酒だ、酒のも!」

シヅクは勢いをつけて起き上がって、備え付けの冷蔵庫からビールを取り出した。

「ん?」

リストバンドが振動する。

ディスプレイを見る。

(知らん番号...無視だ無視!)

ビールをガブリと飲む。

(......)

ビールをゴクゴクとあおる。

(......)

ビールを飲み干す。

(しつこい、しつこいぞ)

通話ボタンをタップして、不機嫌さを前面に出して応答する。

​「あんた、どちらさんだぁ?」

『あの...』

​(男か)

​「もしもーし!」

『......』

(ん...?)

嫌な予感がするシヅク。

「おい!どちらさんか?って聞いてるのよ」

(もしや...)

​『僕です』

​(はぁ?)

シヅクの嫌な予感は、膨らむ。

「僕って誰だよ!」

(こいつ...変態野郎だ!

はぁはぁ言って、いやらしいこと言うんだ)

シヅクは、ビールの缶を握りつぶす。

「おい!どちらさんか?って聞いてるのよ、こっちは」

​『あの...』

​相手の息づかいが聞こえてくる。

(こいつ、興奮してやがる!...変態野郎確定だ!)

​「僕って誰だぁ?さっさと名乗れ!」

『チャンミンです』

(え...えええぇぇぇぇ!!)

 

シヅクの手から、ビールの缶が転げ落ちた。


チャンミンとは共通の話題なんてないから、会話が続かないったら。

私が一方的に、会議のバカバカしさや、肉まんの食べ過ぎで腹が痛いとか、

どうでもいいことばかり喋ってしまった。

チャンミンは、いちいち相槌をついてくれた。

チャンミンが何の用事で、電話をしてきたのかは分からないけど、

普段の彼を知ってるから、

​ウブで「僕ちゃん」な彼だから、

さぞ勇気を振り絞っただろうなぁ、って

​チャンミンと話しながら、思った。

温かな気持ちになった。

彼との距離が近くなって、たったの数日なのに、

無表情で無口な彼の変化が、微笑ましく思った。

不意打ちの電話は、嬉しかった。

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(24)TIME

 

僕は、耳に装着してあるイヤホンの位置を、何度も直した。

 

ふうとひと息ついてから、リストバンドを操作する。

僕は、シヅクに電話をかけようとしていたのだ。

電話番号は、ミーナに教えてもらった。

​「なんでまた、どうして?」と、ミーナは理由を知りたがって、「どうしちゃったの~」としつこくて、参った。

​呼び出し音が鳴っている。

ドキドキと鼓動が早い。

手の平は汗ばんでいる。

(いい年した大人なのに)

呼び出し音が鳴っている。

(出ない...)

ごくっと唾を飲み込んだ。

​(まだ出ない...)

イヤホンから聞こえる、呼び出し音に集中する。

(......)

​これ以上呼び出したら、しつこくて執拗に思われるかもしれない。

終了ボタンを押そうとしたら、

『あんたは、どちらさんだぁ?』

​シヅクの声。

ただ、怒っているような、尖った声だ。

心の準備ができていなくて、うまく言葉が出てこない。

「あの...」

​『もしもーし!』

(もしかして、電話したらマズいタイミングだったかな)

『おい!どちらさんか?って聞いてるのよ、こっちは』

 

苛立っているシヅクの声。

​「僕です」

『僕って誰だぁ?

さっさと名乗れ!』

(そっか、シズクは僕の番号知らないんだった!)

すっとひと息ついて、僕は言う。

「チャンミンです」

「......」

​沈黙。

​固唾をのんで、待つ。

『どうした、どうしちゃったの、チャンミン?』

「......」

​(ミーナと同じ台詞を言わなくても!)

ムッとした僕。

​電話をしたことを後悔してきた。

『ねぇ、チャンミン?』

シヅクの声のトーンが、優しくなった。

『電話をもらえて嬉しいよ』

「...シヅク!」[maxbutton id=”1″ ]

(23)TIME

 

~チャンミン~

 

「チャンミンさん、ため息ばっかりっすよ」

僕は砂利をならしながら、知らず知らずのうちため息を漏らしていたらしい。

カイ君は、スポーツドリンクを喉をならして飲むと、口元を手首で拭った。

今日で、第3植栽地の復旧作業は終わりだ。

カイ君が助っ人で入ってくれたおかげで、作業は随分とはかどった。

カイ君は、線が細そうにみえるが、タフで、暑い重い作業にも関わらず、弱音を吐かず楽しそうに仕事をしていたのが、好印象だった。

 

 


僕がため息をついていた理由は、シヅクがいないから。

2泊3日の出張で不在だという。

職場が一緒だからと言って、顔は合わせはしても、案外会話ができる機会は少ないから、シヅクがいなくても変わりはしないのだろうが、

​無意識でシヅクを探している自分がいた。

​近頃は、自分の心境の変化に、いちいち驚かなくなっていた。

(シヅクに会いたい。顔が見たい!)

素直にそう思う。

​シヅクは今夜帰ってくるとのこと。

昨夜、僕は一大決心をして、あることをした。

思い出すだけで、汗が出てくる。

「チャンミンさん、顔が赤いですよ、恋わずらいっすか?」

カイ君が、冷たい飲み物を僕に渡して言った。

「えっ?」

​「今の言葉で動揺したみたいだから、当たりでした?

チャンミンさんが、心ここにあらずなとこは、元々ですけどね」

僕はよっぽど驚いた顔をしていたんだろう。

「かまかけてみたら、図星だったんですね」

カイ君は、やれやれと首を振って、

「いつもポーカーフェイスだから、チャンミンさんって分かりにくいけど、

僕って、けっこう人のこと観察してますから、変化に敏感なんです」

僕の肩を叩く。

「スピードが大事です、チャンミンさん!」

(恋わずらい...なのか、これは?)


僕は、薬局の売場で立ち尽くしていた。

これは、3日前の仕事帰りのこと。

ネット注文してもよかったが、香りを確認できないのがネックだ。

実際に手に取って購入できる実店舗は少ないから、職場の近くのこの薬局は珍しい。

カラフルなボトルを手に取ったり、元に戻したりしているから、防犯カメラは僕にピントを合わせていたに違いない。

どれがいいのだろう?

『高原を吹き抜ける風のように爽やかで、フレッシュな香り』って?

​全然イメージがわかない。

頭を抱えていると、見かねて近くにいた買い物客の女性が、

 

「どうしました?」と声をかけてくれた。

「どれを選んだらいいのか、分からなくて...」

候補の3本を指し示す。

「香りで迷っているのね」

「はい」

「甘ったるくて色っぽいのと、お花のように華やかなもの、ハーブ系のリラックスできるもの、の中から選べばいいのね?」

彼女は、説明書きを読んで、僕にも分かりやすいようかみくだいて説明してくれた。

「うーん」

(この3つとも、何か違う...イメージに合わない)

黙り込んでしまった僕を見て、彼女は助け舟を出してくれる。

「これはどうかしら?」

商品棚から、別の1本を手に取って、僕に渡した。

「これは柑橘系だから、レモンやグレープフルーツの香りね。

ただ、香りは残りにくいわよ?」

「これです、これにします!」

僕が求めていたイメージにぴったりだった。

「よかったわね」

 

「ありがとうございます」

深々とお辞儀をする僕に、その女性は「いいのよ」と笑って、自分の買い物に戻っていった。

レジに通して、僕は足取り軽く家路を急いだ。

 

 

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(22)TIME

 

 

「チャンミンたら、顔が真っ赤だったわね~」​

ミーナは可笑しそうに言って、シヅクの脇腹をつつく。

「お礼ってなんだったの?」

「病院に付き添ってあげた」

シヅクは、チャンミンからもらった袋の中身を、膝の上に出している。

7種類の中華まんを2個ずつ、計14個。

(チャンミンったら、的が外れているというか、なんというか...)

「ふうん。

例の頭痛?風邪?

美味しそうね、1個ちょうだい」

​「あ、いいよ。どうぞ」

「僕にも下さーい!」

カイがやってきた。

「あれ?チャンミンさんは?」

「赤面して、どっかいっちゃったわよ」

ミーナは、カレーまんを頬張りながら、ケラケラ笑った。

「チャンミン、可愛いじゃない!」

(チャンミンよ、お前は高校生か!)

​シヅクは動揺しつつも、嬉しさで胸がいっぱいだった。

胸がいっぱいになってしまって、これ以上食べられなかった。

(夜、食べよう)

シヅクは、チャンミンからの「お礼」を胸に抱えて、仕事場に戻った。

(チャンミンが可愛すぎる!


午後の勤務中。

チャンミンは、ぬかるんでしまった畝を鍬でかきならしていた。

摂氏35度のハウスは暑い。

5分もしないうちに、汗が噴き出してくる。

(やることリストの1つは果たせた。

 

次は、シヅクにマフラーを返すことだ。

忘れてた)

作業する手を止めて、ポケットから薬のボトルを取り出す。

錠剤を1錠口に含んで、ミネラルウォーターで流し込む。

「チャンミンさん、どこか悪いんですか?」

半袖Tシャツになったカイは、吸水ポリマー入りの大きな袋を3袋抱えている。

チャンミンも、上着を脱いでも暑いので、Tシャツの袖を肩までまくり上げていた。

「チャンミンさん、頭が痛いんですか?

...よっこらしょ」

カイはドサリと重い荷物を下ろして、腰をトントン叩いた

「よっこらしょ、なんて、年寄りみたいだな」

「24歳は年寄りですよ、十代に戻りたいっす」

「そういうものかな?」

チャンミンは、袋を水が溜まっている箇所に移動させる。

(よしと、余分な水分はなくなるはず)

カイのウェーブかかった髪も、汗でひたいに張り付いている。

「チャンミンさんこそ、どうなんです?

30歳でしたっけ?」

​「29だよ、悪いかー?」

「ハハハハハ!

チャンミンさんも、10代に戻りたいって思います?」

「10代?」

チャンミンは汗で濡れた前髪をかきあげた後、じっと考え込む。

「チャンミンさんの10代って、どんな風でした?」

(僕の10代の頃って...どうだったっけ?)

気持ちを集中させて、10年以上前の自分を思い浮かべようとした。

「10代...?」

(駄目だ、霞がかかったかのように、曖昧だ)

頭をはっきりさせるかのように、チャンミンは頭をぶるっと振った。

(僕は、ぼんやりと生きてきたから、印象に残るようなエピソードなどないのかもしれない)

そう納得させようとした、その途端、

チャンミンの視界が、左右に揺れる。

(まただ!)

チャンミンが、まぶたを覆ってよろけた。

​「チャンミンさん!」

カイは素早く駆け寄って、彼を支えた。

チャンミンは、カイに支えられたまま、ギュッと目をつむり、深呼吸を繰り返した。

「平気だよ...ありがとう」

チャンミンの眩暈は一瞬のことだったようで、今はしゃんと立っていられる。

「チャンミンさん、顔が真っ青です。

休んだ方がいいですって。

​後は僕ひとりで出来ますんで」

カイは、眉をひそめて、チャンミンを心配そうに見る。

「冷たいものを飲めば、気分もよくなると思う。

カイ君、飲みたいものある?

買ってくるよ」

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(21)TIME

 

~チャンミン~

 

 

​僕はカイ君と、昼食の為、ハウスを出て管理棟へ戻るところだった。

​カイ君は僕の隣で、カボチャの原種がどうだとか、熱く語っている。

ふと、回廊を見やると、シヅクとミーナがベンチで昼食をとっているのを見つけた。

(シヅク...)

短い黒髪と、白いトレーナー、黒のスリムパンツとレースアップブーツ。

(モノトーンが、少年のようなシヅクの雰囲気によく合っている)

鼓動が早くなった。

​今朝はシヅクのおふざけと、タキさんに邪魔されて、シヅクとちゃんと話ができなかった。

「ごめん、また後で話をきくよ、用を思い出した」

カイ君に断って、回廊に向かって走る。

近づいてくる僕に気づいたシヅクとミーナが、走る僕に注目している。

(恥ずかしいな)

「チャンミン、急いじゃって何かしら?」

ミーナが僕に尋ねたけど、僕は「どうも」とだけ頷いてみせてから、シヅクに向き直った。

シヅクは、もりもりとサンドイッチを食べている。

「シヅク!...あのっ...」

「どうしたどうした?」

シヅクは、口の中の物を飲み込んで言った。

「シヅク、それは食べないで」

「は?」

​「いいから、食べないで。ストップ」

「ちょっと!、これは今朝買ったばっかりだから、悪くなってないよ」

シヅクは、サンドイッチのパッケージの消費期限をチェックしているようだ。

​「もう半分は食べっちゃったよ」

「残りは食べないで」

「う、うん、意味わかんないけど、わかったよ」

「ちょっと待ってて」

僕は、ぽかんとしている二人を残して、事務所へ急ぐ。

(もう少しマシな言い方ができればよかったのに...!)

自分のロッカーを開けて、今朝用意しておいた袋を持って、再び二人の元に戻った。

(絶対、シヅクは喜んでくれる)

シズクは、食べるのをやめて、僕のことを待っていてくれていた。

「シヅク、これ...お礼です」

手にした袋をシヅクに渡した。

「お礼?よくわかんないけど、ありがと」

その時、僕の顔は多分、無表情だったかもしれないけど、内心ワクワクと楽しい気持ちだった。

「なんなのさ」

シヅクは袋の中を覗いている。

隣のミーナも、シヅクの手元を覗き込んだ。

「は?」

あんぐりと口を開けてるシヅク。

「チャンミン、あんた、これ一人で食べろってことか⁉」

「うん、そうだよ」

​「あのな、あんた、限度ってものを知らんのか⁉」

「だって、シヅク、肉まん食べたいって言ってたから。

​あの時は買ってあげられなかったし」

​昨夜、シヅクは迷ったら全種類買うって話してたから、僕は中華まんを全種類買ってきたのだ。

誰かに、お礼の品を用意する経験がない僕は、正解が分からない。

​シヅクは文句を言いつつも、嬉しそうだ。

僕も嬉しい。

​とっても。

 

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