(4)TIME

 

~シヅク~

 

さっきまでは、真っ赤な顔をして、眉根を寄せて、死にそうな顔をしていたくせに、注射一本で快復しちゃって。

チャンミンは、待合室のベンチの間をジグザグに行ったり来たりしている。

髪の毛はボサボサで、シャツはしわくちゃ。

いつもは、ピシッと隙なくきちんとしている彼なのに。

もの思いにふけっているのかチャンミンは、戻ってきた私に気づかない。

処方薬のプラスティックボトルの入った紙袋がカサカサ音を立てる。

弱ってるチャンミンが、

されるがままのチャンミンを可愛らしいと思った。

普段は、無表情で何を考えているかわからない。

​職場が同じで、部署は違うけど、事務所は同じだから、毎日チャンミンとは顔を合わす。

彼の仕事ぶりは真面目で、手を抜かず黙々とこなす、といった感じだ。

私とチャンミンは、ほぼ同時期に約1年前から公営の植物園に勤めている。

人類発展に伴い、繁茂する植物を封じ込めることが難しくなると、人類は都市とその周辺の木々や草花に至るまで、一掃してしまったのだ。

そのため、地面に雑草すら生えていない世の中になってしまったが、種の保存の理由から、代表的な植物を、調光と空調を管理したドーム型施設に一同に集め、栽培している。

チャンミンは、標本樹の栽培、記録、種子の採取までを担当していて、私は、採取された種子の保管と、資料管理を行っている。

人見知りなチャンミンには、植物相手の仕事はぴったりだと思う。

休憩時間に、スタッフたちと集まってお茶を飲んで、おしゃべりをしていても、彼はひとり離れたところにいたりする。

彼の性格を知っているから、スタッフの皆は敢えて声はかけずに、いい意味で放っておいている。

チャンミンは、人と目を合わせるのも苦手らしく、会話をしていても、話す相手の口元をみるのがやっとみたい。

業務連絡のやりとりで言葉は交わすが、それ以外だと、言葉数少なく、「あぁ」とか、「うん」とか、無言とか。

でも、彼はただの人嫌いじゃないと、私は思う。

こぶしを口元にあてて、微笑している時があるから。

休憩中の輪から離れたところにいても、たまには会話を聞いているみたい。

チャンミンはただ、積極的に人付き合いをしようとしないだけ。

根暗な奴だと嫌われそうだけど、そうはなっていないのは、彼の端正な容姿のおかげかもしれない。

チャンミンは、私より少しだけ年下で、体は大きいのにベビーフェイスなところが、ついついちょっかいを出したくなる。

仕事の合間、日光を透かして白く明るいドーム屋根を見上げるチャンミン。

考え事をしているの?

それとも、無心?

地味な作業着さえクールに着こなしてしまう、手足の長い彼の後姿を、何度も見かけたことがある。

さぁ、早くチャンミンのところへ戻らなくちゃ。​

 

 

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(3)TIME

 

~チャンミン~

 

​薄黄緑色の壁にかかったディスプレイをぼんやりと眺めながら、僕はベンチに腰かけていた。

風に吹かれて揺れる木々の葉陰からもれる日の光、その光が反射して水面がきらきら光る風景を、ディスプレイは映している。

いまどき、樹木や草花が茂る光景は、ほぼ目にすることは出来ない。

かつてそうだったかもしれない緑あふれる景色を、ディスプレイに映し出すことで、この場の陰鬱な空気を和らげようとしているのかもしれない。

どこもかしこも金属や樹脂やコンクリートに覆われていて、清潔に管理されている世の中だ。

唯一、仕事場では、植物にたっぷりと触れ合える。

控えめに照明された、無人の待合室のベンチにこうして今、僕は座っている。

壁に設置されたデジタル時計は、時刻が5時なのを教えてくれる。

一体、僕はなぜここにいるんだろ?

僕は、一体、何してるんだろ?

昨日の夕方から今までの流れはおぼろげで、あれやこれやで今、病院のベンチにいることが信じられない気分だ。

シヅクは会計だか、処方薬をとりに行っているのか、ここにいない。

僕はひとりで、待合室で、シヅクを待っている。

なんとなく心細い心情になっている自分に気づく。

日頃、職場では僕にちょっかいを出してきたり、おしゃべりで声が大きいシヅクのことを、うるさく、うっとおしく感じることも多いのに。

僕は、元来人見知りで、誰かと一緒に過ごすより、一人でいることの方を選択する人間だ。

いつごろか分からないけど、淡々と変化のない一日一日を繰り返すのが、僕の精神状態にはいいみたいだ。

感情が大きく起伏することもなければ、心の奥底から何かに対して喜んだり、悲しんだりすることもない。

変化は嫌いだ。

真正面から誰かと精神的に、物理的に接触することも避けてきた。

うーん。

変化を嫌って避けているのか、避けてるから変化がないのか...。

何で、こんなこと考えているんだ?

 

でも...、何だろう。

ちょっと前に、胸の奥がが小さくはねた覚えがある。

平坦だった僕の心にパルスが流れたような。

独りベンチに残されて寂しい気持ち、シヅクの顔を見てホッとしたい気持ち。

あぁ、もう...。

身体が弱っているせいかなぁ。

​いつだったけ?

タクシーに乗せられて病院に連れていかれて...。

思い出してみる。

シヅクは、僕を無理やり病院に連れて行った。

僕が弱ってぐったりとしているのをいいことに、強引に車いすに乗せてしまった。

「大げさ過ぎるよ、ただの風邪なんだから」

と、抵抗してみたけど、

「だーめ!」

と、シヅクは聞く耳持たずで、てきぱきとどこかへ電話をかけ、手続きを済ませて、ずんずんと僕の乗る車椅子を押していった。

​診察室で待っていたのは、40代くらいの男性医師で、青いプラスティックの手袋をはめた手で僕の頭をはさんで、僕の下まぶたを引っ張ったり、ペンライトで照らしたりした。

大の男が、大きく口を開けて喉の奥を見せたりする姿は、間抜けすぎた。

事が大げさになってきていることに、腹がたった。

僕を無理やり病院に連れてきたシヅクに腹がたった。

気分が悪かったせいもあって、僕はひどく機嫌が悪かった。

医師は、看護師にいくつかの指示をすると、デスク上のコンピュータに入力を始めた。

今度は、毛深いごつい腕をした看護師に車椅子を押されて、血液検査、頭部には電極も付けられたし、頭を固定されて大きな機器の中をくぐらされたりした。

検査室から検査室へのはしごには、自分のバッグの他に、僕のバッグとコートも持っての大荷物でシヅクも付き添ってくれた。

「...ちょっと大げさだよ。

風邪気味で、ここまで検査するかなぁ?」

思わず僕はシヅクに不満をもらした。

先ほどの医師に打ってもらった注射のおかげで、重だるさも消え、ひどかった頭痛も和らいでいた。

「ごめん。

高熱で、意識もうろうで、頭が割れそうに痛むみたいです、

って、大げさに伝えたからかなぁ?」

片目をつむって、両手を合わせてごめんのポーズのシヅク。

「でも、本当にそうだったからね」

膝を折って、車いすの僕の目線までしゃがんだシヅクは、

「よしよし、いい子だぞ、僕ちゃんは。

私、すごく心配したんだぞ。

これで何ともなかったら安心するから。

もうちょっと我慢してな?」

と、僕の頭をなでた。

「子供扱いするなよ」

​と、シヅクの手を払いのけながらも、

真正面からシヅクのこげ茶色の瞳にのぞきこまれて、僕はフリーズしてしまった。​

​意外に長いまつ毛や、弓形の眉や、きつめに引いたアイラインなんかに僕の視線はロックされたんだった。

 

​そうだ、あの時か?

違う、もうちょっと前だった。

​僕はじっとしていられなくて、立ち上がって待合室に並ぶベンチの間を歩き回った。

事務所で、僕はソファに倒れ込んで・・・。

冷たくて気持ちよかった。

シズクのひんやりとした手。

僕の目を覗き込んだ、暗がりに光る瞳・・・。

「チャンミーン!お待たせ」

シヅクが戻ってきた。​

 


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(2)TIME

 

深夜2時。

 

ぼそぼそと小声で電話で会話をしているらしい会話が聞こえたような気がして、チャンミンは目を覚ました。

きしむスプリング、ごわごわしたクッション。

コートを着たままだ。

常夜灯の黄色い灯りのみで、部屋は薄暗い。

暖房がきき過ぎていて、汗ばむほどだった。

​(ここは・・・どこだ?)

頭を上げると、ズキンと鋭い痛みがこめかみに走る。

「いてて...」と、思わずこめかみを手のひらで押さえていると、

「チャンミン、起きたの?」

部屋の向こう側から声がして、黒い影が近づいてきて、ようやくシヅクだとわかる。

さっき聞こえた声の主はシヅクだったらしい。

「......」

(思い出した!

僕は、風邪でふらふらで、雨が降っていて、帰るのを諦めて...)

シヅクはソファに座るチャンミンの目線に合わせるようにしゃがむと、チャンミンのひたいにそっと手を当てた。

シヅクの冷たい手が気持ちいい。

「うーん、まだ熱いなぁ」

「どう?

少しは楽になった?」

 

薄暗い中、シヅクの瞳だけが濡れたように光っている。

「......」

現状把握が未だできないチャンミンは、じっとシヅクと目を合わせるばかり。

黙り込んでいるチャンミンをよそに、シヅクは

「起きられる?

歩ける?

家まで送ったげるから、帰ろうか?」

 

と、優しい声で言った。

チャンミンは、やっとで口がきけて、こっくりうなずいた。

 

「うん...」

「電気つけるね」

シヅクが壁のスイッチを入れると、たちまち部屋のすみずみまで明るくなり、チャンミンはまぶしくてちかちかする目をこする。

事務所の白い天井に、ライトの白い光で目がくらむ。

急に現実の世界に引きずり戻されたような感覚におそわれるチャンミン。

「ほら行こう。

ずっとここに居る訳にはいかないからね」

差し伸べられたシヅクの手を握って、チャンミンはよろめきながら立ち上がる。

「ほら、私にもたれていいから」

チャンミンはぐらっとよろめいてしまって、シヅクの背にもたれかかってしまった。

「ごめん」

(お、重い・・・!)

シヅクは足を踏ん張る。

「大丈夫大丈夫!」

立ち上がった途端、

バサバサとチャンミンの身体の上にかけられていたものが床に落ちた。

小さな毛布や、ジャンパー、作業着やコート、マフラーやらいろいろ。

「あぁ、それね、寒かろうと思ってさ」

「もうね、私、必死だったからさ」

「手あたり次第だったわけ」

舌を出してシヅクは苦笑した。

チャンミンも、クスリと笑ってしまう。

「ちょっとは元気が出てきたみたいね。

良かった良かった!」

シヅクは床に落ちたコートを拾い上げると、素早く羽織り、マフラーをチャンミンの首にぐるりと巻いた。

「えっ?これ・・・」

「私の。冷えるといけないから貸したげる」

「うん...」

まだまだ身体がだるく、頭痛も治まっていなかったが、ずいぶん楽になっていた。

「夜中の2時だよぉ。

早く帰ろうか?」

「...うん...」

「私が送ってってやるからね」

「うん・・・」

シヅクは、チャンミンの腕に手を添えて、彼を支える。

シヅクはチャンミンの脇の下に、自分の肩をねじ込んで、腕を首に回して手首をつかむ。

(全く、世話のやける奴だな)

チャンミンは身体が弱っていたのもあって、いつも以上に無言で、元気な同僚に素直に従っていた。

普段も大抵、シヅクがしゃべって、チャンミンは無口で聞き役だ。。

パチンとスイッチを切ると、事務所は真っ暗になった。

廊下に、ふらつく背の高い男と、それを支えて歩く女の影が伸びる。

エントランスのドアを開けると、街頭に照らされ光る濡れたアスファルト。

「雨、あがったみたい...。

良かった良かった」

シヅクはエントランスのドアを施錠する。

よいしょっとチャンミンを抱えなおして、雨に濡れた階段へ足を踏み出した。

シヅクのブーツに遅れて、チャンミンのスニーカー。

チャンミンは、視線を肩下のシヅクにおとす。

表情は真剣で、ふうふう吐く息は白く、一生懸命な同僚。

そんな彼女をどこか新鮮な思いで、まじまじと見つめてしまうチャンミンだった。

はた目には、二人は酔っ払いと、介抱する者に見えるだろう。

だが、時刻は深夜で、通りにはひと一人歩いていない。

二人の足音だけが、周囲に響く。

チャンミンはシヅクに負担がかからないよう、身体を真っすぐに立て直そうとした。

「まあまあ、無理せんと、ここは私に頼りなさい。

さぁ、チャンミン、あんたの家はどこ?」

シヅクはチャンミンの胸元から、見上げて言った。

「いや、悪いよ。

タクシーで帰れるから...」

と言いかけたが、

(あ!お金がないんだった!)

と、思い出す。

「えぇっと...悪いんだけど、

タクシー代を貸してくれないかな?」

チャンミンはよろめく足元をこらえながら、シヅクの肩から、腕を抜く。

シヅクは目を細めて、

「馬鹿者!

病人をほっとけないよ。

よし!

一緒にタクシー乗ろう。

で、あんたをあんたの家で降ろしたげるからさ」

再びシヅクは、チャンミンの腕を首にまわし、リストバンドの画面を操作し、タクシーを呼んだ。

タクシーを待つ間、チャンミンはシヅクに支えられたまま、

シズクは首にまわしたチャンミンの手首をつかんだまま、

二人は無言で立っていた。

冷え冷えとした11月の夜気が、シヅクの頬を赤くさせ、熱にほてるチャンミンは、むしろ心地よいと感じた。

シヅクから借りたマフラーのおかげで、首まわりは暖かい。

「えぇっと...

夜遅くまで...ごめん」

シヅクはびっくりした声で、

「気にしないで。

ほら、困ってる同僚はほっとけないでしょ」

すーっとタクシーが二人の前に止まった。

「ほら、乗った乗った」

 

チャンミンは、後部座席の背もたれに、ぐったりと身体を預ける。

身体が重く、頭痛は相変わらずで、綿がつまったかのようにぼんやりする。

チャンミンに続いて乗り込んだシヅクは、チャンミンの頭をぐいっと自分の肩に乗せる。

(!)

「チャンミン、私にもたれていいよ。

 苦しいのよね?

 可哀そうに」

しばし、身体を硬直させていたチャンミンだったが、ふぅっと、力を抜いて、シヅクに身を預けた。

 「......」

チャンミンのまぶたは半分閉じられて、まなざしはうつろだ。

「ねぇ、チャンミン、あんたの家はどこ?」

「......」

シヅクはチャンミンに尋ねるが、チャンミンは何も言わない。

「えっ、寝ちゃった?」

(よくある小説じゃあ、酔いつぶれた主人公がいて、

それを主人公の片思いの人が、自分の部屋に連れていく。

で、翌朝、主人公は目覚めて、

自分が居る場所に気づいて、

ドキドキっていうのがよくあるパターンだったけ

そんなベタな流れには、今はなりようがないし)

(チャンミンの体調が悪すぎるし)

シヅクはチャンミンの両こめかみに両手を添える。

チャンミンはシヅクの冷たい手が気持ちよくて、なすがままになっていた。

​シヅクの指先は、チャンミンのこめかみの下の血管が、ドクドクと脈打っているのを感じ取っていた。

ポーンと電子音がして、

『目的地を教えて下さい』

前座席の背もたれにあるモニターから、音声が流れる。

シヅクは、ほんの少し逡巡したのち、

「M大学病院へ行ってください」

と、モニターに向かって指示する。

 

シヅクの声をチャンミンは、シヅクの肩にもたれた状態で、聞いていた。

​シヅクの髪から、シトラスの香りがした。

 

 

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(1)TIME

 

エントランスのガラス窓越しに、彼は空を見上げる。

 

雨の勢いは、弱まる気配はなかった。

 

​定時きっちりに退勤したが、11月の日暮れは早く、外はすっかり真っ暗で、吐く息は白く、彼はコートの襟元をかき合わせた。

「参ったな。。。」

天気予報をチェックするのを忘れた結果がこれだ。

彼の名前はチャンミン。

 

29歳の青年で、ここで働き始めて1年になる。

植物の世話をする、という静かで寡黙な仕事内容だ。

​おとなしい性格の彼にとって、今の仕事は性に合っていた。

 

​5時には仕事をさっさと切り上げ、夕飯を買い、真っすぐ独り暮らしをしているマンションの部屋に帰る。

夕飯を済ませ、シャワーを浴び、Webニュースをざっと閲覧して、後はベッドに入る。

そんなシンプルなルーティンを繰り返す毎日だった。

しかし、単調な生活も、チャンミンは気に入っていた。

昨日から、風邪をひいたのか、熱っぽく、寒気がした。

 

今日は一日中、ぼんやりとしがちで、同僚に何度も注意され、午後からは頭痛もした。

 

あまりにぼんやりとしていて、スマホもタブレットも自宅に忘れてきてしまい、タクシーも呼べない状況だった。

こんな冷たい雨に濡れたら、もっと具合が悪くなりそうだ。

チャンミンの中に、選択肢が3つ思い浮かんだ。

その1。

 

 回れ右してオフィスで、雨が止むまで待つ。

 

 熱い珈琲でも飲みながら、オフィスのソファで横になろうか。

 

 でもなあ、中には同僚が未だ残っているはず。

 

 おしゃべりな同僚の話し相手をするには、身体がしんどすぎる。

その2。

 

雨の中、飛び出して、徒歩10分のマンションまで走る。

 

ずぶぬれになるだろうけど、熱いシャワーを浴びて、解熱剤をのんで、毛布にくるまって寝る。

この選択が一番、現実的だ。

 その3。

 

​エントランスの傘立ての、忘れ物らしき傘を拝借する。

 

持ち主不明らしいすっかり骨が錆びついた傘を選んで、明日にはちゃんと戻しておけば、大丈夫かもしれない。

 

傘があれば、濡れずに帰宅できる。

人の物を勝手に使うことに抵抗ある。

 

3つの候補を上げてみたが、どれもが面倒くさくなるほど、具合が悪かった。

ズキズキと頭が痛む。

頭痛持ちのチャンミンにとって、頭痛はいつものことだが、熱のせいかふらふらするのが、不快だった。

(どうしようかなぁ...)

迷った末、チャンミンは、こめかみをもみながら、薄暗い廊下の先に煌々と明るい事務所に向かって歩き出した。

 


 

暖房が十分すぎるほどきいた事務所に入ると、ふっと身体の緊張がほどけるのが分かる。

 

部屋の端に、ひじ掛けが擦り切れた古びてるけど、大きなソファが置かれている。

目隠し用に3鉢並べたゴムの木の陰から、にゅうっと黒いブーツを履いたままの足が覗いている。

同僚のシヅクだ。

気配で気づいたのか、細身のパンツを履いたシヅクは飛び置き、

「あれ~?チャンミンじゃん」

と、驚いた様子。

「もう帰ったんじゃなかったっけ?

 

忘れ物かい?」

「...違う...」

手にしていたタブレットを、サイドテーブルに置くと、チャンミンの目の前に立つ。

チャンミンは背が高いので、シズクは見上げる格好になる。

シズクは目を細めながら、チャンミンの顔をまじまじと見つめる。

「あらあら、チャンミン。

あんた、ほっぺが真っ赤だよ。

ちょっとぉ~、大丈夫?」

「いや・・・」

「風邪?」

「多分...」

「いつもの頭痛?」

「それも」

「そっかぁ、辛そうね」

「そうだ!風邪薬が、あったはず」

この間、チャンミンは、無言でぼ~っと立っていただけで、シズクだけがバタバタしていた。

「ほら、ソファに横になって」

シヅクはチャンミンの手を取りソファに無理やり座らせ、さらに肩に手をかけて横にならせる。

チャンミンの手は熱く、熱がかなり高いのが分かる。

「私のひざ掛け貸してあげるから」

「コーヒーを淹れたげる。温まるよ」

「あんた身長高過ぎだよ。脚が飛び出してるよ」

無理をしても帰宅してしまえばよかったかな、と若干後悔していたが、甲斐甲斐しく世話をするシヅクに身を任せているチャンミンだった。

「......」

ふらふらするし、もっと熱が上がっているらしい。

「どれどれ」

目をつむっていたチャンミンのひたいに、ひやりと冷たい感触が。

(ああ、気持ちいいなぁ・・・)

素直にチャンミンは、そう思う。

「ちょっとあんた、めっちゃ熱いよ。

 こりゃあ、39度くらいあるんでないか?」

「......」

「体温計なんてないしなぁ...」

デスクの引き出しをかき回す音がして、シヅクはチャンミンの元へ駆け寄った。

「ほら、これ飲んで」

チャンミンは、ぐらぐらする頭をこらえて口元に差し出された錠剤を、水なしでゴクリと飲み込む。

「これ、何の薬?」

「うーんと、風邪薬だよ」

「そう...」

目を閉じてひざ掛けにくるまるチャンミンを、シヅクはじっと眺める。

肩と背中を丸めて、眉間にしわを寄せている。

「苦しそうね」

​ひざ掛けが小さいせいか、彼が大きすぎるせいか、チャンミンの腰から下がむき出しで寒々しい。

(これじゃあ、寒いよな。。。)

(映画なんかじゃ、彼女だか彼だかが、毛布にもぐりこんで裸になったりして、体温で温めるってのがパターンだけど、そこまでチャンミンとは親しくないし...、

って、こら、私は何を想像してるんだ!)

「さて、どうしたものか・・・」

つぶやいて、事務所内をぐるりと見まわす。

「そうだ!」

シヅクはラックにかかっていた、作業用のジャンパーを数着外して、チャンミンの上にかけていく。

「課長のやつは、ちょっとおやじ臭いけど、我慢してね」

「......」

自分のアイデアに満足したシヅク。

給湯室の水切りラックから、チャンミンのマグカップを取り出し、インスタントコーヒーを適当に入れた。

白いマグカップの底に、油性ペンで『チャンミン』とある。

持ち主が分かるよう、シヅクが本人に無断で書いたからだ。

(これに気づいたチャンミンは、むぅっとした顔をしてたな、そういえば...)

思い出し笑いをしつつ、シヅクは電気ポットからお湯を注いで、湯気のたつカップを、チャンミンの元へ運んだ。

(寝ちゃってる)

コーヒーのやり場に困って、そのままシヅクが飲むことにした。

サイドテーブルに置いたままだったタブレットを取り上げ、チャンミンの側に引き寄せたスツールに腰かける。

(チャンミンとまともに話すのって初めてかも...

ってか、私一人でしゃべってるんだけど)

シヅクがチャンミンと同じ職場で働くようになって約1年だった。

シヅクは同僚として、毎日チャンミンを見てきたが、半年前ほどから頭痛に悩まされている彼が心配だった。

頭痛に風邪が加わってWパンチだもの。

可哀そうに。

(報告書でも作成するかな)

シヅクはアプリを立ち上げ、熱いコーヒーをすすりながら、入力操作を始める。

薬が効いてきたのか、チャンミンは眠り込んでいた。

 

 


 

ひととおり作業を終えて、シヅクはリストバンドで時間を確認する。

(はっ!もう9時か!帰らねば!)

すーすーと寝息が聞こえる。

ぐっと集中しててすっかり忘れていた。

ソファにチャンミンを寝かしておいたんだった。

チャンミンの様子を見に行く。

「おーい、チャンミン、寝ちゃった?」

シヅクはチャンミンの肩を、軽く揺する。

​「...よね?」

(叩き起こすのも可哀そうだし、

こんなでかいやつ抱えて帰れんしなぁ)

「困ったなぁ、こいつどうしよ」

​シヅクは腕組みをして本気で困ってしまったのだった。

 

 

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