(1)1/3のハグー初めての旅行ー

 

 

どうりで様子がおかしいと思った。

特急列車の中でも、現地までの唯一の交通手段である路線バスを待つ間も、ただでさえ口数が少ない彼が話しかけても、力なく微笑むだけだった。

2泊3日の旅の荷物としては大きすぎる、一週間分は入るだろうスーツケースを引っ張るのも、やっとのようだった。

案内と接待を済ませた仲居さんが退室するやいなや、チャンミンは畳の上にうつぶせに寝転がってしまった。

「ごめんなさい。

ギブアップです」

畳に頬をくっつけたまま、チャンミンはミミを見上げる。

「やっぱり!」

ミミはチャンミンの額に触れる。

「どうしてもっと早く言ってくれないの?」

燃えるような熱さを確認したミミは、チャンミンの頭を折った座布団の上に乗せた。

「途中で引き返したのに」

ミミは、押入れから布団を出し、寝そべるチャンミンの横に延べた。

「...中止したくなかった...から」

「そんなに体調が悪いのに、我慢してたの?

ほら、移動できる?」

真っ赤な顔をしたチャンミンは、重だるい身体をようやく起こすと、糊のきいたシーツの上に寝転がった。

「いつから、具合が悪かったの?」

「......」

背が高いチャンミンだったから、敷布団から足がはみ出しそうだ。

ミミの質問に答えず、

「ずっと楽しみにしていたんですよ。

這ってでも行きたかったんです」

お互いがスケジュールをすり合わせて、ようやく実現した旅行だった。

「僕はこの日のために生きてきたから」

「大げさね、遠足の小学生みたいね」

「......」

仏頂面になってしまうチャンミン。

“子供みたい”と言われることを、チャンミンが嫌がることを知っていたが、今回ばかりは遠慮しなかった。

 

熱があるのに旅行を強行したチャンミンの子供じみた意地に、ミミは苦笑していた。

 

「怒ってますか?」

チャンミンは、布団の隙間から伸ばした手を、枕もとに正座するミミの膝にのせた。

「怒ってないよ。

どうすれば、チャンミンを楽にしてあげるかな、って考えてるの」

(近くに診療所があるか、あとで仲居さんに聞いてみよう。

氷や常備薬がもらえないか、聞いてみよう)

遠くには頂きが白い山脈、間近まで迫った山、見渡す限り緑の世界。

 

あたりは薄暗くなっていて、窓の向こうにほんのわずかな人家の灯り。

 

白く濁った鉱泉が湧き出る、山深い温泉地に二人はやってきていたのだ。

実現したこの旅行の提案も、手配も支払いもすべてチャンミンが済ませた。

 

ここ一か月の間、二人の話題は旅行のことに尽きた。

 

アウトドア専門店で、トレッキングシューズを選び、標高の高い土地に行くからと日焼け止めクリームも買った。

最初はチャンミンの勢いに押され、苦笑しながら付き合っていたミミだったが、ワクワクを隠し切れないチャンミンの笑顔を見続けているうちに、気づけば指折り待ち望んでいた。

ミミは、若さ弾けるチャンミンに対して、自分が年上過ぎることに引け目を感じていた。

 

一方、チャンミンは、初めて出来た年上の恋人を前にすると、たちまち経験不足が露呈してしまうことが恥ずかしかった。

熱のせいで潤んだ目ですがるように、ミミを見上げるチャンミン。

「苦しいね」

額にかかった髪をかき上げてやると、チャンミンは目を細め、にーっと口角を上げる。

(無理して笑わなくていいのよ)

「夕食はそんなに入らないでしょ?

メニューを変えてもらうね」

「はい」

(確か、マスクがあったはず)

ミミはリュックサックの中をかきまわして、ポーチをいくつも取り出す。

「どこに入れたっけ?」

ポーチの中のポーチの中のポーチの中に...。

フェイスパック、使い捨てカイロ、のど飴、除菌ティッシュ、湿布薬、ティーパック、入浴剤。

「ミミさんのバッグには何でも入ってますね。

整理整頓し過ぎて、欲しいものが見つからない人ですね」

「風邪っぴきは黙ってるの!」

熱で朦朧としているくせに、毒舌だけは健在だ。

かきまわした弾みでぽろりとはみ出したものに気付いて、ミミは素早くバッグに戻す。

チャンミンには背を向けていたから、大丈夫、見られていない。

(危なかった)

充電ケーブルを入れたポーチの中に、目当てのものを見つけてチャンミンの枕元に戻った。

「ほら、マスクをして」

短く刈ったもみあげからピンと立つ耳に、ゴムを掛けてあげた。

1枚だけあった冷却シートも、額に貼る。

「肝心の風邪薬はなかったの、胃薬はあったんだけど」

「ミミさんらしいです」

「お口は達者なのね。

水分を摂った方がいいよ。

何が入ってるかな?」

広縁に置かれた冷蔵庫の前でしゃがむミミに、うっとりとした視線を注ぐチャンミン。


ミミさんは、やっぱり綺麗だ。

僕には甘くて優しくて、世間を知っている大人で、美人で。

間抜けな顔をして、寝ているだけの僕が悔しい。

見た目がふんわりと、頼りなげなこの人の横顔が、ハンドルを握った途端、凛としたものに変わる。

在校中は、教官と教習生が個人的に連絡をとることが禁止されていた。

周囲の男どもが皆、ミミさんの担当教習生になりたがっていた。

卒業してすぐ、思いきってミミさんに告白してよかった。

晴れてミミさんの彼氏になれて、僕は幸せ者です。

僕はまだまだです。

努力しますね。

ミミさんにふさわしい、大人の男になりますから。

大好きなミミさんのために。


 

「ミミさん、温泉入ってきてください」

座椅子にもたれて、TV番組表のコピー用紙を見るともなく眺めながら、茶菓子の最中をかじっていたミミの背中に、チャンミンは声をかけた。

「いいの?」

「はい。

僕の分まで、温まってきてください」

ミミは、布団から頭だけ出したチャンミンを愛おしげに見つめる。

企画・立案したイベントの主催者が伏せってしまっては、さぞかし彼は悔しいだろうに。

無理に見せる笑顔がふにゃふにゃだし、毒舌や皮肉に少々キレがない。

無言になった隙にそうっと様子をみると、鼻先まで布団をかぶって、眉をよせてギュッと目をつむっていた。

(可哀そうに)

ミミは浴衣と一緒に下着と化粧ポーチを、布バッグにつめた。

「お利口さんにしててね」

チャンミンの熱い額に軽くキスをした。

チャンミンは一瞬目を丸くした後、半月型にさせてにっこりと笑った。

「口にして欲しいけど、ミミさんに伝染しちゃうから、我慢します」

「12時間も一緒にいたんだからとっくに伝染っているわよ」

交際を始めてまだ3か月の二人は、まだ軽いキスを数回交わしただけ。

交際に至るまで一年を要した。

亀の歩みのようなペースで距離を縮めていく二人だったから、額のキスだけでもチャンミンの心は弾んだ。

マスクで男性的な鼻もあごも隠れているせいで、余計に目の印象が強まった。

ミミがかき上げたせいでむき出しになった額の下の、

直線的な眉も、まつ毛に縁どられた優しいカーブのまぶたも、

熱のせいで赤く色づいた下まぶたも、

男性にしてはふっくらとした涙袋も、

全部が可愛らしくミミの眼に映る。


 

​彼の瞳は、高性能のレーダーだ。

ごったがえす雑踏の中から秒速で私の姿をキャッチする。

透明でまっすぐな眼差しが、こんな自分に注がれているなんて。

いいのだろうか。

「大好きです」と繰り返す彼の言葉を、

真に受けていいのだろうか。

彼の視線を注がれた私は、ピカピカの新品に生まれ変われる。

甘えん坊の可愛い、可愛い恋人だ。


川魚と山菜が中心の 質素ながらも品数多く並ぶテーブル。

無理を言って用意してもらった、とろとろに炊いたお粥はチャンミン用だ。

チャンミンの額にのった温泉タオルが白くまぶしい。

 

アイスペールには、たっぷりと氷を入れてもらった。

「あーんしてください」

布団に寝そべったまま、チャンミンは大きく口を開ける。

「はいはい、あーん」

「熱いです。

ちゃんとふうふうして下さい」

「子供みたい」

チャンミンが機嫌を損ねる言葉だけど、時と場合によっては、子供扱いを素直に楽しむこともあって、なかなか扱いが難しい。

「メロンのシャーベット、食べる?」

「シャーベットはデザートです、最後です。

湯葉の刺身がいいです」

「はいはい」

「僕もお酒が飲みたいです」

手酌で日本酒を飲むミミの浴衣の袖を、チャンミンは引っ張った。

「駄目って分かってて言ってるでしょう?

カモミールティーを淹れてあげるから」

「ミミさんのバッグは、何でも入っているんですねぇ」

「世話が焼けるチャンミンのために、荷物が多いのよ」

(ここまで見事に、浴衣が似合わないとは)

浴衣から骨ばった長いすねが突き出していて、可笑しかった。

同時に、浴衣の袖から伸びる筋張った腕に、ドキリとしてしまうミミだった。

「ミミさんの場合、必要なものを絞り込めないだけでしょう?」

「こら!」

山盛りのシャーベットを、チャンミンの口に押し込んだ。

冷たさでこめかみを抑えるチャンミンを見て笑うミミだった。


枕元灯のオレンジ色の灯りに照らされるミミの顔を、チャンミンはうっとりと見上げていた。

(化粧を落とした顔は、初めてです。

ミミさんはやっぱり綺麗だ)

ミミが動くたび、長く黒い影が畳や壁をなめる。

隣の布団で、うつぶせになって雑誌をめくるミミを溶かすかのように、、チャンミンは文字通り熱い視線を送る。

化粧水でピカピカ光る頬や、ラフに2つに結んだ髪や、ブレスレットを外した手首も。

(すっぴんのミミさんを見られる男は、世界中で僕一人だけになりたい)

 

チャンミンは、枕の下からスマホを取り出すと、アプリを立ち上げた。

シャッター音に気付いたミミは、目をむいた。

「盗み撮りしたわね!

ノーメイクなんだから!もう!」

「ぐふふふ」

恥ずかしくなったミミは、枕に顔を伏せてしまった。

(素顔が可愛い年齢なんて、とっくに過ぎた顔なのに...!)

「ミミさん、ごめんなさい」

「?」

枕から顔を上げて横を向くと、隣の布団のチャンミンが、両手で顔を覆っていた。

「ごめんなさい」

「ブスに写っていたら、データを消してね」

写真を撮ったことを謝っているのだと思った。

「あの...ミミさん」

「なあに?」

「今夜の僕は...

無理です。

ミミさんを抱けません。

力が出ません」

「チャンミン!」

 

「ミミさん、楽しみにしていたでしょう?

僕はちゃ~んと、知っているんですよ。

可愛い下着も用意してくれてたのに」

チャンミンは、ぐふふと笑う。

ミミの頬がカッと熱くなった。

バッグからはみ出してしまったアレを、高性能レーダーの目で漏らさずキャッチしていたに違いない。

「今夜は僕とミミさんの初めての夜になるはずだったのに...僕は悔しいです」

覆った指の間から、三日月形になったチャンミンの眼が覗いていた。

「ぐふふふ」

「そんな照れることを、よく言えるわね」

「鈍感なミミさんがいけないんですよ。

僕が分かりやすく言わないと、理解できないミミさんのせいです」

そう言うと、チャンミンは布団から這い出して、ミミの布団の中に滑り込んできた。

「チャンミン!」

 

「ぎゅー」

 

にゅうっと腕が伸びてきて、ミミの頭を力任せに胸に抱え込んだ。

 

「ぎゅー」

「痛い痛い!」

「僕は若くて健康な男なので、やっぱり我慢できません」

ふざけた風を装っているが、実はチャンミンの心臓はバクバクだった。

緊張しているのをごまかすように、チャンミンは鼻面をすりつける子犬のようにふるまった。

ぴったりと押しつけたミミの頬を通して、ドクドクいうチャンミンの胸の高まりが伝わってくる。

「今は健康じゃないでしょ」

「ふむ...確かにそうですね」

力を抜いた隙に、ミミはチャンミンの腕から抜け出す。

「ミミさん!」

ミミは敷布団の端を持つと、ずりずりと部屋の端まで引きずった。

「風邪が伝染るし、病人の貴方が落ち着いて眠れないでしょう?」

「そんなぁ...」

「ほら!

さっさと寝る!」

「あうぅ...遠いです」

恨めしく三白眼でじーっとミミを睨んでいたチャンミンだったが、諦めたのかミミに背を向けて横になる。

なんだかんだ言っても、やはり身体が辛いのだ。

強めにうねる髪の後頭部が可愛らしい。

先ほどまでチャンミンが寝ていた布団は、ホカホカと温かかった。

(ときめいちゃったじゃないの!

チャンミンの行動は、予想がつかないんだから!)

この日のために、わざわざ下着を用意した自分の気合の入れようが恥ずかしかった。

同時に無邪気な自分を微笑ましく思ったミミだった。

 

 

 

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(完)ハグを邪魔されてーイチゴ味ー

 

 

「あうっ!」

 

チャンミンは、たった今顔面を打ち下ろしたミミの腕をよける。

 

(ミミさんが、こんなに寝相が悪い人だったとは...。

 

情事(今夜はナシだけど)の余韻に浸りながら、腕枕をして眠りにつく...のハズが!)

 

余程疲れていたのだろう、15分もたたずに寝入ってしまったミミの寝顔に見惚れていられたのはつかの間のこと。

 

寝返りの打ち方が派手で、チャンミンの身体を邪魔そうに腕で、脚で押しのける。

 

(ミミさんとひとつベッドで一緒に寝るには、キングサイズのベッドが必要かもしれない)

 

チャンミンの布団からはみ出して、大の字になって眠るミミに布団をかけ直してやる。

 

(ミミさん...ごめんなさい。

僕はミミさんの隣では眠れません)

 

「いててて」

 

痛む腰をかばいながら四つん這いになると、気持ちよさそうに眠るミミをまたいで、隣に敷いたミミの布団に移動することにした。

 

「あうっ!」

 

ミミの真上をまたいだ瞬間、ミミの両腕がチャンミンの身体をしっかととらえた。

 

「うーん...いかんといて...」

 

(ミミさん!)

 

いつものチャンミンだったら、震えるほど嬉しいシチュエーションだったが、この時のチャンミンはそんな余裕がない。

 

下からぶら下がるミミの重みが、みしっと腰に響く。

 

(ごめんなさいね。

僕のことが大好きなことは承知してますが、今夜の僕は応えてあげることができません)

 

腰にまきついたミミの手をほどいて、ミミの布団にたどり着いた。

 

「チャンミーン...むにゃむにゃ」

 

(うっ...可愛いです...)

 

まぶたの下の眼球が動いているから、夢をみているのだろう。

 

(僕の夢を見ているんですね)

 

ミミの頭の下に枕をあてがってやり、再び蹴り飛ばした布団をかけ直してやった。

 

「いててて」

 

二つの布団の間で、駆けっこのポーズで眠るミミの方を向いて横たわると、チャンミンはミミの手を握った。

 

(ミミさん...僕は明日、果たしておうちに帰れるんでしょうか。

明後日から仕事があるから、ちゃんと仕事に行けるんでしょうか。

とにかく、睡眠をしっかりとることにします。

ミミさん...おやすみなさい)

 

 


 

 

翌朝。

 

ミミは目覚めた。

 

(あれ?

いつの間に、自分の布団で寝てる)

 

隣の布団を見ると、無人だ。

 

(チャンミンは、いずこに?)

 

反対側に目をやると、畳の上で丸まって眠るチャンミンが。

 

(やだ...。

どうしてそんなところで寝ているのよ、この子は)

 

頭まで布団にくるまっていて、その端からチャンミンの髪がくしゃくしゃと見える。

 

(ふふふ、可愛い)

 

 


 

 

「また、来いよ!」

 

「はい!」

 

「花火大会もあるし、

秋には稲刈りがあるからな!」

 

「...はい」

 

(絶対に、たっぷりとこき使われるに違いない)

 

アルバイト代を支払おうとするのを、丁重にお断りした。

 

「お世話になりました」

 

見送りに出たミミ一族に、チャンミンは頭を下げた。

 

ゲンタは玄関口から、頭を出している。

 

「おじちゃん、また遊んでね」

 

ケンタとソウタは泣き出しそうだった。

 

「“お兄さん”と呼んだらな!」

 

「ヤダー」

「ヤダー」

 

(くー!

このがきんちょ共ときたら、最後まで小憎たらしいんだから!)

 

リョウタから借りた松葉づえをついたチャンミンと2人分の荷物を抱えたミミは、駅まで送るセイコの車に乗り込んだ。

 

セイコはカーウィンドウを開けると、駅前で下ろした2人を手招きした。

 

「二人とも、仲良くね」

 

「はい!」

 

元気よく、ニコニコ顔でチャンミンは答える。

 

(お母さん...)

 

感激したミミはセイコに向かって頷くと、走り去るセイコの車が見えなくなるまで手を振った。

 

 


 

「ああ!」

 

ミミの大声に、隣のチャンミンはとび上がる。

 

「びっくりするじゃないですか!

お茶がこぼれましたよ」

 

濡れたひざをお手拭きで拭いていると

 

「どうしよう...」

 

困りきった表情のミミが、チャンミンの腕をゆすった。

 

 

「忘れ物ですか?

ミミさんは荷物が多いからですよ。

セイコさんに、後で宅配便で送ってもらいましょうよ」

 

ミミは両手で顔を覆う。

 

「そういうわけにいかないのよ」

 

 

「そんなに大切なものなら、取りに帰りましょうか?

セイコさんに連絡して、戻ってきてもらいましょう。

バスを降りましょうか?」

 

「いてて」と腰をかばいながら席を立とうとするチャンミンの腕を、ミミは引き戻す。

 

「今から戻っても遅いの」

 

「遅いって...何を忘れたんですか?」

 

チャンミンの顔をしばし見つめていた後、ミミは小声で言った。

 

「...捨てるのを忘れたの」

 

「捨てる?」

 

「ゴミ箱の中身...」

 

前回、温泉旅館に泊まった時も、乱れたものを整えてからチェックアウトをしていたミミの姿を見ていたため、ミミは『立つ鳥跡を濁さず』人なんだと感心していたチャンミンだ。

 

「実家なんですから、それくらいいいじゃないですか。

セイコさんが片付けてくれますってば」

 

「だから、よくないんだってば!」

 

ミミはブンブンと首を振った。

 

「お母さんでしょ?

甘えなさいよ」

 

「普通のゴミじゃないのよ」

 

やっとでチャンミンは、ミミの言いたいことを理解して、

 

「なあんだ、そんなことですか」

 

ふふんと鼻で笑った。

 

「そんなことで済まないってば!」

 

「装着ミスのが3個でしょ、

お父さんのおならという邪魔が入った本番前の1個でしょ。

本番で1個でしょ。

時間切れでできなかった2回戦の1個でしょ...。

全部で6個は使いましたからね、ははは」

 

「チャンミン!

6個分の袋と中身がゴミ箱に入っているのよ!

サイアク、サイアク!!

恥ずかしいったら...!」

 

「いいじゃないですか。

誤解された方が、嬉しいじゃないですか。

6回もヤッたのね、お盛んねって思われて」

 

「チャンミン!」

 

ミミの顔がみるみる怒りの形相に変わってきた。

 

「ねえ。

自分の親に、ひとりエッチのティッシュを片付けてもらったら、嫌じゃない?

恥ずかしくない?」

 

「うーん...。

確かに、そうですねぇ」

 

チャンミンはその状況を想像して顔を一瞬ゆがめたが、ミミの方を見てにっこりと笑った。

 

「いいじゃないですか。

いかに僕らが仲良しだってことを、分かってもらえて。

ぐふふふ」

 

「よくないわよ。

次に帰省した時が怖い。

恥ずかし過ぎる!」

 

「ねえ、ミミさん」

 

チャンミンは顔を覆ってしまったミミの腕を、つんつんと突いた。

 

 

「見て欲しいものがあるんです。

今朝、僕はネットで注文したものなんです」

 

「へぇ、何を買ったの?」

 

「これです」

 

チャンミンがスマホを操作して見せてくれたものとは...。

 

 

「ばっかじゃないの!?」

 

「馬鹿とはひどいですね!」

 

「信じられない!

チャンミンってば、『そのこと』しか考えてないわけ?」

 

「言い方が気に入らないですね。

僕らの愛を深めるのに、必要なものでしょ?

いろんな種類を試してみたいじゃないですか。

いちご味だって...ぐふふふ」

 

「......」

 

にやつくチャンミンを無視して、車窓の景色を眺めることにした。

 

「まあまあ。

機嫌を直してください。

お弁当を食べましょうか。

セイコさんが詰めてくれたお弁当ですよ。

昨日の御馳走もいっぱい入ってますよ。

美味しそうですねぇ」

 

 


 

 

交際4か月。

 

お泊りデートは今回で2回目。

 

なかなか休日が合わない2人だった。

 

チャンミンは未だミミの部屋を訪れたことがなかった。

 

くわえてミミは、チャンミンの部屋を訪れたことはあっても、泊まっていったことがない。

 

真剣になるのを恐れていたミミだった。

 

けれども、今回の旅行(?)でその気持ちは変わった。

 

(次のお休みは、チャンミンの部屋にお泊りしよう。

そう提案したらチャンミンのことだ、飛び上がるほど喜ぶに違いない)

 

顔のパーツ全部を使って喜ぶチャンミンを思い浮かべると、顔が緩んだ。

 

美味しそうに弁当を頬張るチャンミンを、ちらと見た。

 

(あなたは、

私の可愛い、可愛い年下の彼氏。

 

チャンミン、大好きだよ)

 

 


 

 

ミミさんと1歩も2歩も、近づけた。

 

ミミさんの家族も、テツさんもいい人たちだった。

 

それに!

 

僕はチェリー学園を卒業したし...ぐふふふ。

 

でも、まだまだミミさんのことを、全部知ったわけじゃない。

 

僕のことも、もっと知ってもらいたい。

 

ミミさんの過去の男たちに嫉妬しないくらいの、大人の男になりたい。

 

次のお休みの時は、僕のおうちに泊まってくださいねー。

 

寝かせませんからね。

 

 

 

『ハグを邪魔されて』完

 

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(16)ハグを邪魔されてー可愛いお尻ー

 

 

「ひゃぁっ!

 

冷たいです」

 

「もう1枚、貼ろうか?」

 

「そうですねぇ、お尻の上あたりに2枚貼ってください」

 

「おっけー」

 

うつ伏せになったチャンミンは、ミミに湿布を貼ってもらっていた。

 

下げたパンツから、お尻が少しだけ見えている。

 

(小さなお尻...可愛い)

 

と、いたずら心が湧いてきたミミは、チャンミンのお尻の割れ目を、指でくすぐる。

 

「ひゃあっ!

くすぐったいです」

 

(いつも、私の方がからかわれているばっかりだから、たまにはね)

 

くすくす笑いながら、チャンミンのパンツを引き上げた。

 

「はい。

これくらいでいいでしょう」

 

「はぁ...。

薬効成分が染みわたるのが、よくわかります」

 

「仰向けで寝られる?

座布団をあてがってあげようか?」

 

「はい、お願いします。

それにしても、幸せですねぇ。

3日目にして、やっとでミミさんの隣で寝られます」

 

四つん這いでしか移動できないチャンミンは、今夜は広間で就寝することになってしまった。

 

チャンミンを案じたミミは、自室から布団を運んできて、チャンミンの隣に敷いた。

 

「疲れたでしょ?

お疲れ様」

 

ミミはチャンミンの頭を撫ぜると、常夜灯を残して照明を消した。

 

明日片付ければよいとのことで、広間のテーブルにはラップをかけられた大皿料理が並んだままだ。

 

「何か欲しいものがあったら、言ってね。

『ミミさんが欲しい』とかの冗談は、駄目よ」

 

「分かってますってば」

 

チャンミンは、布団から手を出して、ミミの手を握る。

 

「ミミさん、ごめんなさい」

 

「何が?」

 

チャンミンの謝罪の言葉は、「迷惑をかけてごめんなさい」という意味だととらえたミミは、

 

「謝らなくていいよ。

重労働をお願いした私こそ、ごめんね」

 

と、あやすように繋いだ手を揺すった。

 

「違います。

僕が、ごめんなさいと言ったのは、

今夜はミミさんを抱けないことです。

腰を動かせないんですよね。

上下運動が無理なんです。

あれ、前後運動かな?」

 

「はぁ?」

 

「今夜もミミを抱くんだ」と息巻いていたチャンミンだが、腰に走る激痛にさすがに無理だと諦めた。

 

(残念無念。

泣きそうです)

 

「無理に決まってるじゃないの!」

 

「ミミさんは、我慢できるんですか?」

 

「出来るわよ」

 

「どうしてですか?

僕はめちゃくちゃ我慢してるんです。

苦しいくらい。

女の人って、ムラムラしないんですか?」

 

ミミはため息をついた。

 

(そうだよね、この子は若いから)

 

ミミはチャンミンの方へ、寝返りをうった。

 

チャンミンはミミの方をじっと見つめていた。

 

眉根を寄せて切なそうな表情で、ミミはドキッとする。

 

「女の人だってもちろん、ムラムラすることはあるけど、いいムードにならなければ、わりと平常だよ。

これは、私の場合だし、男の人がどれくらいムラムラするのかは分かんないけどね」

 

「そういうものなんですか、ふうん...」

 

チャンミンはしばらく、天井でぽつんと光る黄色い常夜灯を見上げていたが、口を開いた。

 

「ミミさん...。

何か、お話しましょう。

ゆっくり話もできなかったし」

 

「そうねぇ。

何を話そっか?」

 

「ミミさんの子供の頃の夢ってなんでしたか?」

 

「なんだろねぇ。

いろんなものになりたかったなぁ。

卒業文集を開くとね、毎年なりたいものが違ってて可笑しいの。

チャンミンは?」

 

「内緒です。

秘密を抱えた男って、ミステリアスでしょ?」

 

「ケチ」

 

チャンミンは、ふふふと笑う。

 

「ミミさんは、どれくらいの期間結婚していたんですか?

あ!...言いたくなかったら、いいです」

 

「うーん...」

 

(そうよね。

チャンミンは私の彼氏だもの、隠し事はよくないよね)

 

「5年...くらいかな」

 

「...長いですね」

 

(僕とミミさんは、たったの4か月と16日。

5年だなんて...全然、負けてます...)

 

「チャンミンは彼女いない歴、どれくらいだった?」

 

「えー、そこを聞きますか!?

うーんとですねぇ、2年ちょっとですかね。

ミミさんを好きになった時に、別れましたから」

 

「そっか...」

 

ミミの胸がチクりとした。

 

(そうだよね、こんなにカッコいい男の子がフリーでいるわけないよね。

若くて(当然だけど)、可愛い子だったんだろうなぁ。

やだな、ちょっと悲しくなってきた)

 

さすがに今夜は、チャンミンがミミの布団にもぐりこんでくることはなかった。

 

(この3日間で、これまでお互いに触れていなかった事を、打ち明け合って距離が縮まった気がする。

 

チャンミンの爆弾発言も、内容はともかく、恥ずかしそうに打ち明けた姿が可愛かったな。

 

きちんとしてて、ほわんとしてる子が、あそこまで獣になっちゃうとこも意外だったな)

 

「ねぇ、ミミさん。

怒らないでくださいね」

 

「聞くのが怖いんですけど?」

 

「あのですね。

僕のが、元気になってきました。

ちょっとおさまりがつかないんで...えっと。

僕の上にまたがってくれませんか?」

 

「!!!!」

 

「僕の上に乗ってミミさんが動いてくれれば、出来ます。

僕の腰は使いものになりませんが、あそこは元気ですから。

ほら、よくあるじゃないですか?

足を骨折して入院中の男の人に、セクシーな看護師さんが上に乗って...あっ!」

 

繋いでいた手が、勢いよく振り払われた。

 

「ねぇ?

あなたったら、『そんなこと』しか考えてないの!?

私とエッチすることしか、頭にないんでしょ!?」

 

「......」

 

ミミの押し殺すような低い声に、チャンミンは言葉を失う。

 

ミミの目から涙がぽろぽろとこぼれ出てきた。

 

(口を開けば、下ネタばっかり。

この子ったら、私と『ヤること』しか考えていないわけ?)

 

「なんだか...悲しいよ」

 

ミミの目に涙が光っていることに気付いて、チャンミンは慌てた。

 

「ミミさん...」

 

ミミの近くへ寄ろうとしたが、腰に激痛が走る。

 

「ごめんなさい。

ミミさん、ごめんなさい。

泣かないでください」

 

ミミはくるりと、チャンミンに背を向けてしまった。

 

「誤解しないでくださいね。

『そのこと』ばっかり考えているわけじゃないんですよ。

僕の中に、ジェラシーがあるんでしょうね。

僕はミミさんのことが大好きですけど、言葉や態度だけじゃあ伝えきれない想いがあふれているんです。

でも、それだけじゃ不足してきて、

やっぱり身体でもひとつになりたい、って思うようになってきて。

 

そう願って、当然ですよね?

だって僕らは大人の男と女なんですから。

 

ミミさんの過去に比べたら、僕なんて...って自信がないんです。

言葉や態度で、いっぱい伝える自信はあるんですよ。

 

でも、それだけじゃ不安なんです。

昔の男の人との記憶を塗り替えるには、やっぱり身体を繋げるしかないな、って思ってて。

 

あ、もちろん!

僕は男ですから、スケベなこともいっぱい考えてますよ。

ミミさんを思い浮かべて、ひとりエッチしたこともありますよ」

 

 

チャンミンは、ミミの背中に向かって必死になって言葉を継ぐ。

 

 

「えーっと、つまりですね。

何が言いたいかというと、

 

ミミさんとえっちなことをしたい欲求は、

やりたい盛りばかりじゃない、ってことを分かってもらえたらなぁ、って。

 

僕の言いたいこと、ちゃんと伝わりましたか?」

 

ゆっくりとミミは、チャンミンの方へ向きを変えた。

 

(よかった、もう怖い顔はしていない)

 

 

「ホントに?」

 

「ほんとほんと」

 

ミミは手を伸ばして、チャンミンの手を握った。

 

「私のことを考えて、ひとりエッチしたって言ったわよね?

どんな破廉恥なことを、想像の中でさせてたわけ?」

 

 

「ぐふふふ。

内緒です」

 

「怖いなぁ」

 

 

「ミミさんの裸...綺麗でしたよ」

 

「ホントに?」

 

「ほんとほんと。

僕の想像通りでした」

 

「若くてピチピチした身体じゃなくて、ゴメンね」

 

 

「ミミさん!

そういうことを言わないでください!」

 

 

チャンミンの鋭い声に、ミミはビクリとする。

 

 

「ねえ、チャンミン。

私の方だって不安なんだよ。

年甲斐もなく、チャンミンみたいな若い子に夢中になって。

 

チャンミンは、カッコいい男の子だから、いっぱいモテるんだろうなって。

 

チャンミンと同じくらいの年の、可愛い子の方が、あなたには似合うんだろうなって。

 

年の差が私を苦しめているのは、そういうことなの。

 

チャンミンには分からないだろうなぁ。

 

あなたは年を重ねて、どんどん素敵になっていくのに、

 

私の方は、1年ごとに古びていくんだよ。

 

男の人と女の人との違いは、そういうことなのよ」

 

チャンミンは顔をしかめながら、じりっとミミの方へにじり寄ってきた。

 

 

「僕はまだまだですね。

 

ミミさんが、どうしてこうまで年の差にこだわるのか、正直、今の僕には理解できないんです。

ミミさんの今の話を聞いても、僕には全然分かんないんです。

 

僕は、『今の』ミミさんが好きなのに。

僕と同い年のミミさんなんて、全然魅力的じゃないです。

 

あ!

そんなことないか。

同い年のミミさんは、それはそれで素敵でしょうね...いてて」

 

チャンミンは、もっとミミの側へにじりよってきた。

 

ミミも布団から出て、チャンミンの枕元に座った。

 

 

「ミミさん」

 

ミミを見上げるチャンミンの目が潤んで光っていた。

 

「今も...

前の旦那さんのことを、思い出すこと...ありますか?」

 

布団からすっかり這い出たチャンミンは、ミミの太ももにしがみついた。

 

「思い出しますか?」

 

「やだな。

今は、チャンミンのことしか考えてないよ」

 

ミミはチャンミンの頭を撫ぜた。

 

「ホントに?」

 

「ほんとほんと」

 

チャンミンの丸い後頭部を、何度も何度も撫ぜた。

 

「よかったです」

 

(僕もちょっとだけ泣きそうでしたよ)

 

「さあ、もう寝ましょ?

明日は帰る日だからね」

 

「もうちょっと、こうしていたいです」

 

「チャンミンに膝枕してたら、私が寝れないじゃない」

 

「えー。

じゃあ、僕のお布団で寝てください」

 

「駄目。

腰が痛いんでしょ。

窮屈な状態で寝たら、よくないよ」

 

「嫌です」

 

チャンミンはミミの太ももに、ぎゅうっとしがみついた。

 

「仕方がないなぁ」

 

ミミは苦笑しながらチャンミンの隣に横になると、チャンミンの胸に頭を預けた。

 

「僕が腕枕してあげますね。

夢だったんです」

 

チャンミンは片腕でミミの頭を包み込むと、ふふふと満足そうに笑ったのだった。

 

 

 

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(15)ハグを邪魔されてー美青年チャンミンー

 

 

「はい、出来たよ」

 

最後に狩衣の上下を袴に差し込んで、浄衣姿が完成した。

 

「雪駄で鼻緒ずれするから、あっちで絆創膏を貼っておいで」

 

「はい」

 

「ほぉぉ」と息をのむ声が聞こえ周囲を見渡すと、部屋のあちこちの者たちがチャンミンに注目している。

 

(どこか...変ですか?)

 

ミミが連れてきたよそ者ということで、ひそかに町民たちの注目を浴びていたチャンミンだった。

 

チャンミンは、細身の高身長、加えて端正な顔立ちをしている。

 

古典絵巻から抜け出たような美青年に仕上がって、遠巻きに観察していた面々は驚いたのも無理はなかった。

 

子どもたちの付き添いの母親たちも遠巻きに、チャンミンへ色めき立った視線を送っている。

 

(そんなに変ですか?)

 

居心地の悪くなったチャンミンは、折り畳みテーブルの上に並んだ稲荷寿司を紙皿に10個ばかり載せて、テツの横に座った。

 

「お前...えらいべっぴんさんになったなぁ...」

 

黒い烏帽子がシャープな顔のラインを際立てている。

 

テツは、チャンミンの頭から足の先までを、何往復も舐めまわすように見た。

 

「男の俺でも、惚れるぜ?」

 

「気持ち悪いこと言わないでください。

僕は着流しがよかったです」

 

チャンミンは、白い着流し姿の闘鶏楽の一団を羨ましそうに見る。

 

「鐘が叩けねえ奴は無理だ、諦めろ。

で、どうだった?」

 

テツは、もぐもぐと稲荷寿司を頬張るチャンミンの耳元でささやく。

 

「へ?

何がです?」

 

「アレに決まってるだろ。

で、どうだった?」

 

「ああ、そのことですか。

凄かったんですから。

一睡もしていないんです...ふあぁぁ」

 

チャンミンは大きなあくびをした。

 

「一晩中か!?

若い奴は違うなぁ...。

で、何回やったんだ?」

 

「6回です」

 

「ぶはっ!」

 

チャンミン発言にテツは飲みかけていたお茶を吹き出した。

 

「汚いですねぇ。

テツさんもえっちですねぇ」

 

チャンミンはテツにティッシュを渡してやりながら、やれやれといった風に首を振った。

 

注)

6回というのは、アレを開封した回数(個数)である。

6個のうち5個は使用不能にしてしまい(装着ミス、膨張不足、未挿入)、本来の機能を活かせたのは、実際のところ1個に過ぎない。

しかし、(本番が)1回だけだったとしても、チャンミンにとって、6回(本番を)やったくらいの満足感と感動を得ていた。

よって、チャンミンは決して嘘は言っていないのである。

 

 


 

 

午前5時。

 

公民館前から御旅行列が出発した

 

鐘を打ち鳴らす闘鶏楽と、笛太鼓の雅楽が奏でる中、

天狗と獅子を先頭に、太鼓持ち、槍持ち、幟持ちが続いて、

裃姿の警固、神幸旗持ち(チャンミンの役はここ)、

台名旗持ち、神輿、神職、巫女、稚児が行列を成す。

 

氏家前で、獅子舞を奉納しながら半日をかけて、約5㎞の道のりをしずしずと練り歩く。

 

沿道に並ぶ見物人たちは、行列の中に家族を見つけるとスマホやカメラを向けたり、ねぎらいの声をかけたりと、賑やかだ。

 

一文字笠をかぶったカンタが、生真面目な顔をして鐘を叩くのを、母親のヒトミが写真におさめている。

 

 

(なんて重いんだ...)

 

昨日、テツの前で大見得を切ったチャンミンだったが、出発して30分後には根を上げたくなっていた。

 

(「旗持ちなんて地味だ」とケチをつけてごめんなさい。

こんなに重いだなんて!)

 

神幸旗の竿は2メートルもある上、重さも10㎏はある。

 

神聖なものなので、地面につけることもできない。

 

加えて風が吹くたび、旗がはためき、右へ左へとぐらつく竿を全力で握りしめないといけなかった。

 

(ミミさん...辛いです)

 

田植えを前に水を張った水田に、古典衣装を身につけた一行の姿が映る。

 

それはそれは幻想的で、世にも美しい光景だった。

 

行列の通過をいまかいまかと待ちわびていたミミ。

 

(チャンミン!)

 

チャンミンの姿を見つけて、息が止まりそうになった。

 

(やだ...めちゃくちゃ、カッコいいんですけど!!)

 

チャンミンの方も、沿道に連なる人々の中から、ミミを探していた。

 

オーバーサイズの白いシャツにデニムパンツを合わせた、ラフでくつろいだ姿のミミを見つけた。

 

チャンミンを真っ直ぐに見つめ、口をぽかんと開けて、頬をピンクに染めたミミ。

 

(ミミさん!)

 

チャンミンの心臓がドキンと跳ねる。

 

 

神妙な面持ちでいたチャンミンが、私を見つけた時にとっさに見せた表情がすごかった。

 

嬉しい気持ちを、目と眉と頬と口と...と顔のパーツ全てで表していた。

 

ああ、そうだった。

 

いつもこの子は、こんな風に私を見る。

 

可愛くて、えっちで、

 

大好きな、大好きな彼氏だ。

 

彼からの愛情を注がれる資格は、私にあるのかな。

 

やだな...感動する。

 

涙が出てきた。

 

両手がふさがっているので、手を振れないチャンミンはおどけた顔をつくった

 

歩調が乱れ、後ろの旗持ちに怒られている。

 

誇らしげなチャンミンが子供っぽくて、可愛らしかった。

 

 

 

 

昼前に御旅所に到着した一団は、獅子舞と闘鶏楽を奉納した後、簡単な昼食をとる。

 

そして、再び行列を成して神社へ向かうのだ。

 

 

「はぁ...きついなぁ」

「腰が痛い」

「やっとで半分だ」

 

倒れこむように腰を下ろした面々に、お茶や菓子、おにぎりなどを載せた盆がまわってくる。

 

「お疲れ様」

 

チャンミンの隣に座ったミミは、よく冷やしたおしぼりを渡す。

 

チャンミンの頬骨が、日に焼けて赤くなっていて、冷たいおしぼりが火照った肌に気持ちがいい。

 

「重いでしょ?」

 

「余裕ですよ。

僕はこう見えて鍛えているんですよ」

 

ミミは、強がりを言うチャンミンの手をとった。

 

「痛そうだね」

 

チャンミンの指の付け根にできたマメがつぶれて、血がにじんでいる。

 

「これくらい、平気ですよ」

 

「チャンミン、ありがとう。

お兄ちゃんの代わりに、祭りに出てくれて。

本当に助かった」

 

(そういえば、チャンミンにちゃんとお礼を言っていなかった)

 

こんなこともあろうと、チャンミンの手の平にガーゼを当て、上からテーピングを巻いてやった。

 

「あと半分、頑張りますね」

 

「うん、頑張ってね。

チャンミン、カッコいいよ」

 

鼻にシワをよせて、照れ笑いをしたチャンミンへの愛情が、あふれそうだった。

 

 


 

 

祭りは終わった。

 

各家ともども宴たけなわ。

 

「よう頑張った!」

 

「かんぱーい!」

 

ミミ宅でも、一家全員グラス片手に、広間の大テーブルに所狭しと並んだごちそうに箸を伸ばしている。

 

はしゃいで走り回る子供たち、それを叱るヒトミ。

 

普段は気難しい祖父ゲンタも、祖母カツ相手に何やら熱弁を振るい、父ショウタは母セイコに、お酌をしてやっている。

 

ミミ一家は酒好きで、次々と酒瓶が空になる。

 

ギプスを巻いたリョウタは、旗持ち役をやり遂げたチャンミンにビールを注いでやった。

 

そのグラスをミミは、チャンミンの元へ運んでやる。

 

チャンミンは、広間の隅で、5枚並べた座布団の上に寝かされていた。

 

重量のあるものを半日間、反り腰の状態で持ち歩いたせいで、祭り終了時には腰が立たなくなっていた。

 

ショウタとミミに両肩を支えられて、やっとのことで帰宅したのだ。

 

ミミは、チャンミンの元へ甲斐甲斐しく食べ物を運んでやる。

 

親鳥が、大口を開けたひな鳥に餌を与えるみたいに。

 

 

「あーん」

 

ミミは、エビフライをチャンミンの口に入れてやる。

 

「タルタルソースをもっと付けてください」

 

「はいはい」

 

「次は唐揚げが欲しいです」

 

「はいはい」

 

「あーん」

 

「次は?」

 

「ビールがいいです」

 

「はいはい」

 

「口移しで飲ませてください」

 

「馬鹿!」

 

「ちぇっ」

 

チャンミンは、グラスに差したストローをくわえた。

 

「ストローで飲むビールは美味しくないですね」

 

「贅沢言わないの。

次は何が欲しい?」

 

「ミミさんが欲しい」

 

ミミがすーっと目を細めたので、チャンミンは即座に謝った。

 

「ミミさんも食べてください。

あ!

食べるって僕のことじゃなくて、お祭りの御馳走のことですからね」

 

「当たり前でしょ!!」

 

ミミはもう、開き直っていた。

 

家族の前だから、できるだけいちゃいちゃしないよう気を付けているのに、チャンミンはそんなミミを面白がって、大胆な言動をするからだ。

 


 

汗をかいたから気持ち悪い、絶対にお風呂に入ると言い張るチャンミンだった。

 

四つん這いで風呂場に向かうチャンミンの後を追いかけながら、ミミはため息をついた。

 

(今夜もミミさんを抱くんだから!

汗臭いから、きれいにさっぱりしないといけないんだ。

何が何でも絶対に!)

 

(この子は、いったん決めたら絶対に譲らないからな)

 

脱衣所の床に座って、チャンミンが入浴を終えるのを待っていた。

 

「湯船には入っちゃ駄目だからね。

腰を痛めてるんだから、身体を温めない方がいいんだからね」

 

「そんなに僕のことが心配なら、ミミさんも一緒に入りましょうよ。

僕の身体を洗ってください。

腰が痛くて、頭が洗えません」

 

「嘘つかないの!」

 

風呂場から聞こえていた水音がぱたりと消えて、ミミは慌てた。

 

「チャンミン?」

 

返事がない。

 

「大丈夫!?」

 

風呂場に飛び込むと、頭をシャンプーの泡一杯にさせたチャンミンが、わざとらしく驚いた顔をした。

 

「今夜はミミさんが『覗き見』ですか?

 

そんなに僕の裸が見たかったんですか?」

 

目を半月型にさせて、ニヤニヤ笑っている。

 

「馬鹿!

チャンミンの馬鹿!」

 

風呂場から出ようとするミミの足首に、チャンミンの手がにゅっと伸びた。

 

「危ない!

転んじゃうじゃない」

 

「頭を洗ってください」

 

「仕方ないなぁ」

 

ミミはデニムパンツの裾と、シャツの袖をまくると、チャンミンの泡いっぱいの髪に両手を滑らせた。

 

(きれいな頭の形をしているのね)

 

マッサージするように丁寧に、適度な力で指の腹を使って、チャンミンの髪を洗う。

 

「気持ちいいです」

 

タイルの上に踏ん張るように立ったミミの裸足の足が白くて、足首も細くて、チャンミンはそれだけでどぎまぎした。

 

「かゆいところはないですかぁ?」

 

美容師の真似をして、ミミはふざけて言う。

 

「そうですねぇ、耳の後ろが少し」

 

「かしこまりました。

他にございませんかぁ?」

 

「そうですねぇ...ここが少し」

 

「?」

 

「......」

 

「馬鹿馬鹿馬鹿!」

 

ミミは洗面器いっぱいお湯を汲むと、高い位置からチャンミンに浴びせかけた。

 

「ひゃあっ!」

 

ごしごしと顔をこすってから、そのまま髪をかき上げたせいで、オールバックになったチャンミン。

 

(やだ...、カッコいいんですけど!)

 

「...ミミさん...どうしましたか?」

 

絶句しているミミに声をかけた。

 

 

 

「ミミ―!!」

 

 

「!!!」

 

 

(お母さん!)

 

「ミミ―!

パイナップル切ったから、おいでー!」

 

(どうしよう、どうしよう!

チャンミンと一緒にお風呂に入っているなんて、バレるわけにはいかない!)

 

目を白黒させているミミの姿に、チャンミンはくすりと笑うと

 

「ミミさんはおトイレでーす!

後で、僕から伝えておきまーす」

 

廊下に向かって大声でセイコに伝えた。

 

 

「ふう」

 

(焦った)

 

チャンミンとミミは顔を見合わせて、苦笑したのであった。

 

「のぼせる前に、お風呂を出ましょうか」

 

怒って、焦って、安堵して、それから舌をちょっと出して笑って。

 

百面相のミミがあまりにも可愛くて、

 

「好き、です」

 

そう言ってチャンミンは、ミミのうなじを引き寄せてキスをした。

 

 

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