前夜、練習に参加できなかったチャンミンは、テツから祭事の流れのレクチャーを受けていた。
「神さんを山車(だし)に乗せて御旅所(おたびしょ)に運ぶ行列がある。
途中、氏子の家を回るから…そうだな5kmは歩く。
お前さんの役目は、四神旗を掲げて歩くことだ!
重いぞぉ。
そんなひょろっとした身体じゃ、心配だな…」
テツは疑わしい目で、チャンミンの身体を舐めまわす。
「心配ご無用です!」
チャンミンはドンと胸を叩く。
「僕はこう見えて鍛えているんですよ。
テツさん、見ます?」
テツは、Tシャツの裾をまくろうとするチャンミンの手首を押えた。
「馬鹿たれ!
男の裸なんぞ、見たくもない!
お前の女に見せてやれ!」
「『女』ですか...」
チャンミンは、がっくりと肩を落とした。
(見せましたよ。
ミミさんに、僕のすべてを見せましたよ。
のぼせてひっくり返って、恥ずかしい恰好で。
ミミさんだけじゃなく、お母さんにも、お義姉さんにも、
僕の『生まれたままの姿』を見られちゃいましたよ。
丸ごと見られちゃいましたよ。
朝ごはんの時、何でもないふりをするのが大変でしたよ)
「どうした?」
黙りこくっているチャンミンに気付くテツ。
「女はいねぇのか?
そりゃ気の毒だな。
姪っ子を紹介してやりたいが、中学生だしなぁ...」
ぶっきらぼうで口は悪いが、テツさんは面倒見がよく、人見知りするチャンミンだったにも関わらず、気兼ねなく会話が出来た。
煙草をうまそうに吸うテツの方をちらりと見る。
(よし!)
チャンミンはひざを叩いた。
(ミミさんには悪いけれど、暴露しますよ)
「実はですね。
僕はミミさんの『かれし』なんですよ」
テツの耳元でチャンミンは、ささやいた。
「何だって!?」
テツの口からぽろりとタバコが転げ落ちた。
「そうなんです。
熱愛中なんですよ。
ぐふふふ」
「ほほぉぉ」
テツはニヤニヤしながら、チャンミンの耳元でささやく。
「お前たち...もう男と女の関係か?」
「テツさんも好きものですねぇ。
言い方がえっちですねぇ」
チャンミンは言葉をいったん切って、こほんと咳ばらいをした。
(よし!
これも暴露しちゃおう)
「実はですね...まだなんです」
「何だってぇ!?
お前の...使いものにならないのか?」
テツは視線を下に向ける。
「テツさん!
僕のは正常です!
いつでも準備オーケー、臨戦態勢です!
ただ、タイミングというか、いろいろと障害がありまして...」
ごにょごにょつぶやくとチャンミンは、頬をふくらませた。
「そりゃ、気の毒だなぁ...」
テツはチャンミンへ憐れむ眼差しを向けると、ペットボトルのお茶に口をつけた。
二人は神社の階段に座り込んで、女性陣が配り歩いた茶菓子でひと休憩中だった。
強い日差しが境内の巨木の枝に遮られて、そよ風が涼しく、力仕事でかいたチャンミンの汗はひいていった。
実は、チャンミンの心の奥底には「あること」がしこりとなって、チャンミンを落ち着かなくさせていた。
(初日の夜、
ケンタ君とソウタ君とお風呂に入った時、聞き逃せないことを二人は話していた。
のぼせて頭が回っていなかったから、深く考える余裕がなかったけれど。
ミミさんとゆっくり二人きりになれていないから、ミミさんに問いただすこともできなかった。
怖くて聞けないってことも、あるんだけれども...)
再び黙り込んだチャンミンに、テツは口を開いた。
「ミミはべっぴんだからなぁ。
年は離れているだろうが、大人の女に手ほどきしてもらうのも、男冥利につきるんではないかい?」
そこで口を切ると、
「ミミを支えてやれよ。
あの子も、苦労したからなぁ...」
「...苦労って、ミミさんに何かあったんですか?」
チャンミンは身を乗り出す。
「うーん。
直接本人の口から、聞くのが一番だと思うんだけどなぁ」
「いいえ!
僕は『今』、知りたいです!
(これこそが、僕の心のしこりの核心に違いない!)
チャンミンはテツの二の腕をつかんだ。
「お前、ミミとどれくらいになる?」
「4か月と15日です!」
「まだそれくらいか?」
テツは渋る。
「ミミさんを好きになって、2年になります!」
「うーん」
「僕はミミさんのことが大好きなんです。
どんなことでも、受け止めますよ」
テツはチャンミンをじっと見据え、チャンミンも目をそらさない。
「わかったよ。
だがな、ミミを問い詰めたりするなよ。
おいおい打ち明けてくれるだろうからな」
「はい!」
チャンミンは汗でべとつく手のひらを、ジャージのパンツで拭く。
テツが口を開こうとした時、
「待ってください...」
と、チャンミンが制した。
「もしかして...、
カンタ君は...、
ミミさんの実の子ってことは...ないですよね?」
カンタは、騒がしい弟たちの正反対の性格の持ち主で、大人しくのんびりとしている。
(きれいな顔をしているし、目のあたりがものすごく似ていた!)
テツは、目を丸くしてチャンミンを見た。
「カンタ君を産んだものの、育てられない事情があって、ヒトミさんが代わりに育てているのでは?」
「馬鹿たれ!」
テツはチャンミンの頭をはたいた。
「いでっ!」
「なんでそこまで話が飛躍するんだよ!
カンタはヒトミさんのれっきとした、実の子だよ!」
「痛いです。
僕の頭は負傷してるんですよぉ。
テツさんが、深刻そうな顔をするからですよ」
「馬鹿たれ!
にこにこ笑って話せるわけないだろうが!」
チャンミンは、たんこぶに直撃した頭をさすりながら、テツの話を聞いた。
(ミミさんに会いたいです!
無性にハグがしたくなりました!)
チャンミンは立ち上がると、砂がついたお尻をはたいた。
「あっ、こらっ!
どこ行くんだ!」
「テツさん、ごめんなさい。
緊急事態が起きました」
「馬鹿たれ!
準備の途中だぞ!」
「2時間後に戻ってきますから!」
そう言うと、チャンミンは駆けていった。
「ミミさんはどこですか!」
縁側で爪を切っていたゲンタは、突然ふってきた大声にびくりとする。
玄関からミミを呼んでも応える声がなかったから、どうやら皆はそれぞれの持ち場に散っているようだった。
ミミの実家は高台にあるため、坂道を駆けてきたチャンミンの顔中、汗まみれだった。
「指を切っちまうところだったぞ!」
チャンミンに驚かされて、ゲンタは仏頂面だ。
「ゲンタさん、ごめんなさい...はあはあ」
チャンミンはひざに手をついて、荒い息を整える。
「ミミさんは...はあはあ、
ミミさんは...どこですか?」
「ああん?
ミミは、セイコさんと買い物に行ってるよ」
「どこですか!!」
ゲンタに教えられたのは、車で20分先にあるショッピングセンターだった。
「いつ戻ってくるって言ってましたか!!」
「知らん!
そんな大声出されるほど、耳は遠くない!!」
「そんなぁ。
あ、でも、もうすぐお昼ですよね。
お昼には戻ってきますよね?」
「どうだろうなぁ。
台所に握り飯が用意してあったから、
向こうで昼めしを食ってくるかもしれんぞ?」
「わかりました!」
チャンミンはゲンタに軽く頭を下げると、踵を返した。
(僕は今、ミミさんを抱きしめたくてたまらないんです!)
チャンミンは神社まで取って引き返す。
境内から子どもたちの声が聞こえ、チャンミンはとっさに身をかがめた。
(危なかった)
今ここで、ケンタたちに見つかると面倒だ。
チャンミンは、わずか1日で子供たちにべったりと懐かれていた。
今朝は、鬼3人に追い掛け回されている途中、隙を見て大人気なくも、大人の全速力を発揮して、逃げ出してきたのだ。
(逃げるのは僕ひとりで、鬼が10人に増えたら、僕は抜け殻になってしまう!)
ぞっとして、チャンミンは両腕をさすった。
(そんなことより、ミミさんだ!)
子どもたちに見つからないよう、手水舎の裏を回って社務所へ向かうと、中で油を売っているテツがいた。
「テツさん!」
「もう戻ってきたんか?」
「いいえ、まだ済んでいません。
テツさん、車を貸してください」
「はぁ?
何で車が必要なんだ?」
「いいから!
鍵を渡してください」
チャンミンの剣幕に押されてテツは、
「鍵は付いたままだよ。
...おい!
車を持っていかれて、俺はどうするんだ?」
「歩いて帰ってください。
いい運動になりますよ」
チャンミンはテツの突き出たお腹を、冷めた目で見ると、ため息をついた。
「仕方ないですね。
ここで2~3時間おしゃべりしててください。
後で迎えにきますから。
じゃあ、急いでいるんで!」
会釈すると、チャンミンは駆けていった。
「なんだい、あいつは...
騒がしい奴だな...」
(これだから田舎は物騒なんだから!)
神社の駐車場に並ぶ、似たような車の中から記憶にあるナンバーを頼りに、テツの車を見つける。
鍵が刺さったままのテツの車に、チャンミンは乗り込む。
ハンドルにしたたか膝を打ち付けて、チャンミンは舌打ちをする。
「あーもー!」
温厚なチャンミンにしては、珍しいことだ。
(どうしてこんなに狭いんだ!)
テツの車は軽トラックだったため、シートを下げることも、背もたれを倒すこともできず、その狭い空間に長い脚を押し込む。
クラッチペダルとシフトレバーを確認すると、チャンミンはそろそろと発車させた。
(マニュアル車は久しぶりだから...難しい)
途中、何度かノッキングを繰り返していたが、次第にコツをのみこむと、アクセルをふかしてスピードを上げた。
目指すはショッピングセンター。
午後にはミミに会えるのに、この時のチャンミンはとにかく早くミミに会いたくて仕方なかったのであった。
(つづく)
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