【BL短編】死にたいほど透明

 

 

 

「死にたいと思ったことある?」

 

二人はシーツにくるまれていた。

 

目を合わせてはクスクス、互いの首筋に噛みついてみてはクスクス。

 

擦りつけているうちに、再び昂ってきた。

 

パリッと糊がきいていたシーツも皺くちゃになり、彼らの汗を吸い取ってゆく。

 

室内に二人分の荒い呼吸音。

 

呼吸が落ち着くまで、離れがたいユノとチャンミンは抱きあったままでいた。

 

いつまでも抱きあっていたいと思った。

 

チャンミンの中に埋めたものが柔くしぼみきってから、ユノは覆いかぶさっていた身体を離した。

 

カーテンレールに吊り下げたサンキャッチャーを透かした日光が、天井に光の模様をつくる。

 

「死にたいと思った?」の台詞は、二人が光の揺らぎを見上げていた時だった。

 

「今まさにそう思っているよ。

でも...死ぬよりも生きていたい、と思ってる」

 

「死んだ方がマシだって、言ってたくせに」と、チャンミンはくすくす笑った。

 

「だってさ、死んでしまったら、チャンミンにこういうことや...」

 

ユノはチャンミンの膨らみを揉み、谷間を広げた箇所を軽くタップした。

 

「こういうこともできない」

 

「現状は地獄みたいだけどね」

 

「うん。

あの瞬間は死にたくなった」

 

 

二人はまだ高校生で共に優等生で、大人の庇護のもとぬくぬくと平和に暮らしてきた。

 

そして、大好きで大好きで大好き過ぎて、身悶えしそうなくらいの恋をしていた。

 

「明日、大変なことになってるよ、きっと」

 

「校長室に呼ばれてさ」

 

「ふしだらな俺たちの関係を、青筋立てて責めるんだろうなぁ。

『放課後の更衣室でセックスしたらいけません!』って時と場所を責められるのか。

それとも、『男同士、セックスしたらいけません!』なのか、どっちだろう?」

 

「両方じゃないの?」

 

ユノはくくっと、肩を小刻みに揺らしている。

 

「現行犯逮捕みたいだったじゃん。

多分、生徒の誰かに目撃されてて、先生が真偽のほどを確かめようと張ってたんだ」

 

「『こらぁ!』ってドアがバーンって開いたからね。

絶対そうだよ」

 

「あの瞬間...死にたくなった」

 

「へぇ。

そのわりには堂々としてたじゃん」

 

「恥ずかしいとかじゃなくて、チャンミンとの仲を引き裂かれるんじゃないかって、怖くなったの。

だって、俺らってガキの身分だからさ」

 

「分かる」

 

「チャンミンの可愛いケツが丸見えだったし」

 

「ユノだって、立派なものが丸見えだったし」

 

「おしゃべりな生徒が触れ回ってるから、学校側も隠し切れないの。

俺らの両親を呼び出したものの、ストレートに『息子さんたちはセックスしてました』とは言えないから、言葉を濁して伝えるんだろうね。

『ふしだらな行為を』...とかなんとかって。

母さんは泣いてるの。

『チャンミン!

なんてことしてくれるの!』って」

 

「俺なんて、親父に殴られるんだ。

『そんな子に育てた覚えはない!』ってさ」

 

ざぁっと、庭を吹き渡った風が樹木の葉を鳴らした。

 

レースのカーテンがたなびいて、その淡い影がユノの頬にゆらりと落ちた。

 

「大騒ぎする皆を見ると、馬鹿馬鹿しくて死にたくなる」

 

「ね~」

 

お互い好き合っているけれど、駆け落ちなどしない。

 

自分たちは親の庇護にある高校生で、ぬくぬく育ってきた。

 

愛さえあれば耐えられると言い切れるほど、夢見がちではない。

 

高校を卒業する頃になれば、多少は親の怒りや拒否感はトーンダウンしているだろう。

 

少しでも長く...できれば一生...一緒にいたいから、子供の身分の間は現実的でいることが得策だと考えたのだ。

 

「学校で陰口、気持ち悪がられて友だち無くして、ご近所にひそひそ話のネタにされて、両親を泣かせたり」

 

「そうそう。

内申点も悪くなるから、推薦も狙えないね。

さらには、『もう、あの子と会ったらいけません!』って部屋に閉じ込められたりしてさ」

 

「展開が読めるよね」

 

「周りが反対したりするから、余計に二人は盛り上がっちゃうのにね。

“許されない関係”扱いが逆効果だよ。

言い古されてきたことじゃん。

なんで分かんないんだろね」

 

「みんなが大騒ぎしちゃう気持ちも分かるし、普通じゃないな、って自覚もあるけどさ」

 

「僕らのことだから、どんな手段を使ってでもして抜け出して、会うけどさ。

でも、それもグッと我慢するよ」

 

二人は優等生で頭がよく、相手のことが大好き過ぎるからこそ、先を見通す冷静な面もあった。

 

その場の欲求に流された行動は、いたずらに周囲を刺激するだけだ。

 

ここは、大人しく従ったフリをしておくのが賢明。

 

「うん、俺も。

学校を卒業するまでの辛抱だ。

それまで大人しくしていよう」

 

「本意じゃないけど、『僕らは別れました』

 

『興味本位で彼とセックスをしていただけです』を装ってね。

...でも。

寂しい、寂しいなぁ」

 

チャンミンはしくしくと泣き真似をした。

 

「よしよし」と、ユノはチャンミンの頭を撫ぜた。

 

二人の汗はすっかりひいた。

 

「さっぱりした空気だ...さらっと乾燥していて...」

 

「天国みたいに気持ちがいい。

二人の逢瀬は今日が最後...」

 

18歳の彼らにとって、死とは遠いけれど近しくて、想像してみては甘やかな憧れに浸ったり、ぞっと恐怖する存在だった。

 

卒業までの1年あまりの期間、お互い気のないフリをし続けることは、死にたいほど辛いものだった。

 

「噂のキモい生徒になって、いっぱい責められて、嫌われても、しゃんとしていろよ?」

 

「ユノこそ。

君は案外ナイーブなんだから。

寂しすぎて死んじゃわないでね」

 

チャンミンの平たい腹に、七色なのに透明な光の模様ができた。

 

その光を、ユノは指で追いかけた。

 

ふわふわとユノの陰毛が風で揺れた。

 

「ねえ、こうすると...」

 

チャンミンは寝そべったまま、宙に人差し指を伸ばした。

 

「指が太陽に透けて真っ赤」

 

「じゃあ、これは?」と、ユノも自身の手を差し伸ばし、チャンミンの手を優しく包み込んで誘導した。

 

すると、サンキャッチャーの光の屑がちょうど、チャンミンの薬指に落ちた。

 

「ぴかーん。

婚約指輪...な~んて」

 

「何それ」

 

クスクス笑うチャンミンの目尻に、透明な雫が浮かんだ。

 

「もう一回いける?」

 

ユノはチャンミンを後ろ抱きにした。

 

「またぁ?

もう痛いんだけど?」

 

「明日から当分、会えなくなるから、最後にやっておきたいと思ったんだ」

 

「それなら...」

 

チャンミンは身を起こすと、たぐりよせた箱から2つ取り出し、その1つをユノに手渡した。

 

「しごき合いっこにしよう」

 

ユノは擦って復活させたものに装着すると、次にチャンミンを手伝った。

 

 

(おしまい)

 

彼らはズルさや裏切り、憎悪に貧困を知らずに育った汚れなき小さな大人。

青春のひとときは、命みなぎる時なのに、彼らは現実社会を前にあまりにも無力。

世間知らずに見えて、衝動に流されないしたたかさを持った二人のお話でした。

【BL短編】無花果・バナナ・ドーナッツ

 

 

「ただいま~」

「おかえり~」

 

エプロンで手を拭き拭き、チャンミンは出迎えた。

 

土産もので膨らんだ紙袋を携え、2週間ぶりに騒々しくユノは帰宅した。

 

お久しぶりのユノの興奮っぷりと言ったら!

 

当然こうなる。

 

「今夜の俺はすごいぞ~」

 

猛々しくなったユノユノに、いつものチャンミンならむしゃぶりついていた。

 

ところが、チャンミンはどうも浮かない表情だった。

 

「...チャンミン?

どうした?」

 

「...僕、風邪を引いたのかなぁ?

今日は一日、熱っぽくて...」

 

早々と全裸になったユノに対し、額に手を当てて見せるチャンミンは下着もジャージパンツも穿いたままだった。

 

ユノは「大変だ!」と仰向けの姿勢から、腹筋力で勢いよく跳ね起きた。

 

「や、離してよ!」

 

チャンミンの制止なんておかまいなしに、額に手を当て、唇を押し当てて確かめた。

 

「...ん?

熱なんてないじゃん」

 

「でもっ!

身体がだるいんだ...」

 

「ふ~ん」

 

「だから今夜は...無理...みたい」

 

「女の子の日?」

 

チャンミンが気乗りがしない時は、そう言ってチャンミンをからかっていた。

 

いつもなら、「ユノの馬鹿!」と枕を投げつけて、ベッドからユノを追い出して、その夜のユノの寝床はソファとなるはずなのに。

 

「そうみたい」

 

ユノのジョークにのっかって、チャンミンはお腹をさすっている。

 

「2日目だから、腰がだるいし、お腹も痛いんだ。

風邪ひいたみたいに、具合が悪いんだ」

 

「ふ~ん...」

 

疑わし気に、ユノは目を細めた。

 

「...俺に隠し事してるだろ?」

 

(ドキぃ)

 

すっと目を反らしたチャンミンに、ユノはニヤニヤ。

 

「白状しろ。

俺に目視確認されたくないだろ?」

 

「...うっ...」

 

鼻先が触れ合わんばかりに、顔を寄せたユノから間近に睨みつけられ、ユノの唇は笑いをこらえている。

 

(あ~あ。

ユノにはバレてる)

 

観念したチャンミンは、事情を説明し始めた。

 

 

 

 

その日の午後のことだ。

 

(お腹が痛い...)

 

チャンミンは下腹をさすり、くの字になって横たわっていた。

 

今日が休日で助かった。

 

「...うぐっ...」

 

下腹を襲うぎゅるぎゅるに、チャンミンはトイレに駆け込む。

 

トイレとお友達になってしまったのには、理由があった。

 

 

長期出張中のユノが戻ってくるまでの2週間。

 

部屋を散らかす者も朝っぱらから騒々しい者もいない。

 

念入りに部屋の片づけと掃除にいそしみ、「メシはまだか?」と急かす者もいないから、レパートリーを増やそうと凝ったレシピにも挑戦できた。

 

3日目くらいから、寂しくなってくる。

 

着くたびれた服を清掃用に小さく切ってぼろ布にし、扇風機の羽根を洗い、ニットの毛玉とりをし、中身とケースがバラバラのCDやゲームソフトを元に戻した。

 

返却日を10日も過ぎたDVDを発見し、延滞料金をたっぷり支払わされたり、チャンミンに内緒で取り寄せたとみる小道具に赤くなり、ユノお気に入りの俳優が出演するドラマを録画予約した。

 

5日目くらいには、不在に慣れてくる。

 

メンズランジェリーのサイトでユノが喜びそうなものを注文し、入浴ついでに自身を慰めてみたり、大量に余らせた料理を冷凍保存したりした。

 

同棲期間10年目ともなれば、寂しさを紛らわせる術に長けた、留守番の達人となっていた。

 

チャンミンはそれなりに、おひとり時間を満喫していた。

 

ところが、予定よりも3日早く帰ってくるという。

 

しかも今夜!

 

チャンミンは慌てた。

 

昨日はデリバリーしたLサイズピザを平らげていたし、夕食ではとびきり辛い唐辛子料理を食べていた。

 

(仕方がない!)

 

使いたくはないが、今夜の為に無花果を使わざるを得ない。

 

気合を入れすぎて、3個連続で無花果したのがいけなかったらしい。

 

お腹は痛いは、肝心なところはじんじんするはで、チャンミンは半べそ状態だったのだ。

 

 

 

「そうだったのか」

 

チャンミンの説明に、ユノはうんうんと頷いている。

 

恥ずかしくて仕方がないチャンミンは、身体を丸め卵になっていた。

 

座った姿勢が辛かったからだ。

 

「...ごめんね」

 

「俺のために頑張ってくれたんだよな。

よしよし」

 

ユノは右手でチャンミンの尻を撫ぜ、左手でチャンミンの頭をくしゃくしゃした。

 

「待ってろ」

 

全裸のままで寝室を出たユノは、大きくかさばった紙袋を持って戻ってきた。

 

ユノが投げてよこしたそれを、チャンミンはぼすんと受け止めた。

 

ストロベリークリームでコーティングされた上に、カラースプレーが散っているデザイン。

 

「...ドーナッツ」

 

「今夜は5ラウンドくらいはやりたいなぁ、って。

激し過ぎて、チャンミンをガッタガタにしちゃうだろうなぁ、って。

満員電車はいいとして、会社の椅子が辛かろうと思ってさ。

超可愛いやつを見つけたんだ。

俺からのプレゼント」

 

「...ユノ」

 

「気に入ってくれた?」

 

「うん!」

 

素直に喜ぶチャンミンに、「こういう無邪気なところが可愛いんだよなぁ」と、交際期間が長かろうと関係なく、ユノはチャンミンに惚れ直すのだった。

 

「はうっ!」

 

ユノの驚きの叫び。

 

チャンミンはもう一度卵の姿勢になり、ユノの両腿の間に顔を埋めていた。

 

ちゅぽんっと唇を離して、チャンミンはにっこり、妖艶に笑った。

 

「アイスキャンディーを舐めたいなぁ、って」

 

「舐めろ舐めろ」

 

ユノは呻いて、反らした上半身を両手で支えた。

 

「そのアイスキャンディーは何味?」

 

「う~んとね」

 

アイスキャンディーを頬張りながらチャンミンは答えた。

 

「バナナ味。

すんごい大きいバナナなんだよ」と。

 

「チャンミンのアイスキャンディーも後で舐めてやるからな」

 

「齧ったりしないでよ?」

 

「溶けないように、優しく舐めてやるよ」

 

 

(おしまい)

 

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【BL短編】僕は猫

 

 

僕はユンホさんが大好きだ。

 

​僕の頭や背中を撫でる手のひらも、がっしりと逞しいユンホさんの胸に顔をうずめることも大好きだ。

 

僕を呼ぶ低い声音も、ユンホさんの足首にまとわりつくことも、全部全部、大好きだ。

僕はユンホさんのベッドで目を覚まし、昼間はユンホさんの帰宅を待ち、夜は再び、ユンホさんのベッドで眠る。

 

ユンホさんのことが大好きだから、ユンホさんの部屋を訪ねてくる男の人が大嫌いだ。

 

​彼がやってきた時は、僕はユンホさんの寝室から締め出される。

どんなに鳴いても、ドアは閉まったままなんだ。

 

頭にきたから、この前、僕を抱っこしようとした時、僕は彼の腕を思い切りひっかいてやった。

「こら!チャンミン!」

​と、ユンホさんに怒られたけどね。

​いいんだ、僕のユンホさんをとっちゃう奴なんか大嫌いだ。

ここ最近、僕は心配していることがある。

 

​ユンホさんの様子がおかしいんだ。

 

​飲めないお酒を飲むようになったし、

部屋の中はぐちゃぐちゃに散らかってきたし、

​​僕へのご飯を忘れたり、

​スマホの画面を見つめては何度もため息をついているんだ。

青ざめて痩せたユンホさんの頬を、僕は舐めてあげた。

 

​「チャンミン、ありがとな」と僕をなでながらも、ユンホさんの表情は固いまま。

「遠くへ引っ越さないといけなくなりそうなんだ」」

​ユンホさんはすごく、悲しんでいる。

 

ユンホさんの頬を舐めるのが、僕にできる唯一のこと。

 

​ユンホさんの腕に抱かれるばかりじゃなく、僕はユンホさんを胸に抱いて慰めてあげたい。

僕だったら、ユンホさんに寂しい思いはさせない。

​どうか神様、1日だけでもいいから、僕にユンホさんを守る力を下さい。

​最近、そう強く願っている。

窓から注ぐ朝日の光で、部屋の中は真っ白にまぶしい。

僕は毎朝、ユンホさんより早く起きるようにしているんだ。

​うっすらとまぶたを開けると、ユンホさんの頭のてっぺんが間近に迫っていた。

​あれ?と思った。

いつもなら目を覚ますと、最初に目に飛び込んでくるのは、ユンホさんの胸元のはずなのに。

前脚を持ち上げてみたら、毛むくじゃらじゃない、すべすべの腕。

​顔を触ると、やっぱりすべすべ、髭もない。

がばりと飛び起きて、僕は身体のすみずみまで点検する。

​洗面所まで走って行って(2足歩行ができる!)、鏡で顔を映してみた。

​やった!

​人間だ!

​願いが叶った!

あまりの嬉しさに小躍りしていると、「チャンミーン」と寝室から僕を呼ぶ声が。

​「ユンホさん!」

ユンホさんの元へ駆け戻った。

​「チャンミン、裸じゃないか!

風邪ひくぞ」

と、ユンホさんはクスクス笑った。

「今日は、何する?」

​ユンホさんは、ニコニコと楽しそうに僕にたずねた。

​僕は牛乳をひと口飲んでから、

「散歩して、買い物して、一緒にご飯を作りたい」と答えた。

​「いいね!

普通っぽい過ごし方って、今までしたことなかったなぁ」

​キラキラ光るユンホさんの目。

​黒くて、奥行きのある、宝石みたいに...僕は猫だから「宝石」を見たことはないんだけどね...綺麗なユンホさんの目。

「今すぐ出かけましょう!」

​ガタリと勢いよく立ち上がったせいで、僕の椅子がバタンと後ろに倒れてしまった。

 

「チャンミン、喜び過ぎ!」って、ユンホさんは笑ってた。

 

僕が人間でいられるのは、たった1日だけ。

​1分でも無駄にできない。

「ジャージーでもスウェットでも、何でも似合うんですから、洋服なんてどうでもいいでしょう?」

​着替えに手間取るユンホさんを急かし、僕はユンホさんの洋服を借りて、外出までこぎつけた。

僕はずっとユンホさんと手をつないでいた。

​ユンホさんの大きな手に、僕は愛おしい気持ちでいっぱいだった。

​「ユンホさんのことが、大好きです」

​​「僕はユンホさんのことが、大切です」

​​「ユンホさんとこうして、一緒にいられて幸せです」

ユンホさんが照れても、僕は構わず、何度も気持ちを伝えた。

愛情を言葉で伝えられるって、なんて幸せなことなんだろう。

​ユンホさんの隣を歩いて、スーパーで一緒に買い物をして、同じ部屋に帰って、1つのテーブルで食事をする。

​すべてが貴重で、今日だけの思い出だ。

ユンホさんは、一日中、笑っていた。

​ユンホさんの笑顔がまぶしくて、僕は彼をギュッと抱きしめてしまう。

​何度も何度もユンホさんを抱きしめた。

​「僕はユンホさんの味方です、どんなときも」

​「僕は何があっても、ユンホさんを守るから」

ユンホさんは、「チャンミンったら​」と照れてばかりだったけど、しまいには泣いてしまった。

​僕は「ごめんね」と謝って、ユンホさんを抱く腕の力をさら強めた。

​ユンホさんの匂いと肌に包まれて、僕の心はぽかぽかと温まる。

​でも、

楽しい時間は、過ぎるのがあっという間だ。

僕は、ユンホさんと交わした言葉のひとつひとつを、ユンホさんと一緒に見た景色を、絶対に忘れないように、心に刻んだ。

​明日からは、ユンホさんと会話を交わすことは出来ない。

 

​ユンホさんを抱きしめてあげることもできない。

ただの猫に戻って、ユンホさんに可愛がってもらうだけの存在になってしまうから。

ユンホさんとひとつベッドで横になった時も、僕は彼の手を握っていた。

「俺はどこにもいかないよ」

​ユンホさんはくるりと寝返りをうって、僕の方を見た。

「ずっとチャンミンの側にいるから」

​でもね、ユンホさん。

 

人間のチャンミンは今日でどこかへいってしまうんだよ。

ユンホさんの潤んだ瞳を見つめているうち、僕の目から涙がこぼれ落ちた。

僕はこのまま、人間の男でいたいよ。

「やだなぁ。

泣いてるのか?」

​ユンホさんは、親指でそっと僕の涙を拭いてくれる。

​ますます切なくなってしまって、僕はユンホさんの胸にしがみついて、もっと泣いてしまった。

​「おかしなチャンミン。

泣き虫だな」

​ユンホさんは僕の背中をとんとんと、なだめるように叩いてくれた。

​これじゃあ、いつもと同じじゃないか、ユンホさんに抱かれるなんて!

​僕は思いきって、ユンホさんの小さな顔を両手で包んで、彼の唇にやさしくキスをした。

​「チャンミン、嬉しいよ」

ユンホさんも、やさしく僕にキスをしてくれた。

僕の心は、幸福でいっぱいになった。

​ユンホさんをギュッと抱きしめた。

​ユンホさんも、僕の背中に手をまわして抱きしめてくれた。

​このまま夜が明けなければいいのに。

​神様は、2つもお願いはきいてくれないだろうな。

​僕は猫。

​ユンホさんに飼われている、ちっぽけな猫。

​人間の男になって、ユンホさんと一緒に過ごせた今日一日のことを、僕は死ぬまで忘れないだろう。

 

 

 


 

 

 

気持ちよく晴れた朝だ。

感じる肩の重みは、彼の腕。

​横向きに、軽く口を開けて眠っている彼の、寝ぐせだらけの髪をなでる。

​寝ているかと思ったら、ぱちっとまぶたが開いて、三日月型になった。

​「もっとなでて、気持ちいいから」

​「いいぞ、いくらでも」

​彼は、猫みたいに俺の胸に頬をすり寄せてきた。

​「チャンミンみたいだな」

「僕も猫になりたい。ずっとユンホさんの側にいたい」

​「本気か?

さあ、チャンミンを入れてあげないと」

​彼をベッドに残したまま、リビングに締め出していたチャンミンを探す。

チャンミンを抱き上げ寝室に戻ると、彼は起き上がってTシャツの袖に腕を通しているところだった。

​彼の腕に走る痛々しい傷。

​「痕が残るかもしれないな。

悪かったな、うちのチャンミンのせいで」

​「いいんです。

彼が怒るのも当然です。

僕はいつもあなたを一人にしていたから」

彼は腰かけたベッドを叩いたので、その隣に俺は座る。

「一人にしておいたのは、俺の方だろ?」

 

「ねぇ、ユンホさん」

​彼はチャンミンを抱いた俺の肩にとん、と頭をのせる。

​「僕は昨夜、不思議な夢をみました」

 

「どんな?」

「僕は...猫に...ユンホさんのチャンミンになっていました。

​猫のチャンミンは毎日留守番で、寂しくてたまらないのですよ。

でも。

ユンホさんの方も、とても寂しい思いをしているって、知りました。

​それから、ユンホさんと過ごす時間がどれだけ大切なものかも」

​「お前が...猫に?」

「チャンミンがユンホさんのことが好きでたまらないことも、よく分かりました」

「チャンミンは俺にべったりだからな、はははっ」

​彼は微笑んだ。

​「...なんだか妙な気持ちです。

​ユンホさんのチャンミンと、僕が同じ名前だなんて」

俺はチャンミンの肩を抱く。

​「だって、お前がプレゼントしてくれた猫だから。

​お前の名前を呼んでいたいんだ」

 

​​「ユンホさんの匂い...大好きです」

 

​チャンミンはクスクス笑って、俺の首筋に鼻先をこすりつけた。

 

​「くすぐったいよ」

 

​「ねえ、ユンホさん」

​チャンミンは俺の顔を覗き込んだ。

「ユンホさんは忙しいから、なかなか僕に会える時間がとれませんよね?

もう少ししたら、ユンホさんは遠くへ行ってしまう。

僕はユンホさんの近くにいたいんです。

だから、解決法を考えました」

​チャンミンは言葉を切ると、ふっと真面目な表情になる。

「僕と一緒に住みませんか?」

​「えっ?」

 

「僕と住みましょう」

「チャン...ミン?」

「ユンホさんがどんなに忙しくても、帰るところは僕の元です。

もちろん、僕が忙しくても、帰るところはユンホさんと一緒の場所です」

鼻の奥がつんとしてきた。

「僕...ユンホさんについていきます、どこまでも」

チャンミンはぎゅうっと俺の手を握った。

​フーフーいう猫のチャンミンの頭を、チャンミンは撫でた。

「実は、引っ越しの準備を始めているんです。

ユンホさんの答えを聞く前に...気が早いですね、ふふふ」

ひっかこうとする猫のチャンミンのパンチを避けながら、チャンミンは俺の手を引いて立ち上がらせた。

「向こうでは広い部屋にしましょうね。

それから、大きなキャットタワーも置きましょう。

チャンミンが喜ぶように。

あ、僕じゃないですよ。

猫のチャンミンのことです」

 

「お前がキャットタワーで遊んだりしたら、壊れちゃうよ」

笑い泣きする俺の頬を、チャンミンは両手で包んだ。

​「僕んちまで来てください。

引っ越しの手伝いをして欲しいので。

ほらほら!

出かけますよ」

チャンミンは俺の腕をぐいぐい引っ張る。

 

​「待てったら!

ヒゲも剃ってないし、着替えも...」

​「ユンホさんは、どんな格好でもかっこいいですよ。

その前に...涙を拭いてください」

チャンミンはTシャツの裾を引っ張ると、俺の涙を拭う。

 

「ユンホさんって、実は泣き虫なんですね」

 

「チャンミンの方が泣き虫だって」

 

「いいえ。

ユンホさんの方が泣き虫ですよ。

でも、安心してください。

泣きたい時は、僕が胸を貸してあげますから」

 

そう言ったチャンミンは、チュッと音をたてて、俺にキスをした。

 

不機嫌そうな(猫だから表情は読めないが、きっとそうに決まってる)猫のチャンミンの喉を撫ぜてやる。

 

ビロードのように滑らかで艶やかな毛皮、グレーの瞳。

 

なあ、チャンミン。

 

お前はなんて、美しい猫なんだろう。

 

ああ、俺は幸せだ。

 

俺とチャンミンと、猫のチャンミンとの生活。

 

2人のチャンミンに挟まれた生活を想って、ワクワク感で胸がいっぱいになった。

 

 

 

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(52)麗しの下宿人

 

「アルファがいる!」

 

声量は抑えているものの、それは警戒の鋭さをもったものだった。

『アルファ』の言葉に、僕の背筋がぞわりと怖気が走った。

「怖い!」と思った。

「アルファはとても危険」だと、主治医や学校から何度も何度も、口酸っぱく聞かされていたせいなのか、それともオメガが持つ本能的なものなのか。

“ユノ以外”のアルファが、満員に近いこの車両にいるのだ。

アルファは勘が鋭い。

同属の気配を感じ取ったのかな。

僕はドアとユノの間に挟まれて、じっと身を縮こまっていた。

車内が混雑していて、助かった。

オメガの匂いを嗅ぎつけて、乗客たちを押しのけズカズカと近づくような、乱暴な行為はしにくい。

...でも、冷や汗がとまらない。

ユノの胸が壁となって、僕の視界は完全に奪われている。

 

「ユノちゃん

どこにいるの?

そいつは、どこらへんにいるの?」

 

不安になって、小声で訊ねた。

 

「!」

 

ユノは僕の質問に答えないばかりか、突然僕の喉をつかんだのだ。

僕の首は、彼の大きな手の平の中にすっぽり収まった。

力を込めたら、頼りない僕の首などポキンと折れてしまいそうだった。

ユノの意図が読めない僕は、首だけじゃなく心臓までもが握りつぶされるんじゃないかって。

一瞬、だけど、僕の香りのせいで、凶暴になったユノが僕を窒息死させようとしたんじゃないか、って思ってしまった。

アルファが近くに居ると分かった途端、ユノの慌てっぷりを見れば、そう思ってしまっても仕方がないと思った。

アルファの本能は、アルファだけしか分からない。

極度の緊張のせいで、僕の首筋からオメガの香りがより濃く立ち昇り始めていたのだろう。

 

「チャミ、早く!」

 

そういうことか、と思った。

ユノは手の平でそれを覆っただけだった。

僕は大慌てでバッグの中をひっかきまわし、やっとで取り出したタオルを口元に押し当てた。

 

「我慢してて」

 

ユノは囁いた。

僕は小さく頷いた。

窓の外を眺めたかったけれど、身じろぎすら許されなかった。

降りるべき駅まで、僕はユノの胸に片頬をくっつかんばかりに迫った、彼のポロシャツの柄を、胸ポケットの刺繍や刺繍糸の一本一本を目でたどりながら、時間をつぶした。

いつもの毛羽だった着心地よくくたびれたものではなく、通院の日のユノは、目の詰まったちょっといいシャツを着ている。

 

「降りよう」

「え?」

 

降りるべき駅の1つ手前の駅で、僕たちはホームへ降りた。

それから、下車する乗客たちの為に脇に退いた。

 

『...間もなくドアが閉まります...』

 

発車のアナウンスと共に、ホームで待機していた者たちは、電車に乗り込み始めた。

僕とユノも彼らについて行こうとした瞬間、僕の手は強く勢いよく引っぱられた。

そして、僕らの背後でドアが閉まった。

走り去る電車を見送る間もなく、ユノは僕を抱えるようにして、エスカレーターを駆け下りた。

 

「ユノちゃん!

待って!」

「あと少しだ。

頑張れ」

 

「そういうことか」と、ユノの意図が読めた。

最寄り駅を知られたくないのだ。

追いかけられる危険を避けたのだ。

長い脚の大きなストライドについてゆけず、僕の足はもつれ、半ば宙でばたつかせていた。

大きな男に引きずれてゆく子供。

すれ違う者たちは僕らを目にしても、すいっと目を反らし、足早に歩き去ってしまう。

遠巻きに様子をうかがっていた駅員たちも、僕と目があった途端、元の業務に戻ってしまった。

誰しもがユノに恐れをなして、声をかけられずにいるようだった。

 

「君っ!」

 

ひとり勇敢な中年男性がいたけれど、ユノに一瞥されると、「いや...何でも...」とか、もごもご言って引き返していった。

アルファを恐れるのは、その他大勢のベータたちも同様らしい。

ユノがアルファだと知らなくても...この世の人たちが、アルファ・ベータ・オメガの存在を知らずにいても、アルファが持つ絶対的な何かにひれ伏してしまうんだろう、きっと。

 

(あれ?)

 

てっきり、2、3本ほど電車をやり過ごすだけかと思ったら、気づけば僕らは改札を抜けていた。

雨は上がっており、にわか雨だったようだ

ここから下宿屋まで、歩いて帰るには遠過ぎる。

濡れた路面に反射している太陽も、夕日の光だった。

僕らは駅から遠ざかり、バス停も通り過ぎてしまった。

ユノはようやく、僕の手を離した。

僕の手首に、ユノの指の痕がくっきりと、赤く残っている。

 

「もう大丈夫だ」

 

ずっと怖い顔をしていたユノが、笑顔を見せてくれて、僕の緊張も解けた。

電車のアルファへの恐怖など、ドアが閉まった以降忘れてしまっていた。

ただただ、切羽詰まったユノの剣幕に圧倒されっぱなしだったのだ。

ここまで大慌てすることなのかな、大げさだなぁ、と思ってしまったくらいだ。

 

「チャミ、腹減ってる?」

「まあまあ、かな?

でも」

僕はユノの手を取り、彼の腕時計で時刻を確かめた。

 

「今、4時だよ?」

 

夕飯には未だ早い時刻だった。

 

「牛丼でも食って帰るか」

「今から?」

「ああ」

「時間は?

バイトがあるんでしょ?」

「バイトに行かなければならない」と、診察を中断させてまでして、帰宅を急いだのに。

「今日は休みだってことを忘れてたんだ」

「ええ~」

 

ユノは申し訳なさそうに、眉尻を下げ、「ごめ~ん」とふざけた風に言った。

 

(つづく)