~ユノ~
片手に下げた紙袋には、母さんが持たせたおかず入りのタッパーと缶詰が入っている。
夕刻前の電車に揺られた俺の意識は『あの人物』へと飛んでいた。
車両の半分を占めた女子高生なんて、全く視界に入っていなかった。
太もも丸出しのプリーツスカートなんて、どうでもいい。
なんだあいつ...。
チャンミンと再会した時のあの衝撃...思い出すだけで、鼓動が早くなるのだ。
一瞬間、頭が真っ白になり、その後に怒りが湧いてきた。
なんなんだ、あいつは!?
あの男は俺を驚かせてばかりだ。
失恋の痛みに浸りながら、たまに涙をこぼしたりして(俺は涙もろい)、しんみりとした数か月を過ごすだろうと覚悟していたのに。
それどころじゃなくなったじゃないか!
そりゃあ、友人が増えるのは喜ばしい。
大人になってから、新たな友人を得る機会がぐっと減った。
どこか一歩下がった、控え目な探り合いのような付き合いになってしまう。
お互い仕事もあるし、価値観みたいなものも固定されてきて、学生時代と同様にはいかない。
(不思議なことに、女の子相手だとその辺りは特に問題にならない)
ところがチャンミンは例外だった。
いきなり距離を縮めてきて、俺のナイーブな部分にまで踏み込んできた。
それだけじゃなく、自身の秘部までさらしてきやがった。
経験人数ゼロな俺を馬鹿にしなかったのには新鮮だったし、俺の童貞至上主義を揺るがすような指摘と質問を投げかけてきた。
「チャンミンは俺を狙っているのでは!?」なんて疑いを持ってしまったけれど、もしそうならば、己の激しい男関係を明かすはずはない。
...ん?
「僕とエッチしても、深刻に捉えなくてもいいよん。
だって僕ってほら、尻軽でしょ?
僕は男だし、ユノの『この子だ!』の数には入らないよん」
...のつもりで、明かしたのか?
なんて策士なんだ!
チャンミンがゲイだからって、俺に好意を抱いてるからって、即『ヤル』ことに結び付けてしまう俺の方が頭がいかれている!
...ん?
今は、チャンミンのケツと俺のチェリーの話は後回しだ。
チャンミンの職業に仰天した話に戻ろう。
なんなんだよ、あのゲイ・ボーイは!
あいつはチャラい恰好とは裏腹に、老人ホームでまっとうな専門職に就いていた。
ウメ祖母さんを見ているから、ご老人たちのお相手は大変だろうに。
きっと、優秀な介護士なんだろうなぁ。
チャンミンの仕事ぶりを直接見たわけじゃないけれど、そうなんじゃないか、って思ったんだ。
愛嬌があるし、細っこい身体つきであっても力仕事では頼られているだろう。
長い前髪はゴムで結わえてあり、額に汗が浮かんでいた。
仕事、頑張ってるなぁって。
見直した、という意味じゃないのが不思議だ。
予想外な出来事でありながら、予想外じゃなかった。
過去の恋愛遍歴を軽々しく語るチャンミンの、醒めた目の色が気になっていたことと繋がる。
チャンミンは、多くにおいて『裏腹な』人物なんだろう。
惚れやすく(惚れられやすい)恋愛にかまけているようで、ご本人は恋愛事にのめりこんでいるわけじゃない、とか。
いくら意外過ぎるからって、職業のことでチャンミンをからかうのは止しておこうと思った。
チャンミンは分かってるんだ、見た目と夜の姿とのギャップの大きさに。
「どちらがチャンミンの本当の姿か?」と、追求する必要も権利も俺にはない。
それにしても...。
言動と実態があっちこっちバラバラで、キャラクターを掴みきれない。
チャンミンをどう思っているかって?
...分からん。
(あっぶね~!)
電車を乗り過ごすところだった。
ポケットの中のスマホが振動した。
ホームに降り立ち、人波を避けて階段裏に回り込み、通知内容を確認すると...。
「あいつ...!
なにやってんだよ!?」
ウメ祖母ちゃんとチャンミンのツーショット写真だった。
祖母ちゃんはこれ以上はない程、顔をくしゃくしゃにさせて笑ってVサイン。
チャンミンなんて祖母ちゃんの肩を抱いてるし!
(うちの祖母ちゃんに手を出すなよ、と思いかけた直後、待て待て、祖母ちゃんは80半ば、チャンミンの恋愛対象は男だったと思い出した)
極めて自然な流れで、チャンミンは俺の家族との関りを持つこととなった。
「...明後日かぁ」
~チャンミン~
多くの店が閉店し、コンビニエンスストアとファミリーレストランの煌々とした灯りが、歩道を明るく照らしている。
看板照明に、夏虫がパタパタと集まっていた。
昨夜はユノの部屋に泊まったため、午前中に食材の買い出しに行けていない。
(遅番の日は、夕飯を用意してから出勤するのが常なのだ)
「シャワーでしみちゃうじゃないか」
入所者のひとりに、腕をバリバリっと引っかかれたのだ。
この仕事は生傷が絶えない。
噛みつかれた人もいる。
今日入所してきたウメさんは、まともな部類に入る。
僕を驚かせたお返しに、ウメさんと撮った写真をユノに送り付けてやったのだ。
「うふふふ」
一軒のファミリーレストランの前を通りかけた時、「今夜はここで夕飯を済ませよう」と、行き過ぎた足を止めた。
ポケットにはユノに借りた紙幣が2枚ある。
『部屋着』Tシャツは恥ずかしかったけど...ま、いっか。
・
店内はそこそこ混雑していた。
寒いくらいにきいた冷房で、すぐに汗がひいた。
案内された2人席につくなり、お腹がペコペコだった僕はメニュー表を開いた。
予算を考慮しながら、から揚げセットとドリア、ポテトフライを注文した。
ビールを飲みたいところだけど、昨夜のみ過ぎたから今夜は我慢だ。
頬杖をついて、談笑でざわめく店内をぼーっと眺めていた。
ユノと食事をするなら気取ったところもいいけれど、純朴そうな彼はこういったカジュアルな店が似合う。
庶民的という意味じゃなくて、その方が寛いでくれるんじゃないかなぁ、って。
「よっ!」
突如、声をかけられ、僕の正面に男が座った。
「偶然だな、ここで会うなんて」
僕は思いっきり嫌な顔をした。
3人前か4人前に付き合っていた男だった。
「よそに行けよ」
僕の言葉など無視して、そいつは店員を呼びつけて酎ハイを注文した。
届いたばかりの料理はそのままに、僕は席を立った。
「座れよ」
もの凄い力で僕の手首は握られた。
厄介なことになったと、暗い気持ちになった。
(つづく)
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