~チャンミン~
僕は男の手を力いっぱい振りほどいた。
「放せっ」
僕の拒絶を意に介していない男はニヤニヤ笑っている。
テーブルの上のものを脇にのけると、身を乗り出してきた。
「随分とダサい服着てるんだな?」
ユノに借りたTシャツを顎で指すと、男はけたけた笑った。
「うるせえな。
行けよ。
邪魔だ」
「そういうわけにはいかないな。
浮気相手とは今も続いてるのか?」
「関係ないだろ?」
忌々しいことに、男の見た目はよかった。
男のルックスのよさと、逞しい身体に抱かれたくて近づいたのは僕の方だった。
半年ほど前のことだ。
男はフライドポテトをとって、ねぶるように咥えた。
「そいつのをしゃぶってるんだろ?
...こうやって?」
「......」
「お前にゴミみたいに捨てられて...俺はどうなったか...分かるか?」
目の前の男もその次の男も、つまみ食いのつもりだった。
男との身体の相性はよく、遊びの相手とは1度しか寝ない主義に反して、彼とは10回は寝ただろうか。
男は僕に本気になってしまった。
『お前のけつは見境がねえんだな』
...これが、別れ際に男が吐き捨てた言葉だ。
『そうだよ。
見損なっただろ?
僕はこういう男なんだ。
悪いけど、僕は君のことは最初から好きじゃなかった』
残酷な言葉を浴びせて、男を遠ざけた。
これまで一体何人の男と関係を持ってきたのか、自分でも正確な数字は分からない。
壮絶な幼少時代も経験していないし、トラウマも何もない。
確かに、思春期頃に僕の本来の嗜好が周囲にばれて、嫌な思いをした経験は嫌というほどある。
ストレートの男子を好きになり、失恋を繰り返さざるを得なくなった結果、恋愛感情を抱くこと自体に恐れをなしたわけでもない。
恋愛に関しては、僕は驚くほどタフなのだ。
本気の恋愛を差し控えるようになったのは、別れの修羅場が面倒だったから。
心の通い合わせなんて...面倒なだけだ。
感情が絡んでくるから、修羅場になってしまうのだ。
恋愛感情なんていらないのでは?...18歳の時、至った結論はこれだった。
性欲は当たり前にある。
それの処理については、身体を繋げ合い、相手の温かい体温を感じ、意識がぶっとぶような快感にいっとき溺れられたら、それで十分じゃないか?
「俺はお前が憎いよ」
「だろうね」
「あの時は大人しく引き下がったけれど、今お前と会ってムカついてきた。
償ってもらわないとな」
「償うって...。
僕は君には何もしてあげられない」
食欲を一気に失った目の前で、料理は冷めていく。
「食わないのか?」
「僕は君に話したいことは何もない。
君との関係は終わったんだ。
悪いけど、どっかへ行ってくれないかな?
行かないなら、帰らせてもらう」
席を立った僕の手首は、再び男に捕らえられた。
筋肉自慢の男は力が強い。
「『悪いけど』...。
お前の口癖だなぁ?
悪いと思ってんだ」
僕はそれに応えず、男を見下ろし睨みつけた。
すごんで見せても、僕の顔じゃいまいち迫力がないのだけど。
「俺さ、連れと来てんの」
男は背後を親指で指した。
「ボコってやろうか?」
「!」
血の気が下がった。
男が指した先に、僕らのやりとりを眺めていたらしい男たちが3人。
「あん時の俺は大人しかったからなぁ?
お前の綺麗な顔が...すげぇ、ムカつく」
「あっ...!」
テーブル脇に置いたスマホが、男の手にさらわれた。
「返せ!」
男は取り返そうとする僕の手を払いのけた。
不穏な空気に、周囲の客も気づき始めたようだった。
店員も店長らしき男性を呼び寄せ、ひそひそと囁きあっている。
「立て」
僕の二の腕を握った男の力の強いことと言ったら!
男の怒りはごもっともだ。
それにふさわしいだけのことを、僕は彼にした。
寝る度に真剣みを帯びてきた男の目の色に警戒するようになり、同時進行で会っていた別の男に乗り替えた。
「離せっ!」
抵抗する僕に、男は耳打ちした。
「店の迷惑になる」
僕は男に肩を抱かれて店外へと出るしかなかった。
食べずじまいの料理の代金は男が払った。
男と関係を持っていた頃も、ホテルの支払いは彼が全部もってくれた。
僕の無様な姿といったら!
男の連れたちも、僕らを追ってきた。
店の1階駐車場の暗がりで、僕は4人の男たちに囲まれた。
ヤバそうな奴...いわゆる輩感のある奴...はいないようで安心した。
鼻息荒いのは男だけで、僕が見る限り、他の彼らは付き合わされている感いっぱいな傍観者だった。
「ボコる」は、僕を怖がらせようと吐いた台詞のようだ。
身体の相性がよくても、1度きりのセックスに留めておかなかった結果がこれだ。
こんな修羅場めいたシーンに遭いたくなかったから、自分なりのルールを決めていたのに...今さら後悔しても遅いんだけど。
「え~っと。
お前の『今の男』は誰かなぁ?」
「返せよ!」
僕に取り返されないよう、男はスマホを持った手を遠くに掲げてしまった。
男は僕のスマホをスクロールし始めた。
「お!
こいつだな」
直近の履歴は...ユノだ!
関係を持った男たちとは連絡先をぜったいに交換しないから。
「止めろ!」
ユノを巻き込むわけにはいかない。
僕は派手な恋愛遍歴を持つ男なんだと、ユノにはバラしていた。
けれどもユノはきっと、僕とは単に惚れっぽい奴程度に捉えていると思う。
僕の最低な過去の「実態」を知られたくなかった。
操作する男の腕に飛び掛かった直後、胸をどんと突かれ、僕は勢いよく後ろに転んでしまった。
手の平がざらついたアスファルトにひりひりする。
僕のスマホを耳にあてる男を、「どうかユノ、電話に出ないで!」と祈りながら固唾をのんで見守った。
「お宅が『ユノ』さんか?」
僕はがっくりと肩を落とした。
(つづく)
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