(51)ぴっかぴか

 

~ユノ~

 

面会終了時間30分前に、ばあちゃんが入所するホームに滑り込んだ。

 

車いすに乗ったばあちゃんが、中庭を見渡せるホールの窓際でうつらうつらとしていた。

 

俺が近づいていっても、ばあちゃんの視線は外の景色へ向けられたままだった。

 

空はほんのり赤く染まり、網戸の向こうから虫の鳴き声が聞こえる。

 

夕立で濡れた芝生が光っている。

 

夏が終わりに近づいている。

 

「俺んとこの団子。

売り切れる前に取り置いてもらったんだ。

ばあちゃん、好きだろ?」

 

携えてきた団子のパックを見せると、ばあちゃんの表情に正気が戻った。

 

間続きになった食堂から、出汁の匂いが漂ってきた。

 

椅子を並べ替えたり、テーブルを拭いたりしている職員の姿を見て、俺はハッとする。

 

よく考えずに買ってきてしまったが、夕飯間際の時間だった。

 

「ごめん、ばあちゃん。

もうすぐご飯の時間みたいだ」

 

と、ばあちゃんに持たせた団子のパックを取り返すと、ばあちゃんは「食べたいんじゃが?」と不服を申し立てた。

 

「夕飯が食べられなくなる。

スタッフさんに預けておくよ。

明日、おやつの時間に貰いなよ」

 

ばあちゃん担当のスタッフこそがチャンミンなのだ。

 

ホールを見渡してみたが、チャンミンの姿はなかった。

 

(今日のチャンミンは夕飯配膳担当ではないはず...食事のお迎えに行っているのか)

 

チャンミンのシフトを把握している俺はこう推測した。

 

このホームではシフトごとに担当が変わるらしい。

 

俺は近場にあったパイプ椅子を引き寄せ、ばあちゃんの正面に座った。

 

「母さんは来た?

新しい肌着を持ってくるって

ばあちゃんは今日、何した?

俺は仕事だった。

...忙しいかって?

繁忙期は過ぎたから暇だよ。

秋メニューの試食をしたよ。

ばあちゃん、栗ご飯好きだもんな。

ここの食事はどう?

...おいしい?

それはよかった。

...何して遊んでるって?

この前、友達と買い物に行ったんだ。

映画も観たよ。

ここでは何かリクリエーションってあるんだっけ?

...習字?

分かった、帰り際に見せてもらうよ」

 

ばあちゃんが聞いているか聞いていないか構わず話しかけていると、そのうちばあちゃんの意識と思考は眠りから覚め、やっとで会話ができるようになる。

 

ここでの時間の流れは緩慢過ぎて、うたた寝してしまいそうになる。

 

大声ではしゃぐ集団もいない、走り回っている者もいない、物のスケールが大人サイズの保育園のようだ。

 

芝生の広場には当然、ブランコも砂場もない。

 

すべての壁にぐるりと手すりが取り付けられている。

 

俺は日々、セールのアナウンス放送が延々と流され、商品があふれる店内は疲れ目にチカチカするような、目と耳に騒がしい場所で働いているから、余計にギャップを感じてしまう。

 

比較してしまうのはここがチャンミンの職場だからだろうか。

 

金魚の水槽や観葉植物や花瓶が置かれているのは、みずみずしいもので空気がよどまないようにしているためなのか?

 

「嫁さんは元気か?」

 

「は?」

 

「嫁さんとうまいことやっとるか?」

 

やれやれ、ばあちゃんの妄言が始まった。

 

ばあちゃんの意識は過去と現在、未来を行ったり来たりしている。

(未来というより、妄想の現在と言った方がいいかもしれない)

 

無下に否定したりせず、俺はばあちゃんの会話に付き合ってやる。

 

「子供らは元気か?」

「うん、元気元気」

 

ばあちゃんによると、俺には妻も子供もいることになっている。

 

俺はまだ25歳で結婚なんてリアルに考えたことはないし、特に今の恋人が男だということもあって、より遠くなってしまったイベントだ。

 

ばあちゃんはおもむろに、「こずかいをやろう」と車いすの脇ポケットからがま口財布を出してきた。

 

「いやいやいやいや。

ばあちゃん、いらないよ」

「ユノにお年玉をやらないと」

 

「今は夏なんだけどなぁ」と内心苦笑しながら、無理やり握らされたお札を無下に突っ返したりせず、「ありがたく」とポケットにねじこんだ。

 

もちろん、帰り際にばあちゃんの財布に戻しておく。

 

このやりとりは恒例のもので、ばあちゃんはいつでもこずかいをあげられるよう、財布を携えているのだ。

 

「ばあちゃんの担当の...チャンミンさんはどう?」

 

チャンミンの名前を出すだけでドキドキした。

 

まさか俺と恋愛関係にあるとは、誰も想像しにくいだろう......ばあちゃんの世代なら余計に。

 

「...チャンミン?」

 

ばあちゃんは一瞬視線を彷徨わせたが、

「あー、チャンミンさんね。

うんうん、あの子はいい子ね」

と、団子を見せた時以上に目を輝かせたから、チャンミンを気に入っていることが分かって安心した。

 

「喉を詰まらせる可能性のあるものはご遠慮ください」

 

突然、背後から声をかけられた。

 

振り向くと、ジャージにエプロン姿のチャンミンがぬうっと立っていた。

 

長い前髪はゴムでひとつにまとめている。

 

「あ...ども」

 

会釈をすると、チャンミンはよそ行きの笑顔を見せて挨拶した。

 

「こんばんは、ユノさん」

 

(けっ。

ユノ『さん』だってさ)

 

よく見るとチャンミンの笑顔はぎこちなく、気を許して意味ありげな視線を送ってしまわないよう抑えているようだ(それは俺も然り)

 

ここは恋人の職場だから、節度ある言動をとらねばならない(トイレや備品室に引き込んでヤるとかあり得ない)

 

今日はこの後俺んちにお泊りするくせに、チャンミンは「仕事帰りですか?」ととぼけた質問をしてくる。

 

「はい。

遅くなってしまって...夕飯間際にすんません」

「食事の介助をされていくご家族もいらっしゃりますから、大丈夫っすよ」

 

食事の配膳まで済ませると、チャンミンの今日の仕事は終了だ。

 

そして、ばあちゃんの見舞いを終えた俺と合流して、俺んちに向かう。

 

途中で食事をしてゆくか、できあいの物を買っていくかは道中決めればよい。

 

恋で頭がいっぱいになってしまうような若造じゃないから、寸暇を惜しんで会うような無理はしない。

 

俺たちはそもそも休日が合わないし、徹夜が辛くなってきたから、そうしたくてもできないというの正直な話だ。

 

チャンミンの顔を見たのは10日ぶりだった。

 

「ウメさん。

お団子は僕が預かりますね」

 

「チャンミンさんよ」

 

ばあちゃんに手招きされて、チャンミンは車いすの傍らにしゃがんだ。

 

「な~に、ウメさん?」

 

「うちのユノを婿としてどうや?」

 

「ムコ?」

 

「ユノは25にもなって結婚もしとらん。

うちのユノは優しくていい子だ。

ムコに貰ってくれんか?」

 

「ばあちゃん!」

 

俺はチャンミンとばあちゃんの間に割って入った(年齢だけは正確に覚えているんだ、と思いながら)

 

「変なこと言わないでよ!

チャンミンさんは男だよ!」

 

「ユノや。

変なこと言ってるのはお前だよ。

嫁さんに失礼なこと言ったらだめだよ」

 

(嫁さん?)

 

今日のばあちゃんは、彷徨い方のふり幅が大きくて付き合いきれない。

 

「お前は、思っていることをす~ぐ口に出す癖があるからの。

チャンミンさんに失礼なこと言ったら駄目だよ?」

 

ばあちゃんは再びがま口財布を取り出した。

 

「ユノや。

チャンミンさんと美味しいもの食べておいで」

 

ばあちゃんは抵抗する俺の手に、紙幣をねじ込んだ(こういう時のばあちゃんは馬鹿力を発揮する)

 

「さっきもらったばかりだから!」

 

「けち臭いムコは嫌われるよ?」

 

「わかったわかった。

ばあちゃんの言う通りにするよ」

 

チャンミンの方を振り返ると、彼は吹き出すのを必死でこらえていた。

 

(つづく)

 

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