「ユノさんはその大事な人と居る時も、今みたいだったの?」
僕はユノのゴーグルとマスクを指さした。
人の洋服すら触れられないユノだ。
どうやってその大事な人とキスをしたり抱き合ったりしていたのか、疑問に思っていたのだ。
食堂の窓の桟にもたれてロータリーを見下ろしていた僕は、もたれることが出来ずに突っ立った背後のユノを振り返った。
今日は新入りは来ないようだ。
「俺は潔癖過ぎるところがある」
「潔癖中の潔癖の潔癖だよ」
ぷっと吹き出した僕を、ユノは睨みつけたのち、自嘲気に唇を斜めにした。
「その人となら平気だったんだ」
ユノの答えが意外で...いや、意外じゃなかった、そうだろうな、と。
「その人となら、マスクも手袋もいらない、消毒液で清めなくていい。
裸で抱き合えたよ」
「......」
「その人だけだよ」
僕はごくり、と唾を飲み込んで「そうなんだ...」とつぶやいた。
「じゃあ、その人は無菌でクリーンだと思えたから?」
「いいや、違う」
ユノはきっぱり否定した。
「その人は特別だったんだ。
俺がLOSTに逃げ込まざるを得なかったのは、その人が特別だったからだよ」
ユノは『特別』を繰り返した。
その人はよくて、僕は駄目なんだ。
僕は哀しくなった。
待って。
チャンミン、落ち着いて。
ユノとは出会ったばかりなんだよ。
素性の知らない、頭がおかしくなった男に、1日やそこらで気を許すわけないじゃないか。
でも...ユノと会話を交わし、共に日差しを浴び、ラムネを見て...僕に涙を見せて...。
ユノに近づけた気がしていたんだ。
落ち着いて、チャンミン。
たった1日で、心の防御が緩むはずないじゃないか!
ユノとの日々を重ねてゆけば、彼の大事だった人の記憶が遠のいていく。
その暁には、彼のテリトリーに入れてもらえるようになるかもしれないじゃないか。
ああ、やっぱり無理だ。
僕らは何かを育むために、LOSTに閉じ込められているんじゃないんだ。
ユノの言葉、『お前は面白い奴だ』に、僕は特別なんだと早合点して、鵜呑みにしていたんだ。
馬鹿な僕。
僕はユノの横顔ばかり見つめている。
落ち着いて、チャンミン。
心の小箱がガタガタと揺すっている。
僕は目をつむり、爆発しそうになるのを握ったこぶしに逃す。
大きく深呼吸を繰り返して、吐息と共に逃がした。
LOSTにいる理由と目的を、すっかり忘れてしまうところだった。
「...チャンミン。
大丈夫か?」
僕の異変に気付いたユノが、様子を窺っている。
「待ってて...すぐによくなるから」
手袋をはめたユノの手が、僕の肩を抱いてくれることはない。
哀しくなった。
・
翌日の午後。
僕は日課の昼寝をしていた。
さらさらと乾いたシーツに、寒くもない暑くもない丁度良い気温で、気持ちのよい昼寝をしていた。
窓からの風に頬を撫ぜられ、僕は目を覚ました。
窓の桟にひっかけた洗濯物が揺れるさまを、昼寝後のけだるさに浸った状態で見ることなく見上げていた。
「チャンミン!」
ドアをドンドン叩く音に、僕は飛び起きた。
「出て来い!」
ユノだ。
僕はため息をついて、大声で返事をした。
「今行くよ」
防御が厳しい男なのに、僕に対しては厚かましく強引なのだ。
「早くしろ!」
「急かさないでよ!」
下着1枚だけだった僕は、クローゼットの引き出しを開けた。
「ど、れ、に、し、よ、う、か、な」
虹色に並んだいろとりどりのパジャマを、順に指さしていった。
待てよ。
あのユノの様子じゃ、おやつを一緒に食べようとかトランプをしようといった平和なものじゃなさそうだ。
パジャマもワンピースも相応しくないと判断して、もうひとつの引き出しを開けた。
「まだか?」
「行く、今行くよ」
「部屋で待ってるぞ」
ベッドからずり落ちた毛布はそのままに、僕は部屋を出た。
「あ!」
廊下まで出て、部屋に引き返した。
マスクと手袋を装着するのを忘れていたのだ。
・
「お前はステーションからドライバーを借りて来い」
「え...?
ユノさん...何をする気?」
「模様替えだ」
文句も質問も一切受け付けないぞ、と言わんばかりにユノは宣言した。
ユノの部屋の前には、窓ガラスサイズのボール紙で包まれたものと、何本もの棒が結束バンドで留められて立てかけられていた。
模様替えの範疇を越えている!
「昨日注文したやつ?」
「ああ」
「何これ?
何の材料?」
「オリジナルは設計図を書かなきゃならんから、既製品の寄せ集めだ。
部屋に運べ」
「人使い荒いなぁ」
僕はブツブツ文句を言いながら、持ちかさばるそれらを室内に運び込んだ。
「中身を出してくれ」
「はいはい」
昨日までのしおらしかったユノはどこかへ行ってしまい、ジャイアンに戻ってしまっている。
パジャマにしなくて正解だった。
「お前...その方がいいぞ」
ユノは作業の手を止めて声をかけた。
「?」
「服」
「ああ、これね。
きっとユノは僕をこきつかうんじゃないかってね。
動きやすく汚れてもいい恰好にした」
僕は白Tシャツと黒パンツ姿だった。
ドライバーと共に借りてきたカッターナイフで梱包材に切れ込みを入れ、テープを剥がしていった。
この後、1時間ほどかけてユノの指示通りに動いた。
ドライバーひとつで組み立てられたものとは...。
ベッドの四方を取り囲んだ、透明アクリルの壁だった。
(つづく)
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