(24)虹色★病棟

 

ユノは鼻をすすると、僕にもたれていた身体を起こし、座り直した。

 

「遠い存在にしてしまったのは、俺のせいなんだ。

その人はあの世で、俺を求めていると思う。

忘れないで、って。

俺は『ずっと忘れない』って答えてやりたい。

...それなのに」

 

ユノはここで、深呼吸をひとつした。

 

「その人から離れていくのは俺の方なんだ。

冷酷だろ?

まだ一か月も経っていないんだぞ?」

 

マスクで鼻下を隠しているせいで、眼光の鋭さが際立っていた。

 

30センチの間近で見つめられて、ユノの中に取り込まれそうだった。

 

僕の頭に、僕とユノの間に眼光の一本線が出来ているイメージが浮かんだ。

 

その人がユノのことを愛した理由が、分かった気がした。

 

ゴーグルやマスクで覆っても、ユノの美青年っぷりは隠せない。

 

ユノの潔癖さは人を寄せつけないし、彼の方から近づくことはない。

 

そんなユノのパーソナルな空間に、存在を許されるんだ。

 

...この世に存在するのは俺とあなただけ。

 

ユノと共に生きることとは、ユノのオンリーワンになることと同義。

 

「死にたくなるほど愛していたのにさ...集中できないんだ。

悲しむことに集中できないんだ。

...俺は混乱している」

 

ユノは引き寄せた両膝に、顔を伏せてしまった。

 

消灯時間はとっくに過ぎ、静か過ぎる室内に、ベッドのスプリングがきしむ音が耳に大きい。

 

「気になる人には「臭い」とか「汚い」とか思われたくない」

 

ユノは顔を伏せたまま、ぼそりと囁いた。

 

耳をそばだてていないと聞こえないほどの声量だった。

 

「...気になる...人?」

 

ドキっとした。

 

尋ねてみたかった。

 

「気になる人って...もしかして?」って。

 

喪失と向き合う場所にいるのに、ユノは悲しみに浸りきれずにいる。

 

そんな自分を咎めている。

 

自分は不潔なんじゃないかと恐れている。

 

特に、気になる人には不潔だと思われたくない。

 

その「気になる人」...って?

 

「気になる人...そうなんだ」

 

「ああ。

潔癖具合にムラが出てきた。」

 

ユノが言う通り、ダメだったり大丈夫だったりと、ユノの潔癖具合に一貫性がない時があった。

 

ユノの肩を抱いた僕の手に、ユノの手が重なった。

 

ユノがほのめかした言葉を素直に喜べなかった。

 

喪失感が深いあまり、おかしくなっているだけなんだ。

 

...ユノは寂しいのだ、ひとりでいたくないのだ、しがみつく胸が欲しいんだ。

 

僕は馬鹿だから、好きな人には近づきたいから、それでも構わないのだ。

 

弱っている今につけこんで、ユノに近づく僕は卑怯者。

 

今こうして、ユノの素手が手袋をはめた僕の手に触れてくれている。

 

 

電光時計が表示する時刻に、僕の背筋が伸びた。

 

「部屋に戻らないと」

 

施設のスタッフが2時間に1度、入所者が大人しく部屋にいるか見回りにくる。

 

部屋にいないと、よからぬことを考えていると誤解され、面倒なことになる。

 

特に、間もなく退所できる古株の僕と、入所したての新入りユノが一緒にいたりなんかしたら。

 

入所者同士の交流は自由だけど、照明を消した部屋でこそこそしていると誤解を生む。

 

「じゃあ、明日、ね」

 

ユノから身体を離し、僕は室内温室から出た。

 

「チャンミン」

 

呼び止められて僕は振り向いた。

 

すがりつく眼で僕を見ているけれど、ユノの視線は僕を通り過ぎたところにある。

 

亡くした最愛の人を、僕の中から探している。

 

僕に恋しかけてると錯覚している。

 

やっぱり...ユノはぬくもりが欲しいのだ。

 

ユノは僕の小箱に鍵をかけ、その鍵を飲み込んでくれた人だ。

 

僕はベッドまで引き返す。

 

薄暗がりに痛々しくゆがんだ、ユノの青白い顔が浮かび上がっていた。

 

僕はユノの頬を、触れるか触れないかのタッチで...まるでヒビが入った卵を扱うがごとく...包み込んだ。

 

どちらからともなく、僕らの顔は近づいた。

 

マスク越しのキスをした。

 

(つづく)

 

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