朝食の席で一緒になった僕らは、昨夜のことがあったため気まずくて、食事の間は...僕は耳を切り落とした食パンと牛乳、ユノはプロテインドリンクだけ...終始無言だった。
それとなくユノの方を横目で窺って、いつものコスチュームであることに安心していた。
ワンピースを着ている僕に、ユノは一瞬、ギョッとしたようだったけど、その表情は即時に平静にもどった。
ゴーグルとマスクに覆われているユノの顔面からは、細かな変化を読み取ることは実際のところ難しい。
常々ユノを観察している僕ならば、わずかによった眉間のしわや、ぴくりと震えた首筋を見るだけでわかってしまうものなのだ。
ユノの素肌に触れたい欲求が増してきているのに、彼の打ち明け話を聞いたことで、躊躇の念が湧いてきた。
なぜなら、ユノの潔癖は双方向に向けられていて複雑なんだ。
ユノを汚さないようにする為と、自らを汚いと思っているユノを安心させるためには、僕かユノかどちらかが完全防備になる必要がある。
心置きなく抱き合うためには、僕ら両方が防護服を着るのだ。
それとも、消毒液にまみれながら?
素肌同士を重ね合わせるのは、難しいのか...そっかぁ。
昨夜みたいにマスクをしたままのキスや、間にビニールシートを挟んだらどうだろう?など、考えにふけっていた。
「おい!」
ぱかん、と後頭部を叩かれ、「いったいなぁ!?」と振り返ると、呆れ顔のユノが立っていた。
ユノの手には、配膳用のトレーがあった。
「ひどいなぁ、そんなので叩くなんて!」
「こつん、としただけだろ。
大袈裟な奴だなぁ」
「僕に何の用だよ?」
「いい天気だ。
風呂のあと、散歩に行こう」
「最初からそのつもりだよ」
クールに見える男の口から「散歩」の言葉が出てくると、「くすり」としてしまう。
「何、笑ってんだよ?」
「何でもない。
ほら、ユノは一番風呂でしょ?
早く入りなよ」
「ニヤニヤして...何を考えていたんだ?」
「さあね」
ユノの手からトレーを奪い、それを振りかざして叩く真似をした。
(まさか実際に叩くことは絶対にできない。トレーのばい菌に青ざめるユノなんて容易に想像できる)
ユノはひらりとそれをかわし、食堂を飛び出していってしまった。
返却された食器などをまとめていたスタッフたちは、そんな僕らの様子に微笑んでいる。
ところが、微笑した目は鋭く観察する目になっていることに、僕はちゃんと気付いていた。
彼らは余程のことがない限り、入所者たちと関わり合いを持とうとしない。
遠くから見守り、不自由を覚えさせないよう環境を整える役目に過ぎない。
入所者同士が寂しさを埋めるために、個人的に特別に距離を縮め始めた時は要注意だ。
人目がある場所での、ユノとのじゃれ合いには気をつけないと。
僕の笑顔は全快を意味するから、いよいよLOSTから放り出されてしまって、ユノとは離れ離れだ。
スタッフには頼れない、入所者同士の密度の濃い交流は推奨されていない...それじゃあ、喪失体験が自分ひとりでは抱えきれない僕らはどうしたらいいのだろう?
その為の場所はちゃんと、LOSTには用意されている。
・
「お前はあの部屋...行ったことある?」
ステーションの隣にある部屋を、ユノは顎をしゃくってみせた。
床はそこだけカーペット敷で、丸テーブルを挟んで奥と手前に座り心地のよい椅子があった。
癒し効果を狙っているのか、部屋全体が落ち着いた色味で統一されている。
窓の桟にサボテンの小さな鉢がずらり並んでいた。
「いつでもどうぞ」の意を込めて、ドアは常に開け放たれている。
もっともドアが閉まっている時の方が多い。
この部屋は大人気なのだ。
「今はほとんど...半年くらいは行ってないなぁ。
説明を受けたでしょ?
ユノこそ使わなくっちゃ!」
ユノは眉間にしわを寄せて、「気が進まない」と首を振った。
「みんな使ってるよ。
悲しい気持ちや思い出話を言葉にすると楽になるって言うでしょう?」
入所者は皆、心に闇を抱えている。
専門の聞き手は話を遮ることも否定することもなく、聴き取ってくれるのだ。
「知らん奴にぺらぺらと苦悩を語れるわけないだろう?」
「僕だって『知らん奴』でしょう?」
「う~ん、その通りだが...お前は別だ」
あらら。
さらりと好意を見せてくるユノは凄い。
喪失感で心のバリアが狂っているだけだと思っていたけれど、もしかしたら元々人懐っこい性格なのかもしれない。
鵜呑みにしていいのだろうかと、悩んでしまう。
(つづく)