婚約指輪と結婚指輪。
なんと意味深なアイテム。
心の支えにも心の重しにもなってしまう、極めてデリケートなアイテムだ。
僕とユノ。
二人の男たちは喪失の痛みと別れを告げる場に、その痛みを象徴する物を持ち込んでいたのだ。
LOSTへ禁止されているわけではないから、持ち込みは自由だ。
婚約指輪イコール心の小箱...ユノの推理はなるほど、と思った。
そうかもしれない、と。
心の小箱は3年経った今も不意に暴れては、宿主を不快感に陥れるのだ。
つい先日の僕はユノから離れたくないがあまり、小箱が暴れ出したことにして(つまり、仮病だ)、都合よくそれを扱えるにまで回復した。
もっとも、小箱の鍵はユノが飲み込んでしまったから、彼から鍵を返してもらう必要があるのだけど。
小箱の正体が婚約指輪であるとしたら、それを物理的に手放す際には、その場にユノもいてもらわないといけないなぁ、と思った。
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ユノと出会うまでの僕が、小箱について抱いていたイメージはこうだ。
LOSTに来てから1、2年あまりは、失恋から立ち直るためには、小箱を消してしまわなければならないと思い込んでいた。
例えば、炎で燃やしてしまう、地中深く埋めてしまう。
そのうち、心の傷とは完全に消してしまうことは不可能だと悟った。
それならば、何重もの箱に入れた上で、頑強な鍵をかけてしまうのはどうだろう?
小箱に棲まわせたまま、これからの人生を歩んでいくしかないが、時の経過と共にいつか鍵をかける必要がなくなるだろう。
小箱の中身がカラになった時とは、僕の寿命が尽きた時だ...とまで考えていた。
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今日は薄い水色地に白い水玉模様のワンピースを着ていた。
元婚約者が着たこのワンピースを何度脱がしたっけ?と、思い出しかけて、勢いよく首を振った。
僕を残して出て行った彼のことは忘れよう。
ユノだ、ユノのことだけを考えよう。
結婚指輪を見せてくれるとは余程のことだ。
気合を入れて、薄いピンク色の女性ものの下着を身につけた。
ブラジャーはやり過ぎだと判断して、今回は止めておいた。
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結婚指輪が僕の手の平に乗せられるまで、いくつもの工程が必要だった。
ユノはクローゼットの中からスーツケースを引きずり出した。
留め具を外して蓋を開けると、バスタオルに包まれた段ボール箱が収まっていた。
段ボール箱を開けるとひと回り小さい段ボール箱があり、それを開けるとタオルにくるまれたポーチがあり、その中にお菓子の空き缶があった。
マトリョーシカのようだった。
空き缶を開けると、ビニール製のジッパー袋に入れられたガラス瓶があり、その中に指輪が2つカラカラと金属製の音を立てた。
簡単には目に付かないようにするためなんだろうか。
ユノは無造作にガラス瓶を傾けて、その中身を僕の手の平にころん、と落とした。
「これだ」
つるん、と何の装飾もないシンプルな指輪だった。
「プラチナ?」
「ああ」
結婚指輪なんて珍しくもないアイテムだけど、僕は子細に観察を続けた。
マスクをしているから、吐息でそれらを汚す心配はない。
これはユノの心だ。
指輪をユノに返すと、やはり無造作にそれらをガラス瓶に戻した。
「ユノにとって、指輪ってどういう存在?」
さっきと逆の工程で容れ物が大きくなってゆき、最後にスーツケースに収まった。
「形見...かなぁ。
月並みな答えで悪いけど」
「悪くはないけど...」
ユノに座るよう目頭で促され、立ちっぱなしだったことに気づいた。
ワンピースにシワがつかないよう、そうっと腰を下ろした。
「どうして僕に見せてくれるの?」
「え?
それっぽいこと前にも言ったと思うんだけど?」
「それって...?」
「チャンミンだからだよ。
チャンミンなら見せてもいいなぁ、って思ったんだ」
「うん、確かにそれっぽいこと言ってたよね。
僕の記憶が確かなら、『気になる人が出来た』って。
僕の己惚れじゃなければ、それって...僕、のこと?」
ずばり尋ねてみた。
スーツケースを元に戻そうと、クローゼットの扉を開けかけた手を止め、ユノはゆっくりと振り向いた。
「ああ」
ユノの口元はマスクで隠れている。
真っ黒な瞳に僕は射られそうだった。
僕のラテックス製の手袋の中は、汗で蒸れていた。
「息も絶え絶えLOSTに逃げ込んで1か月も経たないうちにだぞ。
俺はチャンミン...お前のことが気になる」
「...っ...」
「俺の愛なんて、どうやら軽々しいものだったらしい」
「そんな...違うよ」
僕の否定に、「いや、その通りなんだ」とユノは悲し気に眉をひそめた。
「こんな自分が、俺は大嫌いだ。
でも、チャンミンは好きだ」
「ユノ...」
「俺はそうそう簡単に人を好きにならない。
俺の習性を見れば分かるだろ?
引いてもいいぞ?」
(つづく)