作戦開始。
ひとり早朝散歩へとユノは出かけて行った。
ドアがパタンと閉まると、僕はほっと息を吐いた。
いかに自分が緊張していたかを知るのだ。
僕の部屋にユノといると、とても緊張する。
不用意に身体を動かしたら、ユノの清潔な身体にうっかり触れてしまいそうだし、息を荒げてしまったら、僕の吐息がユノに吹きかかってしまう。
部屋の間口を挟んで会話することはあっても、ユノは滅多に僕の部屋へ入ってこない。
ばい菌に満ちた僕の部屋に身を置くよりも、室内温室が設置されたクリーンな自分の部屋に居た方が落ち着くから。
それから、ユノ自身の呼気や身体で、僕の部屋を汚したくないと思っているから。
なぜ、自分自身の身体を汚く思うようになったのか、「トラウマに繋がるようなことがあったの?」と尋ねたことがある。
潔癖な人は元々の要因もあるけれど、潔癖にならざる得なかったエピソードがあるものらしい(僕の乏しい知識によると)
「俺は手ばかり洗っているガキだった。
母親がやたら清潔好きだったってのもあったけど、決定的なのが中学生の頃だったかな。
好きな子がいたんだ。
その子の手が俺の口にぽん、と当たったんだ。
当時の俺はマスクなんてしていなかった。
その子は即行、手洗い場に走っていったんだ。
授業中だったんだぞ?
ショックだった。
ああ、俺って汚いんだ、って初めて知った瞬間だった。
今思えば、その子も潔癖気味だったんだろうなぁ。
たったこれだけのこと」
と、あっけらかんと教えてくれた。
「それだけで...?」
「俺は常日頃、清潔であろうとしてきた。
自分こそ不潔であることがバレないよう、不潔だと思われないように気を遣ってきたから大ショックだよね。
即、重度の潔癖になったわけじゃなく、引き金がその出来事だったんだ」
「徐々に酷くなっていったの?」
「酷い、って言うか、より徹底的になってきた、って言い方が正確かな。
知識が増える度、俺の中の許容範囲が狭まるんだ。
平気だったものが恐怖に変わる」
「生きづらくない?」
「さあ...。
これが俺のライフスタイルで人生だ。
これが当たり前なんだよ。
でも...今ほど酷くなかった時期を知っているから、その頃と比較すると確かに不都合だね。
事前準備と事後片付けが大変過ぎて、時間と労力を無駄にしているから」
ユノがくつろげる場所とは、アクリル板とビニールシートで囲われた2立方メートル内だけ。
その空間へ入れてもらえるようになった僕だけど、何か間違いを犯しているみたいな気持ちになる。
いいのかなぁ?って。
ユノを騙しているみたいな気分になる。
「でも、窮屈なことは確かだ。
訓練が必要だろう。
それから...」
ユノにまっすぐ見つめられると、背筋を正したくなる。
「愛情と信頼感だ。
心を許せるか許せないかで、潔癖度合いに差が出てくる。
信頼できる人がたった一人でもいてくれたら、潔癖を治す必要はないと俺は思っているんだ」
「...前にも言っていたよね」
「...チャンミン。
お前のことだ」
「!」
「分かってるんだろ?」
...こんな具合にユノは、頻繁に好意を見せてくれる。
猫みたいなユノ...眼の形が猫の眼に似ているからなのかな...なのに、実際は犬みたいに懐っこくて。
亡き人の前でもこうだったのかな、と想像すると呼吸が苦しくなった。
それ以上に、ユノの信頼に応えなければ。
気安く近づいたらいけない人だったんだ。
・
僕の急変にスタッフたちは即気づき、僕を観察する目も厳しくなった。
その態度の変化に、僕の出所の日程が決まりつつあったことが分かった。
仮病のおかげで僕の出所は延期決定だ。
新たに危惧しなければならない件は、精神的に不安定になってしまった原因にユノが関わっていると、施設側に思われることだった。
だから余計に、ユノにはあっけらかんと平静に過ごしてもらう必要があった。
食事は部屋までスタッフに運ばせ、ユノの部屋の出入りも控えた。
一日中、僕は自室に閉じこもって過ごした。
就寝前の数分だけ、顔半分ドアを開けて、ユノと言葉を交わした。
僕がいなくてつまらない、と、ユノははっきり口にした。
僕は「あともう2,3日だ。待っててね」となだめた。
焦れた熱い眼差しを浴びて、やっぱり僕は困惑していた。
「お前を抱きたい」
ユノの眼がそう訴えていた。
僕もユノと同じ気持ちだよ。
LOSTに入所して初めて、僕は前を慰めた。
3年ぶりの性欲だった。
ユノに抱かれたかった。
実際、ユノに可能なことかどうかは、脇に置いておいて。
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