Kはドリンク剤をチャンミンに放り、ベンチに座ると自分用の缶コーヒーの封を開けた。
「暗い顔してるぞ」
「お前の方こそ、病み上がりのくせに」
(花火大会の日、チャンミンは病欠したKのシフトを代わりに受け持った経緯がある)
「今じゃぴんぴん、家族の献身的な看病のおかげさ。
...で、今度は何があった?」
「『今度は』って...僕がしょっちゅう問題を抱えているみたいじゃないか?」
「その通りだろう?
悩み無き時なんてほとんど無いんじゃないのか?」
「僕はそこまで悲観論者じゃないよ」
チャンミンは食べかけの弁当を膝から下ろすと、差し入れされたドリンク剤のキャップを開けた。
「彼は若い」
「若い」
チャンミンは正面を向いたまま、Kの言葉を繰り返した。
「気になることがあるんだろ?」
「ああ」
「ノンケの男と付き合ったこと...あるのか?」
「...ある。
思いっきりフラれたけど」
「辛いな」
「昔の話だよ。
もう忘れた」
と、強がってみたけれど、当時のことを思い出すと未だに少しだけ呼吸がしづらくなる。
「ユノ君と付き合い始めたのはいいけれど、チャンミンの経験値が邪魔をしてるんじゃないのか?
チャンミンはおじさん、ユノ君は若者、ア~ンド異性愛者...いわゆるノンケ!」
「...おじさんって...そこまではいっていないよ」
「おじさん域に片足を突っ込みかけてるじゃないか」
「それは否定できない」
チャンミンは、ひと口だけ飲んだドリンク剤を手の中でもてあそぶ。
「付き合う前は、ユノ君の若さに恐れを成しているだけでよかった。
だって、恋愛対象の性別の壁なんて、ユノ君がどしょっぱつからぶち壊してくれたからな。
...けど、それよりもっと悩ましいことがあるんだろう?
付き合い始めたことで、いよいよ現実味を帯びてきたことが?」
「さあね」
とぼけるチャンミンに、Kは話題をずらすことにした。
「俺はお前たちのキューピッドなんだぞ」
「え?」
驚いたチャンミンは、Kの方を勢いよく振り向いた。
Kはチャンミンがゲイであることも、チャンミンとユノの関係も知っている。
2週間前、チャンミンはユノのバッグをKに託して試験会場に向かった。
後日、今日と同様のニヤニヤ顔のKに「もしかして...そうなったのか?」と問われ、「そういうこと」とあっさり認めた。
「K...。
ユノさんに変なことを吹き込んだんだろう?」と、チャンミンはKを睨みつけた。
「酷いなぁ。
バッグと一緒にチャンミンの電話番号と、研修所の場所を教えてあげただけ」
「...なんだ」
チャンミンは前のめりの半身を戻すと、ベンチの背にもたれかかった。
「そうだ...その通りだよ。
Kのおかげだよ。
ユノさんからの電話で、全部が決まったんだ...」
「そりゃ光栄です」
2人はしばし無言で、揃って窓の向こうの空を眺めていた。
場内コースに侵入した大学生の一軍がはしゃぐ声が、下から聞こえてくる。
・
「俺は男同士の恋愛がどんなものなのか想像すらできないけど...さ」
「僕も女の人と恋愛したことが分からない。
...ふっ。
こんな会話、ずっと前にしたことあるな。
入社したばかりに」
「覚えてるよ。
ユノ君は男も女も関係なく、何の抵抗もなく恋愛できてしまってる子なんだな」
チャンミンは以前、男と恋愛することとはどういうことなのか、ユノに脅しをかけたことがあった。
その時ユノは、『俺は“せんせ”がいいんだ!』と叫んでいた。
「あの子自身が、対象の性別にこだわっていないんだ。
...っていうと、バイみたいだけど、その辺はよく分からない」
「バイではないような気がする、なんとなく」
「じゃあ、俺は先に戻ってる。
俺の教習車、午後から車検に出すんだ」
「ああ」
「2週間も経っていないのに、な~にウジウジしてるんだ?」と、Kはチャンミンの肩を突いた。
「チャンミンの方こそ、経験値を利用してガンガンにリードしてやれよ。
『女より男の方がいいだろ?』精神でさ?」
「なっ!」
「女に遠慮していないで ガンガンに『男』で攻めていけよ。
じゃあな」
「K!」
ドアを閉めかけたKを、チャンミンは呼び止めた。
「僕...どうしたら?」
Kは呆れ顔で答えた。
「気になってることを、ユノ君に質問してみればいいじゃないか?
簡単なことだろ?」
「いや...だって、こんなちっぽけなことを気にしているなんて、軽蔑されるかも。
器の狭い男だって...」
「ユノ君はチャンミンにべた惚れだから、軽蔑するとかってことはあり得ないと思うけど?
とにかく!
チャンミンがひっかかっているものの正体を整理してみな」
「わかった」
チャンミンはやっと、笑顔を見せた。
「あ~あ、全く。
30のおっさんたちが、お昼休みに恋の相談だぞ?
普通するか~?
くくっ...可愛らしいことで」
「わ、悪かったな!」
「いいさ。
そういう可愛らしいところがチャンミンにある、ってこと。
チャンミンのおかげで俺も若返るわ」
Kは笑いながら監視棟を出て行った。
「......」
Kが去り、ドアが閉まったのを合図に、止まっていた箸を動かし始めた。
モヤモヤ気分で弁当を食べる羽目になった原因を、チャンミンはもぐもぐ咀嚼しながら考えた。
(僕の心をチクチク刺している最も大きな棘は...嫉妬心だ。
女の子に嫉妬している!)
箸が止まった。
(Kの言う通り、ウジウジしていないでユノさんを押し倒そう!
身体の繋がりで心の不安を打ち消そうとするのはズルいけれど、綺麗ごとを言っていられない。
決行は明日!)
(つづく)
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