実は、ユノが2回目の仮免実車試験不合格したタイミングで、チャンミンは提案したのだ。
「オートマチック限定にしませんか?」と。
「絶対に嫌です」とユノは断固拒否した。
「どうしてですか?
オートマにすれば、運転が楽になりますよ?
最近はほとんどがオートマ車ですよ?
ギアだのクラッチだのに、気を取られなくて済みますよ?」
(せんせはマニュアル車を運転できるのに、俺はオートマ限定だなんて、カッコ悪い。
せんせの車がマニュアル車だったらどうするんだ?
疲れたせんせの代わりに運転してあげることができないじゃん)
「どれだけ時間がかかっても、俺はマニュアル車で頑張ります」
そこまで言われたらチャンミンは無理強いはできなくなり、免許取得までの道のりを遠さを想像すると、胃が痛むのであった。
・
チャンミンのボディタッチ教習で、ユノの運転テクニックは飛躍的にアップした。
「エンジン音に耳をすませて...はい、今」
チャンミンはユノの手を包み込んだ状態で、ギアをサードからトップへ切り替えた。
「うまいうまい」
「そうっすか?」
ユノがチャンミンの手の平の温もりと重みを味わっていると、「ハンドルに戻す!」と、握られた手をハンドルへと誘導された。
逆に、「ギアを変えて!」とハンドルからギアへと、左手を引きずり下ろされることもある。
意外なことに、もっと触れて欲しくて下手なフリをするよりも、上手になって褒められる方をユノは選択した。
(俺は男だ。
せんせにいつまでもカッコ悪いところを見せたくない。
いいところを見せたい!)
はた目には、芸を覚える度にご主人から褒め倒されて尻尾を振る大型犬...のように見えた。
好きな人から手を握られっぱなしで、教習どころじゃなくなる予想に反して、不思議なことにユノはテンパることなく、逆に集中力を高めていった。
褒められたい一心だ。
「OK。
うまいうまい!
はい、クラッチを離して...」
素早く足を上げようとするユノの膝を、ぐっと押さえる。
「ゆっくり...ギアの抵抗を足で感じて...。
なめらかに~すべらかに、サードからトップへ繋いであげて~...うまいうまい!」
(せんせの手の平...汗でびちょびちょだ。
俺の運転が怖いから?
それとも、俺と手を握ってるから?
せんせは男だけど、全然気持ち悪くないぞ。
まるちゃんに手を握られたら、『キモい』って、張り倒してやるのになぁ。
不思議だ。
そうか、せんせは男と手を繋ぐことくらい、朝飯前なんだ。
あんなこともこんなことも、男の恋人にできちゃう人なんだ。
すげぇなぁ。
せんせは俺とあれこれできるってわけかぁ...すげぇなぁ)
ユノの妄想が暴走している間、チャンミンの欲情も暴走していた。
指導員としての目ではなく、男の目でユノを見てしまった。
トレーナーの袖口からのぞく大きな手。
つるん、と整った顔立ちに、血管の浮いたごつい手がアンバランスで、そこに色気を感じてしまう。
(ユノは女子が好きな男だ。
今まで何人の女子をその大きな手で可愛がっただろうか?
女子はユノよりも身体が小さくて...)
チャンミンの視点は、ユノの手から腕、肩へと移動した。
(肩幅広い...骨と筋肉をつかんで確かめてみたい)
次に、胸へ移動した。
(抱きしめられたい...。
胸筋の弾力を楽しみ、ユノの背中に腕をまわしたい)
ついに視線は、贅肉のかけらもない下腹に移った。
チャンミンのムスコがむくり、と反応し出した。
(...う)
「せんせー、今のいい感じじゃないっすか?」
ユノはチャンミンのみだらな視線に全く気付いていない。
(欲求不満だからって...。
ユノから目が離せないのは、彼の若い身体目当てなのだろうか?
いや...違う、そんなんじゃない。
もしそうなら、ユノに失礼だろう)
このように、二人とも教習内容とはかけ離れたことを考えていたのであった。
「せんせ。
せんせ、ってば!
いつまでぐるぐる回っているんすか?
坂道発進とか、S字とか練習しなくていいんすか?」
「!!」
ユノに話しかけられて、チャンミンははっと我に返った。
「そうだね。
前はS字で脱輪したんだったね」
二人の乗った教習車は周回コースを外れ、狭路走行練習に移った。
「緊張します...」
「僕も緊張します」
「せんせって、さりげなく毒を織り交ぜてきますよね?
緊張してると聞かされたら、余計に緊張しますよ」
「じゃあ安心できる運転を目指しましょうね」
「は~い」
のろのろ走行はクラッチ操作中心になる。
「セカンドで侵入したら...はい、ファーストに落として...。
ギアから手を離して大丈夫です。
ハンドルはそのままで...そのままで...。
クラッチを戻しましょうか。
膝の力だけ抜く感じです...そうそう。
これが半クラッチです、音が変わったでしょう?
うまいうまい。
ほらね、ブレーキ無しでいけるでしょ?」
運転することに全集中のユノは、太ももに置かれたチャンミンの手から恋のドキドキを感じる余裕はなかった。
かっこいい姿をチャンミンに見せたいのだ。
ユノにとってチャンミンは、自分と同性の『男』
好きな人に触られて嬉しいけれど、触られて感じてしまうところまでは達していない。
太ももの筋肉の弾力や温かさ、太ももに繋がる箇所への邪念を持っていたのはチャンミンの方だった。
「ウィンカーを出して...。
あともうちょい...焦らないで...。
いいですよ、いい感じ。
左右を確認して...」
「やった!」
難所を抜けて、二人はほうっと息をつき、顔を見合わせて笑顔になった。
・
「ユノさん、明日の仮免頑張ってください」
試験前の最後の補修教習後、チャンミンはインクが滲むほど力強く、教習簿にスタンプを押した。
「落ち着いて運転すれば大丈夫。
今のユノさんならいけます」
「はい、頑張ります」
指導という名のもとに、チャンミン指導員は気になる教習生の手や足を触りまくっていた(訴えられたら、免職ものだ)
教習生ごとに熱意の差があってはいけないが、チャンミンの中でユノはVIPクラスだった。
下心は全くなかった、とは言えない。
重ねた手を通して、自身が持つ運転スキルをユノに伝えたい一心から思いついたスキンシップ教習だ。
そのため、不純な動機を持って臨んだわけではないと、断っておく。
・
上達してしまったことにちょっぴり寂しい思いをしていたのは、チャンミンの方だった。
3回目の仮免実車試験で、ユノは見事合格した。
実車試験は方向指示器のタイミングやバックミラーの目視確認漏れ、蛇行運転等の減点方式で、100点満点で70点以上合格。
信号無視、一時停止無視、脱輪等は、即不合格だ(ユノは2度ともこれで不合格になっていた)
指導員は試験の採点表を見ることができる。
ユノは70点...ギリギリ合格だった。
・
ユノは合格の喜びを分かち合いたくて、試験終了後も学校にとどまってチャンミンを待っていた。
ところが休憩時間になってもチャンミンの車は戻ってこないため、「チャンミンせんせは?」とEさんに尋ねると、あと2時間は戻らないとの回答だった。
チャンミンは他の教習生たちと、3時間にわたる高速実習(高速道路走行実習)に出掛けていたのだ。
ユノの心境は「面白くない」だった。
(...でも、せんせの生徒は、俺だけじゃないんだよなぁ。
せんせは俺だけのせんせでいて欲しいのになぁ)
しゅんとしたユノは仕方なく、チャンミンが戻ってくるまで学科教習の予習でもすることにした。
「ユノ!」
久しぶりに通学してきたQと、待合室でばったり対面してしまった。
Qはユノと知り合うきっかけになったバイト先を既に辞めており、学校は同じだったが学年も学部も異なっていた。
ユノとなんとか接点を持とうと、せっかく同じ自動車学校を選択したのに、Qはそこから足が遠のいていた。
ユノはバイトだ学校だ自動車学校だと忙しく、Qからの電話は短時間で終了、メールの返答も簡潔で、知らず知らずのうちにQを放置していたことになる。
Qは陰ながらユノに振り向いてもらえない切なさと、自動車学校に通いづらくなっている件で落ち込んでいたのだ。
「ユノ、あのね!」
ユノはQから、担当指導員の厳しさに音を上げそうになっていると打ち明けられた。
Qの元気のなさがとても心配で、知らんぷりできなくなったユノは、彼女の話をきいてあげることとなった。
タイミングの悪いことに、教習を終えたチャンミンがその場面を目撃してしまったのだ。
チャンミンの胸が、むっと嫌な感覚に襲われた。
二人が似合い過ぎた。
自分を慕ってくれてはいても、年上の同性に憧れているだけに過ぎないんだ、と言い聞かせた。
(なんだよ...。
『せんせ、せんせ』って懐いてくるくせに...彼女がいるくせに。
僕をからかっているのではないってことは分かってるよ。
でもさ、誤解しちゃうじゃないか。
本気に受け取ってしまいそうになるじゃないか)
(つづく)
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