(16)チャンミンせんせ!

 

 

夜間コースの教習生たちで混雑してきたため、Qの悩み相談は自動車学校の待合所からファミレスへと場所を移すことにした。

 

担当指導員なのだから合否はとっくに知っているだろうが、ユノは自分の口から合格を報告したかった。

 

翌日の教習でどうせ顔を合わせるからいいかと、チャンミンを待つことを渋々諦めて 学校を出た。

 

席に案内されるなり、Qのお悩み相談が始まった。

 

「ユノ、聞いてよ」

 

その内容は相談ごとと言うより、自身の担当女性指導員...B指導員への悪口に近いものだった。

 

QはB指導員のことを「ババア」と呼び、言い方に棘があるだの、視線が冷たいだの、気分屋だのと、具体的な例をあげながら愚痴っている。

 

半分ほど残ったパスタをフォークでぐちゃぐちゃと、腹立たし任せに刺している。

 

「チャンミンせんせも、言い方に毒があるし、はしゃぐ俺を冷めた目で見る時もあるし、機嫌が悪い時は、指示しかしないし...似たようなものじゃん」と、ユノは思った。

 

ここで口を挟むと激しい反撃を食らうため、ユノは黙っていた。

(ユノは見た目通り、女子の扱いに長けている)

 

「ユノはいくつだと思う?」

 

Qが尋ねているのは、B指導員の年齢だ。

 

「28か29歳?」

 

「そんなに若いわけないじゃん。

あれは35か6はいってるよ。

シワもあるし、化粧も濃いし」

 

「どうだろうね。

見た目10代なのに、30超えてたパターンもあるからなぁ...見た目で分かんないんじゃない?」

 

ユノは答えながら、チャンミンの顔を思い浮かべ、彼の年齢を予想していた。

 

(落ち着いているからなぁ...若くて20代後半?

せんせは童顔だから、若く見えるだけで30を超えてるのかも。

そうなると、10歳差かぁ...。

...俺は年の差なんて、気にしない!!)

 

「指輪してないから、絶対に独身だよ」

 

「仕事中は指輪しないようにしているんじゃねぇの?」

 

「知らない、そんなの。

若い女子見るとムカついてるんだと思う。

嫉妬してんの。

だから彼氏がいないんだわ」

 

「彼氏がいないって、誰が決めたんだよ~」

 

Qはお洒落で可愛い顔をしていて、隣を歩いていても悪い気はしなかったが、彼女の口の悪さが彼女を恋愛対象として見られない理由のひとつだった。

 

ユノは全てにおいて可もなく不可もなく、好き嫌いの意志表示もはっきりと表には出さない生き方をしてきた。

 

特定の相手が居たことはあった。

 

しかし、現在進行形の恋と比較すると、ユノの交際経験はゼロと言ってしまっていいかもしれない。

 

Qとの付き合い方に関しては特に、鈍感な男を演じ、あいまいににごして、一定の距離を保っていた。

 

B指導員への悪口は、第3周目に突入した。

 

料理を食べ終えたユノは、ドリンクバーでお代わりしてきたコーラを飲んでいる。

 

「そんなに辛いのなら、指導員を変えてもらえばいいんじゃないの?」

 

「え...?」

 

的を得すぎたユノの回答に、Qの口は止まった。

 

「話を聞く限り、B先生の教え方が嫌っていうより、先生の悪口の方が多いよね。

つまりさ、Qは嫌いな人に習うのがキツいんだろ?

担当を変えてもらいなよ」

 

「...別に、大袈裟にしたいわけじゃない」

 

女子のQはただ、話を聞いて欲しかっただけで、アドバイスは必要なかった。

 

一緒にB指導員の悪口を言い合い、腹立たしい気持ちを共感して欲しかったのだ。

 

「あ~あ、指名制の学校にすればよかったぁ。

ユノがこんなとこを選ぶからさ...」

 

ユノはイライラしてきた。

 

「ついてきたのはQじゃないか?

ここは遠いし高いし、止めておけって言ったじゃん、俺」

 

「...だってぇ」

 

「通学できない程辛いんだろ?

違う先生に変えて下さいって、相談すべきじゃないのかな?」

 

「......」

 

Qは席を立つと、荷物をまとめだした。

 

「Q?」

 

機嫌を損ねてしまったようだ。

 

食べかけのパスタとユノを残し、さっさと帰ってしまった。

 

「...ったく」

 

二人分の食事の注文伝票が、透明の伝票立てに丸めて入れてある。

 

Qはいつもユノに奢ってもらっており、今日も当たり前のように会計を任せて去っていった。

 

(何やってんだ、俺?

求められれば断り切れず、ほいほいと相手をしてしまっているところ...直さないと)

 

数日もすれば、機嫌を直したQから電話やメールがあるはずだ。

 

恋愛感情を抱かれていると気付いていても、告白されてもいないうちから「その気はない」と断るのは変だよなぁと、ユノは思うのだ。

 

...チャンミンにも同様のことが言える。

 

ユノの好意大爆発の気持ちはバレバレだ。

 

チャンミンにしてみたら、告白されていない現段階、どう対応すればいいか困っていた。

 

(実際に告白されても、僕は困ってしまっただろう。

ここは職場だし、ユノが教習生だ。

なによりも、ユノには彼女がいるし、ノンケだ。

僕は真剣な交際がしたい。

男と付き合うってどういうことなのか、ユノは分かっていなさそうだ。

いざとなった時、我に返って引かれたりしたら、傷ついてしまう)

 

 

路上教習5時間目。

 

場内コースを出たことでドライブ感が増し、ユノはウキウキだった。

 

ハンドルのふらつきや信号待ちの際のエンスト、のろのろ運転と、ユノの運転は不安定なままだった。

 

しかし、公道を走行できるまで成長したのは、チャンミンの熱心な指導のおかげである。

 

「せんせ...恋って苦しいっすね」

 

「ええっ!?」

 

唐突なユノの質問に、チャンミンは素っ頓狂な声をあげてしまった。

 

「好きな人を想って、ウキウキして...。

胸がこう、きゅ~っと」

 

ユノはトレーナーの胸元を握りしめた。

 

「ユノさん!

ハンドルから手を放したらいけません!」

 

「あ、すみません。

でね、せんせ。

恋がすすむと、ヤキモチ妬いたり、喧嘩したりするじゃないすか?

そう言う時も、胸がきゅ~っと苦しくなるんす」

 

「だ~か~ら、手を放したらいけません!」

 

「じゃあ、手を放さないように、せんせが俺の手を押さえててくださいよ?

前みたいに?」

 

チャンミンはユノの手をとっさに見た。

 

(いけないいけない!)

 

「せんせから手取り足取り、教えてもらったじゃないすか。

ギアチェンジがまあまあ上手くなってしまって、つまんないくせに。

もっと手を握ってくれてもいいっすよ?」

 

「こらっ!」

 

「『こらっ』だって。

チャンミンせんせ、超可愛いんですど?」

 

「こら!」

 

「『こら!』だって。

可愛い~」

 

(僕の下心...まさか、見透かされていないよね)

 

チャンミンはこれ以上ユノにからかわれまいと、咳ばらいをした。

 

「それじゃあ、左車線に移動してください」

 

「は~い」

 

ユノはバックミラー、サイドミラーを目視した後、左ウィンカーを出した。

 

「怖いよ~」

 

「僕も怖いです」

 

一瞬、ぐらっと蛇行してしまった後、ユノが運転する教習車は車線変更に成功した。

 

「やった~!」

 

途中で恥ずかしくなって話をそらしてしまったが、ユノは「恋」というワードを使って、チャンミンに探りをいれてみたのだ。

 

一方、チャンミンも「ユノさんも、恋に苦しんだことがあるのですか?」と尋ねてみたかった。

 

(...ユノと同じくらい若い頃、僕も恋に夢中になるあまり、苦しむことも多かったなぁ...。

見返りを求めない純粋な恋だ。

でも...大人になって経験した恋はどうなんだろう?)

 

と、チャンミンが思っていたその時。

 

「せんせはどんな恋をしますか?」

 

ユノから尋ねられた。

 

身構えていなかったチャンミンは、うろたえてしまった。

 

 

(つづく)

 

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