10分後。
ユノはエプロンとコックコートを脱ぐと、賄いのトレーを持ってQたちのテーブルへ向かった。
Qの目配せに、友人2人は離れた席へと移っていった。
「別にいいのに」
ユノはQの真向かいに腰掛けた。
「話しにくいでしょ?」
「いや」
Qはテーブルに頬杖をつき上目遣いで、賄いの牛丼を食べるユノを眺めている。
この間、無言だ。
「......」
どうやらQは、ユノが口火を切るのを待っているようだった。
ユノは口と丼ぶりを往復させていた箸を止めた。
「俺の最近の話だったよな」と、グラスの水をひと口飲んだ。
「付き合ってる」
ユノは前置きゼロで、Qが知りたかったことを結論から述べた。
テイントリップを塗ったQの唇が「まあ」と、O型に開く。
ようやくQの口から漏れたのは、「へ、へぇ...」とあやふやな声。
ここまであっさり白状してくれるとは予想もしていなかったため、リアクションの用意が間に合っていなかったからだ。
「どう?
引いた?」
と、ユノは苦笑してみせた。
「う、う~ん」
へぇ...」
Qの顔は引きつっていたが、そこに蔑みなものはなかったことに、ユノは「おや?」と思った。
「引いてはいないけど、なんてゆうか...。
受け入れるのに時間がかかりそうな感じ、ってゆうか。
ユノの元カノでもない私が受け入れようが、ユノには関係ないことでしょうけどね」
「そんなことないよ。
Qの反応を見ておけば、他の奴らの平均的な反応を前もって知ることができるからね」
「何それ?」
ユノの冗談にQはケラケラと笑った。
Qは扱いに手を焼く我が儘な女子だったが、笑い上戸で明るい子だ。
(ユノの心を動かすことは出来ずに終わったが)
「...そっか~、付き合うことになったんだぁ。
この前、ユノからはっきり言われたでしょ?
先生のことが好きだって」
「ああ、言った」
「私、ユノのことが好きだったから、ユノには好きな人がいるって知って、とても嫌だった。
でも、相手が男の人ならば、何となく...許せる気がする」
「どうして?」
「もし相手が...例えば...自動車学校の私の担当の先生だったら、すごく嫌だと思う。
ほら、女の人だったでしょ。
ユノの好きな人が、その女の先生だったとしたら。
『嘘でしょ、年上女が好きなんだ』って。
すごくショックだし、悲しい。
悔しいじゃない。
同年代の子じゃなくて、年増を選んだのよ?」
「『年増』ってなぁ...。
お前、口が悪すぎ」
「相変わらずだなぁ」と、緊張感が解けかけてきたユノは笑った。
「だって男の人って若ければ若い方がいいんじゃないの?
若い私の方が優位なのに」
「俺もまだまだ若いから、若ければいいって言う気持ちはよくわかんないけど」
「せんせにとって俺は若すぎるのだろうか?」と、ちらりと思う。
「私より年下の子を選んだりしたらロリコンになっちゃうから、引いてたけど」
と言ってQは顔をしかめた。
「でも俺は年上の女の人じゃなくて、年上の男を選んだ」
「ええ。
相手が男の人なら、どうしようもできない。
相手にならないもの。
私にとって女は敵だけど、男の人はねぇ...別の生き物だもの。
勝負にならない」
「うーん、その考えはよく分かんないなぁ。
でさ。
俺...まさか、せんせを好きになるとは思わなかったんだ。
まさかね。
この前でカミングアウトした時、Qの顔といったら!
引きまくっていたよなぁ」
「引くに決まってるじゃないの。
めちゃめちゃ引いた」
ふくれっ面になったQは、アイスカフェラテのストローを咥えた。
グラスの中身は溶けた氷で薄まっていた。
「お代わり持ってこようか?」
「ユノ!
そういうとこが誤解させるんだって」
「何だそれ」
ははっとユノは笑う。
「びっくりしたよぉ。
私の周りにはいなかったから。
でも。
とても言いにくいことなのに、本当のことを教えてくれたんだよね。
噂で知るとか嫌だったから、面と向かって教えてもらえて、マシだと思うことにした。
びっくりした気持ちは直ぐには消えないだろうな」
「Q...」
「『ホモ』とか言ってごめんなさい」
「謝ることないさ。
そのまんまだから」
「でもなぁ...」と、Qは口をゆがめた。
「ユノたちのこと...。
いろいろなこと...。
具体的なことを想像したくはないんだけどね」
「おいおーい。
頼むから想像するのはやめてくれ」
(想像されたとしても、現実は何も起きていないんだよなぁ...)
と、ユノは内心でぼやいたのだった。
・
エントランスから来客を知らせるチャイムが鳴った。
Qの「休憩中でしょ」の言葉に、ユノは条件反射で立ち上がりかけた腰を戻した。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
奥から店長が現れ、新規客に応対したようだ。
Qに対面するユノの席は、エントランスに背を向ける位置にある。
「あ...!」
ハッとした表情のQ。
「どうした?」
ユノは後ろを振り向いた。
(なんで!?)
ユノの心臓は、ドッキンと大きく打った。
深夜のおひとり様客は、チャンミンだったのだ。
(つづく)
[maxbutton id=”23″ ]