(42)チャンミンせんせ!

 

 

「『馬鹿野郎』ってキレたんだぞ?

マズいだろ?」

 

「マズくないさ。

自分とガチで付き合う覚悟があるかどうか、先生は試したかったんだろうね。

そこでユノが、『そうっすよね、男とヤッたことないから、せんせとうまくできるかわからないけど、せんせが相手なら大丈夫っす』なんて、普通な返答をしたりなんかしたら、先生は不安だぞ~」

 

「そうだなぁ」

 

「そこを我らがユノ先輩!

質問そのものを愚問だと切り捨てたんだ。

ユノの『馬鹿野郎』で、せんせの不安が解消されてくれてたらいいんだけどなぁ。

ユノの話を聞く限りの判断しかできないが、恐らく先生は怖かったんじゃねぇの?」

 

「怖い...か」

 

「いざ、セックスをしましょうってなって、裸になりました。

キスします、触ります。

今、俺の手に触れたもんは何だ!?

他人の竿を触ったことなんて、ないんですけど!?

男の尻だぞ!?

まじ、無理なんですけど!?

...ってなったら...先生のハートはポッキリ折れるね、100パー」

 

ユノはフライドチキンの骨をしゃぶりながら、クラッチタイミング練習と路上駐停車教習の時を思い出していた。

 

手と手を重ねたクラッチタイミング練習。

 

顔と顔が急接近した路上駐停車教習。

(3時間前のチャンミンが仕掛けた寸止めキスは、状況が状況だけにカウントされていない)

 

ユノはその時の、胸が高鳴った感覚を大事にしていた。

 

(手と手だけであれだもの。

ハグやキスなんてしたら俺...どうなってしまうんだろう。

感動と緊張で、意識を失ってしまうかもしれない!)

 

チャンミンはそんなユノに対し、ハグやキスをすっ飛ばし、いきなりヤルヤラナイの話を持ち出したのだ。

ユノがショックを受けても仕方がなかった。

 

「まるちゃんが言う通り、せんせは俺を試したんだ。

でもあの時の俺は、せんせへの気持ちを馬鹿にされたっていうか...疑われたように取ってしまったんだ。

『軽々しくゲイの僕が好き、なんて言ってもらったら困るんだよ』ってさ。

『男とセックスする覚悟なんてないだろうに、ば~か』

...そんな風に捉えてしまったんだけど、後になってみて考えると、そうじゃないってことがじわりと分かってきたんだ」

 

「お、ちゃんと分かってんじゃん」

 

2人は手と口を油でベタベタにさせて、フライドチキンをむしゃむしゃとかぶりついていた。

 

「ユノが怒ってくれて、案外先生は、ホッとしていたかもしれない」

 

「馬鹿野郎、って言われてホッとするもんかな?」

 

「したさ、きっと。

ユノが怒り狂うとは想像もしていなかったと思う。

『馬鹿野郎』と怒鳴られて、ユノの本気度が伝わったんじゃねぇかな」

 

「まるちゃんの言いたいことが、分かってきた」

 

ユノは唇についた油をペーパーナプキンで拭った。

 

「せんせは、バシッと背中を叩いてもらいたかったんじゃないかなぁ、って。

せんせはいつもさ、なんとなく遠慮がちなんだ。

子ウサギみたいにビクビクしているところがある。

1歩後ろに下がってる、っていう感じ?

俺の告白も、果たして受け取っていいのかどうか...迷ってた風に見えた。

困ってた...でも、嬉しそうだった。

浮気男にポイっと捨てられてボロボロなところに、ノンケの俺が登場。

俺って、せんせの気持ちを確かめずに一方的に、はしゃいでいたからね。

こんな俺に乗っかってもいいのかどうか、怖いよね。

また捨てられるんじゃないかって...怖いよね」

 

ユノは残り1本のチキンを、まるちゃんの小皿に移した。

 

「先生は、自分はゲイで30代のおっさんだってことをハンデだと思ってるんだろうから余計に怖いだろうな」

 

「おっさんはないだろ!

せんせは若いよ。

とっつぁんぼうやみたいな人」

 

「ふ~ん。

とっつぁんぼうや先生は何て名前なの?

そういえば、聞いてなかった」

 

「チャンミン。

チャンミンせんせ、って言うんだ」

 

ユノはうっとりと「チャンミンせんせだよ...」とつぶやくと、ごろんと横になった。

「今から先生んちに行ってみたら?

バッグも必要だろ」

 

「いや。

今夜は止めとく。

行きたいけど、我慢する」

 

「お前らしくないな」

 

「俺...早く学校を卒業したいんだ。

明日は絶対に合格しないといけないんだ。

早く教習生じゃなくなって、フリーになってから、せんせに会いたいんだ。

今夜、せんせに会いにいったら...抱きついちゃうと思う。

いろんなことが始まっちゃうかもしんないじゃん。

それは...今夜じゃない」

 

ユノはこたつにもぐり込んだまま、もごもご言っている。

 

「...俺さぁ...せんせを泣かせたくないんだなぁ」

 

ユノはグズグズ鼻声で言った。

 

「お前が泣いててどうすんだ?」

 

「ふん、うるせーな。

せんせには、俺に頼って欲しいんだよ。

多分、せんせは護られキャラなんだと思うんだ」

 

「チャンミン先生は、とっつぁんぼうやでウサギで怖がりで護られキャラ...」

 

ユノは手繰り寄せた座布団を二つ折りにして、枕にした。

 

「寝るのか?」

 

「うん。

身体があったかくなったら、眠くなってきた。

明日に備えて寝不足でいたくない。

まるちゃんは?」

 

「俺はこれからレンタルショップに行ってくる。

CD-Rの50枚入りが欲しい。

ユノはいるもんある?」

(まるちゃんは、ドラマCDからセクシーボイス総集編を作ろうとしているのだ)

 

「ん~...特にないかな」

 

まるちゃんはパーカーを羽織り、スマートフォンを手に取ると、コタツの真上からぶら下がる蛍光灯の紐を引っ張った。

 

室内は薄暗くなった。

 

「まるちゃん」

「何?」

 

「せんせは俺のことも怖かったんだと思う」

「ユノのことをか?」

 

「うん。

『ノンケがゲイに恋をする』ことに、ほとんど抵抗を持っていない俺のことが怖かったんだ。

俺にはゲイに対する偏見がない、っていう意味じゃないぞ。

能天気で、怖いもの知らずな俺が怖かったんだ」

 

「そうかもね。

ホントのところは、先生に訊いてみろよ。

...じゃ、行ってくる。

鍵は閉めてくぞ」

 

「...なあ、まるちゃん」

 

「なんだよ。

早く店に行かせてくれ」

 

「...こんな俺でごめんな」

 

「ば~か。

今に始まったことじゃないだろ」

 

玄関ドアが閉まり、部屋にユノだけが残された。

 

 

まるちゃんは2日ぶりの外出だった。

ユノがまるちゃん宅を訪れた時より雨足は弱くなっていた。

小さな雨粒がパラパラとビニール傘を叩いている。

徒歩10分ほどで到着したレンタルショップは、深夜帯前ということもあってか、まばらに客がいた。

まるちゃんはパーカーのフードを深々とかぶり、目的の物を手に取ると、そそくさとレジへ向かった。

誰とも目を合わせたくないまるちゃんは、レジスタッフの手元だけに視線を落としていた。

会計を済ませ、店を出る間際のことだった。

 

「すみません」

 

背後から声をかけられ振り向いた先に、見知らぬ男が立っていた。

 

(なんだこいつ?)

 

「突然、声をかけてしまって...すみません」

 

「はあ」

 

まるちゃんが初めて会う男だった。

 

(俺に話しかけんなよ)

 

見たところ20代後半、180センチ越えのまるちゃん並みの背の高さ、体型は痩せている。

 

「......」

 

声をかけられる理由が全く思いつかないため、まるちゃんは相手の出方を待つことにした。

 

「もしかして、ですけど...ユノさんのお友達ですか?」

 

見知らぬ男は、まるちゃんにそう尋ねた。

 

「...ユノ?」

 

「はい、ユノさんです。

お友達ですよね?」

 

「あ...はぁ、まぁ...そうですけど?」

 

まるちゃんは心の中で首をひねっていた。

 

(こいつはユノの知り合いか何かだろう。

なぜ、俺とユノが友人同士だって知ってんだ?)

と、まるちゃんは内心、首を傾げていた。

 

「一度、お2人が一緒のところを、この店でお見掛けしたことがあったので...」

 

「そうですか...」

 

まるちゃんは、個数制限有のグッズ発売日になると、ユノをお供にこの店に連れていくことが多々あった。

 

(その時か)

 

一緒にいるところを見られていても、不思議はなかった。

 

「...で、俺に何か?」

 

「はい。

突然でびっくりしたでしょうが、私は...怪しい者ではありません」

 

(そう言う奴こそ、怪しいんだよなぁ。

つまりこいつ...ユノ狙いか。

キモイな...)

 

まるちゃんはフードの陰から、こちらの表情を一心に窺う見知らぬ男を観察した。

 

(なるほどね...)

 

「とっつあんぼうや...」

 

「えっ?

何ですって?」

 

(こいつが『チャンミンせんせ』...ね)

 

まるちゃんは、目の前に突っ立った温厚そうなイケメンこそが、ユノが夢中になっている男だと分かったのだった。

 

 

(つづく)

 

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