チャンミンのその後を追ってみよう。
状況的にユノを追うことが出来なかったチャンミン。
(うっわ~...。
僕は一体、なんてことを口にしてしまったのだろう?)
自分がいかに大胆な発言をしてしまったのか、後になってじわじわと効いてくる。
(ユノの気持ちの揺るぎなさを確かめたくて、僕を抱けるかどうかを尋ねるなんて...頭がおかしいんじゃないの?)
チャンミンは石橋を叩きすぎて壊してしまうタイプだった。
強い後悔と罪悪感のせいで、チャンミンの精神状態はぐらぐらで、前を走る車のテールライトを追ってやっとのことで走行していた。
そのため、曲がるべき交差点を直進してしまい、マンションに帰りつくまでにずいぶんな遠回りをしていた。
この間チャンミンは、自身の発言を反芻してみてはひとり、赤面していた。
『僕は恋人ができれば、裸で抱き合いたいと望む男です』
(あ゛~~~~~。
僕はなんてことを言ってしまったんだ!!)
チャンミンはエンジンを止めると、直ぐには車から降りず、ハンドルに額をつけて静止していた。
...が、ハッとして頭を上げた。
(もしかして!)
チャンミンは車を降りると、エレベータに乗り込み、部屋まで走った。
冷静に考えれば、ユノがチャンミンより先に到着するには、空でも飛んでこない限り時間的に不可能だ。
部屋のドアにもたれて、チャンミンの帰りを待つユノ...そんな姿を想像していたが...。
(いるわけないか...)
チャンミンはのろのろと部屋へ入り、シャワーを浴びてさっぱりとした。
ドライヤーで髪を乾かす間も、取り込んだ洗濯物を畳む間も、ユノのことを想った。
ベランダの下を覗き見ることも忘れなかった...当然、ユノはいない。
「はあ...」
冷凍グラタンでも食べようかと思ったが、荒ぶった心を鎮めるために、チーズグラタンを手作りすることにした。
胃弱な日々が続いていたが、こってりとしたものが食べたくなったのだ。
(チャンミンの料理の腕前は、冷蔵庫にあるものだけで数品はちゃちゃっと調理できるほど。
こうやって過去の男たちの胃袋をがっちりと掴んでいたわけだ)
マカロニを茹でながら、ホワイトソースが焦げ付かないよう木べらでかき回している間も、ずっとユノのことを想っていた。
(ユノに謝らないと。
ユノの気持ちを疑うようなことを言ってしまい、申し訳なかったと。
...謝りたいけれど、ユノの行方が分からない)
グラタンがオーブントースターの中で焼ける間も、ずっとユノのことを恋しく思っていた。
(いつか、ユノに手料理を振舞いたいなぁ...)
「あっちっち...」
ぐつぐつソースが煮えるグラタン皿をテーブルまで運び、冷蔵庫からきんきんに冷えた缶ビールを出してきた。
(その前に、ユノに謝らないと。
僕の正直な気持ちを伝えないと)
ビールのプルトップにかけた指がぴたり、と止まった。
「こうしてはいられない!」
チャンミンは立ち上がると、衿の伸びたTシャツとステテコ風ハーフパンツを脱ぎ捨て、衿の伸びていないTシャツと細身のデニムパンツを身に付けた。
そして、ビールもグラタンもそのままに部屋を飛び出していった。
例のコンビニエンスストア、レンタルDVDショップ...ユノと遭遇する可能性がある場所をあたってみようと、突如決意したのだ。
(ん?)
愛車に乗り込んだチャンミンは、ふと、助手席のシートの下に見慣れぬ物があること気付いた。
(これは...)
赤いラインをきかせた黒のショルダーバッグ...ユノのものだ。
(置き忘れていったんだ!)
ユノに会う口実が出来たことに、チャンミンは喜んだ。
(今夜はまだ、ユノに合わせる顔がない。
それどころかユノの方こそ、僕と会いたくないかもしれない。
だとしても、バッグが無くて困っているはずだ)
チャンミンはパーキングブレーキを解除すると、再び夜の街へとアクセルペダルを踏んだ。
・
チャンミンは、「もしかして...」の淡い期待を抱いてコンビニエンスストアを覗いてみたが、ユノおらず。
次に、遭遇できる可能性がよりも低いレンタルDVDショップへと車を飛ばした。
大股ですべての通路を見渡してみたが、ユノおらず。
(だよなぁ、映画なんて観たい気分になるはずないよなぁ。
他にもユノが居そうなところはないかなぁ)
あらためて考えると、ユノの個人データをほとんど掴んでいないのだ。
教習簿に記載されている住所も電話番号も、記憶に残らないよう敢えて視界から外していた。
教習車の中で、ユノのアパートの話題が出たことがあったが、「〇〇町と××町の境目辺りっす」といったざっくりとしたもの(直後、なかなか右折できずにいる教習車に苛立った後ろのトラックにクラクションを鳴らされ、アパートの話は中断してしまった)
(そうか...やはりとっかかりは電話番号だったのか...)
と、ここでチャンミンはもうひとつの可能性を思い出したのであった。
(ユノの友だちの家!)
以前、チャンミンはユノとまるちゃんの後を尾行し、まるちゃん宅を突き止めたことがあったのだ。
(駄目だ。
僕がユノの友人宅を知っている説明をどうすればいいのだろう)
ユノがチャンミンのマンションを知っていた件以上に、バツが悪く、下手をしたら不気味がられて嫌われるかもしれない...と、チャンミンは思った。
「はあ...」
(ここは諦めて帰宅するしかないか。
冷えて固くなったグラタンを温め直そう。
ぬるくなったビールを飲もう。
明日は朝6時に起床して、講習会場に向かわないと...)
ここでチャンミンは、ユノのバッグのやり場に困った。
(バッグは、Kの家に寄って、明日ユノに渡してくれるよう頼もう。
僕がユノのバッグを持っている説明は、面倒だから後日にまわそう)
チャンミンは肩を落とし、店の出入り口へと足を向けた。
「...?」
数メートル先をすっと横切った長身の男に目が留まった。
(あれは...)
チャンミンは日々、多くの教習生と接するため、彼らの顔と名前を覚えることに長けていた。
見覚えがあった。
海外モデル並みのスタイルとパーカーから覗く高い鼻梁...それなのに、身なりに興味がないことがありありとしている、上下スウェットのねずみ色。
(あの夜、ユノと一緒にいた男だ。
ユノの友だちだ!)
そこからのチャンミンの行動は早かった。
店を出ようとしていたまるちゃんを、呼び止めた。
チャンミンのことを不審者を見るかのような目、迷惑がっていることを隠さない不機嫌面(部屋を出たまるちゃんは、気分に関係なく常時不機嫌面である)
チャンミンは、まるちゃんのイケメンっぷりに圧倒されてしまった。
(さすがユノ。
友人のスペックが高すぎる...!)
ユノという恋の対象がいなければ、まるちゃんに惚れてしまうのでは?...それは、絶対にないから安心して欲しい。
・
そして、いま現在。
「あんた...『チャンミンせんせ』?」
「!!!!!」
まるちゃんに指摘されて、チャンミンはびっくり仰天だった。
「ええっ!?
なんで知ってるんですか!」
チャンミンの大声に、まるちゃんは顔をしかめた。
「声、大きかったですね。
すみません。
えーっと、以前にお会いしたことありましたか?」
「......」
「あなたも○○自動車学校に通われている...とか?」
「......」
まるちゃんは黙りこくってしまった。
思い出して欲しい、まるちゃんはコミュ障であることを。
チャンミンに関する前知識が少々あったからといって、まるちゃんにとってチャンミンは『大嫌いな他人』なのである。
ここでチャンミンの指導員人生の経験が生きてくる。
教習生は千差万別。
うぇ~い系から最後の教習までひと言も口をきかない者もいた。
チャンミンは、自分は自動車学校の指導員で、ユノを担当していることを説明した。
「...それ」
「えっ!?
何ですか?」
「それ」
まるちゃんは、チャンミンの手元に向けてわずかに顎をしゃくってみせた。
「これ...ですか?」
チャンミンはユノのショルダーバッグを手にしていたのだ。
まるちゃんが、声をかけてきた不審な男(チャンミン)の正体を見抜いたのは、ユノのバッグ以外にも手掛かりはあった。
チャンミンを目の前に心臓はバクバク、早くここを立ち去りたいと思いながら、まるちゃんは頭の片隅で分析をしていた。
・
数時間前に、ユノと『せんせ』の間で起きたいざこざが原因で、ユノは『せんせ』の車内にバッグを置き忘れてしまった(あいつは感情的で情熱的なのだ)
『せんせ』の家を知っているのなら(まさか尾行をするとは...ユノ、お前は凄い奴だ)、バッグを受け取りにいけばいいのに、晴れて教習生ではなく『ひとりの男』になってから会いたい、とか意地を張っている。
一方、ユノのバッグを発見した『せんせ』は、早くユノに返さないといけない、と思っただろう。
ところが、2人は互いの連絡先を知らない(基本中の基本を押さえていないとは...何をもったいぶってるんだか)
ユノと『せんせ』の行動範囲が重なるスポットがどこかは分からないが、そのひとつがこの店なのだろう。
「ここに来れば、もしかしたらユノに会えるかも」と、小さな手掛かりを元にユノが居そうなところをしらみつぶし、ってとこかな。
この店でユノを見かけたことがあると言っているから、『せんせ』もこの店の利用者。
へぇ...案外、俺んちの近所に住んでいたりして。
・
コミュ障であるがゆえ、まるちゃんの観察眼は鋭い方だが、チャンミンの切羽詰まった顔とユノのバッグをセットで見れば、答えを導き出すのにそれほどの時間はかからなかったと思われる。
(とっつあんぼうやって言ってたから、実年齢30代、見た目年齢20代。
心配性だと言ってたから、神経質そうな細くて蜘蛛みたいな指も納得だ。
Tシャツは前後ろ逆...よほど慌てていたらしい。
見た目ではゲイとは分からない...当然か。
見た目は最高。
ユノが惚れたのも分からないでもないが...俺はお断りだ)
(つづく)
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