64.シヅクだけ-TIME第3章-

 

~シヅク~

 

 

「...体調は...もう平気なのか?」

 

「ん?」

 

「ほら、具合が悪そうだったから...事務所で...」

 

口いっぱいに頬張ったスナック菓子をビールで流し込み、「ああ!あれね」と答えた。

 

他人への関心が低いあのチャンミンが、私の不調を察するとは成長したものだ、と感心した。

 

焚火の炎を見てフラッシュバックに襲われた。

 

意識が遠のきぶっ倒れてしまったとは、チャンミンを心配させてしまうから言えない。

 

加えて、「どうして火が怖い?」の質問に答えられないから言えない。

 

私の右足...くるぶしから下の義足の理由...子供の頃に遭った事故のことについては、先日チャンミンに説明した。

 

具体的な説明は、今のチャンミンには出来ない。

 

今夜、心配していたのは私の方だった。

 

めらめらと揺れる炎にチャンミンが恐怖するのを想定して、セツに来てもらった。

 

それとなく注意を払っていたのに、呑気に飯を食べる姿に安心した。

 

意外に神経が太い奴なのかもしれない。

 

私の方がダウンするなんて!

 

「気分が悪かっただけ。

復活したよ。

じゃなきゃ今、バクバク食べてないだろう?」

 

「確かに...。

丸一日餌をもらえていなかった犬みたい」

 

「おい!」

 

ポップコーンをチャンミンに投げつけた。

 

私を皮肉る言葉がレベルアップしてきてるのが、小憎たらしい。

 

「はははっ。

どう?もう1本飲む?

取って来るよ」

 

額に当たって落ちたポップコーンを口に放り込むと、チャンミンは立ちあがった。

 

「いや、もういらない。

そんなことより...」

 

私はチャンミンのスウェットパンツの裾を引っ張り、座るように促した。

 

「あんたの方こそもう大丈夫なわけ?

ぶっ倒れてたじゃん」

 

ごろりと横たわったチャンミンの姿を思い出すと、今でもぞっとする。

 

ユーキさんの登場やら、その時はなんともなくても焚火は ショックが大きくて時間差でガツンときたんだ。

 

負荷がかかり過ぎて、頭のネジが吹っ飛んでしまったのでは?、と。

 

「う...ん。

前も話したけど、頭の中がぐらぐらするんだ。

ぐらぐら、というか、ぐちゃぐちゃになるんだ」

 

そうだろうね、と心の中で相槌を打つ。

 

「僕の頭は問題だらけだ。

覚えていない。

まるで僕には過去がなかったみたいに。

忘れていってるんだと思う。

そこに、ユーキさんとかいう女の人が出てきて...僕のことを知っているって。

ねぇ、シヅク」

 

チャンミンは胡坐を崩すと、身を乗り出してきた。

 

「本当に僕は、知らないんだ、あんな人。

僕に抱きついてくるし...触って欲しくないのに...!」

 

四つん這いで私の正面に近づいたチャンミンは、私の手を両手で包んだ。

 

「僕が覚えていないだけで、あの女の人と何かがあったってことだろう?

だって、泣いてた。

僕のことを『マックス』だって言い張っていた。

...僕とそっくりな人、といえば、『双子』しか思いつかない。

でも、僕には『双子』の兄弟っていたっけ?って。

そこで気付いたんだ」

 

チャンミンの苦し気にゆがんだ顔。

 

「ぞっとした。

僕は...僕の家族。

分からない。

父も母も、妹や兄がいるのかどうかも...思いつかないんだ」

 

私はチャンミンのうなじを引き寄せて、小刻みに震える背中をさする。

 

「僕は...誰、なんだ?

忘れているだけなのかな?

...非現実的な考えも思いついた。

ある日突然、ぽんとこの世に送りだされた人間なのかな、って。

ほら、クローン人間ってあるだろ?」

 

むすりと無表情の下で、賢いチャンミンの頭は不安を増幅させ、ありとあらゆる可能性を思考していたのだろう。

 

「クローン、じゃないよ」

 

苦しむチャンミンの為に、わずかな救いにしかならないだろうけど、真実のひとつだけを差し出してやった。

 

「どうしてそう言い切れるのさ?」

 

「もしクローンだったらさ、チャンミンみたいに性格がひねくれた人間にしないだろ?

口は悪いし、人付き合いも下手だし。

頭痛がするとかさ、ぶっ倒れる時もあるとかさ。

問題ありまくりじゃん」

 

「...シヅク」

 

チャンミンのじとっとした睨み目に、「しまった!」と焦る。

 

「...それって、悪口だろ?」

 

「嘘うそ!

チャンミンは優しいよ、とっても」

 

「ホントに?」

 

私の言葉に、たちまち機嫌を直して笑顔になるチャンミンが、可愛いと思った。

 

長い脚を窮屈そうに折って、大きな背中を丸めて私の肩におでこをつけてすがるくせに。

 

よしよし、といった風に頭を撫ぜたら、「子供扱いするな」って私の手を払いのける。

 

やれやれ、面倒くさい男だ。

 

「あの女の人みたいに、昔の僕を知っている人が次々と現れたらどうしよう。

頭の中がぐちゃぐちゃになる」

 

「あり得るね」と心の中で答える。

 

「もし、僕の家族と会う時があったとしても、僕は分からないんだ」

 

「......」

 

「でもね、僕が怖いのはもっと別なことなんだ」

 

真顔のチャンミンが、私と真っ直ぐ目を合わせてくる。

 

綺麗な顔をしている、とあらためて見惚れた。

 

「シヅクだけだ。

僕の中で、はっきりしている存在は、シヅクだけなんだよ」

 

「チャンミン...」

 

「もし、今この瞬間も、1秒ずつ記憶が消えていってしまっているとしたら、

シヅクのことも忘れていくってことだろ?

僕の裸を覗き見したシヅクとか、僕を見舞ってくれたとか、不法侵入の犯罪を犯したとか」

 

「おい!」

 

「閉じ込められたことや...それから、えっと...恥ずかしくて言えないこととかも...」

 

最後の部分は消え入るように言って、チャンミンは握ったままの私の手を上下に振った。

 

いつもの私だったら、「恥ずかしくて言えないことって、なあに?」とからかうところだけど、出来るはずがない。

 

チャンミンは真剣だった。

 

チャンミンは、私に伝えたいことがあって一生懸命なんだ。

 

自身の心情を、誰かに告白できるようになったんだから。

 

「忘れないよ、大丈夫。

チャンミンは賢いから、私とのことはしっかりインプットされたままだ。

おいおい、チャンミ~ン。

泣くなよ。

泣き虫だなぁ」

 

チャンミンの頭をくしゃくしゃと、撫ぜてやる。

 

「うんっ...シヅクといると僕は泣き虫になるんだ」

 

潤んだ目を半月型にさせた、笑顔の泣きっ面。

 

乱れて前髪が立ち上がり、濃い眉毛が下がっている。

 

スウェットパンツの裾からのぞくくるぶしと大きな裸足。

 

「あんたのお世話は私がしてやるから、心配しなくてよろし。

さささ、酒の続きを飲もうではないか。

今夜はあんたんちに泊まるんだから、夜通し酒盛りができるぞ」

 

ロマンティックな雰囲気になるのがちょっと怖くて、誤魔化すように新しいワインを開封した。

 

 

「どわっ!?」

 

とび掛かったチャンミンによって、気付けば私は仰向けに押し倒されていた。

 

手にしていたワインボトルをごとんと倒してしまい、とくとくと床に中身がこぼれていく。

 

待て待て待て待て!

 

いきなり押し倒すのかよ。

 

甘いムードとか、全部すっ飛ばすのかよ?

 

チャンミン、あんたの動きは予測がつかない。

 

顔の両脇に両手をついて、チャンミンは私を見下ろしていた。

 

「...チャンミン」

 

チャンミンの眼がマジだ。

 

男の眼になっている。

 

「床でか!?」

 

心の準備、ってのが必要なんだ。

 

私の上で四つん這いになったチャンミンの下の方に、そっと視線を移動させた。

 

たるんだスウェット生地で、分からない。

 

こら!

 

何を確認しようとしてるんだ?

 

「んぐっ」

 

チャンミンに唇を塞がれて、予感はしていたけど強引な動きに、一瞬身体が強張った。

 

セツの言葉を思い出した。

 

『真実を知っても揺るがないくらいの関係を、今のうちに築きなさい』みたいな内容だったっけ?

 

腹を決めるしかないな。

 

...とは言え...床の上はなぁ。

 

チャンミンは顔の角度を変えて、私の唇をこじあけにかかる。

 

「っん...んー」

 

相変わらずキスがうまくて、頭の芯がくらくらする。

 

私の両頬を挟んだチャンミンの力が強い。

 

「布団の上に移動...しよう」

 

「......」

 

駄目だ、聞こえていない。

 

「で、きれば、風呂に...入ってからにしたい...」

 

「......」

 

「チャン...ミン...!」

 

私は両脚を持ち上げて、チャンミンの腰に当てて突っ張った。

 

「タンマだ、タンマ!!」

 

チャンミンは尻もちついて、茫然といった表情だ。

 

「あのなー。

私にだって理想の流れってのがあるんだ。

ヤリたい盛りかもしれんが、ちょっと我慢しろ」

 

「...ごめん、思わず」

 

濡れた唇を手の甲で拭った。

 

相手が私じゃなきゃ、ドン引きされるガッつき方だった。

 

「あんたの意気込みは十分伝わってるよ。

いちお、私にも準備ってのがあるから、風呂に入らせてくれ」

 

「......」

 

浴室にいきかけた私は、ニヤニヤ顔でくるりと振り向いた。

 

「覗くなよ」

 

「!」

 

「風呂場で『初めて』はなぁ...。

やっぱベッドの上がいいからなぁ」

 

「なっ!?」

 

かーっとチャンミンの顔が真っ赤になった。

 

頭のてっぺんから湯気が出そうなくらいに。

 

「裸になって、ベッドで待ってろよ、な?」

 

「......」

 

 

洗面所の鍵をかけて、着ているものを脱いだ。

 

「はぁ...」

 

あの様子じゃ...激しいのかな?

 

大丈夫かな、私。

 

 

TIME

TOP