(27)麗しの下宿人

 

空になった朝食のトレーを持って下の階に戻ると、既に母は仕事に行った後だった。

 

台所のテーブルの上に封筒に入った手紙が2通置かれていた。

 

1通は僕宛で、もう1通はユノに渡して欲しいとメモ書きが添えられていた。

 

僕宛の手紙は、『オメガ』について書かれているんだろうと予想した通りの内容だった。

 

母も僕もとても珍しい人種であること。

特に男の人の『オメガ』は珍しいこと。

薬の服用が必要なこと。

『オメガ』であることは隠さなければならないこと。

僕が今一番やらなければならないこととは、専門病院に行くこと。

 

「......」

 

『隠さなければならない』の言葉に、僕は引っかかった。

 

ユノが言っていたように、外出する時はうなじを晒さないようにすることも、隠す行為に含まれるのだろう。

 

学校には行けるのだろうか?

 

教師やクラスメイトにバレるよね?

 

学校は嫌いだから、行けなくなっても困らない、むしろ好都合...なんて思ったりして。

 

でも、僕の香りに気付ける人はほんの少ししかいないとも言っていたから、コソコソと隠れまわる生活まではしなくてもよいのかな。

 

『オメガ』を知っている人はどれくらいいるのだろう?

 

『オメガ』を知らない人たち相手には、隠す必要はないよね?

 

ユノから知り得た情報は、オメガの全貌のうち米粒ほどのボリュームに過ぎないだろうから、無駄な心配事で頭がいっぱいだ。

 

短い手紙の文面から答えを見つけようと、言葉の裏に隠された意味を深読みしていた。

 

ひとつ確実に言えることは、母の手紙とユノが話していた内容は、ほとんど同じだったということだ。

 

母の手紙はこうしめくくられていた。

 

『チャンミンが『オメガ』だと知り驚きましたが、だからと言ってあなたへの愛情は変わりありません。

身近にお母さんという先輩がいるのですから大丈夫。

今後の暮らしについては一緒に考えてゆきましょう』

 

「うん、わかったよ」と、心の中で返事した。

 

 

ユノ宛の手紙は直接手渡そうと思ったけれど、玄関の彼のスニーカーが無くなっていた。

 

明るい時間帯の外出だから、きっと大学へ行ったのだろう。

 

サンダルを履き表へ出た僕は、ギラギラまぶしい太陽の光に封筒をかざしてみた。

 

当然、折りたたまれた便箋の影が透けてみえるだけだ。

 

(何が書かれているのだろう...)

 

今度、ユノに教えてもらおうと思った。

 

 

脱水後、放置されていた洗濯物を干し、食器を洗ってしまうと、やることが無くなってしまった。

 

ゲームには興味ないし、ひとりでプールへ行く勇気もない。

 

それから、ユノもいない。

 

友人のいない夏休みは、とにかく暇なのだ。

 

宿題をテーブルに広げかけた時、図書館に行こうと一瞬迷い、窓の方に目をやった。

 

ダイニングの壁を明るい光が鋭く四角くくりぬいている。

 

日陰でこの明るさならば、表はもっとまぶしくて暑いだろう。

 

冷房の効いた館内は魅力的だけれど、正体を隠さなければならない身の上を思うと、今日は控えておいた方がいい。

 

1日家から出ないと決めた僕は、宿題の2日分のノルマを仕上げることにした。

 

ユノに勉強を教わったり、頻繁に図書館通いをしているからといって、誇れるほどの成績ではない。

 

答えのページを見ながら算数ドリル済ませ、単語の意味をかき取る国語の宿題に取り掛かった。

 

「辞書辞書...」

 

ユノは僕が子供だからと容赦せず、難しい言葉を使うため辞書をひく機会は多い。

 

部屋の本棚にはなくて、最後に使った時を思い返してみたところ、休日用のトートバッグに入れっぱなしにしていたことを思い出した。

 

辞書と一緒に1冊の本が目に留まった。

 

(そういえば...)

 

課題図書は、オオカミの父とヒツジの母との間に生まれた特異な子が主人公のお話だった。

 

先日図書館へ行った際、読書感想文の宿題は既に仕上げてしまっていた。

 

オオカミとヒツジの間に子供が生まれるとは、あまりにも非現実的だ。

 

けれども、深く愛し合い互いを大切に思う気持ちがあれば、見た目や種族を超えて奇跡が起きる。

 

僕は父母であるオオカミとヒツジの愛情深さに注目したのだった。

 

手直ししようと読み直してみたけれど、気恥ずかしすぎて途中でギブアップしてしまった。

 

(いいや、このまま提出しようっと)

 

その日図書館でとても怖い思いをしたせいで、読書感想文のことをすっかり忘れていた。

 

「そういえば...」

 

僕のタオルはどこに行ってしまったんだろう。

 

誰かに拾われることなく、側溝の底に泥まみれになっているかもしれないし、誰かが持ち帰ってしまったのか。

 

...オメガの香りが染みついたタオル。

 

大したことないと思っていたけれど、タオルの紛失を知った時のユノの顔色がさっと変わったことを思うと、全然大したことじゃなかったのかもしれない、とひやりとした。

 

 

予約時間に合わせて、僕らは8時に家を出た。

 

「僕ら」とは、僕と母とユノの3人のことだ。

 

約束通り、ユノは僕の通院に付き添ってくれることとなった。

 

その病院は、電車で1時間離れた場所にある。

 

よそ行きの恰好をして出かけること自体が久しぶりだ。

 

さらに大好きなユノも一緒で、僕はウキウキしていた(こういうところが子供だ)

 

母は下宿屋の表玄関の鍵をかけ、開けっぱなしの門扉も閉めた。

 

勝手口に鍵をかけることはあっても、下宿人が出入りする表玄関に鍵をかけることなど、これまで1度もなかったのではないだろうか。

 

(母は仕事、僕は学校、ユノも学校、という日は、管理棟の出入口は施錠しても、表玄関は常にオープンだ。

その為、下宿人は自室に鍵をかけて出掛けるルールになっている。

『盗まれるものなど無い』と、ユノはそのルールを守ったためしはない。

下宿人はユノ一人だからと、表玄関の鍵を預けようとしたら、『失くしてしまうから、要らない』と断られてしまった。

我が下宿屋も盗まれて困るものは無いに等しいので、ユノの好きなようにさせている。

でも、今日の場合は違う。

全メンバーが揃ってのお出掛けで、真の意味でこの下宿屋が留守になるのだから今日こそ鍵をかけなければならない)

 

T字路脇の民家に大きな桜の木があり、剪定を怠った枝が歩道に張り出している。

 

その真下を通りかかると、早々と鳴きだした蝉たちの声にわん、と包み込まれた。

 

寝返りをうってばかりの熱帯夜のせいで、寝不足の気怠い身体をひきずって歩く。

 

背中に浴びる朝日が熱い。

 

僕は保冷剤を包んだタオルを首に巻き、母は日傘をさし、ユノは後ろポケットに財布だけ の手ぶらだった。

 

午前の早い時間帯だというのに、駅までの道中でひと汗かいてしまった。

 

通勤通学の時間帯のせいで、駅構内は混雑していた。

 

ユノは「ここで待っていてください」と僕らに言い置くと、券売機の方へ駆けて行った。

 

券売機前の行列の中でも頭一つ分、キャップをかぶったユノの頭だけがひょこっと出ている。

 

雑踏の中で、ユノだけが光って見える。

 

ユノは目立つ。

 

隣の列に並んでいた若い女の人たちが、ユノの方をちらちらと見ている。

 

全身舐めるように観察されているのに、ユノは気づかないのか、頭上の路線図を見上げている。

 

こんな人が、あんなボロ下宿屋に暮らしているんだからなぁ、凄いよなぁと、しみじみ思った。

 

大学やバイト先でもきっと、ユノはモテているんだろうなぁ。

 

『彼女』はいるのかなぁ。

 

(あれ...?)

 

モヤっと嫌な気持ちになった。

 

(つづく)

 

BL小説TOP「僕らのHeaven's Day」