(28)麗しの下宿人

 

電車内はすし詰め状態だった。

 

(これが『満員電車』というものか...)

 

乗り込んですぐ、ユノは席がひとつ空いたのを素早く見つけ、遠慮する母を強引に座らせた。

 

そしてユノは僕の腕をひき、ドア前に立たせた。

 

つまり僕は、ドアとユノの間にサンドイッチされた状態になった。

 

電車が揺れると、乗客たちの塊がこちらへどうっと押し寄せてくる。

 

その都度、ユノの腕というつっかえ棒が僕を守ってくれた

 

窓ガラスにおでこをつけて、流れ去る景色を眺めていた。

 

ユノの両腕の間で、少しでも僕の身体がかさばらないよう、きゅっと身を縮こませていた。

 

(僕...臭くないかな...)

 

さりげなく首回りのタオルの匂いを嗅いだ。

 

僕の鼻じゃ、『オメガ』の香りとやらは嗅ぎ分けることができない。

 

恐る恐るユノの様子をうかがってみたところ、彼は涼しい表情をしている。

 

(よかった)

 

僕の視線に気づき、「どうした?」と言った風に視線を返してきたから、僕は笑って首を振った。

 

足元に視線を落とすと、僕のスニーカーの足が、ユノの大きな革靴の間におさまっている。

 

ドンッ、という音と共にドアが揺れた。

 

「!!」

 

電車同士がすれ違った時の衝撃音だ。

 

「気分...悪くないか?」

 

ユノの温かい吐息が耳に触れた。

 

頬が粟立った。

 

「ううん、平気」

 

車内は冷房が効きすぎていて、寒いくらいだったから、僕は二の腕をさすって鳥肌だったのを誤魔化した。

 

するとユノは立つ位置を変えて、空調の吐き出し口の盾となってくれたのだ。

 

(ユノは優しいな)

 

僕はうつむいたままタオルの端を握りしめた。

 

電車は幾駅分も停車と発車を繰り返した。

 

僕の知らない駅名がアナウンスされ、電車は徐々に減速してゆく。

 

駅のホームには、沢山の人々が電車を待ち構えている。

 

みんな難しい顔をしている。

 

リュックサックを背負っていて、よかった。

 

背中いっぱいにユノの身体が密着してしまったら、息が出来なくなってたところだ。

 

おかしいな...ユノは友達なのに...

 

身体と身体がくっつくと、鼓動が早くなってくる。

 

(ユノは男なのに)

 

 

カタンカタン、カタカタン...。

 

 

ドキドキを鎮めようと、レールを走る車輪音に意識を移そうとしてみたけれど、数秒ももたなかった。

 

(僕も男なのに)

 

ドンっと、再びの衝撃音。

 

「大丈夫か?」

 

ユノは背後から、ビクついた僕を心配して顔を寄せた。

 

「う、ううん...音にびっくりしただけ」

 

僕は内心「顔が近い、近いよ!」と悲鳴をあげていた。

 

覗き込んだユノの瞳に、僕の顔が映っているのを見てとれるほどの近くだ。

 

電車が大きく揺れた。

 

「!」

 

直後、ユノの顔がぐんと近づいてきて、僕は慌てて目をつむった。

 

「キスされる!」と思ってしまったのだ。

 

ところが実際は、よろめいた人波がユノの背を押しつぶそうとしたのだ。

 

(この前なんて、キスしちゃったし。

僕は何を考えているんだろう)

 

うなじのあたりが、かぁ~っと熱くなった。

 

ユノの大きな身体が堰き止めてくれている。

 

ユノの足の向こうで、いくつもの革靴やハイヒール、スニーカーが踏ん張って、揺れに抵抗しようとしている。

 

電車が揺れるごとにTシャツの下でユノの筋肉に力がこもるのが分かる。

 

アナウンスの声。

 

今度は僕ら側のドアが開いた。

 

ユノはまごつく僕を抱きかかえるようにして、ホームに降り立った。

 

勢いよく吐き出される乗客たちは殺気立っているように見えた。

 

車内を見ると、母が小さく手を振っていた。

 

電車内の乗客が入れ替わった頃合いをみて、僕らは車内へと先ほどまでの定位置に戻った。

 

リュックサックを通して、ユノの筋肉の熱が伝わってくる気がする。

 

何度も一緒にお風呂に入っているから、ぐっと力を入れた時にどんな凸凹がみぞおちに浮かび上がるか、僕は知っている。

 

(僕は何を考えているんだろう!)

 

ユノに護られている僕は、決しておしくらまんじゅうされることはない。

 

「ユノは満員電車、慣れてるの?」

 

「まさか!

俺も未だに電車とか慣れていないよ。

慣れてるフリしてるだけ」

 

「バイトに行く時、電車を使うの?」

 

ユノの大学は歩いて行ける距離にある。

 

「まあね。

始発で帰るから、電車はがら空きさ」

 

バイトがある日のユノの帰宅は早朝だ。

 

「お!

次の駅だぞ」

と、ユノは僕の肩をポンと叩いた。

 

窓の外は暑そうだ。

 

線路沿いの看板や窓ガラスに反射した太陽の光が、時おり僕の目をぎらりと射った。

 

地面に落ちる影色が濃い。

 

開いたドアの向こうから、蒸し暑い空気が流れ込んできた。

 

「降りよう」

と、ユノに手を握られて、胸の芯が熱くなった。

 

この感じ...何だろう?

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]