(33)麗しの下宿人

 

「人が沢山集まる場所には、『オメガ』に気付く者のひとりやふたりいるさ。

同時に『オメガ』もいるかもしれない」

 

ユノは「そうですよね?」と同意を求めるように母を見ると、彼女も困った表情で頷いた。

 

「チャンミンがどう気を付ければいいかは、午後からのミーティングで先生が説明してくれるわよ」

 

「...分かった」

 

みんな普通の人に見えて、誰がそうなのか、僕には全然区別がつかない。

 

でもユノはそれを見分けることができるのだ。

 

カフェテリア内がざわざわと混雑してきた。

 

「ここを出ましょうか?」

 

僕らは席を立った。

 

ユノは右手に3人分のカレー皿を、左手にグラスの乗ったトレーを持つと、「先に出ていてください」と言った。

 

僕の視線は、カウンターに食器を返却するユノの背中に吸い寄せられていた。

 

駅でもそうだったように、遠巻きにユノを観察する者たちがあちらこちらにいた。

 

ユノはやっぱり目立っていた。

 

僕んちのオンボロ下宿屋にユノみたいな綺麗な人は似つかわしくないと思ったのは、これで何度目だろう。

 

ユノと二人きりになりたくて仕方がない。

 

家族である母が相手では、相談しにくいことが多い。

 

母自身が『オメガ』なのだから、僕の気持ちを分かってもらえやすいはずなのに、今の複雑な心境をぶつけることに抵抗があった。

 

女の人の『オメガ』と男の『オメガ』とでは、わけが違うからだ。

 

なんて恥ずかしい事実だろう、僕の身体はオトコオンナになってしまった。

 

おちんちんは付いたままで、お尻の中で赤ちゃんを育てることができるんだってさ。

 

女の人である母に相談しにくいに決まってる。

 

赤ちゃんを妊娠できるようになった「息子」に具体的なアドバイスができるだろうか?

 

母自身が『オメガ』であったとしても。

 

ところが不思議なことに、ユノが相手ならば全面的に頼れる、と思った。

 

僕の力になってくれるって、ユノが母の前で言ってくれたこともある。

 

...ギュッと抱きしめてくれるに違いない。

 

僕はもう、頭ポンポン程度じゃ満足できなくなっていた。

 

 

「チャンミン君に見せたいものがあるの」

 

全員が揃うなり、医師はキャビネットから1冊のファイルを取り出した。

 

そしてファイルのページを繰り、「この方たちを見て」とファイリングされた写真を指さした。

 

「私が担当している方です」

 

2人の男性が笑顔で写真におさまっている。

 

「大丈夫、写真を見せることは彼らの了承を得ています

『オメガ』になって妊娠能力を得ることにショックを受けてしまいます。

だから、少しでも前向きな気持ちでいられるように、という彼らの好意です」

 

体格差がある。

 

壁にかけられた絵画とソファのデザインから判断すると、写真が撮られた場所はここの待合室のようだった。

 

僕が絶句したのは、小柄な方の男性のお腹が大きく膨れていたことだ。

 

華奢な体型をしたその人は、とても綺麗な人だった。

 

だからと言って、女っぽいのとも違う。

 

中性的としか言いようのない外見と雰囲気を持ち合わせた男の人だった。

 

「この背の高い人が彼の夫です」と医師が指さした男性は、精悍な顔立ちとがっちりした体格の持ち主だった。

 

母は「優しそうな人ね」とつぶやいた。

 

「ええ。

とても大切に扱っているわ。

2人は『運命の出逢い』を果たしたのよ」

 

「男同士...」

 

僕はぽつりとつぶやいた。

 

この点が最大の驚きポイントだ。

 

男性『オメガ』が 妊娠させる相手がいるということ...つまり男。

 

「『オメガ』になると、男が好きになるんですか?」

 

医師の説明に合点がいった。

 

男であるユノにドキドキしてしまうのも、キスしたくなってしまったのも、全部『オメガ』になったせいなんだ。

 

身体が求めてしまった『オメガ』の本能みたいなものなんじゃないかな?

 

つまり、『オメガ』になると男の人が好きになってしまうんだ。

 

繁殖期の動物が番を求めてさまよい、異性を見つけるなり交尾に及ぶ。

 

そう思ってしまうと、ちょっとがっかりしてしまった。

 

そんな動物的な理由でユノに近づきたいわけじゃないのに。

 

(あ...!)

 

「交尾」の言葉に、あるシーンがパンっと頭に浮かんだ。

 

あの時のユノだ。

 

そういうことか、僕が目撃したアレ...ユノがあの男の人と裸になって絡み合っていた...は、交尾の真っ最中だったんだ。

 

男と男が濃密に抱き合う理由はつまり、交尾。

 

(...っ)

 

ユノの裸身を思い出していたら、僕のお尻の辺りがきゅん、とした。

 

(何これ?)

 

僕は医師の話を受けて、短絡的にこう結論付けてしまったけれど、間違っていないよね?

 

『オメガ』になると男が好きになる。

 

世の中には『オメガ』を嗅ぎつけることができる希少な人がいる。

 

ユノはつまり、その希少な人ということか。

 

「この人たち...幸せですか」

 

「ええ、もちろん。

これは去年の写真。

彼の出産には立ち合いました。

今は2人とも立派なお父さんたちです」

 

「お父さんとお父さん...。

お父さんが赤ちゃんを産む...」

 

僕は頭を抱えてしまった。

 

「この世には、男という性、女という性、『オメガ』という性があります。

『オメガ』は全人口の0.5%ほどしか存在しないの。

チャンミン君はとても貴重な存在なのよ。

そこに誇りをもっていい」

 

「全然嬉しくないです」

 

「次に『オメガ』の人が気を付けなければならない注意点を説明します。

女性男性に限らず『オメガ』は、特定の人たちを強く惹きつけるフェロモンを出しています。

フェロモンは知ってる?」

 

「は、はい」

 

医師の視線が、僕の背後に座るユノの方に向けられたように見えた。

 

僕のうなじから漂う香りこそがフェロモンだ。

 

それはユノが鼻を押さえ顔を背けなければならないほどの独特の香りをもち、これが外気に漏れ出さないようにと、首にタオルを巻いて外出している。

 

鼻が敏感な者に嗅ぎつけられないようにと、ユノから注意されたからだ。

 

「普通の人たちは、『オメガ』のフェロモンには全く反応しません。

特定の人たちは、全人口の数パーセントの割合で存在して、差に程度はあってもフェロモンに反応します」

 

医師の説明はユノが話した内容と同じだった。

 

「日常生活で出くわす確率は低いけれど、油断はできません」との忠告も、ユノが言った通りだった。

 

「その『特定の人』は『オメガ』にとって危険な存在です。

どうしてかというと、彼らは『オメガ』を妊娠させたくて仕方がないのです。

『オメガ』は妊娠出産に特化した存在で、彼らを誘うためにフェロモンを発散させます。

彼らはとても鼻がいい」

 

医師は自身の鼻をとんとん、と突いた。

 

「『オメガ』の人生が普通の人たちよりも苦労するワケは、その『特定の人』たちから身を守りながら暮らさないといけなくなる点です。

でもね、いいこともあります。

さっきの写真の2人だけど...」

 

(『特定の人』とは、鼻が『敏感』な人...!?

ということは...!)

 

背筋に怖気が走った。

 

話の途中なのにもかかわらず、僕は勢いよく立ち上がりユノの手を取った。

 

「チャミ?」

「チャンミン君!」

「チャンミン?」

 

僕はとにかく、ユノと2人きりになりたかった。

 

喜怒哀楽が激しく揺さぶられた時、その感情は自分の中だけにとどめておけない。

 

今の気持ちを誰かと共有したい、言葉として発音することで、感情と情報の整理をしたい。

 

ユノに確かめたいことがある。

 

僕の突然の行動に、医師と母はあっけにとられていたが、ユノは僕にされるがまま引っ張られていった。

 

待合室を出たところに多目的トイレが1つある。

 

僕はユノをそこへ連れ込み、鍵をかけた。

 

「ユノちゃんは僕のことが分かったんだよね?

それって、ユノちゃんが『特定の人』ってことだよね?」

 

ユノは自身のことを、他の人よりも鼻がいい程度だと話していた。

 

「ねぇ、そうなんでしょ?」

 

僕はユノの身体をグラグラと揺すった。

 

 

(つづく)

 

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