(40)麗しの下宿人

 

「チャンミン君もユノさんも、『ベータ』たちと比較すると何かと苦労が多いでしょう。

ユノさん、そうでしょう?」

 

そう訊ねた医師に、ユノは「まあ...それなりに...」と語尾を濁した。

「そうなの?」と問いかけの視線を送ると、ユノは一度だけ頷いて苦笑しただけだった。

僕は「大丈夫だ平気だよ」の頷きなんだろうと受け取ることにした。

ユノが普通の人とは違うだなんて、今まで全く気付かなかった。

これまでの僕は無知だったから、『アルファ』だったことを隠し通すのは容易だったろうけれど、僕が『オメガ』になったせいで、これからのユノは苦労することになる。

それは嫌だなぁ、と思った。

 

「今日は沢山、脅かしてしまったわね」

 

並んで立つと医師の身長は母よりも高かったが、母がとても小柄なため、比較対象にしにくい。

 

「チャンミン君」

 

医師は僕の視線に合わせて、身をかがめた。

 

「ざっくりと今日の話をまとめるわね。

『ベータ』たちは、『オメガ』や『アルファ』の影響を受けません。

『アルファ』と『オメガ』が、強力な磁力で引き寄せ合っていると言ってもいいの」

 

医師は声量を落とした。

 

「つまり、ユノさんとあなたは強く引き寄せ合う、ということです。

『アルファ』と『オメガ』の引き寄せ合いは、性別を問いません」

 

診察室で見せられた『アルファ』と『オメガ』夫夫の写真を思い出した。

 

「それって、何を意味すると思う?」

 

ここでエレベータが到着し、扉が開いた。

 

「何って何を?」

 

首を傾げる僕に、医師はもっと声量を落とした。

 

「ユノさん“以外”の『アルファ』も、チャンミン君に引き寄せられる...という意味です」

「ユノちゃん以外...?」

「そう。

『オメガ』にとって『アルファ』は危険な存在です。

チャンミン君を護ってくれる『アルファ』はユノさんだけ...それくらいの危機意識でいてくださいね」

「はい。

薬、ちゃんと飲みます」

 

ユノと母は先にエレベータに乗り込み、僕と医師の会話が終わるのを待っていた。

医師の声は囁き声と言ってもいいほどの声量だったから、母の耳には届かなかっただろうけど、ユノならば聞き取れていたと思う。

 

「モヤモヤすることがあったら、いつでも気軽にここにいらっしゃい」

 

僕は頷いた。

 

医師はエレベータの扉が閉まりきるまで、手を振ってくれた。

 

 

ここへ受診に訪れる『オメガ』は、1日平均3名ほどだという。

「それっぽっち!?」とは思えなかった。

3人もいるのだ。

彼ら一般社会に紛れて暮らす『オメガ』たちは、薬や相談相手を求めて地下行きのこのエレベータに乗る。

 

 

全ての用事を終え、病院を後にすることとなった。

医師の説明にあったように、会計は不要だった。

玄関ドアまでいったところでユノは立ち止まり、「僕らとは一緒に帰れない」と言った。

 

「どうして?」

「診察室に戻らないといけないんだ。

先生との話が途中だったんだよ」

「何の話をするの?」

 

僕は行かないでとばかりに、ユノの手首をつかんだ。

熱い肌と固い骨、浮き出た血管。

今日の僕は、何度も何度もユノの手に触れていた。

触れていないと心細いというのもあるし、触れることで胸が高鳴る感じが気に入った。

 

「それはな」

 

ユノは手首をつかんだ僕の手を取り、握りしめた。

厚みのある手の平に反して、細く長い指。

 

「『どうやってチャミを守れるか?』という話を、先生と相談するんだよ」

そう言って、ユノはわしわしと僕の頭を撫ぜた。

 

「先生もさっき言っていただろ?

チャミを狙う『アルファ』から、チャミを守るのが俺の役目」

「あなたを巻き込んでしまって、本当に申し訳ありません」

 

深々と頭を頭を下げた母の行動に、ユノは「頭を上げてください」と慌てていた。

「チャンミン君の通院にもできる限り付き添います」

「いえ、私が付き添いますから、ユノさんはお気になさらないでください。

今日、一緒に来てくださったことだけで十分です」

 

僕の心の中に、嬉しいとごめんなさいの2つの感情が同時にあり複雑な心境だった。

僕が『オメガ』だと見抜いたからと言って、ユノの時間を削ってしまっていいのだろうか、親子そろって、下宿人の一人に過ぎないユノの好意に乗っかってしまっていいのだろうかと、遠慮の気持ちがあった。

 

「いいえ。

僕が付き添うべきなんです

こうなることは、決まっていたのです。

どういうことか...お母さんはご存知でしょう?」

 

 

ユノの言葉を受けて母がハッとしたのが、はた目にも分かった。

 

「......」

 

母は何も言い返さすことなく、見透かされてしまったことを恥じるようにユノから顔を背けてしまった。

ブラウスの衿を直し、後れ毛を直すかのようにうなじを撫ぜる、一連の母の手の動きを見守っていた。

 

(ご存知...?

母が知っていることって、何だろう?

そのことをユノが指摘できるのはなぜだろう?)

 

はっきりわかるのは、僕には未だまだ知らないことが沢山ある、ということだ。

『オメガ』の母と『アルファ』のユノが何ごともなく、並んで立っていられるのは、やっぱり薬のおかげなのだろう。

夕飯を一緒にどうかと母は申し出たが、今夜はバイトがあるからとユノは申し訳なさそうに誘いを断った。

 

「じゃあ、また後で」

 

僕らは手を振り合い、カウンター前で別れた。

 

「チャミ」

 

正面玄関の自動ドアが開いた時、僕を呼び止めるユノの声に振り向いた。

 

「チャミ」

 

ちょいちょいと手招きされて、ユノの元へ引き返した。

 

「チャミ」

「何?」

 

ユノは身をかがめ、僕の耳元で囁いた。

 

「俺...チャミが大事だから」

「え?」

「小学生のガキと仲良くなるなんてな。

不思議なことに、年の差が全然気にならないんだ。

チャミはガキで俺はオッサンだけど...気にすんな」

「ぷっ。

ユノちゃんはオッサン、ホントだね」

 

「お前こそガキんちょのくせに」と細められたユノの目を見て、僕は今日一番、心からホッとできた。

いつものユノの笑顔が見られてよかった、って。

 

「とにかく何でも、俺に任せろ。

な?」

ユノは僕のタオルを巻き直しながら、そう言った。

 

(つづく)

 

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