(52)オトコの娘LOVEストーリー

 

~YUN~

 

「あ...そういうことに...なりますね」

 

対向車のヘッドライトがチャンミンの顔を照らして、ちろっと舌を出すチャンミンにドキリとした。

 

(そんな可愛い表情を見せたらいけないよ。

どうにかしたくなるじゃないか)

 

俺はレストランのキャンドルの灯りに照らされたチャンミンを思い出していた。

 

 

ゆるいパーマをかけたプラチナ色の前髪を、アシメトリーに分けて髪飾りで留めていた。

秀でた白い額が顕わになって、意志の強そうな目元が強調された。

キャンドルが作る濃い影が、チャンミンの鼻筋とくっきりと結ばれた唇を浮かび上がらせていた。

化粧など一切、不要だった。

口紅すら付けていなかった。

それでいい。

丹念なメイクを施した女たちとは雲泥の差だ。

チャンミンは男と女の両方の色気を兼ね備えている。

性別はどうでもいい。

儚げな美しさだけでなく、俺を見る瞳が綺麗過ぎて胸をつかれる。

さんざん女も男も振り回してきた俺が、うろたえてしまうほどの透明さだ。

せっかく見つけた有能なアシスタントを失うのは痛い。

チャンミンの能力に期待していなかったところ、意外に事務能力が高いことに驚いたからだ。

待てよ...失う必要はない、か。

公私ともに可愛がってやればいいだけだ。

思わせぶりな言動で動揺するこの子をもっと見ていたいが、生ぬるいことはすっ飛ばしてそろそろ本気を出そうか。

この子は恐らく...未経験だ。

怖がらせないように、慎重に事を運ばないといけないな。

チャンミンの横顔を盗み見る。

本人は気付いていないだろう。

額から鼻先まで美しいラインを描く横顔が、どれだけ美しいのか。

粘土の塊から人体を無数に形作ってきたから、よく分かる。

今すぐチャンミンの頭の形を両手で確かめたくなったが、あいにく運転中だし、早速チャンミンを怖がらせてしまうから、代わりにハンドルを固く握りしめた。

 


 

~チャンミン~

 

バッグの留め具を指先で開け閉めしながら、緊張を解こうと深呼吸をした。

何を話せばいいのかな。

精悍な横顔を見せてハンドルを握るYUNさんを横目で見た。

対向車のヘッドライトが、YUNさんの彫の深い顔をなめていく。

時折眩しそうに眼を細めている。

家族の話じゃ、子供っぽいよね。

趣味の話...といっても、僕には趣味がない。

女ものの装いに興味があるんです。

YUNさんは僕のこと、女だと見ています?それとも男?

どっちだと思います?

履歴書にも書いていなかったでしょう?

バレてますよね、僕が男だって。

ごつごつした身体にスカートは似合いませんよね?

でも、この格好が好きなんです。

ワンピースが似合わないのも、当然なんです。

男の身体が邪魔をする。

それならば、 ユノさんの話は、どうかな。

とても優しくてかっこよくて、僕を住まわせてくれる人だって、って話そうかな。

一緒に暮らしています。

珈琲を淹れるのが上手なんです、って。

どうかな。

耳の上で留めた髪飾りを、指で触れる。

昨夜、KさんとAちゃんが即席で作ってくれたもの。

シンプルなヘアピンに、透明なクリスタルビーズを繋いで作ったお花に、造花の小さな葉っぱが添えてある。

(とっても可愛らしくて、嬉しくなった僕は2人に抱き着いてお礼を言った)

YUNさんの車は大きくて、座り心地がよくて、静かだった。

低いエンジン音が心地よく響いていて、アルコールでぼうっとした僕は眠ってしまいそう。

 

「眠い?」

 

あくびをこらえているのがYUNさんにバレてしまった。

信号待ちで停車させたYUNさんは、くすっと笑った。

 

「ひゃっ」

 

YUNさんの大きな手が、バッグの上の僕の手に重なった。

 

「冷たい手をしているね」

 

思いっきりビクついてしまい、YUNさんは笑い声をたてた。

 

「そんなに驚くことかい?

傷つくなぁ。

俺みたいなおじさんは気持ちが悪いかい?」

「いえいえ、滅相もない」

 

「気持ち悪いなんてとんでもない」と首を振ったら、僕の頬がYUNさんのもう片方の手に包まれた。

 

「ひっ!」

「怯えすぎだよ」

「いえいえ、そんなつもりは...!」

 

YUNさんのさらりと乾いた手のひらは温かかった。

膝が震えていた。

YUNさんの指先が僕の耳を挟むように髪の中へ滑り、うなじまで移動するとぐいっと手に力がこもった。

力づくじゃない。

その動きはとても自然で、あっという間に僕の顔はYUNさんの方へ引き寄せられていた。

YUNさんの黒くて美しい目が、間近に迫っている。

この先を察した僕は、ぎゅっと目をつむった。

斜めに傾けられたYUNさんの顔がもっと近づいて、ふわっと彼の唇が僕のものにあたった。

ムードぶち壊しだけれど、心の中で僕は「ひぃー!」って叫んでたの。

 

キス!

キス、ですよ!

僕、YUNさんとキスしてるのよ!

嘘でしょう!

信じられない!

もうダメ。

心臓が壊れてしまう。

 

YUNさんは僕から顔と手を離すと、車を発車させた。

YUNさんの手の平と僕の頬の間で温められた空気が、ふっと逃げて行ってしまった。

 

「......」

 

僕の身体はYUNさんの方を向いたまま、しばらく硬直していた。

 

「そこまで驚くことかい?」

 

前を向いたままYUNさんは、苦笑した。

 

「......」

 

驚くに決まっているでしょう!

 

「このまま真っ直ぐ家まで送ればいい?

それとも、どこかに寄ろうか?」

「あ、あのっ」

 

「ん?」といった風に、YUNさんがこちらを見た。

 

「おしっこ...おしっこがしたいです」

 

わー!

わー!

なんてことを口にしてんの!

頭がおかしくなってる!

YUNさんとのキスで、頭のネジがとれちゃったんだ!

おしっこって...おしっこって...。

ばっかじゃないの!?

お子様じゃないの...。

泣きそう。

穴があったら入りたい。

 

「あははは!

気付いてやれなくて悪かったね。

カフェに寄ろうか?

チャンミンは甘いもの、好きだろう?」

 

YUNさんが僕のことを呼び捨てで呼んだのに。

恥ずかしさでいっぱいだった僕はこくこくと頷くのが精いっぱいだった。

YUNさん、彼女がいるのに僕にキスなんてして、いいんですか?

 

(つづく)

(51)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

帰宅したら、洗面所で何やらしていたチャンミンが慌てて6畳間に駆け込んでしまった。

初めて見るワンピースを着ていて驚いた。

あっという間だったけれど、黒地に白い小花柄のミニ丈で、白い髪に青い髪飾りを付けていたところまで、しっかりと目に焼き付いている。

妖精みたいに綺麗だったんだ。

6畳間のドアをノックして、彼に声をかけた。

 

「チャンミンちゃん?」

 

「ユノさんですか。

おかえりなさい、です」

 

ドアは閉じたままだ。

 

「チャンミンちゃん...あの...ワンピースのことだけど...?」

 

「似合いませんよね。

恥ずかしいです。

おろしたてなんです。

ごめんなさい」

 

どうして謝るんだよ。

 

「似合っていたよ、すごく」

 

「......」

 

「チャンミンちゃんの雰囲気に、合ってた」

 

「お世辞...じゃないですよね?」

 

疑り深い言い方が、いつもの彼らしくてほっとした。

 

「本心で言ってるよ。

似合ってた」

 

「可愛い」って言えばいいのに。

俺と彼は1枚のドアを隔てて会話していた。

 

「ありがとうございます。

試着をしてたんです」

 

「せっかくだから、出ておいで。

ちゃんと見せてよ」

 

「えー、笑わないで下さいよ?

ユノさんに笑われたら、僕、落ち込んで立ち直れなくなりますから」

 

「笑うもんか。

出ておいで」

 

「ユノ!」

 

寝室からむくんだ顔を出したリアが、俺を呼んだ。

 

「何?」

 

俺は気付かれないようため息をついた後、リアに応えて振り向いた。

 

 


 

~YUN~

 

ワンピース姿のチャンミンを一目見て、思わずピュゥっと口笛を吹く。

 

(ずいぶんとガーリーな恰好で来たな...)

 

ウエストは同色のコルセットで細く細く絞り上げられている。

俺に気付いて振り返ったチャンミンは、パッと頬を赤らめた。

 

「あのっ...ひらひらした格好をしてきてしまってすみません...」

 

俺に見てもらいたくて精いっぱいのお洒落をしてきた、といったところか。

俺はくすくす笑って、俯いてしまったチャンミンの肩を叩いた。

 

「可愛い系のワンピースは初めてだったからね。

へぇ...いいじゃないか」

 

俺は顎を撫ぜながらチャンミンの周りを一周した。

 

(細い腰だな。

まさか、メイドで来るとは。

予想を裏切ってくれて、楽しい子だ)

 


 

~チャンミン~

 

YUNさん、きっと呆れてる。

はしゃいでお洒落してきた僕に呆れてる。

昨夜、ユノさんに見てもらえばよかった。

おかしくはないか、ジャッジしてもらえばよかった。

「見せて」と言っていたのに、勇気を出してドアを開けたらユノさんはドアの向こうにいなかった。

リアさんのいる寝室へ行ってしまった。

YUNさんの逞しくしなやかな身体から、男性的な香水の香りが漂ってきたのを、すうっと吸い込んだ。

 

(いい香り...)

 

YUNさんはこぼれ落ちた髪を背中にはらった。

すると、隙に隠れていた部分が露わになって、僕は見つけてしまった。

耳の後ろの辺りに、赤い痕。

 

(あ...れ...?)

 

僕の視線は“そこ”に、くぎ付けになる。

 

(あれは...キスマーク!?)

 

知識としては知っていた。

 

(耳の後ろの方だから、気付いていないんだ...。

あれって、キスマーク...だよね)

 

すっと体温が下がったかのようだった。

 

(嘘...。

誰が付けたの...)

 

僕の胸が焼かれるように痛む。

 

(どうしよう...僕、平気でいられない。

YUNさんは、こんなに素敵な人だもの。

恋人がいて当然...。

YUNさんの首にキスした人がいる。

やだ...涙が出てきそう)

 

僕は上を向いて涙がこぼれないように、まばたきした。

充血した目を気付かれないよう、さも痒いかのように目をこする。

 

「あのっ。

仕事の後、おうちへ帰る時間もありませんので...。

エプロンを持ってきたので、粘土仕事はできますから!」

 

「はははは。

汚したら大変だ。

今日は一日、オフィスで仕事をしてくれたらいいから。

早めに仕事を切り上げて、約束通り食事に行こう」

 

「ありがとうございます」

 

チャンミンは頭を下げると、小走りでオフィス奥のデスクへ向かっていった。

 

 

「美味しかったです。

あんな御馳走は、生まれて初めてです」

 

僕はYUNさんの高級外車の助手席におさまっていて、膝の上のバッグをギュッと握りしめた。

鮮やかなピンクのバッグは、都会に出てくるとき義母が買ってくれたものだった。

 

(お兄ちゃんはお義母さんに似たんだ。

大らかで豪快で、声が大きくて。

僕を可愛がってくれて...本当にありがたいことだ)

 

夕方から降りだした雨で、サイドウィンドウを流れ過ぎる夜の街灯りが、水滴ににじんでいた。

酒に弱い僕はたった1杯のワインでほろ酔い状態だった。

顔が熱い

車で来ていたYUNさんはミネラルウォーターを飲んでいた。

 

「寒くない?」

 

窓の向こうを無言で眺めていると、YUNさんに声をかけられた。

 

「寒くも暑くもないです」

「ちょうどよい、ってことだね」

 

YUNさんは小さく吹き出した。

 

(つづく)

(50)オトコの娘LOVEストーリー

 

~チャンミン~

 

いつもみたいに「泥棒さんみたいです」とか「勃ってますよ」って、ユノさんをからかえない。

僕はコーヒーをちびちびと飲みながら、自分の感情を整理することにした。

 

その1.

昨夜、リアさんを介抱するユノさんを見て、この2人は恋人同士なんだ、って初めてリアルに実感した。

行為そのものを目にしたわけじゃないけれど、交際している男女の生々しさを目撃した、っていうのかな。

リアさんの扱いを慣れてる感じが、いろんなことを想像してしまって。

僕は親友の弟で、おうちに住まわせてもらっていて、ホテルにも泊まったし親近感を抱き合っていると思っている。

けれども、一緒に暮らしている恋人には、負ける。

 

その2.

その1にも通じること。

ユノさんとホテルに泊まった時、忠告の意味を込めてか僕を押し倒すフリをした。

ユノさんに耳の下のあたりをキスされて、くすぐったいのとは違う、初めての感覚に驚いた。

ぞわぞわっとしたけれど、嫌な感じじゃないんだ。

「ってな風に襲われるから」ってユノさんはすぐに身体を起こしてしまったけれど、僕はもうちょっとキスしてて欲しいなぁ、って思ってしまった。

ユノさんは、リアさんにいつもこんな風にキスするのかな?って想像してしまった。

 

昨夜、ユノさんがリアさんの頭を撫ぜているのを見て、その1とその2の感情が湧いてきたの。

 

「リアさんは?」

 

「まだ寝ている。

今日のチャンミンちゃんの予定は?」

 

「お休みなんです」

 

「そっか...。

悪いんだけど、リアは寝かせておいてくれないか?」

 

「はい」

 

悪くなんか、全然ないのに。

ここはユノさんとリアさんのおうちであって、僕は居候。

洗面所で「シャワーを浴びる時間はないな、仕方がない」と、ユノさんはぼやいている。

髪の毛がはねていることに気付くといいんだけれど。

不思議なことに、今朝はユノさんに近寄れなかった。

そして、ユノさんはリアさんと別れられないんじゃないかな、ってちらっと思った。

なんでだろうね。

 

 


 

~ユノ~

 

昨夜のリアには参った。

泣いたり、罵ったり、叩いたり、そして泣いたり。

彼女に酷い酔わせ方をさせたのは、俺が原因だ。

 

「私を捨てないで」

「別れたくない」

「ユノがいないと生きていけない」とまで。

 

プライドの高い彼女がそんな台詞を口にするなんてと、正直少しだけぐらりと揺れた。

でも、心を鬼にして首を横に振り続けた。

気持ちには添えないけれど、彼女の頭を抱きしめてやることが、今できる精いっぱいだ。

以前の俺だったら、「別れたくない」と泣いてすがりつく彼女の姿に、「愛されている」と勘違いをして情にほだされて、別れを撤回していたと思う。

しかし、今の俺は違う。

彼女のどこを好きになったんだろう、とじっくりと思い起こしてみた。

 

美しい顔とスタイルに惚れた。

何としてでも自分のモノにしたくて、追いかけた。

憧れに近い恋だった。

 

現実の生活を共にしてみたら、美しい蝶が舞うのを眺めているだけにはいかなくなる。

世話も必要だし、羽を休める休眠所を整えてやらなければならない。

その蝶は極めて気紛れなタイミングで俺を誘ったり、放置したり、野暮ったい俺を哂ったりした。

彼女の隣を歩くには、それなりのレベルでいる必要で、彼女の指示通りに身なりを整えた。

そんな過去の遺産みたいなものを、俺はチャンミンに貸し与えている。

田舎から出てきた飾りっ気のない彼を、俺の手で整えてやった。

メイド服以外はきちんとした洋服を持っていないようだったから。

彼は土台がいいから、シャツ1枚で一気に垢抜けてくれて、そんな彼を前に俺は気分がよかった。

俺が彼にしている行為は、リアが俺に教育していたことと同類じゃないか、と気付いた。

 

いや、違う。

彼はそのままで十分なんだ。

俺はただ、彼のことを放っとけないんだ。

 

彼のありとあらゆる表情を見てみたいから、あれこれ理由をつけて彼と関わろうとしている。

俺の言うこと成すことに、素直に反応する。

素直過ぎて怖いくらいだ。

彼を綺麗に磨けば磨くほど、俺の心が満たされていくんだ。

昨夜、彼の「大事な人です」の言葉に、心が震えた。

嬉しかった。

「俺にとっても、彼は大事な人だよ」と言いたかった。

でも、彼には片想いをしている『彼』がいて、彼の恋がうまくいかなければいい、と本気で望んでしまった。

言葉と裏腹な心を抱えていて、「大事だよ」なんて言えないよ。

今朝のよそよそしい彼の態度が気になっていた。

 

 

(つづく)

(49)オトコの娘LOVEストーリー

 

~チャンミン~

 

「リア...」

「リアさん...」

 

泣き腫らした顔で髪は乱れ、加えてベロベロに酔っぱらっているようだった。

 

足元がおぼつかなく、身体が左右に揺れている。

 

力を抜いたユノさんの腕から抜け出すと、リアさんは僕の方へと近づいた。

 

「大丈夫ですか?」

 

その場でへたり込みそうなリアさんを支えた。

 

アルコールの匂いをぷんぷんとさせ、完ぺきに施してあったはずのメイクが、汗や摩擦で崩れ、汗ばんだ首筋におくれ毛がへばりついている。

 

酔いつぶれるまで飲んだらしい。

 

駆け寄ったユノさんは、リアさんが玄関に放り出したバッグを拾い、土足のまま上がってきた彼女のサンダルを脱がせる。

 

剥がれかけのペディキュアに気付いて、「リアさん、荒れている...」と僕は思った。

 

身体の力はとっくに抜けてへなへなしているリアさんに対して、ユノさんは「しょうがないなぁ」とつぶやいて、膝の裏に腕を差し込んで抱き上げる。

 

「放してっ!

ユノのバカ!

放っておいてよ!」

 

ユノさんは、足をばたつかせ、頭やら肩を叩くリアさんに構わず、彼は彼女を寝室に運んだ。

 

(わ~。

お姫様抱っこだ...)

 

その後ろを、僕はミネラルウォーターのペットボトルと、しぼりを持って追いかけた。

 

ユノさんはリアをベッドに横たえた。

 

「リア...こんなになるまで...。

とりあえず、水分を摂った方がいい」

 

ユノさんはリアさんの頭を起こすと、僕から手渡されたペットボトルを彼女の口元にあてた。

 

3分の1ほど飲んだ後、リアさんの肩が嗚咽に合わせて震えた。

 

「酷いわ!」

 

リアさんの喉から高い悲鳴のような呻きが漏れ、胸が大きく波打つ。

 

閉じたまぶたの端から、涙が次々と流れ落ちた。

 

「リア...どうした?」

 

「ユノのせいよ」

 

「ごめん」

 

リアさんがユノさんを責めたいのは、別れ話のことなんだろう。

 

ユノさんはリアさんの頬にはりついた長い髪を指でよけてやり、手渡されたおしぼりで、涙とメイクでどろどろになった顔を拭いてやった。

 

「ユノのせいよ...」

 

リアさんの腕が伸びて、ユノさんの頭を抱え込むように引き寄せた。

 

「リア...」

 

しばらく身を固くしていたユノさんだったけれど、リアさんの肩に頭を預けてされるがままになった。

 

部外者だと察した僕は、後ろに下がって二人を遠巻きに見ているしか出来ない。

 

リアの頭をぽんぽんと優しく叩くユノさんの脇に、機転を働かせて浴室から持ってきた洗面器とタオルを置くと、僕は寝室を出て行った。

 

(僕はお邪魔虫。

同棲までした2人なんだから、簡単に別れられないよね。

リアさんは、別れたくないんだ。

ユノさんは、どうするんだろう)

 

「リアとは一緒にいられない」と僕の肩で泣いていたユノさんを思い出す。

 

(この場では、僕ができることは何もない。

でも...)

 

リアの頭を撫ぜるユノさんの手の映像が、僕の頭にはっきりと記憶された。

 

彼の手の部分だけクローズアップしたものが。

 

(ユノさんにとって、女の人の頭を撫ぜるのはどうってことないコトなのかな。

癖みたいなものなのかな。

ユノさんがリアさんを撫ぜるのは、謝罪の気持ちから?

「やっぱり好きだよ」の気持ちから?

僕だけにしてくれてることだって、己惚れていた。

胸がちくちくする。

僕はユノさんにとって...何なんだろう?)

 

 

翌朝、キッチンに立って卵料理を作り、テーブルに3人分のお皿を並べた。

 

ユノさんもリアさんも起きてこない。

 

コーヒーを淹れるのはユノさんの役割だけど、寝室からはことりとも音がしないから、おっかなびっくり僕が淹れることにした。

 

時計を見るともうすぐ7時で、ユノさんの出勤時間まであと30分しかない。

 

昨夜、リアさんの介抱をしたまま寝てしまったのかな。

 

もう起きないと、遅刻しちゃうよ。

 

寝室のドアをノックしようとしたけれど、2人のプライベートな空間を覗くのに気が引けて、携帯電話を鳴らすことにした。

 

3コール目で出たユノさんは、「寝過ごすところだった、ありがとう」ってくぐもった声で、電話に出た。

 

盛大に髪がはねている自分が、洗面所の鏡に映った。

 

いつもだったら、ユノさんに「髪の毛、はねてるよ」って教えてもらうのに。

 

ブリーチしてパサついたせいで、いつも以上に髪の毛がくしゃくしゃだ。

 

鏡の中の自分をじーっと観察する。

 

プラチナ色の髪のせいか、心なしか顔色が悪いような気がする。

 

チークをさせばいいのだろうけど、自分に似合うメイク法は試行錯誤の過程にある。

 

そういえば!

 

明日の夜は、YUNさんにご飯をごちそうしてもらうんだった。

 

ワンピースを着ていこう。

 

超ロング丈だから骨っぽい脚は隠れるし、足元は黒革を編んだペタンコサンダルを合わせよう。

 

髪型もメイクは、今夜KさんとAちゃんに会った時に教えてもらおう。

 

今日はお休みだから、一人暮らしをする住まいを探しに行こう。

 

今週末にユノさんに不動産めぐりと下見に付き合ってもらおうと思ったけれど、頼ってばかりいられない。

 

ユノさんは、リアさんのことで大変だろうから。

 

洗面所を出たら、ユノさんが立ったままコーヒーを飲んでいた。

 

僕が用意した卵料理のお皿は空っぽだった。

 

「チャンミンちゃん、おはよう」

 

目は半分しか開いていなくて、後頭部の髪がはねていて、髭が伸びている。

 

毎朝目にする姿なのに、なんだかユノさんが遠く感じた。

 

(つづく)

(41)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

ついさっき、チャンミンを押し倒すフリをした時のことを振り返った。

『フリ』なんかじゃなくて、半分は本気だった。

彼が可愛過ぎた。

唇にキスしそうなのを抑えて、彼の耳の下にキスをした。

危なかった。

俺の荒れた心を気遣った、彼の温かい心を踏みにじるところだった。

今夜の彼に、俺は救われたというのに。

この子は男なのに。

女の格好をするだけの男なのに。

本当に、危なかった。

それにしても...心配事が増えた。

俺に押し倒されても抵抗しないんだ。

息をのんでじっとして、されるがままだったんだ。

駄目だよ、チャンミン。

その場の空気に流されて、なんでも受け止めてしまう子だから。

そんな彼が心配だった。

 

「ねえ、チャンミンちゃん」

 

「はい?」

 

俺たちはくの字になって、向かい合わせに寝転がっていた。

 

「今日は、ありがとう」

 

「お礼はさっき言ってもらいましたよ」

 

「助かった。

君のおかげで」

 

「うふふ」

 

半乾きの彼の髪がボサボサになっていたから、俺は手ぐしで梳かしつけてやった。

形のよい、小さな頭だった。

気持ちがよいのか、彼は目を細めていた。

しばらくもしないうちに、彼のまぶたがにっこり笑った形を保ったまま閉じてしまった。

なぜか俺の目に、じわっと新たな涙が湧いてきた。

今の今まで忘れていたけれど、彼には好きな人がいるんだった。

フリだとはいえ、押し倒すような真似をして、ごめん。

俺たちは同性だし、彼には好きな奴がいる。

彼の恋はうまく実を結ぶのだろうか。

彼女(彼?)は振り向いてもらえるのだろうか。

ごめん、俺は君の恋を応援できなくなった。

だからといって、彼の幸せを邪魔するようなことはしないから、安心して。

相談にはいくらでものってやる。

でも、そいつが彼に値しないようなポンコツ女(男?)だったり、彼を傷つけるような奴だったら、俺が許さない。

今の俺は、彼とフェアな立場で向き合える。

リアとの別れは哀しい。

彼女は俺の「別れたい」発言に同意していなかった。

そこが気がかりだ。

これで終わったわけじゃないってことか。

嫌な予感がした。

 

 

その後、俺たちは朝までぐっすり眠った。

 

シャワーを浴びてベッドに戻ったら、チャンミンがAVを大音量で鑑賞していて、大慌てでリモコンを取り上げた。

 

「チャンミンちゃん!」

 

「後学のために、ですよ」

 

しれっと言うから、俺は彼に説教をした。

 

「こういうものを見せられたら、男はムラムラするんだよ?

押し倒されたって文句は言えないよ?」

 

チャンネルボタンを押しても押しても、喘ぎ声が流れる場面ばかりで、俺は焦った。

 

やっとのことで、ゲーム画面に切り替わってくれた。

 

「すごいですねぇ、どうしてあんな展開になっちゃうんですか?

初対面の人といきなり、コンビニで...!

おちんちん挿れたままレジなんて打てませんって。

気付かないお客さんも、すごいですよねぇ」

と、ショックを隠し切れない彼。

 

「ユノさん...勃ってます」

 

「え、えっ!?」

 

焦ってバスタオルを巻いた股間を押さえた。

 

「嘘です」

 

「こら!」

 

「あはははは」

 

「君こそムラムラしないのか?」

 

気になっていたことを、さりげなく訊ねてみた。

 

「さあ...分かりません」

 

肩をすくめただけの彼の反応を、俺はどう受け取ったらいいのだろう。

 

 

たらこスパゲッティとサンドイッチを食べ、カラオケで2曲ずつ歌い、レーシングカーゲームを3戦して(チャンミンのコントローラーさばきはプロ級だった)、チェックアウトの時間まで、俺たちはラブホテルを楽しみ尽くした。

ホテルの自動ドアが開くと、ムッとした暑さにつつまれた。

 

「僕たち、朝帰りですね。

朝帰りの相手第1号は、ユノさんです」

 

小首をかしげて言った。

 

「チャンミンさんが元気になってよかったです」

 

ゴミが散らばる昼間の繁華街は裏寂しい。

俺の心はもう、寂しくない。

 

「楽しかったですね。

また行きましょうね」

 

(つづく)