(40)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

「チャンミンちゃん...パンツ見えてる」

 

「わっ!」

 

チャンミンは短すぎるガウンの裾をかき合わせ、枕を引っつかんで膝の上に抱きしめた。

 

「君は男だからって無防備過ぎるよ。

君の見た目は女の子なんだ。

相手が俺でよかったね。

俺じゃなかったら、勘違いされるよ?」

 

ネオンピンクの照明の下でも、彼の顔がボッと赤くなったのが分かった。

彼に全てを打ち明けて、胸のつっかえが取れた俺は余裕を取り戻してきた。

意地悪をしたくなってきた。

 

「押し倒されても文句は言えないよ。

いろんな趣味の人がいるんだから」

彼の肩がビクッとした。

 

「ごめんなさい...。

そういうつもりじゃ、なかったんです」

 

警戒心のない彼に、俺は複雑な心境だった。

彼に「そういうつもり」が全然なかったことは、よく分かってる。

彼は男で俺も男。

俺の恋愛対象は異性。

彼はスカートを穿く男。

偏見はいけないのは分かってはいる。

今このタイミングで、彼の性的嗜好について訊ねにくい。

 

「ユノさん、お家に帰りたくないって言ってたし、

辛そうだったから、元気になってもらおうと...」

 

垂れ下がった前髪が、彼の片目を覆っていた。

俺は彼の前髪を耳にかけてやった。

彼は男だ。

メイド服が似合う男だ。

 

「チャンミンちゃん、ありがとう」

 

彼は目を伏せたまま「どういたしまして」とつぶやくように言った。

エロティックな照明が彼の顔に妖しい影を作っていて、俺のとは違う、ややふっくらとした頬のラインや小振りの顎に気付いて、胸が苦しくなった。

どうして君は男なんだよ。

知らず知らずのうちに握りしめていた手をほどいて、彼の肩にかけた。

 

「ひゃっ!」

 

力任せに彼を仰向けにベッドに押し倒した。

真ん丸の目で俺を見上げる彼が可愛すぎて。

彼の首筋の、柔らかくて薄い皮膚に俺は唇を押し当てた。

ミルクのようないい香りがする。

無防備過ぎる彼を滅茶苦茶にしたくなった。

 


 

~チャンミン~

 

天井に鏡がはめ込まれていた。

黒い服を着た男の人に組み敷かれているのは、脚を揃えて寝そべった僕。

ユノさんが、僕の首にキスをしている。

鏡の中の僕と目が合った。

びっくりした顔をしている。

ガウンが乱れて膝が丸出しになっている。

大柄な女の子に見えた。

「押し倒されても文句は言えないよ」と言った時のユノさんの顔が、「美味しいものを食べさせないとね」と言ったYUNさんの顔と重なって、ドキッとした。

ユノさんは、僕みたいにあやふやな顔じゃないの。

「男みたいな、女みたいな」どっちつかずの顔とは、違っていた。

しっかりした男の人の顔をしていた。

とてもカッコよくて、驚いた。

ユノさんを無理やりホテルに連れ込んで、「押し倒されても...」の言葉を聞くまで、彼は男の人なんだって意識していなかった。

僕とユノさんは同じ男だけど、根本が違うというか、変り者は僕の方でして。

僕みたいなオトコオンナを、どうこうしたい人なんて存在し得ないって、思い込んでいたから。

ネオンピンクの照明の逆光の下、ユノさん面持ちは真剣で、熱に浮かされたみたいな眼差しで、ちょっとだけ怖いと思った。

覆いかぶされて、耳の下にユノさんの熱い唇が押し当てられていた。

ちょっとずらしてキスをして、また唇の位置をずらしてキスをする。

首筋がぞわぞわってして、こんな感覚は初めてだったし、心臓が壊れそうにドキドキした。

僕のファーストキッスはユノさんに奪われるの!?

僕には好きな人がいるけれど、ユノさんが相手ならいっか、って悠長なことを考えていた。

恋人と別れて、今夜のユノさんは荒れているんだ。

男の人って、こうやって寂しさを癒やすのか(何かの小説で読んだことがあった)

ユノさんに押し倒されても、全然嫌じゃないことにびっくりした。

どうして?

 

「?」

 

ぴたっとユノさんの動きが止まった。

僕のおでこにチュッとキスをしたのち、ユノさんは私の隣にごろんと横になった。

 

「へ?」

 

「...ってな風に、

襲われちゃうから気を付けて」

 

ユノさんは困ったような笑顔で、僕の頭をくしゃくしゃっとした。

 

「びっくりした?」

 

「ユノさん...冗談がきついです。

僕は男なんですよぉ。

びっくりしましたぁ...」

 

さっきまでユノさんの唇が当たっていたところを、指でさすった。

 

「ホントに気を付けてね。

自覚していないようだけれど、君は女装が上手いんだ」

 

「ユノさん」

 

「ん?」

 

「僕は男の人を「その気」にさせることができるんですね」

 

「気づいてないの?」

 

ユノさんは呆れ顔だった。

「俺はずっと騙されていたんだよ?

君が女の子だって、ず~っと思い込まされていたんだよ?

もう忘れたの?」

 

「へへっ。

そうでした」

 

僕の胸はまだ、ドキドキしていた。

 

(つづく)

 

(39)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

「さてさて、ユノさん。

どのお部屋にしましょうか?」

 

俺はチャンミンの足元でしゃがみこんでいた。

 

「おー!

すごいですよ、プールがありますよ、このお部屋!

...でも、お高いですね。

もうちょっと、リーズナブルなところにしましょうね。

ユノさんはどれがいいですか?」

 

「好きなところを選んだらいいよ」

 

「了解です」

 

ぐらぐらする視界の端で、彼はパネルに並ぶ写真の中から品定めをしている。

後から入ってきた20代カップルに先を譲った。

俺はとろんとした目で、エレベータの扉が閉まるまで彼らを見送った。

 

「ピンクのお部屋にしました。

ほら!立ってください!

行きますよ」

 

俺は差し出された彼の手を握った。

点滅するライトを頼りに目当ての部屋を探し当て、ドアを開ける。

 

「わあぁ...!」

 

立ち尽くす俺をすり抜けて、目をキラキラ輝かせて彼は中央に据え付けられた円形のベッドに倒れこんだ。

 

(メンタルが弱っていると、駄目だな。

あれっぽっちの量でここまで酔っぱらうとは!)

 

彼は部屋の設備を1つ1つチェックして、そのいちいちに感嘆の声を上げている。

俺は合成繊維のすべすべするベッドカバーに、じっとり火照った横顔をくっつけて、ぼーっとしていた。

 

「サービスでご飯が食べられますよ。

あとで注文しましょうね」

 

ワクワクを隠し切れない彼は、ラミネートされたメニューを手に歌うように言った。

 

「さて、と。

ユノさん、お風呂はどうします?」

 

「家でもう入ってきた」

 

俺はくぐもった声で答える。

 

「了解です。

僕はお風呂に入ってきますね」

 

彼は俺のビーチサンダルを脱がせ、ベッドカバーで身体を包んだ。

 

「ユノさんは、寝ててくださいね」

 

そう言って彼はバスルームに消えた。

 

「ひゃー。

すごいですよ、ユノさん!

お風呂、広いですよー。

ライトアップできるんですねぇ」

 

俺はうとうとしながら、彼のはしゃぎ声を聞いていた。

 

「一緒にはいりませんかぁ?」

 

(は!?)

 

俺の目が瞬時で開く。

 

「冗談でーす」

 

...全く。

俺は一体どうして、『今』、『チャンミン』と『ラブホテル』にいるんだ?

彼は悪くない。

一人になりたくて街に出てきたのに、独りは寂しくて彼を呼び出してしまった。

彼の顔を無性に見たくて...。

俺が『帰りたくない』と言い張って、彼を困らせたくて。

 

 

「!!」

 

突然、耳たぶに冷たいものが押し当てられ、俺は飛び起きた。

 

「お水ですよー。

冷蔵庫の中も無料ですって。

冷たくて美味しいですよ」

 

「君...それ」

 

俺は彼を一目見るなり、思わずぷぷっと吹きだした。

薄ピンク色のシャツ型ガウンは、彼が着るとつんつるてんだった。

 

「変...ですか?」

 

甘ったるく安っぽいボディーソープの香りを漂わせていた。

 

「変じゃないよ」

 

(変どころか...可愛い)

 

俺はベッドの上にあぐらをかいて座り、彼から手渡されたミネラルウォーターをあおった。

からからに干上がった俺の喉を、冷えた水が滑り落ちていく。

彼は俺の隣に座ると、ごくごくとオレンジジュースを一気飲みし、ぷはーっと息を吐いた。

 

「さて、と。

さっぱりしたところで、ユノさんのお話を聴きましょうか?」

 

ハイテンションだったこれまでとうって変わって落ち着いた、労わるような口調だった。

 

「大丈夫じゃないですよね。

辛いですね」

 

「......」

 

彼は俺の頭を撫ぜながら、静かに話し出した。

 

「僕は誰かとお付き合いしたことがないので、フる側の気持ちは想像するしかできませんし、誰かと両想いになったことなんてありません。

お付き合いしていた人との関係を終わらせるのって、大変なんだろうなぁ、って思います」

 

俺の鼻先は、合成繊維の布越しに彼の細い鎖骨を感じていた。

 

「......」

 

「僕でよければ話を聴きますよ。

男同士じゃないですか。

独り言だと思って、お話しくださいな。

楽になりますよ」

 

「チャンミンちゃん...」

 

ぶわっと、俺の目に涙が湧いてきた。

俺は堰を切ったかのように、リアとの出会いから同棲を始めるまでの経緯、その後の虚しい日々まで全部語っていた。

俺の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 

「別れたいと口に出さなければ、今までのように暮らしていけたのに...」

 

(リアへの恋愛感情は消えてしまったけれど、彼女と過ごした1年を思い出すと、胸が切なくて苦しいんだ)

 

「ユノさんは、今までの暮らしに戻りたいんですか?

もしそうなら、リアさんとやり直せるんじゃないんですか?

間に合うんじゃないですか?」

 

俺は激しく左右に首を振った。

 

「...別れなくちゃいけなかったんだ。

俺はもう、リアの彼氏でいたくなかった。

気持ちが無くなっていた」

 

「ユノさんは、そう決めたんでしょ?

自分の気持ちに正直でいることは大事、だと僕は思ってます」

 

(悲しいのは、俺たちは『終わってしまった』、という事実だ)

 

彼は肩を震わせて泣く俺の背中をポンポンと、あやすように優しく叩いた。

 

「失恋は...辛いですねぇ。

別れを告げたのはユノさんの方からだったとしても、やっぱり失恋ですね」

 

彼のガウンに、次々と溢れる俺の涙が染みを作った。

 

(チャンミンの前で泣いてしまった。

俺の色恋沙汰を赤裸々に暴露してしまった。

甘ったれた姿を見せてしまった。

彼なら全てを受け止めてくれそうな、安心感がある)

 

「ほらほら、涙を拭いてくださいな」

 

彼はガウンの裾を引っ張って、俺の顔を拭った。

すると、彼の黒いショーツが目に飛び込んできて、俺はここにきて初めて自分たちがどこにいるのかをリアルに認識した。

 

ラブホテルの円形ベッドの上...。

 

ヘッドレストの上には、ティッシュの箱とコンドームが2個並んでいて...なんていう光景だよ。

 

(つづく)

(38)オトコの娘LOVEストーリー

 

~チャンミン~

 

「はいはーい。

ユノさん!

もうすぐ帰りますよー。

今、向かってますよー。

何か買って帰りましょうか?

え?

え!?

今からですか?

もう23時ですよぉ。

明日は休みですけど。

うーん、いいですよ。

え?

どこにいるんですか?

え?

その説明じゃ、分かりません。

駅の裏ですか...。

裏ってどっちの裏です?

北口がどっち側なのかが、既に分かんないんですよ。

待ってくださいよー、今地図を見てますから。

おー、分かりました。

デパートがある反対側ですね。

今から向かいますね。

うーん...どうやってそっちへ行けばいいんですか?

地下道?

その地下道がどこにあるのか分からないんですよ...あっ!

線路の下のところですね...。

ありました...薄気味悪いんですけど。

大丈夫ですか、ここ?

暗いです。

カツアゲとかされませんよね...。

ストップ?

ここで?

こんな不気味なところで待つんですか。

嫌です。

駅に戻っていいですか?

早く来てくださいよ。

ユノさん、走ってるんですか。

はい、急いでくださいね。

あ!

ユノさん、発見しました~!

ここです!

ユノさん!」

 

仕事帰りだった僕は、夏らしく涼し気な水色ストライプのワンピースを着ていた。

 

「チャンミンちゃん!」

 

地下道から現れたのは、黒い部屋着にビーチサンダル姿のユノさんだった。

ユノさんは駆け寄ってくると、力強く僕の二の腕にしがみついたのだ。

 

「!!」

 

ユノさんはさらに、僕の肩に額をつけ、大きくため息をついた。

その息はアルコール臭い。

 

「ユノさん。

酔っぱらってますね」

 

「チャンミンちゃん...」

 

「お酒臭いですよ」

 

「......」

 

「もう遅いですから、お家に帰りましょうよ、ね?」

 

「帰りたくない」

 

「へ?」

 

「帰りたくない」

 

ユノさんは僕の肩に額を押しつけたままつぶやいた。

 

「ユノさん...」

 

「今夜は、家に帰りたくない」

 

「リアさんと何かあったのですか?」

 

ユノさんは頷いた。

 

「そうですか」

 

察した僕は、肩の上のユノさんの頭に手をおいた。

ユノさんの洗い髪が僕の頬をかすった。

かいた汗までアルコールの臭いがする。

僕にとってのユノさんは、大人で余裕がある頼もしい人だったから、僕の肩にすがる彼の行動にとまどってもいた。

 

「喧嘩はつらいですね。ユノさんもリアさんも辛いですね。

そうですか、『帰りたくない』ですか...」

 

僕はよしよし、とユノさんの後頭部を撫ぜた。

 

「朝まで飲みますか?

でも、あいにく僕はお酒が強くないんですよ。

知ってますよね?」

 

僕の肩に伏せたままのユノさんは、身動きしない。

 


 

~ユノ~

 

「たっぷり飲んだみたいですね。

これ以上は、よくないですよ」

 

チャンミンは俺をあやすように繰り返した。

「帰りたくない」

俺は駄々をこねる。

 

「困りましたね...」

彼は周囲を見回していたが、

「いいこと思いつきましたよ」

と、俺の肩を叩いた。

 

「あそこ!

あそこにお泊りしましょう!」

 

「泊まる!?」

 

彼の言葉に目をむいた。

 

(チャチャチャチャチャンミンちゃん!?)

 

彼が指さす先に 俺はフリーズした。

深酔いした俺の頭でも、チャンミン発言が突拍子もないと認識できた。

 

「僕、こういうところに入ったことがなかったんですよね」

 

彼は自身の思いつきに満足そうで、声が弾んでいた。

 

「チャンミンちゃん...」

 

「後学のために、見学してみたいです。

さささ、ユノさん行きましょう」

 

彼は元気いっぱい歩き出した。

 

「そんなの、よくないよ。

チャンミンちゃん...駄目だよ」

「『よくない』って何ですか!?」

 

彼に引きずられまいと抵抗する俺。

 

「ユノさーん。

お家へ帰りたくないって駄々をこねたのは、あなたですよ」

「チャンミンちゃん、よりによって...。

男同士なのに」

 

「だから何だっていうんですか!

何を想像してたんですか?

ユノさんも、えっちですねぇ。

お泊りするだけです!」

 

「うっ...」

 

「そんなに嫌なら、お家に帰りましょうか?」

 

回れ右をして歩き出そうとする彼の腕を、俺は引っ張る。

 

「帰りたくない...」

 

「ほらね?

行きますよ!」

 

彼はふん、と鼻を鳴らすと、俺の肩に腕を回してずんずん歩き出した。

「全くユノさんときたら、甘えん坊さんですね!」

彼は俺の制止を無視して、ずんずん歩く。

馬鹿力だ。

 

(そうだった。

チャンミンは男だった)

 

俺は彼に引きずられるようにして、怪しくライトアップされたアーチの下をくぐったのである。

 

(つづく)

 

(37)オトコの娘LOVEストーリー

 

~ユノ~

 

「嘘...でしょ?」

 

「嘘じゃない。

俺は、本気だ」

 

「ユノの口からそんな言葉で出てくるなんて、信じられないんですけど?」

 

「信じられない」を繰り返して、リアは顔をゆがめて笑った。

 

「...ユノのくせに...」

 

「え?」

 

「ユノのくせに、そんなこと言っていいわけ?」

 

からかうような笑いを含んだ言い方だった。

ユノのくせにって、一体どういう意味なんだよ。

君にとって俺は下の立場なのか?

彼女に押し倒された数日前にも、同じセリフを聞かされた。

彼女との別れを決心させた台詞をもう一度聞かされた俺には、怒りすら湧いてこない。

寂しい気持ちでいっぱいだった。

 

「俺だって、『そんな言葉』を口にできるんだよ」

 

「あんなに好きって言ってたじゃない?

私のことを愛しているって。

リアじゃなければ駄目だって。

リアのために何だってするって。

その言葉は嘘だったわけ?」

 

「嘘じゃなかったよ、当時はね。

でも今は...違う」

 

「大嘘つき」

 

彼女の目に涙が膨れ上がり、口が斜めに歪んでいた。

彼女の唇にキスすることは、永遠にない。

 

「この部屋に住み続けることは、俺には出来ない。

俺は出て行...」

 

ピシャリと冷たいものが顔にかかった。

 

「!!」

 

リアがグラスの中身を浴びせたのだった。

 

「信じられない...!

急に別れたいとか、住めないとか言われて、私はどうすればいいのよ!

ユノ!

私を捨てるっていうこと?」

 

「捨てるだなんて...。

俺たちはもう終わってたじゃないか?」

 

前髪からジントニックがポタポタとしたたり落ちた。

 

「俺たちはずっと別々だった。

俺はいつも独りだった。

何のために同じ部屋に住んでいるのか、分からなくなったんだ」

 

「分かったわ」

 

リアが大きなため息をついた。

 

「私、これから早く帰るから。

それで、いいでしょ?」

「そういう問題じゃないんだ」

 

リアと過ごす時間がこれから増えたからといって、俺の意思が翻ることはない。

俺の心はもう、別のところに向いているんだ。

 

「嫌よ!

別れたくないから!」

 

俺は絶句した。

『別れたくない』だって?

「分かった、別れましょう」って、リアはあっさり頷いて、この別れ話はさくさく進むと高を括っていた。

「ユノとの暮らしは退屈だったの。

私もいつ言い出そうかタイミングを見計っていたのよね。

で、あなたはいつここを出て行くの?」ってな感じに。

ところが、予想外の彼女の拒絶っぷりに、俺は驚いていた。

 

「リア...」

 

顔を覆って泣き崩れた彼女の肩を抱こうとするところだった。

リアを傷つけたくなかったけど、別れ話をしている時点で十分傷つけている。

残酷な言葉だけど、今ここではっきり言葉にしないといけない。

俺はすっと息を吸った。

 

「俺はもう、恋人として君を、愛していない」

 

リアが投げつけた空のグラスが、俺の胸に当たった後、床に落ちてガシャンと割れた。

 

(つづく)

(36)オトコの娘LOVEストーリー

 

~チャンミン~

 

「Kさんは、どうしてコンテストに挑戦するんですか?」

 

僕が尋ねると、Kさんは照れ臭そうに笑って言った。

 

「好きなんでしょうね、こういうことが。

モデルになってくれた人に似合うスタイルを、思う存分追求できる機会ってありませんから。

出場料も高いし、カラーリング剤や衣裳の材料費は自分持ちです。

あ!

モデル料はご心配なく、これはサロンから出ます」

 

「頑張ってくださいね」

 

「もちろん。

チャンミンさんという素材を、頑張って調理しますから」

 


 

~ユノ~

 

俺は待ち合わせのレストランへ向かう電車に乗っていた。

よくよく考えると、レストランは別れ話の場にふさわしくなかった。

食事をしながら別れを告げるなんて、無神経も甚だしい。

メインディッシュを食べ終えて、食後のコーヒーの時に「話がある」なんてあらたまって切り出されたら、胃におさめたそれまでの食事を吐き出したいくらい不味いものになってしまう。

しまったな。

今ならBに予定変更をお願いできるかもしれない...。

スマートフォンを操作しかけたその時、着信音が鳴り響いて、驚いた俺はそれを取り落としそうになる。

 

「どうした?」

 

『ユノ?

仕事が休みになったのよ。

今、家に居るの。

外へ出て行く元気がないから、外食はナシにして。

いいでしょ?』

 

「ああ」

 

助かった、と思った。

何事につけ、俺は断りの言葉を口にすることが苦手だった。

いい顔をしてしまうのだ。

特に彼女を前にすると。

 

「こんなんで、ホントに大丈夫なのかよ...」

 

自分を叱咤するように、独り言をつぶやいた。

情けない。

なにビビってるんだ。

腕時計が19時を示している。

チャンミンの帰宅は22時過ぎになると聞いている。

それまでは、彼女と2人きりになれる。

 

よし。

 

すぐに帰宅して、家に居る彼女と話をしよう。

2人きりになれる場所で、まっすぐ彼女の眼を見て告げよう。

俺は予約を入れていたレストランへキャンセルの電話を入れると、家路を急いだのだった。

 

 

「何か作ろうか?」

ソファで雑誌をめくるBに声をかけた。

 

「ジントニック」

 

ジントニックは彼女が好きなカクテルで、冷蔵庫にはトニックウォーターのストックは欠かしていなかった。

ライムは切らしていたので、八つ切りにしたレモンを添えた。

右手にビール、左手にジントニックのグラスを持って、彼女の隣に座った。

 

「この時間に、君がいるのは珍しいね」

 

そこまで言って「しまった」とヒヤリとした。

何の気なしの一言が、彼女にとっては嫌味に聞こえるらしいから。

 

「たまにはゆっくり休みたいのよ」

 

ジントニックをちびちびと口に運びながら、ため息交じりのその言い方に疲れがにじんでいた。

彼女の言う通り、疲れているようだった。

とはいえ、すっぴんでも十分美しい彼女の横顔。

かつて俺の心をぎゅっと捕らえた彼女の美貌。

彼女の為に何でもしてやりたかった。

今の彼女は隣にいるのに遠い存在だった。

彼女がいなくても寂しいと思わなくなっていた。

いつの間に彼女のことを 過去形で語っている自分にあらためて驚いた。

 

「なあ、B...」

 

「B」と発音する一言目がかすれてしまって、俺は咳ばらいをした。

口をつけずにいたビールの缶を、ローテーブルに置いた。

ビールなんて全然飲みたくなかった。

手の平も脇の下も汗で濡れている。

YUNのオフィスでかいた汗とは種類の違う汗だ。

無言が続いてしまった。

彼女は俺の様子がおかしいことに気付いたらしく、こちらに身体を向けて座りなおした。

 

「ユノ...可哀そうに。

あなたも疲れているのね。

仕事が忙しいのね」

 

マニキュアが綺麗に塗られた白い指が伸びてきて、僕の片頬を撫ぜた。

 

「いや...俺は大丈夫だよ」

 

俺は首を振り、彼女の手首をつかんで、そっと下ろした。

彼女はごくごくたまに、俺を気遣う優しい言葉を吐くから困るんだ。

 

「ユノ...顔がマジで怖いんですけど...?

どうしたの?」

 

彼女は僕の顔をまじまじと見る。

西欧の血が混じった彼女の瞳は、明るい茶色をしている。

かつて、この美しい1対の瞳が俺のものになったと、喜びのあまり心打ち震えるほどだったのに。

俺は意を決して、言った。

 

「別れたい」

 

「え?」

 

毛先がカールしたまつ毛に縁どられた大きな目が、もっと大きくなった。

 

「別れたいんだ」

「え...?」

 

彼女の声もかすれていた。

 

「別れる?

私と?」

 

「ああ、そうだ。

君とは終わりにしたい」

 

 

(つづく)