(2)添い寝屋

 

 

客をベッドにいざなう前に必ず、口にする台詞。

 

「この部屋には防犯カメラがあります」

 

僕に悪さをしようと思っても無駄ですよ、と言外に警告しておくのだ。

 

いろいろな客がいるからね。

 

ユノはふっと口元に笑いを浮かべただけで、部屋の中央に鎮座したベッドへ直行した。

 

ユノという客は、青ざめてやつれた感じがするのに、態度だけは余裕がある。

 

僕は部屋の照明を落として、フットライトだけにする。

 

「さすがですね。

いいマットレスを使っているね」

 

ぽんぽんとお尻を弾ませるユノの子供っぽい仕草に、僕の口元にも笑みが浮かぶ。

 

スウェットの上下かなぁ、と予想していたから、ピンク地にグレーのストライプ柄のパジャマは意外で、ユノの白い肌によく似合っていた。

 

横たわったユノの隣に、僕も身体を滑り込ませる。

 

客には何も質問しない。

 

僕は相づちを打つだけ。

 

天日干しした枕からは、お陽さまの匂いがする。

 

身体のこわばりが解け、ほっこりとくつろげて眠りを誘う匂い。

 

サイドテーブルに置いた加湿器から、ハーブの香りのするミストがしゅわしゅわと噴き出ている。

 

僕らは枕に後頭部を預け、揃って天井を見上げていた。

 

「チャンミン」

「はい」

 

高いのとも低いのともどちらとも言えない、不思議な声音だ。

 

「この仕事は、長いの?」

 

「まだ数年くらいです」

 

「始めたきっかけは?」

 

お決まりの質問だ。

 

そのために用意している回答は、「稼げます、沢山」だ。

 

でも今夜の客、ユノには本当のことを言ってもいいかなと、なぜか思った。

 

「寂しがり屋なんです。

一人で眠るのが寂しくて...」

 

「それで、『添い寝屋』に?」

 

「そんなところです。

赤の他人であっても、隣に誰かがいてくれると安心して眠れるのです」

 

「添い寝屋が客そっちのけで寝ちゃうのか」

 

「はい」

 

「恋人は?

こんな仕事してて大丈夫なの?

女の客もいるだろうに?」

 

「いません。

僕はその...そっち方面で満足させてあげられないのです」

 

こんな僕の秘密まで、差し出してしまうなんて。

 

「そっか...」

 

頭はそのままに視線だけを横に向けたら、ユノの顔が間近にあってドキリとした。

 

ぎりぎりまで落とした照明の元であっても、わずかな光を集めたユノの眼が、瞬きのない光を放っていた。

 

ユノは黙ってしまった。

 

僕は掛け布団から出した手を滑らして、生地のたてるさらさら布擦れの音に耳をすましていた。

 

「抱いてもいいか?」

 

「え!?」

 

ユノの言葉に、僕はばっと半身を起こす。

 

「あの、僕はお客とは寝ない主義なんです。

寝るっていうのは...その...」

 

「セックスのことだろ?

ははは、安心して。

そういう意味じゃないよ。

後ろから抱きついていいか、って言う意味」

 

「ああ...なんだ」

 

ユノは余裕たっぷりな微笑みを浮かべて、動揺する僕をじっと見つめている。

 

「安心した?

それとも、残念、って思った?」

 

「え...えっと...」

 

今日の客は...ユノは...僕の調子を狂わせる。

 

ユノのペースにのせらせそうだった。

 

「追加料金を払えば、触ってもいいのか?」

 

そう言えば、いつのまにか敬語じゃなくなっていた。

 

「触るのは構いませんけど...つまらないですよ。

反応しませんから」

 

僕はシーツと掛け布団の間に、再び横たわる。

 

「じゃあ遠慮なく」

 

そう言ってユノは、横向きに寝た僕に沿うように身体を密着させてきた。

 

添い寝屋の仕事は、客との肉体的な接触を厭わずに受け入れられる覚悟が、肝心要なのだ。

 

鼻が曲がりそうに口が臭い者でも、醜い容姿の者でも、老若男女問わず。

 

だけど、もの凄い美人だったりする日は、「ラッキー」と思うけど、僕の場合はその程度。

 

僕の肩に押し付けられた美しい寝顔に見惚れる時もあるにはある。

 

 

僕の中には、「欲」がない。

 

腰の奥がうずく「それ」がない。

 

足首をもって逆さに振っても、お腹に手を突っ込んで探っても、「ない」。

 

醒めてる男だなぁ、と寂しく思う。

 

風がなくさざ波のたっていない湖面みたいに、しんと静まり返っている。

 

欲に汚されていないその水は怖いくらいに透明過ぎて、生き物一匹棲んでいないんだ。

 

そう。

楽だけど、寂しい。

 

かつてはあった、熱い痺れを取り戻したいなぁ、と思う今日この頃なんだ。

 

ユノは背後から回した腕を、僕の腹の上で組んだ。

 

ユノのお腹で温められた背中がポカポカする。

 

ユノの呼吸に合わせて上下する胸に、僕もリズムを合わせて吸って吐いた。

 

「チャンミンはいい匂いがするね」

 

「シャ、シャンプーかな...それとも、石鹸かな」

 

どぎまぎした僕は、どもってしまった。

 

「違うな...そういう類の匂いじゃない。

これは...」

 

「あ...」

 

ユノの鼻先が肌に押し当てられすうっと吸い込むから、ぶるりとそこが粟立った。

 

なんだろ...これ?

 

「チャンミンの肌の匂いかな...」

 

僕の髪に鼻先を埋めたまま喋るから、くすぐったいったら。

 

「あのっ...僕のことは放っておいて、早く寝てください」

 

「ははっ、悪かった。

チャンミンに添い寝してもらうんだったな。

そうだ、俺は客だった」

 

添い寝屋が客に動揺させられて、どうするんだ。

 

それにしても...背中が熱い。

 

なんでだろ...これ。

 

感覚の正体を探っていたら...。

 

「あぁっ!!!」

 

飛び起きた僕は、身体を一回転させてベッドから飛び下りた。

 

「触らないで下さい!」

 

僕が慌てたのは、ユノの手がパジャマの下に忍んできたからだ。

 

肘枕をしたニヤニヤ笑いのユノを睨みつけた。

 

『帰ってください』とドアを指させばいいことだった。

 

でも、そのつもりが全然なかった理由はみっつ。

 

ひとつ目は、ユノという客がとても綺麗な人だったから。

 

ユノの手の平が裸の腹に触れた時、そこから電流が流れたみたいに痺れたんだ。

 

その正体に興味があったのがふたつ目。

 

ユノは客なのに、彼のペースにすっかりのせられるなんて、悔しかった。

 

添い寝屋のプライドにかけて、僕のペースに戻してやりたかったのがみっつ目だ。

 

 

(つづく)

 

 

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(1)添い寝屋

 

肌と肌が触れ合った瞬間に、世界一相性がいい相手だと悟る。

 

そんな経験をした。

 

比較できるほどの経験をしてきたわけじゃないけれど、絶対にそうだと確信したんだ。

 

恐らく...大げさな表現で言うと、一生に一度の。

 

 


 

 

よく晴れた日で、バルコニーに置いたベンチに枕を干した。

 

3人分の頭を預けられるくらいに大きな、特注の枕だ。

 

乾燥器のブザーが鳴った。

 

ほかほかに温かいダークブルー色の布団カバーとシーツを抱えて、寝室に運ぶ。

 

大の男が4人並んで寝られるほど巨大なベッドだから、ベッドメイキングに時間がかかってしまう。

 

掛け時計に目をやり、約束の時間まであと30分前なのに気付いた。

 

バルコニーに出しっぱなしの枕を取りに行こうとした時、玄関チャイムが鳴った。

 

インターフォンのディスプレイを確認して、思わず舌打ちをした。

 

予約が入っていたっけ?

 

最近の僕は疲労が溜まり過ぎていて、ボーっとすることが多く、頭がよく回らない。

 

だから、大事なアポイントメントを忘れていたんだろう。

 

スケジュールを確認する前に、スマホを操作して約束をキャンセルしなければと、メッセージを送信した。

 

インターフォン越しの相手に、穏やかに落ち着いた声音を意識して返答した。

 

「どうぞ。

お待ちしておりました」

 

僕はニットとデニムパンツ姿だったのを、パジャマに着替える。

 

湯船に湯を張り、バスジェルを注ぎ入れると、仕事の顔に切り替えた。

 

 


 

 

今日の客は、人形のように綺麗な顔をした男だった。

 

年齢は20代後半から30代前半のあたり。

 

いつもだったら「ついてる」と思うのに、すかすかに脳が疲れ切っていたせいで、その安堵レベルも低い。

 

「こちらへどうぞ」

 

大抵の客は、パジャマ姿で出迎える僕に驚く。

 

ところが、彼はほんのわずか眉を上げてみせただけだった。

 

上着とバッグを受け取り、客用ソファに座るよう促し、サービスのハーブティーを手渡すまでずっと、彼は無言のままだった。

 

彼は疲れ切っているようだった。

 

陶人形のような滑らかな白い肌は青ざめ、目の下には隈ができていた。

 

もう何日も眠っていないのだろう。

 

「ここ、ですか?」

 

ここに来て初めて彼は口を開き、部屋を見渡す。

 

マンションの2部屋をぶち抜いた広い寝室。

 

ベッドの四隅には天井までの支柱、薄紫色の透けた布を垂らしてある。

 

間接照明のみ、外光と外気をシャットアウトする分厚いカーテン、快適な温度を保つ高機能エアコン、そして空気清浄機。

 

ここは、僕の仕事場だ。

 

「はい、ここで寝ます。

シャワーを浴びますか?

身体を温めるといいですよ」

 

浴室から、湿り気を帯びたいい香り...リラックス効果の高いラベンダーの香りが漂ってきている。

 

「結構です。

シャワーなら先に浴びてきました」

 

と彼は首を振って答えた。

 

「そう...ですか」

 

何日も風呂に入っていないような薄汚い客も中にはいる。

 

毎日ベッドリネンを洗濯するようにしているけど、ベッドが汚れるのが嫌で、さりげなく入浴を勧めるようにしていた。

 

「リラックスできますよ」と誤魔化して。

 

「チャンミンさんと呼べばいいですか?」

 

「呼び捨てで構いません」と答えた。

 

予約サイトには僕の名前も顔写真も掲載されている。

 

「あなたは?」と問うと、彼はちょっと驚いた顔をしていた。

 

予約一覧画面を確認していなかったため、今日の客の名前は分からない状態だったから。

 

「ユノと呼んでください」

 

「ユノさん、ですね」と言ったら、「呼び捨てにしてください」と答えた。

 

そう要望する客は少なくないから、「わかりました」と営業用の笑顔をみせた。

 

「着替えはこちらでどうぞ」

 

部屋の隅のパーテーションを手で示した。

 

客にもくつろいだ格好をしてもらうのだ、例えばパジャマに。

 

だってここは、眠るための部屋なのだから。

 

客は僕と一緒に眠るために、僕の時間を買う。

 

僕の職業は、添い寝屋。

 

客とひとつベッドで眠る仕事だ。

 

不眠症の客の不安や緊張を解き、眠りにいざなってやれるなんて専門的な知識や技は必要ない。

 

それが出来れば理想的だけど、僕は精神科医でもカウンセラーでもないから。

 

ただ添い寝をしてあげるだけ。

 

ベッドに入った途端、即行寝付いてしまう客もいれば、朝方まで一睡もしない客もいる。

 

いびきや寝言がひどい客もいるけれど、うるさくて眠れなくても僕は平気だ。

 

同業者の中には、いつ客が目覚めてもいいように絶対に眠らない者もいる。

 

深夜目覚めたら、雇った添い寝屋がぐうぐう寝てたりしたら興ざめだ。

 

「安心して、お眠りなさい」と背中を撫ぜてやったり、ホットミルクを勧めてあげたりね。

 

あいにく僕はそこまでのサービスはしない。

 

僕のスタイルは、隣に横たわるだけ。

 

眠い時は客に構わず眠ってしまう。

 

寝顔を見せることも、添い寝屋の仕事なんだと僕は考えているから。

 

僕は、客の隣で数時間、寄り添い眠る身体を売っている。

 

ひとことで言ってしまえば、僕の仕事は性交渉のない風俗のようなものだ。

 

もしくは、寝心地のよい寝床を提供するホテルのようなもの。

 

僕が贅沢な部屋に暮らしていけるのも、報酬が非常にいいからだ。

 

ひと晩で、コンビニのアルバイト50時間分位が相場かな。

 

いろんな客がいる。

 

目の前で裸になって抱いてくれと泣き出す女や、いきなり僕の股間に顔を埋めてきた老人もいた。

 

客を抱きしめてやることはするけど、その以上のことは丁重にお断りしている。

 

僕にその気があれば、追加料金でサービスをしてあげてもよかったんだけどね。

 

だって、客が女だろうと今日の客みたいに美青年だろうと、僕の下半身はピクリとも反応しないんだから。

 

僕のあそこは『不能』なんだ。

 

なぜそうなってしまったかは、話が長くなるのでこの場での説明は省略する。

 

不能ゆえに僕は、性欲に振り回されることなく、ゆとりある心持で添い寝屋という仕事に集中できる。

 

「チャンミン」

 

呼ばれて振り返ると、ユノがパジャマ姿で立っていた。

 

さっきまでの革のコートに革パン姿の男らしい恰好とのギャップが大きい。

 

顔のパーツひとつひとつが、ちんまり整っていて、ますます人形のように綺麗な男だ、と見惚れた。

 

 

(つづく)

 

 

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(最終話)Six in the morning

 

~チャンミン~

 

僕らは一生、別れがたい運命の仲だと信じていた。

高校生の時に出逢って以来、約10年近くうまくやってきた。

この間、小さな浮気もしたし(興味本位で女性を抱いた)、絶交する勢いの激しい喧嘩もした。

そして5年前、僕たちは関係を絶った。

僕たちは将来のある関係に憧れていて、僕たちが一緒にいる限り決して得られないことを手にしたかった。

ユノの潔癖さを、僕はよく知っている。

僕も同様だということを、ユノはよく知っている。

せーので、僕らは繋いだ手を放した。

同時に見えて、実は僕の方が先に手放したんだ。

彼女との婚約を伝えたのは、僕が先だったから。

さよならは言わなかったけれど、「じゃあな」と片手を挙げて、僕たちはあっちとこっちへ歩み出した。

 

ところが...。

ある晩、ユノを呼び出した。

 

その日はユノは現れなかった。

 

僕はもう一度呼び出した。

 

ユノがドアをノックするまで、しつこく何度も彼を呼んだ。

18日目、ユノがドアの向こうから現れ、僕はむしゃぶりついて、懐かしい香りを吸い込んだ。

 

 

僕らの逢瀬は今夜が最後。

このベッドで、どちらのものか分からない体液まみれになるのも最後だ。

頭の芯まで痺れる、究極の快楽。

開いてるはずの僕の目には何も映っておらず、真白に光はじける波間に背中から墜落した。

「チャンミン?」

ユノに頬を優しく叩かれ、僕は意識を取り戻す。

呼吸を忘れていた肺いっぱいに、精の香りを吸い込んで、僕は跳ね起きた。

ユノの全身を...濡れそぼるユノのアソコも、脇も足の指も全部、ぺろぺろと舐めた。

くすぐたがって身をよじらせるユノを押さえつけ、膝に肩にと歯をあてた。

 

「今生の別れじゃないんだから...」

 

ユノは呆れ顔でそう言うけれど、ユノのことを信じているけれど...。

 

「チャンミン、俺を奪いにくるか?」

「ユノこそ...僕を奪いにくる?」

 

僕たちの視線が一直線にぶつかった。

ユノの瑞々しく濡れた瞳が、真剣で優しかった。

僕も真心を込めて、見返した。

身支度をした僕たちは、同時に立ち上がった。

 

「さよなら、チャンミン」

「さよなら、ユノ」

 

窓のない狭い部屋。

午前6時きっかり。

朝日が昇っているかは確認できない、ベッドがあるだけの部屋。

僕らは同時に、この部屋を出た。

こうして僕らの逢瀬は終わった。

 


 

~ユノ~

 

 

俺たちが別離を選んだ訳は、単純な話だ。

俺にフラれた女をチャンミンが慰め、チャンミンにフラれた女を俺が慰めた。

当時、俺たちは深く愛し合っていたはずなのに、ぐらりと女によろめいた。

俺もチャンミンも、女に欲情できる質だったから、始末が悪い。

共に30を越え、常識とか世間とかを気にし出した。

俺はチャンミンから離れ、チャンミンは俺から離れた。

そして、俺たちはそれぞれ、誰かのものになった。

チャンミンの手を先に離したのは、俺の方だ。

浮かれたチャンミンの言動と、罪悪感交じりの俺への視線に直ぐに気付いた。

輝かしく見えた未来を、先に掴みかけていた俺。

チャンミンの告白を待っていた。

「ごめん」と謝り俯くチャンミンの肩を叩いた俺は、「おめでとう」と言った。

それから、「実は...」と俺の告白タイム。

つくづく狡い男だった。

 

 

あれから半年後、チャンミンが俺を呼びだした。

俺は耳を塞ぎ、目をつむって無視ができたのも、最初の数回で、その次の数回はドアの前までいって、ノックをすべきかどうしようか、思い迷った。

このドアを開けたら最後、引き返せなくなることが分かっていたからだ。

さらに数回後、我慢の限界点を越えた俺はドアノブをひねった。

抱きつくチャンミンの勢いで、俺の背中でドアが鈍い音を立てて閉まった。

あれ以来、俺たちはあの小部屋に閉じ込められている。

現在の俺たちの全てを占めているのは、「今度こそ一緒になりたい」だけ。

これから、俺たちは酷い男たちになる。

これから、彼女たちを捨てる。

 

 

彼女が寝入ったのを確かめ、俺はベッドを抜け出した。

一度だけ眠る彼女を振り返り、1分見つめた。

ゆっくりと深呼吸をひとつだけして、俺は彼女に背を向けた。

暗闇の中手早く着替え、用意していた書類をダイニングテーブルに置く。

必要最小限のものだけを詰めたバッグを手に、家を出た。

この部屋に戻ることはもう、ない。

 


 

~チャンミン~

 

残業だとかで、彼女は未だ帰宅していなかった。

僕は書類と共に、便せん1枚にしたためた手紙を、食卓テーブルに置いた。

僕の私物は全て、昼間のうちに処分しておいた。

5年共に過ごした彼女を、僕は無情に捨て去る。

僕は残酷な男だ。

 

 


 

~ユノ~

 

真夜中の高速道路、急く気持ちを抑え、制限速度ぎりぎりを保って愛車を走らせていた。

眠気覚ましに買ったコーヒーに口をつけ、その熱さに舌を火傷してしまう。

 

「チャンミン...本気で噛みつくんだから」

 

あるはずのない傷が、ひりひりと痛みだした。

 


 

 

~チャンミン~

 

夜行バスに乗り込んだ。

デイパックを棚に放り込んだ僕は、シートに深々と腰を沈め、備え付けの毛布で身体を包み込んだ。

僕の胸に散っているであろう、想像の鬱血の花が、熱を帯びてちりちり疼く。

胸がドキドキする。

「ユノ...」

声に出さずに僕は、彼の名前をつぶやいた。

 


 

~ユノ~

 

 

夢の中で逢っていた。

5年間、夢の中で抱きあっていた。

互いを恋焦がれる思いが、俺たちに同じ夢を見せた。

場所はいつも同じで、ベッドがひとつあるきりの、窓のない小さな部屋だ。

俺たちは夢の中で、抱きあい愛し合い、会話を交わし合う。

午前6時まで、夢の中では俺たちは恋人同士。

恋焦がれている俺たちなのに、一度は互いを手放した。

 

なぜ?

 

分からない。

 

手放すに至った事情や、誤った選択をしたのはお互いさま。

それを責め合ったり悔やまないのは、俺たちの暗黙の了解だ。

今、俺たちは彼女たちを絶望の底に落とし、人生を狂わせた。

そのことに罪悪感をさほど感じないほどに、俺たちは狂っている。

午前6時に俺たちは、リアルな世界でそれぞれ目を覚ます。

ベッドの中で、しばらく甘やかな余韻に浸る。

 

今夜も会いにいくよ、と。

 

隣に眠る彼女の長い髪が視界に飛び込み、一瞬で現実に引き戻される。

この繰り返しだった。

月日が経つうちに、どちらの世界が現実なのか区別がつかなくなった。

 

夢で逢いましょう。

 

嫌だね。

 

かつてのように、現実世界で逢いましょう。

 

 

 

 

~チャンミン~

 

バスを降りた僕。

道中ずっと、眠っていた。

夢の中にユノは現れなかった。

僕も、あの小部屋に近づかなかった。

僕らはもう、あそこで逢うことはない。

 

きんとえた空気は透明で、清々しかった。

白々と明けてゆく空。

駅構内の掛け時計を見上げて、心臓がドキンと大きく打つ。

 

午前6時。

 

それは、僕らを昨日と今日に分ける時刻だった。

「また明日」と小部屋のユノと別れてから、僕の今日が始まっていたのだ。

 

「チャンミン!」

 

振り向いた先に、ユノ。

 

運転席から手を振るユノの背後、朝焼けのオレンジがまぶしかった。

 

「ユノ!」

 

5年ぶりのユノだった。

夢で見るよりずっと、ずっと逞しく精悍で、それから華やかで...最高だ。

僕はユノの元に駆け出した。

僕たちはなんて罪深い男たちだろう。

 

冷酷で非情な二人の男たち。

彼女たちの不幸を踏み台にして得た、僕らのこれから。

出逢ってから十数年経つのに、好きで好きでたまらない。

罪悪感の欠片もないくらい、僕たちは愛に狂っている。

 

 

(おしまい)

 

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(3)Six in the morning

 

 

~チャンミン~

 

 

僕らは一生、別れがたい運命の仲だと信じていた。

 

高校生の時に出逢って以来、約10年近くうまくやってきた。

 

この間、小さな浮気もしたし(興味本位で女性を抱いた)、絶交する勢いの激しい喧嘩もした。

 

そして5年前、僕たちは関係を絶った。

 

僕たちは将来のある関係に憧れていて、僕たちが一緒にいる限り決して得られないことを手にしたかった。

 

ユノの潔癖さを、僕はよく知っている。

 

僕も同様だということを、ユノはよく知っている。

 

せーので、僕らは繋いだ手を放した。

 

同時に見えて、実は僕の方が先に手放したんだ。

 

彼女との婚約を伝えたのは、僕が先だったから。

 

さよならは言わなかったけれど、「じゃあな」と片手を挙げて、僕たちはあっちとこっちへ歩み出した。

 

ところが...。

 

ある晩、ユノを呼び出した。

 

その日はユノは現れなかった。

 

僕はもう一度呼び出した。

 

ユノがドアをノックするまで、しつこく何度も彼を呼んだ。

 

18日目、ユノがドアの向こうから現れ、僕はむしゃぶりついて、懐かしい香りを吸い込んだ。

 

 

・・・

 

 

僕らの逢瀬は今夜が最後。

 

このベッドで、どちらのものか分からない体液まみれになるのも最後だ。

 

頭の芯まで痺れる、究極の快楽。

 

開いてるはずの僕の目には何も映っておらず、真白に光はじける波間に背中から墜落した。

 

「チャンミン?」

 

ユノに頬を優しく叩かれ、僕は意識を取り戻す。

 

呼吸を忘れていた肺いっぱいに、精の香りを吸い込んで、僕は跳ね起きた。

 

ユノの全身を...濡れそぼるユノのアソコも、脇も足の指も全部、ぺろぺろと舐めた。

 

くすぐたがって身をよじらせるユノを押さえつけ、膝に肩にと歯をあてた。

 

「今生の別れじゃないんだから...」

 

ユノは呆れ顔でそう言うけれど、ユノのことを信じているけれど...。

 

「チャンミン、俺を奪いにくるか?」

 

「ユノこそ...僕を奪いにくる?」

 

僕たちの視線が一直線にぶつかった。

 

ユノの瑞々しく濡れた瞳が、真剣で優しかった。

 

僕も真心を込めて、見返した。

 

身支度をした僕たちは、同時に立ち上がった。

 

「さよなら、チャンミン」

 

「さよなら、ユノ」

 

窓のない狭い部屋。

 

午前6時きっかり。

 

朝日が昇っているかは確認できない、ベッドがあるだけの部屋。

 

僕らは同時に、この部屋を出た。

 

こうして僕らの逢瀬は終わった。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

俺たちが別離を選んだ訳は、単純な話だ。

 

俺にフラれた女をチャンミンが慰め、チャンミンにフラれた女を俺が慰めた。

 

当時、俺たちは深く愛し合っていたはずなのに、ぐらりと女によろめいた。

 

俺もチャンミンも、女に欲情できる質だったから、始末が悪い。

 

共に30を越え、常識とか世間とかを気にし出した。

 

俺はチャンミンから離れ、チャンミンは俺から離れた。

 

そして、俺たちはそれぞれ、誰かのものになった。

 

チャンミンの手を先に離したのは、俺の方だ。

 

浮かれたチャンミンの言動と、罪悪感交じりの俺への視線に直ぐに気付いた。

 

輝かしく見えた未来を、先に掴みかけていた俺。

 

チャンミンの告白を待っていた。

 

「ごめん」と謝り俯くチャンミンの肩を叩いた俺は、「おめでとう」と言った。

 

それから、「実は...」と俺の告白タイム。

 

つくづく狡い男だった。

 

 

 

 

あれから半年後、チャンミンが俺を呼びだした。

 

俺は耳を塞ぎ、目をつむって無視ができたのも、最初の数回で、その次の数回はドアの前までいって、ノックをすべきかどうしようか、思い迷った。

 

このドアを開けたら最後、引き返せなくなることが分かっていたからだ。

 

さらに数回後、我慢の限界点を越えた俺はドアノブをひねった。

 

抱きつくチャンミンの勢いで、俺の背中でドアが鈍い音を立てて閉まった。

 

あれ以来、俺たちはあの小部屋に閉じ込められている。

 

現在の俺たちの全てを占めているのは、「今度こそ一緒になりたい」だけ。

 

これから、俺たちは酷い男たちになる。

 

これから、彼女たちを捨てる。

 

 

・・・

 

 

彼女が寝入ったのを確かめ、俺はベッドを抜け出した。

 

一度だけ眠る彼女を振り返り、1分見つめた。

 

ゆっくりと深呼吸をひとつだけして、俺は彼女に背を向けた。

 

暗闇の中手早く着替え、用意していた書類をダイニングテーブルに置く。

 

必要最小限のものだけを詰めたバッグを手に、家を出た。

 

この部屋に戻ることはもう、ない。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

残業だとかで、彼女は未だ帰宅していなかった。

 

僕は書類と共に、便せん1枚にしたためた手紙を、食卓テーブルに置いた。

 

僕の私物は全て、昼間のうちに処分しておいた。

 

5年共に過ごした彼女を、僕は無情に捨て去る。

 

僕は残酷な男だ。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

真夜中の高速道路、急く気持ちを抑え、制限速度ぎりぎりを保って愛車を走らせていた。

 

眠気覚ましに買ったコーヒーに口をつけ、その熱さに舌を火傷してしまう。

 

「チャンミン...本気で噛みつくんだから」

 

あるはずのない傷が、ひりひりと痛みだした。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

夜行バスに乗り込んだ。

 

デイパックを棚に放り込んだ僕は、シートに深々と腰を沈め、備え付けの毛布で身体を包み込んだ。

 

僕の胸に散っているであろう、想像の鬱血の花が、熱を帯びてちりちり疼く。

 

胸がドキドキする。

 

「ユノ...」

 

声に出さずに僕は、彼の名前をつぶやいた。

 

 


 

 

~ユノ~

 

 

夢の中で逢っていた。

 

5年間、夢の中で抱きあっていた。

 

互いを恋焦がれる思いが、俺たちに同じ夢を見せた。

 

場所はいつも同じで、ベッドがひとつあるきりの、窓のない小さな部屋だ。

 

俺たちは夢の中で、抱きあい愛し合い、会話を交わし合う。

 

午前6時まで、夢の中では俺たちは恋人同士。

 

恋焦がれている俺たちなのに、一度は互いを手放した。

 

なぜ?

 

分からない。

 

手放すに至った事情や、誤った選択をしたのはお互いさま。

 

それを責め合ったり悔やまないのは、俺たちの暗黙の了解だ。

 

今、俺たちは彼女たちを絶望の底に落とし、人生を狂わせた。

 

そのことに罪悪感をさほど感じないほどに、俺たちは狂っている。

 

午前6時に俺たちは、リアルな世界でそれぞれ目を覚ます。

 

ベッドの中で、しばらく甘やかな余韻に浸る。

 

今夜も会いにいくよ、と。

 

隣に眠る彼女の長い髪が視界に飛び込み、一瞬で現実に引き戻される。

 

この繰り返しだった。

 

月日が経つうちに、どちらの世界が現実なのか区別がつかなくなった。

 

夢で逢いましょう。

 

嫌だね。

 

かつてのように、現実世界で逢いましょう。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

バスを降りた僕。

 

道中ずっと、眠っていた。

 

夢の中にユノは現れなかった。

 

僕も、あの小部屋に近づかなかった。

 

僕らはもう、あそこで逢うことはない。

 

きんと冷えた空気は透明で、清々しかった。

 

白々と明けてゆく空。

 

駅構内の掛け時計を見上げて、心臓がドキンと大きく打つ。

 

午前6時。

 

それは、僕らを昨日と今日に分ける時刻だった。

 

「また明日」と小部屋のユノと別れてから、僕の今日が始まっていたのだ。

 

「チャンミン!」

 

振り向いた先に、ユノ。

 

運転席から手を振るユノの背後、朝焼けのオレンジがまぶしかった。

 

「ユノ!」

 

5年ぶりのユノだった。

 

夢で見るよりずっと、ずっと逞しく精悍で、それから華やかで...最高だ。

 

僕はユノの元に駆け出した。

 

僕たちはなんて罪深い男たちだろう。

 

冷酷で非情な二人の男たち。

 

彼女たちの不幸を踏み台にして得た、僕らのこれから。

 

出逢ってから十数年経つのに、好きで好きでたまらない。

 

罪悪感の欠片もないくらい、僕たちは愛に狂っている。

 

 

(おしまい)

 

 

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