(3)会社員-情熱の残業-

 

 

いい線までいっていたのに、価格面で折り合いがつかず、ご破算になりそうな商談だった。

 

近頃、仕事がうまくいっていないだけに、小さな失敗が大きな挫折に思えてしまう。

 

「はあぁ...」

 

昼飯を食べる気にもならず、チャンミン製の弁当が入ったバッグが重い。

 

ピクニック弁当以来、サイズダウンを重ねた結果、4日目でやっとで適量の弁当を詰められるようになったチャンミン。

 

お前は俺のおかんか嫁さんか?

 

甲斐甲斐しいチャンミンにウケるし、同時に彼のことが可愛らしくて仕方がない(男相手にこんなことを言ったらどうかと思うが...すまん、チャンミン)。

 

オフィスのデスクで弁当でも食おうかと、午後3時だが早々と帰社することにした。

 

チャンミンにも会えるし...と、腐った気分も多少は晴れた。

 

やっぱり俺は、チャンミンに参ってる。

 

 

エレベーターに乗り込み、「閉」ボタンを押した直後、「待ってください!」の声に慌てて扉を押さえた。

 

「すみませんっ!」

 

息せき切って駆け込んできたのは同課のA子で、俺は心中で顔をしかめた。

 

俺はどうも、彼女が苦手なのだ。

 

「ユンホさん...今日は帰りが早いですねー?」

 

語尾を無意味に伸ばすのがA子の癖で、媚びるように俺を見上げている。

 

「仕上げたい書類仕事が待ってるんだ」

 

ヤル気が削がれて、早々に仕事を切り上げてきたと言えなかったのは、男のプライドが邪魔をしたから。

 

苦手であってもA子は女、見栄を張りたいのだ。

 

「私、ユンホさんとB社に謝りに行ったじゃないですかー」

 

「そうだったね。

あの時は助かったよ」

 

俺がしでかした最近のトラブルというのが、こうだ。

 

仕様変更の伝達なら半年前に済ませてあると、前任者から引き継いだ得意先だった。

 

ところが、先方は「聞いていない」の一点張りで、確かに送付してあるはずの控えがなかった。

 

チャンミンが半日かけて、1年前まで遡って発行済書類のpdfを、サーバー内中検索してくれたが、ないものはなかった。

 

つまり、仕様変更の告知を「していなかった」のだ。

 

前任者のポカとは言え、引き継いだのは俺、念をおしていなかった俺に非がある。

 

頭数は多い方がよいとの判断で、俺と営業部長、それからA子と3人連れだって謝罪に出向いたのだ。

 

頭を下げに下げ、向こう3か月分のリベートを多く支払うことで許してもらったのだ。

 

「あの時、3人でランチ食べたじゃないですかー。

仕事中ですよって私―、言ったのにー、部長ったらビール飲みましたよねー」

 

「しー!」

 

途中の階で乗り込んできた者の耳が気になって、A子の腕をつかんで制した。

 

「キャッ」と大袈裟に悲鳴をあげるA子に、勘弁してくれと嫌になる。

 

「悪い」

 

なんでもかんでも、無神経にデカい声でしゃべるA子にヒヤヒヤしていたんだ。

 

目的階に到着し、密室から解放された俺はどっと疲れが出た。

 

オフィスの空気が、清々しく新鮮に感じてしまうくらい、A子の香りはきつかった。

 

「ユンホさん!」

 

後を追うA子を無視して、早歩きでオフィスへ向かう。

 

PCディスプレイの上から、丸い頭がぴょこんと出ている。

 

チャンミンだ。

 

気配に気付いてチャンミンが事務椅子から腰を浮かせ、ぱっと顔を輝かせた。

 

ところが、俺の背後にA子を認めて、瞬時にその顔を曇らせた。

 

表情豊かになったことも、目に見えた変化のひとつだ。

 

デスクで弁当を広げようかと思ったが、A子を始めとする女性社員の目が気になった。

 

食堂で食べよう...デスクに置いたバッグを再び抱えて、立ち上がった。

 

「ん?」

 

もの言いたげにチャンミンが、俺に視線を送っている。

 

眉を上げたり下げたり、俺のバッグを指さしたり、PCに顎をしゃくったり、口をパクパクさせている。

 

言いたいことがあれば、こっちまで来ればいいのに...チャンミンが来ないのなら、と近づこうとすると、「あっち行け」とばりに手を振る。

 

意味不明なチャンミンは放っておくことにした。

 

昼休憩どきを過ぎた食堂は閑散としていて、テレビの真正面の特等席につく。

 

「おっと...」

 

バッグから弁当を出しかけて、危なかった...イチゴ柄プリントの弁当包みは、かなり恥ずかしい。

 

バッグの中で包みをほどいたものを、テーブルに置く。

 

チャンミン...お前という奴は...。

 

俺のために新調した弁当箱なのだろうか、真新しいそれはイチゴ柄で、古びた食堂テーブルの上ではピカピカと目立っている。

 

なぜイチゴ攻めなのか理解に苦しむ。

 

お手拭きが添えられていて、神経が行き届いている。

 

チャンミンよ、お前はいい嫁さんになれるよ。

 

(『いやん、ユンホさんったらぁ、僕、男だからお嫁さんにはなれません』って、案外喜んだりして...って、おい!)

 

「わっ!」

 

蓋を開けた途端、俺はそれを閉じた。

 

キョロキョロと周りを見渡して、皆思い思いにテレビやスマホに集中しているのを確認して、ホッとした。

 

「ユンホさん」

 

「わっ!」

 

耳元から当人の声が降ってきて、俺は再び飛び上がる羽目になった。

 

けたたましい音をたてて、プラスチック製の湯飲みが床に転がった。

 

俺のために茶を汲んだチャンミンが、背後に立って俺を呼んだだけのこと。

 

チャンミンが手にした湯飲み茶わんに、俺のひじが当っただけのこと。

 

チャンミン弁当に驚いてたところに、ご当人の登場にビックリ仰天してしまったのだ。

 

「びっくりした!

チャンミン、何?」

 

「びっくりしたのは僕の方です!」

 

チャンミンはテーブルの下に転がった茶碗を拾いあげると、ふんと鼻をならした。

 

「チャンミン...今すぐ事務所に戻るのはよした方がいい」

 

「どうしてですか?

僕はここでサボるために来たのではありません。

ユンホさんに伝言があったのと、手洗いに立っただけです」

 

「まあまあ、いいからしばらくここで休んでいけ」

 

「何でですか?」

 

「そのまま帰ったら、セクハラととられかねないぞ?」

 

「セクハラ!?

僕が!?」

 

「だからぁ、座ってろ!」

 

椅子を倒す勢いで立ち上がったチャンミンの手を引いて、座らせる。

 

「お漏らししたんだと勘違いされるぞ?」

 

「あー!!」

 

ぶちまけたお茶が、チャンミンの股間から腿にかけて染みを作っていた。

 

「腹を壊して便所に籠っていたことにすればいい。

俺が食う間、ここにいな。

そのうち乾くだろう」

 

「あの...ユンホさん」

 

「?」

 

「手を...放してください...」

 

「悪い!」

 

チャンミンを座らせようとつかんだ手が、そのままだった。

 

「お昼を食べる間もないくらい、忙しかったんですね。

お疲れ様です」

 

チャンミンはぽりぽりと鼻の頭をかいている(か、可愛い)。

 

「今日はイマイチでね。

飯どころじゃなかったわけ」

 

開けかけた蓋をまた閉めてしまった理由は、新婚さんも真っ青なLOVE弁当だったから。

 

「チャンミンの愛情弁当でも食って、元気をだそうかなぁ...って?」

 

『愛情』という言葉を忍ばせて、さりげなくチャンミンの気持ちを探ってみた。

 

あり?

 

ゴシゴシとスラックスを拭くのに必死なチャンミンは、聞いていなかったらしい。

 

タイミング悪いなぁ、と俺だけが恥ずかしくなって、チャンミン弁当に取り掛かることにした。

 

いり卵をぎっしり敷き詰めた上に、ハート型のそぼろひき肉(ご丁寧に、枝豆で縁取りがしてある)。

 

まったく。

 

新婚さんも真っ青だよ。

 

ウキウキ鼻歌を歌いながら、弁当を詰めるチャンミンを想像すると、ぞくぞくと喜びが湧いてくる。

 

チャンミンの気持ちを未だ確かめていないと、ウメコにはボヤいていたが、チャンミン弁当を見れば、彼の想いが十分伝わってきた。

 

俺たちは、素面で「好き」が言い出せずに、モジモジしている30男。

 

チャンミンにあらためて、「好きだ」と伝えないとな。

 

 

(つづく)

 

 

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(2)会社員 -情熱の残業-

 

結論として、俺とチャンミンとの関係は急激に変わってはいない。

 

強いて言えば、チャンミンが人懐っこくなった。

 

ただし、俺限定。

 

他の課員に対してはいつものごとく、無駄口はたたかず、真面目一徹、七三分けのヘアスタイルと就職活動中の学生みたいなスーツに身を包んでいる。

 

人目がある時はいつも通りだが、俺と2人きりになる時になると、少しだけ固い雰囲気が柔らかくなる...ような気がする。

 

「ユンホさん、凄いです!

3日連続でミス無しでしたね」

 

「まあな」と、チャンミンに褒められて得意げになっていると、

 

「ユンホさんも学習するんですね」と、失礼なことを言う。

 

俺を褒めることなんて...媚薬の夜以外ではあり得なかったから、チャンミンにも変化はあったと見なしていいだろう(ポジティブシンキング)。

 

チャンミンに見積書の作成を依頼し、帰社した時には仕上がっているのはいつもの通り。

 

ところが、書類と一緒に「お疲れ様です」の付箋とチョコレートが添えられてあったりして、「お前は女子か!」と突っ込みながらも、ほっこりするのだ。

 

惚れるしかないだろ(もう惚れてるけど)。

 

もの凄い勢いでキーボードを叩くチャンミンの後ろ姿を振り返ると、その両耳が真っ赤になっていて、すげえ可愛い。

 

「はっきりしないって、どういうことよ?

まさかあの後、そのまんまチャンミン君を放置、ってことないでしょうね?」

 

「放置って?」

 

「お互い告白し合ったんでしょう?

ユノが『好きだ』と告白したのは惚れ薬によるものだって、チャンミン君は思い込んでいるのよ。

『惚れ薬のせいじゃない、俺の“好きだ”はホンモノだ!』って、念をおさなきゃ」

 

ウメコとは長い付き合いだ、カッコつけても仕方がない。

 

「恥ずかしい...」

 

「ユノったらぁ。

火がついたら押せ押せのユノはどこいっちゃったの?

ベッドに連れ込むまでのスピードは、仲間内ではナンバーワンなのに」

 

「アホか!

相手の気持ちをちゃんと確かめてからヤッてるよ!」

 

「そうなのよねぇ。

相手の気持ちを確かめるまでに時間がかかるのよね、あなたは」

 

「まあな」

 

「まさかユノ!

チャンミン君の反応を待ってるだけじゃないでしょうね?」

 

「うーん...そうなのかなぁ」

 

これまで何人かの女性と恋愛関係になった経験はある。

 

モテなかったと謙遜するつもりはない。

 

密かに俺に片想いしていた子がいたかどうかは分からない。

 

「好きです」と告白されて初めて、彼女たちの恋心に気付いたことが多々ある。

 

はっきり言ってくれなきゃ、それに気付けずにいる鈍感さが俺にはある。

 

確かに、チャンミンからストレートに「好きだ」と言われはしたが、それはあくまでも『媚薬』によって突き動かされたもの。

 

淡い憧れに過ぎなかったものが、『媚薬』で増幅されたに過ぎないのだ。

 

素面になったチャンミンの、現在の本心を確かめられずにいる俺は臆病者なのだ。

 

「でもさ、今の俺はそれどころじゃないわけ。

うまくいっていないんだよなぁ...」

 

「また仕事?」

 

「そう。

失敗続きなんだよ。

うまく立ち回っているつもりが、抜けが多くって。

はぁ...」

 

チャンミンの鉄壁のチェック体制をすり抜けた細かなミスが、毎日のように湧いてきて、その後処理に奔走していた。

 

チャンミンに抜けがあったとは全く考えていない。

 

多分、チャンミンに恋煩いの俺は、どこか上の空で適当な仕事をしているのだろう。

 

ミスが多すぎて、チャンミンでもカバーできないのだ。

 

営業成績がよいのも、縁の下の力持ちなチャンミンの支えがあってこそのものだったんだろうな、きっと。

 

カウンターに片頬をくっつけて、俺は目をつむる。

 

疲労が溜まっていた。

 

「あの時の媚薬...もう一回飲む?」

 

「はあ?

とっくにチャンミンが好きな俺が飲んだって、意味ないじゃん」

 

「1リットルくらい飲むのよ」

 

「俺を殺す気か!?」

 

熱にうかされた目でかっかと身体を熱くさせて、服を脱ぎだしたチャンミンの姿が頭に浮かぶ。

 

ショットグラス1杯であんな風になるんだから、1リットルも飲み干したら俺は死んでしまう!

 

「チャミ愛が暴発してさ、オフィスの中なのに押し倒しちゃってさ。

ズボンを引きずり下ろして、いきなりヤッちゃうの。

『チャンミンが好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ!!』って」

 

「それじゃあ、強姦じゃないかよ!」

 

「チャンミン君なんて、

『いやん、ユンホさん!

僕、初めてなんです!

いやん、激しい!』

ってな感じに」

 

「おい!

チャンミン相手に淫らなことを想像するなって!」

 

俺は耳を塞いで、楽しそうなウメコを睨みつけた。

 

「チャンミン君も『その時』を待ち望んでいるかもよぉ?」

 

「お前の思考はすぐにエロい方に走るんだから。

俺はね、もう薬に頼るのは止めたの。

自力でなんとかする」

 

「ふうん、頑張って」

 

「まずは、仕事の方をなんとかしてからの話だ」

 

「急がなきゃね。

...そうだ!」

 

ウメコは大声と共に手を叩くと、カウンター下から何やら取り出した。

 

角がすりきれて丸くなり、ページが反りかえった薄汚いボロボロの大学ノート。

 

嫌な予感がぷんぷんとする。

 

「ユノにまじないをかけてあげるわね」

 

「やなこった!」

 

学生時代、バイト疲れで試験勉強どころじゃなくて、ウメコに泣きついた俺。

 

『眠くならない呪文』の力を借りたところ、真逆に呪文が効いてしまい3日間眠り込んでしまったという、痛い思いをしたのだ(落第するところだった、全くもう)。

 

「まあまあ、そう言いなさんな。

ユノの恋路を応援してあげる」

 

『恋』のワードに敏感に反応してしまう。

 

「惚れ薬とか、そういうのは御免だからな!」

 

「今回のはそんなんじゃないの。

お疲れユノを元気にしてあげる」

 

「まじないでか?」

 

「長期的な効果は期待できないけど、瞬発的にパワーが出るの。

ここぞというときに、唱えると実力以上のことを成し遂げられるのよ」

 

「実力以上...それって、嘘の姿じゃないか」

 

「言い方が悪かったわ。

ユノの潜在能力を引き出すの」

 

「潜在能力...」

 

「失敗続きの仕事の方も、うまくいっちゃうかもよ」

 

「ホントにそれだけか?

仕事面に役立つだけだよな?」

 

「......」

 

「何黙ってるんだよ?」

 

「...一歩前進したくないの?」

 

「しつこいなぁ。

チャンミンに関しては、自力でなんとかする!」

 

「はいはい、分かりました」

 

ウメコは大学ノートの端を破り取って、その一片を俺の手に握らせた。

 

「あーもーだめだー!って時に、唱えてね」

 

「変なことにならないだろうな?」

 

「栄養ドリンクみたいなものだって思ってくれて結構よ」

 

いくらポジティブな俺でも、現状の仕事っぷりには自信をなくしそうだったから、ウメコを信じてみようと心が動いた。

 

恋愛がらみのシロモノじゃないのなら、許せる。

 

「帰るよ」

 

「もう?」

 

「帰って寝る。

そうだ!

呪文の効き目はどれくらいなんだ?」

 

「6時間くらい」

 

「それっぽっちか?」

 

「それ以上効かせたら、あなた抜け殻になるわよ?」

 

「それは困る」

 

「バイバーイ。

チャンミン君に、また遊びにおいで、って伝えてねぇ」

 

店の外まで見送りに出るなんて、いつにない行動で、俺はすこし嫌な予感がした。

 

 

(つづく)

 

 

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(1)会社員-情熱の残業-

 

「どうなった?」

 

「何が?」

 

ぬぅっと俺の真ん前に突き出されたウメコの額を、人差し指で突いて奥へ押しやる。

 

ウメコの質問の意味は分かっていたけど、俺は分からないふりをしていた。

 

「チャンミン君のことよぉ。

で、どうなった?」

 

俺は今、バー『ウメコ』のカウンター席について(もっとも、カウンター席しかない)、厚化粧のウメコと対峙している。

 

ウメコは男で、当然「ウメコ」は本名ではない。

 

高校生の時、ふざけてつけたあだ名が定着してしまい、脱サラして始めたバーの名前も「ウメコ」だ。

 

ウメコの趣味は魔術、呪術もので、眉唾ものの呪文を唱えたり、得体の知れない液体を作っては俺を実験台にしている。

 

成功確率10%未満のそれらが、つい最近最高傑作を生みだして、それを飲まされた暁に俺が望んでいた結果に近づけた。

 

俺には好きな奴がいて、そいつは同僚で、面倒くさいことに男だったりする。

 

整った顔立ちをしているのに、ダサいヘアスタイルと新入社員みたいな紺のスーツ、堅苦しい敬語を話す男だ。

 

その男の名前はチャンミン、と言う。

 

そんなチャンミンに俺はかなり真剣に恋をしている。

 

その想いを敏感に察したウメコは、俺とチャンミンを騙して変な薬を飲ませたのだ。

 

変な薬とは『恋の媚薬』、つまり『惚れ薬』。

 

2人一緒に飲むと、相思相愛になるのだとか。

 

うさん臭さ300%のシロモノだったのに、意外や意外、効果はホンモノだったんだ。

 

もともとチャンミンに惚れていた俺に、その媚薬が効くはずがない。

 

ところが、チャンミンには、恐ろしい程に媚薬が効いた。

 

「好きです」と告白され、しなだれかかり、しまいには俺にキスをしてきた。

 

展開の早さについていけなくて、どぎまぎしているうちに、チャンミンの奴、俺を置いてひとり帰ってしまったのだ。

 

媚薬の効果は12時間、翌朝には消えてしまうシロモノ。

 

けれども、俺に対して抱いた恋心や、繋いだ手、キスした感触の記憶は残っているはずだと、ポジティブに解釈した。

 

「で、どうなったのよ?」

 

カウンターに肘をついてぼーっとしたままの俺に、しびれをきらしたウメコは俺の肩を力任せに突く。

 

ウメコは100㎏級の巨体だから、力も強い。

 

「いってえな!」

 

「次の日はどうだったのよ?」

 

「俺に弁当を作ってきた」

 

「うっそぉ!!

凄いじゃないの!」

 

「ま、まあな」

 

 

媚薬の翌朝、チャンミンから電話があった、それも午前5時。

 

常識の塊みたいな奴のくせに、電話をかけてくる時間じゃないだろう?

 

着信音でたたき起こされて、寝ぼけと不機嫌度MAXだったのが、チャンミンの声を聞いた途端、しゃきっと目が覚めた。

 

まず開口一番に、「苦手なものはありますか?」と尋ねられて、

 

「...香水臭い女」と、同課のA子を思い浮かべて答えたら、

 

「違います!

食べ物のことです!」とチャンミンの大声。

 

「特にないよ」

 

「了解です」

 

そして、ぷつりと通話が切れてしまった。

 

「なんだ、あいつ...?」

 

チャンミンの電話は、さっぱり意味不明だったけど、電話を貰えたことは滅茶苦茶嬉しかったのは確実。

 

ウキウキで出社して、即チャンミンを見つけ、「おはよう」と言い終える前にチャンミンに腕を引っ張られて、給湯室に連れ込まれた。

 

(おいおいおいおい!

給湯室でキスでもするのか?)

 

なんて期待してしまう俺は、どうかしてる。

 

ビールをがぶ飲みしていたはずなのに、チャンミンはすっきりとした顔で、今日もびしっとスーツを着込んでいる。

 

「ユンホさん。

本日のご予定は?」

 

「えっと...A社に新商品の提案に行って...B社には謝罪の念押し...それから、出荷場をのぞきに行ってくるくらい、かな」

 

「ふむ。

ということは、車を使いますね」

 

チャンミンは満足そうに大きく頷いている。

 

「そうなるね。

それがどうかしたのか?」

 

「僕はその...ユンホさん、引かないでくださいね」

 

「?」

 

「じゃーん!」

 

(『じゃーん』?

今、『じゃーん』って言ったか?)

 

俺の目前に突き出されたのは、風呂敷包みのでっかいもの。

 

「何?

B社へお詫びの品か?

あそこへは、とっくの前に持っていったぞ?」

 

このサイズ、フルーツバスケットかな、と。

 

つい先週、俺はB社相手にとある失敗をしでかしてしまったのだ。

 

「違います!」

 

俺と背丈は変わらないのに、なぜか上目遣いでむぅっと膨れている(か、可愛い)。

 

「これはお弁当です!

ユンホさんの為に、作ってきました」

 

「弁当!?」

 

チャンミンに手渡された、ずしりと重くかさばる包みを見下ろす。

 

「昨夜、僕、言いましたよね。

ユンホさんにお弁当を作ってあげたいって。

だから、作ってきました」

 

これは昼の弁当サイズじゃない、数人分の運動会やお花見レベルだ。

 

「ピクニックに行くんじゃねぇんだぞ?」

 

素っ頓狂な声を出した直後、「しまった」と後悔してしまったのは、チャンミンが心底悲しそうな顔をしていたから。

 

「迷惑...ですよね...。

すみません...出過ぎた真似をしました...」

 

「ごめんごめん!」

 

しゅんと、なで肩をもっと落として、頭を垂れてしまったチャンミンの肩を揺する。

 

「すげぇ、嬉しいよ!

ありがとう!」

 

「ホントですか!?」

 

即行頭を上げたチャンミンは、目をキラキラとさせていた(か、可愛い)。

 

「嬉しいよ。

量が多くてびっくりしただけだ」

 

「すみません。

ユンホさんの好みが分からなくて、全ジャンルを網羅してみたら、つい作り過ぎてしまいました。

お昼に食べてください」

 

チャンミンはてへへ、っと鼻の頭をかくと、くるりと回れ右をして給湯室から去っていってしまった。

 

(こんなに沢山...どうしよう...)

 

残してきたりなんかしたら、チャンミンを悲しませてしまう。

 

知恵を絞った俺は、昼間際に出荷場のある自社倉庫に立ち寄り、そこのスタッフたちと共にこの巨大弁当を食べたのだった。

 

帰社後、給湯室で汚れた重箱を洗いながら、若干ズレてはいるが、チャンミンの心遣いにじんときていた。

 

空っぽになった弁当箱に、チャンミンは指先をぴんと揃えた両手で口を覆い、「まあ」といった風に目を丸くしていた。

 

両眉をめいっぱい下げて、それは嬉しそうな表情だった。

 

ちゃんとお礼を言っていなかったことに気付いて、「ありがとう」と空の弁当箱を返したんだった。

 

思い出すだけでニヤけてしまうエピソードだ。

 

(つづく)

 

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(9)会社員-恋の媚薬-

 

~チャンミン~

 

僕の片想いを応援するからと言って、ウメコさんの提案は耳を疑うものだった。

 

「惚れ薬!?」

 

ウメコさんは、大きく頷いた。

 

「ウメコさんは、危ないクスリを密造する人なんですか?

危険な植物を育ててたり、パウダーを調合したり...。

捕まらないのですか?」

 

どうりで棚をぎっしりと埋めているガラス瓶の数が尋常じゃないはずだ。

 

「密造!?

何てこと言うのよ!

違うわよ!

...私はねぇ...魔女なの」

 

「えぇぇっ!」

 

床に固定されたスツールに後ずさりを邪魔されて、僕は後ろにひっくり返りそうになる。

 

どうしよう。

 

ウメコさんはどうやら頭がおかしい人なのかもしれない。

 

「言葉の意味そのまんま受け取ってどうするの!

『呪術研究家』っていう意味よ」

 

「びびびびっくりしました」

 

胸をなで下ろしつつも、胡散臭さ1000%で思いっきり顔をゆがめていたら、ウメコさんに「こら!」って鼻をつままれた。

 

「これが、そう」

 

カウンターテーブルにことり、と置かれた小瓶が2本。

 

「こっちが『媚薬A』

緑がかってる方が『媚薬B』」

 

小瓶を満たすのはラピスラズリ色の液体だった。

 

「2種類あるんですか?」

 

「ちょっとだけ作用が違うの。

でも、『惚れ薬』であるのは変わらない」

 

暗すぎる狭い店内、カウンターテーブルの上のキャンドルの揺らめくオレンジ色の妖しい灯り。

 

非科学的過ぎるし、大の大人が大真面目に『惚れ薬』だって胸を張られても、普段の僕だったら相手にしなかった。

 

ビールを一気飲みしたせいでほろ酔いだし、僕の禁断の恋心を見抜かれて動揺していたし、眼光鋭いウメコさんの眼差しに、僕の意識はふらふらだ。

 

信じてもいいかな、って気になってきたんだ。

 

「いい?

1杯目はユノ。

2杯目はチャンミン君が飲むのよ」

 

「間違えたらどうなります?」

 

胡散臭いなと思いながら、僕は2本の小瓶を灯りに透かしてみたり、キャップを開けて匂いを嗅いでみたりした。

 

「ユノの方は『惚れ薬』だから、チャンミン君が飲んだら意味がないじゃないの?

ユノのことが既に好きなあなたが、あらためてユノに惚れる必要がないわよね」

 

「そっか...。

で、僕の分はどんな成分が入っているんですか?」

 

「成分、っていう言い方は気に入らないわね。

チャンミン君の方は、ちょっとした淫乱剤」

 

「淫乱!?」

 

僕の頭に、目をぎらぎらさせてよだれを垂らして、ユンホさんに飛び掛かる自分の姿がぼわーんと浮かぶ。

 

「ちょっと、それは...困ります。

ユンホさんに嫌われてしまいます」

 

「嫌われるもなにも、惚れ薬でユノはあなたにメロメロになってるんだから、気にしなくてもいいことよ。

それにねぇ...。

ユノはね、わりかし鈍感な子なのよ。

ストレートに言わなくっちゃ、あなたの『好き』は伝わらない。

だってあなた...」

 

ウメコさんにあご先をつつっと撫ぜられて、「ひぃっ」と悲鳴をあげてしまう。

 

「モジモジ君なんだもの...。

ちゃんとユノに告白できる?」

 

「...無理です」

 

「でしょう?

私の見立てだと...5年はかかりそう。

チャンミン君が5年もウジウジしているうちに、ユノは結婚しちゃってるかもね」

 

「ええぇぇぇぇ!?」

 

「可愛い奥さんでぇ、子供もぽこぽこ作っちゃってぇ...」

 

「うわぁぁぁぁ!!!

駄目です!

駄目駄目駄目!!!

ユンホさんは結婚したりしたら、駄目です!」

 

想像するだけで苦しくなってきて、僕はムンクの叫びみたいなポーズで大声で叫ぶ。

 

同じ課の一番美人(との評価だけど、僕は全然そうは思わない)のA子さんの顔が、ぼわ~んと浮かんできたからたちが悪い。

 

A子さんはユンホさんに気がある素振りをしてたんだから。

 

「それじゃあ、急ぎなさい!」

 

「はいっ!」

 

「チャンミン君が飲む方は、淫乱剤って言うけど、『自白剤』に近いかもねぇ。

『自白剤』...言っとくけど、ホンモノの『自白剤』じゃあないわよ。

捕まっちゃうじゃないの。

これは、魔薬。

想いを伝えたくて伝えたくてたまらなくなる媚薬。

目の前の人が...ユノのことが...愛しくて愛しくてたまらなくなるの。

モジモジ君のあなたの背中を押してくれるの」

 

「つまりそれを飲むと、勇気が湧いてくるってことですね」

 

「そういうこと」

 

「あの...ウメコさん。

心配なことがあります。

この薬を飲んだ僕は、勇気100倍になって、ユンホさんに告白できるようになります。

でも...告白されたユンホさんはどうです?

気持ち悪いですよね?

僕は男だし...ユンホさんにドン引きされるかもしれません」

 

「気持ち悪いなんてことないわよ。

なんてオカマなあたしが言っても、説得力ないわね」

 

「どうしよう...気持ち悪いって嫌われたら、どうしましょう?」

 

「だからこそ『惚れ薬』をユノに飲ませるんじゃないの」

 

「でも!

この薬を飲んだユンホさんは、そのつもりがなくても僕のことが好きになっちゃうんでしょ?

その『好き』はニセモノになっちゃいます。

そんなの...嫌です」

 

「チャンミン君ったら...もう」

 

「いででっ!!」

 

両耳をぎゅうっと引っ張られた。

 

「可愛い!

可愛いこと言ってくれるわねぇ」

 

「ウメコさん...痛いです」

 

耳をさすっていると、ウメコさんは真っ赤な唇の端をにゅうっと持ち上げた。

 

「惚れ薬の効果は約12時間。

明日の朝には消えてしまう。

惚れ薬によってユノはあなたに夢中になるのも一時的。

でもね。

チャンミン君との会話や、あなたに惚れたという感覚まで忘れてしまうわけじゃないの。

短期集中!

ユノにあなたの想いのたけをたっぷりぶつけるの。

想いが通じやすいこの時を大事にして、しっかり想いを伝えなさい!」

 

「はい!」

 

目の前がぱあっと開けた感じがした。

 

与えられたチャンスはとことん利用するんだ、シムチャンミン!

 

「ウメコさんは...どうして協力してくれるんですか?」

 

「...面白いから」

 

「...ひどいですね」

 

むぅっと膨れていたら、

 

「買ってきたぞ!」

 

買い物袋を下げたユンホさんが、ドアの向こうから現れた。

 

ドキドキ。

 

 


 

 

押し過ぎたかな。

 

ユンホさんにキスしてしまった自分自身を受け止めきれなくて、いたたまれなくなって、ユンホさんを残して帰ってきてしまった。

 

自分の大胆さに、思い出すだけで顔がかっかと熱い。

 

首に巻いたマフラーに鼻先を埋めて、深呼吸を繰り返す。

 

ユンホさんの匂いがする。

 

ユンホさんのマフラーを持ち帰ってきてしまった。

 

デザインが似ているから、ユンホさんのことだ、多分気付かないはず。

 

自室のベッドに寝っ転がった僕は、ユンホさんのマフラーに萌えているのだ。

 

我ながら変態じみていて、自分で自分に引きそうになる。

 

身体はまだ熱い。

 

ウメコさんの媚薬の力は凄かった。

 

ユンホさんに告白ができたし、ユンホさんから『好きだ』と言われた。

 

僕のことを、「前から」好きだったって言ってた。

 

本当かなぁ?

 

僕を喜ばせようとした、ユンホさんのサービス精神によるものかなぁ。

 

ユンホさんの香りに包まれて、うとうとしていたらいつの間にか眠ってしまい、肌寒さに目覚めた時には午前5時。

 

慌てて飛び起きて、僕はキッチンに向かう。

 

僕には計画があるのだ。

 

「おっと、その前に...」

 

業務連絡する際に、ユンホさんの電話番号をこっそりと記憶していたのだ。

 

知らない電話番号だから、警戒したユンホさんは出てくれないかもしれない。

 

大丈夫、ユンホさんは出てくれる。

 

「ぐふふふ」

 

媚薬(僕の場合は、自白剤)の効果はとっくに消えてしまっただろうけど、昨夜の勢いでユンホさんに迫らないと!

 

『ユンホさん。

お弁当を作ってきました。

苦手なものがなければいいのですが...

出先で食べてください』

 

台詞を頭の中で諳んじながら、発信ボタンを押した。

 

 

(恋の媚薬編おわり)

 

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