(3)会社員-恋の媚薬-

 

「相思相愛...ですか...」

 

チャンミンのつぶやきに、隣が気になって表情を窺う。

 

思いっきり嫌な顔をされていたら傷つくよなぁ、と思って。

 

これまでの経験上、ウメコ作の『魔法のドリンク』なんて、90%はいい加減なものだ。

 

ところが、残りの10%は効き目が抜群だったりする(何度、痛い目に遭ったか!)。

 

ん...?

 

果たして「とんでもないもの」なのか?

 

願ったりかなったりじゃないか!

 

ちらっと、隣のチャンミンに視線を向ける。

 

チャンミンは空になったグラスを手の中でもてあそびながら、何やら考え込んでいる。

 

「チャンミン。

本気にするなよ?

ウメコのお遊びなんだから」

 

「え...。

そうなのですか?」

 

チャンミンは、きょとんとした丸い目で僕を見返した。

 

「俺と相思相愛になったりしたら、気持ち悪いだろ?

ごめんな」

 

そうしたら心外そうに眉をひそめるから、俺の方がきょとんとしてしまった。

 

「ユンホさんは、気持ち悪いのですか?」

 

「いや...気持ち悪いってことは...」

 

動揺してしまって、声が震えてしまった。

 

「どう?」

 

俺とチャンミンの間に、ウメコの顔がぬっと割り込んだ。

 

「何か変化があった?」

 

「変化も何も...なんとも...ないけど?」

 

『相思相愛のドリンク』なんて聞かされたから、燃えるように身体が熱くなって、視界がピンクになるのだと、実は期待していた俺だった。

 

アルコール度数高めのカクテルを少量飲んだ程度。

 

俺がチャンミンに気があることをキャッチした、ウメコの悪戯なんだと思った。

 

もしくは、いつものように魔術(?)がいい加減過ぎて、効き目のない無害なものなんだと。

 

「おかしいわねぇ。

ちゃんと発酵させなかったせいかしら。

蜘蛛の...」

 

「ウメコ!

言うな!

原材料は聞きたくない!」

 

俺は耳を塞いで、大声をウメコの説明を制した。

 

「うるさいわねぇ!」

「うるさいのはお前だろ!」

 

ウメコの首を絞めて前後に揺する。

 

「あの...」

 

消え入るようなチャンミンの声に、俺とウメコは口を閉じる。

 

「僕...なんだか、変です...」

 

「ええっ!?」

 

俺とウメコは、一斉にチャンミンに注目する。

 

チャンミンはシャツの衿口をぎゅっと握っている。

 

「大丈夫か?

気持ち悪いのか?」

 

心配になった俺は、チャンミンの肩に手をかけて顔を覗き込んだ。

 

チャンミンはふるふると首を振ると、ネクタイをもどかしげに緩める。

 

「熱い...」

 

首の締め付けから解放されて、ふぅっとついた吐息が俺の腕にかかる。

 

ぞくり、とした。

 

「ウメコ!

何入れたんだ?」

 

「聞きたくないって言ったのはユノでしょう?」

 

「身体が熱くって...」

 

チャンミンの申告通り、俺を見上げる彼の目が熱っぽく潤んでいて、ランプシェードの灯りを受けて揺らめいた。

 

オフィスではきりりと引き締めた表情のチャンミンが、今じゃ緊張の解けた...うっとりと弛緩した...ものになっていた。

 

俺の喉がごくりと鳴った。

 

「はぁ...熱いです...」

 

いつものむっつりと引き結んだ唇が、半開きになっている。

 

「チャンミンっ!」

 

「熱い...です」

 

おいおいおいおい!

 

あれよあれよという間に、チャンミンはシャツのボタンを一番下まで外してしまった。

 

「待て!

何するんだ!」

 

焦った俺は、シャツを脱ぎだすチャンミンの二の腕を制し、「お前もなんとかしろ」とウメコを振り返った。

 

ところが、ウメコは意味ありげな笑みを浮かべるだけの傍観者。

 

チャンミンは脱いだワイシャツを、ぽいっと床に落としてしまう。

 

「チャンミン!」

 

俺は慌ててそれを拾いあげ、空いていたハンガーにかけてやる。

 

予想通りだが、堅物チャンミンは中にインナーTシャツを着ていて、半裸を披露してくれるものと密かに期待していた俺は、少し残念だったりして。

 

「ふう...。

ちょっとはマシになりました」

 

そう言って、薄手のインナーTシャツの衿をつまんであおいでいる。

 

香水も何もつけていないチャンミンの体臭がふわりと漂ってきた。

 

一日の労働の後の、濃い匂い。

 

坊ちゃん坊ちゃんしているけど、それは男っぽいものだったから、その意外性に色気を感じた。

 

やば。

 

俺は目のやり場に困って、正面を向く。

 

なぜなら、薄い生地越しにチャンミンの乳首が透けていたから。

 

大量にかいた汗が素肌に張りついて、身体のラインが浮き出ている。

 

まだ暑いのか、肩までまくしあげたシャツから伸びるのは、太い二の腕。

 

チャンミン...鍛えているのか...意外過ぎるんだけど。

 

メニューに忠実に従って、黙々とトレーニングに励むチャンミンの姿が、容易に想像できた。

 

「ウメコ」

 

俺はウメコに手招きして、耳打ちする。

 

「あんなに暑がっているけど、平気なのか?

俺はなんともないぞ?

おい!

飢えた眼でチャンミンを見るな!」

 

ウメコは、薄着のチャンミンを舐めるように見続けたまま答える。

 

「これは『恋の媚薬』なのよ。

身体が熱くなって当然じゃないのぉ。

あなただって、好きな人を前にしたら熱くなるでしょ?

あらやだ、ユノ。

何を想像してるのよ?

熱くなるってのはムスコじゃなくって、身体全体のことよ。

やあねぇ、ユノったら、いやらしい!」

 

「おい!」

 

「効き目に個人差があるからねぇ...」

 

「本人の意志に逆らって、あんなもの飲ませていいのかよ?

汗かきすぎだろ、拒絶反応なんじゃないのか?」

 

Tシャツの裾で顔の汗を拭いているチャンミンを横目に、俺はウメコに問う。

 

贅肉のかけらもない平らな下腹がのぞいてしまってる。

 

告白する。

 

俺はどっちでもイケる方なのかもしれない。

 

男と付き合ったことはないが、男であろうと女であろうと、綺麗なものには惹かれる。

 

と言っても、分かりやすく開かれた美しさには惹かれない。

 

宝の持ち腐れみたいに当人に自覚がなくて、探す気のある者じゃなければ暴かれることなく埋もれたまま...みたいなものに惹かれる。

 

服装や髪型、仕草や言葉遣い。

 

他人からしたら面倒くさいキャラクターが煙幕になって、大抵の人は気付けずにいるチャンミンの美しさ。

 

最初はルックスだった。

 

どころが徐々に、くそ真面目一徹じゃなく、言葉の端々にはさんでくるユーモアさが面白くって...。

 

チャンミンの魅力についてはおいおい話すとして、ここまでにしておこう。

 

「ユンホさん...すみません...暑くって...」

 

俺はカウンターに肘をついて、鼻にしわを寄せてくしゃりと笑うチャンミンを見つめる。

 

なあ、チャンミン。

 

今のお前の目には、俺はどう映ってる?

 

 


 

 

もともとチャンミンに気のある俺はともかく、敬語・さん付けで、業務以外の関わりのなかった同僚に過ぎないチャンミンは困るだろう。

 

相思相愛になる代物を飲まされたりなんかしたら。

 

『恋の媚薬』の力で、チャンミンを振り向かせるのなんて、俺の意に反している。

 

相思相愛になるのは嬉しいが、その関係は本心によるものじゃないから、嬉しくない。

 

俺の問いに、

「さあ...それはどうかしら。

これからどうなるかは、あなたが確かめてみるしかないわ」

と、ウメコは答える。

 

「確かめるって言われても...」

 

「ユンホさん...」

 

俺のベルトにチャンミンの指が引っかけられている。

 

「ユンホさん!」

「うわっ!」

 

力任せにひき下ろされて、俺はドスンとスツールに腰を下ろした。

 

なんて力だ...。

 

「ウメコさんとばかりいないで。

せっかく一緒にいるのですから、僕とおしゃべりをしましょう」

 

「え...?」

 

「ユンホさんのことが知りたいんです。

おしゃべりしましょう」

 

そう言ってチャンミンは、俺を覗き込む。

 

15センチ頬を寄せれば、キスができそうだ...って、おい!何考えてんだ。

 

おしゃべりしましょう、と言われても、いざとなると話題が思いつかないものだ。

 

業務以外の会話なんてしたことがないし、チャンミンが何に興味を持っていて、どんな私生活を送っているかも知らない。

 

そんなんで、チャンミンが好きだ、とよく言えたものだ。

 

勿論、聞きたいことは山ほどある。

 

休みの日は何してる?

学校はどこに行ってた?

どうして今の会社を選んだ?

 

それから...『彼女』はいるのか?

 

「...チャンミンは、何が好きなんだ?」

 

そうっと横目でチャンミンを窺うと、同じタイミングで俺の方を窺うチャンミンと目が合った。

 

バチっと火花が散った。

 

つくづく綺麗な顔をしていると思った。

 

7:3に分けた前髪が乱れてしまって...前髪を長く伸ばしているらしい...片目を覆っている。

 

俺とチャンミンの肩が触れ合っている。

 

薄い生地を通して、汗ばむチャンミンの熱い体温が伝わってきた。

 

「そんな漠然とした質問じゃあ、答えられません」

 

チャンミンらしい答えだ。

 

「だよな。

しゅ、趣味は?」

 

あのなぁ、ユンホよ。

 

『趣味』...って、お見合いみたいな質問するんじゃないよ。

 

「そうですねぇ...。

最近は料理に凝ってます」

 

「へぇ。

凄いな」

 

もっと気の利いたことが言えないのか、ユンホよ!

 

「楽しいですよ」

 

生真面目にレシピと睨めっこして、忠実に倣ってに調理する姿が想像できた。

 

くすりと笑みがこぼれてしまう。

 

「!」

 

俺の腕に、チャンミンの手がのっていた。

 

思わず腕を引いてしまったから、チャンミンの頬がピクリと震えた。

 

しまった、拒絶にとられたかもしれない。

 

ところが、綺麗な顔を俺の方に寄せてきた。

 

近い近い近い!

 

「僕の作った料理を食べにきませんか?」

 

「......」

 

フリーズしてしまった俺に不安になったのか、チャンミンは「来ませんか?」と繰り返した。

 

今回の『魔法のドリンク』...『相思相愛になるドリンク』...『恋の媚薬』の効き目はホンモノだったのか!?

 

発汗作用のあるドリンクに過ぎないと馬鹿にしていた。

 

慎重で堅苦しいチャンミンじゃなくなっていた。

 

書類の受け渡し、電話越しの業務連絡、朝夕の挨拶...こんな程度の関わり合いだった。

 

勇気をかき集めて、チャンミンをこの店へ誘った。

 

ウメコの店なら、客も少なく、そして何より店が狭い。

 

肩がくっつくほどの距離感でカウンターに座れば、心の距離も狭まるんじゃないかな。

 

これがウメコの店をチョイスした魂胆なのだ。

 

チャンミンの三白眼が、俺の目を焦がす。

 

大きな瞳だ、と思った。

 

かぁっと身体が熱くなった。

 

俺は内心で、『YES!行く!行くよ!』と答えていた。

 

その言葉が即座に出て来なかったのは、チャンミンのキャラについていけなかったせい。

 

『恋の媚薬』の影響なのか、元来のものなのか判別できない。

 

後者ならいいな、と思った。

 

チャンミンはすっと視線を落とし、乗り出した身を引いて言った。

 

「すみません。

馴れ馴れしかったですね。

急にユンホさんを誘いたくなっただけです...。

忘れて下さい」

 

チャンミンはぼそりと言って、顔を背けてしまった。

 

「すみません」と謝っているくせに、不貞腐れた表情に気付いてるよ。

 

子供みたいに拗ねた仕草。

 

俺のフォローを待ってるんだよな?

 

そう思っていいよな?

 

「はーい、お待ちどうさまぁ」

 

ほかほかのオムライスがテーブルに供された。

 

かすかな想いの通い合いが生まれたのに、ウメコに邪魔されてしまった。

 

「お!

美味しそうですね!」

 

さっきまでへの字口してたくせに、その口が大きく開いて、笑顔が輝いているじゃないか。

 

気持ちの切り替えがうまいらしい。

 

俺の胸にこっそりしまってある、チャンミン録に1行メモ書きが加わった。

 

大きな口だ。

 

ハイペースでオムライスの山を崩しにかかるチャンミンに、ウメコは満足そうだ。

 

「なあ、チャンミン」

 

「なんですか?」

 

山盛りにしたスプーンを口に運ぶ手はそのままに、横目で俺を見上げる。

 

「床屋にどれくらいのペースで行ってるの?」

 

背中を丸めてディスプレイに向かうチャンミンの後ろ姿を、見つめ続けてきた。

 

線をひいたかのような、刈り上げた襟足のライン。

 

指で辿りたい、と思っていた。

 

くすぐったがって首をすくめるんだろうな、って。

 

「ユンホさん!

どうして、的外れな質問ばかりしてくるんですか?」

 

初めて聞く、チャンミンの鋭い声に俺はビクッとした。

 

「え?」

 

チャンミンはスプーンから手を放し、背筋を伸ばした。

 

「僕たちは『相思相愛になる薬』を飲んだんですよ。

気持ちがどう変化したか、聞かないんですか?

僕に確かめなくていいんですか?」

 

そのものズバリの質問は、直球で飛んできた。

 

ウメコの媚薬を飲んだのに、俺はいつもの俺だ。

 

チャンミンの方は、大汗をかいて、敬語は崩さないが口数が増えて...大胆になっている。

 

快活で社交的な俺が、ワイシャツを脱いでしまった目の前の男に圧倒されていた。

 

「チャンミン...」

 

口の中がからからで、俺は咳ばらいをした。

 

「どんな風だ?

気分は?」

 

チャンミンのこめかみから頬へとつたった汗が、あご先に到達してぽたりと落ちた。

 

俺はお手拭きをとって、チャンミンの額の汗を拭ってやった。

 

俺の突然の行動に驚いて、チャンミンのまつ毛がふるりと揺れた。

 

ぞくりとした。

 

「僕...」

 

チャンミンはTシャツの胸をぎゅうっと握りしめた。

 

「ユンホさんは、輝いて見えます」

 

「えっ!?」

 

「カッコよくて、優しくて...まぶしいです」

 

照れ隠しなのか髪をかきあげたせいで、チャンミンの前髪がもっと乱れてしまった。

 

「あ...」

 

オフィスのチャンミンとは、すっかり別人に見えた。

 

 

 

[maxbutton id=”23″ ]

[maxbutton id=”22″ ]

[maxbutton id=”19″ ]

(2)会社員-恋の媚薬-

 

 

「汚い店で悪いな」とチャンミンに謝る。

 

「『汚い店』だなんて、ひどいわね」

 

カウンターの中で、オーナー兼マスターのウメコが俺を睨みつける。

 

レトロな花柄シェードの照明がぶら下がるだけの、ムードづくりの度を超える暗さだ。

 

だから、かなり顔を近づけないと、隣のチャンミンの表情がうかがえない。

 

「あらぁ、ユノぉ。

だぁれ?

この可愛い子ちゃんは?」

 

カウンター向こうから身を乗り出すウメコに向かって、俺はしっしと手を振る。

 

「汚い顔を近づけるなって。

同僚なんだ。

チャンミンって言うの」

 

「初めまして。

チャンミンです」

 

とチャンミンは、いつもの上目遣いになって頭を下げる。

 

「ひどいわね。

よろしくぅ」

 

ウメコがくいくいと人差し指を曲げて、俺を呼んでいる。

 

「なんだよ?」とカウンター内に身を乗り出すと、

 

「あの子...ユノの『いい人』?」

 

ドキリ、とした。

 

「はあぁぁ?

違うって」

 

図星だったが、否定した。

 

チャンミンに聞かれたんじゃないかって、焦ったから。

 

ウメコは鋭い奴だから、俺のごまかしは通じないってことは分かってたけど。

 

「あらぁ、ホントに?

いよいよあんたも、目覚めたのかと思って、拍手喝采なのに」

 

「ホントに違うって!」

 

「ふぅん。

チャンミンくぅん」

 

「おい!

『くぅん』ってなんだよ!」

 

きょろきょろと周囲を見回していたチャンミンは、名前を呼ばれて「は、はい!」と答える。

 

「何飲む?

何食べたい?」

 

「え...っと、何でも」

 

「何でも、ってのが一番困るのよねぇ...」

 

「じゃあ...ビールで」

 

チャンミンはまるで迷子センターに連れられてきた子供のように、猫背でスツールに座り、グラスの中身をすすりながら、ちらちらと俺の方を見る。

 

上目遣い。

 

可愛いんだけど...。

 

可愛いんだけど、まくり上げた袖から伸びる腕が意外に筋肉質で、そのギャップにやられる。

 

「汚い店でびっくりしただろ?」

 

「ちょっと!

何度も『汚い』って言わないでよ!」

 

ウメコに頭をはたかれた。

 

「あの...メニューは?」

 

「うちにはメニュー表はないの。

食べたいものがあれば言ってね、作るから」

 

「え...と、それじゃあ」

 

遠慮がちな言い方なくせに、あれこれと注文するチャンミン。

 

ますます面白い奴だな、と思った。

 

「あら、大変。

卵を切らしたみたい」

 

冷蔵庫に首を突っ込んでいたウメコは、

 

「ユノ。

ちょっと卵を買ってきてくれないかしら?」

 

「はあ?

客に買い出しに行かせるつもりかよ?」

 

「同級生でしょう?

お願いよ。

卵がなくっちゃ、オムレツが作れないじゃなのぉ」

 

「う...」

 

「お願い。

近くにコンビニがあるでしょ?」

 

ド派手なマニキュアといくつも指輪をはめた手から、紙幣を握らされた。

 

「ついでにケチャップも買ってきてね」

 

「前もって買っておけよな!」

 

チャンミンを一人残していくのが心配になって、チャンミンに視線を向けると、

 

「行ってらっしゃい」としれっと言うじゃないか。

 

ゴリゴリの女装した男然としたウメコと、1対1になるんだぞ。

 

平気なのか?

 

もっと不安そうにしろよな。

 

チャンミンは、意外と肝が据わった奴なのか、それとも俗にいう「天然ちゃん」なのかのどちらからしい。

 

オフィスでは見ることができない、素のチャンミンをひとつ知れたみたいで嬉しかったのは事実だ。

 

 


 

ムッとするくらい暑い店から1歩出ると、ぴゅっと北風が吹き付けて、俺はコートの襟をかき合わせた。

 

オフィスのチャンミンは融通のきかないしっかり者で、事務作業を面倒がる俺の世話役となりつつある。

 

ところが、オフィスを離れたチャンミンは、封印していた伸びやかな素直さ、みたいなものを発揮し出してきた。

 

調子が狂う。

 

調子が狂うが、じんと胸の奥が温まる。

 

ウメコはハンサムな男が好きだから、早く戻らないと。

 

チャンミンの細くて長い指を撫でまわしていそうだから。

 

それにしても...さすがウメコ。

 

一発で見破ったか。

 

俺がチャンミンに気があることを。

 

「はぁ...」

 

通りを1本渡った向こうのコンビニエンスストアに向かって、俺は走り出した。

 

 


 

 

「買ってきたぞ!」

 

ウメコに買い物袋を突きつけて、俺はどかっとスツールに腰を下ろした。

 

「おかえりなさい」

 

行儀よく膝を揃えてスツールに座るチャンミン。

 

カウンターの上には、ビール瓶が1本空になっている。

 

ピッチが速すぎやしないか?

 

「あちー」

 

走ってきたから暑くて仕方なくて、むしるようにコートを脱ごうとしたら、背後にまわったチャンミンの手ずから、スマートに脱がされた。

 

「サンキュ」

 

チャンミンは俺のコートを丁寧にハンガーにかけると、壁のフックに引っかけた。

 

一連の行動にじわっと感激していたら、チャンミンは照れたように俯いてしまった。

 

チャンミンの日頃の仕事ぶりを見てきたから、こうした気の利いたことをさらっと出来てしまうのも不思議ではない。

 

甲斐甲斐しい感じがして胸がこう...キュッとときめいたのだ。

 

「これでオムライスが作れるわ」

 

楽しそうに歌うようにウメコは言って、買い物袋から卵とケチャップを取り出している。

 

「オムレツじゃなかったのかよ?」

 

「チャンミンくんがね、お腹がペコペコっていうからぁ。

米ものにすることにしたのぉ」

 

「はいはい」

 

ウメコから炭酸ジュースを手渡され、俺は一気飲みする。

 

すっかりくつろいだ風のチャンミンは、塩水にさらしてしんなりとさせた千切り大根を口に運んでいる。

 

手酌でビールを注いでいたから、チャンミンの手からそれを奪って彼のグラスになみなみと注いでやった。

 

「ありがとうございます」

 

チャンミンは小さく会釈をして、上目遣いでじっと俺を見る。

 

グラスをうやうやしく持つ揃えた指、短く切られた爪。

 

清潔な、神経質そうな指。

 

女の手のようで、でも男そのものの骨ばった手の甲。

 

この手が俺の...、俺の...。

 

おい!

 

何を想像してるんだ!?

 

「そうそう!」

 

ウメコが突然上げた大声に、俺は飛び上がる。

 

「いきなりデカい声を出すなって!」

 

弾みで倒してしまったチャンミンのグラスを、床に落ちる寸前でキャッチした。

 

「すみません、ユンホさん...」

 

チャンミンのスラックスがこぼれたビールで濡れてしまい、お手拭きで拭ってやる。

 

ビールの染みはチャンミンの脚の付け根あたりまで広がっている。

 

「染みになるかな...」

 

「あの...ユンホさん...自分でやりますから」

 

両膝をこすりつけるようにもじもじしているチャンミン。

 

「悪い!」

 

男同士とはいえ、股間の近くをゴシゴシやるのは恥ずかしいよな。

 

「あたしね、呪術に凝ってるってこと知ってるよね」

 

ウメコが、でかいタンブラーに注いだワインをがぶ飲みしながら言う。

 

「いつものか?」

 

うんざりした表情で俺は答える。

 

「新作が出来たの」

 

「ふうん」

 

俺は聞き流す。

 

ウメコは学生時代から魔術ものに目がない。

 

級友の俺は、その被害者第1号だ。

 

奇妙奇天烈な呪文やお供物はまだマシな方で、怪しげな(妖しい、じゃない。『怪しい』だ)液体や丸薬を作っては、俺を実験体にする。

 

「ユンホさん!」

 

腕を揺らされ、ハッとして横を見ると、チャンミンが目配せをしている。

 

ウメコの話をちゃんと聞け、という意味らしい。

 

アルコールのせいで、上気した頬がつやつやとしている

 

堅苦しかった雰囲気が、くつろいだものに変化していた。

 

「でね、出来上がったものがあるから、試して欲しいの」

 

ニヤリと笑ったウメコは、カウンター下から小瓶を取り出した。

 

そして、ショットグラスに満たされたのは、瑠璃色の液体。

 

何で出来ているのか想像はしたくないが、色だけは綺麗だ。

 

「飲んでみて」

 

「やなこった」

 

思い切り顔をしかめた。

 

「甘くて美味しいのよ」

 

「じゃあ、チャンミン君が飲んでくれる?」

 

俺に無視されたそのグラスを、ウメコはチャンミンの方へ滑らした。

 

「ウメコ!

チャンミンに不気味なものを飲ますなって!」

 

「じゃあ、ユノが試してみなさい」

 

「うっ...」

 

「あの!

僕も飲みます!」

 

「えっ!?」

 

隣を振り向くと、チャンミンは目を輝かしていた。

 

「やめとけチャンミン。

腹を壊すかもしれないんだぞ?」

 

「面白そうじゃないですか。

甘くて美味しいんですって」

 

「ね?」っというように、小首をかしげて俺をみるから、「う...可愛い」と心の中でつぶやく。

 

「そうよぉ。

カクテルだと思って、ね?

召し上がれ」

 

意固地になって拒絶し続けるのもカッコ悪いよな、と、俺はグラスをつかむと一気に煽った。

 

うす甘い液体が、喉をすべり落ちていく。

 

とろっとした喉ごしで、フルーティで、確かに美味い。

 

美味いが...。

 

「チャンミン君もどうぞ」

 

「いただきます」

 

ウメコに差し出されたグラスを受け取ると、チャンミンは両手を添えてくいっと傾ける。

 

ぴんと揃えた両指といった所作が、女っぽく色っぽくて、かといってカマっぽくなくて、ウメコの目も忘れて見入ってしまった。

 

伏し目にしたまつ毛の奥で、チャンミンの瞳が艶やかに光っている。

 

「美味しいですね。

何が入っているのですか?」

 

答えが知りたいと言った風に、ワクワクとした口調だった。

 

「ところで、『これ』はなんなの?」

 

知りたくはないが、お義理で俺も尋ねる。

 

ウメコは俺とチャンミンを交互に見る。

 

「二人同時に飲むと、相思相愛になるドリンク」

 

「はあぁぁぁ?」

 

とんでもないものを飲まされてしまった。

 

 

 

[maxbutton id=”22″ ]

 

[maxbutton id=”23″ ]

 

[maxbutton id=”2″ ]

(1)会社員-恋の媚薬-

会社員

恋の媚薬編

 

俺の友人の一人に、やたら呪術に詳しい奴がいる。

 

そいつの名前はウメコと言うが、男だ。

 

高校生の時、ふざけてつけたあだ名が定着してしまい、脱サラして始めたバーの名前も「ウメコ」だ。

 

仕事帰りの一杯に、初めてチャンミンを誘い、こうして今、『ウメコ』のカウンター席についている。

 

店を入って右手に3メートルほどの長さのカウンターがあるきりの、こぜまい店だ。

 

だから自然と、並んで座るとチャンミンと肩が触れ合わんばかりの距離になる。

 

「なんだか...ワクワクしますね」

 

物珍しそうに店内を見回し、正面の棚にずらりと並ぶ酒瓶の種類に目を輝かせている。

 

その中にトカゲやらヘビやらが漬け込んであるのを見つけて、チャンミンの表情が曇った。

 

オフィスに居る時には見られないチャンミンの表情。

 

眉を上げたり下げたり、口をぽかんとしたり、唇をゆがめたり。

 

まるで百面相だ。

 

しわひとつないシャツ、よく磨かれた革靴。

 

アイロンをかけたハンカチで額の汗を拭いている。

 

この店は暖房がきき過ぎていて、暑い。

 

俺もチャンミンもスーツのジャケットを脱いで、ワイシャツ姿になっていた。

 

清潔に折り目正しく身なりを整えたチャンミンは、きっちりと刈り上げた後ろ髪や7:3に分けて撫でつけたヘアスタイルのせいで、どこか野暮ったく見える。

 

女子社員たちは、こんな堅物そうなチャンミンを誰も相手にしていない。

 

几帳面に書類棚を分類し、誤字脱字にうるさいチャンミンを、陰で馬鹿にしている奴もいるくらいだ。

 

でも、俺は...。

 

カウンターに乗せられた、神経質そうな細い指に自身の指を絡めたいと、思っていた。

 

整髪料で濡れたように光るこの髪が...洗いっぱなしの髪になって、秀でた額を覆うのを見てみたい、と思った。

 

小さく吹き出したら、「ん?」と横を向いたチャンミン。

 

カウンター上で揺らめくロウソクの炎が、チャンミンの顔の凹凸をなめるようにゆらゆら照らす。

 

俺が笑っている理由が分からずきょとんとしたチャンミンの、幼さない印象を与える丸くて大きな目から、目が離せずにいた。

 

俺はこの男が好きだ...と、この夜はっきりと確信した。

 

 


 

 

この春、配属された課でチャンミンと出会った。

 

課員の前で自己紹介した際、一番後ろに立っていたのがチャンミンで、やたら綺麗な顔をしてるなと、まず最初にそう思った。

 

俺より背が高いくせに、それが癖なのか覗き込むように上目遣いなんだ。

 

俺は営業スタッフで、一日の大半が外回りだ。

 

一方、チャンミンは営業事務で、オフィスで俺たち外回り隊のサポートに回っている。

 

得意先からの連絡を正確に聞き取り、見積書の数字の間違いを見つけ、俺の書きなぐった受注書の解読が得意だった。

 

商品名と品番をすらすらと諳んじられるチャンミンは、課内の生きるデータベースだった。

 

チャンミンから業務連絡の電話がくるのを心待ちにしている俺がいた。

 

そう。

 

つまり俺は、チャンミンにいつの間にか恋をしていた。

 

どこに惹かれたのだろう。

 

この時だ、とはっきり言えない。

 

いつの間にか、と言った方が正確だ。

 

 

 

 

アポイントメントがドタキャンされ、午後からの予定がすっかりなくなった俺は、半日早くオフィスに戻った。

 

細い上半身を折り曲げ、猫背になって何か書き物をしていた。

 

俺の気配に気づいて、顔を上げた。

 

後ろに流した前髪の一筋が、はらりとチャンミンの額に落ちた。

 

たったそれだけで、目元に憂いを作った。

 

この時だったかな?

 

瞬時に、こいつの素の顔を見てみたい欲求が生まれたんだ。

 

会社では垢抜けない堅物君を装っているが、プライベートでは違うのかもしれない、と。

 

気付かないうちに、俺はチャンミンのことを日々観察していたらしい。

 

毎日、判を押したようにネイビーのスーツに白シャツ姿なのに、ネクタイが毎日異なっていることに気付いていた。

 

(俺は、ファッションには割とうるさい方だから)

 

課の者たちの目は節穴なのか?

 

男の俺から見てもほれぼれするほど、いい男なのに?

 

 

昼前に帰社した俺に、チャンミンは上目遣いで

 

「ユンホさん。

早いですね」

 

と言った。

 

歳はほとんど変わらないのに、チャンミンは俺のことをさん付けで呼び、敬語での話し言葉を決して崩さない。

 

「堅苦しいんだよ。

もっとくだけた話し方はできないのか?」と言ったことがあった。

 

そうしたら、

 

「ここは職場です。

社会人たるもの、最低限のマナーは必要です」

 

と、言い切った。

 

あまりに自信たっぷりな言い口に、「了解」と答えるしかなかった。

 

内心、「面白い奴だ」と見直した。

 

出張土産に菓子を配った時、課員には1つずつ、チャンミンにはジョークのつもりでひと箱まるごとくれてやった。

 

「僕は甘いものは苦手なんです」

 

「そっか...」とがっかりした顔をしたら、俺の手からそれをもぎとった。

 

「ユンホさんの好意を無駄にするわけにはいきませんから」

 

「でも、甘いものは嫌いなんだろ?」

 

「嫌い、とは言っていません。

どちらかというと辛い物が好きなだけです。

頂戴します」

 

そう言って、休憩時間に丁寧にドリップしたコーヒーとともに(給湯室にチャンミン専用のコーヒーメーカーがあるんだ。ウケるよ)、もぐもぐと俺がくれた菓子を頬張っていて、その後ろ姿を可愛いと思った。

 

 


 

 

チャンミンに近づきたくても躊躇してしまうのは、男同士だからだ。

 

事務椅子に腰かけたチャンミンの膝が内股気味で、「そっち系かな?」と、嬉しがる自分がいた。

 

「ユンホさん。

この得意先、売掛金が3か月溜まっているみたいです」

 

「え、マジで!?」

 

「はい。

経理に確認してみましたから。

だから、注文は受け付けない方がいいかも、です」

 

ファックスで届いたばかりの発注書をひらひらとさせた。

 

どれどれと内容を確認しようと身をかがめた時、同じタイミングで頭を下げたチャンミンと額をゴツンとやってしまった。

 

「いてて」と額をさすりながら顔を上げた時、やはり同じタイミング俺を見たチャンミンと間近で目が合った。

 

真ん丸になった目から目を反らせないままでいると、

 

「ユンホさん...なんですか?」

 

すっと視線を落として、

 

「ジロジロみないでください」と頬を赤くした。

 

 

 

 

俺がチャンミンに惹かれ出した頃の話は、この辺にしておこう。

 

俺が提出した書類の不備をいち早く見つけ、「どこ?訂正するよ」と慌てると、「僕が直しておきました」とくる。

 

礼を言うとついと視線を反らして、つかつかと自分のデスクへ戻ってしまう。

 

その後頭部の髪がはねていたり、ワイシャツの裾がはみ出していたりと、抜けている一面を見つけてしまったりして。

 

俺が言いたいことは、チャンミンが気になる存在だ、ということ。

 

おでこゴッチン事件を契機に、チャンミンは俺と目が合うたび耳を赤くする。

 

「ユンホさん!

字が汚すぎます!」

 

「悪い。

書き直すよ」

 

手を伸ばすが チャンミンは手渡さない。

 

「僕が直しておきましたから。

ユンホさんの字を読めるのは、僕だけですね」

 

「え?」

 

「毎日見てたら、自然とそうなるに決まってるじゃないですか!」

 

「......」

 

「なんですか?

何か変なコト、言いましたか?」

 

「いいや、全然」と首を振った。

 

変なコトどころか、嬉しいコトだよ。

 

そして俺は、誘っていた。

 

「今夜...飲みに行かないか?」

 

実はその日、朝から誘うタイミングをはかっていたんだ。

 

「面白い店があるんだ。

あ...もしかして飲めない、とか?

今夜だなんて急だよな、予定有るよな?

いいよ、また今度で」

 

無言で突っ立ったままのチャンミンの様子に、耐えきれなくなって俺はそそくさと結論づけてその場を立ち去ろうとした。

 

同僚を飲みに誘う程度のことで、どうしてここまで緊張するんだよ。

 

意識しすぎだろ。

 

「悪ぃ、今夜は無理だわ」「じゃ、またな」なんてやり取り、当たり前のことじゃないか。

 

第一印象通り、チャンミンはどちらかというと内向的なキャラで、声が大きく賑やかな営業部内で浮いている。

 

オンオフのけじめをはっきりつけてそうなキャラだと判断していた。

 

プライベートな時間まで、顔を出したら駄目か...と諦めた。

 

「行きます」

 

「え?」

 

予想もしない返事に、俺はゆっくりと振り返った。

 

「いいの?」

 

「もちろんです」

 

小首をかしげたチャンミンが、可愛らしく見えた。

 

 

 

[maxbutton id=”22″ ]

[maxbutton id=”23″ ]

[maxbutton id=”2″ ]

保護中: 会社員

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

最終話「抱いて」とねだった罪

 

共にマットレスに崩れ落ちた。

 

呼吸のたびに僕らの湿った身体が大きくしなる。

 

息が整うまで、僕はしわくちゃになってしまったシーツに頬をくっつけていた。

 

ユノは僕の背中にのしかかったまま、胸に腕を巻きつけたまま離れてくれない。

 

「ユノ...重いです」

 

「んー...」

 

「ユノ...抜いてください」

 

「悪い!」

 

ずるんと引き抜かれる瞬間、少しだけ変な声が出てしまい、それを苦痛のものを勘違いしたユノ。

 

「ごめん、痛かったか?

痛かったよな?」

 

まるで僕が転んで膝を擦りむいた小学生みたいな心配の仕方をするから、可笑しくって吹き出しそうになる。

 

笑いを堪えてくっくっと肩を震わせていたのを、やっぱり痛みを堪えている様に勘違いしたユノ。

 

「ごめんな?

冷やした方がいいよな?

ちょっと見せてみろ?」

 

ユノったら、僕のお尻を覗き込もうとするから、我慢も限界で大きく吹き出してしまった。

 

「なんだよ?」

 

ユノはむすりとした表情で、僕の真正面で胡坐をかいた。

 

「ユノが過保護で面白いのです」

 

「悪いか―?」

 

「悪くないですよ。

もっと可笑しいのは、

指を包丁で切っちゃったとか、すねをぶつけてしまったり...じゃなくて、僕の場合は、お尻の穴、だなんて...ぷぷっ!」

 

「そこ、笑うとこか?」

 

「面白くないですか?」

 

「哀しき男同士...って奴か?」

 

ユノは僕のお尻をあごでしゃくって、「そんなことより、平気なのか?」と僕に訊く。

 

「平気です」

 

じんじんと熱を帯びていたけれど、なんて甘やかな痛みなのだろう。

 

幸せ過ぎてじわっと涙が浮かんでしまい、慌てて涙を拭ったところをユノに見られてしまって、

 

「チャンミーン。

ったく、泣くほど痛いんだろう?

よし、こっちにこい。

頭を撫ぜてやるから」

 

力づくに頭を引き寄せられ、ぐしゃぐしゃと髪を撫ぜられた。

 

「...っ...ユノぉ...」

 

ユノの裸の胸を涙で濡らし、ユノの逞しくて頼もしい腕に肩を抱かれ、もっともっと幸福感に満たされた。

 

「...なあ、チャンミン」

 

「はい」

 

ユノの低い声が、胸を伝って僕の耳にダイレクトに響いてくる。

 

「チャンミンは、俺の『彼氏』だ。

...そう思って、いいんだよな?」

 

「大歓迎です。

ふぅ...よかった」

 

「よかった、って何が?」

 

「俺の『彼女』って言われずに済んで」

 

「チャンミンは男だろ?

『彼女』なわけないじゃん。

ま、『彼女』みたいな感じだけどな、ははっ」

 

「ひどいですねぇ。

ま、そう思われても仕方がありませんけどね。

僕の『彼氏』はユノです。

『ユノが彼氏』って言うとしっくりくるんですよねぇ。

男らしさの差ですかね?」

 

「なんだっていいさ。

でさ、

チャンミンは、親友でもあるわけ」

 

「はい。

僕の親友はユノです」

 

「俺たちは親友だけど、今みたいにセックスもするの」

 

「そうなんですよねぇ。

ユノは親友でもあるし、恋人でもあるのです」

 

「親友でもあるし、恋人でもある...か。

凄いなぁ...」

 

ユノは何度も「凄いなぁ」とつぶやいた。

 

ユノの胸に預けていた頭を起こしたのは、彼の顔を見たくなったから。

 

射し込む朝日に照らされた、陶人形のようなユノの顔の凹凸。

 

まぶしそうに細めたまぶたの下で、黒より黒い眼がきらりと光っている。

 

ぞくぞくするほど綺麗だった。

 

痩せたみたいだから、何か美味しいものを食べさせてやらないと。

 

「はあぁぁぁ」

 

低くて深いため息とともに、ユノの頭ががっくりと折れて、僕は慌てた。

 

「ユノ...?」

 

「よかった...本当によかった」

 

「え?」

 

「チャンミンに、好きだと言われて、ほんっとうに嬉しかった」

 

普段はクールな印象の方が強い目元だけど、笑うと一気に幼くなるユノ。

 

「チャンミンに好かれていることは知ってたけど...こんだけ一緒にいるんだ、好きじゃなきゃ友達やってられないだろ?

そこに、恋愛感情込みの好きが加わったんだぜ?

すげぇ、嬉しいよ」

 

「僕も嬉しいです。

返事が遅くなってすみませんでした」

 

「その通りだよ。

遅いのなんのって。

...ってのは冗談。

本当はもっと時間がかかると予想してた。

あんなことがあったんだし。

俺はいつまでも待つつもりだったよ」

 

「ユノ...」

 

「そのつもりでいたら、まさかの『抱いてください』爆弾発言だぞ?

チャンミン...お前って奴は!って。

ビックリしたけど、お前がどんな奴なのか俺はよく知ってるから。

4年もそばにいたんだからな。

キレる前に、お前の話を最後まで聞こうと思ったんだ」

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして。

お!

腹が減ったよな?

何か食べに行こうか?」

 

ユノはベッド下に散らばる僕らの服を手繰り寄せては、僕に放ってくれる。

 

広い肩から細いウエストへと繋がる線と、腕の上げ下ろしで浮かび上がる肩甲骨に見惚れていた。

 

ユノ。

 

僕の親友。

 

そして、僕の恋人。

 

 


 

 

「男女間に友情は成立するのか?」

 

これまで、命題のように何度も耳にしてきたこの言葉。

 

女の人を好きになることなどあり得ないし、女の人の友人なんて存在しなかったから、僕には関係のない言葉だった。

 

でも、ユノに対して抱いている感情の正体にやっとで気付いた今となると、「友情は成立するか」の問いにNOと答えたくなる。

 

恋愛感情を差し挟んだりしたら駄目だって、無意識に自制していたんだろうな。

 

常に恋をしていた僕だから、恋愛中のふわふわした感覚は何度も経験済み。

 

そんな浮かれた状態になってしまうんだから、ユノに恋愛感情を抱いた時点で、ユノとはこれまで通りにいられなくなる。

 

それは困る。

 

ユノの側にずっといたいし、からかったりからかわれたり、アドバイスしたり慰めてもらったり、意見の不一致で喧嘩したり仲直りしたり...そう、とにかくいろんな感情を彼と共有したかった。

 

ユノに恋してしまったら、恋愛感情がこれらの心温まるやりとりの意味合いがゆがめられてしまいそうで。

 

例えばユノからの忠告を素直に受け取られなくなったり、感情的にむきになって、キツイ言い方をされれば、嫌われたんじゃないかと不安になる。

 

それも困る。

 

でも、大丈夫だ。

 

僕らは両方を兼ね備えた仲なのだ。

 

ひとことでは説明しきれない関係。

 

「親友」だけじゃ足りない。

 

「恋人」だけでも足りない。

 

親友以上の、恋人以上の関係だ。

 

僕と同じくらい好きでいてくれたら嬉しいな。

 

そうだってこと、知ってるけどね。

 

 


 

 

「教科書って、なんでこうも高いんだろ?」

 

「さあ。

出版部数が少ないから、価格設定がどうしても高くなっちゃうんじゃないですかね」

 

「著者の教授がぼろ儲けをたくらんでいるとしか思えんな、俺には」

 

「あっ!」

 

ぐいっと腰を引き寄せられて、僕は驚きの悲鳴をあげてしまった。

 

すれ違う学生たちの視線を感じ、かっと熱くなった顔を伏せてしまう。

 

「気にすんな。

見せつけてやろうぜ」

 

僕らはカフェテリアへと続く構内の道を歩いていた。

 

恥ずかしくって身体を離そうとしたら、腰を抱くユノの腕に力がこもった。

 

「俺たちはずっと一緒だっただろ?

ホモなんじゃないかって、もともと噂されてたんだし。

今さら何照れてんだ、チャンミン?」

 

「えっと...僕は構いませんが、ユノの方が困るんじゃないかと...?」

 

僕といない時は、女の子たちの肩を抱いていたユノ。

 

今みたいに腰を抱いたり、人目のない隙にキスをしたり、ユノは僕らの関係を隠すつもりが全くないようだった。

 

新学期が開けた途端、男の僕といちゃいちゃしだしたから、周囲からひそひそと噂されてユノが困ると思ったのだ。

 

「俺はね、恋人とは正々堂々とイチャイチャする派なんだ。

今の恋人はチャンミンだから、イチャイチャして当たり前だろ?」

 

「『今の』ってどういう意味です?

じゃあ、今じゃなくなったら、次は誰なんですか?」

 

睨み目の僕に気付いてユノは、僕の耳元で囁いた。

 

「わざと言ってみた。

チャンミンがヤキモチを妬くかなぁ、って」

 

「ユノ!」

 

「あはははは。

安心しろ」

 

僕らは立ち止まった。

 

新入生のはしゃぐ声、カフェテリアから漂う食べ物の匂い、ポカポカとした陽気。

 

18歳の春、僕らは出逢った。

 

遅刻ぎりぎりで教室に駆け込んだ僕は、空いている席を探していた。

 

たまたま座った席がユノの隣だった。

 

出席カードと引き換えに、辞書とノートを貸してあげたんだった。

 

正反対な僕らだったけど、異常なくらい気が合って、いつも一緒だった。

 

もう4年になるのか。

 

ずっと見ていたから気付けずにいたけど、頬のラインがシャープになって男らしさが増したユノの顔。

 

「チャンミンに告白した日のことを覚えているか?」

 

「もちろん」

 

「俺はずっと、ずっとこの先も、ずっと。

チャンミンが好きだって、何度でも言うって。

約束しただろ」

 

「...はい」

 

「つまり...そういうことだ。

だから安心しろ、な?」

 

「はい。

ユノのユノはチャンミン専用です」

 

「覚えてるのはそこの部分だけか?」

 

「あはははは」

 

 

(おしまい)

 

[maxbutton id=”26″ ]

[maxbutton id=”29″ ]

[maxbutton id=”23″ ]