(6)抱けなかった罪

 

チャンミンとの試験勉強は、楽しかった。

 

進級すれば受講すべき講義も減り、研究室でのゼミや卒論研究でお互い忙しくなる。

 

俺をなだめすかしながら、試験勉強をする機会も減るんだな。

 

惚れた腫れたにうつつを抜かす生活から、卒業すべき時期を俺たちは迎えようとしていた。

 

 

 

 

試験最終日、ファミレスのテーブルをチャンミンと囲んでいた。

 

「...で、チャンミンはどこにするんだ?」

 

俺の場合、希望研究室はとっくに決まっていた。

 

用紙には、第2希望まで記入する欄がある。

 

第1希望が定員オーバーになった際は、第2希望に回されることもあるらしい。

 

俺の希望するところは、基礎研究寄りで派手な実験をすることは少なく、ひたすら文献を読み漁る地味な研究室だ。

 

バイトやサークルの時間も大事だった故の選択だった。

 

応用研究を行うところの人気は高いそうだから、第1希望で決まるだろう。

 

一方、チャンミンの用紙は真っ白だった。

 

「おい...、まだ決まってないのか?」

 

「うん...」

 

「提出期限は迫ってるんだぞ?」

 

チャンミンの料理は手をつけられないまま、冷めていく。

 

「分かってますって...。

...S君と同じとこにしようかな...」

 

「アホか!」

 

俺は声を荒げていた。

 

「いい加減にそういうところ、直せよ!

自分の将来を決める時だろう?

恋愛を差しはさむなよ!」

 

チャンミンに対して、腹が立った。

 

「...ユノ...」

 

目を見開いて固まるチャンミンに気付いて、俺は一息ついて苛立ちを落ち着かせる。

 

「チャンミン...。

男に合わせるんじゃなくて、自分の意志を大事にしろ。」

 

「そんな風だから、彼らは振り向いてくれないんだ」とは言えない。

 

「だって...」

 

「お前は、何をしたいんだ?」

 

「...わからないんだ」

 

チャンミンはうつむいて、ぽつりとつぶやく。

 

俺はチャンミンが話しやすいよう、頷くだけにとどめた。

 

「僕ったら馬鹿だよ。

4年間、一体何をしてきたんだろ。

恋にうつつを抜かしてばかりで、気付けば、何がしたかったのかも見失ってました」

 

「その通りじゃないか」なんて口が裂けても、チャンミンに言えない。

 

真面目で勉強ができるくせに、肝心な目標は定まっていなかったチャンミン。

 

『で、ユノはどうしたいのです?』と問うくせに、チャンミン自身があやふやでどうする?

 

チャンミンの4年間とは、恋愛がらみのことで消費するだけのものだったんじゃないかと、呆れたこともあった。

 

けれど、チャンミンに呆れる俺は何様なんだ。

 

俺の方こそ、性欲に任せて女の子をとっかえひっかえ、数をこなすだけの馬鹿野郎だ。

 

俺の4年間は、ひたすらチャンミンの側に居続けた事実が、全てだ。

 

十分じゃないか。

 

余白にびっしりと手書きの文字が並んだ、執念すら感じられたドイツ語の辞書。

 

あれを目にした瞬間、「お、こいつやるな!」って興味をもった。

 

ぞっとするほど怖い目をするくせに、言動はふわふわと危なっかしかった。

 

ちゃんとチャンミンがついてきているか、俺は何度もふりかえった。

 

そんな4年間だった。

 

 

 

 

「提出まで一週間あるからさ。

いくらでも相談にのるよ」

 

うつむくチャンミンの顔を覗き込んで、俺は彼の頭に手を置いた。

 

「初めからやりたいことが決まっている奴は少数派だと思う。

何かしらやっているうちに、自分に向いてることが分かってくるんだって。

な?」

 

チャンミンの目尻に、涙が今にもこぼれ落ちそうに溜まっていた。

 

指を伸ばして、チャンミンの涙を拭ってあげたかった。

 

触れかけた指を、俺は引っ込めた。

 

第2ボタンまで開けたシャツの衿から、細くて長い首が伸びている。

 

今触れたら、ここがファミレスだってことを忘れて、チャンミンの頬を包んでキスしてしまいそうだった。

 

代わりにチャンミンの肩を叩いて言う。

 

「食わないのなら、俺が貰うぞ?」

 

「ああっ!

それは困ります!」

 

真っ赤な目をしたチャンミン。

 

男相手におかしな心理だが、チャンミンを守ってやらないと、と思った。

 

惚れやすく危なっかしいチャンミン。

 

俺が側にいてやれる間だけでも。

 

 


 

 

俺の部屋で酒でも飲むかと意見が一致して、俺たちはファミレスを出た。

 

アルコール類を大量に買い込んだコンビニの袋が重かった。

 

「...で、どうだったんだ?」

 

チャンミンがなかなか話題にしないから、しびれを切らした俺の方から尋ねた。

 

先週のうちに、チャンミンはSと初デートを済ませていたはずだ。

 

いつ報告するのかと、気になって仕方がなかった。

 

「んー...」

 

歯切れが悪いチャンミン。

 

「何かやらかしたのか?」

 

「全然。

ユノに言われたように、おとなしくしていました」

 

「楽しかったか?」

 

俺は立ち止まって、後ろを歩くチャンミンをふり返った。

 

チャンミンは俺の問いに答えず、何か言いたそうな目で俺を見つめている。

 

「どうした?」

 

「...ねえ、ユノ」

 

「ん?」

 

「何回目のデートで、最後までいくものですか?

ほら、僕ってば付き合った経験がないでしょ。

わからないんです」

 

「Sに何かされたのか?」

 

俺は引き返して、チャンミンの腕をつかんだ。

 

「されてません...けど」

 

前髪が冷たい夜風に流され、秀でた額が露わになった。

 

 

「痛いかな」

 

「は?」

 

「ユノ、詳しいでしょ?

そっち方面は?」

 

「はあ...」

 

俺は膝に手をついて、深いため息をついた。

 

突然、何を言い出すかと思ったら。

 

「あのな、俺に聞いてどうする?

俺は男とヤッたことはないんだ。

知り合いにそっち系の奴はいないのか?

そいつに訊けよ」

 

「それができないから、ユノに聞いてるんだって」

 

「聞けないって、どうして?」

 

「そういうコミュニティに参加していませんし、

学校じゃ僕は気持ち悪がられてるし。

ユノだけなんです。

普通にしてくれてる男子は。」

 

「チャンミン...」

 

立ち尽くすチチャンミンのなで肩を抱いた。

 

手の平に感じる肩の弾力に、そっか、チャンミンは男なんだと実感する。

 

柔らかさとは無縁の、骨ばった固い身体。

 

「俺に訊かれてもなぁ...経験がないからなぁ...。

よし。

リサーチしてきてやるよ。

それでいいだろ?」

 

その瞬間、俺はハッとした。

 

身体が一気に冷えた。

 

そうだった。

 

その気のある男同士がくっつけば、そういう展開になるのが普通だ。

 

意識が遠のくほどの胸の痛みを感じた。

 

いつまでも誰のものにならなかったチャンミンに、俺は長い間、安心しきっていた。

 

玉砕するチャンミンを慰めるそばで、安堵のため息をついていたのだ。

 

「Sは経験豊富だから、Sに任せればいいことだ」

 

心と裏腹なことを言った。

 

「ユノ...」

 

「ん?」

 

コートの袖を引っ張られた。

 

「ユノ...。

お願いがあるんだけど」

 

「今度は何だよ?」

 

 

「僕のバージンをもらってくれないかな?」

 

「え?」

 

俺はフリーズした。

 

 

[maxbutton id=”26″ ]

[maxbutton id=”22″ ]

[maxbutton id=”2″ ]

(5)抱けなかった罪

 

「ユノ。

チャンミンって、どんな奴?」

 

事務所兼倉庫で遅い昼食をとっていると、休憩時間が重なったSが話しかけてきた。

 

「性格、はいい」

 

Sは筋骨たくましいスポーツマンタイプの男だ。

 

彫の深い顔は、面食いなチャンミンが惚れるのも納得だった。

 

チャンミン...今回の恋のお相手はマッチョか...いかにも分かりやす過ぎるよ。

 

これまでの相手は、一人を除いてストレートだったから、玉砕して当然か。

 

「性格『は』ってどういう意味だよ」

 

笑うS。

 

「明後日、チャンミンと会うんだ」

 

「らしいね」

 

「なんだ、知ってるのか」

 

「ああ」

 

「チャンミンって可愛い顔してるんだよなぁ。

お前たちいつも一緒にいるだろ?

あの子によろめかないのが不思議だよ」

 

「俺には彼女がいるし、

男なんか好きになるかよ」

 

嘘だ。

 

「前カレと別れて2か月は経ってるからな、デートは久しぶりだ」

 

「チャンミンのこと...傷つけるなよ」

 

つい言い方がマジになってしまった。

 

俺の真顔にSは驚いたようだった。

 

「傷つけるもなにも、まだ付き合うとは決まってないじゃん」

 

「それもそうだな」

 

笑って誤魔化した俺は、甘ったるいだけの缶コーヒーをぐびりと飲みこんだ。

 

 


 

 

10日後。

 

後期試験を終えたばかりの俺たちは、ファミレスに移動し、その日配布された用紙をテーブルに広げていた。

 

俺たちの学部は5年生に進級する際に、いずれかの研究室に所属することになっている。

 

俺は危なっかしくも、必要単位をひとつも落とすことなく、無事進級できそうだった。

 

チャンミンのおかげだ。

 

試験前、チャンミンは俺の部屋に泊まり込んで、試験のヤマを張ってくれた。

 

チャンミンは何を目指しているのかあやふやなくせに、成績は優秀だった。

 

俺の方は、バイトにサークルにと忙しく、講義をサボることはほとんどないが、苦手な科目はやっぱり苦手だ。

 

「チャンミン...お前の背中を貸してくれない?」

 

「へ?」

 

「席は俺の前だろ?

公式を全部、チャンミンの背中に書いておくの。

試験中のお前は、Tシャツをめくってくれればいいだけ...って。

...いってぇなぁ!」

 

俺はふくれて、チャンミンに叩かれたおでこをこすった。

 

「カンニングはいけません!」

 

「カンニングでもしなきゃ、突破できない...無理」

 

テーブルに額をこつこつと打ちつける俺は、物理系が苦手科目だ。

 

「苦手なくせに、どうして選択したんですか?」

 

「チャンミンと同じにしておけば、提出物も試験も楽できるから」

 

「追試になれば、もう一度試験勉強する羽目になるんですよ!

追試だけは嫌だ、って言ってるのはユノでしょ?」

 

説教した後、ふんと嘆息したチャンミンは

 

「彼女とイチャイチャする時間が減っちゃいますよ。

...ユーノ!

その公式じゃありません、これです。

...はい、よろしい」

 

机に向かう俺の肩越しに、ノートをのぞき込むチャンミン。

 

端正な横顔が間近に迫っている。

 

チャンミンは男が好きな質だと知っているせいだ。

 

長い首やぽつんと目立つホクロ、参考書を指し示す指や手首の細さに色気を感じてしまった。

 

なぜか?

 

チャンミンが裸になって抱きあいたいのは男で、男の俺はいつでもそのお相手になり得るから。

 

チャンミンの目には、俺を単なる友達としか映っていないかもしれない。

 

俺が異性に対して欲を持つのと同じように、男に抱かれたい欲をチャンミンは持っている。

 

チャンミンにとって俺は、性の対象なのだ。

 

そのことに興奮を覚えしまって、欲が灯る熱い視線をチャンミンに向けてしまう理由になった。

 

いつからか。

 

「なんですか?

ジロジロ見ないで下さいよ。

恥ずかしいです」

 

凝視する俺に気付いて、かがんでいた上半身を起こしてしまった。

 

耳も首も赤くなっていて、嬉しく思う俺がいた。

 

よくもまあ、いくつも考えつくものだと自分でも感心するくらい、俺はあれこれ試験突破法を挙げてきて、その1つ1つを一蹴するチャンミン。

 

「チャンミン...俺の替え玉になって」

 

「は?」

 

「俺の代わりにチャンミンが受けるの」

 

「じゃあ、僕自身の試験はどうするんですか?」

 

「俺が受ける」

 

「僕の成績がガタガタになっちゃうじゃないですか!?」

 

「ひどいなぁ。

そこまで馬鹿じゃねぇよ!」

 

「ふふふ。

分かってますよ、冗談です。

ユノは、得意科目は満点をとりますからねぇ。

得意と苦手の差が大きいだけです。

それに引きかえ僕ときたら...」

 

チャンミンはとびぬけて得意な科目も、絶望的に不得意な科目もない代わりに、まんべんなくまあまあ優秀、といった感じ。

 

俺はため息をつく。

 

「これが解けたら、アイスを奢ってあげるよ」

 

「やった!

ユノ、だーい好き」

 

チャンミンは、俺の首に腕を回してハグした。

 

ドキンと心臓がはねて、カッと耳が熱くなるのが分かった。

 

やすやすと女の子を押し倒す俺が、男のハグで中学生になってしまう。

 

頼むからチャンミン、俺にくっつかないで。

 

俺は我慢してるんだ。

 

深夜過ぎ、狭い部屋で顔つき合わせているのだって、キツくなってきてるんだ。

 

「そもそも、なんで俺がお前にアイスを奢らなくちゃならないんだよ。

ご褒美をもらうのは俺の方だろう?」

 

「えへへっ」

 

左右非対称に細めた目が、あどけなく可愛らしかった。

 

なぁ、チャンミン。

 

お前の言う「大好き」に、恋愛感情は少しでも含まれているのか?

 

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”26″ ]

[maxbutton id=”19″ ]

[maxbutton id=”23″ ]

(4)抱けなかった罪

 

 

「もしユノが彼氏だったら、嫌だな」

 

寝てしまったと思ったチャンミンが、ぼそりとつぶやいた。

 

「え?」

 

俺は、仰向けになったチャンミンの方をふり返った。

 

「もし、僕がユノの恋人だったら、

他の男子が、ユノの部屋を出入りしてたら嫌です。

男子でも女の子でも、どっちも嫌です。

ユノは女の子が好きな人だから、男子とどうこうなるってことはないでしょうけどね。

僕目線だと、そう思ってしまいます」

 

「......」

 

「ユノにとって、僕は男友達ですけど、

ユノの彼女にしてみたら、僕は女子みたいなものでしょう?

だって、僕は男の人が好きですから。

彼女たちにとって僕はいつだって恋のライバルになり得るわけです。

ま、ユノが男の僕とどうこうなんてあり得ないでしょうね」

 

あり得るに決まってるだろ?

 

口に出したかったけど、そうしなかった。

 

チャンミンを驚かせてしまう。

 

「あり得ないでしょうね」のチャンミンの言い方が、本心そのものだったから。

 

チャンミンは俺の恋心に全く気付いていない。

 

「急にどうしたんだよ?」

 

「S君の恋人になった時のことを想像してみました。

S君のアパートに行くようになりますよね。

で、S君の男友達とやらがしょちゅう出入りしてたら、

めちゃめちゃ嫌だなぁ、って」

 

「...なるほど」

 

「S君がバイだったら、女友達に対してもヤキモチを妬かなくちゃいけなくなって...はぁ、大変です」

 

交際していた彼女たちは皆、

 

「ユノ君っていつもあのオカマと一緒にいるよね。

大丈夫なの?

言い寄られてきたりしていない?」

 

と、チャンミンのことを小馬鹿にしていた。

 

「オカマなんて言うな」

 

いつも優し気だった俺の気色ばんだ声に、彼女たちは怯んだ。

 

 

「せっかくユノのことを好きになってくれた子たちです。

大事にしなくっちゃ。

僕も、ユノの部屋に来るのを控えます」

 

仰向けだったチャンミンが寝返りを打って俺の方を見た。

 

とろんとしたまぶたの下で、チャンミンの瞳が鋭く光っていた。

 

「ユノって...

『来るもの拒まず、去る者追わず」主義でしょう?」

 

「......」

 

「それって...寂しいなぁ」

 

すると、チャンミンの手が伸びてきて、俺の耳を引っ張った。

 

「チョンユンホ。

絶対に手放したくない子がいたことありましたか?」

 

「え...」

 

「ユノ

自分をもっと大事にしてください。

ユノはかっこいいから、女子たちが寄ってきて当たり前です。

そんな子らに、いちいちユノをあげてたらきりがありませんよ」

 

「......」

 

「今言った『ユノ』って、ユノのムスコのことですよ。

通じました?

アハハハ」

 

チャンミンは、俺の耳を引っ張っていた手を放した。

 

「恋愛経験のない僕に、こんなこと言う資格ないんだけどね」

 

そこまで言うとチャンミンのまぶたは閉じてしまい、しばらくすると寝息が聞こえた。

 

俺の右耳がジンジンと熱かった。

 

チャンミンの言葉は、俺のウィークポイントを正確に捉えていた。

 

俺に好意を抱いてくれる彼女たちは、俺の自尊心と性欲を満たしてくれるだけの存在だ。

 

俺の周りでひらひらと舞い、俺という蜜を吸いに集まる蝶のようだ。

 

俺のことが好きだと甘い言葉を吐き、数度むさぼれば、他の花へと飛び去ってしまう。

 

俺も飛び去る蝶は追いかけない。

 

そして、次の蝶がとまるのを待つだけだ。

 

チャンミンが指摘する通り、むさぼられていたのは、俺の方だったかもしれない。

 

彼女たちは、俺というアクセサリーが欲しかっただけだ。

 

だから、あっさりと俺から離れていってしまうんだ。

 

軽くいびきをかいて眠るチャンミンの肩に、タオルケットをかけてやった。

 

チャンミンの寝顔を見ながら、俺は思う。

 

片想いばかりのチャンミン。

 

チャンミンが好きになるやつは、振り向いてくれない。

 

俺も片想いだ。

 

ふりかえればすぐそばに俺がいるのに、チャンミンは気づかない。

 

「好き」の一言が、チャンミンに伝えられない俺は臆病者だ。

 

俺は、恋愛ごっこに興じているだけの醒めた男。

 

軽々しく自分の身体を、彼女たちに差し出す軽い男。

 

全力で恋をするチャンミンに、こんな俺はふさわしくない。

 

恋愛に慣れていないのは俺の方だ。

 

 


 

 

「おい!」

 

チャンミンの肩を揺さぶった。

 

「チャンミン!起きろ」

 

飲んだ後、チャンミンが俺の部屋で寝てしまうことは、しょっちゅうだった。

 

「う...ん」

 

「チャンミン、帰ってくれ。

もうすぐ彼女が来るんだ!」

 

「えぇぇっ!」

 

がばっと、チャンミンは飛び起きた。

 

「チャンミン、ごめんな」

 

「気にしないでください!」

 

チャンミンは、自分が使ったグラスを手早く洗うと、髪を直す間もなく、

 

「じゃあね」

 

と、俺とお揃いのバッグパックを背負って部屋を出て行った。

 

チャンミンが帰った15分後に年下の彼女がやってきた。

 

小柄で目の大きい、可愛い子だ。

 

チャンミンの下腹の記憶がちらついて、俺はムラムラしていた。

 

観始めた映画の終わりまで待てずに、俺は彼女のうなじを押えて唇を奪う。

 

ブラウスをまくしあげ、彼女の胸を揉みしだく。

 

「いやいや」と言いながらも、彼女もその気満々だ。

 

ところが、熱っぽく俺を見上げる彼女の眼を見た瞬間。

 

俺はスカートの中に差し込んだ手を、引き抜いた。

 

沈黙。

 

熱い雰囲気が一気に冷えたことに、あっけにとられる彼女から俺は顔をそむけた。

 

 

萎えてしまっていた。

 

俺は一体、何をしてる?

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”26″ ]

[maxbutton id=”22″ ]

[maxbutton id=”23″ ]

(3)抱けなかった罪

 

俺たちは週に1度は、居酒屋に行くかどちらかの部屋で飲んでいた。

 

うまそうにグラスを空けるチャンミンを眺めながら、とりとめのない会話を交わす時間を気に入っていた。

 

他の男友達には見栄が邪魔して告白できないような内容も、チャンミンが相手なら暴露できた。

 

チャンミンは俺の話を相づちをうちながら最後まで聞くし、的確なアドバイスもくれる。

 

「で...結局ユノは、どうしたいのですか?」

 

チャンミンの口癖だ。

 

チャンミンのこの言葉に、何度気付かされることがあったことか。

 

俺の部屋から出るチャンミンと、付き合ってた彼女が鉢合わせになることはしょっちゅうで、チャンミンが男でよかったと胸をなでおろしていた。

 

彼女たちが男のチャンミンを見て誤解するはずがないのに。

 

彼女たちに対して後ろめたい気持ちを抱いてしまうのは、俺の恋心のせいだ。

 

異性に対するような想いを、同性のチャンミンに抱いている。

 

チャンミンの方はそんなつもりは全くなくても、俺の方はそんなつもりだ。

 

まるで異性に対するみたいな気持ちを彼に抱いている。

 

「ベッドの下に、女の子のパンツが転がっていそうで怖いですねぇ」

 

ベッドの下を覗き込むチャンミン。

 

「パンツ履かずに帰る子がいるわけないだろ」

 

「それもそうですね」

 

俺たちは、100%グレープフルーツジュースで割った焼酎を飲んでいた。

 

「で、ビックニュースってなんだよ?」

 

「うふふふ」

 

チャンミンは両手で口を覆い、その指先から半月型になった目が覗いている。

 

「S君と...デートすることになったのです!」

 

「......」

 

一瞬の間があいてしまった。

 

チャンミンは目をキラキラさせて俺の反応を待っている。

 

「やったじゃん」

 

薄目に割った焼酎を飲み込んでから、ようやく言った。

 

「あーもー、どうしよう!」

 

チャンミンは伸びをするように両腕を万歳して、ベッドに後ろ向きに倒れこんだ。

 

「おい、へそが見えてる」

 

トレーナーがめくれあがったせいで、チャンミンの下腹が覗いて、即座に目をそらす。

 

男のへそを見ただけなのに、俺の胸がカッと熱くなった。

 

「おっと失礼。

見苦しいものを見せてしまいました」

 

チャンミンは起き上がると、デニムパンツのウエストを引き上げた。

 

チャンミンのへそが隠れてほっとした俺は、どぎまぎしている気持ちを誤魔化そうと、チャンミンのグラスに焼酎を追加してやった。

 

女の子のものとは全く違う、余分な脂肪の全くない固く平らな腹だった。

 

「何着ていこうかなぁ。

ねえ、ユノ。

どんなファッションがいいと思います?」

 

酔いが回っているせいもあるだろうけど、紅潮したチャンミンの頬はつやつやしていて、思わずつねってやりたくなる。

 

「そうだなぁ...」

 

俺は、チャンミンの全身を上から下へ一往復見る。

 

「いつもと同じでいいんじゃないかな」

 

「そう?

ありのままの僕でいいってことですね」

 

「ポジティブに捉えすぎるなよ、チャンミン。

気持ちは半分くらいに抑えるんだ。

Sがドン引きするからな」

 

「分かってまーす」

 

俺は頬杖をついて、全身で喜びを溢れさせるチャンミンを無言で観察していた。

 

笑顔がピカピカに光っていた。

 

そして、チャンミンが可愛い、と思った。

 

「S君が、僕の初彼氏になりますね」

 

「気が早い奴だなぁ」

 

「S君と付き合うようになったら、ユノと遊ぶ時間が減っちゃいますね」

 

「お前といない分、俺も彼女といる時間が増える」

 

ふんと鼻で笑いながらも、俺の胸はきしんだ。

 

「そうなりますね。

お互いよかったですね」

 

「...全くだ」

 

 

嘘だ。

 

これまで俺は、チャンミンの恋路を本気で応援していた。

 

白衣の彼の時も、その次のコンパで知り合った年下の他大学生の時も。

 

応援できたのはここまでだ。

 

その次のパソコン教室の講師のあたりから、俺はおかしくなった。

 

チャンミンの恋が実らなければいい、と願う気持ちが湧いてきた。

 

恋焦がれる眼差しで、チャンミンに見つめられたいと望むようになった。

 

チャンミンに熱烈に想われたかった。

 

 

チャンミンとSとを橋渡しをしたのが俺。

 

Sとは科が違ったが、バイト先が一緒だったこともあって、わりと親しくしていたからだ。

 

テーブルに伏せた携帯電話が、震えた。

 

「ユノ...出た方がいいんじゃないですか?」

 

夕方から30分おきに着信があった。

 

「はぁ」

 

俺はボタンを長押しして電源を切った。

 

「ユノ?」

 

「このまま放っておけばいい」

 

「ひどいですねぇ。

T短大の子?

それとも2年生の子でしたっけ?」

 

「T短大の子が前カノ。

で、2年生の子が今カノ」

 

「同時進行じゃないですよね?」

「俺は二股はかけない主義なんだ」

「前カノと未だ連絡とってるのですか?」

「まさか!

一度別れた相手とは、連絡はとらないよ」

 

しつこく電話をかけてくるのは前カノだった。

 

「ユノは女の子にだらしない男に見えるのに、妙なところでケジメをつけてるんですね」

 

「だらしがないとは、聞き捨てならないね」

 

「ごめんごめん、そうでした。

ユノの場合、長続きしないだけだったよね。

あー、飲み過ぎたかも、です」

 

チャンミンは、またベッドに仰向けになってしまった。

 

チャンミンはほぼ一人で、焼酎1本を空けていた。

 

チャンミンは酒に強かった。

 

チャンミンは黙ってしまい、俺は無言でグラスを口に運んでいた。

 

チャンミンといるときは、何時間だって沈黙は怖くない。

 

交際中の彼女と一緒の時は、そういう訳にもいかないから気を遣って疲れることもある。

 

俺は彼女がいる時は、その子としかヤらない。

 

他の子がよくなったら、その子と別れる。

 

彼女がいないときは、誘われれば成り行きに任せてヤッた。

ことの後、相手が彼氏もちだとわかった時は、一気に醒めた。

 

チャンミンの存在が大きいくせに、軽々しく彼女たちと関係を持つ自分を軽蔑していた。

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”26″ ]

[maxbutton id=”23″ ]

(2)抱けなかった罪

 

俺とチャンミンは第二外国語にドイツ語を選択していた。

 

講義開始5分前に席について、バックパックから教科書や筆記用具を取り出す。

 

追試ほど時間を無駄にするものはないと考えているから、サボる学生が多い中、俺は遅刻も欠席もせず真面目に受けていた。

 

(しまった!)

 

辞書を忘れてきていた。

 

家を出る30分前まで彼女といちゃついていて、慌てて部屋を飛び出してきたせいだ。

 

「ここ、いいですか?」

 

俺の返事を待たずに、隣に誰かが座る。

 

根暗系、全身黒づくめ、長身の男。

 

こいつがチャンミンだ。

 

机に置かれたバッグを見つめる俺の視線に気づいたチャンミンは、反対側に置いた俺のバッグを見る。

 

「お揃いですね。

ここのバッグ、かっこいいですよね」

 

シンプルながらも、部分的に箔を使ったデザインで、あまりポピュラーじゃないブランドのものを知っていることが新鮮だった。

 

1クラス200人はいたことと、入学してまだ2か月だったこともあって、チャンミンと言葉を交わしたのがこの時が初めてだった。

 

「宿題...やった?」

 

講師が壇上に立ち講義が始まり、俺はヒソヒソ声でチャンミンに声をかけた。

 

「はい」

 

「写させて」

 

「いいですよ」

 

チャンミンはすっと俺の方にノートを滑らし、それを受け取った俺は「ありがとう」と大急ぎで写し始めた。

「あの...」

カリカリとペンを走らせる俺の肩を、チャンミンが突いてきた。

「ん?」

「出席カード...余分に持ってますか?」

「あるよ」

この必須科目は出欠に厳しいことで有名で、​出席カードを受け取ってから席につく。

 

受講後に記名したカードを提出してはじめて出席扱いになり、ご丁寧に講義ごとにカードの色が違う。

 

俺はこの辺りは要領よく、ほぼ全色コンプリートして、いざという時のために余分にもらっていたのだ。

 

「受け取るのを忘れてしまって...。

助かりました」

 

ちらりと俺を見て、チャンミンはホッとした笑みを浮かべた。

 

先ほどまでの固い表情が、一気にくつろいだものになった。

 

「...なぁ」

「何ですか?」

「すごいな」

 

辞書の中身を俺が指さすと、

 

「ああ!

それは...」

『そこ!』

 

ヒソヒソ喋る俺たちは講師に注意されてしまった。

​・

講義の後、教室を出た俺たちは連れ立ってカフェテリアへ足を運んでいた。

 

「お前の辞書、すごいな」

 

「試験に落ちたくありませんからね」

 

「すごいな...。

教科書も参考書がいらないレベルだよ」

 

「辞書は持ち込みOKでしょ」

 

「そうだからって...さ」

 

ドイツ語は4講義ごとにミニ試験がある、わりと厳しめの科目でもあった。

 

ドイツ語の辞書を開いて俺がたまげたのは、付箋とマーカーだらけ、さらにページの余白にびっしりとの手書きの文字。

 

チャンミンは講師の言葉や教科書の文章のすべてを、辞書の中に詰め込んでいたのだ。

「試験は教科書の内容がまんま出題されるでしょ。

必要最低限の努力で、Aをとるにはこの方法が最適なのです」

「じゃあ、余った時間は何してるんだ?」

「これといってやりたいことがないのですよねぇ」

「努力を節約する意味ないじゃん」

 

呆れながらも、チャンミンの少しズレたところに魅力を感じた俺だった。

 

この一件は「ドイツ語事件」と名付けて、俺がチャンミンをからかうネタになった。

 

ここまで会話を交わしてから、俺たちは名乗り合った。

「これで君の名前と顔が一致しました。

いつも女子と一緒にいますよね。

珍しいですね、今日は一緒にいませんね」

チャンミンはキョロキョロ見回した。

「俺の部屋に多分、今もいるはず」

 

「うわー、いやらしいですね。

​あ...」

 

急にチャンミンは立ち止まった。

 

チャンミンの視線は、研究棟から出てきた白衣の人物にくぎ付けになっている。

 

建物の前に停めてあった自転車にまたがったその人物は、チャンミンに気付いて「やあ」と声をかけると、俺たちの前を通り過ぎ裏門を出て行ってしまった。

 

「院生?」

 

「いいえ、5年生です」

 

チャンミンの片手は、さっきの彼に手を振ったポーズのままだった。

 

「好きな奴?」

 

「はい」

「男...」

 

「そうです」

 

「男!?」

 

「はい。

僕の恋愛対象は、男性です」

 

さらりと素直に認めるチャンミンの横顔を、再び新鮮な思いで見つめてしまった。

「向こうは?」

「全然。

僕が一方的に好きなだけです。

サークルが一緒です」

 

白衣の彼の姿が消えるまで見送るチャンミンの表情は、うっとりと甘い。

 

この時、チャンミンをからかう気持ちは微塵も湧かなかった。

 

ここまで恍惚とした表情をさせる白衣の彼のことが、少しだけ羨ましかった。

 

 

全く...。

 

チャンミンは全く気付いていない。

 

いい加減に気付けよ。

 

チャンミンのことが好きな俺の気持ちを。

 

いつの間にか、チャンミンに惹かれていた俺。

 

気付かなくて、当然か。

 

いつも相手の方から求められて、まんざらでもない相手だったら交際してきた俺だったから。

 

自分の方から求めたことがない俺だったから。

 

口をつぐんだ俺の気持ちが、チャンミンに伝わらなくて当然なんだ。

 

(つづく)

 

 

 

[maxbutton id=”26″ ]

[maxbutton id=”25″ ]

[maxbutton id=”23″ ]