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(23)19歳-初夜 –
「母さんが!?」
『はい』
「大丈夫なのか?」
『はい、先ほど意識が戻られました』
「意識って...そんな...」
『主治医の先生に診てもらいまして、今は落ち着いていらっしゃいます』
意識を失うとは、重大事だ。
「いつ?」
『お夕食の後、すぐです。
お部屋へ戻られる途中で倒れたようです。
付き添っていたユナが、私どもを呼びに来たのです。
その時の奥さまは、意識がありませんでした』
チャンミンは、俺の表情や口調から非常事態にあることを察したようだった。
俺の様子を食い入るように、固唾を飲んで見守っている。
引っ張り寄せたシーツで、裸の胸を隠している。
母付き従者のTさんの声は固く、実際は気が動転しているだろうに、感情を抑え要点だけ伝えてくれる。
よくも長年にわたってヒステリックな母の側に仕えていられるものだと、俺はTさんを尊敬している。
ところで、俺たちの居場所がなぜ分かったのか?
手掛かりは俺たちが出掛ける際、玄関ホールのコンソールに残したメモ書きだ。
街で一泊してくるとしかメモ書きしていなかったが、宿泊場所などすぐに突き止めることは可能だ。
最寄りのこの街ではホテルの数は限られているし、安宿は最初から除外できる。
(家庭への反抗心はあっても、所詮俺はいいとこの坊ちゃんなのだ)
Tさんと通話を続けながら、乱れた室内の調度品のひとつひとつを数えるように視界に収めていった。
鼓動は早く、冷たい汗をかいていた。
夢のようだった時はハサミでぱつんと切られ、何年もの遠い出来事になってしまった。
それも、肉親の急病という大ごとで。
『良くないこと』をしている意識が片隅にあったことは否定できない。
俺とチャンミンの仲は周囲がどう思おうと全く意に介さないほど、俺は振り切れてないからだと思う。
特に親のすねをかじっている間は。
大手を振るって付き合えるのは屋敷を出た後だ。
咎めの意識の元は...。
「病院には連れていかなくていいのですか?」
『無理に動かさない方がよいとのことです。
病院へは明日、運ぶそうです」
俺は受話器の通話口を押さえ、口だけの動きで「着替えるんだ」とチャンミンへ伝えた。
全裸だったチャンミンはベッドから跳ね起きると、クローゼットへと走った。
「今から帰ります」
そう言うと、電話の向こうのTさんは
『それには及びません!
お知らせに上がっただけです』と、俺を止めた。
『ユノ様に来ていただかなくても、こちらは落ち着きましたから。
看護婦もついております。
お休みの邪魔をいたしまして、申し訳ございません。
お帰りは予定通りで結構ですので...」
俺と母との関係を長年見守ってきたTさんは、この知らせを聞いた俺が即帰宅すると言い出すとは予想つかなかったのだろう
「1時間以内には着けると思います」
俺はデスクの置き時計に目を凝らし、「ああ、日付が変わってしまったか」と思った。
平常時だったら、慌てるあまり下着に足を通せないでいるチャンミンを笑っていただろうけれど、母親の急病を知った俺には可笑しがることができない。
電話を切った俺は、つい半日前チャンミンがクローゼットに納めたばかりの衣類をハンガーからむしりとった。
腰に巻いたバスタオルを外し、大急ぎで衣服を身に付けた。
訊ねたいことは山ほどあるだろうけれど、チャンミンは無言のまま俺の着替えを手伝った。
荷造りの時のようにはしていられないから、荷物はバッグに押し込んだ。
ドアを閉める直前、チャンミンは忘れ物がないか指さし確認をした。
緊迫の中、いつも通りのチャンミンに俺は苛立たなかった。
エレベータに乗り込む時には、枕を脇に抱えているチャンミンを可愛いと思えるほどの余裕を取り戻せた自分に安心した。
チェックアウトの手続きのためフロントに寄ったところ、なぜか支払いは不要だった。
電話を繋いだのはこのフロントマンだったのだろう。
その電話で、俺たちが一般の客とは違う身分...あの屋敷の住人...であったことを知ったのだろう。
屋敷に請求がいってしまうのだけは阻止したかったけれど、意固地になってフロントに紙幣を放り投げるという大人げない事はしなかった。
エントランスまで回してもらった車に乗り込み、屋敷へと出発した。
どこもかしこも真っ暗だった。
道中、チャンミンにTさんからの電話の内容を伝えた。
「そうですか...」
チャンミンはそれだけ言うと、シフトレバーから手を離し、俺の手を握った。
その後の道中、俺たちは無言だった。
・
母に持病はあったのだろうか?
知らなかった。
母は神経過敏な人で、常に不調を抱えており、睡眠薬だ鎮痛薬だと薬屋のようだった。
母が俺に無関心なように、それに対抗するかのように俺も母については意識外の存在だった。
女の子を望んだ母は、男で生まれた俺を歓迎せず、幼かった俺のペニスをハサミで切ろうとしたほどの女だ。
俺を疎んじた母を憎んでいたはずなのに、彼女の急病を知らされて、即駆けつけようとした自分に驚いた。
あのような親であっても、肉親のひとりなのだ。
・
俺とチャンミンの記念日が、このような形で中止になってしまった。
もし知らされていなければ、今頃俺たちは抱き合っていただろう。
けれども、今夜中に知らせの電話をかけて寄こしたTさんの判断は間違っていない。
早く知ってよかった。
翌日知らせを受けたとしたら、非常事態の間はしゃいでいた自分を責めていた。
甘やかな思い出が罪悪感満ちた色褪せたものになってしまっただろう。
・
庭園は闇に沈んでいた。
玄関前で俺は車から降りた。
「チャンミンは先に休んでていいから」
「いえ。
そういう訳には...」
俺はこの後、母の部屋へ直行するつもりだ。
一人息子が気に入りのアンドロイドを連れて街へ遊びに出掛けた。
タイミングが悪いことに、母が急病で倒れてしまった。
「僕も...っ」
「駄目だ」
ひとり残されることが不安なのではなく、駆けつけた場で「一体どこをほっつき歩いていたのやら」と俺に注ぐ、冷たい視線を恐れているのだ。
「ユノ...僕も一緒に...」
「駄目だよ。
俺ひとりで大丈夫だ」
「そういう訳には...」
坊ちゃんと一緒に『ほっつき歩いていた』相手が、自分であるから責任を感じているのだ。
「チャンミンは全然悪くない」と、後で沢山否定してあげよう。
あの場にチャンミンを行かせたくなかった。
俺は家族だから室内に通されるだろうが、使用人かつアンドロイドのチャンミンは別だ。
何もできず遠巻きに見守るしかできない。
邪魔だと追い返されるかもしれない。
俺とチャンミンの間の壁を感じさせるような機会を作りたくないのだけど...。
チャンミンは訴える目で俺を見ていたが、そのひそめた眉を緩めると「分かりました」
「多分、俺も部屋に入れてもらえないと思う。
すぐに戻るから、チャンミンは先に休んでてよ」
「分かりました」
「俺の部屋で待っててね。
絶対だよ」
俺はチャンミンの額に唇を押し当てると、車の屋根を叩いた。
玄関の扉の向こうに俺の姿が消えるまで見送るチャンミンに、俺は「大丈夫だ」の意を込めて何度も頷いてみせた。
(つづく)
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(22)19歳-初夜-
「暑いね...」
俺のつぶやきに、チャンミンはベッドを抜け出て、ドア横のスイッチをひねった。
シーリングファンが回転を始めた。
チャンミンがベッドに戻ってくるなり、胸の中へと引き寄せた。
汗で濡れた前髪をかきあげ、露わになった額に唇を押し当てた。
ファンの羽根は、僕らが吐き出した性の余韻漂う生温い風をかき回している。
「はあぁぁぁ...」
上手くいかなかった。
不完全燃焼だった。
初めてってこんな感じなのかな。
でも、数突きでイってしまったのだから、気持ちよかったんだと思う。
俺とチャンミンの場合、押し倒して貪るように...ではなく、触れたりその手を離したり、気持ちの確かめ合いをしたりと、そこに至るまで随分と時間をかけてしまった。
これがいわゆる、前戯というものなのかな。
2人ともどもマットレスに突っ伏した時には、カーテンの隙間から差し込む光が日光ではなく人口照明へと変化していた。
カーテンと窓を開け放つと、涼しい風が吹き込んできた。
チャンミンは窓際に立つ俺に近づいたかと思うと、俺に抱きついてきた。
「どうでした?
僕は...よかったですか?」
おずおずと訊ねるチャンミンが可愛らしかった。
俺は「うん、よかったよ」と答えた。
ところが「正直に答えてください」と言われてしまった。
チャンミンは、俺の発言を信じていない時はいつも、眉間にシワを寄せるのだ。
(やってもいない宿題をやったと答えた時と同じ表情をしている辺り、俺はまだまだ子供扱いされている)
チャンミンは不安だったのだろう。
しかし、俺の方こそいたらないところが沢山あったに違いないのだ。
「う~ん...正直言うと、よく分からなかった。
チャンミンは?」
「僕もです」
「やっぱりね。
きっと誰しも、初めての時は上手くいかないものだよ」
「そうだといいのですが...」
「上手くいったかいなかったかよりも、俺たちがHしたかしなかったが大事だよ」
「!」
チャンミンは両手で頬を押さえ、俺の腕の中でくるりと回転した。
頬を隠しても、俺の鼻先にある耳が真っ赤になっている。
「すみません。
今さらですけど...僕は...今日の僕はちょっと、いつもと違ってましたね。
急に恥ずかしくなってきました...」
「俺は大胆なチャンミンも好きだよ。
10年一緒にいて初めて見たよ、あんなチャンミン」
背中を向けていたチャンミンの肩を掴み、こちら向きにとくるり回転させた。
チャンミンを覗き込んだ俺はニヤりと笑った。
「嫌な予感がします...。
変なお願い事は無理ですよ」
俺の腕の中から逃れようとするチャンミンを、俺は羽交い絞めにした。
「もう1回!」
上手くいなかったのなら再チャレンジ。
いやいやするチャンミンの首筋を甘噛みしていると...。
「レストランは?」
チャンミンのひと言で、現実に引き戻された。
レストランの予約時間が迫っていた。
髪をくしゃくしゃにさせたチャンミンが表情を曇らせていた。
「キャンセルの連絡だけ入れておこうか?
食事はルームサービスをとろうよ」
レストランなどキャンセルしてチャンミンと抱き合っていたいけれど、真面目で思いやりのあるチャンミンのことだから、気が咎めて集中できないだろう。
そして長い間、「お店の人に迷惑をかけてしまいましたね」と、クヨクヨしていそうだ。
「う~ん...」
俺はチャンミンにとことん甘いし、深刻に悩むたちの彼を困らせたくない。
「オッケ...レストランに行ってからにしようか?」
俺はチャンミンの裸のお尻をペチンと叩いた。
「着替えよう!」
俺は床に散らばった衣服から下着を見つけ出すと、身に付けた。
チャンミンの下着を隠して悪戯しようかと思いついたけれど、止めておいた。
「チャンミンはフロントに電話をかけて、タクシーを呼んでね」
「はい」
「予約時間には間に合わないけど...。
あと30分で着きますって...お店に伝えておこうか。
これもチャンミンが電話するんだよ」
「はい」
「何事も練習さ。
俺たちは一緒に、屋敷を出るんだ。
俺も強くなるけど、チャンミンにも頑張ってもらいたいんだ。
いい?
できる?」
「はい」
チャンミンは素直に頷いて、サイドテーブルの電話の受話器を取った。
父に証明しないといけないのだ...アンドロイド・チャンミンは生活能力が備わっており、俺の付き人に相応しいことを。
受話器の向こうのフロントマンにペコペコ頭を下げるチャンミンを見つめながら、俺はそう思った。
・
「もう1回」
枯れることのない俺の性欲。
チャンミンに飛びつきひっくり返した。
はしゃいだ悲鳴をあげるチャンミンの足首をつかみ、大きく左右に押し広げた。
「だめっ!
そんなとこ!」
俺の頭を押しのけるチャンミンの手を、楽々跳ねのけた。
言葉も阻む手も、拒んでる風に見えて実は全力で拒絶していないのだ。
チャンミンの中心に向けて、膝から太ももをキスしながら、温かい肌の弾力を辿っていった。
「ダメですって」
ちゅっと吸い付いて、出来た赤い痕に俺は大満足だ。
半分はいやらしい気持ち、半分は愛情から生まれた悪戯心。
既に2度繋がった後で、気持ちに余裕があった俺は、チャンミンの身体をいじって遊んでいたのだ。
「舐めてもいい?」
「ダメです。
もう舐めてるじゃないですか?」
「ダメダメ言われると、余計にしたくなるなぁ」
チャンミンの太ももを支えていた手を離しても、彼は両脚を大きく広げたままだった。
(気持ちいいんだ)
俺はチャンミンのふわふわに柔らかい2つを手で優しく揉みながら、太ももの付け根を食んだ。
そこで俺はあるものを目にした。
(タトゥー?)
色は藍色で、ホクロよりも大きくシミのようなものだ。
(なんだ、これ...?)
時は深夜、室内はスタンドランプの灯りだけで、懐中電灯で照らせば鮮明に分かるだろうけど。
(オー...ワン?)
製造元会社のブランドマークとは全く異なっている。
絵柄でも意味ありげな単語でもなさそうなので、生まれつきのものかもしれない。
チャンミンにはホクロがそれなりにある、服を脱がしてみて分かったことのひとつだ。
右肩甲骨の下とか、腰骨の上、とか膝の裏とか。
シミひとつないなめらかな肌の持ち主だけど、ホクロはちゃんとある。
・
洗面所で口をゆすいでいると、内線電話が鳴った。
非常識ともいえる時間の電話に、いい気はしなかった。
「俺が出るから、チャンミンは休んでて」
ぐったりと身を投げ出していたチャンミンに声をかけ、俺は受話器をとった。
「はい」
『ご自宅からお電話です』
一瞬で楽しい気持ちが消えてしまった。
『今からお繋ぎします』
・
電話をかけてよこしたのは、母付き従者のTさんだった。
母が倒れたそうだ。
(つづく)
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(21-後編)19歳-初夜-
~チャンミン~
ユノには、行為について何も知らない言ったけれど、深い関係の大体の内容は知っていた。
僕に知識を与えてくれたのはなんと、ユノの叔父さんだ。
ユノが15歳の頃、叔父さんが屋敷に引っ越してきた。
叔父さんは、ユノに似てとても美しい顔立ちをした20代後半の男性で、職業は医師だった。
引っ越しからしばらく経った頃、叔父さんから声をかけられ、1対1で会話する機会が訪れた。
ユノが寄宿舎にいる平日の話だ。
休憩時間、庭の木陰で本を読んでいると、叔父さんは近づいてきて僕の隣に腰を下ろした。
「君はユノ専用のアンドロイドなんだってね?」
確か、第一声はそうだったと思う。
この屋敷では僕の身分は一番下で、ユノの叔父さんとなるとユノと同等の位の高さだ。
僕はすぐに本を閉じ、立ち上がった。
使用人以外の人と会話をすることに慣れていなくて、とても緊張した。
「かしこまらなくていいさ」と、叔父さんも立ち上がり、手をのばすと僕の前髪に触れた。
突然の行動に、僕はぎゅっと目を閉じた。
「へぇ...。
ひどい髪型だね。
ユノに切られたのか?」
「...はい」
当時、僕の髪は不器用なユノに切ってもらっており、切りたての前髪は短すぎで不揃いだった。
「君は綺麗な顔をしているから、そんな頭でも絵になるね」
それだけ言うと、叔父さんはその場を去っていった。
次は、叔父さんの部屋に呼ばれた。
ビールを部屋まで届けて欲しい、と。
メイドではなく僕に直接依頼をしてきたことに首を傾げながら、所望されたものを部屋まで届けた。
ドアをノックすると、ガウンをぞんざいに羽織り、胸を大きくはだけた叔父さんが出迎えた。
室内に入るよう顎で促されたのに従って、僕はコーヒーテーブルにビールとグラスの乗ったお盆を置いて、すぐに部屋を出ようとした。
ところが、「君もビールを飲んでゆきなさい」と引き留められた。
僕は断ったけれど、叔父さんはこの屋敷の住人、僕は従わないといけない。
残るべきか出るべきが迷う僕に、叔父さんは「一人じゃ飲みにくいだろうから」と、「お前もこい」と大きな声で誰かを呼んだ。
リビングの隣は寝室になっている。
一人の若い男の人...出入りの金物屋だったから驚いた...が寝室から現れた。
若い男の人はバスローブだけ身に付けていた。
2人はよほど喉が渇いていたのだろう、グラスを使わず、ビールからぐいぐい飲んでいた。
叔父さんは唇についた泡を手の甲で拭うと、直ぐには理解しがたいことを口にした。
「せっかくだから、見ていくか?」
そして彼らは僕の目の前で裸になり、ことを始めたのだ。
幸いだったのは、叔父さんは僕に指一本触れなかったことと、僕の目前での行為はあの日きりだったことだ。
「ユノに怒られるから」と、くすくすと可笑しそうに。
ひとこと言い訳をすると、叔父さんたちの行為を見せられた時、僕の心にも肉体にも何の変化もなかったことだ。
異性同士の行為については見たことはないが、想像がついた。
世の動物たちと同じで、繁殖目的で性器と性器を繋ぎ合わせる。
ところが、目の前の2人は同性同士だ。
それなのになぜ、彼らは動物たちの交尾のような真似事をしているのだろう?
叔父さんの下になっている男の人は、とても苦しそうではないか。
僕は彼らの『目的』が分からず、とても困惑していたのだ。
・
ユノは叔父さんを非常に嫌っていた。
ユノははっきりと教えてくれなかったけれど、叔父さんについて嫌な思い出があるようだった。
叔父さんを目にしたり接近されると、ユノはあからさまに不快な表情をする。
叔父さんは、ユノにどんな嫌な思い出を植え付けたのだろう?
ここに引っ越してくる前からも、叔父さんは年に何度か屋敷を訪れ、ユノを部屋に呼んでいた。
叔父さんの部屋から戻って来たユノは、いつも浮かない表情をしていた。
心配になった僕は、叔父さんの部屋の前でユノの戻りを待つようになった。
勉強をみてやっているのか、話し相手なのか、室内で何が行われているのか、無知な僕には想像がつかなかった。
「何かあったのですか?」と訊ねてみたかったけれど、僕の立場上それは立ち入り過ぎた質問だ。
のちにその詳細を知ることになり、トラウマになりかねない記憶を幼少期から植え付けられていたことに、僕は胸を痛めた。
部屋の前で待ってなどおらず、部屋の中に乗り込むべきだったのに、僕はそれを怠った。
もっと早くそうしていれば、ユノが負う心の傷も浅く済んでいただろうに。
自責の念に襲われるのと同時に、それと相反する喜びの感情も押し寄せてきて、感情の処理が追い付かなかった。
喜びの感情とは、ユノがバルコニーの手すりに立ち身を投げ出そうとしながら、叔父さんに伝える格好で口にした告白による。
僕を守りために、自分よりも目上の者へ反旗を翻したユノ。
ユノを守るべき僕が、ユノに守られた。
感動の告白をしてくれた。
15歳のユノの背中が頼もしく、大きかった。
責務を全うしなければならないのに、ユノに甘える心地よさと幸せを知ってしまった時だった。
・
ユノとキスを交わした以前から、彼に接近したり彼を想うと、胸苦しい感覚を覚えるようになっていた。
触れたくて仕方がなくて、耐えられる自信がなく、ユノの身体から目を反らしてしまったことも多々あった。
当時、それは性欲とは結びついていなかった。
性欲とは何なのか、認識していなかった。
僕は無知で、自身の肉体がどこまで人間と似通っているか把握していなかったからだ。
ユノとひとつに繋がりたい欲求がいよいよ芽生えたとき、真っ先に、叔父さんの部屋に呼びつけられ、見せられた行為のシーンが思い浮かんだのだ。
「あれがこれか!」と。
好きな人と心と身体も結ばれたい。
好きな気持ちが大きくなると、肌と肌を直接重ね合わせたくなるのだ。
ハグやキスだけじゃ足りない。
叔父さんとあの若い男の人がやっていた行為は、そういうことだったんだ。
・
僕はベッドを下りると、窓辺に立ったユノに抱きついた。
「どうでした?
僕は...よかったですか?」
訊ねられてユノは、「うん、よかったよ」と答えた。
「正直に答えてください」
不安だったのだ。
いたらないところが沢山あったに違いないから。
「う~ん...正直言うと、よく分からなかった。
チャンミンは?」
「僕もです」
「...もう1回やってみる?」
「レストランは?」
レストランの予約時間が迫っていた。
「う~ん。
オッケ...レストランに行ってからにしようか?」
ユノは僕のお尻を叩いた。
「着替えよう!」
ユノは床に散らばった衣服から下着を探している。
「チャンミンはフロントに電話をかけて、タクシーを呼んでね」
「はい」
ユノは屋敷を出てからの暮らしを見据えて行動を開始したのだと思う。
「学生寮には2人で入れないからね」と、2人暮らしができる部屋探しをしているようだ。
僕も外界の人と接する機会を増やし、社会生活を送れるように特訓しないといけない。
その第一歩が電話だ。
僕は受話器をとり、外線に繋ぐようフロントへ内線をかけた。
・
ユノの家庭環境は、僕の力ではどうにもできない。
僕ができることは、ユノの味方でいるだけだ。
その為に僕はこの世に生まれてきた。
『ユノ』か『それ以外』
僕にはその2択しかない。
(つづく)
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(21-前編)19歳-初夜-
~チャンミン~
ユノは大切な人だ。
ユノとは守るべき人で、その為に10年前ユノの元へと送られた。
僕はユノの成長をつかず離れず見守るために存在するアンドロイドだ。
初めてまぶたを開けた時、僕はユノの部屋にいて、それ以前の記憶は真っ白だった。
でも、僕を覗き込む、好奇心でキラキラさせた目の持ち主がユノであることを...彼に仕えることが僕の任務であることだけは、意識の奥底に植え付けられていた。
ユノは名無しだった僕に『チャンミン』という名前を授けてくれた。
僕は愛情希薄な家庭で育っているらしいユノの、絶対的な味方となった。
上下関係など最初からなかったかのように、ユノは僕と対等に接したがり、何度も何度も「俺はチャンミンのご主人ではない」と繰り返してきた。
そんなユノの好意に甘えた僕は、こうしてユノの腕に抱かれている。
ユノのもので突かれたことで、お尻の奥に鈍痛がある。
入口は熱をもってヒリヒリしている。
この痛みはユノに可愛がられた証、僕らがひとつになった証。
もっと痛くても構わなかった。
・
僕は月に一度、屋敷の裏山を下りたところにある工場併設の施設へ通っていた。
僕はそこで造られた。
ユノを一人ぼっちにしたくないため気づかれないよう、彼が習い事(例えばピアノやダンス)を受けている間に、僕は屋敷を離れた。
洋服を全て脱ぎ、脇の開いたガウンだけを身に付けて検査室へと進む。
僕を点検する検査員もアンドロイドだ。
人間じゃなくても出来る仕事...数値を計測し、マニュアル通りに検査をし、その後不備があってもなくても調整を行う部屋へ僕を連れていく。
僕はベッドに寝かされ、頭と胸、手足に機器を取り付けられ、目を閉じるとあっという間に眠りについてしまう。
その間、僕の何かが調整されているらしいけれど、その詳細は僕らアンドロイドには知らされていない。
分かっているのは、僕の身体も精神も、生身の人間とほとんど変わりがないタイプのアンドロイドであること。
人間と違うのは、年をとらないこと。
これについては、考えだすと哀しくなってしまうから、今は棚上げしている。
・
僕はユノだけをずっと見続けている。
ユノの背が伸び、細いばかりだった身体の厚みが増し、声変わりをし、週に一度寄宿舎に迎えにいくと、5日前より大人っぽい顔つきになった彼にドギマギした。
それから...もともと優しい子だったのが、より深みのある優しさを兼ね備えた人物に育っていった。
運ぶ荷物の重さに四苦八苦している僕、絨毯の端に足をひっかけて転びそうになる僕...さっと伸びるユノの腕。
その腕は長く、逞しい。
僕の中に『見守る』とは違う感情が宿り、膨張していった。
・
検査調整の度に、ヒアリングがある。
人間に従う前提で作られているアンドロイドは嘘をつくこと自体あり得ないから、嘘発見器にかける必要がない。
『あなたにとってユノさんとはどんな存在ですか?』
僕は毎回、こう答える。
「僕の使用者です」
不具合が生じたからと、ユノと引き離されてしまうのが怖かった。
どうやら僕は、嘘がつけるアンドロイドのようだった。
・
『あなたにとってユノさんとはどんな存在ですか?』
「恋人です」
『あなたはどうあるべきですか?』
「恋愛において、ユノと僕は対等です」
と、答えるのが本心だからだ。
・
今日、ユノと僕は街に下りて、『デート』をした。
用事があって街に下りることはあっても、遊び目的は初めての経験だった。
ユノのお世話はしたいし、はしゃいでしまうしと、両方の気持ちがおしくらまんじゅうをして僕の心は破裂しそうだ。
ユノの部屋でバスタオルを詰めながら、ユノと『そういうこと』をするだろうなと予感はしていた。
ユノへ与える側から与えられる側に、ユノを守る側から守られたい側へと、僕はどんどん子供っぽく甘ったれになっていた。
ユノの乳母兼家庭教師を卒業した僕は、見守りアンドロイドに役目を移し、今じゃ愛玩アンドロイドになってしまっている。
僕らの間にあった上下関係の壁が壊れかけていた。
屋敷の窓に映る僕らは友人同士に見えた。
手を繋いだ。
ハグをした。
人目を忍んでキスをした。
まるで恋人のようだった。
ユノと接近した時だけじゃなく、彼を想う時、ぎゅうっと身体の中心に熱と力が集中する感じ。
この感覚を人間も同じように感じているのなら、僕は嬉しい。
人間と同じような行為ができるということじゃないか。
僕の身体に不具合が生じたのではないかと、最初は怖かった。
でも、ユノのことを想っていない時はなんともないし、検査の時に何も指摘されないから異常ではないらしい。
ユノと僕の心は繋がっている。
思いやりで溢れていると信じている。
次は、身体と身体で繋がりたい。
ハグやキスでは足りない。
身体の中心の火照りはおさまってくれない。
ユノに内緒にし続けるのも、そろそろ限界だ。
僕はどうすればいい?
「性奴として造られるアンドロイドも多いことだし...」と、ユノと抱き合いたい欲求を肯定していまう自分が嫌になってしまうけど。
「そういうことか...」
僕にも『行為』について、多少の知識があったのだ。
(つづく)