【48】NO? -第2章-

~チャンミン~

 

民ちゃんが浴室へ行ってはや45分が経過していた。

リビングで膝を抱え、民ちゃんを待ち構えているうちに、湯上りだった僕の身体はすっかり冷えてしまっていた。

いくらなんでも長湯過ぎだ。

耳をすますと、鼻歌がやんでいる。

のぼせて転倒し、ぶっ倒れているのではないかと心配になってきた。

 

「民ちゃん?」

 

引き戸にかけた手が一旦止まった。

ただの長湯かもしれなかった時、「チャンミンさんのエッチ!」とビンタを食らう像が浮かんだからだ。

「どうせ後で脱ぐんだから、いいじゃないか」とか言い訳をしたせいで、もう一発ビンタを食らう像も浮かんだ。

 

(でも、本当に倒れているかもしれない!)

 

ビンタを2発食らうくらい、何事もなかった安心感と引き換えにしたら大したことない。

「開けるよ」と声をかけ、戸を開けようとしたその時、すいっと指の抵抗がなくなった。

ほわんといい香りと湿気に包まれた。

 

「!」

 

あと少しで民ちゃんと衝突するところだった。

 

「あら、チャンミンさん!」

 

湯上りほこほこ民ちゃんを目の当たりにして、僕の心臓はドッキンと...彼女に聞こえてしまうんじゃないかってくらい...音をたてた。

民ちゃんの頬は血色よくよくつやつやしている。

元からの癖っ毛らしく、濡れ髪の毛先はカーブを描いていた。

 

「待ちきれない蔵だったんですか?」

きょとんとした表情をしているから、僕の覗き見に腹を立てている様子はない。

(覗き見すると予測していたのかもしれない)

 

緊張でガチガチになっているかと思いきや、リラックスしているように見えた。

さぞかし僕は間抜けな顔を晒していたんだろう。

 

「チャンミンさんったら...口が開いてますよ?

ぽか~ん、って」

「えっ?

ああ...う、うん」

 

顔面の筋肉がだらりと弛緩してしまったワケはご承知の通り。

 

(すごい下着を付けているのに...)

 

民ちゃんは自分がどれだけ刺激的な恰好をしているかを、忘れてしまっているみたいだ。

そのことに気付いた時の民ちゃんの反応を見たかった僕は、敢えて指摘しない。

 

...紐パンだ。

 

腰骨の辺りで結ばれた紐をほどくだけで、簡単に脱がせてしまえるアレだ。

(レースと紐とどちらがいいか尋ねられた僕は、紐をチョイスした)

 

絶対に隠した方がいい場所のうち、さらに隠さないといけない場所の、さらにさらに隠さないといけない場所だけをぎりぎり隠した小さな三角。

当然、僕の視線は民ちゃんの顔から『そこ』へと吸い寄せられてしまった。

 

「......」

 

身体は正直なもので、きゅうっと身体の中心の圧力が増してきた。

そのまま登場するつもりだったのか、着替えの途中だったのか、民ちゃんはシャツはおろか、下着も付けていなかった。

けれど、肩にかけたバスタオルで両胸が隠れてしまっていたから、がっかりした。

僕の視線は舐めるようなものに変わってしまったらしい。

民ちゃんは、僕の表情がマジなことにハッとしたようだ。

 

「あわわわ」

 

民ちゃんがバスタオルをかき合わせるより、僕の手の方が早かった。

「頭...濡れてる」と、民ちゃんの肩から取り上げたバスタオルで彼女の頭をすっぽりと覆った。

 

「ドライヤーかけなかったの?」

「は、はい...。

気持ちがいっぱいいっぱいで...」

 

僕はここで、唇の片端だけ持ち上げる微笑を浮かべてみたりした。

僕は民ちゃんより年上で経験豊富な男なのだ。

民ちゃんから化粧水の香りが漂った。

民ちゃんの頬がつやつやなのは、付け過ぎた化粧水のせいだ。

(洗面台に黄緑色の瓶があった。へちまローション?子供の頃、母が使っていた記憶がある)

 

「僕が拭いてあげるよ」

 

濡れ髪から滴った水滴が、ちょうど民ちゃんのまつ毛に乗っかった。

その水滴はまつ毛から眼へと吸い込まれ、民ちゃんはまぶたをパチパチとさせた。

そして、僕らは至近距離で目を合わせた。

民ちゃんの色素の薄い瞳に、僕の顔が綺麗に映り込んでいる。

さすがにデティールまでは分からないけれど、どんな表情をしているかは想像がつく。

 

...マヂな顔だ。

 

民ちゃん基準のおかしなスケジュールがなければきっと、半年以上...もしくは結婚するまで...かかったかもしれない『この時』は、早いタイミングで訪れた。

いつになく『マヂな顔』...つまり『雄の顔』をした僕に、民ちゃんはどんな反応を見せるだろうか?

僕をからかう余裕なんてなくなって、襲われたいのに怯えた眼をしたりなんかして僕を煽るんだ。

僕の本心を先回りしたり、逆に思ってもいないことを挙げてみたりと、僕をドギマギと慌てさせるのが得意なカノジョ。

 

「......」

「......」

 

でも、本気になった僕を前にしたら、立場は逆転だ。

 

「え~っと、チャンミンさん」

「なに?」

「すごく近いんですけど...?」

 

いつか初キスを交わした時のように、民ちゃんの指はぎくしゃくとカギ型に曲がっている。

 

「うん。

近いね」

「ここは...洗面所ですよ。

べべべべべベッドへは行かないのでしょうか?」

「ここじゃ...ダメ?」

「え゛?」

「ダメ?」

「駄目です」

ぐっと寄せた僕の顔は、ぐいっと民ちゃんの張り手で押しのけられた。

 

「駄目じゃない」

 

僕は民ちゃんの手首をつかみ、力ずくで引き下ろした。

いくら民ちゃんが力持ちとは言っても、本気を出した僕の力には負ける。

 

「そんな凄い恰好でいるくせに、『ダメ』って言うんだ?」

「あ!」

 

紐パンだけでいることにやっとで気付いたらしい、民ちゃんは僕の手を振りほどき、ぺたりと床に腰を落とした。

僕も民ちゃんを追って腰を下ろし、彼女に顔を寄せるのと同時にうなじに手をかけて、「思いっきり僕を誘っているよ?」と囁いた。

ちょっとキザかなぁと思いながら。

民ちゃんの眉根にしわが寄った。

 

「なんか...ムカつきます」

「え?」

「エロいチャンミンさんって...ムカつきます!」

「どうして!?」

「なんとなく...」

「なんとなくって...ったく。

はあ...。

僕だって男だ」

「そうですけど。

変な感じです。

いつものチャンミンさんじゃなくて...ムカつきます」

そう言った民ちゃんが可笑しくて、僕は吹き出した。

「ぷっ」

 

僕は民ちゃんの腕を引っ張って立ち上がらせると、ウエストをさらって僕の腰へと押し付けた。

(ここで民ちゃんを抱き上げて寝室まで運びたいところだったけど、僕らの体格は似たり寄ったりだから、ぎっくり腰になりかねない)

 

「!」

「僕にムカついているのはね...」

「なっ、なんですか!」

 

民ちゃんの耳元にこう囁いた。

 

「民ちゃんは照れてるんだよ。

いつもの僕じゃないから、反応に困ってるんだ」

 

図星だったようで、民ちゃんの顔色がぼんっと、真っ赤になった。

威勢よく大胆なことをしょっちゅう口にしているのは、天然なところもあるけれど、照れ隠しの目的もあるだろう。

腰骨の上で結ばれた紐をほどく時まで、あと少し。

 

(つづく)

(47)NO? -第2章-

「チャンミンさん、先にお風呂に入ってきてください」

 

「えっ!?

僕が?」

 

調子が狂いっぱなしの(これまで民の隣にいて落ち着いていられた時はあっただろうか?)チャンミンに、今はどんな言葉を投げつけても素っ頓狂な答えしか返ってこない。

 

「はい。

『シャワーを浴びてくるよ』っていう台詞、よく聞きますから」

 

民は立ち上がると、「僕が?」と鼻先を指したままのチャンミンの腕を引っ張り、立ち上がらせた。

 

「あっ!

こういう時って、女の人が先なんでしたっけ?」

 

民は突如浮かんだ疑問に、チャンミンを掴んだ手を離してしまった。

チャンミンは床に尻もちをついてしまう。

 

(今まで、シャワーの順番など考えたこと無いぞ)

細かい手順を気にし始めたら、キスまで到達する頃には夜が明けていそうだ。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて僕が先に入るね。

民ちゃんが先だと、僕を待たせたらいけないって気を遣っちゃうよね?

ゆっくり入りたいでしょ?」

 

「...それはどちらが先でも、同じことでは?」と、民は思ったが、こだわり始めたらキリがないことに気が付き始めていた。

「どうぞどうぞ」とチャンミンの背を押した。

民にとって、どちらが先に入浴するかよりも、入浴の際、全身の要チェックポイントを再確認することの方が重要だったのだ。

 

 

チャンミンが入浴中、民は静寂さに落ち着かず、TVをつけたが騒音にしか聞こえなかった。

ぐるりと室内を見回した。

荷ほどきは大方済んでいるようだが、家具といえばローテーブルひとつ程度で、殺風景極まりない。

チャンミンはリアと同棲していた部屋を出て行く際、家電も家具のほとんどを残していったのだ。

 

(ぷっ。

洗面所の棚から大量のコンドームが出てきたのよね。

あの時のチャンミンさんの慌てた顔といったら!)

 

チャンミンの引っ越し荷造りの手伝いをした日のことを、思い出していた。

 

(彼氏の前カノと面識があるのって...なんだか嫌だなぁ。

しかも、その前カノが上司の今カノ?前カノ?だったりして...。

無視したくても姿を見てしまうから、リアルに想像してしまって...嫌だなぁ...)

...と、民の思考は負の方向へ流れかけたが、「大事なのは、現在進行形の恋だ!」

 

細かいことにこだわるあまり自信を失ってしまいがちな自分...民は十分認識していて、直したい自分のベスト3に入る。

民は室内観察に戻ることにした。

「もし、ここに私も暮らすことになったら...」と、多くの彼氏持ちが1度は抱く妄想に浸り始めた。

ちらっと隣の寝室を覗くと、床に延べられた布団が一式。

 

(あそこで...!?)

 

そして民らしく、例の行為を頭の中で想像し始め、それに伴って数えきれないほどの疑問点、不安点が羅列された。

 

 

15分で入浴を終えたチャンミンは、民とバトンタッチした。

民を待たせたらいけないと、慌ててドライアーを当てた髪は濡れている。

 

「タオルとかシャワーとか、一応説明するね。

このアパート、ちょっと変わった造りになってるから」

と、民を伴って脱衣所へ移動した。

 

「うちにあるタオルは全部、新品だから。

気兼ねなくいっぱい使ってね」

「はい」

 

チャンミンはあのマンションで使用していたリネン類は、このアパートには持ち込んでいないことを暗に伝えていた

 

「水とお湯の切り替えは、そこのコックを押したり引っ張たりするんだ。

ね、変わってるでしょ?

43度のお湯が出る設定になってるんだけど、民ちゃんには熱いかな?」

 

頷く民に、

「40度まで下げておくね。

ぬるかったら、ここのボタンを押して」

 

説明しながらチャンミンは、民と初めて会った日のことを思い出していた。

「ああ、あの時も、こうやって浴室の使い方を説明したなぁ...」と。

 

「シャンプーとリンスは男ものだけど...いいよね?

『いいよね?』っていうのは、民ちゃんが男っぽいっていう意味じゃないよ」

 

自分とほぼ同じ顔をした民。

 

(やばっ)

 

フォローしたつもりが墓穴を掘ってしまったと、焦ったチャンミンだったが...。

振り返ると、チャンミンを見る民は呆れた表情をしていた。

 

「あのですね、チャンミンさん。

そこまで気を遣ってくださらなくても結構です。

慣れてますし、その程度のことで気を悪くしたりしません」

「だって...」

「すぐに拗ねたりしていたのは、半分以上ジョークでしたから」

「え...?

そうだったの?」

 

チャンミンと瓜二つの民は、男っぽい外見がコンプレックスだった。

ぽろりとこぼしてしまった発言で民の機嫌を損ねてしまい、その都度チャンミンは謝ったり、なだめたりしていた。

 

「だって、チャンミンさんが面白くて...っていうのは嘘で、私の機嫌を直そうと一生懸命なチャンミンさんを見ることが好きだったんです。

それに、チャンミンさんの隣にいると、自己肯定感っていうんですか?

こんな私でもいいんだ、って自信がちょこっとだけ持てるようになりました」

「民ちゃん...」

 

「自信が持てた」の言葉に、チャンミンのまぶたの裏が熱くなる。

チャンミンは自身を卑下してばかりの民に自信をもってもらい一心で、彼女を褒め続けていた。

民は抱えていたトートバッグを床に下ろすと、チャンミンの首に両腕を回した。

 

「!」

 

民はチャンミンの耳たぶに触れそうなくらい口元を近づけ、囁いた。

「私。

今夜を境に『女』になります...」

「!」

身体をビクビクッと震わせたチャンミン。

 

「チャンミンさんったら、耳が真っ赤です。

可愛いですね」

 

民はチャンミンの首から腕をほどくと、ケラケラ笑った。

 

「あの...着替えたいのですが?」

「ご、ごめん!」

 

我にかえったチャンミンの耳は、ますます真っ赤になった。

 

「一緒にお風呂に入るのは、私たちにはまだまだ早いです。

覗き見したいのでしょうけど、もうしばらくお待ちください。

ほら、出て行ってください」

と、チャンミンは民に背中を押されて脱衣所を追い出されたのだった。

 

「ごゆっくり~」

 

 

(彼氏宅の初お風呂!)

 

チャンミンの入浴後で、床はまだ温かい。

チャンミンの説明通りにお湯を出し、シャワーで全身を濡らした。

そして、浴室に設置された鏡に自身の身体を映す。

(胸は無いが肌は色白だし、寸胴だが肌はすべすべだ。

大丈夫!)

 

かけ湯を終えた民は、湯船に浸かった。

 

(気持よかぁ...)

 

緊張のあまり強張った首と肩を温かいお湯でほぐす。

次に、絞ったタオルを頭のてっぺんにのせ、湯船の縁にうなじを預けて天井を仰いだ。

「ふぅ...」

 

身体はぬくぬくと温まり、リラックス気分になった民からは、自然と鼻歌が漏れていた。

 

 

一方、チャンミンは壁にもたれ足を投げ出し、ゲーム中だった。

どっきんどっきんどっきん。

今か今かと、風呂上がりのカノジョを待つのはカッコ悪い。

でも意識は浴室にビンビンと向けられているせいで、ゲームに負け続けている。

入浴したばかりというのに、緊張の汗をかいてしまっている。

 

「ん?」

 

浴室からふわふわと漏れ聞こえてきた。

 

(これは...鼻歌だ!)

 

チャンミンは耳をすまし、その鼻歌の正体を探った。

 

(これは...)

 

♪きたかぜ~、小僧のかんたろ~♪

ことし~も まちま~で...♪

とても気持ちがよさそうだ。

♪るるる~、るるる~

 

「ぷっ」

 

(♪るるる、じゃなくて

♪ヒューん♪だよ...)

 

チャンミンの緊張もほぐした民であった。

 

(つづく)

 

(46)NO? -第2章-

~チャンミン~

 

民ちゃんは今、僕の部屋にいる。

床に正座し、両腿にこぶしを握ってカチンコチンになっている。

これから起こり得ることを思えば、民ちゃんの緊張も理解できる。

けれども、あんな風に緊張感丸出しにされると、僕にまで伝染し、グラスに飲み物を注ぐ 手がプルプルと震えてしまうのだ。

今夜、僕とカノジョは、初めてのアレをするために会っている...なんなんだ、この状況は。

 

「はい、どうぞ」

 

僕は民ちゃんにグラスを手渡すと、ローテーブルを挟んで彼女の真向かいに座った。

(僕の部屋で家具らしい家具はローテーブルだけだ。ソファを買うなら、民ちゃんとゆったり並んで座れるよう3人掛けサイズがいいな)

 

僕が飲んでいるのがノンアルコールドリンク(民ちゃんと同じ飲み物。彼女はお酒が弱い)だと知り、民ちゃんは

「あれ?

チャンミンさんは飲酒しないのですか?」と尋ねた。

「ああ...これね。

素面でいたいから」

「あらま!」

民ちゃんは驚きの声を上げ、パッと後ろに飛び退いた。

その目は大きく見開かれ、口を両手で覆っている...オーバーアクションはいつもの民ちゃんだ。

 

(言っちまった...)

 

民ちゃんを刺激する発言をしてしまった。

 

(あれ...?)

 

普段だったら、民ちゃんはニタニタ笑って僕をどスケベ扱いする(スケベな点は否定できない。男とはそういうものなのだ)

ところが今夜の民ちゃんは、無言のまま僕を凝視するだけなので、調子が狂う。

この後、何を言えばいいのか。

 

「そ、そうですよね。

アルコールが入ってしまいますと、記憶に残らない場合がありますからね。

私たちの記念すべき夜ですもの。

チャンミンさんには覚えていて欲しいですし、酔いにまかせて抱いて欲しくなんかありません」

「......」

「逆に私の方が、適度にアルコールを摂取した方がいいかもしれませんね。

リラックスした身体で、チャンミンさんに抱かれることができます」

「そ、そうだね...」

 

僕をからかっている台詞ではなく、民ちゃんは至極真面目に言っているだけに、こちらは反応に困る。

夜方面の意味合いの「抱く」や「抱かれる」の言葉は、「愛している」の言葉と同様、日常会話であまり使うことがない。

照れくさくて、発音するのにも勇気がいる。

そこで、「今日の恰好はいつもと違ってて、いい感じだね」と、僕は早々に話題を変えることにした。

民ちゃんが女性らしいふわふわとしたトップスに、ワイドパンツを合わせている姿は、スリムなシルエットのコーディネートを見慣れている分、新鮮だった。

 

「はい。

お洒落してみました」

 

民ちゃんは照れた風に肩をすくめて言う。

はにかんだ笑顔を見られただけで、ご馳走様だ。

 

「チャンミンさんこそ、着替えたどうです?

いつまでもスーツ姿じゃ、くつろげないのではないですか?」

「あ、うん...そう、確かに、そうだね、うん」

 

僕だって、民ちゃんを挙動不審だと笑えない。

「寝室で着替えてくるね」と、僕は寝室に引っ込んでスーツを脱いだ。

僕はここで、今さらなことに気づいたのだ。

 

敷布団なのだ。

 

リアと同棲していた部屋を出て、独り暮らしを始めた時、いかれた僕は 家具を揃えるならば、民ちゃんとの暮らしを想定したものにしようと、密かに夢見ていたのである。

一緒に眠るのなら大きなベッドがいいと、保留にしていた結果がこうだ。

シングルの敷布団か...これはこれで、侘びの雰囲気が出ていいかもしれないが...敷布団か...。

民ちゃんの背中が痛いかもしれない、僕の膝も痛くなるかもしれない。

どうして今の今まで、気付かなかったのだろう。

僕は案外、ロマンティストな男のようだ。

(カノジョとはスーパーに一緒に買い物をし、並んでキッチンに立ち、思い思いの時間を過ごす。ベランダでワインを飲みながら雑談をして、ベッドに入る、理想の交際...)

 

「チャンミンさ~ん」

 

僕が着替えに行ったまま戻ってこないから、民ちゃんに呼ばれてしまった。

ジャージの上下に着替えた僕は、顔を出すなりふざけて民ちゃんにこう言ってみた。

 

「ねえ、民ちゃん。

すぐにご飯にする?

それともお風呂?」

民ちゃんも負けていない。

「それとも『僕』?」

「民ちゃん!」

「あはははは」

民ちゃんは身をのけぞらせて、大笑いした。

「からかわないでよね」

「チャンミンさんったら、ガッチガチなんですもの。

私はともかく、チャンミンさんは百戦錬磨なんでしょう?」

「百戦錬磨って...?」

「ところでチャンミンさん」

 

民ちゃんはひょいひょいと僕を手招きした。

 

「ん?」

「キスされるのかなぁ?」なんて呑気なことを期待しながら、顔を寄せると...。

「これまで何回、エッチしたことがありますか?」

「はあ!?」

「言いたくないですか?

ですよね?

普通、訊くものじゃあありませんよね。

分かってます。

自分が変だってこと、ちゃんと分かってますから」

 

しょぼんと頭を垂れてしまった民ちゃんを見て、ここは正直に答えるべきかどうか、真剣に悩んでしまった。

これはガチで聞いているぞ、と。

 

「...嫉妬してしまいます。

だって...」

「終わったことはもう、覚えてないよ」

 

(って言っても、慰めにならないよなぁ)

 

でも、この言葉は本当のことで、覚えているのは事実だけで、デティールはぼやけてしまっているし、記憶にないと言い切ってもいいかもしれない。

今の恋と過去の恋、想いの比重、記憶の内訳。

心に占める位置関係。

民ちゃんには理解できないだろうなぁ、と思った。

この幼さは民ちゃんの魅力なんだろうけど、男によっては重く感じる者もいるだろうな。

僕は丸ごとオーライなんだけど。

(何も知らない彼女に手取り足取り...。

なんだよ、このエロい考えは!)

 

「チャンミンさ~ん」

「!」

 

民ちゃんに呼ばれて、僕の意識はいま現在に引き戻された。

「カウントは終わりましたか?」

「へ?」

 

きょとんとする僕に、民ちゃんはやれやれと呆れた風に首を振っている。

 

「チャンミンさんったら。

数えきれないほどなんですね。

あ。

ごめんなさい!

質問を間違えました。

エッチの総トータル回数じゃありませんでした。

さすがに数えるのは難しいでしょうから。

教えて欲しかったのは、過去に抱いてきた女の人の数でした」

「はあ...」

(民ちゃんときたら...)

 

僕は額に手をあて、がっくり首を折った

僕はしばし迷った末、「本当に知りたいの?」と訊ねた。

手を伸ばして民ちゃんの手を握った。

 

「僕にはそりゃあね、付き合っていた彼女は何人かいたよ。

民ちゃんから教えて欲しいと訊かれたら、隠さず教えてあげる。

隠すほどいないし、隠す理由もない。

でも、教えてしまったことで、民ちゃんはいい思いをしないんじゃないかな?

僕はそこを心配しているんだ」

「......」

 

民ちゃんは上目遣いでじっと、僕を見つめている。

いつ見ても綺麗な眼だなぁ、と思った。

「ほら、覚えてるでしょ?

僕なんて、民ちゃんがユンに片想いしていたって知っただけで、あの有り様だよ?

とても苦しかったから、民ちゃんを同じように苦しめたくないんだ」

 

僕は繋いだ手の指と指を絡めた。

「今の僕には、民ちゃんしか見えてないし、民ちゃんと出逢った時からの記憶しかないよ。

でも、不安なんだよね?

僕がそう言っても、全部は信じ切れないよね?」

 

(あ...)

 

民ちゃんの鼻の下が伸び、顎がしわしわになっている。

 

(泣いちゃうかも...)

 

民ちゃんはすん、と鼻をすすった。

 

「知りたいような知りたくないような...これからチャンミンさんと何回すれば、歴代の彼女さんを追い越せるか...。

そんなことを考えてしまって...」

「追い越すとか追い越さないとかなんて...」

 

「も~、すごい緊張しているんです!

私じゃチャンミンさんを満足させてあげられるかどうか、自信がなくなってしまって...。

呼吸も浅いし、変な汗をかくし、肩も凝っています」

「リラックスして。

大丈夫だから」

 

僕は民ちゃんの肩を揉んだ。

 

「ホントだ。

肩がガチガチだよ」

「あ~、いい感じです。

もうちょっと強くてもいいです。

チャンミンさんって肩もみ上手いですね~」

 

(なにやってんだ、僕らは?)

 

僕に肩を揉まれてぐらぐらゆれる頭、僕の目の前にさらされた、民ちゃんの細い首、白いうなじ。

 

(綺麗だなぁ...)

 

よかった...民ちゃんの不安の焦点は、『今』にある。

僕が心配するほど、民ちゃんは僕の過去に嫉妬していないんじゃないか、って思ったんだけど...楽観的過ぎるかな?

 

「民ちゃんにはリラックスしてて欲しいんだ」

「はい。

『僕に身をゆだねていればいいよ、僕が全部やってあげるから。

僕が気持ちよくさせてあげる』

...って、言わないんですか?」

「民ちゃん!!」

 

(つづく)

(45)NO? -第2章-

リアは焦っていた。

 

チャンミンと暮らした、身の丈以上のこの部屋は、今月中に引き払う予定だった。

モデル収入が先細りになってきた現状では、引き払わずにはいられない。

ラウンジの仕事も、ユンとの関係が深まった頃からシフトを減らし、先月には辞めてしまっていた。

 

(心配はいらない)

 

ユンからいよいよ捨てられそうになったら、チャンミンに身を寄せればいい。

その考えをぽろっと口にしてみたら、顔を真っ赤にさせて怒りだした民にあっけにとられていた。

チャンミンの恋人宣言をする民を見るリアの目は、若干呆れ気味なものだった。

 

(何なの、あの民とかいうオトコオンナ。

兄弟でも兄妹でもなく、チャンミンの恋人ですって!?)

 

そのため、ユンの車の鍵をリアに押しつけ、鼻息荒く部屋を出て行った民に、リアはひるんでいなかった。

 

(いくら自分が女に見られないからって、手近のチャンミンを彼氏だと思いつくなんて...。

可哀想な子...)

 

この時は未だリアは、ユンの新しいモデルが民だとは想像もついていなかった。

 

(チャンミンは優しい人だから)

 

ユンに頼れなくなっていよいよの時は、チャンミンにすがりつこうと思った。

リアと別れた際、チャンミンは電話番号を変えていなかったため、連絡しようと思えばいつでも可能だ。

 


 

「それでは週末に」とユンに見送られ、チャンミンはオフィスを出て行った。

あれよあれよという間にユンのペースにのせられていくチャンミンに、ユンは内心ほくそ笑んでいた。

 

(チョロいな)

 

ユンは背中に下ろしていた長髪をひとつに束ねると、中途だった彫刻の土台作りを再開した。

 

(チャンミンくんも民もチョロい)

 

カットした木材同士を組み合わせて釘と針金で固定し、その上から裂いた布を巻きつけて厚みをもたせた。

保定する者が欲しいと思った頃、民が帰ってきた。

リアを置き去りにしてきたという報告を受け、ユンは大笑いした。

 

(古い恋人を冷酷に捨て去れないのは、わずか10%存在する俺の優柔不断さによるものなんだろうな。

子供が出来たと迫られて、さすがに慎重にならざるを得なかったこともあるが...)

 

ユンの反応を窺う民の不安げな表情が堪らなくなり、近づいて頬を撫ぜようとした手は払いのけられた。

 

(なるほどね。

彼氏ができれば、拒絶されて当然か。

それにしても、面白くなってきたぞ)

 

さらにユンは、チャンミンが伴ってきた女性...M女史...から媚を嗅ぎ取っていた。

 

(なるほどね。

チャンミン君はそれとなく気づいているようだが、民くんのことでそれどころじゃない...といったところかな?)

 

定時で民を上がらせると、ユンはアトリエにひとりきりになった。

ユンの気を引くためなのか、リアは未だ帰宅していなかった。

長髪をひとつに束ねていたゴムを外すと、さらさらと艶のある黒髪が、ユンの肩と背中を覆った。

キャビネットに常備しているブランデーをグラスに注ぎ、床に直接腰を下ろした。

正面に完成した土台があり、視線を右にずらしたところに白い垂れ幕が吊るされ、民とチャンミンをその前で立たせる予定だった。

 

(俺が目下のところ片付けなければならない案件は、リアを追い出すことだ。

自由に使うよう預けていたカードを停止しなければ...)

 

ユンはグラスの中身を飲み干した。

 


 

時と場所を移動して、19:00の民のアパート。

ジャンパーと仕事着を脱いで、民なりの外出着...栗色のモヘアニットにグレンチェックのワイドパンツに着替えた。

ふわふわ素材なところが、唯一女性らしいと言えるし、ゆとりあるボトムスも民にしてみたら珍しい。

民の一張羅に、義母が買ってくれたワンピースが1着あるが、冬の季節には相応しくない素材だ。

 

(あれは脱がされるものではなくて、見せるためのもの。

...脱がされる!!)

と、思いかけては、「きゃあぁぁぁぁ」と顔を覆った。

 

しばらくかけ布団に伏せていたが、照れている間などないことに気づいた。

民はホテホテな頬を扇ぎながら、荷造りを開始した。

 

(...以下、民の妄想にお付き合いください)

 

「パジャマでしょ」

 

トートバッグにパジャマを詰める手が止まった。

 

(パジャマっているのかな?

いらないんじゃない...?

秘め事の後は、ヌードのまま朝まで眠るんだよね。

...風邪を引きそうだなぁ。

パジャマじゃ色気がないからトレーナーにしましょう)

 

パジャマは却下し、代わりにトレーナーをバッグに入れた。

 

(でも...。

Tシャツやトレーナーって、彼氏のを借りるものだよね。

丈が長くてワンピースみたいになるんだよね~。

その恰好でキッチンに立ったりして、後から起きてきた彼氏に後ろからハグをされるの。

チャンミンさんとサイズが同じだから、ジャストサイズになっちゃうなぁ。

ホントにデカい自分が嫌になる)

 

愛用の化粧水のボトルと歯磨きセットをバッグに入れた。

 

「次は~」

 

収納ケースのひとつに、畳まず収められた例の2枚がある。

どちらも腰骨にぎりぎり引っかかる程度の極端な腰穿きだ。

ひとつは、究極な箇所以外の肌色がほぼ透けている総レース製。

もうひとつは、サイドのリボン結びの紐をほどくと、はらりと脱げてしまうデザインだ(チャンミンがチョイスしたのは、紐タイプだった)

 

(途中でチャンミンさんの気が変わるかもしれないから...)

 

この2枚を巾着袋に入れた上で、バッグに詰めた。

 

(これはお風呂の後に穿く...と)

 

ここでハッとして、ボトムスの裾を捲し上げた。

 

「すね毛よし!」

 

次に袖を捲った。

 

「腕毛よし!」

 

(脇もよし!

いつなんどき、この手のチャンスがあるか分からないからと、処理をしておいてよかった~)

 

TVを付けていない静かな部屋に、ぶつぶつと民の独り言だけが響く。

待ち合わせ時間まであと5分と迫った頃には、荷造りが完了した。

最後に洗面所の鏡の前に立った。

 

(なに興奮してるのよ!

真っ赤じゃない!)

 

その表情は、ぽおっと緩むどころか、きりりと気合と意気込みで引き締まっている。

 

(闘いに行くんじゃないんだからさあ...)

 

冷たい水で紅潮した顔を洗った。

 

(おっと!

髪の毛ボサボサ!)

 

手ぐしを使って、長めの前髪を額の上で斜めに流した。

 

「う~ん...」

 

(逆の方がいいのかな?)

 

と思い立ち、髪の分け目を普段と逆にしただけで雰囲気が変わったことに満足した。

ついでに、頭頂部の一か所(ひったくりに遭い、転倒して負った傷痕)に触れてみる。

 

(あとでチャンミンさんに、剥げてるところを見せてあげよう)

 

頭を右に左にと傾けてみる。

 

(チャンミンさんは、自分と同じ顔した人間にその気を出せるのかなぁ。

これくらい顔が近づいてきて...)

 

鏡にくっ付きそうな距離まで、顔をずいっと近づけた。

 

(キスまではOKでも、いざ服を脱がした時...。

『僕が裸で寝っ転がってる!』とかって、我に返っちゃって、『ごめん、君を抱くことは出来ない』とか言われたらどうしよう...!)

 

民はニットの上から胸に触れてみた。

 

(くっそ~~)

 

さわさわと撫ぜてみた。

 

(チャンミンさんの言葉を思い出せ!

胸の大きさで彼女を選んでいない、とかなんとか言ってた気がする。

こればっかりはチャンミンさんを信じるしかない!)

 

きんこ~ん。

 

「わっ!」

 

チャイムの音に驚くあまり、悲鳴を上げてしまったのだ。

ハッとして時計を見ると、20:10だった。

 

「大変!!」

 

自分の世界に浸るあまり、かれこれ15分以上も鏡の前に立っていたことになる。

チャイムを鳴らしたのはもちろん、チャンミンだ。

 

(もちろん民は、誰が鳴らしたチャイムの音かすぐに分かった)

 

民はインターフォンのディスプレイを確認することなく、玄関ドアを開けた。

チャンミンは遅刻しそうになり民のアパートまで駆けてきたため、はあはあと呼吸は荒く、彼女以上に真っ赤な顔をしていた。

 

「遅くなってごめ...」

 

チャンミンの言葉は、尻すぼみになってしまった。

 

(昼間会ったばかりなのに...)

 

髪型と服装が違うこともあるが、チャンミンはおめかし仕様の民にときめいていた。

 

(...か、可愛い...)

 

「チャンミンさん。

もしかして、残業か何かだったんですか?」

「どうして?」

 

チャンミンは昼間と同じスーツ姿だったのだ。

 

「これはっ!

気持ちがいっぱいいっぱいで、着替えるのを忘れてしまって...はははは」

 

と、下手な言い訳せずに素直に認め、恥ずかしそうにぽりぽりとうなじをかくチャンミン。

 

(チャンミンさんはやっぱり、チャンミンさんです...)

「え~っと...じゃあ。

僕んちに行こうか?」

「はい」

 

これから二人の熱い夜が始まる...?

 

(つづく)

 

(44)NO? -第2章-

民は帰社するチャンミンを見送ると、地下駐車場までスロープを下りて行った。

予想通り、リアが運転する車は未だ戻ってきていなかった。

民は少しの間リアが戻ってくるのを待とうと、車止めに腰を下ろした。

カップに残ったミルクティを飲み干し、バッグから携帯電話を取り出した。

 

『今夜、私を抱いてください』

 

タイトルもその他のコメント無しで、送信した。

 

(ぶったまげるだろうなぁ。

我ながらの大胆発言。

でも、後悔していないし、本気の気持ちだ)

 

今日1日で、「このままじゃいけない」という危機感に民は襲われたのだ。

 

民の理想は、交際2週間。

 

チャンミンとかつてした恋人ごっこで、2週間という目安が民の中で出来上がった。

だからといって、恋愛初心者かつど天然だからと、馬鹿みたいに2週間にこだわっているわけじゃない。

慌てるチャンミンが面白いのと、いつか自分とチャンミンさんが『そういうこと』をいたすだろうと想像するともう...恥ずかしくて恥ずかしくて。

チャンミンが思うほど民は初心ではないし、仮にも彼女は大人の女性だ。

民はインターネットに繋ぎ、『初えっち いつ』をキーワードに検索をかけた。

ヒットしたうち1つでは、初えっちまでの理想期間は、男女ともに1か月未満とある。

 

「......」

 

誰かと交際した経験がない民は、憧れて一方的にキャッキャする経験は豊富でも、相互関係に発展した後については無知だ。

地元に友人はいないこともないが、彼氏がいる報告をしたら驚かれて、面白がられて、現地で話の種にされるのがオチ。

民は人の意見や世の中の平均値は無視することにした。

地下鉄の中でパッと浮かんだ決意に従うことにした。

 

(焦ってるんでしょ?

...うん、焦ってる。

女の人が増えてきて、焦ってる。

チャンミンさんが誰かに獲られたら、困る)

 

 

その後、民は駐車場で15分待ってみたが、リアは戻ってこなかった。

リアの発言に腹を立てた民は、借りた車のキーをリアに押し付けて、放置してきたのだ。

リアのお守りは、上司ユンからの指示で、リアは上司ユンの元恋人だ。

 

(内容はともかく、あれは仕事のひとつなのに...放り出してきちゃった。

ユンさんになんて言い訳をしよう...)

 

諦めた民は足取り重く、ユンのアトリエ直行のエレベータに乗り込んだ。

 

 

「おかえり」

アトリエに顔を出した民に、ユンはにこやかに声をかけた。

 

「あの...すみません。

私だけ先に帰ってきてしまいました」

民が頭を下げると、ユンは「ひとりで自由にやりたいとか言って、民くんを先に帰したんだろう?」

 

どうせ後になって、リアから告げ口されるだろうからと、民は正直に話すことにした。

 

「いいえ。

私からリアさんを置いてきたんです。

いっぱいいっぱいになってしまって...。

車も置いてきてしまいました」

 

民の言葉にユンは大笑いした。

 

「すみませんでした...」

「さすがだね。

リアは我が儘な奴だから、突き放す態度も必要なんだ」

 

(生活はユンさんの家でしていても、リアさんにはチャンミンさんと暮らしていた部屋がまだある。

ユンさんは知らないんだよね、リアさんがチャンミンさんと付き合っていたこと。

ユンさんに捨てられたからと言って、チャンミンさんとやり直したいだなんて...リアさんは、強者だわ)

 

ユンは髪を後ろでひとつにまとめ、ラフな格好に着替えていた。

丸ノコを手にしており、床には木くずが散っていた。

彫刻作品の土台を作っていたようだ。

民の視線に、「民くんとチャンミン君をモデルにする予定作品の土台だよ。

今週末からスケッチを始めるから、君たちはこの土台の周囲でポーズをとってもらおうと考えている」と説明した。

 

「...はい」

 

ユンは未だ階段の上がり口に立ち尽くしたまま、不安げな表情をしている民に近づいた。

そして民の頬を撫ぜようとした瞬間、民はパッと顔を背けた。

 

(やっちゃった!)

 

本心があからさまに出てしまった行動に、民は冷や汗が流れる思いだった。

ユンはしばし、民の顔をしみじみと眺めていたが、ぷっと吹き出した。

 

「民くん、驚いたよ」

「?」

「チャンミン君と付き合っているそうだね?」

「!!!!」

「君に恋人がいることは知っていたが、まさかチャンミン君だとはね」

「え...えっと、えっと...どうして知っているんです?」

「内緒にしたかった内容だったのかな?

もしそうなら、知らないふりをしていればよかったね」

「チャ、チャンミンさんに?」

「ああ、彼から聞いたよ」

「!!!!」

 

(チャンミンさん!

メールを読んでいなかったんですね!)

 

民の顔は真っ赤になっていた。

 

 

民は帰りの電車の中で、初エッチのタイミングについてのネット情報をさらに読み込んでいた。

 

『積極的過ぎると男性の興奮度は下がります』

 

(抱いてください、ってメール送っちゃった...チャンミンさんは喜ぶどころか引いてしまっていたりして...。

いいえ、それはないはず。

メールではウキウキっぷりが伝わってきたもの)

 

夕方、チャンミンから待ち合わせ時間を問うメールがあったのだ。

 

『交際して直ぐにエッチをしない彼は、自分本位ではなく、相手のペースや空気を読む、人付き合いがうまいタイプです。

中性的な感性を持ち、細かい気遣いや共感ができる性格が多く、女性にとっては付き合いやすい存在です。

一方で、空気を読みすぎて決断が苦手だったり、ここぞというときの男らしさやリーダーシップに欠けていたりするのが彼の短所です』

 

(あ...チャンミンさんっぽい)

 

『長く付き合ってもなかなか結婚を切り出さない男性は、このタイプに多いです』

 

(...そうなんだ。

私たちには結婚なんて早い早い。

目下の心配ごとは、初エッチですよ!)

 

彫刻の土台作りに時間がかかり、アトリエを出るのがいつもより遅くなってしまった。

 

待ち合わせ時間は20:00。

 

帰宅して着替えて、お泊りグッズを用意するのでぎりぎりだ。

 

(僕んちで入りなよ、って言ってたから、お風呂の心配はなし。

“あの”パンツはその時に穿こう...)

 

「......」

 

(きゃあぁぁぁぁぁあ!!!)

 

両手で顔を覆った勢いのよさに、左右の乗客が民に注目した。

 

(つづく)