(19)NO?-第2章-

 

~民~

「嘘でしょ...?」

同棲していた彼女...リアさんがユンさんの家に居るなんて!

二人のやりとりから、単なる友人同士には見えなかった。

どこか色っぽい空気をはらんでいた。

リアさんはユンさんが好きなんだ。

リアさんの浮気相手とは、ユンさんなのかもしれない。

チャンミンさんには絶対に、言えない!

チャンミンさんはユンさんのアトリエを訪れる機会が多い。

どこかで鉢合わせしてしまう可能性もある!

それとなく耳に入れておいたほうがいいのかな。

...駄目だ、私は部外者だ。

チャンミンさんとリアさんのことも、リアさんとユンさんのことも。

今夜もチャンミンさんと会う約束になっている。

「え~っと」

頭の中を整理した。

1.チャンミンさんに打ち明けること...ユンさんに片想いしていたこと。

2.チャンミンさんに相談すること...ユンさんに片想いしていたことをユンさんは知っていて、今の私には『彼氏』がいるのに、ユンさんは意に介しておらず、そのことに困っていること。

3.1と2を話したうえで、チャンミンさんに『お願い』があること。

4.チャンミンさんに内緒にしておくこと「その1」...ユンさんとキスをしたこと。

5.チャンミンさんに内緒にしておくこと「その2」...リアさんがユンさんと付き合っていること。

(そっか!)

ユンさんの首筋のキスマークも、リアさんが付けたものだ!

ふらふらと駅までの道を歩いていた。

待ち合わせの時間には未だ早い。

ふと前方のお店が目にとまった。

ふらふらっと店内に吸い込まれた。

ショックのあまり、普段とらないような行動をとってしまった。

と、昼間のことを思い出し、次にもうひとつの懸案事項に移ることにした。

こぼれた涙が耳の中につたってしまうので、仰向けから横向きに寝返りをうった。

「はあ...。

...うっ...うっ...」

チャンミンさんのことを想い始めたら、ひきかけた涙がこみあげてきた。

人生初の彼氏ができたことで、ユンさんからの接触にどう対応したらいいのか分からず困惑していた。

よりによって、ユンさんと彼氏...チャンミンさんは仕事上で繋がりがあった。

加えてチャンミンさんは、ユンさんのことをよく思っていない。

さらに、ユンさんは私とチャンミンさんをモデルに作品を作りたいという。

その作品の出来は、チャンミンさんの仕事に影響することで...。

ユンさんは私とチャンミンさんが付き合っていることを知らないから、いつもみたいに私に触れてくるだろう。

チャンミンさんは意外とヤキモチ妬きみたいだから、彼とユンさんの関係がこじれてしまったらどうしよう!

だから、チャンミンさんに相談したかったのに...ユンさんの名前が出た途端、あんなに怒るなんて...。

「相談したかったのに...っく...」

布団から抜け出た私は、部屋の照明をつけた。

ビニール袋に氷を詰めたもので、腫れかけたまぶたを冷やした。

「はあ...」

チャンミンさんは私の無神経さに腹を立てた。

恋愛ごとに慣れていない私に呆れたんだ。

「これだからお子様は...やれやれ」ってな風に。

チャンミンさんの立場をわざわざ自分に置き換えてみなくても、彼を怒らせても当然のことを打ち明けてしまった。

ユンさんに片想いをしていたことは事実だ。

だからといって、チャンミンさんにわざわざ教えてあげる必要はなかったのだろう。

でも、片想いをしていたことを告白しないと、話の本題に入れなかったのだ。

(話はまだ途中だったのに...)

チャンミンさんのあの様子じゃ、もうこの話題はふることはできない。

そして、私は嫌われたままなんだ!

常夜灯だけを残して照明を消し、布団にもぐりこんだ。

真っ暗闇で寝るのは苦手な私は、常夜灯をつけたままで眠る。

(...ん?)

ローテーブルの下でチカチカと光るライトがある。

(このライトの色は...!)

腕いっぱい伸ばして携帯電話を取り、発信者を確認するとやっぱり!

敢えて電話に出ないことで「私はとても悲しかったんだよ!」をアピールすることもできた。

でも私はそんな駆け引きみたいなことは出来ない。

「チャンミンさん...?」

鼻をグズグズさせた自分の声が、男の人みたいだった。

「ここに!?」

チャンミンさんの言葉に、私ははじかれたように立ち上がり、カーテン代わりの布をめくって窓を開けた。

「あ...!」

アパート玄関の外灯が、こちらに手を振るチャンミンさんを照らしていた。

スウェットの上下にかちっとしたコートを合わせていて、ちぐはぐだった。

外灯の灯りがチャンミンさんの顔を黄色く浮かび上がらせ、はっきりとは判別できないけれど、多分、困り顔の笑顔をしている。

思い立って慌ててここに駆けつけた証拠を見つけて、胸がじんとした。

よかった...嫌われていなかった。

こみ上げる嬉しさと安堵感に、もっと涙が溢れてきて手を振り返せずにいた。

『そっちに行ってもいい?』

チャンミンさんは自身を指さし、次に私がいる2階を指さした。

私はこくこく何度も頷いた。

電話が繋がっているんだから、「どうぞ」って言えばよかったのにね。

アパート内へとチャンミンさんの姿が消えたのを見届けた私は、乱れた布団を2つ折りにし、髪を撫でつけた。

ドキドキした。

 

(つづく)

 

(18)NO?-第2章-

 

~ボタンの掛け違い~

 

~民~

 

「っう...うっ...うっ...」

 

チャンミンさんに嫌われてしまった!

 

熱い涙が次から次へと湧いてくる。

 

明日の私はまぶたが腫れた不細工な顔になっていそうだ。

 

そしてユンさんに、「彼氏と喧嘩?」ってからかわれるんだ。

 

「うっ...うっ...」

 

私も彼が好き、彼も私が好き...お付き合いするようになって...彼氏と彼女って、もっと楽しいものだと思ってた。

 

お付き合いする前の方が気楽でいられたのにな。

 

私みたいなオトコオンナを好きになってくれた人が現れたのに、私の口からはおかしな言葉ばかり出てくるみたい。

 

「ぐすん」

 

ティッシュペーパーをとって鼻をかんだ。

 

「ぐすん...」

 

私は頭まで布団にもぐりこんで、身体を丸めて目を閉じた。

 

 

布団に入って2時間も経つのに、眠気はおとずれてくれない。

 

悶々と考えに耽っているのだから、仕方がないか。

 

チャンミンさんとの衝突が私を寝かせてくれない理由のひとつで、同時進行で私を悩ます一件があった。

 

昼間目の当たりにした出来事だ。

 

この一件はチャンミンさんには内緒だ。

 

 

午後からの私は、謎解きのようなユンさんの言葉を、頭の中で反芻していた。

 

秘密と嘘。

 

真実と誠実。

 

言葉そのものの意味は分かってる。

 

これらを恋愛関係に当てはめた時、その意味とシーンごとの使い分けが私にはできない。

 

午後からの仕事ぶりはさんざんだった。

 

「あとは一人でやるから、民くんは下で事務しておいで」と、いつも温厚なユンさんには珍しい苛立った言い方だった。

 

「すみません」

 

「俺が変なことを言ったせいだね。

深い意味で言ったわけじゃないから、聞き流してくれていい」

 

ユンさんはそうフォローしてくれても、4つの言葉に思考が支配されたままだった。

 

 

PCのディスプレイを睨みつけていた。

 

事務仕事といっても大したことをしていない。

 

集中できなくて一息つこうと思い立ち、ミニキッチンに立って紅茶を淹れた。

 

(ユンさんにも持っていってあげよう)

 

トレーに乗せたカップを揺らさないよう、上階のアトリエへのらせん階段をのぼった。

 

「...来るなと言っただろ!」

 

ユンさんの怒鳴り声に、ビクンと私は踏み出した足を止めた。

 

「す、すみません...」

 

踵を返して階段を下りかけた時...。

 

「お前がいると気が散るんだ。

上で大人しくしていろ」

 

「!!!」

 

私に向けてじゃ...ないようだ、ユンさんは私を「お前」と呼んだことはない。

 

「でもっ...」

 

(誰か...いる?

...女の人?)

 

好奇心は抑えられず、私は7階のアトリエへと忍び足で階段を上った。

 

上へ行くにつれ嗚咽の声が大きくなってきた。

 

「...頼むから」

 

「さんざん抱いたから、もうあなたのモデルにはなれないんだわ!」

 

モデル...?

 

抱く...!?

 

ユンさんと口論しているのは、モデルさんのようだ。

 

アトリエの階にもエレベータは停まるから、事務所を通らずに来たのかな。

 

「ユンったら、構ってくれないんだもの。

私なんて...私なんて」

 

階段を登り切った時と、「死んだ方がいいんだわ!」と叫び声は同時だった。

 

(死ぬ!?)

 

ユンさんの正面に、女の人がうずくまっていた。

 

ウェーブがかった長い髪が、顔を半ば隠し、彼女は白い肩を震わせていた。

 

細いキャミソールの肩紐が二の腕までズレ落ち、下はレースの下着だけと、薄着だった。

 

綺麗な人だった。

 

ショッキングな場で、よくもこう細かいところまで瞬時に観察できたものだ。

 

だって、息が詰まってしまった私はしばらく硬直していて、彼女から目を反らせなかったからだ。

 

「!!!!!」

 

リリリリリリアさんっ!!!!!!

 

リアさんの視線が階段口にいる私で止まった。

 

大きな目が...ノーメイクなのに美しい...リアさんには西欧の血が混じっているんだった...大きく見開いて、私を凝視した。

 

リアさんの様子にユンさんも、後ろを振り向いた。

 

私は修羅場に居合わせる才能に長けているようだ。

 

真っ先に私の脳裏に浮かんだのは、チャンミンさんだった。

 

(どうしよう!

チャンミンさん!

どうしましょう!)

 

ユンさんの険しかった表情が、ふっと緩んだ。

 

「民くん」

 

近づいてきたユンさんは私の肩を抱くと、階下へ戻るようと優しく背中を押した。

 

「悪かったね。

今日はもう帰りなさい」

 

「あのっ...」

 

「用事を思い出してね。

民くんに手伝ってもらうことはないから」

 

「は、はい...」

 

有無を言わさず、私は階下へと追い出されてしまった。

 

あの場に居たとしても、私は邪魔者なのだから当然のことだけど。

 

心臓がバクバクと音を立てている。

 

機械的に戸締りと身支度をした私は、ユンさんの事務所を出たのだった。

 

チャンミンさん!

 

どうしましょう!!

 

 

(つづく)

 

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(17)NO?-第2章-

 

~チャンミン~

 

モヤモヤと渦巻く不快感で眠れなかった。

 

理由はもちろん、自分がしでかしてしまった一件だ。

 

部屋に戻った僕は、飲みたくもないコーヒーを淹れ、飲みたくもないビールを開け、そわそわと落ち着かなかった。

 

荒れた感情を落ち着かせたかった。

 

...僕は最低だ。

 

好きで好きで好きでたまらない子と、念願叶って彼氏と彼女の関係になれた。

 

それなのに...。

 

布団に入り携帯電話のディスプレイをじっと睨みつけた。

 

民ちゃんからのメッセージはない。

 

僕こそ、例えば「さっきはごめん」の謝罪のメッセージひとつ送っていなかった。

 

泣いて帰っていった、民ちゃんを追いかけなかった。

 

もしかしたら民ちゃんは待っていたかもしれないのに。

 

今夜の民ちゃん発言が相当堪えていた僕は、彼女に意地悪をしたかったのだ...敢えて。

 

なんと言って、民ちゃんと仲直りしよう。

 

仲直りもなにも、僕が一方的に腹をたてていた喧嘩だ。

 

リアと交際していた1年間で、僕は仲直りの方法を忘れていた。

 

 

民ちゃんが田舎を出る決心をしたのは、ユンと出会い誘われたからだという。

 

おそらく仕事についても、最初からユンの元で働く約束になっていたに違いない。

 

とろけた表情で、でも寂しそうに「片思いです」と語っていた。

 

ぺちゃぱいなのを異常に気にしていて、胸が大きくなるサプリメントはないかと僕に尋ねた。

 

「裸になる予定でもあるの?」と冗談半分で質問したら、動揺していた。

 

昨日の昼間、ユンの事務所で「ヌード」の言葉にも、民ちゃんはえらく反応していた。

 

(ん...?

ヌード!?)

 

ガバリ、と跳ね起きた。

 

民ちゃんは過去の恋愛事情を、馬鹿正直に...彼氏には内緒ごとはいけないと...ぶちまけたわけじゃなかったとしたら...。

 

「相談したいことがある」と言っていた。

 

聞く耳も持たなかった僕はその言葉を一蹴し、会話を打ち切ってしまった。

 

「ユン」ワードに強烈な嫉妬心に襲われた僕は、執拗に民ちゃんを責めた。

 

民ちゃんに好きな人が過去にいようと、今の彼女の気持ちが僕だけに向いていてくれるのなら、それだけで素晴らしいことなのに。

 

それも、僕と瓜二つの子と、運命とも言える出逢いの人を得たにも関わらず。

 

民ちゃんの場合は、せいぜい「片想い」だ。

 

一方の僕はといえば、リアと交際していて同棲までしていた。

 

片想い程度で取り乱した僕は、民ちゃんを独占したい欲を膨らませていたのだ。

 

民ちゃんはこれまでにユンのモデルを務めていたらしい。

 

「そうか...!」

 

民ちゃんの相談事とは、「ヌードモデル」についてだったんだ!

 

「このまま続けてもいいですか?」と、僕に許可をもらおうとしたんだ。

 

ユンの元で働きつづけることなのか、彼氏がいながらヌードモデルを続けることなのか、その辺は民ちゃんに尋ねてみればいい。

 

呑気に寝ていられなかった。

 

「しつこいな」と吐き捨てた時の、民ちゃんの傷ついた表情と言ったら!

 

気遣いのできる男だと実は、自負していた。

 

ところが、自己中心的で平気で相手を傷つけることができる面を持っていた。

 

僕はコートを羽織り、外へと飛び出した。

 

既に時刻は深夜過ぎだったけど、構わなかった。

 

民ちゃんはすでに眠ってしまっているだろうけど、叩き起こそう。

 

ああ、やっぱり。

 

謝罪の言葉を伝えたくて、民ちゃんの眠りを邪魔しようとしている僕。

 

恋に盲目になった僕は、あきれるほどカッコ悪い男に成り下がってしまうのだ。

 

民ちゃんの隣にいるとリラックスしている証拠に、気取っていられない。

 

民ちゃんとはまだ体の関係はない。

 

ないけれども、心同士は一体に溶け合っていると信じているのは僕だけのようだ。

 

民ちゃんの方はそうでもなさそうなのが、寂しい。

 

どこか遠慮がちで、僕に隠し事をしている。

 

せっかく民ちゃんが、そのひとつを開示してくれたのに、僕の拒絶っぷりときたら...自分でも驚いている。

 

民ちゃんには偉そうなことを言っておいて、実のところ、彼女のことは何でも知りたい。

 

不都合なことは知りたくなくて。

 

自分の中に我儘な子供が存在することに、驚いた日だった。

 

 

深夜の住宅街は暗く静かで、僕の靴音とはあはあ言う呼吸音だけが耳に響く。

 

吐く息が白い。

 

羽織ったコートが暑い。

 

走れば10分足らずで到着する。

 

民ちゃんのアパートを見上げた。

 

さて、これからどうしようか。

 

チャイムを鳴らし、ドアを叩くわけにはいかない。

 

まずは電話だ!

 

「馬鹿か、自分は?」

 

踵を返し、僕のマンションまで全速力で戻った。

 

携帯電話をひっつかみ、民ちゃんの元へ引き返した。

 

「はあはあはあはあ」

 

両ひざに手をつき、かがんで息を整えた。

 

アパートの2階を...民ちゃんの部屋のある辺りを見上げた。

 

「あ...!」

 

窓から灯りが!

 

僕は門扉を開けた。

 

 

(つづく)

 

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(16)NO?-第2章-

 

~ボタンのかけ違い~

~チャンミン~

 

 

「僕が怒っているのはね。

僕はユンが好きじゃない。

はっきり認めるよ」

 

「......」

 

「そのユンのことを民ちゃんが好きだった。

もの凄く嫌な気持ちになった。

民ちゃんは僕が今、何を問題にしているのか分かる?」

 

民ちゃんの目に涙が膨らみ、いっぱいまで膨らんで目尻から頬へと滴った。

 

「私はユンさんを、今はもう男の人として好きじゃないです。

これは本当のことです。

信じてください」

 

「だからさ、ユンのことをなんとも思っていないのなら、ますます僕に伝える必要はないんだ。

それにさ...民ちゃんはユンのところで働いてるでしょ?

好きだった人が近くにいるんだよ?

僕がどう思うか考えなかったの?」

 

「考えました!

私とチャンミンさんはユンさんのモデルをすることになっています。

だから、伝えておかないと、って」

 

「聞きたくなかったよ。

教えてくれてありがとうなんて...とてもじゃないけど言えない」

 

僕は癇癪を起した子供のように、民ちゃんを責めつづけた。

 

つくづく大人げない行いだった。

 

民ちゃんはぽろぽろと涙をこぼし、口角を目いっぱい下げ、わっと泣き出してしまうのを堪えているようだった。

 

そんな民ちゃんを前にしても、僕の意地悪な気持ちはおさまらなかった。

 

「あのっ!

どうしてユンさんの話をしようと思ったかというと、続きがあるんです」

 

僕は続きを話そうとする民ちゃんを遮った。

 

「もういいよ。

怒ってないから」

 

肩の力を抜き、僕はため息をついた。

 

「民ちゃんの話はよく分かった。

僕に隠し事はよくないからって、正直であろうとしたんだよね?」

 

「あのっ...それだけじゃなくて」

 

「これ以上はもういいよ。

分かったよ、分かった」

 

「だからっ...」

 

「この話はもう終わりにしよう」

 

民ちゃんへ気持ちをぶつけたおかげで、とげとげした僕の気持ちは鎮まっていった。

 

僕はキッチンへ引っ込み、正座をしたままうつむいている民ちゃんに声をかけた。

 

「コーヒーを淹れようか?」

 

民ちゃんは首を左右に振り、トートバッグを引き寄せ立ち上がった。

 

「私...帰ります」

 

「えっ?」

 

「ごちそうさまでした」

 

頭を下げ、民ちゃんは足早に玄関に向かってしまった。

 

「僕はもう怒ってないんだよ?

僕に話すことですっきりしてもらえたのなら、それでいいんだ」

 

「ユンさんが関係してる話だから、絶対にチャンミンさんを怒らせるって分かってました」

 

確かに、民ちゃんの告白は僕の心をいたずらに揺さぶるだけのものだった。

 

「私っ...チャンミンさんにお願いしたいことがあったんです。

でも...いいです。

チャンミンさん、すごく怒ってるし」

 

「しつこいなぁ。

もう怒ってない、って言ってるでしょ?」

 

「しつこいなぁ」と発した瞬間、民ちゃんの表情はこわばった。

 

民ちゃんのいう『お願いごと』とは、こうじゃないかと僕は予想していた。

 

『好きだった人と同じ職場にいるけれど、気持ちは僕にあるから安心してください』みたいな...。

 

「もう...いいです」

 

「民ちゃっ...!」

 

身をひるがえした民ちゃんの腕をとっさにつかんだ。

 

「おやすみなさい!」

 

僕の手を振りきって、民ちゃんはドアの向こうに消えた。

 

帰っていった民ちゃんにあっけにとられた僕は、ぱたんと閉まった玄関ドアをしばし見つめていた。

 

追いかけるべきか、そのままにしておくか迷ってしまったのだ。

 

「民ちゃん!」

 

サンダルをつっかけ民ちゃんを追いかけた。

 

当然、内廊下から姿を消していた。

 

エレベータの階数ランプはひとつ上の階を示していることから、階段を使ったのだろう。

 

僕も階段を駆け下りた。

 

マンションを飛び出して、民ちゃんのアパートへの道を見渡してみたけれど、彼女の後姿はなかった。

 

民ちゃんのアパートまで追いかけようか、再び僕は迷った。

 

けれども、サンダル履きの足元と、コンロにかけっぱなしのヤカンを思い出し、部屋へ引き上げることにした。

 

民ちゃんの話の続きを聞けるほど、僕の気持ちは未だ納まっていなかった。

 

交際わずか1週間で、僕らは喧嘩した。

 

喧嘩なんかじゃないな...僕が一方的に腹を立て、民ちゃんを責めたてたものだ。

 

ユンの名前が登場した途端...要注意人物だとマークしていたから、僕は気色ばみ、冷静さを失ってしまった。

 

ずっと年上な僕が、こうまで心が狭く、嫉妬深い男だったとは...情けない気持ちになった。

 

 


 

 

「...っく...うっ...っ...」

 

民は帰り道の間中、泣いていた。

 

順を追ってうまく話ができなかった自分が情けなかった。

 

チャンミンの反応に、怯んでしまったのだった。

 

(伝えたいことの半分も口にできなかった。

...きっと、チャンミンさんは私のことを嫌いになってしまったんだ。

とても怒っていたから)

 

ブルゾンの袖で涙を拭いた。

 

コートの襟もとをかき合わせた帰路を急ぐ者たちとすれ違う。

 

民は、チャンミンとリアとが妊娠騒ぎで揉めていた夜を思い出していた。

 

(あの時も泣きながらひとり、夜道を歩いたんだった。

通り過ぎる人たちがみんな、幸福そうに見えた。

とても苦しかった。

...今も苦しい)

 

チャンミンの家を出て10分もかからずに、自身のアパートにたどり着いてしまう距離に民はもっと泣けてしまうのだ。

 

追いかけてこないチャンミンに、民は絶望していたのだった。

 

(私の話を最後まで聞いてくれなかった。

私のことを嫌いになってしまったんだ。

頼れるのはチャンミンさんしかいないのに...)

 

アパートに到着し、2階への階段を目にして、熱い涙がさらに膨らんできた。

 

キスを2度交わした前夜の甘い空気を思い出し、「この落差は一体何なんだろう」と泣けてきた。

 

「うっ、うぅぅ...」

 

部屋に帰りつくなり、民は三つ折りにした布団に身を投げ出し、大声で泣いた。

 

(何でもかんでも話したいわけじゃない。

ユンさんにキスされたことは絶対に教えたらいけないことだ。

そんなこと、分かってる。

私はただ、ユンさんのことで相談にのって欲しかったのに!

お願いしたいことがあったのに!)

 

「嫌われちゃった...」

 

(...それからもうひとつ。

午後に起きたあの出来事も、絶対に教えたらいけないことだ)

 

 

(つづく)

 

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(15)NO?-第2章-

 

~チャンミン~

 

僕の質問に答えない民ちゃんにキスをした。

 

下腹の底がぐぐっと痺れた。

 

重ねるだけのキスもいいけれど...1ステップ進んでみたいなぁ。

 

民ちゃん相手じゃ早いかなぁ...。

 

僕は男...エロい気持ちは抑えられない。

 

「入れてもいい?」

 

半分冗談、半分本気で尋ねてみた。

 

「!」

 

民ちゃんは僕の腕を振りほどき、ババっと飛び退いた。

 

「そ、そーゆーことっ!

いちいち聞かないでくださいよ!」

 

「駄目?」

 

顔をぐんぐん真っ赤にさせて焦る民ちゃんの反応が面白すぎた。

 

「駄目です!」

 

ぷいっと顔を背けてしまった民ちゃんを僕は許さない。

 

逃げる民ちゃんの二の腕を捕らえると、一度目の時より身体同士を密着させた。

 

「......」

 

上目遣いの民ちゃんと、5㎝の距離で目を合わせた。

 

「僕に言いたいことって、何?」

 

「う...」

 

「言わないと、もう一回するよ?」と言った途端、

 

「やめて!!」

 

どん、と民ちゃんに胸を押された。

 

その馬鹿力に僕は床に転がってしまい、慌てた民ちゃんに引っ張り起こされた。

 

「そ、そういう軟派なことはチャンミンさんらしくありません!」

 

「僕らしくないって言う前に、僕の質問に答えて」

 

「うっ...」

 

途端にだまりこくってしまう民ちゃんを、睨みつけた。

 

僕の睨みに負けた民ちゃんは、「ふう...」とため息をついてこう言った。

 

「分かりました。

言いにくかったのは、チャンミンさんを怒らせてしまうからです」

 

「僕を?」

 

悩み事だとか仕事上(ユン)で叱責を食らったとかの類じゃないことは、今夜の民ちゃんの様子でなんとなく読めていた。

 

僕に関することかなぁ、って。

 

そのままにしておけなくて、民ちゃんにしつこく迫っていたのだ。

 

「そうです。

言いにくくて...黙っていようとずっと思っていましたけど、チャンミンさんに隠し事はいけないですね」

 

「え~、怖いなぁ。

僕を怒らせてしまうこと?」

 

「はい」

 

おどけた風に腕をさすってみせたのは、モヤモヤとした不快感に襲われてきたのを隠すため。

 

真顔の民ちゃんは、脚を伸ばして座った姿勢から正座になった。

 

「チャンミンさんが私のことを嫌いになっちゃうかもしれません」

 

「嫌いに?」

 

付き合い始めて1週間足らずの間で、民ちゃんに嫌な思いをさせるようなことを、気付かないうちにしでかしてしまったのではと、ヒヤヒヤしていたから、彼女の言葉は意外だった。

 

ますます見当がつかなくなった。

 

「チャンミンさんがどうこうじゃなくて、私が悪いことなんです。

ですので、ジャッジするのはチャンミンさんです」

 

「ジャッジって...。

僕が民ちゃんのことを嫌いになるわけないじゃないか」

 

「...でも、分かんないじゃないですか」

 

「前置きはいいからさ、早く話して?

怒ったりしないから」

 

「分かりました」

 

僕ももたれていた壁から半身を起こし、民ちゃんの正面に胡坐をかいて座り直した。

 

「チャンミンさんのおうちで暮らしていた時です。

その時の私は好きな人がいるって、言ってましたよね?」

 

「ああ」

 

民ちゃんは彼を追って田舎を出てきたのだ。

 

彼のことを想う時、民ちゃんの顔はとろとろになっていた。

 

彼への想いがいつ消えて、僕へと移ったのか気になった僕は昨日、問いただしたのだ。

 

民ちゃんの答えは、『今はもう好きじゃない』だった。

 

「チャンミンさんにはお伝えしていませんでした。

なぜって、その人はチャンミンさんの嫌いな人だからです」

 

「僕が...嫌い」

 

民ちゃんの『その人』は、僕も知っている人...。

 

もしや...。

 

「私が好きだった人は...ユンさんだったんです」

 

「!!!!!!」

 

絶句した僕は今、どんな顔をしているのやら。

 

口をあんぐりとさせていた。

 

「ユン...」

 

「はい。

私が好きだった人はユンさんです」

 

「ユン...?」

 

「はい、ユンさんです。

『今も好きなのか?』とチャンミンさん質問しましたよね?」

 

『もう好きじゃない』と答えました」

 

「ユン!?」

 

「チャンミンさんに質問された時から、黙っているのはよくないと思うようになったんです」

 

「ユンが...好きな人?」

 

僕の声はかすれていた。

 

「好き『だった』人です!」

 

以前、民ちゃんが片想いの彼のことをこう称していた...暮らしのステージが上の人、成功している人...なるほど、ユンにそのままあてはまる。

 

能力を買って都会へ出るよう勧めてくれた恩人、とまで話していた。

 

ギリギリと胃のあたりが痛んだ。

 

身体は熱いのに、冷や汗をかいていた。

 

「どうして黙っているのはよくない、と思ったのかな?

わざわざ僕に知らせる必要はないんじゃないかな?」

 

知りたくもないことを、僕が彼氏だからと馬鹿正直に報告する民ちゃんに苛ついた。

 

「そうですね。

ずーっと黙っていればいいことでしたね」

 

「知ってしまった僕は、ユンを見る目が変わってくるんだよ?

僕は今、ユンと仕事をしている。

今後、仕事がやりづらくなるって考えなかったのかな?」

 

この時初めて、民ちゃんの生真面目なところに腹を立てた。

 

「まるで私がユンさんと付き合ってたみたいな言い方ですね?」

 

「付き合っていたのなら話は別だ。

片想いだったんだろ?

だからこそ、僕に報告する必要は余計にないんだ」

 

「やっぱり...怒りましたね?」

 

「怒るに決まってるよ。

ねぇ、民ちゃん?

確かに彼氏と彼女だったら隠し事はよくない。

でもね、なんでもかんでも教える必要はない」

 

「......」

 

民ちゃんの口はへの字にゆがみ、両眉も下がっている...もうすぐ、泣きだすだろう。

 

「全部知ってもらおうとか、知って欲しいとか...。

束縛って言うんだよ?」

 

いつしか僕は、理想の恋愛観を民ちゃんに語っていた。

 

民ちゃんにショックを与えるために、思ってもいない『束縛』だなんて強い言葉を使っていた。

 

「束縛とか...そうじゃないんです。

知ってもらいたいばかりじゃないんです。

そうじゃなくって」

 

「その通りだろう?」

 

民ちゃんのことをもっと知りたいと望んだそばから、自分にとって都合の悪いことは知りたくなくて彼女を責めた。

 

自分がここまで怒りっぽいなんて知らなかった。

 

 

(つづく)

 

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