(25)NO?-第2章-

 

 

かれこれ30分、二人はまんじりともせず天井を見上げていた。

ここに第3者の目があったら、掛布団からのぞく二人の顔は双子そのもので、事情を知らない者なら「成人してまでひとつの布団で眠るとは...仲の良い双子ですね」といった感想をもつだろう。

ところが彼らは血のつながりの一切ない赤の他人同士であり、付き合いたてほやほやの恋人同士でもあった。

彼らは揃って照れ屋ではあるが、いざ気持ちが高まると衝動的に本音を口走ってしまうことが多々ある。

(二人とも回りくどく、早とちりな面があり、一方慎重派であるため、気持ちが高まるまでに時間がかかりがちで焦れったい)

 

そのおかげもあってか、あれよあれよという間に恋愛関係までステップアップできたのである。

(こうして彼らがひとつの布団に寝ているのも、その好例のひとつになるだろう)

恋愛においては生まれたてのヒヨコのような民が緊張のあまり寝付けないのは理解できるが、30男のチャンミンまで異常に緊張状態に陥っていた。

民の緊張が伝染してしまったのか、それに恥ずかしさがプラスされ、とても寝付ける状況になかった。

二人は行儀よく、10㎝の間隔をもって二本の丸太ん棒になっていた。

彼らの心境を覗いてみよう。

 


 

~民~

 

し、心臓が口から飛び出そう。

 

だって、だって...私...生まれて初めて男の人と一緒に寝てます...!

世の中のカップルはどうしてるんだろう。

一緒の布団に入ったら、毎回『そういうこと』をするものなのかな。

困ったな、今夜の私は『そういう』つもりはないんだけどな。

「一緒に寝ましょう」と誘ったのは私だから、今さら『そういう』ことは『ナシ』でお願いしますなんて、都合がよすぎるかな。

 

チャンミンさん!

『する』のか『しない』のかはっきりしてくださいよ!

目を覚ましていることは分かっているんですよ!

 

...わかった!

エッチをしようか、今夜は見送ろうか迷っているんだ!

あの紐パンを穿いてきた方がいいのかなぁ...でも、ヤル気満々でおかしいよね。

 

...でも、私も気持ちの準備がまだです。

今夜は見送ってください。

 

「泊まっていってください」の言葉は、あのままバイバイするのが寂しかっただけですからね、「エッチしましょう」の意味じゃないですからね。

念を押しておいた方がいいかな...チャンミンさんは早とちりの名人だから。

 

「......」

 

ハグくらいしてくれたっていいのに...。

そっか!

私からボコボコにエロ親父扱いされるのが怖いんですね、分かってますよ。

でもね、何もないのもガッカリ...してしまうんですよね。

う~ん、私から近づいた方がいいのかなぁ。

「......」

暑い、身体が熱い...布団を跳ねのけたい。

 


 

~チャンミン~

 

狂ったようなこの鼓動の速さは一体どういったことだ?

今の僕はまるで思春期の男子中学生になっている。

民ちゃんは案外鋭いから、僕が緊張していることは大バレしてると思う。

さらに、察していても黙っていることができずにずばり指摘する子だ。

何度僕を慌てさせ、こっぱずかしい思いをさせてきたことか!

前回の恋までは、互いに無言の了解がなされていて、自然な流れでそっち方向へと持ち込んでゆけた。

彼女たちが漏らす「イヤっ」も、ムードを盛り上げる喘ぎのひとつだったりする。

ところが、隣にいる子は単なる女子じゃない。

民ちゃんの「イヤっ」は正真正銘の「嫌」だったりするから、気を遣わないといけない。

でもね民ちゃん、彼氏を布団の中へ招き入れるなんて...無防備過ぎるよ。

「襲ってもいい」って、大抵の男は勘違いするよ。

民ちゃんのことを分かりかけてきた僕だから、都合のよい勘違いはしないし、今夜は手を出したら駄目なんだ。

民ちゃんなりに理想の流れがあるだろうから...。

 

...などと、頭の中で自分に言い聞かせていた。

 

横目で民ちゃんを窺うと、薄暗い中で彼女の白い顔がぼうっと浮かび上がっていた。

身動ぎすると布団の中で温められた空気が動き、民ちゃんの香りが僕の鼻腔をくすぐる。

そのミルクのような甘い香りは、僕の頭の芯をしびれさせる。

暑い、布団の中が熱い...!

仰向け寝は辛い、寝返りをうちたい!

 


 

チャンミンは「うう...ん」と呻いて、ごろりと寝返りをうった。

寝言らしき「むにゃむにゃ」と漏らしたあたりが、下手過ぎる演技だった。

 

「!」

 

チャンミンに背中を向けられ、さらにシングルサイズの布団を持っていかれ、民はムッとした。

民は布団をつかむと、ごろんと大きく反対側へと寝返った。

 

「!」

 

自身の肩から布団が消え、チャンミンの身体にぶるっと寒気が走った。

振り向くと、掛布団に丸々とくるまった民の後ろ姿と、その端からは彼女の頭頂部の髪がふわふわと飛び出していた。

チャンミンの中にぞくぞくと、悪戯心が湧いてきた。

民の肩から布団を奪うと、えいっと反対側へと寝返った。

 

「!」

 

くの字に横たわった民だけが取り残され、冷え冷えとした空気に身震いした。

ムッとした民は布団を引っ掴むと、ごろんと一回転して簀巻きになった。

チャンミンは、負けじと簀巻きになった民を布団ごと抱きしめ、のしかかった。

 

「おも、重い!

チャンミンさん、重いです!」

 

ロール状になった布団で両手が塞がれているため、民は膝下をばたつかせた。

 

「民ちゃんが布団を独り占めしてるからだよ」

「ふん、だ。

私、知ってるんですからね」

「へえ、何を?」

「...蛇の生焼けですか?」

「えっ、蛇のなんだって?」

「蛇の生焼けです」

「...不正解」

「蛇の生煮え」

「微妙に違うよ」

「蛇の生贄」

「遠くなった」

「えーっと、蛇の半殺し」

「もうちょい!」

「蛇の佃煮」

「......」

「蛇の網焼き」

「民ちゃ~ん」

「あははは。

蛇の飼い殺し」

「正解は、蛇の生殺しでした」

「似たようなものです。

チャンミンさん、我慢してるんですね。

エッチしたくて仕方がないんでしょう?」

「...民ちゃん...」

 

中途半端に否定して、民から鋭いツッコミを受けるよりも、正直に答えた方がよいとチャンミンは判断した。

 

「...うん、そうかもね」

チャンミンの返答に、民の背中がビクリと震えた。

「そ、そそ、そう...そうです...か」

「大丈夫だよ、今夜はしない」

 

そう言ってチャンミンは民の頭を撫ぜた。

 

(つづく)

(24)NO?-第2章-

~チャンミン~

 

僕の脳みそはフル回転。

以下の通りだ。

 

 

アレを持ってきていない。

...それ以前に、調達していない。

 

(リア時代の時のものは、全部捨ててしまった。

引っ越し準備の時、民ちゃんに見つかってしまったんだよなぁ。

こっぱずかしい思い出だ)

 

彼女のことを思えば、『ナシ』で致すのはいかがなものか。

彼女は誘っているのだろうか。

それとも、いつもの冗談交じりのものだろうか。

困った。

こうやって迷っている時点で、したがっているじゃないか。

...民ちゃん、用意していないよね...まさか!

彼女のことだから、用意していそうだ。

尋ねてみようか。

 

 

「こんなこと訊くのは恥ずかしいんだけど...」

「さすがに今夜は無理です。

心の準備ができておりません」

「!」

 

民ちゃんは乗り出していた身体を引いた。

残念だったし、非常にほっとした。

 

「話題が『そっち方面』にばかりになってしまい申し訳ありません。

私の最大の心配ごとですので、頭の中はそれでいっぱいだったのです」

 

こういうところが民ちゃんらしいな、と思いつつ、男とは恋愛が全てになりにくいからか、ある程度の経験を積んだ年齢だからか、彼女ほどは重大事項にはなっていなかった。

だからと言って、適当にあしらうことはしたくない。

 

「そうそう!

もうひとつチャンミンさんに相談ごとがありました」

「どうぞ」

「...やっぱり、止めておきます」

「どうして?

遠慮しなくていいんだよ」

「彼氏だからと言って、全てを赤裸々に明かすのはどうかと思いました。

ですので、忘れてください」

「え~、気になるなぁ。

さっき言ったことは忘れていいんだよ?

なんでもかんでも話せばいいってものじゃない、って言ったけど、忘れて」

 

この言葉はいかにもキツかったと反省したのだ。

民ちゃんはONかOFFかの、極端な思考をしがちな子ではないかと、僕は判断していた。

状況を見てGOかSTOPを推し測るのが苦手な、不器用な子なんだろうなぁって。

だから、僕の言葉を受けて徹底的に口をつぐむんじゃないかなって。

 

「私の頭の中はアレでいっぱいなんです。

アレ関係の内容です。

...やっぱり今夜は止めておきます」

「ますます気になるなぁ」

「チャンミンさんの性欲に火をつけたくありません」

「そっか、分かったよ」

 

そう言いながら、民ちゃんがちらちら見ているものが気になっていた。

それはカラーボックスの上の置時計で、時刻は1時を過ぎていた。

僕はともかく、民ちゃんを寝不足にしてしまい、明日の仕事に支障が出てしまう。

立ち上がった際、自分がコートを羽織ったままだったことに気づいた。

 

「もうこんな時間だ。

遅くからごめんね。

帰るよ」

「ホントだ!」

 

今やっと、気づいた風を装った民ちゃんも立ち上がった。

乱れてもいない髪をなでつけ、ついてもいないパジャマのホコリを払っている。

(民ちゃんは僕以上に綺麗好きなようだ。室内は清潔に整えられている)

 

靴を履き終わった僕はドアを開け、玄関先に立つ民ちゃんと向き合った。

 

「......」

「......」

 

「ごめんなさい。

外は真っ暗だから気を付けて帰ってくださいね」

「僕は男だから平気だよ。

外は寒い。

見送りはいいからね」

「はい」

 

「......」

「......」

 

この沈黙は...何だろう。

民ちゃんは何か言いたがっているし、実は僕も。

 

「じゃあ、帰るね」

「はい」

「......」

「......」

 

「ユンのことは任せておいてね」

「はい」

 

「......」

「......」

 

共用階段へと進みかけたところ、僕は立ち止まった。

僕は振り向いた。

「ねぇ」

「あのっ」

僕らの呼びかけは同時だった。

 

「......」

「......」

 

一瞬間、僕らは顔を見合わせていた。

民ちゃんからの言葉を待つだなんて、奥手なことはしないよ。

 

「泊まっていってもいい?」

「泊まっていってください」

 

「......」

「......」

 

「!!」

「!!」

 

まるでアニメのように、民ちゃんの顔が赤くなっていった。

廊下に灯った頼りない照明の下でも、明らかだった。

僕は無言で玄関へと戻り、民ちゃんも無言で僕を迎え入れた。

コートを脱いでいると、民ちゃんは布団を敷いていた。

1LDKか2Kの部屋に引っ越して、民ちゃんと一緒に暮らしたら...なんて、妄想したっけな。

あれからどれくらいが経ったんだっけ?

一緒に暮らしていた時は、部屋が違った。

 

「狭いですがどうぞ」

 

僕の返事を待たずに、民ちゃんは布団にもぐりこんでしまう。

掛け布団から両目だけ出して、その目はきれいな半月型になっている。

涙袋もふっくらとしていて、掛け布団に隠されて見えないけれど、両ほほも高く持ち上がっているだろう。

笑った自分の顔ってどんなだっけ?

きっと僕も同じような表情になっているだろうな。

「電気を消してください」と頼まれた通りにした。

真っ暗になった途端、緊張度が増してきた。

 

(こ、この状況は相当...相当だぞ)

 

民ちゃんは端まで身体をずらすと掛け布団を持ち上げて、ぽんぽんと空いたスペースを叩いた。

なんだかよく分からないけれど、勢いでこんな展開になってしまいました。

三十路の男がここまで緊張するとは!

手の平にも脇の下にも汗をかいている。

別れがたくて、エロ心抜きでもう少しだけ一緒にいたいなぁと思った結果がこうだ。

明日が仕事じゃなければ、夜食を食べながら自然と思いついた自由で気楽な話題で会話を楽しみたかった。

スウェットの上下で駆けつけた僕は、そのまま就寝OK。

民ちゃんの隣に収まった時、猛烈に後悔した。

 

(ステップアップし過ぎだろう?

違う!

僕には『そういうつもり』はない。

今夜は一緒に『寝る』だけだ。

『寝る』とはSleepの意味だ!)

 

照れた僕らは揃って仰向けで、天井を見ていた。

 

 

今回の小さなすれ違い。

なるほど...恋人同士というのは、こういった小さなイベントを積み重ねていくごとに、繋がりを深めていくんだろうなぁ。

しみじみとそう思った。

どうしても、前の恋愛と比較してしまう癖になってしまうところはなんとかしないと。

民ちゃんに失礼だし、当然、リアに対しても同様だ。

前の恋愛と今の恋愛は全く別のもの。

 

「......」

 

ユンとの予定が入っているのは確か、明後日だ。

週末には、渋々受けたモデルとやらの依頼があり、それより先にユンに念を押すことができるから好都合だ。

...ところで、民ちゃんはどうしてユンの元から離れようとしないのだろう。

雇人と雇われ人の関係を超えるようなことが起き始めているのだから、辞める手もあるはずだ。

その辺りは、僕の念押し後のユンの変化次第だな、うん。

 

 

「ごくり...」

 

コチコチと目覚まし時計の音がやたら大きく聞こえる。

民ちゃんも眠りについた気配がしない。

ハグくらいした方がいいのかなぁ、と迷ってはいた。

民ちゃんの方からくっついてきてくれないなぁ、と期待もしていた。

民ちゃんに背を向ける格好で横向きになったら、彼女を傷つけるかなぁ。

かといって、民ちゃんと向かい合わせも...恥ずかしい。

仰向けでは寝付けない僕は、寝返りひとつに悩んでいた。

 

「はあ...」

 

思わずついたため息に、耳ざとい民ちゃん。

 

「なんですか、そのため息は」

「緊張してしまって...」

 

正直に認めた。

「ですよね。

私もドキドキです」

 

(つづく)

 

(23)NO?-第2章-

~民~

 

ユンさんのアトリエでショッキングな光景を目にした私。

ぼーっとした頭で駅まで向かう途中、目についたそこに吸い寄せられていった。

壁も天井も床も白、クラシカルな建具と什器で女子が好みそうな内装。

そこに並ぶのはパステルカラーの、ふわふわと可愛らしいものたちだ。

店内はとてもいい香りがする。

ランジェリーショップに足を踏み入れるのは初めてだった。

私には縁のない世界。

入店すると案の定、店員もお客さんも怪訝そうな目で私を見る。

彼女にプレゼントするランジェリーを買いに来た男子のつもりで、商品を見て回る。

この場に不釣り合いな自分にいたたまれなくなるはずが、平気だったのだ。

大胆になっていた。

ユンさんとリアさんの衝撃の大きさに、感覚が麻痺していたのだろう。

それに、特別な日のための下着を、近いうちに探しに行かなければ、と思っていた。

自分のサイズに合ったものがすんなりと見つかるはずはない、と分かっていたから余計に、下着探しは重々しいミッションだった。

 

(「レースか紐かどっちがいい?」だなんて口にするんじゃなかった。

だって、チャンミンさんを喜ばせてあげたかったんだもの。

普段のものじゃあまりにも色気がなさすぎるからなぁ。

チャンミンさん...楽しみにしているだろうなぁ)

 

大胆になった今こそ、ミッションをクリアできるグッドタイミングなのだ。

冷静に商品を1着1着見てゆく。

チャンミンさんのにやけたえっちな顔を思い浮かべる。

鏡の前でカナリア色のセットを、身体に当ててみる。

 

「なんか...イメージと違うなぁ」

 

クリーム色のレースが胸のふくらみに沿い、中央に可愛らしいリボンがあしらわれている。

厚めのパットが胸のボリュームアップを叶えてくれるのだとか。

チャンミンさんはリアさんという、スタイル抜群、細いのにおっぱいが大きい美人さんと付き合っていた。

みしっと胸がきしんだ。

チャンミンさんの前カノのことを想像したり、私とを比べたらいけない。

自信をなくすだけだから。

 

「可愛い...」

 

知らず知らずつぶやいていたようだ、近くにいた女性が「うわぁ...」と眉をひそめている。

咳払いしてみせると、彼女はバツが悪そうに別のコーナーへ移っていった。

(これでも私は女なんですよ)

ブラジャーはワイヤーが入っていると、ぺたんこ胸の自分にはかえって都合が悪い。

 

「はあ...」

 

私にぴったりなブラはない...チャンミンさんごめんなさい、Tシャツを着たままになりそうです。

元のラックにカナリア色を戻し、あきらめて店を出ようとした時、店内奥が目にとまった。

「?」

L字形をした店内の奥は一転、壁も床も黒一色だった。

黒色のインナーなら慣れている。

 

(見るだけなら...)

 

コンセプトも一転して、大人セクシー路線だった。

商品もダークカラーで統一されている。

機能性よりも、肌触りと見た目重視...見せるためのランジェリーだ。

布なんて少ししか使っていないのに、パンツ1枚がスニーカーと同じ値段だなんて。

スポーツタイプのものしか知らない私には、あり得ないお値段だった。

 

でも...特別な日に使うものなのだから、奮発しないと!

 

「試着してもいいですか?」の言葉は、とても言えそうにない。

店員のお姉さんはさすがプロで、ランジェリーを選びに来た青年にいぶかし気な視線は送らない。

にこにこと、ショーケース下のラックから何着も出しては広げて見せてくれるのだ。

チャンミンさんご所望の、紐タイプとレースタイプ...。

私は鏡の前で当ててみては、う~んと想像をめぐらした。

男顔に凹凸のない身体には似合わないことは百も承知な点は無視だ。

全てが初めて尽くしの、とても大事な時のために、私は恥じらいを捨てますよ。

 

(どうしよう...どちらも可愛い)

 

結局選べなかった私は、両方購入することにしたのだ。

紐とレース。

ブラジャーを購入するだけの予算はなかったけどね。

チャンミンさんはどちらを選ぶのかなぁ?

 


 

~チャンミン~

 

民ちゃんの右手には紐タイプ。

サテンリボンの端を引っ張れば、はらりとほどけてしまう。

左手にはレースタイプ。

大事な部分がレースの網地から、透けてしまっているデザインだ。

僕は民ちゃんが愛用している下着を知っているから、見事に真逆なこの2着に思考が追い付かない。

頬が緩まないよう、目をつむり、これらを身につけた民ちゃんを想像する。

どちらもつるりとしたレース素材で、黒、隠すべき面積が著しく小さい。

 

「......」

 

僕の選択を待つ民ちゃんは、じぃ~っと一切目を反らさない。

 

「で、どちらです?」

ずいっと顔をもっと近くに寄せてきた。

茶色がかった眼が澄んでいて綺麗だなと見惚れながら、「ひ...紐」と答えた。

 

「紐ですね、了解です。

あの...チャンミンさんは笑わないんですね?」

「どうして笑わなくちゃいけないの?」

「馬鹿みたいですよね。

私に似合うわけないのに...張り切っちゃって...恥ずかしいです」

「民ちゃん、何度も言うけどさ、僕は民ちゃんがいいんだ。

前も話しただろ?

胸のサイズがカノジョ選びの基準に入っていない」

「信じますよ、その言葉?」

「うん。

それからね、民ちゃんは1週間後にこだわっているみたいだけどさ。

何月何日の何時にやります、って決めちゃったら、ムードもくそもない。

僕も緊張してしまう。

こういうのはね、雰囲気と流れに任せるものなんだよ」

 

アレに持ち込むまでの心得を、カノジョに説明する必要があるなんて。

さすが民ちゃん、これまでのカノジョとはひと味もふた味も違う。

 

「あらら、そうなんですか?

病院で言っていたことを鵜呑みにしてました。

チャンミンさんの希望かな、って」

「あれは適当に言ってしまったことだよ。

だから、『いつ』にこだわるのはよそう」

「...ということは...『今夜』ってこともあり得るんですね?」

「そ、それは...」

 

何ごとにも極端で、くそ真面目な民ちゃんらしいけれど、今夜ってのはなぁ。

 

(つづく)

 

(21)NO?-第2章-

 

~チャンミン~

 

民ちゃんは僕の正面までにじりよると、正座をした。

 

「チャンミンさんへお願いがあるんです」

「いいよ。

僕にできることなら、何でも」

民ちゃんに弱い僕のことだ、大抵のことなら応えてあげられる自信がある。

民ちゃんの手が伸びてきて、僕の手と繋いだ。

 

「ユンさんに...して欲しいことがあって」

「ユンに?」

「はい。

ユンさんに、私とチャンミンさんはお付き合いしていることを伝えて欲しいのです。

チャンミンさんの口から」

 

なるほど...。

民ちゃんの気持ちは既に自身にないことを知っても知らなくても、ユンは意に留めないだろう。

僕の口から「民ちゃんの彼氏は僕、チャンミンだ」と宣言してやれば、ある程度の牽制にはなる。

なぜなら、僕は仕事の発注者の立場にあるからだ。

ユンにとって僕は得意先、非常識なことはしにくい。

「いいよ。

次に会った時、ユンに話しておくよ」

仕事の話の前後に出すには相応しくない話題だけど、構いはしない。

 

「民ちゃん...ホント、ごめん」

僕はあらためて民ちゃんに謝った。

 

最後まで話を聞いてみて、民ちゃんが「かつてユンが好きだった」とまず話し始めたわけがわかったのだ。

順を追って話そうとする民ちゃんを遮り、ヤキモチを妬いて彼女を傷つける言葉を吐いた。

民ちゃんよりも僕の方が余程、子供っぽい。

 

「はい、これで私の話はお終いです。

最後まで聞いてくださりありがとうございます」

ぺこり、と民ちゃんはお辞儀した。

 

「ねぇ。

敬語はいいよ」

 

僕らが初めて会った時の関係性だと、民ちゃんが敬語になるのは分かるけれど、今はそうじゃない。

民ちゃんが僕に気を遣って敬語のままでいるとしたら、悪いなぁと思ったのだ。

 

「カノジョが敬語なんてさ...変じゃないかな?」

「変...ですか?」

僕の言葉に民ちゃんは考え事をしているようだ、一時停止している。

「もっと気楽にさ」

と、民ちゃんは突然立ち上がった。

 

「?」

「なあ、チャンミン」

「へ?」

「お前に見せたいものがあるんだ」

「民...ちゃん?」

民ちゃんはぽかんとする僕を振り返った。

 

「なんだ、チャンミン?

蛇が蚊を飲み込んだみたいな顔をして?」

「...民ちゃん、言葉の使い方間違ってるよ」

「じゃなくて、棒を飲み込んだ顔をして?

うーん...違うなぁ。

そうそう!

ひょっとこみたいな顔をして」

「そりゃあ...びっくりするよ」

「ふん。

チャンミンに見てもらおうと思ってさ」

 

民ちゃんはクローゼットから、紙袋らしきものを取り出した。

そして、どかっと胡坐をかいて座った。

 

「お前が好きそうなものだ」

「あのね、民ちゃん。

何も男言葉にしなくてもいいんだよ?

僕が言ったのは、敬語は使わなくてもいいんだよ、っていう意味。

僕は構わないんだけど...民ちゃんが窮屈じゃないかなって?」

民ちゃんの男っぽい容姿と男言葉は、それほど不釣り合いでもない(絶対に彼女には言ってはいけないことだ)

 

「...窮屈じゃないですよ。

私にとってチャンミンさんとお話するのは、この言葉遣いしか考えられないのです」

「う~ん...そうだね」

「私が急に、『チャンミンってさ、...顔がエロいんだけど?』って言い出したら...落ち着かないでしょう?

『チャンミ~ン、勃ってるってば!』とか?」

「あのね、民ちゃん...。

どうして例文がそういう系なわけ?」

「あはははは」

 

大きな口で笑う様子に僕はホッとした。

交際わずか1週間で初めての喧嘩、仲直りは翌日に持ち越さずに済んだ。

リアと付き合っていた時は、気の強い彼女の機嫌を損ねないよう先回りに行動していた。

激しい言い争いに発展するのが嫌で、言い控える時も多かった。

険悪ムードになってしまうと、それを平常モードに戻すために相当な努力が必要だった。

ああ、ダメだ。

リアと民ちゃんを比べたらいけない。

 

「...チャンミンさん?」

 

思考から戻ってみると、民ちゃんに間近から覗き込まれていて、その近さにドキンとした。

室内は常夜灯を付けただけで、とても暗い。

だから余計に嗅覚と触感が敏感になる。

民ちゃんの首筋から漂う香りだとか、体温だとか...どうしても色っぽい方面に行ってしまいがちな僕だ。

 

「電気つけようか?

暗いよね」

腕を伸ばして天井灯のスイッチを入れた。

 

パカパカっと点滅の後、白々と室内は明るくなり、目に映るものが全て生っぽく感じられる。

パジャマ姿の僕のカノジョ、カノジョが寝ていた布団...。

 

「民ちゃん...これ?」

 

民ちゃんの膝に乗ったビビッドピンクの紙袋に、僕は問うような視線を送った。

最初はプレゼントなのかな、と思った。

ところが真剣な表情で、民ちゃんはこう言うんだ。

 

「相談ついでに、チャンミンさんに選んでもらいたいものがあるんです」

民ちゃんは紙袋から出したものを右と左、僕の前にぶら下げてみせた。

「紐とレース。

どちらがいいですか?」

「...民ちゃん」

 

目の前で揺れる小さな下着は、僕の男を刺激するには十分過ぎるほどだ。

それ以上に胸をドキドキさせたのは、僕に選んで欲しいと頼むカノジョの可愛らしさだ。

 

(つづく)

(20)NO?-第2章-

~チャンミン~

 

数時間遅れになってしまった民ちゃんへのフォロー。

僕に対する反応がスピーディな民ちゃんに反して、つくづく僕という男は、ワンテンポ反応が遅い。

...そうでもないか。

嫉妬心を露わにしてしまうのは、条件反射のように素早かった。

僕が来ていると知るや、民ちゃんは通話を切ってしまった。

 

(民ちゃんらしいな)

 

チャイムを1度だけ鳴らし、民ちゃんがドアを開けるのを待った。

しばし待った後、一向にドアが開かない。

「勝手に入っておいで」のつもりなのかな?

ノブを捻ると鍵は開いていて、僕はその隙間から顔を覗かせ「民ちゃん?」と声をかけた。

 

(...ん?)

 

室内は真っ暗だった。

「寝てしまったのか?」と思いかけて、僕はくすりとした。

 

(...なるほど)

 

僕を驚かせようと、部屋の引き戸の裏に隠れているんだと、民ちゃんのキャラクターから予想がついた。

逆に驚かせてやろうと、僕は音をたてないよう靴を脱いだ。

忍び足でキッチン(ひと口コンロと小さなシンク)を通り過ぎ、引き戸をそうっと開けた。

ビックリ仰天する民ちゃんを想像して、忍び笑いを堪えるのがやっとだった。

民ちゃんが隠れているとおぼしき辺りに向かって...。

 

「わっ!!」

(...あれ?)

 

僕の反撃に、あがるはずの悲鳴が聞こえない。

常夜灯が灯るだけの薄暗い部屋だ、引き戸の脇に目をこらしても民ちゃんがいなかった。

部屋の片端の布団が、やけにこんもりしているように見えた。

 

(あそこに息をひそめて隠れているんだな)

布団にもぐって隠れている民ちゃんを想像すると...ダメだ、可愛すぎる(さぞかし僕は緩んだ表情しているだろうな)

 

フローリングの床がぎし、ときしんだのにはドキっとしたけれど、そろそろと布団の場所に近づいた時...。

ぐにゃり、と柔らかいものを踏んだ。

 

「...ひっ!」

 

僕の足元に長々とした黒い塊。

それが民ちゃんだと一瞬間で頭では理解していた...いたのだけど...。

 

「うわあぁぁぁぁぁ!!」

 

僕はビックリ仰天、尻もちをついてしまった。

「はあはあはあ...」

 

床に片頬をつけ、うつ伏せになった民ちゃんはぴくり、ともしない。

(何か持病でもあるとか!?)

 

「...民ちゃん?」

 

肩をぐらぐら揺さぶっても、身動きしない。

 

(意識がない!

救急車か!)

民ちゃんの頬をぴたぴた叩いた時、

「ばあ...」

「ひぃっ...!」

 

悲鳴を飲み込んだ僕の首に、民ちゃんの腕が巻き付いた。

「チャンミンさんに会いたかったです...」

 

そう囁かれ、民ちゃんの熱い吐息が、外気で冷えた僕の耳たぶを温めた。

同時にぞくり、とした。

当然、僕の両手も民ちゃんの背中に回った。

民ちゃんは僕を驚かせようと、死んだふりをしていたらしい。

 

(全く、この子は...)

 

ぎゅうっと力いっぱい抱きしめた。

横座りした民ちゃんは僕に引き寄せられて体勢が苦しそうだった。

民ちゃんの腰を引き寄せて、僕の膝に乗せた。

民ちゃんは僕と向かい合わせになって、あぐらをかいた僕の両腿にまたがっている恰好だ。

なかなか刺激的な体勢だなぁ、と思った。

 

「...ごめん。

僕が悪かった。

えーっと、あれは僕のヤキモチだ。

だから、ムキになってしまって...。

本当にごめん」

 

僕ははっきりと認めた。

民ちゃん相手なら、僕の格好悪い女々しい一面を見せても平気だと思った。

これまでも何度も格好悪いところを民ちゃんに見られている僕だ。

ここ最近は、民ちゃんが僕と瓜二つの顔をしている事実なんて、すっかり忘れている。

そうであってもやっぱり、僕らは双子以上に同じだと、心の奥深いところで認識している。

そのせいで、その他の女性と接する時とは全く違う感覚を抱いてしまうのも事実なのだ。

違う感覚とは...不思議に満ちていて、ほっとくつろげて、同士のようで、でも恋愛感情を沢山、とても沢山抱いている。

心を込めて謝れば必ず許してもらえる安心感もある...これは僕の希望かな?

 

「ごめんなさい。

変なコト話しちゃって。

...チャンミンさんの立場になって考えてみたんです。

凄く嫌だろうなぁって。

ごめんなさい」

「謝るのは僕の方だ。

あれは全部、僕が悪い。

ごめんな」

「ぐすん」

「ぐすん」なんて実際に発音してしまう子を、初めて見た。

僕は民ちゃんの背中を撫ぜた(ブラジャーを付けていないんだ、と気付いてしまったりして)

 

「まわりくどい話し方をしてしまって、ごめんなさい。

本題に入る前の説明が、長かったんです。

全部話す前に、チャンミンさん、怒っちゃうから...」

「そうだったね。

話を遮ってしまった僕が悪かった。

...ほんと、ごめん」

 

突然、どん、と胸を突かれた。

 

「!!」

僕は再び尻もちをついてしまった。

 

「私っ...嫌われたかと思ったんですよ?

たくさん泣いたんですよ?

チャンミンさんの...バカチン!」

 

ひっくり返った僕は、民ちゃんに引き起こされ、再び彼女の両腕が僕の首に回された。

民ちゃんのミルクみたいな甘い匂い。

密着した胸と腰も、民ちゃんの腕がからんだ首の後ろも肩も、彼女がのっかった太ももも...熱い。

 

マズい...。

 

僕のそこが反応しないようにしないと。

僕らは今、大事な話をしているというのに!

 

(つづく)