(1)NO?-2章-

 

~君が抱かれる夢を見た~

~民~

 

民は寝付けなかった。

 

それも当然。

 

片想いは得意だった。

 

誰かから恋心を告げられる経験ゼロ、その想いが実を結んだ経験もゼロ。

 

いつの間にか芽吹いて成長し、たわわに実らせ収穫を待つばかりだったチャンミンへの恋心。

 

思いがけないタイミングで、チャンミンによってその実はもぎ取られた。

 

(彼氏ができた!

初彼氏!)

 

「きゃーー!!」

 

民は顔を覆って、悲鳴をあげる。

 

(しかも、お相手はチャンミンさん!!)

 

じっとしていられなくて、右に左にと無意味に寝返りを打つ。

 

(チャンミンさんが私の...彼氏...!!)

 

とても横になっていられなくて、民は飛び起きた。

 

蛇口から注ぐ冷たい水で、豪快に顔を洗った。

 

「...あ...」

 

洗面所の鏡に映る自分の姿に、顔を拭くタオルの手が止まる。

 

(チャンミンさんは、こんな私のどこがいいと思ったのかな。

どこをどう見ても...男だ)

 

パジャマの衿口からまっ平らな胸を覗き込む。

 

「はあ...」

 

(『初えっちはいつにしますか?』なんて言ってしまったけど...。

心づもりしておきたかったのよねぇ。

2週間かぁ...。

とてもとても、こんな身体じゃ無理だわ...)

 

続いてめくったパジャマのズボンの中を見下ろす。

「......」

(こんな色気のないパンツじゃ駄目よね。

レースのとか、可愛い色のとか...)

 

ところが、実際にそれを身につけた姿を想像すると...民の顔が歪む。

 

眉根をひそめて口角を下げた表情があまりにブサイクで、民はもっと落ち込んでしまった。

 

「はあ...」

 

(私の身体を見せるわけにはいかない...。

そうか!

真っ暗闇の中ですればいいんだ!

おっぱいを触ろうとするのを断固として阻止すればいいんだ!)

 

「よし!」と頷いた民は洗面所の照明を消して布団に戻る。

 

(Tシャツを着たままでいるっていう方法もあるんだし。

ムードに欠けるかもしれないけど...)

 

思いついた解決法に安心したこともあって、たちまち眠りにつけたのであった。

 


 

~チャンミン~

 

首に絡められたしなやかな腕。

 

のけぞった白い喉に舌をはわせると、その腕の力が抜けて僕は抱きとめた。

 

僕の動きに合わせて、彼女の頭はマットレスすれすれのところを揺れる。

 

ウエストをすくい上げ、目前に接近した柔らかな先端を口に含む。

 

僕の手の下の肌が小さく痙攣する。

 

半分閉じたまぶたの下の色素の薄い瞳に、長いまつ毛が影を落としている。

 

大好きな人。

 

下半身の快感と胸のときめきが相まって、僕はもう幸せの絶頂だった。

 

僕の唇の下で、彼女の胸先が固く尖る。

 

唇を耳の下に移動させて、甘い香りを胸いっぱいに吸い込みながら彼女の太ももを押し広げる。

 

彼女の細い脚を割って組み敷くのは、浅黒くたくましい腰。

その広い背中は長い黒髪に覆われている。

 

ん?

ん?

ん?

 

喘ぎと共に漏れたか細い民ちゃんの声。

 

!!!

 

民ちゃんの上になっているのは...僕じゃなかった。

 

ベッドの上で絡み合う二人の肢体を、僕はドアの隙間から覗き見ていた。

 

美しい2人だから、絵になる光景。

 

僕の気配に気づいて、上になった男...ユンが振り向いた。

 

口の片端だけゆがめて意味ありげに笑う。

 

そして、民ちゃんの太ももに唇を押し付けた。

 

 

「うわぁぁぁっ!」

 

僕はガバっと跳ね起きた。

 

殺風景な白いクロス壁、布団の足元には、積み上げられた段ボール。

 

夢!

 

な、なんだったんだ!

 

今の夢は、一体何なんだ!

 

民ちゃんが他の男とヤッている夢を見た。

 

相手の男が...。

 

あの男...ユンだった!

 

民ちゃんがヤッてる夢を見すぎだろ!?

 

一昨日は、僕と。

 

今日は...ユンと...。

 

マズい...マズいぞ...。

 

これ系の夢を見てしまっても、昨夜のことがあるから仕方ない。

 

民ちゃんとアレする夢を見てしまっても、仕方がない。

 

民ちゃんが僕の彼女になったんだから。

 

でもさ...どうして「ユン」が登場してくるんだよ。

 

民ちゃんが警察沙汰になった時も、不快な夢を見た。

 

家出(?)をした民ちゃんがユンと一緒に居た、という夢を。

 

僕の夢にどうしてユンが登場するんだよ。

 

これはもう...事件だ!

 

 

(つづく)

 

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(98)NO?

~民~

 

チャンミンさんは、リアさんの「本当のこと」を知らない様子だった。

リアさんに部屋まで来るように誘われて、そこで聞いた「本当のこと」

身体のラインが丸分かりの、スリムなワンピースを着ていたリアさん。

真っ先にお腹に視線を向けた私に気付いて、リアさんは自嘲気味に言った。

 

「赤ちゃんはいないわ」って。

 

あの夜、聞いてしまったチャンミンさんとリアさんとの会話は、とても深刻そうだったから、

「赤ちゃん、残念でしたね」としか言えなくて。

 

そうしたら、

「そもそも妊娠なんてしていないの」って言い出すんだから。

 

ぽかんと口を開けた私。

 

「驚く顔もチャンミンにそっくりね。

ところで、チャンミンは元気そう?」

 

尋ねられて、「元気そうです」と答えた。

 

「あの...。

よく分からないのですが、『妊娠していない』って、どういうことですか?」

 

リアさんが手にしていたグラスの中身は、ジュースじゃなくてお酒で、「あなたも飲む?」と勧められたけど、断った。

 

「もう知ってると思うけど、浮気してたのよ、私」

 

「ええええーーー!!!」

 

「チャンミンから聞いていないの?」

 

大きく頷く私に、リアさんは「チャンミンらしいわね」と苦笑した。

 

「妊娠を疑っていたのは本当。

検査薬の箱を、たまたまチャンミンが見つけて。

その結果が、あの騒動よ。

最初は、自分が父親だと思い込んだみたい。

すぐに気付いたみたいだけどね。

だって、アレをしていないのに、出来るわけないじゃないの、ね?」

 

リアさんは可笑しそうにクスクス笑った。

慌てふためくチャンミンさんの姿が思い浮かんだけど、そんなチャンミンさんを笑って欲しくなかった。

 

「チャンミンの反応を見てみたかったのよねぇ...。

どれだけ慌てるか。

騎士道精神を発揮して、『僕が責任をとる』とか言い出しそうだし。

浮気相手の子を妊娠してると思い込んだまま、チャンミンは出て行ったわ。

私にべた惚れだったチャンミンが、まさか本当に出て行くとは思わなかった」

 

ムッとした顔の私に気付いて、「怒らないで」と言ったリアさんの美しい顔。

 

胸も大きくて、女の人そのもののカーブを描いた、華奢な身体。

 

華やかで、赤い口紅が似合って、長い髪の毛、高い声。

 

リアさんは私にはないものを全部持っている。

 

この綺麗な女の人を、かつてのチャンミンさんは抱きしめたり、キスをしたり、「好きだよ」って言ったり...してたんだ。

 

よじれるくらいに胸が痛くて、苦しくなった。

 

これは嫉妬だ。

 

涙がこみあげてきたのを、ぐっと堪えた。

 

「チャンミンは、『例の彼女』とうまくいってるの?」

 

「例の彼女?」

 

全くの初耳ネタで、きょとんとしてしまった。

 

「チャンミンが私と別れた理由。

あなたは聞いていないの?」

 

私が知っている範囲では、すれ違い生活に耐えられなかった云々、だったから。

 

「チャンミンったら、好きな子ができたんだって。

だから、私をフッたの。

どな子かしら。

どうせ、大人しくてか弱い、守ってやりたくなるような子なんでしょうね」

 

チャンミンさんの好きな人。

それは、私のことだ。

すぐに分かった。

「己惚れるのも甚だしい、自分の成りを見てみろ」と、以前の自分だったらそう思った。

チャンミンさんの好きな人は、私だ。

ふらふらとマンションを出た。

鼓動が早く、幸せと苦しさが混じったみたいな、変な気分だった。

駅まで着いたとき、チャンミンさんに電話をかけなくっちゃと思い至った。

新しい住所を教えてくれなかったチャンミンさんを、叱りつけないと(メッセージを無視し続けていた私が、言える立場じゃないんだけどね。)。

と、バッグの中で携帯電話が発信音を鳴らしだした。

空のタッパーが邪魔をして、電話に出るまでに時間がかかってしまった。

ディスプレイに表示された名前に、「さすが私たち。以心伝心」と得意な気持ちになった。

ところが...呑気そうなチャンミンさんに、腹がたってきて「馬鹿!」って怒鳴ってしまった。

 

 

チャンミンさんには、言えない。

チャンミンさんの慌てる姿を見たくて、お芝居をしたリアさんの話は言えない。

リアさんのことで身動きがとれずにいたチャンミンさんを、私は責めた。

チャンミンさんを振り切るようにあの部屋を出て、届くメールを無視し続けた。

いっこうに会いにこないチャンミンさんを、責めていた。

チャンミンさん、ありがとう。

美味しいご飯で釣るなんて、私のことをよく分かってますね。

チャンミンさんらしいです。

チャンミンさんの馬鹿。

私も馬鹿。

何やってんだろ、私たち。

照れ屋過ぎますよ、私たち。

 

(つづく)

【99】NO?

 

~チャンミン~

 

「チャンミンさんは、動かないで下さいね」

 

「?」

 

民ちゃんは僕を通り過ぎると、僕の立つ2段下で立ち止まった。

 

「民ちゃん?」

 

「チャンミンさん。

もう1回ハグしてください」

 

「いいよ」と返事をする前に、僕の胸に民ちゃんの頭がとんと押しつけられた。

 

そっか、そういうことか...。

 

「...憧れだったんです」

 

「うん」

 

「もうちょっと、こうさせてください」

 

「いくらでも、どうぞ」

 

民ちゃんの柔らかい髪をすく。

 

怪我をした箇所も、言われなければ分からない。

 

よかった。

 

「へへへ。

何だか...照れますね」

 

「うん」

 

民ちゃんの頭が、僕より低い位置にあって新鮮だったけど、なんだか慣れない。

 

「胸がドキドキしてますよ。

興奮してますね」

 

「き、緊張だよっ...」

 

「......」

 

「民ちゃん?」

 

「...私」

 

民ちゃんは階段を1段上がった。

 

彼女の顔が1段近くなった。

 

濃い影で民ちゃんの表情は細かいところまで確認できない。

 

見えなくたって、大丈夫。

 

僕とおんなじ顔をしてるんだから。

 

民ちゃんは僕の肩に額をつけた。

 

「こんなところで話すことじゃないって、分かってます。

...でも、今言います!

私...」

 

「民ちゃん...待った!」

 

民ちゃんの口を覆った手の平に、彼女の温かく湿った息と柔らかな唇を感じる。

 

そのまま僕の額を民ちゃんの額にくっ付けた。

 

僕の周囲から一切の音が消えてしまう。

 

全神経を集中させるあまり、民ちゃんの羽のようなまつ毛が、パサパサとまばたく音まで聴こえてきそうだった。

 

ふぅっと呼吸を整える。

 

覆っていた手を離す。

 

民ちゃんの瞳に外灯のオレンジ色の光が映り込んで、つやつやと光っている。

 

傾けた頬をそうっと寄せる。

 

一瞬だけ目を合わす。

 

触れた瞬間、民ちゃんの頬がぴくりと震え、僕は彼女のあごに指を添えた。

 

そして、唇と唇を合わせた。

 

ずくんと腰の奥が痺れた。

 

僕は今、民ちゃんとキスをしている。

 

ふかふかに柔らかい、マシュマロよりもっと柔らかい、民ちゃんの唇に集中する。

 

触れていただけの唇をほんの数ミリ離して、今度は押しあてるものに。

 

次は、食むようにして柔らかさを味わった。

 

痛いくらいに心臓は早く打っている。

 

民ちゃんは息を止めているようだ。

 

直立不動、カチカチに硬直している姿が可愛らしくてたまらない。

 

僕は唇を離して、民ちゃんの頬を両手で包んだ。

 

宝物を扱うように、そっと優しく。

 

ふぅっと民ちゃんは息を吐く。

 

民ちゃんが息を吸うのを確かめて、僕はもう一度唇を塞いだ。

 

身体が沸騰しそうに熱かった。

 

舌を入れるのは未だ早いよな...でも、やっぱり入れたいよな、とかなんとか。

 

頬を包む手の薬指が、民ちゃんの耳の下の早い脈拍を感じとっている。

 

ねえ、民ちゃん。

 

ずっとキスしたかった。

 

夢みたいだ。

 

「んっ...」

 

僕の胸の上で、民ちゃんの指がもぞもぞと動いている。

 

「チャ...ン...ミンさん」

 

塞がれた下で、民ちゃんが喘ぐ。

 

「嫌?」

 

唇を重ねたまま問う。

 

民ちゃんはふるふると首を横に振った。

 

「くる...苦しいです」

 

「深呼吸しよっか?」

 

民ちゃんの背を撫ぜてやる。

 

「ごめんなさい...」

 

ヤバい。

 

民ちゃんが可愛い。

 

キスに慣れていない民ちゃんが、可愛らしくてたまらない。

 

「私...あの...!」

 

「しーっ。

民ちゃん、よく聞いて」

 

民ちゃんの顔を覗き込んだ。

 

「好きだ」

 

「!」

 

「民ちゃんのことが、好きだよ」

 

「!」

 

「大好きだ」

 

民ちゃんは僕の胸に顔を埋めてしまった。

 

民ちゃんは照れている。

 

真っ赤な顔をして、ぴんと立った両耳も火照っているはずだ。

 

「好き」の一言だけじゃ、言い表せないくらい好きなんだけどね。

 

全部ぶちまけたらきっと、民ちゃんを驚かせてしまうだろうな。

 

「...チャンミンさん...」

 

「ん?」

 

「私...」

 

顔を押しつけたままもごもご言うから、くぐもった声が聞きとりにくい。

 

「...好き...です」

 

背筋に電流が流れたかのようだった。

 

「チャンミンさんが...好き...です」

 

ぶわっと涙が膨らんだ。

 

(つづく)

 

 

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(97)NO?

 

~あなたが好き~

~チャンミン~

 

建物の中とはいえ、季節は秋。

 

寒くて仕方がなくて、立ったり座ったり、廊下を行ったり来たりして、民ちゃんを待っていた。

 

民ちゃんが現れるのを今か今かと、突き当りの階段に注意を払っていた。

 

待ちきれなくてアパートの門扉の前まで移動した。

 

街灯の灯りが邪魔をして、見上げた空に瞬いているはずの星々は霞んでいる。

 

あれから30分も経つのに、到着しない民ちゃんが心配になって、ポケットから携帯電話を取り出した。

 

「うわっ!!!」

 

どすんと背中に衝撃が走った。

 

弾みでよろめいたけど、転ばずに済んだのは、民ちゃんに後ろから抱きしめられていたから。

 

振り返ったおでこに民ちゃんの頭がぶつかった。

 

そう、民ちゃんは僕と同じくらい背が高いのだ。

 

「民ちゃん...」

 

僕の胸の前で、民ちゃんの手がクロスしている。

 

ぎゅっと僕のコートを握りしめていた。

 

「チャンミンさん...」

 

民ちゃんの温かい息が、僕の耳裏を湿らせる。

 

冷え切った身体が一瞬で、湯上りみたいに温かくなった。

 

そして、民ちゃんを愛おしく想う心が溢れそうになった。

 

好きだ、って。

 

僕は民ちゃんが大好きだ、って。

 

初めて顔を合わせた時のことを、息が止まるほど感動した感情まで僕を満たした。

 

「チャンミンさんの...馬鹿」

 

「ごめん」

 

「『ごめん』って、何に対して謝ってるんですか?」

 

「え?

民ちゃんをほったらかしにしてたから」

 

「チャンミンさんったら、ホンット―にお馬鹿さんですね!」

 

民ちゃんは、『ホンット―に』に力を込めて言った。

 

「そうだよ。

僕はお馬鹿だ」

 

うまく立ち回ることのできなかった、自分の不器用さに呆れていたし、先回りの心配ばかりしていて、大事なことを大事な人に伝えられずにいた僕は大馬鹿ものだ。

 

「私がどうして怒っているのか、ちっとも分かっていないみたいですね!

ホンット―に...ムカついてます」

 

「何をそんなに腹を立ててるの?」

 

民ちゃんに後ろから抱きつかれたまま、僕は民ちゃんの話を聞く。

 

中途半端に宙に浮かせていた手で、民ちゃんの骨ばった手の甲を包んだ。

 

僕のものより、一回り小さい手なんだ。

 

「...リアさんのことです」

 

「!」

 

「どうして話してくれなかったんですか?」

 

「...私、チャンミンさんはリアさんと結婚するものだと、思い込んでいたんですよ?」

 

「け、結婚!?」

 

「赤ちゃんができたと聞いたら、イコール『結婚』でしょう?」

 

「...確かに」

 

「『リアとは半年以上やってない』とか愚痴ってたくせに、リアさんが妊娠するなんておかしいじゃないですか!

赤ちゃんができてどうのこうのって、リアさんと言い争いしてましたよね?」

 

「うん」

 

「私が聞いてしまっていたことにも気づいていましたよね」

 

「うん」

 

「リアさんに会いました」

 

「リアに!?」

 

「私...チャンミンさんに会いに行ったんです」

 

「え!?

いつ!?」

 

「さっきです!

そこで、チャンミンさんは引っ越していったって、リアさんに聞きました」

 

「...そっか」

 

「どうして、教えてくれなかったんです?

『リアが妊娠しているのは、僕の子供じゃないんだ』って?」

 

「......」

 

民ちゃんが指摘するように、リアの妊娠騒ぎは僕にはあずかり知らない一件だったと、民ちゃんに知らせるべきだった。

 

でも、それが出来なかったのは...。

 

「どーせチャンミンさんのことです。

同棲中の彼女にいつのまにか浮気されてて、それにずーっと気付いていなかった。

『そんなカッコ悪い姿を、民ちゃんに見せたくないよ』、って思ってたんでしょ?

カッコつけたがり屋なんですよ」

 

正解。

 

僕の台詞の部分だけ、口真似をするから可笑しくって小さく吹き出してしまった。

 

僕の子じゃないんだからと、薄情にもリアを置いて出て行ってしまう行動を咎められたくなかった。

 

『チャンミンさんは冷たい人ですね。リアさんを支えてあげないといけないでしょう?』って、咎められたくなかった。

 

「チャンミンさんのだんまりのせいで、どれだけ私が悲しい想いをしたか!」

 

民ちゃんが腹を立てているのは、この部分だ。

 

「...ごめん」

 

「チャンミンさんにはリアさんがいるから ...私っ...我慢してたんです。

...っく...私っ...好きな人がいるのに。

それなのに、チャンミンさんにはリアさんとキスとかして欲しくなかったんです」

 

民ちゃんの言葉が嗚咽交じりのものになってきた。

 

「うんうん」と僕は頷きながら、後ろ手に民ちゃんの頭を撫ぜた。

 

「チャンミンさんは優しくしてくるし...っく...私には好きな人がいるし...。

チャンミンさんはスケベなことをしてくるし...!」

 

「スケベなこと?」

 

「いっぱいキスしてきたじゃないですか...2回ですけど。

抱きついてきたときもあったじゃないですか!」

 

「あー」

 

「私はパニックですよ。

チャンミンさんみたいに経験者じゃないんです。

私は、ピヨピヨのヒヨコなんですよ?」

 

「ごめん」

 

僕はさっきから、謝ってばかりだ。

 

「怪我は?」

 

「...治りましたよ、とっくの昔に!」

 

「よかった。

髪の毛も、伸びたみたいだね」

 

「チャンミンさんって、やっぱりお馬鹿さんですね」

 

ぼそりと低い民ちゃんの声に、何かおかしなことを言ったっけ?と首をひねる。

 

「今、大事なことを話しているのに、私のハゲの話は後にしてください!」

 

ぴしゃりと民ちゃんに叱られ、僕は「ごめん」と謝る。

 

「チャンミンさんの家を出て...寂しかったです。

もの凄く...っ...うっ...寂しかった、です」

 

僕は片手で民ちゃんの頭を撫ぜ、もう片方でぎゅっと民ちゃんの手を握った。

 

「うっうっ...んっく...」

 

「うん。

僕も寂しかった。

ちゃんと説明をできなかった自分が情けなかった。

あの時、全部話してしまえばよかったのに、って後悔してたよ」

 

民ちゃんは、一か月以上、会いにこなかった僕を責めなかった。

 

僕からのメールを無視し続け、電話もかけてこない民ちゃんを責める気持ちはなかった。

 

民ちゃんは、僕の気持ちに気付いている。

 

僕も、民ちゃんの気持ちに気付いた。

 

僕たちは性別は違うけど、双子以上に顔が似ている。

 

僕とは違う箇所探しに夢中になっていて、盲点となっていたところ...。

 

それは、恋愛に関しては臆病で、慎重で、鈍感なところ。

 

そっくりなんだ。

 

だから、相手への想いに気付いてからの行動が亀みたいにのろまなんだ。

 

時間がかかることを知っているから、相手を責めないんだ。

 

「民ちゃんがいなくて、とても寂しかった」

 

民ちゃんの頬と僕の頬が、火照った肌同士がぴったりくっ付いている。

 

民ちゃんは力持ちだから、力いっぱい抱きしめられて苦しいくらいだ。

 

「民ちゃんに...会いたかった」

 

「チャンミンさん...泣かないでください」

 

「...泣いてないよ」

 

「泣いてます」

 

「民ちゃんの涙だって」

 

「私のじゃありません」

 

「じゃあ、泣いてるのかもね」

 

「悲しいんですか?」

 

「嬉し泣きだよ」

 

「私と会えて、泣くほど嬉しいんですか?」

 

「ああ」

 

「私のこと...」

 

僕への質問を言い出す前に、民ちゃんの腕の中でくるりと身体の向きを変えた。

 

民ちゃんの質問に答える恰好で想いを伝えてたまるか、と思ったから。

 

そして、正面からぎゅうっと民ちゃんを抱きしめた。

 

 

(つづく)

 

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(96)NO?

 

 

~チャンミン~

 

民ちゃんのアパートは、この角を曲がってコンビニエンスストアを2軒通り過ぎた先。

 

実際に歩いてみると、僕の部屋と民ちゃんの部屋とを隔てる距離の近さに、笑えた。

 

小走りだと5分もかからない。

 

こんなに近いのに、今日になるまで訪ねていかなかった僕も僕だ。

 

ストーカーまがいに近所に引っ越してきたりしてさ。

 

門扉を抜けて建物を見上げたが、民ちゃんの部屋は反対側で、明かりが灯っているかはここからは分からない。

 

3つ並んだドアの一番端が、民ちゃんの部屋だ。

 

「よかった...」

 

ドアノブにひっかけておいた紙袋がなくなっていた。

 

「ふう...」

 

緊張で早い鼓動をおさめようと息を整えた僕は、インターフォンのボタンを押す。

 

最初に何を言おうか。

 

「こんばんは」と挨拶して、「元気そうだね」と言って。

 

迷惑そうな顔をするかな。

 

それとも、「わあ、チャンミンさん」って笑ってくれるかな。

民ちゃんは部屋にあげてくれるかな...玄関先の会話で終わってしまうかもしれないな。

 

でもいいや、民ちゃんの顔が見られるなら。

 

こんな気持ち...10代以来じゃないだろうか。

 

民ちゃんを前にすると、僕は思春期に戻ってしまうのだ。

 

胸の鼓動はますます速くなっていくばかりで、僕は何度も深呼吸をした。

 

「?」

 

反応がない。

 

ドアの横の窓はバスルームのもので、室内に明かりが灯っているかどうかは確認できない。

 

一旦帰宅してから、また出かけたのだろうか。

 

もう一度、インターフォンを鳴らしたが、応答はない。

 

訪ねてきたのが僕だと知って、居留守を使っているんじゃないだろうな、とインターフォンのカメラのレンズを睨みつける。

 

民ちゃんは僕に会いたくなくても、今夜の僕は、何がなんでも民ちゃんに会うのだ。

 

待て。

 

訪ねていく前にまずは電話だろう?

 

初歩的なことに今になって気付いた。

 

秋半ばの夜、かじかむ指、緊張で震える指、民ちゃんのアドレスをタップする。

 

早鐘のように心臓は胸を叩く。

 

着信音が7回鳴ったところで、『チャンミンさん?』と民ちゃんの声。

 

「......」

 

言葉が出てこなかった。

 

50日間、聞きたくてたまらなかった、女性のものにしては低い男のものにしては高い声だ。

 

ところが...。

 

『チャンミンさん!!』

 

民ちゃんの怒鳴り声に、僕は携帯電話を耳から離してしまった。

 

『どういうことですか!!!』

 

「...民ちゃん?」

 

民ちゃんが怒ってる。

 

会いたくないからさっさと帰れと、部屋の中から言っているのだろうか。

 

「ごめん...民ちゃんはどうしてるかな、と思って...」

 

『どうもこうもしてますよ!!!』

 

「急にごめんな...迷惑だったね。

すぐに帰るから」

 

民ちゃんは『帰るって?』と、きょとんとした言い方をしたから、外出中なんだろうと思った。

 

よかった。

 

「あっちいけ」と部屋の中から拒絶している訳じゃなかった。

 

「今、民ちゃんちの前にいるんだ」

 

『はあぁぁぁ?

なぜですか!』

 

「えっと...。

それは...」

 

照れや臆病さが前面に出そうになったが、ぐっと腹に力をこめた。

 

「...民ちゃんに会いたかったから」

 

すうっと息を吸う音が、耳元から聴こえる。

 

「民ちゃんに会いに来たんだ。

急でゴメン。

でも、今すぐ会いたかったんだ」

 

『......』

 

僕は固唾を飲んで、民ちゃんの返事を待つ。

 

「今から...会える、かな?

あ、でも出かけてるんだよね?

先約があるんだよね。

ごめん。

電話すればよかったね。

突然、ごめん。

ほら、民ちゃんと一緒に部屋を決めただろ。

だから、住所を知ってるんだ。

部屋まで来てごめん。

じゃ...帰るから。

ホントにゴメンな」

 

緊張を隠すため、僕は矢継ぎ早に謝罪と言い訳の言葉を重ねる。

 

『チャンミンさんの...』

 

押し殺したような民ちゃんの声。

 

「うん?」

 

『馬鹿!』

 

「!!!」

 

『チャンミンさんの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!』

 

民ちゃんが怒る理由がわからず、僕は彼女の大声にタジタジとなっていた。

 

『今すぐ帰りますから、そこに居てくださいよ!』

 

「う、うん」

 

『帰ったら駄目ですよ!』

 

「もちろん」

 

『一旦、切りますよ。

そこを動かないでくださいね』

 

「分かった」

 

民ちゃんの剣幕にタジタジだった。

 

民ちゃんの怒鳴り声は初めてだ。

 

乱暴な言い方なのに、可愛らしかった。

 

民ちゃんが何に腹を立てているのか、さっぱり分からなかったけれど、僕はほっと深く息を吐く。

 

「ふう...」

 

玄関ドアに付けた背中をずりずりと滑らせて、廊下に座り込んだ。

 

このため息は、さっきまでの不安をおさめるものじゃなくて、幸せに満ちた吐息だ。

 

 

(つづく)

 

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