~僕らはそれぞれに~
~民~
これっていわゆる、セクハラ...?
シチュエーション的にそう感じてもいいはずなのに、ユンさんの場合は全くそう思わないの。
もしユンさんが、私の好みじゃない中年オヤジで、異性としての好意を持てない人だったら、張り倒してた。
でも、私はユンさんのことが好きだから、全然そんな風に思ったことない。
「そんな優しいやり方じゃなくて...」
私の背後からユンさんの日焼けした腕が伸びて、私の手の上にユンさんの手が重なるから、私は卒倒しそうになった。
「もっと力いっぱい」
(まるで映画のワンシーンみたい!)
「分かった?」といった感じに、私を横目で見て、そのくっきりとした二重瞼の下の黒い瞳に吸い込まれそう。
「あとは、一人でやってみて。
それにしても...君の腕は細いね」
ユンさんは粘土で白く汚れた手を、濡れタオルで拭きながら言った。
「...そうですか?」
「栄養足りてる?」
「毎日、お腹いっぱい食べてます。
横にじゃなく、縦に栄養が取られてるんだと思います...」
「それじゃあ、横にも栄養がいきわたるように、美味しいものを食べさせないとね。
来週あたりに夕飯を食べに行こうか?」
「え...?」
粘土を捏ねる手が止まった。
「はい...お願いします」
上司にあたる人と、勤務時間外に1対1で食事をするなんて...ユンさんが初めて。
ユンさんは、誰に対してもいつもこんな感じなんですか?
前にいたアシスタントの子にも、こんな感じで接してたんですか?
スキンシップとか誘ったりしたら、私、いっぱい勘違いしてしまいますよ。
下のオフィスから、来客を知らせるチャイムが鳴った。
「行かなくちゃ!」
ユンさんはちらりと壁の時計を確認すると、慌てて応対しようとする私を押しとどめた。
「俺が行ってくる。
手が汚れているだろ?
君はこの続きをやっていなさい」
私の肩をポンと叩くと、ユンさんは螺旋階段を下りて行った。
「ふう」
ユンさんに“ポン”とされると、私のハートもポンと跳ねて、腰から力が抜けてしまいそうになる。
チャンミンさんに頭を“ポン”とされる時、私の気持ちはどんな風だったっけ...?
~ユン~
俺の言動一つで、振り回される相手を目にするのは愉快だ。
自分の外貌が周囲に与える影響を承知しているから、恵まれた条件を利用させてもらっている。
飛んで火にいる夏の虫。
光に誘われて集まる不快な虫たちの中には、稀に美しい蝶が迷い込んでくる。
羽を休めて眠りについている時刻になのにも関わらず。
民は、その美しい蝶なのだ。
・
俺は美しいものが好きだ。
俺の手のひらにひらりと止まったそれを、眺めて愛でた後、その羽をむしる。
羽を失い毛虫と成り下がったそれも、しばし眺めた後、手の平を傾げて地面にポトリと落とす。
残酷だろう?
真白な造形を指先から創造するには、破壊行為が必要なんだ。
「ユンさん...」
液状粘土の入ったポリバケツを下げた民に呼ばれた。
「あの...出来ました」
必死に作業していたのだろう、長めの前髪が汗で額に張り付いていた。
細かくちぎった粘土に水を少しずつ加えて揉みこんで、どろどろの状態にするよう指示をしておいたのだ。
粘土10㎏分。
前のアシスタントだったら1日かかったものを、この子は半日でやり遂げたか。
細い腕を肘まで白く汚していて、汗をぬぐった時に付いたのか額に乾いた粘土がこびりついている。
「こんな感じで...よろしいですか?」
丸いカーブの上瞼の下のみずみずしい瞳が、俺の言葉を待っている。
褒めてもらいたがってる顔をしている。
「付いているよ」
民の額の汚れを親指で拭ってやる間、ギュッと目をつむったりして、可愛い顔をするんじゃないよ。
滅茶苦茶にいじめたくなるじゃないか。
まさか本気にするとはな。
面白半分で「来ないか?」と誘ったのを真に受けて、ここまで訪ねてきた。
飲み込みも早く、真面目で賢そうな子だと、接客してもらった時に見抜いていた。
そんなことよりも、民の見た目や佇まいが好みだったというのが、民を誘った最大の動機だ。
悪いが俺は、残酷な男だ。
疑うことを知らない純真な眼を見ていると、君の羽をむしりたくなるんだよ。
民の尻に手を伸ばしかけたが、「まだ早い」と思いとどまった。
~民~
「うわぁ...」
閉店後の美容院で、照明が絞られ、タオルハンガーに大量のタオルが干されている中、民は鏡の前に立っていた。
身体にぴったりフィットしたベストに、お尻がぎりぎり見える超ミニのプリーツスカートを身に着けている。
「ファストファッション店で買ってきたものを改造しているんですよ」
ウエスト部分に、合皮製のベルトを当てながらKが言った。
「休日は、手芸店や古着屋を回っています。
衣装に使えそうなものを買い集めているんですよ」
襟ぐりと肩口に銀色のスタッズがびっしりと並んでいる。
「地区予選の前の晩、Aちゃんと徹夜をして付けたんです。
延々と」
「すごいですねぇ」
スカートから民の長くて細い脚が伸びて、用意された靴のサイズが合わずに裸足のままだ。
「今年のテーマは『フューチャー』です。
メタル感とウェット感を、ヘアカラーとスタイリング、衣装の3つで表現するのです。
だから、仮装大会じゃありませんよ」
黒のTシャツにベストを合わせたKは、鏡に映る民と目を合わせて言った。
「Kさーん。
このラメじゃやり過ぎですか?」
椅子に乗って民のまぶたにアイシャドウを塗っていた女の子が、メイクと衣裳を担当するAだ。
Kの勤めるサロンでは、もう一人ファイナル進出を果たしたスタイリストがいる。
反対側の鏡の前でKたちと同じように、モデルを囲んで衣裳合わせをしている。
折れそうに華奢なモデルに、シルバーのフェイクファーのドレスを着せていた。
「民さんは太ももが細いし、お尻の形を引き立てるような...」
Kは民の下半身をひとしきり眺めたあと、何度か頷き、
「スカートじゃない方がいいですね。
Aちゃん、ブルーのパウダー持ってきて」
Aはメイクボックスから探し出した容器を、Kに手渡した。
パウダーをたっぷりとつけた指を、民の太ももにこすりつけた。
「後で拭きとるので、安心してください。
うん、いいね。
タイツなんか履かずに、脚をペイントした方がいいね、うん」
「シルバーの革パンをカットしましょうか?」
「そうしよっか。
ぴたっと肌に張りつかせて、腰骨とお尻の形がもろ出る感じにしたいよね。
アンドロイドなのに、ここだけ骨っぽさと肉感があって...っていう風にしたいんだ」
民のお尻の側で、KとAがああでもないこうでもない、と衣裳づくりの相談をしている。
(Kさんが言うと全然、イヤらしくない。
私のコンプレックスを美点にしてくれる。
嬉しい)
Kは民の正面に立ち、民の前髪をかきあげたり下ろしたりし始めた。
「お客さんとしてせっかく今の髪色にしたのに申し訳ありませんが、一度リセットさせてもらいます。
3日かけて髪をブリーチします。
真っ白になるまで色を抜きます。
コンテストの前日に、色を入れます」
「ひどいんですよ、Kさんは。
私の頭はKさんの実験台なんですよ」
Aは蛍光グリーンの髪を引っ張りながら口を尖らせた。
「民さんと出会えてよかったです。
もしモデルが見つからなかったら、Aちゃんをモデルにして出場する予定でした」
「私みたいなちびっ子がステージに上がったら、それだけで落選ですよぉ」
「Kさん。
髪型のことですけど...」
民は前日チャンミンに言われたことで、気がかりなことがあった。
Kは民の心配が何であるかすぐに察したようだった。
「安心してください。
ファイナルステージでは、髪はほとんど切りません。
ヘアはあらかじめ作りこんでおいて、ステージ上ではスタイリングの仕上げを行うだけです。
少しだけハサミを入れますが。
突飛なヘアスタイルとカットテクニックを披露するコンテストじゃありません。
日頃のサロンワークを通して身につけたテクニックとセンスを駆使して、モデルのもつ美をどれだけ引き出せるか...っていう趣旨なんですよ。
衣裳は別にして、髪型はサロンスタイルじゃ駄目なんです。
街中で歩いていてもおかしくない髪型じゃないと。
カット主体のコンテストは、それこそなんでもありですがね。
髪の色はすごいことになると思いますが、コンテストの後に色は戻してあげますから。
安心してください」
目を輝かして語るKの話を聞いているうちに、民の気持ちもワクワクしてきた。
(日々のサロンワークから吸収したものを、ここぞという時に発揮するのね。
技術だけじゃなくて、アートな才能も必要なんだ。
ユンさんもそうだけど、Kさんもアーティスト。
きっと彼らの頭の中は、目指す色や形がはっきりとあるんだろうな)
ふとした時に、ユンが宙を見つめてじっと動かないままでいる時があった。
(きっと、浮かんだイメージを逃さまいと追っているときなんだ)
(つづく)
[maxbutton id=”27″ ]