【24】NO?

 

~僕らはそれぞれに~

 

~民~

 

 

これっていわゆる、セクハラ...?

 

シチュエーション的にそう感じてもいいはずなのに、ユンさんの場合は全くそう思わないの。

 

もしユンさんが、私の好みじゃない中年オヤジで、異性としての好意を持てない人だったら、張り倒してた。

 

でも、私はユンさんのことが好きだから、全然そんな風に思ったことない。

 

「そんな優しいやり方じゃなくて...」

 

私の背後からユンさんの日焼けした腕が伸びて、私の手の上にユンさんの手が重なるから、私は卒倒しそうになった。

 

「もっと力いっぱい」

 

(まるで映画のワンシーンみたい!)

 

「分かった?」といった感じに、私を横目で見て、そのくっきりとした二重瞼の下の黒い瞳に吸い込まれそう。

 

「あとは、一人でやってみて。

それにしても...君の腕は細いね」

 

ユンさんは粘土で白く汚れた手を、濡れタオルで拭きながら言った。

 

「...そうですか?」

 

「栄養足りてる?」

 

「毎日、お腹いっぱい食べてます。

横にじゃなく、縦に栄養が取られてるんだと思います...」

 

「それじゃあ、横にも栄養がいきわたるように、美味しいものを食べさせないとね。

来週あたりに夕飯を食べに行こうか?」

 

「え...?」

 

粘土を捏ねる手が止まった。

 

「はい...お願いします」

 

上司にあたる人と、勤務時間外に1対1で食事をするなんて...ユンさんが初めて。

 

ユンさんは、誰に対してもいつもこんな感じなんですか?

 

前にいたアシスタントの子にも、こんな感じで接してたんですか?

 

スキンシップとか誘ったりしたら、私、いっぱい勘違いしてしまいますよ。

 

下のオフィスから、来客を知らせるチャイムが鳴った。

 

「行かなくちゃ!」

 

ユンさんはちらりと壁の時計を確認すると、慌てて応対しようとする私を押しとどめた。

 

「俺が行ってくる。

手が汚れているだろ?

君はこの続きをやっていなさい」

 

私の肩をポンと叩くと、ユンさんは螺旋階段を下りて行った。

 

「ふう」

 

ユンさんに“ポン”とされると、私のハートもポンと跳ねて、腰から力が抜けてしまいそうになる。

 

チャンミンさんに頭を“ポン”とされる時、私の気持ちはどんな風だったっけ...?

 

 

 


 

 

~ユン~

 

 

俺の言動一つで、振り回される相手を目にするのは愉快だ。

 

自分の外貌が周囲に与える影響を承知しているから、恵まれた条件を利用させてもらっている。

 

飛んで火にいる夏の虫。

 

光に誘われて集まる不快な虫たちの中には、稀に美しい蝶が迷い込んでくる。

 

羽を休めて眠りについている時刻になのにも関わらず。

 

民は、その美しい蝶なのだ。

 

 

 

 

俺は美しいものが好きだ。

 

俺の手のひらにひらりと止まったそれを、眺めて愛でた後、その羽をむしる。

 

羽を失い毛虫と成り下がったそれも、しばし眺めた後、手の平を傾げて地面にポトリと落とす。

 

残酷だろう?

 

真白な造形を指先から創造するには、破壊行為が必要なんだ。

 

「ユンさん...」

 

液状粘土の入ったポリバケツを下げた民に呼ばれた。

 

「あの...出来ました」

 

必死に作業していたのだろう、長めの前髪が汗で額に張り付いていた。

 

細かくちぎった粘土に水を少しずつ加えて揉みこんで、どろどろの状態にするよう指示をしておいたのだ。

 

粘土10㎏分。

 

前のアシスタントだったら1日かかったものを、この子は半日でやり遂げたか。

 

細い腕を肘まで白く汚していて、汗をぬぐった時に付いたのか額に乾いた粘土がこびりついている。

 

「こんな感じで...よろしいですか?」

 

丸いカーブの上瞼の下のみずみずしい瞳が、俺の言葉を待っている。

 

褒めてもらいたがってる顔をしている。

 

「付いているよ」

 

民の額の汚れを親指で拭ってやる間、ギュッと目をつむったりして、可愛い顔をするんじゃないよ。

 

滅茶苦茶にいじめたくなるじゃないか。

 

まさか本気にするとはな。

 

面白半分で「来ないか?」と誘ったのを真に受けて、ここまで訪ねてきた。

 

飲み込みも早く、真面目で賢そうな子だと、接客してもらった時に見抜いていた。

 

そんなことよりも、民の見た目や佇まいが好みだったというのが、民を誘った最大の動機だ。

 

悪いが俺は、残酷な男だ。

 

疑うことを知らない純真な眼を見ていると、君の羽をむしりたくなるんだよ。

 

民の尻に手を伸ばしかけたが、「まだ早い」と思いとどまった。

 

 


 

 

~民~

 

 

「うわぁ...」

 

閉店後の美容院で、照明が絞られ、タオルハンガーに大量のタオルが干されている中、民は鏡の前に立っていた。

 

身体にぴったりフィットしたベストに、お尻がぎりぎり見える超ミニのプリーツスカートを身に着けている。

 

「ファストファッション店で買ってきたものを改造しているんですよ」

 

ウエスト部分に、合皮製のベルトを当てながらKが言った。

 

「休日は、手芸店や古着屋を回っています。

衣装に使えそうなものを買い集めているんですよ」

 

襟ぐりと肩口に銀色のスタッズがびっしりと並んでいる。

 

「地区予選の前の晩、Aちゃんと徹夜をして付けたんです。

延々と」

 

「すごいですねぇ」

 

スカートから民の長くて細い脚が伸びて、用意された靴のサイズが合わずに裸足のままだ。

 

「今年のテーマは『フューチャー』です。

メタル感とウェット感を、ヘアカラーとスタイリング、衣装の3つで表現するのです。

だから、仮装大会じゃありませんよ」

 

黒のTシャツにベストを合わせたKは、鏡に映る民と目を合わせて言った。

 

「Kさーん。

このラメじゃやり過ぎですか?」

 

椅子に乗って民のまぶたにアイシャドウを塗っていた女の子が、メイクと衣裳を担当するAだ。

 

Kの勤めるサロンでは、もう一人ファイナル進出を果たしたスタイリストがいる。

 

反対側の鏡の前でKたちと同じように、モデルを囲んで衣裳合わせをしている。

 

折れそうに華奢なモデルに、シルバーのフェイクファーのドレスを着せていた。

 

「民さんは太ももが細いし、お尻の形を引き立てるような...」

 

Kは民の下半身をひとしきり眺めたあと、何度か頷き、

 

「スカートじゃない方がいいですね。

Aちゃん、ブルーのパウダー持ってきて」

 

Aはメイクボックスから探し出した容器を、Kに手渡した。

 

パウダーをたっぷりとつけた指を、民の太ももにこすりつけた。

 

「後で拭きとるので、安心してください。

うん、いいね。

タイツなんか履かずに、脚をペイントした方がいいね、うん」

 

「シルバーの革パンをカットしましょうか?」

 

「そうしよっか。

ぴたっと肌に張りつかせて、腰骨とお尻の形がもろ出る感じにしたいよね。

アンドロイドなのに、ここだけ骨っぽさと肉感があって...っていう風にしたいんだ」

 

民のお尻の側で、KとAがああでもないこうでもない、と衣裳づくりの相談をしている。

 

(Kさんが言うと全然、イヤらしくない。

私のコンプレックスを美点にしてくれる。

嬉しい)

 

Kは民の正面に立ち、民の前髪をかきあげたり下ろしたりし始めた。

 

「お客さんとしてせっかく今の髪色にしたのに申し訳ありませんが、一度リセットさせてもらいます。

3日かけて髪をブリーチします。

真っ白になるまで色を抜きます。

コンテストの前日に、色を入れます」

 

「ひどいんですよ、Kさんは。

私の頭はKさんの実験台なんですよ」

 

Aは蛍光グリーンの髪を引っ張りながら口を尖らせた。

 

「民さんと出会えてよかったです。

もしモデルが見つからなかったら、Aちゃんをモデルにして出場する予定でした」

 

「私みたいなちびっ子がステージに上がったら、それだけで落選ですよぉ」

 

「Kさん。

髪型のことですけど...」

 

民は前日チャンミンに言われたことで、気がかりなことがあった。

 

Kは民の心配が何であるかすぐに察したようだった。

 

「安心してください。

ファイナルステージでは、髪はほとんど切りません。

ヘアはあらかじめ作りこんでおいて、ステージ上ではスタイリングの仕上げを行うだけです。

少しだけハサミを入れますが。

突飛なヘアスタイルとカットテクニックを披露するコンテストじゃありません。

日頃のサロンワークを通して身につけたテクニックとセンスを駆使して、モデルのもつ美をどれだけ引き出せるか...っていう趣旨なんですよ。

衣裳は別にして、髪型はサロンスタイルじゃ駄目なんです。

街中で歩いていてもおかしくない髪型じゃないと。

カット主体のコンテストは、それこそなんでもありですがね。

髪の色はすごいことになると思いますが、コンテストの後に色は戻してあげますから。

安心してください」

 

目を輝かして語るKの話を聞いているうちに、民の気持ちもワクワクしてきた。

 

(日々のサロンワークから吸収したものを、ここぞという時に発揮するのね。

技術だけじゃなくて、アートな才能も必要なんだ。

ユンさんもそうだけど、Kさんもアーティスト。

きっと彼らの頭の中は、目指す色や形がはっきりとあるんだろうな)

 

ふとした時に、ユンが宙を見つめてじっと動かないままでいる時があった。

 

(きっと、浮かんだイメージを逃さまいと追っているときなんだ)

 

 

 

(つづく)

 

 

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【23】NO?

 

 

~僕らはそれぞれに~

 

 

~チャンミン~

 

「あ~あ、冷たかったです」

 

民ちゃんはこめかみを揉みながら、僕の方を振り返った。

 

への字に眉を下げて「てへへ」と笑っていた。

 

民ちゃんのこの笑顔に弱いんだ。

 

「民ちゃん、ペディキュアが剥がれかけてるよ」

 

僕は胸がきゅっとしたのをごまかしたくて、民ちゃんの足先を指さして言った。

 

「え、嘘!」

 

民ちゃんは床に長々と伸ばしていた脚を、引き寄せて爪先を確認している。

 

「ホントに...どうしよう」

 

ゆるいTシャツから、民ちゃんの長い首と薄い肉付きの背中がのぞいて、僕は目をそらした。

 

僕はおかしい...。

 

民ちゃんのお胸を目撃してしまった日から、僕はおかしくなった。

 

わずかなサイズの差はあるものの、民ちゃんは僕と同じ顔をしていて、薄っぺらい身体をしているのに。

 

民ちゃんが妙に女っぽく見えてしまって、僕は動揺し通しだ。

 

例えば、耳。

 

洗面所の鏡に映した耳は、僕の耳、単なる耳だ。

 

けれど、民ちゃんの場合は単なる耳じゃなくて、そこはかとなく色気を漂わせている。

 

民ちゃんの感情が真っ先にあらわれる、ピンと立った耳。

 

彼女の柔らかそうな耳朶を、はむっと咥えたくなってしまう僕は、いやらしいオヤジと化している。

 

民ちゃんがすっくと立ちあがった。

 

「私、コンビニに行ってきます!」

 

「今から!?」

 

民ちゃんは、6畳間から愛用のリュックサックを背負って戻ってきた。

 

「チャンミンさんも、一緒に行きます?」

 

民ちゃんの誘いに、僕はこくりと頷くしかない。

 

 

 

 

民ちゃんは、コンビニで小さなマニキュア1つと、除光液を買った。

 

リアが持っているマニキュアの10分の1の安物だ。

 

「私に似合う色はどれですか?」と問われた僕は、5色しかないカラーバリエーションの中から選んでやった。

 

どれもが民ちゃんのイメージに、ピンとくるものはなかったのだけれどね。

 

(民ちゃんには、今塗っている黒か、血豆みたいな深い赤、くすんだ水色なんかが合うんじゃないかな)

 

蒸し暑い夜で、入浴でさっぱりさせた肌に、じわじわと汗がにじんできた。

 

アイスカフェオレを飲みながら、僕らはマンションへ向かう道を歩いていた。

 

シロップなしで、ミルクのほの甘いコクとコーヒーの苦みを舌で味わいながら、ちびちびとストローで飲みながら。

 

コンビニのカフェオレがこんなに美味しいなんて。

 

それはきっと、民ちゃんが隣にいるからだ。

 

勤め帰りのサラリーマンや、お喋りに夢中な女子大生風とすれ違った。

 

やたらデカい双子だな、と思っただろうな。

 

よりによって僕も民ちゃんも、黒いTシャツに黒いハーフパンツ姿で、双子のお揃い感甚だしい。

 

しかも、履いたサンダルの色が二人とも黒だった。

 

双子に見えてたとしてもいいんだけど。

 

「チャンミンさん」

 

「ん?」

 

「花火、いつしましょうか?」

 

僕の手に、手持ち花火セットの袋がぶら下がっている。

 

夏っぽいアイテムを見つけて気分が上がり、衝動買いした。

 

「そうだなぁ。

いつでも出来るけど、どこでやるかが問題だね」

 

「都会は大変ですね。

公園も駄目なんですよね。

河原だったら...怒られますか?」

 

「調べておくね」

 

夕飯後の、寝るにはまだ早い21時。

 

夜食でも買おうか、って近所のコンビニにぶらりと買い物に行くみたいな。

 

こんな過ごし方っていいな、と僕は思った。

 

 

 

 

そうそう!

 

僕は民ちゃんのために、脱衣所に専用の引き出しを作ってやったんだ。

 

着替えを忘れた民ちゃんがリビングを裸で走らなくてもいいようにね。

 

メール着信音に気付いた。

 

ポケットから携帯電話を出して確認すると、

 

『20時。

お店は任せる』

 

と、リアからの返信メールが届いていた。

 

明日、僕はリアに別れを告げる。

 

「民ちゃん。

明日の夜はいないから、夕飯は適当にやっててよ」

 

「了解です」

 

足元に視線を落とすと、僕の足と民ちゃんの足が、同じ歩幅で交互にアスファルトを繰り出している。

 

違う。

 

僕の筋張ったすね毛のある脚に比べて、民ちゃんの脚は白くてつるりとしていた。

 

「私も明日の夜は、用事があるんです」

 

「出かけるの?」

 

「例のカットモデルの美容院へ行くんです。

衣装合わせです。

衣装は手作りなんですって」

 

「思ったんだけどさ。

カットモデルってことは、髪も切るんでしょ?」

 

「え!」

 

「今の髪型のままってことはないでしょ、絶対に。

髪の毛短くなっちゃうんじゃない?」

 

「えー、それは困ります。

チャンミンさんみたいに短くなっちゃったら...」

 

泣き出しそうな顔で民ちゃんは、僕を見た。

 

みずみずしい瞳。

 

「男度があがっちゃうじゃないですか...」

 

 

 

 

僕は民ちゃんの長い前髪が気に入っていた。

 

でも、モンチッチみたいに短いヘアスタイルになっても、僕は全然かまわない。

 

なぜって、君の可愛らしさは、僕だけがわかればいいんだから...って思ったけど、口には出さなかった。

 

 


 

 

~民~

 

 

ユンさんの作品作りのアシスタントをするのも私の仕事だ。

 

ユンさんはアーティストでもあるのだ。

 

オフィスの端に設置されている螺旋階段を使って7階に上がったところに、ユンさんのアトリエがある。

 

「半分以上は道楽だよ」って謙遜しているユンさんだけど、ユンさんの雅号は聞いたことがあった。

 

ユンさんに名刺を渡された翌日、ユンさんは「見せたいものがある」と私をドライブに誘った。

 

連れて行かれた先がホテルだったから、凍り付いた私の様子を気付いたユンさんに

 

「食事をするだけだよ。

君は何を想像してたんだい?」って笑われた。

 

ホテルのラウンジ中央に鎮座していたのが、鳳凰を象った真っ白な彫刻像だった。

 

「俺の作品だ」

 

そう紹介した時のユンさんの目がギラっと光って私を射貫き、「この人は嘘はついていない」と確信した。

 

(他人の作品を指して『俺が作った』と、いくらでも嘘はつけるものだから)

 

料理の味なんてほとんど覚えていない。

 

鳳凰の頭部が人間のものというシュールな造形だった。

 

ナイフで荒く刻んだ鳳凰の部分に対して、人間の頭の部分(女性の頭だった)は精巧だった。

 

1つの彫刻作品の中で、男性的で荒々しいところと、女性的で繊細なところの両方が表現されていて、心をわしづかみにされたみたいに、私は感動した。

 

口を開けて間抜けな顔をしていたんだろうな。

 

「そこまで魅入られてもらえると、光栄だね」って、

ユンさんが私の背中を押すまで、ぽかんと突っ立っていた。

 

粘土の捏ね方の指導を受けている間、粘土を捏ねるユンさんの手を食い入るように見ていた。

 

ユンさんの大きな手の中で、石膏粘土の真っ白な塊が形を変える。

 

ユンさん手の甲に浮かんだ血管だとか、節が太くて力強そうな指だとか、短く整えられた爪だとかに目を奪われていると。

 

「民くん?」

 

(ユンさんは私のことを『民くん』と呼ぶ)

 

「届いたばかりの粘土は固すぎるから、水を少し加えて練ることで、手の平の体温でほど良い柔らかさになる」

 

ユンさんは、ポリ容器からどろりとしたものを、捏ねかけの粘土にひと垂らし加えた。

 

「これは水を加えてゆるくした粘土ペーストだ。

 

液状にまでゆるくしたものも、完全に硬化させたものも使うよ。

 

作品の部位によって、使い分けているんだ。

 

君には、こういった『頃合いのいい』粘土をあらかじめ作っておいてもらいたい」

 

ステンレス製のラックにずらりと並んだポリ容器を指した。

 

「へぇ...使い分けるんですね」

 

「君の仕事になる」

 

「はい」

 

ユンさんは脇にどき、私が粘土を捏ねる番になった。

 

べニア板を貼っただけの作業台にかがんで、両手でぎゅっと押し、ひっくり返してまた押しを繰り返した。

 

ユンさんの高い身長に合わせて作られた台だったから、高さはちょうどよい。

 

(ひっ)

 

耳の後ろに生温かい息がかかった。

 

ユンさんが私の真後ろに、触れそうで触れない距離に接近している。

 

近いです。

 

近すぎます。

 

 

(つづく)

 

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【22】NO?

 

 

~民~

 

 

仕事場へ行くには、正面エントランスのエレベーターを利用する。

 

面接の日に使った黒い扉のエレベーターは、ビルの上階に住むユンさん専用のもの。

 

だってユンさんは、10階建てのこのオフィスビルのオーナーだって。

 

このビルの他にもいくつか不動産を所有しているんだって。

 

凄いなぁ。

 

「一番おいしいのは、田舎の商業施設に駐車場用地を貸すことだ。

税金も安い、面積は広大で、余程のことがない限り貸し続けることができる」

 

ユンさんはそう言ってニヤっとして、その『悪そうな』笑いにしびれてしまった私はおバカさんだ。

 

ユンさんと私が接点を持てたのが、以下の通り。

 

現地の仲介業者さんとの打ち合わせに、私の住んでいた田舎町にユンさんは訪れていた。

 

私はショッピングセンターの電化製品店で、フルタイマーとして働いていた。

 

仕事用のノートPCの調子が悪いからと、急遽買い替えを迫られたユンさんの接客を担当したのが私だった。

 

ユンさんが求めるスペックを聞き取って、適切なものを選び、データ移行と必要とされるソフトのセットアップまで行った。

 

私の仕事ぶりに満足してくれたユンさんは、会計カウンター越しに名刺を渡してくれた。

 

常識的に考えてみても、ホイホイと見ず知らずの、会ったばかりの大人の男性の車に乗るなんて、世間知らずもいいところだ。

 

この顛末を聞いた友人に、

「ホテルに連れ込まれたらどうするつもりだったの?」

「犯罪に巻き込まれたりしたらどうするの?」と叱られた。

 

友人たちの言う通り。

 

でも、私は自分の容姿がどんなだか承知してる。

 

ユンさんは私の性別を敢えて尋ねなかったから、恐らく(いや、絶対に)私のことを男の子だと見なしていたと思う。

 

こんな私をどうにかしたい男の人なんているはずないもの。

 

だから、ユンさんの車に乗っても大丈夫。

 

ユンさんの車の助手席に座ったおかげで、私は今の仕事にありつけたのだから。

 

 

 

 

6階の奥まったところにあるオフィスが私の仕事場になる。

 

ユンさんのスタイリッシュな自宅とは雰囲気が違って、木製の家具とポップなカラーの張地、沢山の観葉植物(私が知っているポトスとかゴムの木とかじゃないものばかり)が温かみを醸し出していた。

 

オフィスの中央に、螺旋階段がある。

 

黒い鉄製の手すりが、ナチュラルポップな雰囲気をキリっと引き締めている。

 

木製パーテーションに仕切られた1角に、ガラス天板の大きなテーブルがあって、椅子が透明で、ここだけが未来的だった。

 

出勤してきたらオフィス内を整える。

 

例えば、打ち合わせテーブルを拭き、掃除機をかけて、観葉植物に水を与える。

 

1階エントランスの花瓶の水を取り替え、自動ドアのガラスをピカピカに磨き、ユンさん宛に届いたメールをチェックし、打ち合わせ等に訪れる方たちへ、お茶を出す。

 

ビルやマンションを所有することで発生する細かい雑事を受け持つのも私の仕事だ。

 

「管理会社に任せていたら駄目だ。

オーナー自らが心配りをしてやる面も持たないと、店子が逃げてしまうからね」

 

と、ユンさんは言っていた。

 

デスクに置いた携帯電話が鳴った。

 

ユンさんは大抵、外出しているか上の階にいるから、用事がある時は電話をかけて私を呼ぶ。

 

ユンさんに呼ばれて螺旋階段で7階へ上がると、ユンさんは「忙しいところ悪いね」って口元だけで笑いながら振り向くの。

 

ユンさんのまっすぐな背筋や、広い背中を見ると思わず抱きつきたくなってしまう。

 

そんな気持ちをグッと隠して、私はユンさんの指示を待つ。

 

ユンさんはいつも白いシャツとチノパンを身に着けている。

 

よくよく見ると、少しずつデザインや素材が違っているから、相当のお洒落さんだな、って感心している。

 

「配合を教えるから、覚えるんだ」

 

と、私の肩を抱いて奥の作業テーブルへ案内した。

 

ユンさんのスキンシップに毎回、ドキッとする。

 

心臓の音がユンさんに聞こえないか心配になるくらい。

 

ユンさんがかがむと艶やかな長い髪が、さらさらと肩からこぼれ落ちて、いい香りが広がる。

 

至近距離の精悍な横顔が眩しくて、心臓が口から飛び出しそう。

 

ユンさんは、身を固くする私に気付いて、「申し訳ない」と手を離す。

 

ユンさんのことが好きな私は、もっと触れて欲しいのに、って残念に思うんだ。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「仕事はどう?」

 

夕食後、僕はソファに、民ちゃんはソファにもたれて、のんべんだらりと過ごしていた。

 

2人ともお風呂上がりで、首にタオルをひっかけていた。

 

「頑張ってます」

 

ソーダ―味のアイスキャンディーを舐めながら民ちゃんは答えた。

 

ホンモノの兄妹のように、交際5年のカップルのように、僕らはリラックスしていた。

 

「仕事内容は?」

 

『アシスタント』という響きが怪しかった。

 

「雑用係です。

観葉植物に水をあげたり、電話をとったり。

ひとつひとつは大したことありませんが、やることは沢山あります」

 

「そっか」

 

僕は正面のTVが流すバラエティ番組をよそに、携帯電話を操作していた。

 

『明日、外で食事をしないか?』と、リアにメールを送信していた。

 

「民ちゃん!

垂れてるよ」

 

溶けたアイスが民ちゃんの指に垂れていた。

 

「あー!」

 

慌てて民ちゃんは、指に滴ったシロップをぺろりと舐めとり、角がとれた水色のアイスキャンディーを口に含んだ。

 

「ちゅるっ」と頬張る民ちゃんの口元に、僕の視線は釘付けになって、「ごくり」と喉が鳴った。

 

(こらー!こらー!

何を想像してるんだ!)

 

「あわわわ...」

 

民ちゃんは、軸が抜けてしまったアイスを大きな口で丸ごと受け止めた。

 

きーんとこめかみが痛いのだろう、ぎゅーっと目をつむり、鼻にしわを寄せている民ちゃんが可笑しくて。

 

この時の僕の眼差しは、とても優しかったと思う。

 

民ちゃんは僕に背中を見せていたから、僕がどれだけゆるんだ顔をしていたのか...彼女は知らない。

 

 

 

(つづく)

 

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【21】NO?

 

 

~君は女の子~

 

 

~チャンミン~

 

 

洗面所からタオルを持ってきて、民ちゃんの頭を包み込んだ。

 

濡れた前髪を耳にかけてやると、キリっとした眉の下のまぶたが優しいカーブを描いて閉じていた。

 

扇形に広がった民ちゃんのまつ毛がわずかに震えて、僕の指が思わず止まる。

 

純粋に、綺麗だと思った。

 

僕の寝顔もこんな感じなんだろうか。

 

眠りについた自分の顔なんて、写真でも撮らない限り見ることは出来ない。

 

緊張の解けた民ちゃんの寝顔は、あどけなくて、想像以上に可愛かった。

 

この寝顔は民ちゃんのものだ。

 

民ちゃんのことを、第三者の視点で観察しながら「似てる」と面白がっていたけれど、今はもう、民ちゃんは鏡に映した僕じゃない。

 

リビングですってんころりんした民ちゃんの、真ん丸の目ときたら...。

 

くすくすと、思い出し笑いがこぼれてしまった。

 

民ちゃん、君は最高だ。

 

僕は床に腰を下ろし、飽きもせず民ちゃんの寝顔を見続けた。

 

民ちゃんの頬に、僕の頬が自然と吸い寄せられた。

 

3センチの距離で、僕の心は大きく揺れたのだ。

 

甘い香りがする。

 

眠っている隙を狙って...なんて...駄目だよね。

 

頬にするだけなら...許されるよね。

 

迷いに迷って、そっとかすめるだけのキスを落としたのだった。

 

「はあ...」

 

何やってんだ、自分?

 

しかし、困ったな。

 

布団を敷いてあげたいけれど...。

 

三つ折りにした布団に民ちゃんの上半身がもたれかかっている。

 

民ちゃんをどかしたいけど...。

 

身長が高いせいで太ももがむき出しになっていて、ぞんざいに巻いただけのバスタオルが頼りない。

 

困った!

 

困ったぞ!

 

女性の裸なんて初めて見るわけじゃないのに...。

 

今夜の僕は、民ちゃんの裸をこれ以上見るわけにはいかない!

 

再び僕の下半身に血流が集まってきた。

 

マズイって!

 

気持ちよさそうに眠っているのを、起こしたくないんだけどなぁ。

 

「民ちゃん、起きて」

 

肩を揺する。

 

「う...ん」

 

「民ちゃん!」

 

もっと肩を揺する。

 

「う...ん」

 

民ちゃんの頭がぬーっと持ち上がった。

 

目をつむったままボーっとしている隙に布団を敷いた。

 

「ぐー」

 

「あ!

こら!

寝るな!」

 

首をもたげて座ったまま、眠ってしまった民ちゃん。

 

「もー、世話が焼けるんだから!」

 

床にタオルケットを敷いて、その上に民ちゃんを横たえた。

 

バスタオルがずれて民ちゃんのお胸が、目に飛び込んできたけど、これは事故だ、仕方がない。

 

さすがに服を着せてやるわけにはいかない。

 

ぼわーんと、民ちゃんにパンツを履かせ、ブラのホックをはめてやるイメージが浮かんだけど、首を振って消去した。

 

(こらー!)

 

タオルケットでぐるぐるにす巻きにした民ちゃんを、敷布団の上まで引きずった。

 

(身長が身長だけに...それ相応に重い...)

 

ぐるぐるにす巻きにされた民ちゃんを見下ろして、僕は深い深いため息をついた。

 

気持ちよさそうに寝ちゃってさ、全く。

 

民ちゃんの裸に反応したりしたら駄目じゃないか!

 

今夜の僕は...抜く必要があるな。

 

以上が、プチハプニングの顛末だ。

 

 

 

 

Tから電話があった。

 

『民の奴、仕事決まったんだってな』

 

相変わらず声が大きい。

 

「ああ。

民ちゃん、喜んでるよ」

 

『町に出てくるって聞いた時は、大反対したんだ。

あいつは頑固だから、言い出したらきかないからな。

仕事が決まって一安心だ』

 

「しっかりした子だと思うよ。

(抜けてるところも多いけど)」

 

『チャンミン、ありがとうな。

お前のおかげで助かった』

 

「大したことはしていないよ」

 

『とっとと住むとこ探させるからな。

...だがなぁ、民は騙されやすいところがあるからなぁ。

面倒ついでに、アパート探しを手伝ってやってくれないか?』

 

僕の部屋に住んでもらってもいいから、と。

 

そう言えなくなってしまった事情が悔しい。

 

『1階は駄目だぞ。

見た目はあんなだが、一応女だからな。

営業マンにのせられてほいほい決めてきそうだから、チャンミンがジャッジしてやってくれたら助かる』

 

「僕が見張っておくよ」

 

互いの近況を報告しあった後、Tとの通話を終えた。

 

仕事と住まいを決めたら民ちゃんは出て行く。

 

MAXで1か月。

 

そういう約束で、民ちゃんを迎い入れた。

 

あっという間に仕事を決めてきた民ちゃんの次の行動は、アパート探しか。

 

民ちゃんに出て行ってもらったら、僕は困る。

 

あんなに面白い子と暮らせたら、毎日笑っていられそうだ。

 

抜けてる民ちゃんのことだから、あれこれ僕が世話をしてやることになりそうだけれど、それも楽しいだろう。

 

 

 

 

別れ話のタイミングを計りながら、このことを常に頭の片隅に置いて、ベッドの反対側で眠るリアを横目に出勤した。

 

業務に追われている間は忘れているが、ふとした時に「そうい言えば」と思い出した。

 

別れを決心してからわずか数日間で、僕は消耗していた。

 

ぐずぐずしている自分が不甲斐なかった。

 

べた惚れだった自分だっただけに、NOを突き付けるには気合が必要だった。

 

これを解決しなければ、前へ進めない。

 

一方、民ちゃんの存在は、摩耗した僕の心を癒してくれる。

 

民ちゃんの初出勤の日も、僕は彼女に洋服を貸してあげた。

 

その日は、淡い水色のストライプシャツ。

 

スタンドカラーが民ちゃんのほっそりした首を引き立てて、うん、僕が着るよりずっと似合っていた。

 

民ちゃんのワードローブは乏しくて、Tシャツが数枚と黒のブラウスが1着あるだけ。

 

「お洋服を買う余裕がなくて...」と恥ずかしそうにうつむく民ちゃんの頭を、

「ちょっとずつ揃えればいいよ。僕が貸してあげるから」ってポンポンした。

 

民ちゃんに自分の洋服を着せることを、密かに楽しんでいた。

 

民ちゃんに洋服を買ってあげたいけれど、兄妹でもない、友人でもない、恋人でもない相手に買い与えるなんてやり過ぎだろうから。

 

民ちゃんは、僕の親友の妹。

 

僕らの関係は、それだけのものなのか?

 

それじゃあ、友達...?

 

民ちゃんが『友達』?

 

なんか違う。

 

同じ姿形をした、僕の分身?

 

そうだけど、それだけじゃないところが、僕が不思議な感覚を抱いてしまう理由だと思う。

 

民ちゃんは『兄の友人』、としか見なしていないだろうけどね。

 

僕のシャツを着て、民ちゃんは張り切って出勤していった。

 

 

 

(つづく)

 

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【20】NO?

 

~君は女の子~

 

 

 

「......」

 

チャンミンはひとりリビングに残された。

 

(民ちゃんは、ペチャパイだと思ってたけど...。

正真正銘のペチャパイだった...)

 

チャンミンは両手の指先を曲げたり伸ばしたりしてみる。

 

(ギリギリ揉めるか、揉めないか...くらいか...揉めないな...)

 

チャンミンは自分の胸を触ってみる。

 

(違う。

ペチャパイだけど、僕のとは違う。

ペチャパイって連呼してごめんね、民ちゃん。

胸はないけど、民ちゃんは女の子の身体だった、うん)

 

チャンミンは先ほどの光景を思い出す。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

鎖骨は僕のものより華奢だった。

 

肌は白くてきめが細かかった。

 

ホクロがあった。

 

首から下へたどると、あるかなきかの...ほとんどないに等しい膨らみ。

 

(民ちゃん、ごめん)

 

そこから視線をずらすと...両胸の先端がピンク色で...。

 

民ちゃんがかがんだ背中に、浮き出た背骨に色気を感じた。

 

女らしい身体とは、柔らかくて弾力に富んだくびれを言うのだろう。

 

例えばリアが持つ肢体のような。

 

でも。

 

民ちゃんの骨ばった身体でも、女を感じた。

 

どこを?と聞かれたら、具体的に答えられないけれど。

 

女らしいってなんだろう?

 

大きい胸か?

 

ぷにぷにした感触か?

 

そのいずれも民ちゃんは持ち合わせていないけど、ペチャパイだけど、全然オーケーだよ。

 

付き合ってる彼女の胸が小さかったとしても、だからと言って嫌いにならない。

 

さらに下へ辿ると...バスタオルが邪魔で見えなかった...って、おい!

 

続いて脳裏に、ぼわーんと民ちゃんのお尻の映像が浮かぶ。

 

巻き付けたバスタオルの端からはみ出してた。

 

前を隠すのに必死で、後ろのガードが甘いよ、民ちゃん。

 

太ももからお尻が筋肉で一直線につながってる僕のとは違う、民ちゃんのお尻。

 

太ももとお尻の境目があって、お尻のほっぺがふっくらしていた。

 

1、2秒足らずの瞬間、しっかり観察していた僕。

 

そして、それをしっかり記憶してる僕。

 

やれやれだ。

 

民ちゃんは隙だらけだ。

 

それにしても...民ちゃんの乳首はピンクか...。

 

可愛いなぁ...。

 

 


 

 

「ん?」

 

違和感に気付いたチャンミンが、そろそろと股間を確認した。

 

(こらー!

こらー!

何、反応してるんだ!

僕ときたら、僕ときたら!

民ちゃん相手に、反応したら駄目だろうが!?

Tに殺される!

いててて...勃ち過ぎて...腹が痛い...)

 

 

 

 

 

 

チャンミンはソファに仰向けになって寝転がった。

 

翌日の仕事の段取り、この部屋の賃料、そしてリアへ告げる言葉。

 

つらつらと考えていた。

 

昼間のうちに、残高不足を起こした口座へ送金処理を済ませた。

 

(早急に決着をつけなければ。

僕の財布事情も、限界が近い)

 

次に、昼間会ったユンについて考えを巡らした。

 

 

(ユンに近影写真の撮影を断られた。

 

ミステリアスさを演出するためか、写真嫌いか、どんな風貌の人物なのかを事前に確認することができなかった。

 

遠目で撮ったぼやけた斜め後ろのものが何枚かあるだけだった。

 

会ってびっくり、男の僕から見てもハッとするほどいい男だった。

 

近影写真を断られたため、ページ構成を工夫する必要があるな。

 

Sが指摘したように、確かに僕の顔を食い入るように見ては、目が合うと意味ありげに微笑したんだっけ。

 

気持ち悪いな)

 

 

チャンミンは先ほどから、民のいる6畳間に注意を払っていた。

 

ことりとも音がしない。

 

民が部屋から出てこない。

 

 


 

 

~リア~

 

 

見た目が派手なせいで、放埓だと誤解されがちだった。

 

熱しやすく冷めやすい恋愛をしがちなのは認める。

 

文字通り「炎のよう」に熱く燃え上がって、全身全霊でその男性を愛す。

 

2,3か月もするとその炎の勢いが落ちてくるけれど、気持ちが冷めた訳じゃないの。

 

彼からの焚き木の追加が欲しいだけなの。

 

私の激しい恋に疲れるのか、飽きたのか、離れていってしまう人が多い中、チャンミンは違った。

 

熱く激しい火力はないものの、チャンミンが恋人に注ぐ愛情とは、熾火のように、長く注ぎ続けるもの。

 

チヤホヤされることに慣れていた私だったから、チャンミンの控えめな愛情表現じゃ物足りなかった。

 

照れ屋で「愛してる」の言葉も、ベッドの中で絶頂の最中で口にするくらい。

 

顔もスタイルもいいものを持っているのに、トレーナーにデニムパンツという野暮ったい恰好ばかりしてるから、私好みのファッションに仕立ててあげた。

 

私の手によって、見栄えのする男に変身させていくのを楽しんでいたのは事実。

 

家事が苦手な私に代わって、料理も掃除もすべてを担ってくれて助かった。

 

住まいを共にして1か月もしないうちに「長年連れ添った夫みたい」になってしまったチャンミンにがっかりした。

 

レシピ通りに忠実に料理をするチャンミンの背中を見ると、手にしたマスカラを投げつけたくなる。

 

キツイ言葉を投げつけても、最初はムッとした顔が、困った表情に変化して、「嫌なことでもあったのか?」って心配してくれたの。

 

イラつくけれど、チャンミンの存在は私にとって大切なものだ。

 

チャンミンには100%、私の方を見ていて欲しい。

 

だから、過去の女の思い出の品は、全部捨てさせた。

 

携帯電話の履歴も、チェックする。

 

ロックもせず置きっぱなしにしておくチャンミンが悪い。

 

チャンミンに他の女性の影がちらついてもらったら困る。

 

私の心のバランスを保つために、チャンミンが必要だから。

 

チャンミンを留守番役に仕立てている一方で、私は新しい恋をしていた。

 

モデルの仕事は下降線だったけど、誘われて始めたラウンジの仕事は割と楽しい。

 

沢山の男の人たちと接することができるし、彼らを褒めたたえる振りをして、「君こそキレイだよ」のお返しを期待していた。

 

私は男好きじゃない。

 

熱烈な恋愛をしたいだけ。

 

今回の恋は、のめりこみ過ぎて危なっかしい空気をはらんでいた。

 

いつ捨てられてもおかしくない。

 

その人は惹きつけたかと思うと冷たく突き放すのを繰り返して、私は翻弄され余計に燃え上がった。

 

深夜、あどけないチャンミンの寝顔を横目に、アルコールでむくんだ脚を毛布に滑り込ませる。

 

この人は、待ってくれる。

 

この恋が破れて捨てられても、帰る場所がある。

 

だからやっぱり、チャンミンが必要。

 

チャンミンに拒まれた翌日の夜、6畳間から出てくるチャンミンと顔を合わせた。

 

そういえば、妹だか弟だかがしばらく滞在するって言ってた。

 

「おかえり、早かったね」

 

ぎくりとした表情を見せたチャンミンにイラっとして、同時にホッとした。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

「民ちゃん?」

 

コツコツとドアを叩いてみたが、返事がなかった。

 

寝てしまったのかな?

 

それとも恥ずかしくて出てこられないのかな?

 

そっとしておけばいいのに、僕は放っておけなかった。

 

「入ってもいい?」

 

そっとドアを開けると、部屋の中は真っ暗だ。

 

「民ちゃん...」

 

リビングから指す灯りに、横座りした民ちゃんが、畳んだままの布団に突っ伏していた。

 

(やっぱり...寝てた)

 

民ちゃんはバスタオルを巻き付けただけの姿で、細い脚を折り曲げ、上に置いた枕を抱きしめる恰好で眠っていた。

 

「風邪ひくよ」

 

指の背で民ちゃんの頬に触れた。

 

ミルクみたいな香りがする、すべすべで柔らかいほっぺ。

 

初めての土地で、慣れない電車に乗って、仕事の面接を受けて緊張したり、採用されて喜んで。

 

疲れて当然だ。

 

民ちゃんは布団に横顔を埋めて眠っていた。

 

民ちゃんの寝顔を、こんなに早く見られるなんて思いもしなかった。

 

 

(つづく)

 

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